理想と現実問題。@1万人の第九2011
2011年12月4日 その他 『1万人の第九』で毎年思うこと。
寒い。
大阪城ホール、寒すぎ。風がカラダに当たる、足下もしんしんと冷える。
こんな状況で、女性にブラウス1枚で数時間過ごせなんて、どんないじめなの。
動き回っているスタッフはスーツ着用だから気づかないんだろう。ステージ上はライトさんさんだから気づかないんだろう。
1万人の合唱団の大半を占める女性参加者たちは、寒さと戦いながらそこにいるのだ。
もともと女性より暑がりなのにジャケット着用の男性陣には、まったく想像もつかないんだろうなあ。
それがわかっているから、自衛はしている。
薄手のニットを着た上でブラウスを着て、その上にさらに白のカーディガンを着ている。ブラウス1枚なんて無理、どーせスタンド席のてっぺんだ、服の素材まで誰にもわからない。色さえ白なら大丈夫、ってことで。
寒さがマシならカーディガン脱いでブラウスになろうと思ったけど、無理だ。凍える。
足下はレッグウォーマーに、膝掛けまで持ち込んだ。それでも冷える。しんしんと冷える。スカートなんて穿けない、黒パンツに腰回りだけ黒のミニスカートをレイヤードっちゅーより防寒目的で合わせている。
さーむーいー。
これだけ自衛してなお、寒い。
朝、会場へ入ったときはふつーに元気だったし、発声練習はノリノリだったのに。
ゲネプロが進むうちに、どんどん調子が悪くなった。喉が痛い。声が出にくい。
ちょお、会場内で坐っている間に風邪引いちゃったよ。
どんだけ寒いんだ、『1万人の第九』。
まあこれは、わたしが特別弱っちいせいなんだが。
とはいえ、風邪は引かなくても、周囲の人たちもみんな「寒い」「寒い」とつぶやいている。日常会話のあちこちに「……にしても寒いね」「寒いね」が当たり前に入るって……どこの北国なのここは。
今年はリハーサルを欠席しちゃったので、当日のみ参加っす。
佐渡レッスンも自分のクラスでは参加できず、日程のチガウ別のクラスに混ざってぎりぎり参加した。
毎年ぐだぐたになるゲネプロは、今年はなんとタイムテーブルが発表されなかった。
もう10年以上、あらかじめ「何時から発声練習、何時から休憩」とか連絡プリントに印刷されてるんだけど、今年はソレがナシ。近年あまりにも時間通りに進まないもんだから、クレームでも来たのかな。
予定を教えるからその通りに出来ずにクレームになる、教えなければ出来てないことがバレずクレームを防げるってこと?
朝9時から夕方6時まで、9時間拘束されるのに、その間のタイムテーブルは参加者には伏せられたままです、はい。休憩がいつ何回あるかもわからないんじゃ、初参加の女性とか高齢の人には不便だったろうなあ、いろいろと。
女性の多くにとって、休憩時間はトイレの大行列に並ぶだけで終了します(笑)。1万人の大半は女性、そして場内のこの寒さ。何百人が1箇所のトイレに並ぶわけだから、そりゃー壮観ですよ。つづれ折りになった列が廊下を埋め尽くす。
いろいろすごい。
ゲネプロは風邪との闘い、喉痛い声出ない、どうしよう! でした。
なにしろ1万人なので、わたしひとり口パクでもなんの問題もありません。でも、数ヶ月練習してきて、本番で歌えないんじゃ哀しすぎる。
とにかく寒いのがいかん、風がぴゅーぴゅー吹いてるのがいかん、それをなんとかするだけでも違ってくるはずだ。
つーことで、膝掛けにしていたストールを首に巻いた。これもオフホワイトなので、遠目にはストールだとわからないはず。首の詰まった白ブラウスを着ている人と同じでしょうよ。
喉を暖め、声を出さず、手当に務める。
反対に寒くなった膝には、平原綾香「Jupiter」の楽譜を広げて載せる。浮浪者の人が新聞紙を布団代わりにしているのと同じ、紙ってわりと温かいもんな。
暖めていると、喉はずいぶんマシになった。
これなら本番歌えるかもしれない。と、休憩時間はずっとのど飴。
さて、今年の『1万人の第九』は、もちろん震災絡みだ。『1万人の第九』のコンセプト的に、絡めないはずがない。
仙台会場と中継で結んで、1万1千人で第九を歌う。
震災にしても被災された方々に対しても、敬虔なキモチはもちろんある。労りやエール、他人事ではいけない、共に力を合わせて進むべきキモチもある。
だが、そんなわたし個人のキモチと、企業が行うイベント「サントリー1万人の第九with東北」とやらには、どうしても温度差がある。
何故ならば、プログラムはすべて「上の人」が決めたことで、1参加者でしかないわたしはすべて事後承諾、「へー、そんなことやるんだー」でしかないためだ。
企業による「感動的なイベント」「感動的な演出」のコマのひとつであるわたしは、彼らの意図とは別のところで「年中行事」としての、わたしの『1万人の第九』を遂行するのみだ。
毎年の恒例行事なので、コレがないと年末の気がしない、自分的節目っていうかね。
あとづけで「with東北」とかやられてもね。
……てな、わりと冷めた目線だったのですよ。
被災地の方々に対してではなく、あくまでも、イベントの演出、パフォーマンスに対してね。
それより現実問題寒いんですが!という(笑)。
ところが、だ。
ところがどっこい、いざ本番がはじまると。
