はばたき続ける音。@花組公演千秋楽。
2007年11月3日 タカラヅカ 退団者の挨拶ってのは、どーしてこうも泣けるのだろう。
知らない下級生の挨拶にだって、泣けるんだ。
愛着のある人だったりすると、さらに涙腺が壊れるよー。
花組公演千秋楽の退団者挨拶の、トップバッターは立さんだった。
40年近くタカラヅカの舞台に立ち続けてきた人。その存在感、たしかで、そしてあたたかみのある演技。
この世界に、なくてはならない人。
それまで漠然としか考えてこなかったのに、袴姿を見て、「辞めちゃやだ!!」と、叫びたくなった。
美しい姿だった。張りのある声が響いていた。
「けじめの時」
という言葉が、重く響いた。
生き甲斐であり、誇りである花園を去るときに、この言葉を口に出来る人の、強さと清々しさを見た。
きよみはわたしが花担になって最初におぼえた下級生たちのひとりだ。
舞台の上での欠点はいくつかあれど、それに目をつぷることができるくらい、ちゃんと魅力を持った男役だった。
笑顔のやさしさ、くずれっぷりが好き。甘い二枚目と悪役が似合うガタイと、黒さ。
色悪ができる貴重な若手。
「楽な道ではなかった」と語る彼が、その越えてきた道のりひとつひとつを血肉に替えて、さらに美しい人生を歩めることを心から祈る。
ひーさんは、元雪担のわたしがよく知る花娘のひとり。ええ、彼女がビキニで踊った『ノバ・ボサ・ノバ』はヘヴィ・リピートしてましたから!
ダンスの善し悪しよりわたしは役者としての「声」が好きだったな。的確に演じることのできる女役さん。
「誠意と根性と努力をという教えを胸に」歩いてきたという彼女。根性と努力はときに無神経になりがちなもの、それを誠意で持って生きたというなら、彼女の軌跡は自ずからキラキラと輝くだろう。その真っ白な笑顔そのままに。
「舞台が好きです! 宝塚が大好きです!」……その第一声で、泣けてしょうがないんですが、としこさん。
踊ることで場の色を替えることのできる、貴重なダンサーだった。わたしが愛してやまない『マラケシュ』はこの人あってこそ生み出された。
色気はなくても「いい女」は演じられる。鍛え上げられた、という女役らしからぬ形容が浮かんでしまう、すばらしい女役さん。
組長が読んだ「本人からのメッセージ」のユーモアセンスが大好きだ(笑)。
みんなみんな、いい挨拶だ。
みんなみんな、しあわせになれ。
泣きながら思う。
そして、寿美礼サマは。
えーと。
あまりに、「春野寿美礼」で。
わたしはちょっと、泣き笑いしました。
「タカラヅカでの最後の夢、卒業です」
夢ときたか。
ほんとに、しあわせなんだろうな。
仕事自体は大変で、痩せちゃって、きっとつらいのだろうけれど。それでもしあわせなのもほんとうなんだろう。
そこにいるのは、「春野寿美礼」ではなく、限りなく「オサちゃん」で。オサダマサコさんで。
カーテンコールでぐだぐだになっていく様とか、まとっていたものをどんどん足元に落として、素の顔になっていくようで。
もう、「アイシテルヨー」とか「*階のお客さんイエーイ!」とか、「舞台人」としての演技やパフォーマンスをしようとしない。
ただ、「しあわせ」を噛みしめている、ひとりの女性がいる。
や、他の退団するトップスターさんは、最後まで芸名を演じていたよ。わたしの知る限り。
ここまで、素になってしまう人は、知らない。
ああもう、ダメダメだなあ、そういうとこ。
気分次第の舞台をし、暴走したり流したり、好き勝手やって来た「天才」春野寿美礼。
最後まで、そんなふうなんだ。
がっくりと肩を落とし、それでも、そんなところすら、愛しくて仕方がない。
ああもお、好きだ。
大好きだ。
好きにやってくれ。
アナタがなにをしたって、どうしたって、好きでいるから。
ついて行くから。
終演後、疲れた身体に鞭打って、パレードの場所取りに並ぶ。
