ヲヅキさんの揺るがなさに感心した。

 『ベルサイユのばら―オスカル編―』Bパターン、すなわちアンドレ@ヲヅキ。
 本公演『オスカル編』のアンドレっつったらふつーは特出トップ様が演じてもおかしくない、組でなら次期トップが演じるだろう特別な役。
 役替わりとはいえこの役をやるんだから、この際ヲヅキさんトップ候補になっちゃえよ! 役替わり公演でもやってもらって、新公主演したことにして、コム姫に続く力技路線変更スターになればいいじゃん。
 ……と、冗談半分(半分?)で言うくらいには、わくわくしてました。
 真ん中に立つヲヅキさんを見てみたくて。
 一度も主演したことのない、「主役」たる役をやったことのない彼が、タカラヅカの代表作『ベルばら』でアンドレを演じるとどうなるのか……大劇場サイズの「スター」に一気に化けるとか、あるかもしんないじゃん?……と、わくわく。

 『オスカル編』のアンドレは主役じゃないけど、アンドレが主役バージョンでやる場面もそのままあるわけだから、役者を「主役」に押し上げる力があるんだ。
 この役をやると、スター力がどんと上がるっていうか、リミッターの上限解除につながるっていうか。

 だからいろんな人のアンドレを見てみたいと思う。
 それが、好きな生徒なら、なおさら。

 で、ヲヅキさん。

 ……役者を「主役」に押し上げる力のある役なんだってば……主役に……スターに……。

 ヲヅキは、ヲヅキだった。

 アンドレが「スター」の役だということは、眼中にない?

 ヲヅキさんが演じているのは、「オスカルの影・アンドレ」でした。
 タカラヅカのアンドレというスター役ではなく、忠実に「アンドレ」という役を演じてた。

 『ベルばら』祭りとは無関係に、なんかもうすげえ忠実に、誠実に、「芝居」をしてた。

 あー……そっか……アンドレだもんな……アンドレって本来こういう感じ……あー……そうだよなあ……。

 「スター」なヲヅキさん♪ と無責任に盛り上がる気で行ったわたしは、なんかすごくバツが悪かったっす(笑)。
 ごめん、ヲヅキ。そうだよね、ポジションとか扱いとか、関係ないよね、キミはただ誠実に芝居をするだけだよね。くそ真面目に役割を果たすだけだよね。

 ヲヅキはやっぱ「役者」なのだと思う。
 融通きかないくらいに、とても役者。
 それですげー頑固一徹に芝居をしている。「アンドレとは!」を全身で表している。
 揺るがない。

 その揺るがなさがうれしい。

 とはいえ。
 せっかくの祭りなのに、ヲヅキの頑固職人ぶりは善し悪しアリ。
 オープニングのおとなしさは、どうすればいいんだ(笑)。
 せっかくの植爺『ベルばら』、「100周年だ、祭りだわっしょい!」ムードにそぐわない、地に足着いたアンドレ様……。

 『ベルばら』なのに、アンドレなのに、すげー脇役っぽいってナニゴト。

 ヲヅキは主演経験こそないものの、ティボルトやヤンなど、2番手クラスの役を大劇場でこなしている。それらの役を演じるヲヅキは、決して地味ではない。
 だからそれは、ポジションではなく、「役」ゆえなんだ。
 ティボルトもヤンも花形役であり、役に忠実にあるだけで作品の中心部に躍り出てくる。ショーパートと芝居がぱきっと別モノになっていたりせず、いつも役のままでいられたし。

 そういう人だから、「影」のアンドレを忠実に役作りしたら、こういうことになっちゃったんだ。植爺はショーパートと芝居を別モノにしてしまうし、キャラクタを人格ではなくポジションで書く。
 役を人格で演じるヲヅキがやると、正しく影のアンドレになるんだ。
 だから派手派手オープニングだと、役として演じて出て来るヲヅキさんにびっくりしちゃうんだ。影として登場してくるから。

 うっわー、ヲヅキだー。
 ヲヅキ、変わらない。揺るがない。
 それがうれしいやらおかしいやら。

 フィナーレもやっぱ、コレジャナイ感を抱きつつ。

 そう思わせてくれることがまた、愛しい。

 いやその、スポットライト浴びる快感に目覚めて、「スターなオレ様」に変身したヲヅキさんも見てみたかったけど。
 徹頭徹尾「わきまえた」姿に、きゅんきゅんした(笑)。


 でもって。

 前日欄に書いた通り、テルカル様はオスカルじゃなかった。別の生き物だった。
 それはやっぱり、キタドレの影響があると思う。

 ヲヅキのアンドレは、立場をわきまえた影のアンドレ。ヅカのスター演じるところの押し出しの強いキラキラしたアンドレじゃない。
 脇に徹する姿はとてもアンドレっぽい……わけなんだが。

 でも、チガウと思うの。

 原作ともヅカのアンドレともチガウ。
 キタドレの、暗さは。

 彼からは、革命前夜のフランスの、湿気めいた暗い澱みを感じる。
 口でどう言おうと、魂の深いところで絶望し、あきらめている……投げ出している、感じ。受け入れている、ともいうか。あるがままを。

 キタドレの澱みが、テルカルを追い詰めているんだと思う。

 殺したいほど愛していると言いながら、寸前で背を向ける。毒殺を思いとどまったのは、澱みが深すぎるせいでは?
 生殺しの感覚。
 これじゃオスカル、おかしくなるよ。

 救うつもりははじめからない、だけど、「そばにいる」。なにそれ痛い。きつい。

 オスカルが出撃前夜、アンドレに身を投げしたのもわかる。自分から行かなきゃ、生殺しのままだもの。
 いつまでも傷口が疼くから、痛みとかゆみの間の疼痛がずっと続くなんて気がおかしくなる、それならいっそ自分で切り裂くか。新しい血が流れ、痛みに泣く方がずっと救われる。

 キタドレとテルカルの歪みが快感。
 ぞくぞくするし、きゅんきゅんする(笑)。

 このふたり、ゆがんだ関係演じるとすげー映える。そそる。
 テッドとクライドなんだ。そう思う。

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