初演『エリザベート』とわたし・その7。~革命トリオのあの場面~
2016年4月23日 タカラヅカ 年寄りなので昔話をする。
初演『エリザベート』についてあれこれがたがた。記憶を辿るのって年寄りには大事。
初演のナニが好きかって、不要な台詞がないこと。
再演を重ねるにつれ、いらん台詞がばんばん増えていくのが不満。
増えた台詞の大半は「説明台詞」。
なくていいのに、わざわざご丁寧に不自然に言葉を重ねて「説明」する。
シシィとパパの会話なんか、再演ごとに大袈裟になっていって不快だわー。
でも、いちばん手法的に「ひどいな」と思うのが、ハンガリーの革命家トリオの「無意味な名前呼び」。
フィクションの手法で、キャラクタ紹介をするために、わざと「名前を呼ぶ」てのがある。
作品中自然にそのキャラクタがどんな人なのか、立場や性格を紹介するのが理想だけど、作劇上の理由でそんなことしている暇がない。そういうときは手っ取り早く「名前を呼ぶ」。モブではない、名前があるんです、てことは役割りもあるんです、それは観客が自分で整理してね、こっちはとりあえず名前教えたからね。って。
わたしたち、日常会話ではあまり名前呼ばないじゃないですか。
すぐ目の前にいるのに、その人と会話しているのに、わざわざ「〇〇、そうだな」とは言わない。名前は省略して「そうだな」で済む。
なのに、不要なタイミングでわざわざ名前を呼ぶのは作為、会話している当人たちではなく、「それを観ている観客」に伝えるためにやっている。
それが、革命家トリオはことさらわざとらしい(笑)。
「エルマー、ハンガリー一の古い家柄の貴族がいいのか」
「シュテファン、協力してくれ」
というエルマーとシュテファンの互いへの呼びかけ1回ずつ、はいいと思う。
特にエルマーは観客が個別認識しなくてはならないキャラクタなので、彼の名を呼んでくれるのはいい。
会話はひとりでは成り立たないので、エルマーがシュテファンに語りかける1回もいい。
問題はそのあとだ。
彼らのプチ革命(笑)はエリザベート皇后の機転によって潰えた。
カーテン前で落胆する彼らが、名前連呼。
「エルマー」
「ジュラ、しっかりしろ」
「シュテファン」
……わー。ここでの会話の目的のひとつが「名前を何度も言って、観客におぼえてもらうこと」なんだなー、とわかって、萎える。
キャラ紹介のための名前連呼って、安い手法だなあ。
文章でもさ、「誰が喋っているのか」を示すためにいちばん簡単なのは、
「こんにちは」
と、エルマーが言った。
「こんにちは。いいお天気ですね」
と、シュテファンが返した。
「そうですね」
と、エルマーが言った。
「でも明日は雨が降るそうですよ」
と、シュテファンが言った。
てな風に、いちいち「 」のあとに"と、〇〇が言った。"を付けることよ。そう書けば絶対間違われずに済むけれど、こんな手法、不細工すぎるじゃん?
地の文の"と、〇〇が言った。"に相当するのが、「名前呼び」。
「こんにちは、シュテファンさん」
「こんにちは、エルマーさん。いいお天気ですね」
「そうですね、シュテファンさん」
「でも明日は雨が降るそうですよ、エルマーさん」
わかりやすければいいってもんじゃない、スマートじゃないよ、こんな手法。
特にわたし、カーテン前の革命家たちの、「ジュラ、しっかりしろ」の「ジュラ」が無理。
この「ジュラ」がなかったらまだ、ここまで作為を感じずに済んだと思う。
このカーテン前のやり取りで、もっとも不要っつーか、不自然なのが「ジュラ」なのよ。
目の前にいるんだから、「しっかりしろ」だけでいい。なのにわざわざ名前を呼ぶから、キモチ悪い。
ここで不自然に名前を呼ぶから、他の名前連呼もすべて作為に感じてしまう。
えー、初演には、このカーテン前の革命家トリオの会話(「やめろ、それはハンガリーの誇りだ」とか「誇りは皇后の手に落ちた」とかいうやつね)はありません。
革命失敗して打ちひしがれた3人に対し、トートが「長い沈黙のときは終わったのだ♪」と歌いかけ、3人は無言で立ち去っていく。
わざわざ「うわーー!(国旗ばーーん!)」とかやらなくても、3人の絶望とトートに操られている感は出たのになあ。
安い説明会話がないおかげで、台詞に頼らず芝居するわけだし。
ここの会話が宙組から付け加えられたのって、「革命家トリオの出番水増し」「ストーリー解説」のためよね? プラス、トリオの名前を観客におぼえさせるため。
初演ジュラ役のファンであったわたしは、「トリオ」なのにジュラは一度も名前呼んでもらえないし、エルマーは「シュテファン、協力してくれ」としか言わず、え? トリオなのにそんな扱い? と、不満だった。……ええ、不満でしたよ、ジュラの名前も呼んでくれよ、と。
でも、こんな学芸会みたいなやり取りで名前呼ぶことにしなくても……。
