世間の評価はともかく、実はわたし、谷せんせの落語モノが苦手だ。
 単にわたしは「笑いツボ」が少なくてな。人に迷惑を掛けることや人を騙すこと、人が不幸になることを笑うことができない。
 たとえば三五郎がひとりで全部酒を飲んでしまい、米やんには一滴も飲ませない……とかは、笑いよりもイラっとしてしまう。
 現実にあーゆー人がいるとか、それをことさら大袈裟に滑稽に表現しているのだとか、ごたくはいらん、ただわたしは好きじゃないっつーだけ。
 それは過去の落語作品でもそうだった。

 それでもまだ、萌えのあった『くらわんか』や、やさしい前提のあった『なみだ橋えがお橋』は好きだったし、好きとはいえないもののタカラヅカ的な部分もあった『やらずの雨』はアリだったかなと思う。
 それぞれ、笑いツボが合わず、かなりイラっとしたり不快だったりもしたんだが(笑)、それを乗り越えられる部分があった。

 されどこの『雪景色』

 3本立てなんだもん。

 今までは笑いツボが合わずイラっとした部分を、人情やシリアスな場面で乗り越えられたのに、ソレができないんだもん。

 1幕目「愛ふたつ」。
 小間物屋の小四郎@ちぎ&コマが行商に出ている間に、家主さん@汝鳥サマのカンチガイとお節介で、小四郎が死んだと信じた妻・お咲@みみちゃんは三五郎@ちぎ&コマと再婚してしまった。小四郎が帰ってきたからさあ大変、新旧の夫と妻ひとり、お奉行様@ナガさんに裁いてもらうことに……。

 2幕目「花かんざし」。
 親方の金を盗んだ罪で江戸追放になった飾り職人の伊左次@コマ&ちぎ。堅物正直者の伊左次がそんなつまらない罪を犯すとは思えない、その真実はどこにあるのか……をめぐる物語。

 3幕目「夢のなごり」。
 平家の落武者一行の、華麗かつ壮絶な集団自決物語。前に書いたから割愛。

 笑いとは、いちばん感性の差異が出るところかもしれない。1幕目は、わたしには別に笑えなかった。
 で、笑えないと、すごくつらい。この話(笑)。
 汝鳥さんの個人芸にはくすりとさせられるし、キャストへの愛着から微笑ましさは感じるけれど、「作品」は笑えない。

 初見時は「この伏線はどこにつながるんだろう」とか、構成面に気を取られていた。
 で、伏線でもなんでもない、ただの「笑わせるためにやっただけ」だとわかり、盛大に肩を落とした。
 本筋と関係ない、ただ笑わせるためだけに滑稽なことをするって、アンフェアだと思うんだけどなあ。

 怖がりの小四郎と幽霊の話は、本筋になんの関係もなかった。
 特殊メイク?のおばば@しゅうくんも、情けなくみっともなく振る舞う小四郎も、ただ「笑わせるためだけ」に存在する。「愛ふたつ」という物語には関係ない。
 おばばの話す幽霊話がなにかしらキーとなって、後半にどんでん返しがあるならともかく。

 無意味な三五郎と米やんの場面といい、ただ「ネタを羅列した」だけじゃん。

 笑えれば、ギャグに次ぐギャグの応酬で息をつく間も疑問を持つ間もなく笑い転げてさくさく進む、ってことになるのかもしれないが、そーゆー外部の小劇場系の芝居でもないし。
 まったりとスローペースでネタの羅列されて、しかもそれが笑えないとなると、きついわー。

 三五郎にしてもあまりに唐突な登場で「誰?」だし。

 めちゃくちゃなオチに終着するために、めちゃくちゃが通る世界観を構築する必要があったんだろうけど、それぞれが寄せ集めすぎて、「世界」に酔えない。
 羅列するだけなら誰でも出来る、箇条書きするだけなら素人でも出来る。「物語」まで練ってくれよ。

 今までの谷せんせの落語モノも、まあ大差ない作りなんだけど、それでもこの「笑えない、ただの箇条書き」を、人情とか愛とかで包んであったのね。
 笑えない部分は、わたしはひそかに引いていたんだが、人情部分で底上げされて結局のところ「いい話だわ、ほろり」としていた。単純っすから!

