ルキーニの愛の行方は?・その1。@エリザベート
2007年6月14日 タカラヅカ ルキーニ@キムの歌唱力が、どんどん上がっていっている。
もともと歌える人だということは知っていたけれど、どこまで伸びるんだろう、この子。
年齢的にも今がいちばん伸びる時期だとは思うし、この年齢、学年でこれだけの機会を与えられることは、今のタカラヅカでは希有なこと。
貪欲に吸収し、伸びていって欲しいと思う。
声が伸縮自在で、聴いてて気持ちいい。
音を愉しんで、ミュージカルのなかに存在しているのがイイ。
エロさもいいなー。エロス、というより、ずはりスケベって感じで(笑)。
マデレーネちゃん@愛原実花ちゃんとナニやってんですか。どさくさにまぎれて2回はキスしてる? ルキーニが味見してどーすんだよ、ソレは陛下への献上品だってば。
歌うことに余裕が出た分、演技の幅も広がっているようで。
といっても、キムの歌にはフランツ@ゆみこのような「きれいさ」はないんだけどなー。
歌声のタイプがまったくチガウよね。
わたしは歌手スキーなので、歌ウマさんはそれだけで好感度UPなのさ。
さて、このルキーニ。
「フランツのことは嫌いというか目にも入ってなくて、トートのことも好きじゃなくて、シシィのことだけは好きみたい」
と、評したのはnanakoさんだが。(たびたび名前が出てすまんな、なにしろ毎週ムラで会ってるもんで・笑)
ほんとに、その通りだわ。
まずまちがいなく、フランツのことは歯牙にもかけてない。
シシィのことは、好きみたい。
バートイシュルでのふたりのじゃれっぷりが、かわいいのなんの。
ルドヴィカとゾフィーがあーだこーだやってる間、シシィとルキーニはラヴラヴ(笑)。
幼なじみみたい。……同期だからなー。今まで夫婦だの恋人だの姉弟だので組んできてるしなー。
ルキーニの帽子をとぼけてかぶるシシィと、ソレを見て「ヲイヲイ」ってあきれて取り返すルキとか、かわいすぎ。
そして、トートは。
好きじゃない、というか、なんかチガウ気がするなー。
ルキーニとトートの距離の取り方が、なんか独特で。
今回のルキーニに強く思うことは、たのしそうだなってこと。
キム自身が「成長期」である今を愉しんでいるんだと思う。
自分が変わっていくこと、伸びていく実感は、役者としておもしろくてならないだろう。
努力が確実に実って結果として返ること、手応えがひとつひとつ感じられること、って、そりゃーたのしくてならないだろうよ。
その上昇気流の役者の生命力まんまに、ルキーニが活き活きとしている。
一般的にルキーニとは「狂気」が必要だとされる。
狂気の定義なんて人それぞれだから、なにをもってソレを「ある」「ない」と言うのかは知らんが。
キムのルキーニは、「狂ってはいない」と思う。
精神病云々で言うならば。
だけど、「人として」は十分別世界にいる人だと思うよ。
たとえば、人が真面目に話しているのに、聞きもしないでおちゃらける人。
努力している様を笑う人。
他人を傷つけて平気な人。ソレをおもしろがる人。
そーゆー人たちは、病気として判定はされないかもしれないが、「人として」十分やばいだろ。
ルキーニは、嗤い続ける。
懸命に生き、もがき苦しむ人たちを見て。
自分だけが理の外側にいて。
安全な場所、高見にいて、悦に入って見下ろしている。
たしかに彼は狂ってはいない。
だが、人として「おかしい」。確実に。
このたのしそうなルキーニに、「狂気」のスイッチが入るのが「最終答弁」のあとだ。
この豹変こそが、あきらかに「おかしい」だろ。
なんかねえ、今回の『エリザベート』って、今までの『エリザベート』で疑問に思っていても「ま、そんなもんなんだろ」とスルーしていたことが、いちいち浮かび上がってくるの。
「生きたお前に愛されたい」って言って、夫を浮気させたり息子を殺したりして、なんの意味があるの? 生きてるのを嫌にさせるってこと?
絶望させて自殺させることが「人間が死を愛する」ことなら、何故死にたがったシシィをトートは「死は逃げ場ではない」と言って拒絶するの?
ルキーニはなにを裁かれているの? 裁判官って誰?
最終答弁はなにを争っているの? フランツに言い負かされたトートが実力行使に出て終わり、ってソレひどすぎない? 都合が悪くなったら暴力で解決、みたいな。
で、結局ルキーニは有罪なの? だとして、なにがどうなるの?
タカラヅカらしい色つけで、今までは解釈できていたけれど。
でもそもそも、基本として、疑問を持つよね?
『エリザベート』初見の人がよく言ってる、上記の疑問。
それらのことが、クリアになっていく。
今回の『エリザベート』。
異世界トートと、たのしそーなルキーニを中心にしての、独断と偏見、思いこみだけでここまで語るか『エリザベート』をやってみましょー。
はい、翌日欄へ続く!