ジュラの名前を出したいなら、「シュテファン、協力してくれ」のところで、「シュテファン、ジュラ、協力してくれ」にするべきだ。
番手大事なタカラヅカ、シュテファンとジュラの序列を付けるために、ここでシュテファンの名前しか呼べないんだろうけど、不自然だなあと思うよ。
シュテファンにだけ決意表明みたいに頷きかけるのに、革命の同志はシュテファンだけみたいなのに、落胆場面には何故かもうひとりいるし……誰? と思われるから、そこですかさず「ジュラ、しっかりしろ」が入るんだろうけど。
やだなあ、ここの説明台詞会話。
せめて「ジュラ」だけ取ってくれないかなあ。ジュラの名前はどこか別のとこで呼びかけてさ。シュテファンと同列にしないために、あとの方でこっそりとでいいからさ。
余計な説明会話もなく、出番も今より短いけれど。
初演のエルマー@たかこの「若手スター」感が好きだ。
エルマーが出て来た瞬間、「主要キャストのひとりだ」とわかる。
イケコがタカラヅカ版『エリザベート』のために書き下ろした役。タカラヅカがタカラヅカであるための、いかにも「タカラヅカ」らしい役。
それが、たかこにぴったり合っていた。
本家にない役だから、なくてもいい役、本筋に関係ない役、なんだけど。
それでも「主要な役」だと思わせる、スターの輝き。
まあその、2幕のヒゲエルマーが似合っていたかというと微妙なんだけど、ヒゲだけ付けても若造芝居のままでペラくてつらいですよとか、言いたいことはあるにしろ(笑)、たかこエルマー好き。
彼の持つ硬質さ、融通のきかなさ、潔癖さみたいなものが、エルマーという青年にキリキリと不穏な音をどこかしらたてている感じ。
エルマーにしろルドルフにしろ、「破滅の予感」を漂わせている方が好みだ。
そんな風に見えない力強さや明るさがあっても、その奥にちらりちらりと、死の影が見えるような。
もう初演の演出に戻ることはないんだろう。
ソレは仕方ないと思っている。
……だからほんとに「ジュラ」だけ削ってくんないかなあ……。(しつこい)
初演『エリザベート』についてあれこれがたがた。記憶を辿るのって年寄りには大事。
初演のナニが好きかって、不要な台詞がないこと。
再演を重ねるにつれ、いらん台詞がばんばん増えていくのが不満。
増えた台詞の大半は「説明台詞」。
なくていいのに、わざわざご丁寧に不自然に言葉を重ねて「説明」する。
シシィとパパの会話なんか、再演ごとに大袈裟になっていって不快だわー。
でも、いちばん手法的に「ひどいな」と思うのが、ハンガリーの革命家トリオの「無意味な名前呼び」。
フィクションの手法で、キャラクタ紹介をするために、わざと「名前を呼ぶ」てのがある。
作品中自然にそのキャラクタがどんな人なのか、立場や性格を紹介するのが理想だけど、作劇上の理由でそんなことしている暇がない。そういうときは手っ取り早く「名前を呼ぶ」。モブではない、名前があるんです、てことは役割りもあるんです、それは観客が自分で整理してね、こっちはとりあえず名前教えたからね。って。
わたしたち、日常会話ではあまり名前呼ばないじゃないですか。
すぐ目の前にいるのに、その人と会話しているのに、わざわざ「〇〇、そうだな」とは言わない。名前は省略して「そうだな」で済む。
なのに、不要なタイミングでわざわざ名前を呼ぶのは作為、会話している当人たちではなく、「それを観ている観客」に伝えるためにやっている。
それが、革命家トリオはことさらわざとらしい(笑)。
「エルマー、ハンガリー一の古い家柄の貴族がいいのか」
「シュテファン、協力してくれ」
というエルマーとシュテファンの互いへの呼びかけ1回ずつ、はいいと思う。
特にエルマーは観客が個別認識しなくてはならないキャラクタなので、彼の名を呼んでくれるのはいい。
会話はひとりでは成り立たないので、エルマーがシュテファンに語りかける1回もいい。
問題はそのあとだ。
彼らのプチ革命(笑)はエリザベート皇后の機転によって潰えた。
カーテン前で落胆する彼らが、名前連呼。
「エルマー」
「ジュラ、しっかりしろ」
「シュテファン」
……わー。ここでの会話の目的のひとつが「名前を何度も言って、観客におぼえてもらうこと」なんだなー、とわかって、萎える。
キャラ紹介のための名前連呼って、安い手法だなあ。
文章でもさ、「誰が喋っているのか」を示すためにいちばん簡単なのは、
「こんにちは」
と、エルマーが言った。
「こんにちは。いいお天気ですね」
と、シュテファンが返した。
「そうですね」
と、エルマーが言った。
「でも明日は雨が降るそうですよ」
と、シュテファンが言った。
てな風に、いちいち「 」のあとに"と、〇〇が言った。"を付けることよ。そう書けば絶対間違われずに済むけれど、こんな手法、不細工すぎるじゃん?
