孤独な男が、愛を捨てるとき。@風と共に去りぬ
2014年1月29日 タカラヅカ わたしの目に映った、レット・バトラー@トドロキを語る。
しつこく月組公演『風と共に去りぬ』の話、続き。
バトラー@トドロキは、スカーレット@まさおを愛していることを、認めた。見て見ぬフリをしてきた、気づかないフリをしてきた、自分の心に降参した。
そしてバトラーは知っている。
スカーレットを手に入れるために必要なことを。
バカな彼女を手に入れるためには、愛を言葉にするのだと、わかっている。スカーレットは野生児、言葉の裏なんか読めない。言葉にした、わかりやすいことしか、理解しない。
わかっていて、バトラーは言わない。
「愛している」ではなく、「金を持っている」と言う。
ここで素直に愛を語れば、手に入ったかもしれないのに。わざと悪ぶって、突き放す。
そのことをクライマックスで、バトラーは後悔する。メラニー@ちゃぴに懺悔する。
素直に愛を語らず、悪ぶっていた。そんな態度だから、幸福な夫婦関係を築けなかったと。
だけど、素直にデレられないのがバトラー。
言葉の裏を読めないのがスカーレット。
求婚時のバトラーの芝居がやばい。
マジやばい。
彼はあそこで自分が求婚することになるなんて、あの瞬間まで思ってなかっただろう。
フランク@ゆうきが死んだのも予想外だし、夫の死を妻に告げて、そのままその妻にプロポーズって、人としてあり得ない。
あり得ないことをしてしまうほどに、彼は打ちのめされた。
運命に。
もしくは、魂に。
バトラーがバトラーであり、スカーレットがスカーレットであるということに。
苦しい。
見ていて、切なくて切なくて、苦しかった。
神を見た。
そんなバトラーだった。
マミー@汝鳥サマが語るように、バトラーはこのときを機に、変わったんだろう。
スカーレットと結婚してからは、無頼漢でも浮気者でもなく、誠実に生きたんだろう。
でも、「わかりやすくカタチになったモノ」しか理解できないスカーレットには、通じない。
生き方を変えたところで、言葉にしなければ、おバカさんには理解できない。
「おバカさん」ゆえの飾らない本能で、「愛されている」ことは見抜いていても、その他が全滅、ナニも伝わってない。
むしろ「愛されている」からとことん無神経になっている。アシュレ@コマとの不倫が噂になり、飲んだくれているバトラーにツンケンしてみせるくらいに、スカーレットはわかってない。
同じ魂。
だからこそ、惹かれたし……だからこそ、相容れない。
スカーレットは、「悪く転んだバトラー」。
似ている、と思い、チガウ、と思う。
元は同じ、根っこが同じ、だからこそ、今ここに在る差異は深い。
なまじ同じところからはじまっているから、「チガウ」ことへの違和感、嫌悪感も激しくなる。
惹かれる、愛している、それと同じ強さで、相容れない、共に生きられない、という気持ちが存在する。
同じモノ、ってさあ、いらないんだよ。
ここに球体があって、もうひとつ同じ球体が見つかったとしても。
同じモノふたつ、いらないよね?
四角ならまだ、積み上げたり並べたりも出来るけど。球体ってさ、積むことも並べることも、出来ないよね?
バトラーとスカーレットって、そういうことだよなと。
それでもバトラーは、同じ球体であるスカーレットを欲し、彼女に横にいて欲しがった。
自由に転がることをやめ、球である意味を捨ててまで、立ち止まろうとした。
スカーレットはなにも理解しないから、不安定な球体のまま、好き勝手に転がる。彼女が落ちて壊れないように、必死に留めていたバトラーの苦労も知らず。
最初から、無理だった。間違っていた。
彼女は彼の「欠けた一部分」じゃない。別の、同じ球体だ。ふたりはどうあがいても、重ならない。共に生きられない。
だからラストシーン、バトラーはスカーレットを捨てて出て行く。
彼は努力した。運命に抗おうとした。でもそれも、終わった。
スカーレットを愛してしまったのも運命、彼女と生きていけないのも運命。
愛を認めてしまった、運命に膝を折った……だからあとは、彼女を失う運命から逃れようと、抗い続けた。
それすらも、ついに、手放した。
スカーレットは変わらない。
ダイアモンドは傷つかない、マグノリアはまた花を付ける。
バトラーも変わらない。
孤独を愛せないモノは、自由を愛することも出来ない。
魂が見えた、そのきらめきが見えた。
『風と共に去りぬ』って、こういう話だったんだ。
そう、すとんと納得した。
や、わたしにとって、このトドまさ『風共』は、そういう物語だった。
いいもん観た。
ほんっとーに、いいもんを観た。
ときどきこんな体験も出来るから、タカラヅカってすごいと思う。
そして、轟悠。
すごい役者になったなああ。
いやその、長く彼を好きで眺めて来ているので。
彼の年輪も含めて、愛しく誇らしい。
