今日は梅田で、『蘭寿とむラストデイ』を見てきました。

  らんとむさんがかっこよくて美しくて、かっこよすぎてあちこち恥ずかしくて(!)、この「きゃ~~っ!!」と恥ずかしい感じがもう「蘭寿とむ!!」で、最後の最後まで残らずきゃーきゃーな気持ちで堪能しました。

 こちらの精神状態がよくないため(3ヶ月半後にある某公演千秋楽のことを考えてしまう)、気持ちが千々に乱れ、らんとむさんのラストデイだけに集中出来なかった部分があり、それが悔しいです。

 わたしほんとに、長くらんとむを見てきたんだなあと思った。
 ラストの公演中継を見ているはずが、いろんなことが二重写しになるの。
 『ミケランジェロ』新公とか、阪急百貨店での若手スターのトークショーとか、『マノン』とか、『スカウト』とか。
 ちょんまげ姿で軍服着てた姿とか、毛布握ってた姿とか。
 当時のらんとむを思い、当時のタカラヅカを思い、当時の自分を思い出す。
 昔から一貫してカッコよかったし、昔からずーっと大人っていうか研20なんぼとか言われていた人だった。それでも今、昔を思い出すからこそわかる、今の磨き抜かれた、美しさ。
 人はここまで美しくなれるんだ、という。

 公演中もそんな感じだっただけに、サヨナラショーのあと、らんとむさんのメッセージ紹介と、そのとき流れる過去映像が胸熱でした。
 ライブビューイングだと、スクリーンいっぱいに映像が流れるのね。劇場で見ると、映像は緞帳の真ん中部分のみで、はしっこには組長さんがいるんだけど、映画館で映す場合は組長さんまで映す必要がないため、映像のみ全面。
 思い出のらんとむに、さおたさんのナレーションが心地いい。

 最後まで、らんとむはらんとむで、「蘭寿とむ」だった。
 そのことに、心から感謝する。敬服する。
 「蘭寿とむ」というのは名前ではなく、「生き方」なんだな。「蘭寿とむという生き方」。
 貫き通した姿が、光彩を放っている。

 寂しいけれど、清々しい気持ちが満ちる。
 胸に風が吹く。澱みを取り払い、浄化するような風。

 ああでもやっぱり、寂しいな。


 『ラストデイ』としての感想は、過去に見た『ラストデイ』よりも、らんとむ中心のカット割りだったなあという印象。
 芝居はともかくショーは、らんとむが出ているときは、カメラ固定ってな勢い。その場面のソロ歌手が誰かもわからない(笑)。今までの『ラストデイ』は、いちおー最低限の「状況確認」くらいは出来ていた記憶があるんだが……おぼえ違いかな。
 潔いまでの「らんとむカメラ」っぷりに、「ああ、これって『蘭寿とむラストデイ』だったな」と思い出した。確固たる視点、意志のある画面構成。
 …………トップスター以外を見たい人は、なにがなんでも劇場に行かなければだめなんだと、改めて思った。や、3ヶ月半後にある某公演千秋楽について。

日記内を検索