まっつタッチ、まっつタッチ、とほくほく浮かれていたけれど。

 帰りの特急の中で、おさかなまっつストラップがなくなっていることに気づいた。
 オリジナルで作って愛用していたグリーンのおさかなさん@『Red Hot Sea』姿のまっつが、ジョイントのわっかを残してまるっとなくなってました……。
 千秋楽休憩時間にはまだたしかにあったから、劇場内で落としたのか、駅までの道で落としたのか。
 立ち姿そのままくりぬいたプラスチック製。……落ちてたら、「なにコレ??」度高い羞恥アイテム。なにしろおさかなさんだからな……ヅカだとわからない人(が、世の中の大部分だろう)には、アニメのキャラ・コスとか思われるんだろうか……遠い目。

 そんなオチがあったにしろ。

 全ツ『外伝 ベルサイユのばら-アラン編-』千秋楽。

 アンドレ@壮くんの「アラン、お前もか」は、「アラン……」でためまくったあと、「お前も(吐息)報われない愛に……」と続けることで不自然さを払拭しておりました。えらいっ。

 ねえねえ、壮くんのこの吐息プレイ、無駄に色っぽいよね?
 無駄に……てのが、壮くんらしくて素敵っちゅーか植爺のせいでこんなプレイをするハメにっちゅーか、お前もかの「か」を言うとお笑いになるから「か」を発音しないための苦肉の策だけど結果としてアンドレ男前ってちゅーかイイ演出になってるっぽいっちゅーかやっぱり植爺許すまじ(笑)。
 
 なんで壮くんとみわっちのラヴシーンないの? まとぶと絡んでる場合ぢゃないっしょ? みわさんと絡めよ~~。
 オスカルが誰を愛しているかわからない、ってひどい演出だ……。

 『ベルばら』なんてどーせ場面のつぎはぎでストーリーないんだし(植爺がストーリーを作れない、が正しい)、「ラヴシーン特集」にしちゃえばいいのに。
 誰かを好きとかキライとか言っているとこだけでストーリーをつなぐ。

・オスカルに反発するアランと衛兵隊。
   ↓
・みんなの憧れディアンヌ、めんどーだから『エンター・ザ・レビュー』の「愛しのルイーズ」の替え歌とダンスでいいよ。
   ↓
・オスカルに憧れるディアンヌ。あー、でも植爺脚本だとディアンヌが愛していたのは実の兄のアランだっけ。んじゃここで、ディアンヌの脳内イメージの恋人アランとのラヴラヴデュエットダンス。オスカルは、ディアンヌとアランを引き裂くように登場。めんどーだから『エンター・ザ・レビュー』の「ボクのいちばん好きな人」をルイーズ……ぢゃねえ、ディアンヌが歌っちゃえ。振付も同じ……だと、みわっちがまとぷを姫抱っこして去っていくことになるから逆にして(笑)。
   ↓
・反発していたのに衛兵隊が先にオスカルへ心酔。女たちも一緒に登場して一緒に心酔しちゃえ。ひとり反発を続けるアランはおもしろくない。
   ↓
・婚約破棄され(アランがこれ以上オスカルに惹かれていくのを見ていられない、というのが実は真相)ディアンヌ自殺、自棄になるアランを一喝するオスカル。
   ↓
・(オスカルの縁談の話を聞き)オスカルに愛を打ち明けるアンドレ。主役じゃないから毒殺シーン無し。
   ↓
・ジェローデルへプロポーズのお断りをするオスカル。(ここで彼女の心がアンドレへ向かっていることがわかる)
   ↓
・アランとアンドレの口ゲンカ。
   ↓
・アランがオスカルに無理矢理チュー。アランを殴りつけようとして、殴れないアンドレ必須。
   ↓
・アランと衛兵隊、目の見えないアンドレのフォローをする発言。
   ↓
・パリ市民蜂起、アランと衛兵隊はオスカルについていくと宣誓。

