幸か不幸か、わたしは意地汚い。

 つらいことがあっても、自分が満足出来ない結果だからといっても、「こんなことなら、最初から出会わなければよかった」「好きにならなければよかった」とは思わない。

「こんなにつらいなら、生まれてこなければよかった」
 と思わないのと同じで。

 「しあわせなこと」がわたしの心のメーターを+100動かすとして。
 「つらいこと」が10倍の-1000動かすとしたら、プラマイでいけば-900、大赤字。

 なんつーんだ、まっつの舞台を観ることで、そのたび100ずつしあわせで、それが10年間続いたとしても、それはメーターが常時100を示しているということで、100×10年分という数字にはならない。
 そして今このタイミングでの退団発表は、メーターがマイナス1000一気に動く衝撃だった。

 得が100で、損が1000では、比べるべくもない。損の方がはるかに大きい。
 という場合でも、「こんな大損害こうむるくらいなら、なにもしなければよかった」とは思わない、ということだ。

 それは、「つらいこともしあわせなことも、生まれてきたから味わえるのよ。感謝しなくちゃ。キラキラ」ってな美しい話ではなくて。

 1000のつらい思いをしてもだ、100のしあわせを味わわずにいるのは、悔しいんだ。
 なにもしなければ「1000泣かずにすんだわ、ラッキー」ではなく、「得られるはずの100のしあわせを逃がしてしまったわ、くやしい!」なのよ。

 基本、意地汚いので。
 ご贔屓に入れ込めば退団がつらいことがわかっていても、つらさよりも意地汚さが勝った。
 好きだ、という利己心が勝った。

 しんどいけど、つらいけど、だからといって投げ出してしまうのは、もったいない。
 意地汚いわたしは、まっつから与えられるわくわくを重要視する。
 味わわなきゃ、損だわ。
 
 まっつの次の舞台が、役が楽しみ。
 彼がどんなものを見せてくれるのか、わくわくする。

 ラストステージだとか、卒業だとか、喪失だとか、そーゆーことは置いておいて。
 痛みは消えないけれど、恨みごとも愚痴も文句も山ほど(笑)あるけど。

 それでも、まっつを味わい尽くす。
 コレが重要。

 泣いてる場合じゃない。

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