わたしは涙もろい……というか、感情の高ぶりが涙腺に直結している人間なので、簡単に泣く。泣くのは日常なので、多少のことでは「泣いた」にカウントしない。
 そんなわたしでも、知らないことがあった。

 泣きながらだと、正しい音階で歌えない。

 知らなかった……こんだけよく泣く人間なのに。
 だって、泣きながら歌を歌うことなんか、ないもんよ……。

 『1万人の第九』、最終レッスンとリハは不参加だし、ゲネは喉の調子が悪くてそれどころではなかったし。
 今年のプログラムをきちんと理解したのは、本番だったと言っても、間違ってない。
 体調の悪かったゲネプロ時は睡魔にも襲われていた……カラダが休養を求めていたためだろう。最近忙しかったからなー……。

 しかし本番前は喉を温め、腹式で歌うならあまり痛まないくらいには回復していた。(地声のカラオケ歌唱をしようとすると、痛む)
 本番だ、という緊張感でもって睡魔もなく、冴えたアタマと心で臨んだ。

 オープニングは「G線上のアリア」の演奏に、震災の詩の朗読が流れる。場内の大モニターに映し出されているのが、被災地にてライブで詩を朗読している詩人さんの姿。
 ゲネでは中継がうまくいかないのか、音声も映像も途切れ途切れで、「大丈夫なんかこの演出」と思われたが、本番では問題なくつながった。

 いや、この詩の段階で、泣けるから。

 そして、もう1曲演奏があったのち、去年に引き続きゲストの平原綾香登場。
 歌う曲は現在のヒット曲「おひさま」、第九の三楽章にあーやが詩を付けた「LOVE STORY」、そして1万人のコーラス付きで「Jupiter」。

 「おひさま」は前期のNHK朝ドラ主題歌で、FNS歌謡祭で宙組がコラボする曲(笑)ぐらいの認識。知っているけど、ちゃんとフルコーラス聴いたことがない。
 体調最悪のゲネで聴いたときは「岡田さんが作詞なんだ、へー(岡田氏スキーです一応)」「こんな歌だったんだ、めんどくさい感じの歌詞だな」と思うくらいだった。
 しかし。
 復興と鎮魂を祈る一連の流れで、改めて聴き入ると、だ。

 泣ける。

 続く「LOVE STORY」は、去年も聴いたけれど、あまり好みではなかった。視点のブレが気になるというか(笑)、これが小説なら構成にいろいろ物申したいというか、素直に味わえなかった。
 手放しで好きになることはないが、それでもやっぱり一連の流れで聴くと、引っかかるところはスルーできて、好みなフレーズだけが深く心に染みる。

 泣ける。

 ……わたし、この歌のいちばん苦手な部分って、タイトルだわ……「LOVE STORY」というタイトルでなかったら、もっと好きだったと思う(笑)。

 んで、最後が「Jupiter」。
 「おひさま」「LOVE STORY」「Jupiter」って、すごいベタすぎるプログラムだと思う。
 だって3曲とも、テーマかぶってるもん。
 もお、これでもかっ、と同じ意味のことをたたみかけてくる。
 ずるいなーと思う。ふつーは1曲だけで勝負だよな、3倍にしたらそら泣けるわ、なんつーベッタベタな泣かせ演出なの、と、泣きながら思った(笑)。

 泣くとは思ってなかったので、ハンカチを用意してなくて。
 よく泣く人間なので、多少の涙は平気。流れるにまかせ、乾くにまかせる。場内暗いからみっともない顔してても誰にも見えないし。
 劇場でも、いつもそうやって乗り越えてきた。
 が。
 乾くにまかせられない。泣けて泣けて、仕方がないっ。

 途中から、観念して鞄ごそごそ、ハンカチ取り出した(笑)。
 涙はともかく、鼻水はどーにもならんっ。(きたねーなー)

 で、顔中大洪水状態で、「Jupiter」のコーラス部分に突入。合唱団席にも一斉にライトが当たる。

 う、歌えない……っ!