 そーして、プロローグとエピローグの10年後のベルサイユはそのまま、ナポレオンはいらないんだけど、出さなきゃいけないの? 植爺的に?
 仕方ないからディアンヌの亡霊はそのまま。ただし最初と最後だけ。革命もオスカルたちを出してはいけないのなら、名もなき市民たちだけでやる。

 植爺がこだわり続ける「出演者の出番と台詞の行数」は、ちゃんと「トップ>ヒロイン>2番手>3番手>専科>組長>>>その他大勢」で割り振る。
 途中で死んでしまうディアンヌは、出番の少なさを補うために、出ている場面ではやたら豪華に歌い踊る。「ここでこんだけ時間と比重をかけてこんなどーでもいい場面をえんえんやるの変ぢゃね?」と思われても、やる。「オスカル編」で脳内オスカル様山盛りでえんえん歌い踊ったまーちゃんロザリーみたいにな。
 そして、エピローグではもちろん「愛しています、お兄さん」と禁断の告白ですよ。オスカル様に夜這いをかけたまーちゃんロザリーみたいにな。
 2番手の役が3番手の役より出番や台詞の行数が少なくてはいけないので、オスカル中心の場面は台詞や時間を減らし、アンドレをクローズアップ。おかげでやたらとアンドレは長台詞を喋るし、苦悩してひとりで歌う。そして主役のアランと絡む。ジェロは相変わらず1場面だけ。
 やたら思わせぶりに星原先輩の出番と台詞はえんえん続き、はっち組長も豪華な衣装で現れる。無意味でも、彼らに出番と台詞と衣装は、ハズしてはならない。

 とゆー、植爺クオリティを守りつつも、「とりあえずラヴシーン」をいろんなパターンで入れることによってサービス度を上げる。好きでもキライでも、「心が動く場面」さえきちんと描いていれば。その他の出来事は「台詞で解説」しても話はつながる。
 だからこそ、主役であるアランがオスカルへの想いをどう昇華させたか、革命直前に平民側につくと決めたオスカル、彼女へついていくとアランたちが宣言する場面は必要。
 これがあるからこそアランは、オスカル死後も彼女の遺志を継いで戦い続けるのだから。この場面から一気に時代を10年後につなぐことが可能。ここでのアランならば、10年後の隻腕将軍アランへオーバーラップできる。

 ……本当なら、そこからパスティーユになだれ込み、最高潮に盛り上がる……はずなんだけど、植爺のアホなこだわりのせいで、「物語」としていちばんいいところを「描いてはならない」ことになってるからな。オスカルの死と、彼女をかばって片腕を失うアラン、は「アラン物語」ならばもっとも重要なエピソードだろうに。
 描いてはならないんだから、仕方がない。

 
 「アラン物語」として必要な場面を全部奪われ、10年後にディアンヌの亡霊と立ち話をするだけのどーしよーもない脚本で、まとぶんは高いテンションでキモチと空気をつなぎ、よく演じきったと思う。
 歌舞伎が似合う……というか、熱が入りすぎるとどんどん歌舞伎になる特質(笑)があるので、その大仰さがいっそ清々しかった。
 ただまとぶんの歌舞伎って、ひとり歌舞伎で誰かと一緒だと精度が落ちるんだよね。ひとり芝居になって封印が解き放たれるっていうか絶好調になるっていうか。
 壮くんも植田歌舞伎の申し子ってくらい似合う芸風の人だけど、彼は誰が相手でも関係なく大歌舞伎演技絶好調だから、まとぶさんとは持ち味がチガウ。

 まとぶん、壮くん、みわっちと、三者三様の濃い~~ぃい芝居を繰り広げていて、そこはとても愉快。

 てゆーか、無理矢理チューのとこはみわさんオスカルが妙に生々しいんですが(笑)。
 アンドレに引き離されたあととか、なんかすごく「おんな」でびびる。濃くくどく演じていると、修羅場も濃くて、見ていてちょっとうろたえるというかテレるとゆーか。やーん、みわさんったらぁ(笑)。

 こんな、ピンポイントでエロいオスカル様なので、あのぶっちぎり芸風アンドレ様と、もっと絡んで欲しかったのよ、ラヴを入れて。

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