だだ泣きしました(笑)。
続く。
寒い。
大阪城ホール、寒すぎ。風がカラダに当たる、足下もしんしんと冷える。
こんな状況で、女性にブラウス1枚で数時間過ごせなんて、どんないじめなの。
動き回っているスタッフはスーツ着用だから気づかないんだろう。ステージ上はライトさんさんだから気づかないんだろう。
1万人の合唱団の大半を占める女性参加者たちは、寒さと戦いながらそこにいるのだ。
もともと女性より暑がりなのにジャケット着用の男性陣には、まったく想像もつかないんだろうなあ。
それがわかっているから、自衛はしている。
薄手のニットを着た上でブラウスを着て、その上にさらに白のカーディガンを着ている。ブラウス1枚なんて無理、どーせスタンド席のてっぺんだ、服の素材まで誰にもわからない。色さえ白なら大丈夫、ってことで。
寒さがマシならカーディガン脱いでブラウスになろうと思ったけど、無理だ。凍える。
足下はレッグウォーマーに、膝掛けまで持ち込んだ。それでも冷える。しんしんと冷える。スカートなんて穿けない、黒パンツに腰回りだけ黒のミニスカートをレイヤードっちゅーより防寒目的で合わせている。
さーむーいー。
これだけ自衛してなお、寒い。
朝、会場へ入ったときはふつーに元気だったし、発声練習はノリノリだったのに。
ゲネプロが進むうちに、どんどん調子が悪くなった。喉が痛い。声が出にくい。
ちょお、会場内で坐っている間に風邪引いちゃったよ。
どんだけ寒いんだ、『1万人の第九』。
まあこれは、わたしが特別弱っちいせいなんだが。
とはいえ、風邪は引かなくても、周囲の人たちもみんな「寒い」「寒い」とつぶやいている。日常会話のあちこちに「……にしても寒いね」「寒いね」が当たり前に入るって……どこの北国なのここは。
今年はリハーサルを欠席しちゃったので、当日のみ参加っす。
佐渡レッスンも自分のクラスでは参加できず、日程のチガウ別のクラスに混ざってぎりぎり参加した。
毎年ぐだぐたになるゲネプロは、今年はなんとタイムテーブルが発表されなかった。
もう10年以上、あらかじめ「何時から発声練習、何時から休憩」とか連絡プリントに印刷されてるんだけど、今年はソレがナシ。近年あまりにも時間通りに進まないもんだから、クレームでも来たのかな。
予定を教えるからその通りに出来ずにクレームになる、教えなければ出来てないことがバレずクレームを防げるってこと?
朝9時から夕方6時まで、9時間拘束されるのに、その間のタイムテーブルは参加者には伏せられたままです、はい。休憩がいつ何回あるかもわからないんじゃ、初参加の女性とか高齢の人には不便だったろうなあ、いろいろと。
女性の多くにとって、休憩時間はトイレの大行列に並ぶだけで終了します(笑)。1万人の大半は女性、そして場内のこの寒さ。何百人が1箇所のトイレに並ぶわけだから、そりゃー壮観ですよ。つづれ折りになった列が廊下を埋め尽くす。
いろいろすごい。
ゲネプロは風邪との闘い、喉痛い声出ない、どうしよう! でした。
なにしろ1万人なので、わたしひとり口パクでもなんの問題もありません。でも、数ヶ月練習してきて、本番で歌えないんじゃ哀しすぎる。
とにかく寒いのがいかん、風がぴゅーぴゅー吹いてるのがいかん、それをなんとかするだけでも違ってくるはずだ。
つーことで、膝掛けにしていたストールを首に巻いた。これもオフホワイトなので、遠目にはストールだとわからないはず。首の詰まった白ブラウスを着ている人と同じでしょうよ。
喉を暖め、声を出さず、手当に務める。
反対に寒くなった膝には、平原綾香「Jupiter」の楽譜を広げて載せる。浮浪者の人が新聞紙を布団代わりにしているのと同じ、紙ってわりと温かいもんな。
暖めていると、喉はずいぶんマシになった。
これなら本番歌えるかもしれない。と、休憩時間はずっとのど飴。
さて、今年の『1万人の第九』は、もちろん震災絡みだ。『1万人の第九』のコンセプト的に、絡めないはずがない。
仙台会場と中継で結んで、1万1千人で第九を歌う。
震災にしても被災された方々に対しても、敬虔なキモチはもちろんある。労りやエール、他人事ではいけない、共に力を合わせて進むべきキモチもある。
だが、そんなわたし個人のキモチと、企業が行うイベント「サントリー1万人の第九with東北」とやらには、どうしても温度差がある。
何故ならば、プログラムはすべて「上の人」が決めたことで、1参加者でしかないわたしはすべて事後承諾、「へー、そんなことやるんだー」でしかないためだ。
企業による「感動的なイベント」「感動的な演出」のコマのひとつであるわたしは、彼らの意図とは別のところで「年中行事」としての、わたしの『1万人の第九』を遂行するのみだ。
毎年の恒例行事なので、コレがないと年末の気がしない、自分的節目っていうかね。
あとづけで「with東北」とかやられてもね。
……てな、わりと冷めた目線だったのですよ。
被災地の方々に対してではなく、あくまでも、イベントの演出、パフォーマンスに対してね。
それより現実問題寒いんですが!という(笑)。
ところが、だ。
ところがどっこい、いざ本番がはじまると。
だだ泣きしました(笑)。
続く。