いい加減、宙組の感想書くべ。
 もう出遅れまくって今さらすぎるけど、それでもまず、叫ぶ。

 お帰りなさい、ウメちゃん。
 
 戻ってきてくれてうれしい。
 あのかわいらしさ、あの輝き。
 キュートな女の子も宿命の美女も、ウメちゃんならではの光で演じてくれる、その光を浴びに劇場に行くんだよ。

 お化粧変わっちゃったのか、ちょっと違和感あったり(現代モノだから、キツめな感じになってる?)、お歌が以前にも増して破壊力があったりで(笑)、なかなかすごいことになってるが、それらも含めて、お帰りなさい、ウメちゃん。
 会えてうれしい。

 お芝居の『Paradise Prince』は、他愛なくもかわいらしいハッピーなラヴコメディ。
 モダンアート界のプリンス・スチュアート@タニちゃんは、せっかくの地位も名声も捨て、ただの一般人としてアニメーション制作会社に入社する。アニメーション作家になるのは彼の子どもの頃からの夢だった。スチュアートが配属されたのはお荷物扱いの2Dチーム。CG全盛期に手書きアニメなんて時代遅れもいいところ。スタッフたちもやる気ナシ。
 やる気ナシの落ちこぼれ集団に夢追い人主人公投入でムード一新、「夢は見つづればいつか叶うんだ、みんながんばろう、おー!」とひとつの目的に向かって快進する、お約束の展開。ヒロインのキャサリン@ウメちゃんも夢と現実の狭間で迷っていたけれど、スチュアート効果で夢追い人スキルアップ! あっちゅー間にふたりはラヴラヴ。
 だが蜜月はいつまでも続かない。悪役登場だ、金ヅルのスチュアートを取り戻すために、アートプロデューサーのアンソニー@らんとむがキャサリンを脅迫した! スチュアートとキャサリン、ふたりの愛は、そして夢はどうなる?!

 わたしは基本景子せんせは役者へのアテ書きはしない人だと思っているが、この作品はアテ書きだと思う。
 タニちゃん、ウメちゃん、らんとむ、みっちゃんへはちゃんとアテ書きしているよね。
 そこから出来上がった物語だと思う。
 「夢はきっと叶う」という他愛ないおとぎ話を、いかにもなキャラクタでいかにも予定調和に収めました、てな。 

 内容的にはかなり無理があるというか、「あー、景子たん、『ドン・ファン』と同じ失敗してるなぁ」てな基本的な欠陥があるんだけど、深く考えなかったりリピートしなければ問題ないんじゃないかと……あれ、タカラヅカはリピート観劇前提だったっけ。
 景子先生は室内の装飾やコーディネイトはできても、建築はできない人。なのに建築もするから、「この家、たしかにすごく素敵なデザインだけど、この図面通りに建てたら屋根傾きますよ?」「この廊下、人間通れないですよ?」てなことになったりする。
 バウではちゃんと設計できるようだから、大きさと時間と人数の問題かな。

 まあそーゆー部分は置いておいて、画面の美しさとキャラの愛らしさを堪能するのも、タカラヅカの正しい在り方だと思う。

 主要4キャラクタのアテ書きぶりは、「ファンが期待するキャラクタ」そのまんまだ。
 キラキラ王子様でピーターパンなタニちゃん。
 現代的なキュートな女の子で、芯の強さといじらしさを持ち合わせたウメちゃん。
 イロモノぶっちぎりの赤面様らんとむ。
 オサレでイモっぽい、されど明るく愛らしいみっちゃん。

 現実の彼らが持つイメージを、まんま舞台に持ってきましたって感じ。
 そのイメージを快く思っているなら、この舞台はたのしめるだろう。ジェンヌと役とを混同して、あるいは相乗効果にたのしむのが、ヅカの愉しみ方のひとつではある、のだから。

