『こうもり』についてあれこれ語る。
 キャストのことはまたいずれ。
 今はひたすら作品のこと。

 これは、谷先生にも植爺にも、そして最近はマサツカにも感じることなのだけど。
 年配作家のみなさんは、プロットの密度が減ってるんじゃないか?

 物語の容量があるじゃないですか。
 空っぽの箱をイメージしてもいい。こんだけの大きさの箱があります、ここに好きなだけモノを詰めてください、と言われて、年配作家のみなさんだと、そこにろくになにも入れられない。箱の中、スッカスカ。えー、まだまだ入るよー? あれとかこれとか。と、傍から見たら思うけど、本人たちはドヤ顔で「空いてるなら詰め物をしよう」って隙間に紙パッキンとか詰めて隙間無くしちゃうの。
 たしかに隙間はなくなったけど……中身、少なっ。
 若い先生たちは、自分の体積考えずに箱に入りたがる猫みたいに、「いや、それ絶対入らないから!」と傍からストップかけたくなるくらい、無理に詰め込もうとするじゃん。きちんと整理整頓せずに積み上げて、フタが閉まらなくなったり、入らないモノを取りこぼしたままだったり。
 でもとりあえず、中身ぎっしり。めちゃくちゃだけど、すげーいっぱい。
 年配の先生方の物語は、容量のわりに、ストーリーが少ない。物語の尺を持てあましている。中身の少ない箱みたいに。

 『こうもり』のストーリー部分の少なさってなんなの。
 プロット短すぎ。
 90分かけてやるような話じゃない。
 谷せんせお得意のバウ3本立ての1話レベルのプロット量だ。
 30分相当の話を90分に引き延ばしているから、薄い薄い。
 テンポいい会話で成り立たせる笑い部分を、とにかく引き延ばさなきゃいけないから、ひたすら冗長にテンポ破壊して進めなくてはならない。オチのわかっているバカな会話を、えんえんえんえんダラダラダラダラと見せられる。そこはトントンっとオトして、次の笑いに行くべきだろうに……ああ、もう次がないのか。
 ダラダラやってる時間があるなら、エピソードを増やせばいいのに。キャラクタはいろいろいるんだから、膨らませばいい。掘り下げればいい。でも、それはせずに、だらーん、だらーん。とりあえず歌を入れて終わり。
 少ない中身に、紙パッキンで隙間埋めをするみたいに。
 通常のミュージカルのように、歌がストーリーならともかく、歌は歌でしかなく、歌がはじまると物語はストップする。一応ストーリーと関係しているのだけど、無駄に長いのでストーリーを進めるための歌というより「歌」が独立してしまう。
 そして、「歌」の合間にやっている芝居にしては、芝居部分が冗長。歌を入れるタイミングも悪い。歌が盛り上がる効果になってない。みちこが力技で「聴かせている」だけ。脚本と演出が足を引っ張っている。

 オープニングの長さに「谷キターー!」と思いました。こんだけ長々と本編に関係ないことをやるなら、エピソード増やせよ、物語を展開させろよと。

 密度の濃いプロットを作るのは体力と気力が必要なので、年配者には重労働で、簡単な方に逃げちゃうのかなと。
 エピソードが少ない方が、楽に物語を終わらせることが出来る。蛇足を付け加えるのではなく、きちんと本筋に関係あるエピソードを増やすというのは、単純な足し算ではなく、それによって全体に化学反応が起こるから、乗算とか二乗三乗とかになるのね。つまり、すっげー面倒。
 面倒なことはやりたくないのかな。いや、もうただシンプルに「出来ない」のかな。

 原作のオペラが他愛ない話なんです、という逃げはナシな。
 オペラはプロット自体は単純でも、他のところにメインがあるから成り立つんでしょう。むしろ、メインを盛り立てるためにシンプルなプロットが必要、必要だからシンプルになった、と方程式が最初から別なんじゃないの?

 原作がなんであれ、タカラヅカの舞台に持って来たんだから、タカラヅカとしてきちんと箱に収めるべきでは?
 せっかくの素敵な箱があるのに、中身スッカスカって、もったいなさすぎる。

 このプロットなら、30分でいい。
 ショー2本立ての間の短編でいいよ。

日記内を検索