変化と経験。@ベルサイユのばら―オスカル編―
2014年5月28日 タカラヅカ 『ベルサイユのばら―オスカル編―』を初日のあとずーんと期間をおいて中日過ぎくらいにもう一度観て。
いちばん、「ごめんっ!!」と思ったのは、ベルナール@ちーちゃんだ。
初日に観たときは、たしかにがっかりしたの。
ベルナールは群衆のセンターに立つ役。人々を煽動して革命に向かわせる「指揮官」「英雄」ポジション。実際のベルナールがそういうキャラクタかどうかではなく、現在の『ベルばら』ではそーゆーことになっている。
だから、幕が開いてベルナールが歌い出し、民衆がそれに唱和する、その演出に相応しい「スター力」と「歌唱力」が必須。
そのどちらもない人がやると、「場面」に負けてしまう。
……初日のベルナールは、歌はありゃりゃだし求心力もないし、「スター演出」は、スターにやらせなきゃダメなんだな、脇の人じゃ無理なんだ、と肩を落とした。
ちーちゃんのことは好きだ。
宙組を観る楽しみのひとつ。ちーちゃんの美貌を愛でること。
単に好みの問題だとわかっちゃいるが、わたしは蓮水さんの顔が好きだ。宙組でもっとも美しい人だと思っている。彼がいまひとつうまくない人なのはわかっちゃいるが、それはそれとして、舞台上で彼を眺めているだけでうれしい、そういう位置の人だ。
新公主演していないからこそのおいしい別格スターとして、これから長く活躍してくれるのだと、期待していた。
宙組は路線スターの育成も不器用だけど、別格スター育成も得意ではない? ちーちゃんは学年のわりに場数を踏んでない印象。新公の代わりにワークショップ主演したけれど、この間のW主演バウでは技術の低さにびっくりした。
ここまで出来ていない、ことすら、本公演を観ているだけだとわかんなかったんだ。場を与えられないと見えないモノって、ある。かいちゃんだって、スカーレットをやるまでは、あそこまでへただって思ってなかったし。
つまり、これから、だ。経験値が低いために、こなせなかっただけ。かいちゃんが場を与えられてどんどんうまくなっているように、ちーちゃんもこれからだ。
いやその、彼のことは顔が好みであるゆえに、評価がとても甘いのです。(同類項:りくくん。顔が好みであるために、評価が甘い・笑)
今できないからといって、未来まで否定できない、きっとこれからよくなるはず。
と、思っていてなお、「あちゃー」と思った。
バウ主演してなお、この埋没したセンターっぷりなの……?
好きだから苦笑いで済ますけど、……そうでなかったら、きついなあ、これ。
それが初日の感想。
それがけっこう強く記憶に残っていたから、2度目の観劇では身がまえていた。
どんだけ埋没していても気にしない、ちーちゃんの美貌が堪能出来る、歌も台詞も聞ける、役のない植爺作品でゼイタク言ってらんない、こんなに大きな役をやるちーちゃんを堪能しよう。
そう思っていた。
が。
あ、あれ……?
なんか、思ってたのと、チガウ……?
ベルナールが、ちゃんとセンターだ。
埋没してたのに。あんなに残念だったのに。
ちーちゃんベルナールは、ちゃんと真ん中で輝いていた。市民たちを牽引していた。
歌も、そんなに弱くない。
圧倒的歌唱力で空間支配するわけじゃ、もちろんないけど、でも場面を壊すような歌声じゃない。
センターの英雄が歌っている、それが変じゃないくらいには、歌えている。
そしてこの場合、それだけ歌えれば十分! だってあとは演出で持ち上げ可能! ほとんどコーラスなわけだし。
うわああ、すっげー良くなってる!!
ごめん、ちーちゃんごめん、ぜんぜんダメだって決めつけてごめん!