タカラヅカのすごさ。
そして、タカラジェンヌという役者のすごさ。
しつこく月組公演『風と共に去りぬ』の話、続き。
バトラー@トドロキは、スカーレット@まさおを愛していることを、認めた。見て見ぬフリをしてきた、気づかないフリをしてきた、自分の心に降参した。
そしてバトラーは知っている。
スカーレットを手に入れるために必要なことを。
バカな彼女を手に入れるためには、愛を言葉にするのだと、わかっている。スカーレットは野生児、言葉の裏なんか読めない。言葉にした、わかりやすいことしか、理解しない。
わかっていて、バトラーは言わない。
「愛している」ではなく、「金を持っている」と言う。
ここで素直に愛を語れば、手に入ったかもしれないのに。わざと悪ぶって、突き放す。
そのことをクライマックスで、バトラーは後悔する。メラニー@ちゃぴに懺悔する。
素直に愛を語らず、悪ぶっていた。そんな態度だから、幸福な夫婦関係を築けなかったと。
だけど、素直にデレられないのがバトラー。
言葉の裏を読めないのがスカーレット。
求婚時のバトラーの芝居がやばい。
マジやばい。
彼はあそこで自分が求婚することになるなんて、あの瞬間まで思ってなかっただろう。
フランク@ゆうきが死んだのも予想外だし、夫の死を妻に告げて、そのままその妻にプロポーズって、人としてあり得ない。
あり得ないことをしてしまうほどに、彼は打ちのめされた。
運命に。
もしくは、魂に。
バトラーがバトラーであり、スカーレットがスカーレットであるということに。
苦しい。
見ていて、切なくて切なくて、苦しかった。
神を見た。
そんなバトラーだった。
マミー@汝鳥サマが語るように、バトラーはこのときを機に、変わったんだろう。
スカーレットと結婚してからは、無頼漢でも浮気者でもなく、誠実に生きたんだろう。
でも、「わかりやすくカタチになったモノ」しか理解できないスカーレットには、通じない。
生き方を変えたところで、言葉にしなければ、おバカさんには理解できない。
「おバカさん」ゆえの飾らない本能で、「愛されている」ことは見抜いていても、その他が全滅、ナニも伝わってない。
むしろ「愛されている」からとことん無神経になっている。アシュレ@コマとの不倫が噂になり、飲んだくれているバトラーにツンケンしてみせるくらいに、スカーレットはわかってない。
同じ魂。
だからこそ、惹かれたし……だからこそ、相容れない。
スカーレットは、「悪く転んだバトラー」。
似ている、と思い、チガウ、と思う。
元は同じ、根っこが同じ、だからこそ、今ここに在る差異は深い。
なまじ同じところからはじまっているから、「チガウ」ことへの違和感、嫌悪感も激しくなる。
惹かれる、愛している、それと同じ強さで、相容れない、共に生きられない、という気持ちが存在する。
同じモノ、ってさあ、いらないんだよ。
ここに球体があって、もうひとつ同じ球体が見つかったとしても。
同じモノふたつ、いらないよね?
四角ならまだ、積み上げたり並べたりも出来るけど。球体ってさ、積むことも並べることも、出来ないよね?
バトラーとスカーレットって、そういうことだよなと。
それでもバトラーは、同じ球体であるスカーレットを欲し、彼女に横にいて欲しがった。
自由に転がることをやめ、球である意味を捨ててまで、立ち止まろうとした。
スカーレットはなにも理解しないから、不安定な球体のまま、好き勝手に転がる。彼女が落ちて壊れないように、必死に留めていたバトラーの苦労も知らず。
最初から、無理だった。間違っていた。
彼女は彼の「欠けた一部分」じゃない。別の、同じ球体だ。ふたりはどうあがいても、重ならない。共に生きられない。
だからラストシーン、バトラーはスカーレットを捨てて出て行く。
彼は努力した。運命に抗おうとした。でもそれも、終わった。
スカーレットを愛してしまったのも運命、彼女と生きていけないのも運命。
愛を認めてしまった、運命に膝を折った……だからあとは、彼女を失う運命から逃れようと、抗い続けた。
それすらも、ついに、手放した。
スカーレットは変わらない。
ダイアモンドは傷つかない、マグノリアはまた花を付ける。
バトラーも変わらない。
孤独を愛せないモノは、自由を愛することも出来ない。
魂が見えた、そのきらめきが見えた。
『風と共に去りぬ』って、こういう話だったんだ。
そう、すとんと納得した。
や、わたしにとって、このトドまさ『風共』は、そういう物語だった。
いいもん観た。
ほんっとーに、いいもんを観た。
ときどきこんな体験も出来るから、タカラヅカってすごいと思う。
そして、轟悠。
すごい役者になったなああ。
いやその、長く彼を好きで眺めて来ているので。
彼の年輪も含めて、愛しく誇らしい。
タカラヅカのすごさ。
そして、タカラジェンヌという役者のすごさ。