『エル・アルコン−鷹−』で心配なのは、原作を読んでいない人が、登場人物の多さについてゆけるだろうか? ということだ。
 なにかと衣装を替えて出てくるたーーっくさんの人たちの、名前と立ち位置と目的を、理解できるのかということ。

 あまりにたくさんキャラが出過ぎる。しかもみんな国と立場と目的がバラバラで、国が同じでも目的はちがったり、係累が複数いたり、時代によって立場が変わったり、ややこしいことこの上ない。
 わたしは原作ファンなのでそのへんの混乱が存在しないところからスタートしているので、原作未読の人がどう思い、どこまで理解できるのかはわからない。

 ただ、わたし的に問題なのは、「多すぎるキャラクタの区別が付くか、理解できるか」だけだと思っている。
 ここさえクリアでききるなら、あとは、どーでもヨシ。

 キャラさえわかればいい。
 ストーリーなんか、わからなくても無問題。

 キャラ萌え作品なんて、そんなもん。
 萌え系アニメとなった『ガンダム』がいい例よ、ストーリーなんか関係ない、どことどこがどんな理由で戦っていて、このミッションにどんな意味や政治的背景があり、具体的になにが行われているのか、知らなくても平気だもん。
 要は、萌えなキャラクタたちが萌えなことをしている、やりとりをしている、会話をしている、なにかしら派手でドラマティックな場面がある、関係がある、それだけの連続で、たのしめるもの。
 細かい理屈なんかどーでもいいのよ。

 波に乗れ。大きな波だ、ざっぱ〜〜ん!!

 ちまちま砂の上になにを作っていたって、波にはかなわない。
 波をたのしめばいい。

 だから最低限、キャラだけは理解・区別できないとねえぇ。
 原作知らなかったり、星組生徒を半分以下しか区別つかない人は、ついて来れているのかしら?

 サイトー作品のいいところは、こういう潔いまでのバカ作品、「大きな波だ、ざっぱ〜〜ん!!」を作れることにあると思うのよ。
 コワレた作品はヅカにいくらでもあるけれど、みんな「小さい」のよ。せせこましいのよ。どーせ壊すなら、大波の上でサーフィンできるような愉快なバカッパワーが欲しいのよ。

 前後のつながりも、意味もなくても、セリがんがん使って派手な音楽と派手な衣装で、盆回してスクリーンに映像流して、舞台装置使えるモノ全部使って、ここはテーマパークだ! たのしんでなんぼ! と宣言する。

 ストーリーぶった切ってかっこいいダンスと歌の場面入れて、いちいちキメポーズ。何回クライマックス、何回「ここで幕が下りる?」と思わせるか。
 気分はジェットコースター、絶叫系アトラクション、退屈されるくらいならあきれられた方がマシだぞホイ!

 やー、バカでいいですなぁ。
 気持ちいいですよ。

 ストーリーがどうとか、コワレてるとかは、言いっこなし。そこを突っ込むような作品ではない。「コワレてる」を前提にして、「ありえない」を前提にして、それでヨシ。

 もちろんソレでも不満はあるけれど。
 とりあえず今すぐ、心の声@録音テープ流すのやめろとかな(笑)。

 ニコラス@ゆかりが何故ティリアン@トウコにとって特別なのかを描け、とか、シグリット@みなみの出番、アレだけかよ、とか、てゆーかティリアン口説かせろ、エロ入れろエロ(ハァハァ・笑)とか、レッド@れおんの女装はどーした、とか、ジェラード@しいちゃんが死んだあと「自分で歩いて移動している」ことが客席から丸見えなのをなんとかしろ、とか、些細なことを言い出すとキリがないんだが(笑)。

 サイトーくんの言語感覚が変なのは今にはじまったことではないし、むしろソレをたのしんでいるので、「ラジャー」「ミッション」「リベンジ」等のバカっぽい単語の大安売りも、笑いながら受け入れた。
 なにしろ「グラン・ブルー グラン・メール グラン・スカイ」だもんなあ。

 唐突なスペイン語の応酬とかも、「キタ来たキタ(笑)!」って感じだー。『血と砂』でもやってたなー(笑)。
 『キル・ビル』という、これまた潔いバカ映画があるんだけど、ハリウッド女優たちがわざわざ日本でチャンバラやって、普段は英語喋ってるのに、キメ台詞だけわざわざ日本語なのよ。もちろんチョーへたっぴで、日本語なのに字幕必至なのよ。なんでキメ台詞だけ無意味に日本語?!(しかも超絶へたっぴ)と、爆笑させてくれる、愉快な映画。や、アメリカ人的には、キメ台詞が日本語だと「COOL!」てなもんなんでしょうよ。
 それと同じだよね、サイトーくん。キメ台詞が「よくわからない言語」だと、「かっこいい」んだよね(笑)。

 ジュリエット@キトリちゃんの思いきったバカぶりとか、オカマもまじった愛人ズのダンスとか、エリザベス女王@エレナと取り巻きたちの場面とか、星組ファンへの、サービスだよね?(笑) てな、生徒の使い方もマニアックでヨシ。

 基本「なんでも来〜い」、おもしろいからコワレてても許すぞ〜〜、なんだけど、心から「いらない」と思うのは、ティリアンとギルダの、幼なじみ設定。

 安い。
 安すぎるよ、このサイトー・オリジナル設定。ほんとに安い想像力つっーか情緒に欠ける男だな。まあ、そんな人だからこれだけ大雑把にぶっ壊れられるんだろうけど。

 幼なじみ設定にしたために、ティリアンとギルダ@あすかの結びつきが、安っぽく簡単プーに「子どものころ、やさしくしてもらったから特別な人」という展開に結びついちゃうでしょー。
 せっかく「七つの海七つの空」という魂の共鳴を描いているのに、台無しだ。

 まあなあ、サイトーくんの主人公は、泣き崩れて女の子に「あたしがアナタを守ってあげる」と言われないといけないので、孤独な少年ティリアンが、少女ギルダにやさしくしてもらわないといけないのかもしれないが。
 『花恋吹雪』でも『血と砂』でも、主人公とその恋人は「幼なじみ」設定だから、サイトーくんのリビドーとして、「幼なじみ」というのはハズせないのかもしれないが。

 幼なじみと心の声放送をなくしてくれりゃー、言うことないのになー。残念。

 たのしいですよ、『エル・アルコン』。


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