愛に、膝を折る。@True Love
2009年11月5日 タカラヅカ 紫苑ゆうリサイタル『True Love』1幕の目玉は、紫苑ゆう演じる、トート@『エリザベート』。
演出、谷せんせだよね。
小池(中村B)以外の『エリザベート』、はじめて見た……ことになるのかなあ。
これがね、すごかった。
すごいね、面白いの。
『エリザベート』だけど、『エリザベート』じゃない。
これは、『トート』だ。
『エリザベート』っていうタイトルじゃない。『トート』。
『ガラスの仮面』であったじゃん、亜弓さんが「ジュリエット」をひとり芝居で演じるってやつ。
「ロミオとジュリエット」ではなくて、「ジュリエット」。ひとりの女性、ジュリエットの一人称で表現される、「ロミオとジュリエット」。
アレの『エリザベート』版だ。
主役は、トート。
トートの、ひとり芝居。
だからトートの一人称なの、すべて。
「愛と死の輪舞」で、エリザベートという少女に出会い、恋をする。
「最後のダンス」での、強引なアプローチ。彼の目線の先に、エリザベートがいる。
そして、「私だけに」。
これが、『エリザベート』の1幕最後の場面なの。
「お前に命許したために、生きる意味を与えてしまった」……トートが銀橋で歌う歌ね。
相手役のエリザベートは、声だけ出演のせんどーさん。
『エリザベート』のこの場面は、あくまでもエリザベート主役だ。
肖像画の白いドレス姿のシシィが毅然と鏡の間に現れ、皇帝と死の帝王をも屈服させるシーン。
客席に顔を向けているのはエリザベート。
トートはそんな彼女を銀橋に坐って見つめている。
それを。
トートの一人称、トートの目線で、演じて見せた。
「陛下と共に歩んで参ります、でも私の人生は私のもの」……そう歌うエリザベートを、見つめるトートを。
銀橋のトートならば顔は見えない。それを、客席に顔を向けて、トートの苦悩をまんま演じて見せた。
「お前しか見えない、愛している……!!」
その、絶唱。
最初は、たんにヅカ有名曲を歌ってくれるだけだと思っていたの。
『エリザベート』は定番中の定番だもんねー、ぐらいのキモチで、ふーん、と聴いていた。
が、途中から、コレただ歌ってるんじゃない、と気づいた。
エリザベートが、いる。
舞台の上に。
ひとり芝居なんだ。
トート@シメさんの視線の先に、エリザベートがいる。
そしてここにいるトートは、『エリザベート』という作品の、エリザベートという少女を通して見たトートじゃない。
主人公が、トートだ。
そのトートは、熱く、クドく、とんでもなくのたうっていた。
タカラヅカの舞台で見慣れた「死」、クールなトート閣下では、まったくなかった。
くどくどギトギトの昭和なシメさんだから、観客を赤面させるのが芸風のシメさんだから、そーゆートンデモトートなのかもしれない。
でも。
わたしには、「トートの一人称」だと思えた。
トートの心、魂を表現したら、こうなんじゃないかって。
少女と出会い、恋に落ちる。「ただの少女のはずなのに」……その驚愕、とまどい……受容。
「お前は俺と踊る運命」……狂気と欲望、威嚇、苛立ち。強引な求愛、押し付けるだけのストーム。
黄泉の帝王である、傲慢な男の姿。人間の少女に過ぎないエリザベートのことは、下に見ている。
そして、そんなトートが、変わる。
黄泉の帝王の誘惑をはねのけて、皇帝すら征服して、毅然と「私」を歌うエリザベート。
その美しすぎる姿を見つめ、トートははじめて、傷つく。
かなしく、顔を歪める。
手の届かない輝きをまとったエリザベートに、遠く手を差しのばす。「お前しか見えない」と。
「あいしている……!」
しぼりだすような、絶唱の哀しさ。
たった3曲、時間にして十数分?
