本来の役、本来の役割。@Shall we ダンス?
2014年1月6日 タカラヅカ ムラで『Shall we ダンス?』を観たとき、ポール@ホタテくんの巧さに、舌を巻いた。
オープニングが終わったあと、たったひとりで銀橋へ登場し、ナレーションをする。ポールという役でありつつも、導入解説をする難しい役。
それを過不足なく的確にやってのけた、新公学年の下級生、ってどうなの。すごすぎるだろソレ。
しかも彼、代役で、正式に代役が発表されたのは10日前だったりするんですけど? それでこの出来ですか? なにソレすごい。
芝居の出来る子ってのは、学年関係ないんだな。ののすみもいまっちも、下級生時代からずば抜けて巧かったよなー。天賦のモノってあるよなー。
反対に、芝居の出来ない人も学年関係ないんだよなあ。と、すでに卒業していったあの人とかこの人とかを思い出したり。みんな上級生になるまで在団していたけれど、わたしとは芝居の感性が合わず、舞台クラッシャーにしか見えなかった……。
代役のホタっちゃんポールがあまりに安定して巧いので、本役の翔くんは分が悪いなと思った。
その、翔くんは出来る芝居の幅がかなり狭く、そこからはずれた役の場合、なかなかどうして大変なことになってしまう……と、わたしの目には映っていたので。
翔くんの苦手分野は芝居と歌(声)、なのに芝居巧者で歌ウマ(声良し)のホタっちゃんと同じ役を、あとからやるってのは、なかなかに気の毒なことに思える。どうしても、比べられちゃうもんな。
まっつの代役を懸命に務めてくれた翔くんだから、どうか良い結果になってほしいと思いつつ……老婆心がうずくわけで。
そして、東宝初日。
オープニングで踊るまっつを観てアタマがパーン! 真っ白になっていたわたしは、ポール@翔くんが登場して喋り出すまで、役替わりっちゅーか本来の役に戻った云々をきれーにアタマからトバしていた。
あ、そか、翔くんなんだ。観て、はじめて気づく。つか、思い出す。
思い出すと、前述のような杞憂も、一緒にわき上がる。
が。
翔くんのポールは、とても良かった。
ごめん。大丈夫かなとか思っててごめん。
ぜんぜんふつーに、出来てる。
目からウロコだった。
翔くんは芝居の幅が狭い。出来る役はけっこー限られている、とわたしは思う。
そしてこのポール役は、翔くんの「出来る役」に入ってる。等身大の若者ってやつ。つか、アテ書きだよね?
『Shall we ダンス?』は原作がかちっとあって、ストーリーやエピソード、展開がほぼ原作まんまなんだけど、脇役はオリジナルキャラになっている。小柳タンのフリースペース、アテ書き部分。
アルバートもそうだけど、ポールも原作とはチガウ、今回の雪組公演のために書き下ろされたオリキャラだ。原作に「同じポジション」の役はあるけれど、「意味づけがチガウ」から、オリキャラ。
書き下ろしオリキャラなんだから、そりゃ役者のキャラを考慮したアテ書きになるだろう、タカラヅカなら。そして役者のキャラ頼みの作劇を多分にする、小柳タンなら。
ポールは、翔くんへのアテ書き。
翔くんの出来る役で、翔くんの魅力を「活かす」と共に、翔くんの魅力に「頼った」作り。
つまり。
ポールって、路線スターの役なんだ。
路線スター様だけが偉くて、脇のジェンヌは偉くない。という意味じゃない。ただタカラヅカは「順位を付けるなんて差別だわ、みんなで手をつないで横一列でゴールしましょう徒競走」ではない。
明確な順位が、役割分担がある。
翔くんは路線スターで、ホタテくんはチガウ。
役者としての技術はホタテくんが上、だからポール役を的確に実力で演じて見せた。
翔くんは、技術ではなく、「華」でポールを演じた。
そして。
ポールに必要なのは、他のナニよりも「華」であることに、わたしは気づかされた。
うまいへたじゃない。や、うまいに越したことないけど、オープニングの華やかな宮廷舞踏会が終わって、暗転した舞台にただひとり登場し、ピンスポを浴びて芝居をする。この公演で「最初に」声を出す。
この役割は、うまいだけじゃ、違うんだ。
なにをさておき、「スター」でなきゃダメなんだ。他の劇団の芝居はどうか知らないけど、「タカラヅカ」においては、そうなんだ。
ここは、スターの位置、スターの役割。
その昔、『スサノオ』で月読@えりたんが、当時ぜんぜんうまくなかったけど、それでも幕開きに登場してナレーションして銀橋渡って「当然」だった……それと同じなんだ。必要なのは巧さじゃない、「スター」としての光や美貌なんだ。
翔くんがポールを演じることで、『Shall we ダンス?』がとても落ち着きよくなった、と思った。
