光に会いに行ったんだ。@バレンシアの熱い花/宙 FANTASISTA!
2007年11月14日 タカラヅカ 花組の話がぜんぜん書き足りていないのだが、このままだとどんどん他公演の感想が溜まっていくので、先が見えるものから書いていくぞ週間です。や、先が見えるっつーのは、テキスト量がそれほどにはならないもの、つー意味な。
と言いつつ、3000文字でさっくり終わらせるつもりの全国ツアー『バレンシアの熱い花/宙 FANTASISTA!』の感想がすでに予定をまるっと超えている……。
さて、芝居はわたしの好みからはてしなくかけ離れているので俯瞰しているのだが、ショーではわくわく、ウメちゃんかっこいー!!
火星場面は彼女ピン取りっす。なにあの鬘。毛先だけ赤くて、振り乱す瞬間瞬間に「赤」が見える。炎が咲く。
なんて美しいイキモノだろう。
女性って、なんて美しくて、かっこいいんだろう。
あれほど能動的で攻撃的で美しいイキモノが、「女性」というものであることが、誇らしい。
いわゆる「女性的」なものと対極にある魅力。
でかい男たちを率いて踊る女豹に釘付け。めろめろ。
わたしは宙組に暗いので生徒さんたちの話はさっぱりできないのだが、そのなかでもとりあえず、音乃いづみちゃんはわたし的に「見なければならない」人だ。
歌手ポジである彼女は今回歌姫として本領発揮、がんがん歌いまくっている。
ますます歌声の透明感が増し、耳福な娘さんなんだが……それ以前に、「見る」ことが前提。何故そーなってしまったんだろう……ときおりこわすぎる彼女の芸風から目が離せないのだ。
慈愛の表情で、とろけるよーな笑顔で歌う彼女を見、「うん、音乃いづみだ」と確認する。彼女の表情の変化を眺めるのが常なんだ。
あー、花組のくまちゃんと同じ位置だな、わたしの中で。や、くまちゃんはさらに好戦的だけど、顔芸確認がわたし的習慣になっているあたり……(笑)。
いいなあ、音乃いづみ……。
あと群舞の中でも目に入ってしょーがないのがちーとGO。立ち位置悪いのに、真ん中フレームからはずれがちなのに、それでもどんなときでも先頭意欲満々で小気味いい。
ちーくんはふつーに美形だと思うし、もともと好みの顔なので目に付くのは仕方ないが、GOのクドさと気合い入りまくりのキザっぷりはすげーなー。なんでそんな隅っこで、「俺が世界の真ん中」みたいな顔して髪撫でつけてるんだろう……(笑)。もー、ステキ過ぎ。
年長さんでいくと、すっしーはやっぱかっこいいってば。芝居ではホルヘが美形悪役になっていてびびったし(笑)、ショーでもぼーっとオペラ使わずに見ていて「あー、あの人かっこいーなー」と思ったらすっしーだし。露出控えめな方がもったいぶっていてオトコマエ上がるなー。
まりえったは声が好きなので、ショーでも彼の声を聞くと安心する。
すずはるきは「他の子を見るぞっ」と意気込んでいるときすら、ぽーんと目に入ってきてびびる(笑)。
みーちゃんは芝居はやっぱうまいと思うんだが、ショーではあまりわたしの目に入ってくれない……何故だ。
そして大くんはきれいだなあと思う。脇にいると「あ、あの子きれい」と目に付くんだ。あとは、実力さえつけてくれればなあ。脇ならきれいなだけで眼福だけど、役割のある位置に来られるとあまりの技術のなさにビジュアルだけでは追いつかなくなるんだよなー。もったいないー。
でもって……ともち。
現在のわたしの、宙組の観劇意欲を担う人。
「全ツは、ともちがロドリーゴだったら行く」
と、断言していた。や、寿美礼サマ楽の翌日だから、肉体的・精神的に観劇できるかどーか自信なかったんで、前もってチケ取りするには強い意欲が必要だったの。
で、結果ともちの芝居での役替わりはなかったので、ヘコんでチケ取りしなかった。
ともちは役替わりなし、ムラで見たのと同じ……その先入観があったから。
最初から、後ろ頭をすこーんと殴られた。
か……かっこいいっ。
油断していたの。
プロローグのあとともちがすぐ出てくるって、すっかり抜け落ちていて。
プロローグでタニ、らんとむ、七帆の並びをほけーっと眺めて、次の場面がどうとか、考えてなかった。
悪役、ルカノール@ともち。
その華やかさに、息をのんだの。
場を魅了する大きさ。カラダのことだけではなく。
出てきただけで、この人が主要キャラクタだとわかる。
ムラで公演半ばくらいに見たのが最後だった。
あれから東宝を経て、こんなにいい男になっていたのか、ルカノール。
うれしい驚きだった。
そーやってわくわくしたあとに。
ショーを見て、えと、その……ヘコんだ。
番手が、七帆くんに抜かれていたことは、まあなんつーか、覚悟はしていたが目の当たりにするとけっこーきついな、と思うものはあった。
気を遣われて、露骨に落とされてはいなかったけれど、そして「役替わりだから」という言い訳は随所でできるものの、劇団の意志はとーってもよくわかる配役になっていて、「ああ、そういうことなんだ」という扱いだった。