なんか信じられないくらいいい場所を取れてしまい、歩く退団者が目の前だ。……や、オレの身長のせいもあるけどさ。周囲の人よりアタマひとつでかかったからな。(ヒール着用)
袴姿で現れたオサ様は、信じられないくらい、美しくて。
自身が輝いている。発光している。
てゆーか、透き通っている。
彼のカラダ越しに、向こう側が見えそうだ。
なにか、どこか、別の世界へいってしまいそうだ。
カテコに引き続き、とてもくつろいだ笑顔で……泣き出してしまうのもまた、芸名を離れた素の顔になっているからだろう。
愛されて。ただ、愛されて。
いいんだよ、どれだけの愛を受けても、それは当然だから。アナタはそれに相応しい人だから。
それだけのものを、与えてくれた人だから。
今も、与え続けてくれているから。
わたしは、携帯を買い換えようと決めている。寿美礼サマが退団したら。来年になったら。
今使っている携帯は、ケロの卒業直後に買ったものだ。寿美礼サマに惚れ込んだ歴史が詰まっている。
忘れもしない博多座で、見知らぬオサファンの人とリュドヴィーク観で盛り上がった。彼女はわたしの携帯と色違い、ゴールドの携帯を持っていた。共に発売直後に購入した新型の携帯だ。
「花組カラーだよね」
とわたしが自分の携帯をさしていえば、その彼女は自分のゴールドの携帯をさして、
「リュドヴィーク色」
と胸を張って答える。
リュドヴィークのスーツの色。たしかに、まさにその色だ。
kineさんと一緒にデザートローズを探して歩いた「愛・地球博」も。
先日は「プチ・ミュージアム」に行って、オサコンの「オサダくん」等身大パネルと一緒に記念撮影もした。
オサ様との想い出の写真データが、詰まっている。
オサ様卒業と共に買い換えようと決めている携帯だから、とりあえずシャッターを押した。目の前に立つオサ様を写すために。
や、携帯のカメラごときで、夜にまともな写真が撮れるはずもない。
それでも「この携帯はオサ様と共にあるから」という想いで、シャッターを切った。
携帯を変えても、忘れるワケじゃない。終わるワケじゃない。
ただ、わたし自身の心のために、「記念品」を作る。
「男が替わるたび、携帯を替える女かよ」と、弟にはぬるい目で見られましたがね。
いいのよ、まちがってないわ、その認識!
オサ様のオープンカーが動き出し、その動きに従って拍手が波のように起こる。
もう見えなくなってしまったそのあとも、拍手の音が聞こえる。
「拍手って飛べない鳥のはばたきのようだね」
……繰り返し浮かぶフレーズ。
わたしはただ拍手を続け、胸を焦がし続ける。
翼ある人の飛ぶ、空に向かって。
知らない下級生の挨拶にだって、泣けるんだ。
愛着のある人だったりすると、さらに涙腺が壊れるよー。
花組公演千秋楽の退団者挨拶の、トップバッターは立さんだった。
40年近くタカラヅカの舞台に立ち続けてきた人。その存在感、たしかで、そしてあたたかみのある演技。
この世界に、なくてはならない人。
それまで漠然としか考えてこなかったのに、袴姿を見て、「辞めちゃやだ!!」と、叫びたくなった。
美しい姿だった。張りのある声が響いていた。
「けじめの時」
という言葉が、重く響いた。
生き甲斐であり、誇りである花園を去るときに、この言葉を口に出来る人の、強さと清々しさを見た。
きよみはわたしが花担になって最初におぼえた下級生たちのひとりだ。
舞台の上での欠点はいくつかあれど、それに目をつぷることができるくらい、ちゃんと魅力を持った男役だった。
笑顔のやさしさ、くずれっぷりが好き。甘い二枚目と悪役が似合うガタイと、黒さ。
色悪ができる貴重な若手。
「楽な道ではなかった」と語る彼が、その越えてきた道のりひとつひとつを血肉に替えて、さらに美しい人生を歩めることを心から祈る。
ひーさんは、元雪担のわたしがよく知る花娘のひとり。ええ、彼女がビキニで踊った『ノバ・ボサ・ノバ』はヘヴィ・リピートしてましたから!