やっぱり、場数の問題なんだ。場を与えられれば、ジェンヌは変わるんだ。場に相応しく成長していくんだ。だからナマ舞台は面白い、生徒の成長を見守るタカラヅカは面白い。
…………だからこそ。
こうして、経験さえ積めばよくなるのだと見せつけられたからこそ。
なんで卒業しちゃうんだよおおおっ。
これからじゃん。
これから、経験積んでもっともっと素敵なスターになるのに。
しょぼん。
初日だけしか観てなかったら、この感動はなかったんだよなあ。やっぱ初日だけだと諸刃の剣だよなー。すべての舞台を何度でも観られる、お金と時間と甲斐性が欲しい……ほろほろ。
えー、そいでもって。
今回の観劇で、いちばんうらやましかったのは、ロザリー@みりおんです。
ちーちゃんに守るように腰抱かれてるの見て、いいなあ、みりおん!! と思った……。うらやまー。
いちばん、「ごめんっ!!」と思ったのは、ベルナール@ちーちゃんだ。
初日に観たときは、たしかにがっかりしたの。
ベルナールは群衆のセンターに立つ役。人々を煽動して革命に向かわせる「指揮官」「英雄」ポジション。実際のベルナールがそういうキャラクタかどうかではなく、現在の『ベルばら』ではそーゆーことになっている。
だから、幕が開いてベルナールが歌い出し、民衆がそれに唱和する、その演出に相応しい「スター力」と「歌唱力」が必須。
そのどちらもない人がやると、「場面」に負けてしまう。
……初日のベルナールは、歌はありゃりゃだし求心力もないし、「スター演出」は、スターにやらせなきゃダメなんだな、脇の人じゃ無理なんだ、と肩を落とした。
ちーちゃんのことは好きだ。
宙組を観る楽しみのひとつ。ちーちゃんの美貌を愛でること。
単に好みの問題だとわかっちゃいるが、わたしは蓮水さんの顔が好きだ。宙組でもっとも美しい人だと思っている。彼がいまひとつうまくない人なのはわかっちゃいるが、それはそれとして、舞台上で彼を眺めているだけでうれしい、そういう位置の人だ。
新公主演していないからこそのおいしい別格スターとして、これから長く活躍してくれるのだと、期待していた。
宙組は路線スターの育成も不器用だけど、別格スター育成も得意ではない? ちーちゃんは学年のわりに場数を踏んでない印象。新公の代わりにワークショップ主演したけれど、この間のW主演バウでは技術の低さにびっくりした。
ここまで出来ていない、ことすら、本公演を観ているだけだとわかんなかったんだ。場を与えられないと見えないモノって、ある。かいちゃんだって、スカーレットをやるまでは、あそこまでへただって思ってなかったし。
つまり、これから、だ。経験値が低いために、こなせなかっただけ。かいちゃんが場を与えられてどんどんうまくなっているように、ちーちゃんもこれからだ。
いやその、彼のことは顔が好みであるゆえに、評価がとても甘いのです。(同類項:りくくん。顔が好みであるために、評価が甘い・笑)
今できないからといって、未来まで否定できない、きっとこれからよくなるはず。
と、思っていてなお、「あちゃー」と思った。
バウ主演してなお、この埋没したセンターっぷりなの……?
好きだから苦笑いで済ますけど、……そうでなかったら、きついなあ、これ。
それが初日の感想。
それがけっこう強く記憶に残っていたから、2度目の観劇では身がまえていた。
どんだけ埋没していても気にしない、ちーちゃんの美貌が堪能出来る、歌も台詞も聞ける、役のない植爺作品でゼイタク言ってらんない、こんなに大きな役をやるちーちゃんを堪能しよう。
そう思っていた。
が。
あ、あれ……?
なんか、思ってたのと、チガウ……?
ベルナールが、ちゃんとセンターだ。
埋没してたのに。あんなに残念だったのに。
ちーちゃんベルナールは、ちゃんと真ん中で輝いていた。市民たちを牽引していた。
歌も、そんなに弱くない。
圧倒的歌唱力で空間支配するわけじゃ、もちろんないけど、でも場面を壊すような歌声じゃない。
センターの英雄が歌っている、それが変じゃないくらいには、歌えている。
そしてこの場合、それだけ歌えれば十分! だってあとは演出で持ち上げ可能! ほとんどコーラスなわけだし。
うわああ、すっげー良くなってる!!
ごめん、ちーちゃんごめん、ぜんぜんダメだって決めつけてごめん!
やっぱり、場数の問題なんだ。場を与えられれば、ジェンヌは変わるんだ。場に相応しく成長していくんだ。だからナマ舞台は面白い、生徒の成長を見守るタカラヅカは面白い。
…………だからこそ。
こうして、経験さえ積めばよくなるのだと見せつけられたからこそ。
なんで卒業しちゃうんだよおおおっ。
これからじゃん。
これから、経験積んでもっともっと素敵なスターになるのに。
しょぼん。
初日だけしか観てなかったら、この感動はなかったんだよなあ。やっぱ初日だけだと諸刃の剣だよなー。すべての舞台を何度でも観られる、お金と時間と甲斐性が欲しい……ほろほろ。
えー、そいでもって。
今回の観劇で、いちばんうらやましかったのは、ロザリー@みりおんです。
ちーちゃんに守るように腰抱かれてるの見て、いいなあ、みりおん!! と思った……。うらやまー。