もともと歌える人だということは知っていたけれど、どこまで伸びるんだろう、この子。
年齢的にも今がいちばん伸びる時期だとは思うし、この年齢、学年でこれだけの機会を与えられることは、今のタカラヅカでは希有なこと。
貪欲に吸収し、伸びていって欲しいと思う。
声が伸縮自在で、聴いてて気持ちいい。
音を愉しんで、ミュージカルのなかに存在しているのがイイ。
エロさもいいなー。エロス、というより、ずはりスケベって感じで(笑)。
マデレーネちゃん@愛原実花ちゃんとナニやってんですか。どさくさにまぎれて2回はキスしてる? ルキーニが味見してどーすんだよ、ソレは陛下への献上品だってば。
歌うことに余裕が出た分、演技の幅も広がっているようで。
といっても、キムの歌にはフランツ@ゆみこのような「きれいさ」はないんだけどなー。
歌声のタイプがまったくチガウよね。
わたしは歌手スキーなので、歌ウマさんはそれだけで好感度UPなのさ。
さて、このルキーニ。
「フランツのことは嫌いというか目にも入ってなくて、トートのことも好きじゃなくて、シシィのことだけは好きみたい」
と、評したのはnanakoさんだが。(たびたび名前が出てすまんな、なにしろ毎週ムラで会ってるもんで・笑)
ほんとに、その通りだわ。
まずまちがいなく、フランツのことは歯牙にもかけてない。
シシィのことは、好きみたい。
バートイシュルでのふたりのじゃれっぷりが、かわいいのなんの。
ルドヴィカとゾフィーがあーだこーだやってる間、シシィとルキーニはラヴラヴ(笑)。
幼なじみみたい。……同期だからなー。今まで夫婦だの恋人だの姉弟だので組んできてるしなー。
ルキーニの帽子をとぼけてかぶるシシィと、ソレを見て「ヲイヲイ」ってあきれて取り返すルキとか、かわいすぎ。
そして、トートは。
好きじゃない、というか、なんかチガウ気がするなー。
ルキーニとトートの距離の取り方が、なんか独特で。
今回のルキーニに強く思うことは、たのしそうだなってこと。
キム自身が「成長期」である今を愉しんでいるんだと思う。
自分が変わっていくこと、伸びていく実感は、役者としておもしろくてならないだろう。
努力が確実に実って結果として返ること、手応えがひとつひとつ感じられること、って、そりゃーたのしくてならないだろうよ。
その上昇気流の役者の生命力まんまに、ルキーニが活き活きとしている。
一般的にルキーニとは「狂気」が必要だとされる。
狂気の定義なんて人それぞれだから、なにをもってソレを「ある」「ない」と言うのかは知らんが。
キムのルキーニは、「狂ってはいない」と思う。
精神病云々で言うならば。
だけど、「人として」は十分別世界にいる人だと思うよ。
たとえば、人が真面目に話しているのに、聞きもしないでおちゃらける人。
努力している様を笑う人。
他人を傷つけて平気な人。ソレをおもしろがる人。
そーゆー人たちは、病気として判定はされないかもしれないが、「人として」十分やばいだろ。
ルキーニは、嗤い続ける。
懸命に生き、もがき苦しむ人たちを見て。
自分だけが理の外側にいて。
安全な場所、高見にいて、悦に入って見下ろしている。
たしかに彼は狂ってはいない。
だが、人として「おかしい」。確実に。
このたのしそうなルキーニに、「狂気」のスイッチが入るのが「最終答弁」のあとだ。
この豹変こそが、あきらかに「おかしい」だろ。
なんかねえ、今回の『エリザベート』って、今までの『エリザベート』で疑問に思っていても「ま、そんなもんなんだろ」とスルーしていたことが、いちいち浮かび上がってくるの。
「生きたお前に愛されたい」って言って、夫を浮気させたり息子を殺したりして、なんの意味があるの? 生きてるのを嫌にさせるってこと?
絶望させて自殺させることが「人間が死を愛する」ことなら、何故死にたがったシシィをトートは「死は逃げ場ではない」と言って拒絶するの?
ルキーニはなにを裁かれているの? 裁判官って誰?
最終答弁はなにを争っているの? フランツに言い負かされたトートが実力行使に出て終わり、ってソレひどすぎない? 都合が悪くなったら暴力で解決、みたいな。
で、結局ルキーニは有罪なの? だとして、なにがどうなるの?
タカラヅカらしい色つけで、今までは解釈できていたけれど。
でもそもそも、基本として、疑問を持つよね?
『エリザベート』初見の人がよく言ってる、上記の疑問。
それらのことが、クリアになっていく。
今回の『エリザベート』。
異世界トートと、たのしそーなルキーニを中心にしての、独断と偏見、思いこみだけでここまで語るか『エリザベート』をやってみましょー。
はい、翌日欄へ続く!