月組全ツ『我が愛は山の彼方に』初日観劇。
 ほんとは、見終わってすぐに感想を書くつもりだった。そのつもりでブログの何日にナニ書くか、調節していた。
 それが。
 花組の退団者発表でぶっ飛んでしまって、ぜんぜん時間を取れないまま現在に至る。
 予定のない休みが欲しい。ソレが月に1回くらいしかないと、モノを書くヒマがなくなる。予定のない、1日家にいていい連休が欲しい……そしたら好きなだけ文章書いて過ごすのに。予定のない連休なんて、もう何年も存在してない気がする……。(休みっちゅーのは観劇するためにあるものなので、家にいる「休養日」はわたしには存在していない・笑)

 えー、『我が愛は山の彼方に』は99年の星組を観ています。
 秀民@ノルさん、万姫@ゆりちゃん、チャムガ@ぶんちゃん/さえちゃん。

 わたしはチャムガはさえちゃんの方が好きでした。
 とゆーのも、ノルさんとぶんちゃんは持ち味がかぶるというか、相乗効果のある並びだとは思ってなかった。ノルさんとぶんちゃんは、どっちも白い王子様系の秀民とチャムガで、どっちも「武人」「武人」と言って話も考え方もかぶるので、ノルさんのノーブルな秀民には、さえちゃんチャムガの方ががっちり体型で武将っぽく見えて、映りが良かったんだな。

 まあ、あの当時は劇団のむちゃな人事でファンが動揺しまくっており、とても平静に観劇できる様子じゃなかったっすがね……。

 劇団推しの子にいい役を本公演で与えたいがための役替わり、までは歴史にいくらでもあることだけど、そのために本来の役、本来の番手のスターを休演させるのは、いくらなんでも史上稀な力技では?
 『ファントム』でまあくんを3番手(二枚目役という意味では実質2番手役の)フィリップ役にするために、本来の3番手みわっちを休演させる、みたいなもん。
 あさこちゃん時代の『エリザベート』で、まさおにルキーニを、みりおくんにルドルフをやらせるために、あひくんともりえくんを休演させる、みたいなもん。
 ……休演はひどいわ……フィナーレにだけ出るために、楽屋にはちゃんといるんですよ、てな「出演ナシ」という扱いは。
 そんなことしたら、劇団推しの子は、一気に嫌われます。とてもわかりやすい「嫌われ者の作り方」。

 おかげで客席がいろいろこわかった……。
 ぶんちゃんたちが「出演ナシ」にさせられたむちゃな人事の直後にあった、さえちゃんのバウ主演作は、「不買運動、さえこ主演作なんぞ観てはならぬ!」という風潮が絶好調でした。
 あんなことをしてしまったら、さえちゃんが人気を得るのは難しかったろう。劇団のおじさんたちはどこまでバカなんだろう。
 わたしはさえちゃんスキーで、そのガラガラの客席のバウに通い、がーがー泣いていたクチなので、逆風がつらかったっす。

 ああ、そんな思い出しかない、『我が愛は山の彼方に』。


 なんか、ねえ。
 しみじみ感じてしまったことは。

 わたし今、どんだけ消耗しているんだろう? ということでした。

 自分でも驚いた。

 幕が開くと、花の精らしき娘役たちが、床に寝そべっている。んで、おもむろに身を起こし、ゆーらゆーら揺れながら、まったりした歌を歌いはじめる。

 古っ。

 それこそ白目をむく勢いで、その古さに愕然とした。
 99年の時点でも古さが目立っていただろう作品を、この現代、2011年に。
 いくらなんでも無理、古い、古すぎる。

 植爺は今新作を書いたとしても、まったく同じ紙芝居、ゆーらゆーら揺れるだけのオープニングを作るだろうけど、それにしたって、古い。つまらない、くだらない、ありえない。生徒の無駄遣い。

 と、幕開きからその古さに愕然とし……その古さが、愛しくて泣けた。

 古いよー、ダサいよー、ありえないよー、うわー、これって「タカラヅカ」だああ。これぞ「タカラヅカ」だああ。

 なんつーんだ、田舎の田舎くさいところを嫌って都会に出て、洗練された美しい便利な世界を満喫してはいるんだけど、ふと田舎が恋しくなって里帰りし、田舎が相変わらずダサくて古くて不便なことに感動するみたいな? ほっとするみたいな? いやわたし、大阪人なんて都会以外知らないんだけども。

 このままじゃいけない、こんなものを「タカラヅカ」だと思われたら嫌だな……と思う古さ、ダサさ。
 でもそれは、「タカラヅカ」のすべてだと思われたら嫌だ、という意味で、この古さとダサさも、まぎれもまく「タカラヅカ」で、「タカラヅカ」に必要なモノなんだ。

 オープニングのクソ古さとダサさに泣き、はじまる説明台詞ばかりの紙芝居のクソ古さとダサさに泣く。ひでー脚本、ひでー演出。
 そして極めつけ、ジャジャーンと効果音付きで登場する主役に、泣く。
 古っ。ダサっ。ああこれぞ植爺、これぞ昭和。

 わたしが大嫌いな「植爺紙芝居」満載で、その古さと時代錯誤さに……普段ならあきれたり失笑したり腹を立てたりしているところなのに。

 どーしたこったい。

 愛しくて、泣ける。

 うわああ、「タカラヅカ」だあ。これぞ「タカラヅカ」だああ。

 「タカラヅカ」の悪いところ満載(笑)なんだけど、それすらもお「タカラヅカ」らしいってことで、愛しい。
 ……って、どんだけわたし、疲れてるの? そんなに人生辛いの? なんでそんなに消耗してて、それで「タカラヅカ」だあ、てなことに泣くほど愛しさを感じるの?
 田舎なんか大嫌い!って飛び出したはずなのに、田舎に帰ってその田舎っぷりに癒されて泣いてるみたいなことになってるの?

 自分がそんなに疲れていると、心が消耗しているのだと、気付いてませんでした。

 目の前で繰り広げられる植爺芝居を、ただ素直に受け止め、感動しました。

 まともに考えたら理不尽かつツッコミどころだらけなんだけど、そんなの一切なく、万姫の「チャムガの妻です!」に号泣、チャムガの「我が妻にあらず」に号泣、秀民の苦悩の主題歌に号泣……。
 泣きすぎて、アタマ痛い……(笑)。

 きりやさんの大芝居の「仕事の確かさ」に惚れる。
 まりもちゃんの「リアルな心の在り方」に惚れる。

 『バラの国の王子』と同じく、わたしはまりもちゃんを「主役」にして見てしまうようだ。
 男たち関係なく、この芝居でも万姫に感情移入して、彼女中心に見ていた。ので、泣ける泣ける。
 万姫って、冷静に考えるといろいろアレな人なんだが、彼女の世界に入ってしまえば無問題、全部気持ちよく流れていくのよ!(笑)

 ああ、いいもんを見た。
 「タカラヅカ」を見た。
 そう思えた。

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