黒い翼は夢を飛ぶ。@エル・アルコン−鷹−
2007年11月25日 タカラヅカ「ひどい主人公でどうなるかと思ったけれど、最後に改心してくれてよかったわ(笑)」
とゆー会話が耳に入り、気が遠くなったりもした、『エル・アルコン−鷹−』。
してないからっ。改心なんてこれっぽちもしてない……つーか、そもそもそーゆー次元の話ぢゃないから。
あー、うー、最後に白い衣装で現れたからかなあ、「改心した」とかいう誤解を生んでいるのって。
悪人が死んで改心する話、だと受け取る人がいることへの衝撃。
いやあ、人間って人間の数だけ感じ方があるんだよなあ。すげえなあ。
アクロバティックなサーカス的ド派手オープニングの直後、野望の人ティリアン@トウコと彼を慕う少年ニコラス@ゆかりとのふたりきり場面になる。
「罪」と「野心」を載せた黒い翼……しかしここで歌うのは一転して「七つの海七つの空」……夢だ。
ええ、2回目は幕開きから泣いてますが、ここでもガーガー泣けます。
ひたすら「強い」オープニングのあと、「純粋な夢」を歌う美しいシーンになるわけですよ。
彼は、鷹なんだ。
大きな翼で空を飛ぶ。
小動物を捕らえて喰らう。
何故、飛ぶのか。
何故、弱者を喰らうのか。
鷹にそんなことを問うても無意味だ。
だって、鷹だから。
そうすることが本能であり、それが「彼が彼で在ること」なんだ。
ティリアンを「悪」と感じるのは、人間の勝手な尺度でしかない。
巣に掛かった蝶を喰べる蜘蛛を「悪」、喰べられる蝶を「可哀想」と感じるのと同じ。
わたしは人間だからもちろん彼を「悪」だと思うが、それとは別に彼の生き方を認めている。
彼が彼で在ること。
ただそれだけの物語のせつなさを、噛みしめている。
そんなふうにしか生きられない……その、「業」のようなものを感じ、泣けて仕方がない。
この物語は、「七つの海七つの空」に憑かれた者たちの物語でもある。
ティリアンも、ギルダ@あすかも、そしてレッド@れおんも、みな「海」と「自由」に憑かれ、焦がれている。
何故彼らが「海」に魅せられるのか、理由はない。
彼らの魂のカタチである、としか言いようがない。
鷹がその翼で空を飛ぶのと同じ。
彼らは、他の誰でもない彼らだから、海に生き、海に死んでいくんだ。
それは善悪という次元の話ではない。
ミミズがミミズに生まれミミズとして生き、オケラがオケラに生まれオケラとして生き、アメンボがアメンボとして生まれ死ぬ、そーゆー次元の話だ。
7年間土の中にいて、ひと夏だけ精一杯鳴いて死んでいく蝉に、善悪を解いても仕方がない。
そーゆー次元の話ではないが、蝉の一生を思うとなにかしらせつないものを感じる、てゆーのが人間で。
『エル・アルコン−鷹−』全体に感じるせつなさは、「彼が彼で在ること」に対するせつなさだ。
ティリアンを悪だと思い、それでも美しいと思い、それでもそんなふうにしか生きられない彼に涙する。
志半ばで散っていく最期を知っているから「可哀想」で泣けるのではない。ティリアンは別に「可哀想」な人ではない。
「自分」がなんであるかを知り、そのためにまっすぐに生きた、ただ今回は力足りずに倒れた……それはちっとも哀れではない。
無念だろうと思うけれど、憐憫ではない。
鷹は自由に己れの翼で飛んだのだから。
「自分」がなんなのか、自分の居場所は、行きたい場所はどこなのか、わからずにただなんとなく漂っている多くの人間たちに比べ、目的を持って飛び、前のめりに倒れた夢追い人の、どこが哀れだというのか。
彼は幸福だ。
幸福で、そして、孤独な人だ。
自分がなんであるかもわからず、わからなくてもなにも感じず漂っている者たちとちがい、明確なビジョンが見えている彼は、ひとりちがう世界にいる。
他の人間たちが知らない美しい光景を知っているかわり、他の人間たちが受けることのない痛みを背負い、血を流しながらも前へ進もうとしている。
彼が彼で在ること。
ただそれだけの、せつなさ。
ニコラスとの関係を描くエピソードが欲しいのはほんとうだが、この最初の「夢」を語る場面があるのだから、それだけで十分っちゃ十分なのかもしれない、と思う。
ティリアンが他人に「七つの海七つの空」を語るのは、ニコラスとギルダにのみだからだ。
それだけで、彼らが「特別」であることはわかる。
描く必要があるのは「ニコラスが誰か」であって、彼との個人的なエピソードではないな、と観劇2回目以降思った。
台詞の応酬でいいから、ニコラスが子どもの頃にティリアンに助けられ、以後恩人として敬愛し、成長した今ティリアンの片腕を務めるよーになったんだ、つーことを入れるべきだ。
説明台詞になっちゃうけどさー。エピソードを描くヒマがないなら、キャラ説明だけでもしよーよー。「アンタ誰??」状態だよ、いきなり出てこられても。
ある意味光源氏と紫の上だっつーことを、観客に示そうよ。
冒頭のこの場面だけでも、ニコラス役に演技力があれば、もっとなんとかなったと思う。
だが如何せん、演じているのはゆかりくんだ。美貌は七難隠す、つーことでゆかりくんはゆかりくんだからいいんだが、「脚本に書いてある」以上のモノを出す力はない。
ゆかりくんに合わせて、もっとわかりやすくするべきなんぢゃないかなぁ、ニコラス役。
まあ、脚本の足りない部分、ゆかりくんの足りない部分を全部背負って、トウコがガンガンいってるから、それはソレでいいのかな。
幕開きからここまでダダ泣きなのに、次の「♪プリマス プリマス♪」のシーンで涙は引っ込む。
いやその、星組、アンサンブルすごすぎ。
ええっと、コーラスもすごいけど、ソロもそれぞれ、けっこーすごくないか……?