それだけで、鳥肌立った。
あのトートが、狂気と傲慢さを持った黄泉の帝王が、エリザベートの前に、愛の前に屈服した瞬間。
ぶわっと涙が出た。
ひとつの、芝居だった。
物語だった。
これは『エリザベート』じゃない、『トート』だ。
トートという、ひとりの男の愛の物語だ。
……て、おもしろいよコレ。
一度ちゃんとやって欲しいよ。『エリザベート』ではなく、『トート』を上演して欲しい、タカラヅカで。
エリザベートの一人称で描かれているところを全部、トートの一人称に描き直すの。
トートの心の動きだけを追うの。
すげーたのしそう。
『ベルばら』のスピンオフとかやってるヒマがあったら、『エリザベート』の新バージョンやればいいのに。
や、いいもん見ました、シメさんの『トート』。
演出、谷せんせだよね。
小池(中村B)以外の『エリザベート』、はじめて見た……ことになるのかなあ。
これがね、すごかった。
すごいね、面白いの。
『エリザベート』だけど、『エリザベート』じゃない。
これは、『トート』だ。
『エリザベート』っていうタイトルじゃない。『トート』。
『ガラスの仮面』であったじゃん、亜弓さんが「ジュリエット」をひとり芝居で演じるってやつ。
「ロミオとジュリエット」ではなくて、「ジュリエット」。ひとりの女性、ジュリエットの一人称で表現される、「ロミオとジュリエット」。
アレの『エリザベート』版だ。
主役は、トート。
トートの、ひとり芝居。
だからトートの一人称なの、すべて。
「愛と死の輪舞」で、エリザベートという少女に出会い、恋をする。
「最後のダンス」での、強引なアプローチ。彼の目線の先に、エリザベートがいる。
そして、「私だけに」。
これが、『エリザベート』の1幕最後の場面なの。
「お前に命許したために、生きる意味を与えてしまった」……トートが銀橋で歌う歌ね。
相手役のエリザベートは、声だけ出演のせんどーさん。
『エリザベート』のこの場面は、あくまでもエリザベート主役だ。
肖像画の白いドレス姿のシシィが毅然と鏡の間に現れ、皇帝と死の帝王をも屈服させるシーン。
客席に顔を向けているのはエリザベート。
トートはそんな彼女を銀橋に坐って見つめている。
それを。
トートの一人称、トートの目線で、演じて見せた。
「陛下と共に歩んで参ります、でも私の人生は私のもの」……そう歌うエリザベートを、見つめるトートを。
銀橋のトートならば顔は見えない。それを、客席に顔を向けて、トートの苦悩をまんま演じて見せた。
「お前しか見えない、愛している……!!」
その、絶唱。
最初は、たんにヅカ有名曲を歌ってくれるだけだと思っていたの。
『エリザベート』は定番中の定番だもんねー、ぐらいのキモチで、ふーん、と聴いていた。
が、途中から、コレただ歌ってるんじゃない、と気づいた。
エリザベートが、いる。
舞台の上に。
ひとり芝居なんだ。
トート@シメさんの視線の先に、エリザベートがいる。
そしてここにいるトートは、『エリザベート』という作品の、エリザベートという少女を通して見たトートじゃない。
主人公が、トートだ。
そのトートは、熱く、クドく、とんでもなくのたうっていた。
タカラヅカの舞台で見慣れた「死」、クールなトート閣下では、まったくなかった。
くどくどギトギトの昭和なシメさんだから、観客を赤面させるのが芸風のシメさんだから、そーゆートンデモトートなのかもしれない。
でも。
わたしには、「トートの一人称」だと思えた。
トートの心、魂を表現したら、こうなんじゃないかって。
少女と出会い、恋に落ちる。「ただの少女のはずなのに」……その驚愕、とまどい……受容。
「お前は俺と踊る運命」……狂気と欲望、威嚇、苛立ち。強引な求愛、押し付けるだけのストーム。
黄泉の帝王である、傲慢な男の姿。人間の少女に過ぎないエリザベートのことは、下に見ている。
そして、そんなトートが、変わる。
黄泉の帝王の誘惑をはねのけて、皇帝すら征服して、毅然と「私」を歌うエリザベート。
その美しすぎる姿を見つめ、トートははじめて、傷つく。
かなしく、顔を歪める。
手の届かない輝きをまとったエリザベートに、遠く手を差しのばす。「お前しか見えない」と。
「あいしている……!」
しぼりだすような、絶唱の哀しさ。
たった3曲、時間にして十数分?
それだけで、鳥肌立った。
あのトートが、狂気と傲慢さを持った黄泉の帝王が、エリザベートの前に、愛の前に屈服した瞬間。
ぶわっと涙が出た。
ひとつの、芝居だった。
物語だった。
これは『エリザベート』じゃない、『トート』だ。
トートという、ひとりの男の愛の物語だ。
……て、おもしろいよコレ。
一度ちゃんとやって欲しいよ。『エリザベート』ではなく、『トート』を上演して欲しい、タカラヅカで。
エリザベートの一人称で描かれているところを全部、トートの一人称に描き直すの。
トートの心の動きだけを追うの。
すげーたのしそう。
『ベルばら』のスピンオフとかやってるヒマがあったら、『エリザベート』の新バージョンやればいいのに。
や、いいもん見ました、シメさんの『トート』。