ダンスの善し悪しよりわたしは役者としての「声」が好きだったな。的確に演じることのできる女役さん。
「誠意と根性と努力をという教えを胸に」歩いてきたという彼女。根性と努力はときに無神経になりがちなもの、それを誠意で持って生きたというなら、彼女の軌跡は自ずからキラキラと輝くだろう。その真っ白な笑顔そのままに。
「舞台が好きです! 宝塚が大好きです!」……その第一声で、泣けてしょうがないんですが、としこさん。
踊ることで場の色を替えることのできる、貴重なダンサーだった。わたしが愛してやまない『マラケシュ』はこの人あってこそ生み出された。
色気はなくても「いい女」は演じられる。鍛え上げられた、という女役らしからぬ形容が浮かんでしまう、すばらしい女役さん。
組長が読んだ「本人からのメッセージ」のユーモアセンスが大好きだ(笑)。
みんなみんな、いい挨拶だ。
みんなみんな、しあわせになれ。
泣きながら思う。
そして、寿美礼サマは。
えーと。
あまりに、「春野寿美礼」で。
わたしはちょっと、泣き笑いしました。
「タカラヅカでの最後の夢、卒業です」
夢ときたか。
ほんとに、しあわせなんだろうな。
仕事自体は大変で、痩せちゃって、きっとつらいのだろうけれど。それでもしあわせなのもほんとうなんだろう。
そこにいるのは、「春野寿美礼」ではなく、限りなく「オサちゃん」で。オサダマサコさんで。
カーテンコールでぐだぐだになっていく様とか、まとっていたものをどんどん足元に落として、素の顔になっていくようで。
もう、「アイシテルヨー」とか「*階のお客さんイエーイ!」とか、「舞台人」としての演技やパフォーマンスをしようとしない。
ただ、「しあわせ」を噛みしめている、ひとりの女性がいる。
や、他の退団するトップスターさんは、最後まで芸名を演じていたよ。わたしの知る限り。
ここまで、素になってしまう人は、知らない。
ああもう、ダメダメだなあ、そういうとこ。
気分次第の舞台をし、暴走したり流したり、好き勝手やって来た「天才」春野寿美礼。
最後まで、そんなふうなんだ。
がっくりと肩を落とし、それでも、そんなところすら、愛しくて仕方がない。
ああもお、好きだ。
大好きだ。
好きにやってくれ。
アナタがなにをしたって、どうしたって、好きでいるから。
ついて行くから。
終演後、疲れた身体に鞭打って、パレードの場所取りに並ぶ。
なんか信じられないくらいいい場所を取れてしまい、歩く退団者が目の前だ。……や、オレの身長のせいもあるけどさ。周囲の人よりアタマひとつでかかったからな。(ヒール着用)
袴姿で現れたオサ様は、信じられないくらい、美しくて。
自身が輝いている。発光している。
てゆーか、透き通っている。
彼のカラダ越しに、向こう側が見えそうだ。
なにか、どこか、別の世界へいってしまいそうだ。
カテコに引き続き、とてもくつろいだ笑顔で……泣き出してしまうのもまた、芸名を離れた素の顔になっているからだろう。
愛されて。ただ、愛されて。
いいんだよ、どれだけの愛を受けても、それは当然だから。アナタはそれに相応しい人だから。
それだけのものを、与えてくれた人だから。
今も、与え続けてくれているから。
わたしは、携帯を買い換えようと決めている。寿美礼サマが退団したら。来年になったら。
今使っている携帯は、ケロの卒業直後に買ったものだ。寿美礼サマに惚れ込んだ歴史が詰まっている。
忘れもしない博多座で、見知らぬオサファンの人とリュドヴィーク観で盛り上がった。彼女はわたしの携帯と色違い、ゴールドの携帯を持っていた。共に発売直後に購入した新型の携帯だ。
「花組カラーだよね」
とわたしが自分の携帯をさしていえば、その彼女は自分のゴールドの携帯をさして、
「リュドヴィーク色」
と胸を張って答える。
リュドヴィークのスーツの色。たしかに、まさにその色だ。
kineさんと一緒にデザートローズを探して歩いた「愛・地球博」も。
先日は「プチ・ミュージアム」に行って、オサコンの「オサダくん」等身大パネルと一緒に記念撮影もした。
オサ様との想い出の写真データが、詰まっている。
オサ様卒業と共に買い換えようと決めている携帯だから、とりあえずシャッターを押した。目の前に立つオサ様を写すために。
や、携帯のカメラごときで、夜にまともな写真が撮れるはずもない。
それでも「この携帯はオサ様と共にあるから」という想いで、シャッターを切った。
携帯を変えても、忘れるワケじゃない。終わるワケじゃない。
ただ、わたし自身の心のために、「記念品」を作る。
「男が替わるたび、携帯を替える女かよ」と、弟にはぬるい目で見られましたがね。
いいのよ、まちがってないわ、その認識!
オサ様のオープンカーが動き出し、その動きに従って拍手が波のように起こる。
もう見えなくなってしまったそのあとも、拍手の音が聞こえる。
「拍手って飛べない鳥のはばたきのようだね」
……繰り返し浮かぶフレーズ。
わたしはただ拍手を続け、胸を焦がし続ける。
翼ある人の飛ぶ、空に向かって。