どういう基準で選んでいるんだろう。
ふつーアンサンブルにしろソロ歌手にしろ、歌がうまい人がやるもんだけど、星組は、キャラ(個性)で選んでる?
いやあ、いいなあ。一気に正気に返るっていうか、みんな小芝居やりすぎてて、メロディは奔放(笑)で。
水輝涼ひとりぢゃどーにもなんねーなー、ここのものすごさは(笑)。
や、誉めてます。
そりゃ歌はうまいにこしたことないが、多少アレでも芝居の中として雰囲気出てるから。
たのしいから好き。
どこ見ていいか迷う。
こっから先は、「キャラもの」として、それぞれのキャラクタのハマりっぷりを堪能。
エドウィン@すずみんのお貴族サマぶりとか!
あーもー、すずみんステキ〜〜、なんなのあのキラキラ。さすがジェローデル役者、お貴族サマ似合い過ぎ。
ペネロープ@コトコトのお人形さんぶりとか。
まさしく貴族の令嬢、気位の高いお姫様。世間知らずの壊れ物っぽいところがたまりません。
てゆーかマスターズ@あかしの美貌は、なんなんですか。
やばい、やばいっすよ彼!! かっこよすぎ。原作まんまの髪型、すげえ。
てなふーに。
次にせつなさに胸を焦がすのは、ティリアンとギルダの心が近づいてからだ。
つーことで、続く。
とゆー会話が耳に入り、気が遠くなったりもした、『エル・アルコン−鷹−』。
してないからっ。改心なんてこれっぽちもしてない……つーか、そもそもそーゆー次元の話ぢゃないから。
あー、うー、最後に白い衣装で現れたからかなあ、「改心した」とかいう誤解を生んでいるのって。
悪人が死んで改心する話、だと受け取る人がいることへの衝撃。
いやあ、人間って人間の数だけ感じ方があるんだよなあ。すげえなあ。
アクロバティックなサーカス的ド派手オープニングの直後、野望の人ティリアン@トウコと彼を慕う少年ニコラス@ゆかりとのふたりきり場面になる。
「罪」と「野心」を載せた黒い翼……しかしここで歌うのは一転して「七つの海七つの空」……夢だ。
ええ、2回目は幕開きから泣いてますが、ここでもガーガー泣けます。
ひたすら「強い」オープニングのあと、「純粋な夢」を歌う美しいシーンになるわけですよ。
彼は、鷹なんだ。
大きな翼で空を飛ぶ。
小動物を捕らえて喰らう。
何故、飛ぶのか。
何故、弱者を喰らうのか。
鷹にそんなことを問うても無意味だ。
だって、鷹だから。
そうすることが本能であり、それが「彼が彼で在ること」なんだ。
ティリアンを「悪」と感じるのは、人間の勝手な尺度でしかない。
巣に掛かった蝶を喰べる蜘蛛を「悪」、喰べられる蝶を「可哀想」と感じるのと同じ。
わたしは人間だからもちろん彼を「悪」だと思うが、それとは別に彼の生き方を認めている。
彼が彼で在ること。
ただそれだけの物語のせつなさを、噛みしめている。
そんなふうにしか生きられない……その、「業」のようなものを感じ、泣けて仕方がない。
この物語は、「七つの海七つの空」に憑かれた者たちの物語でもある。
ティリアンも、ギルダ@あすかも、そしてレッド@れおんも、みな「海」と「自由」に憑かれ、焦がれている。
何故彼らが「海」に魅せられるのか、理由はない。
彼らの魂のカタチである、としか言いようがない。
鷹がその翼で空を飛ぶのと同じ。
彼らは、他の誰でもない彼らだから、海に生き、海に死んでいくんだ。
それは善悪という次元の話ではない。
ミミズがミミズに生まれミミズとして生き、オケラがオケラに生まれオケラとして生き、アメンボがアメンボとして生まれ死ぬ、そーゆー次元の話だ。
7年間土の中にいて、ひと夏だけ精一杯鳴いて死んでいく蝉に、善悪を解いても仕方がない。
そーゆー次元の話ではないが、蝉の一生を思うとなにかしらせつないものを感じる、てゆーのが人間で。
『エル・アルコン−鷹−』全体に感じるせつなさは、「彼が彼で在ること」に対するせつなさだ。
ティリアンを悪だと思い、それでも美しいと思い、それでもそんなふうにしか生きられない彼に涙する。