より「タカラヅカ」らしくなった。
ムラ公演を観ているときに、「この作品は好き」だけど、いろいろと疑問点、不満もあった。「好き」が前提での、不満ね。
その疑問点・不満のひとつに、答えを得た。
そっか……。ポールって本来、こういう役で、こういう役割だったのね。
アルバートをまっつが演じることで合点がいったのと同じ。
アテ書きなんだもん。彼らが演じてはじめて、「作品を構成する計算」が完成するんだもん。
不完全なモノを観て「納得いかないわ、残念だわ」と思ってたわけだ。
新公にしても。
翔くんのポールに対しての、真地くんのポールだったら、きっと別のことを感じていただろうと思う。
真地くんのポールの「役割」というか、「意味づけ」がよくわからなかった。それで「ポールってどんな人?」と混乱した。
ホタっちゃんのポールが異端だったんだ。つか、タカラヅカの『Shall we ダンス?』という作品の1パーツとして、色が違ったんだ。
……と言いつつ、わたしはホタっちゃんが大好きなんだけど。
彼が活躍する舞台、彼を大事にしてくれる劇団を望んでいるんだけど。
ホタっちゃんのポールが大好きなんだけど。
彼がピンスポを浴びてポールを演じた、演じる姿を見ることが出来た、それをとてもうれしく思うのも、正直な気持ち。
まっつの休演は、本当に大きなことだったんだと思う。
あってはならない、イレギュラー。
ケガも病気も、人間だから仕方ないと思うし、タカラヅカはスタッフもファンもあたたかいところだから、許されているけれど。
純粋に「料金を支払って作品を観る」だけの客の立場、宝塚歌劇団という1ジャンルを好きなだけの外野の立場で言えば、「完成形で見せてくれよ、二の次なんか勘弁してくれよ」だよなあ。
わたしはまっつファンなので、そのへんダブスタ全開でスルーするけど。
それらの大きさ、結果に対する痛み・重みは、休演したまっつ自身がいちばん自覚しているのだろうし。泣かないまっつが復帰初日、舞台で泣いていた、ように見えた。ひとに言われるまでもなく、渦中にいる本人がなによりわかっているよなあ。
そしてファンとしては、そういう面も含めて心配し、今現在も未来も不安でしょうがなかったりもする。
いろんなことを乗り越えて、ムラでも東宝でも、素晴らしい舞台を見せてくれている雪組に、心から拍手する。
ありがとう、と思う。
オープニングが終わったあと、たったひとりで銀橋へ登場し、ナレーションをする。ポールという役でありつつも、導入解説をする難しい役。
それを過不足なく的確にやってのけた、新公学年の下級生、ってどうなの。すごすぎるだろソレ。
しかも彼、代役で、正式に代役が発表されたのは10日前だったりするんですけど? それでこの出来ですか? なにソレすごい。
芝居の出来る子ってのは、学年関係ないんだな。ののすみもいまっちも、下級生時代からずば抜けて巧かったよなー。天賦のモノってあるよなー。
反対に、芝居の出来ない人も学年関係ないんだよなあ。と、すでに卒業していったあの人とかこの人とかを思い出したり。みんな上級生になるまで在団していたけれど、わたしとは芝居の感性が合わず、舞台クラッシャーにしか見えなかった……。
代役のホタっちゃんポールがあまりに安定して巧いので、本役の翔くんは分が悪いなと思った。
その、翔くんは出来る芝居の幅がかなり狭く、そこからはずれた役の場合、なかなかどうして大変なことになってしまう……と、わたしの目には映っていたので。
翔くんの苦手分野は芝居と歌(声)、なのに芝居巧者で歌ウマ(声良し)のホタっちゃんと同じ役を、あとからやるってのは、なかなかに気の毒なことに思える。どうしても、比べられちゃうもんな。
まっつの代役を懸命に務めてくれた翔くんだから、どうか良い結果になってほしいと思いつつ……老婆心がうずくわけで。
そして、東宝初日。
オープニングで踊るまっつを観てアタマがパーン! 真っ白になっていたわたしは、ポール@翔くんが登場して喋り出すまで、役替わりっちゅーか本来の役に戻った云々をきれーにアタマからトバしていた。
あ、そか、翔くんなんだ。観て、はじめて気づく。つか、思い出す。
思い出すと、前述のような杞憂も、一緒にわき上がる。
が。
翔くんのポールは、とても良かった。
ごめん。大丈夫かなとか思っててごめん。
ぜんぜんふつーに、出来てる。
目からウロコだった。
翔くんは芝居の幅が狭い。出来る役はけっこー限られている、とわたしは思う。
そしてこのポール役は、翔くんの「出来る役」に入ってる。等身大の若者ってやつ。つか、アテ書きだよね?