 わたしは「丈に合わない、意気込みだけの名作とやらより、出演者アテ書きの凡作の方がイイ」と思っている。
 だからソレだけで『パラプリ』はたのしい。
 しかし。
 ひとつだけ、今回「そのアテ書きはどうよ?」と思ったことを書いておく。

 『パラプリ』はなにもかもが雪組の『君を愛してる』に酷似していて、いちいち脳内で「ああ、コレは『君愛』でいうアレのことね」と変換しまくりで、そのあたりは大変だったけど、まあソレはわたし個人の都合ってヤツで(笑)。
 水しぇんはかわいこちゃん役をやって「似合わない役をやらせるな」とブーイングにさらされたが、同じよーな役をタニちゃんは「さすがアテ書き!」と言われてしまう、その持ち味の差がイイ。5組あるんだから、トップの持ち味はちがってこそ、だ。

 主役がかわいい善良なセレブ青年で、身分違いの平民(笑)のヒロイン、どっぷり黒い役の2番手。『君愛』は3番手も主役とほぼ同位置のキャラ付けだったからトバして、4番手がコメディ担当、『パラプリ』ではコレが3番手。
 『君愛』ではこのコメディ担当のテルがとてもオイシイ役で、彼は大いに株を上げていたと思う。
 『パラプリ』でもコメディ担当は本来オイシイはずだ。……が、なにしろ演じているのがみっちゃんなので、この配役は疑問。

 テルのコメディっぷりがよろこばれたのは、彼がクールビューティのおすましさんだったからだ。体温の低そうな絶世の美青年が、その美貌をかなぐり捨ててヘタレ青年を演じることがギャップとなり、新たな魅力となった。
 しかし、みっちゃんは……。
 みっちゃん演じるおたく青年ラルフがテルの役だったら、なんの問題もない。クールビューティのかなめくんがあそこまでバカキャラを演じれば話題にもなるだろう。
 だが、なんといってもみっちゃんだ。そのぉ、外見的な美しさとかセンスとかにいろいろいろいろ味のある人だ。
 美貌のオシャレさんがコメディアンをするのはギャップが魅力になっても、イモなオサレさん(失礼)がコメディアンをやってもなんのギャップも生まれない。いつものみっちゃん、なだけだ。
 イモにーちゃんにイモにーちゃんの役をやらせてどーする!(さらに失礼) アテ書きなのはわかるし、みっちゃんの外的イメージまんまなのはわかるけど。
 ただでさえみっちゃんは前回『雨に唄えば』でコメディ担当してるんだよ? 2作連続コレはあんまりだ。
 みっちゃんの良さを活かしつつ、「かっこいい」役をやらせるべきだろう? 3番手なんだよ? 未来へつなげて行かねばならない時期なんだよ?
 みっちゃんはもっと作り込んだ、「舞台上の男役」としてならば、美しさを発揮できる人だ。彼の「役者・男役」としての魅力が「本人のキャラクタへのアテ書き」ゆえに殺されてしまっていることが、残念でならない。

 真のアテ書きとは、安直に役者の持ち味に当てるのではなく、持ち味を活かしつつ、さらに舞台上で魅力的に、かっこよく見せることだと思ったよ、今回。
 アテ書きだからって、すべてOKなわけじゃないんだなあ、と。勉強になりました。
 

 みっちゃんのキャラへの疑問はあるにせよ、あとの人たちはみんな「お約束」に終始した、安定したキャラクタたちだと思う。
 安定はいいね、安心して観ていられる。
 宙組のみんながまた、きれいだしね。かわいいしね。

 タニちゃんの美しさ、キラキラ具合はものすごいし。つか、どこまで脚なん?!という、驚異のプロポーションが現代物ゆえにわかりやすく見せつけられるし。 
 ウメちゃんがとにかくかわいくてきれいで、そのまま「持って帰りたい」と思うし。うおー、家に飾りてぇ。

 美しさゆえに、「タカラヅカを観た」と実感させてくれる。

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