志半ばで散っていく最期を知っているから「可哀想」で泣けるのではない。ティリアンは別に「可哀想」な人ではない。
「自分」がなんであるかを知り、そのためにまっすぐに生きた、ただ今回は力足りずに倒れた……それはちっとも哀れではない。
無念だろうと思うけれど、憐憫ではない。
鷹は自由に己れの翼で飛んだのだから。
「自分」がなんなのか、自分の居場所は、行きたい場所はどこなのか、わからずにただなんとなく漂っている多くの人間たちに比べ、目的を持って飛び、前のめりに倒れた夢追い人の、どこが哀れだというのか。
彼は幸福だ。
幸福で、そして、孤独な人だ。
自分がなんであるかもわからず、わからなくてもなにも感じず漂っている者たちとちがい、明確なビジョンが見えている彼は、ひとりちがう世界にいる。
他の人間たちが知らない美しい光景を知っているかわり、他の人間たちが受けることのない痛みを背負い、血を流しながらも前へ進もうとしている。
彼が彼で在ること。
ただそれだけの、せつなさ。
ニコラスとの関係を描くエピソードが欲しいのはほんとうだが、この最初の「夢」を語る場面があるのだから、それだけで十分っちゃ十分なのかもしれない、と思う。
ティリアンが他人に「七つの海七つの空」を語るのは、ニコラスとギルダにのみだからだ。
それだけで、彼らが「特別」であることはわかる。
描く必要があるのは「ニコラスが誰か」であって、彼との個人的なエピソードではないな、と観劇2回目以降思った。
台詞の応酬でいいから、ニコラスが子どもの頃にティリアンに助けられ、以後恩人として敬愛し、成長した今ティリアンの片腕を務めるよーになったんだ、つーことを入れるべきだ。
説明台詞になっちゃうけどさー。エピソードを描くヒマがないなら、キャラ説明だけでもしよーよー。「アンタ誰??」状態だよ、いきなり出てこられても。
ある意味光源氏と紫の上だっつーことを、観客に示そうよ。
冒頭のこの場面だけでも、ニコラス役に演技力があれば、もっとなんとかなったと思う。
だが如何せん、演じているのはゆかりくんだ。美貌は七難隠す、つーことでゆかりくんはゆかりくんだからいいんだが、「脚本に書いてある」以上のモノを出す力はない。
ゆかりくんに合わせて、もっとわかりやすくするべきなんぢゃないかなぁ、ニコラス役。
まあ、脚本の足りない部分、ゆかりくんの足りない部分を全部背負って、トウコがガンガンいってるから、それはソレでいいのかな。
幕開きからここまでダダ泣きなのに、次の「♪プリマス プリマス♪」のシーンで涙は引っ込む。
いやその、星組、アンサンブルすごすぎ。
ええっと、コーラスもすごいけど、ソロもそれぞれ、けっこーすごくないか……?
どういう基準で選んでいるんだろう。
ふつーアンサンブルにしろソロ歌手にしろ、歌がうまい人がやるもんだけど、星組は、キャラ(個性)で選んでる?
いやあ、いいなあ。一気に正気に返るっていうか、みんな小芝居やりすぎてて、メロディは奔放(笑)で。
水輝涼ひとりぢゃどーにもなんねーなー、ここのものすごさは(笑)。
や、誉めてます。
そりゃ歌はうまいにこしたことないが、多少アレでも芝居の中として雰囲気出てるから。
たのしいから好き。
どこ見ていいか迷う。
こっから先は、「キャラもの」として、それぞれのキャラクタのハマりっぷりを堪能。
エドウィン@すずみんのお貴族サマぶりとか!
あーもー、すずみんステキ〜〜、なんなのあのキラキラ。さすがジェローデル役者、お貴族サマ似合い過ぎ。
ペネロープ@コトコトのお人形さんぶりとか。
まさしく貴族の令嬢、気位の高いお姫様。世間知らずの壊れ物っぽいところがたまりません。
てゆーかマスターズ@あかしの美貌は、なんなんですか。
やばい、やばいっすよ彼!! かっこよすぎ。原作まんまの髪型、すげえ。
てなふーに。
次にせつなさに胸を焦がすのは、ティリアンとギルダの心が近づいてからだ。
つーことで、続く。