地の文の"と、〇〇が言った。"に相当するのが、「名前呼び」。
「こんにちは、シュテファンさん」
「こんにちは、エルマーさん。いいお天気ですね」
「そうですね、シュテファンさん」
「でも明日は雨が降るそうですよ、エルマーさん」
わかりやすければいいってもんじゃない、スマートじゃないよ、こんな手法。
特にわたし、カーテン前の革命家たちの、「ジュラ、しっかりしろ」の「ジュラ」が無理。
この「ジュラ」がなかったらまだ、ここまで作為を感じずに済んだと思う。
このカーテン前のやり取りで、もっとも不要っつーか、不自然なのが「ジュラ」なのよ。
目の前にいるんだから、「しっかりしろ」だけでいい。なのにわざわざ名前を呼ぶから、キモチ悪い。
ここで不自然に名前を呼ぶから、他の名前連呼もすべて作為に感じてしまう。
えー、初演には、このカーテン前の革命家トリオの会話(「やめろ、それはハンガリーの誇りだ」とか「誇りは皇后の手に落ちた」とかいうやつね)はありません。
革命失敗して打ちひしがれた3人に対し、トートが「長い沈黙のときは終わったのだ♪」と歌いかけ、3人は無言で立ち去っていく。
わざわざ「うわーー!(国旗ばーーん!)」とかやらなくても、3人の絶望とトートに操られている感は出たのになあ。
安い説明会話がないおかげで、台詞に頼らず芝居するわけだし。
ここの会話が宙組から付け加えられたのって、「革命家トリオの出番水増し」「ストーリー解説」のためよね? プラス、トリオの名前を観客におぼえさせるため。
初演ジュラ役のファンであったわたしは、「トリオ」なのにジュラは一度も名前呼んでもらえないし、エルマーは「シュテファン、協力してくれ」としか言わず、え? トリオなのにそんな扱い? と、不満だった。……ええ、不満でしたよ、ジュラの名前も呼んでくれよ、と。
でも、こんな学芸会みたいなやり取りで名前呼ぶことにしなくても……。
ジュラの名前を出したいなら、「シュテファン、協力してくれ」のところで、「シュテファン、ジュラ、協力してくれ」にするべきだ。
番手大事なタカラヅカ、シュテファンとジュラの序列を付けるために、ここでシュテファンの名前しか呼べないんだろうけど、不自然だなあと思うよ。
シュテファンにだけ決意表明みたいに頷きかけるのに、革命の同志はシュテファンだけみたいなのに、落胆場面には何故かもうひとりいるし……誰? と思われるから、そこですかさず「ジュラ、しっかりしろ」が入るんだろうけど。
やだなあ、ここの説明台詞会話。
せめて「ジュラ」だけ取ってくれないかなあ。ジュラの名前はどこか別のとこで呼びかけてさ。シュテファンと同列にしないために、あとの方でこっそりとでいいからさ。
余計な説明会話もなく、出番も今より短いけれど。
初演のエルマー@たかこの「若手スター」感が好きだ。
エルマーが出て来た瞬間、「主要キャストのひとりだ」とわかる。
イケコがタカラヅカ版『エリザベート』のために書き下ろした役。タカラヅカがタカラヅカであるための、いかにも「タカラヅカ」らしい役。
それが、たかこにぴったり合っていた。
本家にない役だから、なくてもいい役、本筋に関係ない役、なんだけど。
それでも「主要な役」だと思わせる、スターの輝き。
まあその、2幕のヒゲエルマーが似合っていたかというと微妙なんだけど、ヒゲだけ付けても若造芝居のままでペラくてつらいですよとか、言いたいことはあるにしろ(笑)、たかこエルマー好き。
彼の持つ硬質さ、融通のきかなさ、潔癖さみたいなものが、エルマーという青年にキリキリと不穏な音をどこかしらたてている感じ。
エルマーにしろルドルフにしろ、「破滅の予感」を漂わせている方が好みだ。
そんな風に見えない力強さや明るさがあっても、その奥にちらりちらりと、死の影が見えるような。
もう初演の演出に戻ることはないんだろう。
ソレは仕方ないと思っている。
……だからほんとに「ジュラ」だけ削ってくんないかなあ……。(しつこい)