紫苑ゆうリサイタル『True Love』1幕の目玉は、紫苑ゆう演じる、トート@『エリザベート』。

 演出、谷せんせだよね。
 小池(中村B)以外の『エリザベート』、はじめて見た……ことになるのかなあ。

 これがね、すごかった。

 すごいね、面白いの。
 『エリザベート』だけど、『エリザベート』じゃない。

 これは、『トート』だ。

 『エリザベート』っていうタイトルじゃない。『トート』。

 『ガラスの仮面』であったじゃん、亜弓さんが「ジュリエット」をひとり芝居で演じるってやつ。
 「ロミオとジュリエット」ではなくて、「ジュリエット」。ひとりの女性、ジュリエットの一人称で表現される、「ロミオとジュリエット」。

 アレの『エリザベート』版だ。

 主役は、トート。
 トートの、ひとり芝居。
 だからトートの一人称なの、すべて。

 「愛と死の輪舞」で、エリザベートという少女に出会い、恋をする。
 「最後のダンス」での、強引なアプローチ。彼の目線の先に、エリザベートがいる。

 そして、「私だけに」。

 これが、『エリザベート』の1幕最後の場面なの。
 「お前に命許したために、生きる意味を与えてしまった」……トートが銀橋で歌う歌ね。
 相手役のエリザベートは、声だけ出演のせんどーさん。

 『エリザベート』のこの場面は、あくまでもエリザベート主役だ。
 肖像画の白いドレス姿のシシィが毅然と鏡の間に現れ、皇帝と死の帝王をも屈服させるシーン。
 客席に顔を向けているのはエリザベート。
 トートはそんな彼女を銀橋に坐って見つめている。

 それを。

 トートの一人称、トートの目線で、演じて見せた。

 「陛下と共に歩んで参ります、でも私の人生は私のもの」……そう歌うエリザベートを、見つめるトートを。

 銀橋のトートならば顔は見えない。それを、客席に顔を向けて、トートの苦悩をまんま演じて見せた。

「お前しか見えない、愛している……!!」

 その、絶唱。

 
 最初は、たんにヅカ有名曲を歌ってくれるだけだと思っていたの。
 『エリザベート』は定番中の定番だもんねー、ぐらいのキモチで、ふーん、と聴いていた。

 が、途中から、コレただ歌ってるんじゃない、と気づいた。
 エリザベートが、いる。
 舞台の上に。

 ひとり芝居なんだ。
 トート@シメさんの視線の先に、エリザベートがいる。

 そしてここにいるトートは、『エリザベート』という作品の、エリザベートという少女を通して見たトートじゃない。
 主人公が、トートだ。

 そのトートは、熱く、クドく、とんでもなくのたうっていた。

 タカラヅカの舞台で見慣れた「死」、クールなトート閣下では、まったくなかった。

 くどくどギトギトの昭和なシメさんだから、観客を赤面させるのが芸風のシメさんだから、そーゆートンデモトートなのかもしれない。
 でも。

 わたしには、「トートの一人称」だと思えた。
 トートの心、魂を表現したら、こうなんじゃないかって。

 少女と出会い、恋に落ちる。「ただの少女のはずなのに」……その驚愕、とまどい……受容。
 「お前は俺と踊る運命」……狂気と欲望、威嚇、苛立ち。強引な求愛、押し付けるだけのストーム。
 黄泉の帝王である、傲慢な男の姿。人間の少女に過ぎないエリザベートのことは、下に見ている。

 そして、そんなトートが、変わる。

 黄泉の帝王の誘惑をはねのけて、皇帝すら征服して、毅然と「私」を歌うエリザベート。
 その美しすぎる姿を見つめ、トートははじめて、傷つく。
 かなしく、顔を歪める。

 手の届かない輝きをまとったエリザベートに、遠く手を差しのばす。「お前しか見えない」と。

 「あいしている……!」

 しぼりだすような、絶唱の哀しさ。

 
 たった3曲、時間にして十数分?
 それだけで、鳥肌立った。

 あのトートが、狂気と傲慢さを持った黄泉の帝王が、エリザベートの前に、愛の前に屈服した瞬間。
 ぶわっと涙が出た。

 ひとつの、芝居だった。
 物語だった。

 これは『エリザベート』じゃない、『トート』だ。
 トートという、ひとりの男の愛の物語だ。

 ……て、おもしろいよコレ。
 一度ちゃんとやって欲しいよ。『エリザベート』ではなく、『トート』を上演して欲しい、タカラヅカで。
 エリザベートの一人称で描かれているところを全部、トートの一人称に描き直すの。
 トートの心の動きだけを追うの。

 すげーたのしそう。

 『ベルばら』のスピンオフとかやってるヒマがあったら、『エリザベート』の新バージョンやればいいのに。

 
 や、いいもん見ました、シメさんの『トート』。

日記内を検索