『Shall we ダンス?』は原作がかちっとあって、ストーリーやエピソード、展開がほぼ原作まんまなんだけど、脇役はオリジナルキャラになっている。小柳タンのフリースペース、アテ書き部分。
アルバートもそうだけど、ポールも原作とはチガウ、今回の雪組公演のために書き下ろされたオリキャラだ。原作に「同じポジション」の役はあるけれど、「意味づけがチガウ」から、オリキャラ。
書き下ろしオリキャラなんだから、そりゃ役者のキャラを考慮したアテ書きになるだろう、タカラヅカなら。そして役者のキャラ頼みの作劇を多分にする、小柳タンなら。
ポールは、翔くんへのアテ書き。
翔くんの出来る役で、翔くんの魅力を「活かす」と共に、翔くんの魅力に「頼った」作り。
つまり。
ポールって、路線スターの役なんだ。
路線スター様だけが偉くて、脇のジェンヌは偉くない。という意味じゃない。ただタカラヅカは「順位を付けるなんて差別だわ、みんなで手をつないで横一列でゴールしましょう徒競走」ではない。
明確な順位が、役割分担がある。
翔くんは路線スターで、ホタテくんはチガウ。
役者としての技術はホタテくんが上、だからポール役を的確に実力で演じて見せた。
翔くんは、技術ではなく、「華」でポールを演じた。
そして。
ポールに必要なのは、他のナニよりも「華」であることに、わたしは気づかされた。
うまいへたじゃない。や、うまいに越したことないけど、オープニングの華やかな宮廷舞踏会が終わって、暗転した舞台にただひとり登場し、ピンスポを浴びて芝居をする。この公演で「最初に」声を出す。
この役割は、うまいだけじゃ、違うんだ。
なにをさておき、「スター」でなきゃダメなんだ。他の劇団の芝居はどうか知らないけど、「タカラヅカ」においては、そうなんだ。
ここは、スターの位置、スターの役割。
その昔、『スサノオ』で月読@えりたんが、当時ぜんぜんうまくなかったけど、それでも幕開きに登場してナレーションして銀橋渡って「当然」だった……それと同じなんだ。必要なのは巧さじゃない、「スター」としての光や美貌なんだ。
翔くんがポールを演じることで、『Shall we ダンス?』がとても落ち着きよくなった、と思った。
より「タカラヅカ」らしくなった。
ムラ公演を観ているときに、「この作品は好き」だけど、いろいろと疑問点、不満もあった。「好き」が前提での、不満ね。
その疑問点・不満のひとつに、答えを得た。
そっか……。ポールって本来、こういう役で、こういう役割だったのね。
アルバートをまっつが演じることで合点がいったのと同じ。
アテ書きなんだもん。彼らが演じてはじめて、「作品を構成する計算」が完成するんだもん。
不完全なモノを観て「納得いかないわ、残念だわ」と思ってたわけだ。
新公にしても。
翔くんのポールに対しての、真地くんのポールだったら、きっと別のことを感じていただろうと思う。
真地くんのポールの「役割」というか、「意味づけ」がよくわからなかった。それで「ポールってどんな人?」と混乱した。
ホタっちゃんのポールが異端だったんだ。つか、タカラヅカの『Shall we ダンス?』という作品の1パーツとして、色が違ったんだ。
……と言いつつ、わたしはホタっちゃんが大好きなんだけど。
彼が活躍する舞台、彼を大事にしてくれる劇団を望んでいるんだけど。
ホタっちゃんのポールが大好きなんだけど。
彼がピンスポを浴びてポールを演じた、演じる姿を見ることが出来た、それをとてもうれしく思うのも、正直な気持ち。
まっつの休演は、本当に大きなことだったんだと思う。
あってはならない、イレギュラー。
ケガも病気も、人間だから仕方ないと思うし、タカラヅカはスタッフもファンもあたたかいところだから、許されているけれど。
純粋に「料金を支払って作品を観る」だけの客の立場、宝塚歌劇団という1ジャンルを好きなだけの外野の立場で言えば、「完成形で見せてくれよ、二の次なんか勘弁してくれよ」だよなあ。
わたしはまっつファンなので、そのへんダブスタ全開でスルーするけど。
それらの大きさ、結果に対する痛み・重みは、休演したまっつ自身がいちばん自覚しているのだろうし。泣かないまっつが復帰初日、舞台で泣いていた、ように見えた。ひとに言われるまでもなく、渦中にいる本人がなによりわかっているよなあ。
そしてファンとしては、そういう面も含めて心配し、今現在も未来も不安でしょうがなかったりもする。
いろんなことを乗り越えて、ムラでも東宝でも、素晴らしい舞台を見せてくれている雪組に、心から拍手する。
ありがとう、と思う。