 しかし今回は3本立て。
 「笑い」「人情」「愛」を別々の話で描いてあるもんだから、わたしの苦手な「笑い」だけで独立されてしまった1幕目が、つらい。

 人情のなかでネタの羅列をするならまだアリだったのになあ。笑わせたあとでしんみりじっくりほろりとさせるのはアリなんだけどなあ。
 「愛ふたつ」って、オチまでお笑いじゃん……。

 ファンタジーだとわかって観ているので、小四郎の簡単ぷーな心変わりもアリだと思ってはいるけど、好きな話でもオチでもない。

 
 じゃあ人情だの自己犠牲だのを描いた2幕目「花かんざし」が良かったかというと……ストーリーはともかく、演出をなんとかしてくれと思うし。

 一方的な会話劇。
 伊左次はなにも喋らず、出てくる人たちが次々説明台詞押し付け台詞を垂れ流す。
 それならいっそ、舞台にひとりずつ出て真正面向いてひとり芝居みたいにしてやってくれる方が、ミステリめいていて良かったなと。
 徐々に真実が明らかになる展開なのに、ちっとも活きていない。

 同じトーンで湿った台詞を垂れ流すのが「人情芝居」なんだろうか。

 初見は泣いたけど(単純・笑)、じゃあこれを何回も観たいかというと、おなかいっぱい、もういいです。この演出だと胃もたれします。

 や、コマ&ちぎはじめ、雪組っ子たちは熱演で、彼らを観るだけで楽しめるんだけど。
 コマかっこいい! とかよろこんで観ているわけなんだけど。
 それとは別に、作品が、ね。

 
 3幕目「夢のなごり」だけが、ダイスキだ。3幕目だけなら何回でも観たい、と思った。

 でもこれはわたしのツボだったっつーだけで、やっぱりいびつな構成だよねえ。
 最初のきつねさんたちの騒ぎはアレ、「下級生にも出番が必要」ってだけ? 本編と乖離していて、1幕目と同じその場しのぎの羅列っぷりを感じたんだが。

 
 3本立てというのが、すごく「言い訳」に感じるんだ。

 やりたいネタをきちんと料理して1本の長編にするのを放棄して、おいしいとこだけ手軽に書きました、みたいな。
 都合の良い二次創作みたいに。
 わたしがよくヅカ作品の一部だけ都合良く抜き出して、SSを書くよーなもんで。

 自害することに恍惚を感じる谷せんせが、集団自決する人々を書きたいと思ったとしよう。
 でもその「書きたい」場面を書くためには、彼らがどうしてそこへ行き着いたか、最初から最後までストーリー作って出来事を書いて、表現していかなければならない。
 そーゆーしんどい作業はまるっと投げて、書きたい場面だけ書いて終了。だって3本立てだもん、短編だもん。
 今までの落語モノでは、笑わせることも泣かせることも、全部1本の長編の中に組み込んできたけど、「短編を3つ」にしてしまえば、なんの苦労もなくやりたい場面だけ書ける。
 笑わせて泣かせるとか面倒なことしなくていい。笑いは笑い、泣きは泣き。
 ミュージカルも会話劇も舞踊劇も、ひとつに組み込むのはバランスも構成も大変だけど、別々にしてしまえば楽ちん。

 てなふうに、わたしにはあまり良い意味に取れなかったんだな、今回の3本立て。
 3本立てだからこそ、あえて色を変えた、というには、どれも作りがチープ過ぎて。
 短編3本一気上演つーのは、長編3本書くのと同じ気合いで臨まないと、全体のクオリティが落ちるだけだと思うんだ。
 大劇場で2本立て3本立てをやるとき、演出家が全部ちがっているように、ただ時間を2等分3等分しただけではなく、1本の独立した作品を並列に上演するもんなんだから。

 3本立てで3度オイシイのではなく、3倍に薄まった作品を創られてもこまるなあ、としょんぼりした。

 質より量?
 「1本でも好きなモノがあれば、通ってね」ということ?

 なら成功してるのかな。わたし、3幕目だけはものすごく好きよ。 

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