 思った通りの音が出ない。
 いつも通りに歌うつもりが、耳に入る音は見事に調子っぱずれ。えええ。
 たしかにわたしは歌うまくないけど、それにしてもここまで音が外れるなんて。
 持ち直そう、仕切り直そうと必死になる。でも、やっぱり正しい音が出ない。

 そうか。
 泣きながらだと、歌えないんだ。
 知らなかった……。

 他のみなさんはどうだったんだろう。わたしの右隣の人は、わたしと同じくらい泣きっぱなしだったし、場内ずっとすすり泣き聞こえまくりだったんですが、みんなふつーに歌えたの??
 わたしは自分の音と格闘するだけで、それどころぢゃなかったっすよ……。
 てゆーか佐渡せんせーも指揮しながら泣いちゃってるし。


 いやはや。

 休憩を挟んで第2部、「第九」ではそれを踏まえ「泣かない。絶対泣かないっ」と心に誓っていた(笑)。

 「歓喜の歌」は、泣ける。
 通常でも泣ける。
 でも、歌えなくなるほど泣くことはない……さすがに。
 しかし今回ばかりは、さらに「泣いちゃダメだ」と自分に言い聞かし、手綱を締めてかかった。
 歌いながら崩れそうになる、泣くことでゆるみそうになることが、ほんとあちこちにあるからなあ。おそるべし「第九」。


 トシを取ったからか、子どもの頃は鼻で笑ってバカにしていた「教科書に載っている歌」の良さがわかるようになってきた。

 昔は、教科書に載っている歌はみんなきらいだった。押しつけられることが、なにより嫌だったんだと思う。
 とくに旧かな使いの、現代の生活にそぐわない「教科書を作るエライ人たちが若い頃には、名曲だったのかもしれないけどさ」という歌を「名曲だから、ありがたく歌いなさい」と押しつけられるのがきらいだった。
 ウサギがおいしい山とかナニソレ。わけわかんない、ばっかみたい。
 言葉の意味もわからないまま、歌わされた記憶ゆえ、唱歌嫌いは根が深い。
 少しオトナになって、言葉の意味がわかると、別の意味でいらっとするし。
 ウサギも追ったことないし、魚釣りできるような川もないんですけど。てゆーか大阪生まれの大阪育ち、山もないし水も清くないんですけど。でも大阪が故郷なんですけど。田舎に変な憧憬なんてないし、都会暮らしが便利でいいし。他人の故郷の歌なんかどーでもいいわ。
 とまあ、その調子で。

 しかしトシを取り、子どもの頃は嫌っていた唱歌の良さ、美しさや普遍的な切なさなんかが、わかるよーになってきた。
 ああほんとにわたし、もう若くないんだわー。

 「第九」のあとは「故郷」の合唱。
 これがまた、泣ける。
 歌詞が染みる。

 「蛍の光」でも泣き通したもんなー。もーなんでもこいだ(笑)。

 歌は、音楽は、かみさまのもの。
 遠い昔、人間たちは神へ……自分たちではどうにもできないさまざまな力を神と呼び、音楽を捧げた。
 歌い、踊った。

 だから歌は、祈りなんだ。

 復興と鎮魂のために、歌うんだ。

 たしかにわたしはすぐ泣くし、よく泣くけど。
 わたしの隣の人も、同じくらい泣き通していたから、わたしは別に特異な人じゃないよな(笑)。
 上から下から、いろんなとこからすすり泣きは全編通してしていたし。
 左隣の人たちは反対に、まったく泣く気配なく、休憩時間に「今年は盛り上がらないわねー」「演出や選曲が悪いわ」とか言っていたので、個々の温度差もすごかったんだろうけど(笑)。

 泣けたわたしはラッキーだ。
 単純だろうとなんだろうと、感動したもん勝ち!!


 そして。
 あんだけ大泣きしながら、揺らぐことない歌声を響かせるキムくんのすごさを、改めて思ったのだった。

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