豊太郎は、エリスを捨てた。
 そのためにエリスは発狂した。

 が、豊太郎の犯した罪は、エリスを捨てたことではない。

 そもそも、「エリスを選んだこと」が罪だった。
 彼女が自分を理解しない、ふたりでいても決して幸福にはなれないと本能でわかっていながら、愛に流された。母を殺してまで、愛を選んだ。

 己で道をゆがめてしまっただけ。
 相沢や天方大臣の説得により帰国を決めるのは、過ちでも罪でもなく、「本来の道に立ち帰った」だけ。

 道を誤り続けていることを自覚しているから、豊太郎は夢の世界の住人ではいられない。
 エリスが「永遠」を信じ酩酊しているときでも、豊太郎は棘の痛みを感じている。
 ここが有限の楽園であることを理解している。いずれ壊れること、去らなければならないことを本能で知っているからこそ……切ないまでのひたむきさでエリスを愛し、守ろうとする。

 「現在」しか持たないエリスは、すなわち「永遠」を手にして生き、「過去」「現在」「未来」すべてを持つ豊太郎に「永遠」はない。
 「現在」はいずれ過去になる。エリスが望むように「現在」だけが永遠に続くはずがない。

 帰国要請に頷いたあと泣き崩れる豊太郎は、自分の「返答」を後悔したわけではないだろう。
 後悔などしようがない。それは罪ではない。

 知っていた答えにたどり着いた。その慟哭。

 ずっと「現在」のままでいたかった。「未来」を選び取りたくなかった。
 時を止めて、「青春」というモラトリアムの中にいたかった。

 あの柱時計のように。

 
 豊太郎の罪は、エリスを捨てたことではない。
 エリスへの死刑宣告を、相沢に告げさせたことだ。

 愛だけがすべて、この世界とはチガウ場所にいるエリスという少女にとって、「愛」を否定することは「全世界」の否定だ。死刑宣告だ。
 それがわかっているからこそ、豊太郎は「答え」が出たあとすぐに、彼女に真実を告げることが出来なかった。
 体調不良により物理的に叶わなかった、わけだし、そんな豊太郎に代わって手切れ金まで用意してエリスに別れるよう迫ったのは相沢のスタンドプレイだ。
 仕方がなかった、のだとしても。

 エリスを殺すのは、豊太郎であるべきだった。

 彼女の愛を、世界を殺すのは。
 豊太郎だけが、その権利を持ち、義務を得ていたのに。

 母を殺したように、妻を殺すべきだったんだ。

 そうすることで彼はようやく正しい道に戻れるはずだったのに。

 相沢がそこに割り込んだ。
 彼に割り込ませる余地を作ってしまった。

 それが、豊太郎の罪。

 豊太郎が魅力的なのは、彼が絶対に責任転嫁しないことだ。
 なにごとも、自分で決め、自分で責任を負う。
 自分が犯した罪がなんなのか、見極め、受け止めるだろう。

 「永遠」に成長しない、「大人」にならない「少女」エリスとともに、豊太郎は自分の中の「少年」をも葬る。

 花組バウホール公演『舞姫』は、希望に燃えた若者・太田豊太郎の旅立ちからはじまり、大人になった豊太郎の青春回顧で終わる。
 少年が大人になる物語。少年のままではいられない物語。

 雛はまず、殻を破って生まれ出る。
 破壊することによって、誕生する。

 ひとは、きれいなままでは生きられないのだ。
 壊す。汚す。傷つける。
 そうやって、世界は広がる。

 豊太郎、エリス、相沢。
 3人はみな、悪人ではない。
 それぞれ善良で、誠実に生きている。
 だが、それだけではどうしようもなかった。
 心の正しい、やさしい人々が、罪を犯す物語。犯さざるを得なかった物語。

 そして。
 誰もが他人の罪を責めず、赦し、己の心のうちに傷みを抱きしめて生き続ける。

 エリスは豊太郎を責めない。
 狂ってしまった彼女は、閉じた世界の中で豊太郎に微笑みかける。
 はじめて出会ったときのように、彼の手に頬を寄せる。

 豊太郎を、赦す。

 その、聖なる光。
 他人を、人間を、救うことの出来る力。

 豊太郎は相沢を責めない。
 相沢は豊太郎を責めない。
 互いを信頼する男たちは、黙って共に歩み続ける。
 もしも相手に対する恨みの心があるならば、それゆえの罪悪感や依存心があるならば、ふたりは手を取り合い同じ道を歩くことは出来なかったはず。
 祖国のために前へ進む武士たちは、痛みを飲み込んで戦い続ける。

 心の傷は、魂の一部になる。
 身体の傷がそうであるように。
 彼を形成するひとつとなる。

 犯した罪も、それゆえの慟哭も。

 これは、彼らが罪を犯す物語。
 罪を犯し……そして、逃げずに、生き続ける物語。

 だからこそ、たまらなく切なく、美しい物語である。


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