でもわたしは、番手という、劇団が与えること、外側のことよりも。
ともちが、与えられた位置で、まとまってしまっていること。
そのことに、愕然とした。
脇役が悪いと言っているんではない。路線だけがすべてだと思っているわけではない。そーだったらこんな微妙な人ばっか好きになってない。
どんな位置であろうと扱いであろうと、舞台を愛しタカラヅカを愛し、精一杯の力を出して輝く。それがタカラジェンヌ、スターと呼ばれる人だけがすばらしいわけでも大切なわけでもない。隅っこで、ライトもあたってないのに必死にキザってる子とか大好きだよ。そーゆーのを見るのが、愛するのが、ヅカファンの醍醐味だとも思っている。
だから、番手外の扱いに甘んじていることがどうこう、という意味じゃない。
ともちがみっちゃんに次ぎ、七帆つんに抜かされる未来が遠くないことも、予感している。覚悟している。七帆くんは真ん中にふさわしい子だとも思っているし、彼の成長を楽しみにしているので、彼に対して含みがあるわけでもない。
ともちに、路線であることにしがみつき、きりきり舞いしてほしいわけでもない。
ただ……。
なんていうかなあ。
舞台ってさあ。自分でアグレッシヴに気を発しないと、負けてしまうところだと思うの。
たとえ脇役で、隅っこで、役目(やくめ)的になんの意味もなくっても、「俺はやるぜ!」な気を発することで、あのとんでもねー衣装や化粧に負けず、あの広大な舞台に負けずにいられるところだと思うの。
立ち止まったら、後退してしまう。歩き続けないと、走り続けないと、下がってしまうおそろしーところだと思う。だから、すばらしいところだと思う。
なんというか、ともちが「止まっている」ように見えたの。
彼自身は役替わりがほとんどないから、安心して演じているせいなのかもしれない。七帆つんが終始まとっていたギリギリ感、せっぱ詰まったものがともちには必要なかったためかもしれない。
与えられた役目を受容し、愛し、心を込めてたのしそうに演じている。
それのなにが悪い、なにが不満だと言われれば、返す言葉もない。
ともちがソレでいいなら、わたしもソレでいい。居場所を見つけてくれたなら、それでいい。
ただ、「現実」が痛かったのだと思う。
たとえ脇に逸れたとしても、いや、だからこそこれまで以上の気合いの入った光を放って欲しかった。路線にしがみつくための戦闘意欲ではなくてもいいから、「道を見つけた」ゆえの光。
芝居では、それを感じられたのになあ。ルカノールはヒーローではないけれど、ここまで輝くことができる、と見せてくれた。
そのあとのショーで、あんなにあっさりしてしまうなんて……。
変わってきた、「前へ」明確に意識を向けはじめた七帆くんの視線が心地よく、また、少々切ない。ともちの停滞との対照っぷりを思って。
ショーってのはほんと、個人の資質や意識がまるっと出てしまう、おそろしーもんなんだなあ。
いやその、全部わたしの目が曇っているせい、いつもの考えすぎうがちすぎかもしんないけど。
わたしが観た回がたまたまそんなふーだっただけで、次の回からともちはちゃーんと「前へ」気を発していたのかもしんないけど。
ともちがしあわせに、少しでも長くヅカにしてくれれば、それでいいんだよ。ほんとーに、それだけなんだよ。
それだけで、こんなに一喜一憂するんだよ。
『宙 FANTASISTA!』はたのしかった。キラキラきらきら、無邪気にわくわくできた。
ほんの少しの、個人的な棘を胸に残して。
と言いつつ、3000文字でさっくり終わらせるつもりの全国ツアー『バレンシアの熱い花/宙 FANTASISTA!』の感想がすでに予定をまるっと超えている……。
さて、芝居はわたしの好みからはてしなくかけ離れているので俯瞰しているのだが、ショーではわくわく、ウメちゃんかっこいー!!
火星場面は彼女ピン取りっす。なにあの鬘。毛先だけ赤くて、振り乱す瞬間瞬間に「赤」が見える。炎が咲く。
なんて美しいイキモノだろう。
女性って、なんて美しくて、かっこいいんだろう。
あれほど能動的で攻撃的で美しいイキモノが、「女性」というものであることが、誇らしい。
いわゆる「女性的」なものと対極にある魅力。
でかい男たちを率いて踊る女豹に釘付け。めろめろ。
わたしは宙組に暗いので生徒さんたちの話はさっぱりできないのだが、そのなかでもとりあえず、音乃いづみちゃんはわたし的に「見なければならない」人だ。
歌手ポジである彼女は今回歌姫として本領発揮、がんがん歌いまくっている。
ますます歌声の透明感が増し、耳福な娘さんなんだが……それ以前に、「見る」ことが前提。何故そーなってしまったんだろう……ときおりこわすぎる彼女の芸風から目が離せないのだ。
慈愛の表情で、とろけるよーな笑顔で歌う彼女を見、「うん、音乃いづみだ」と確認する。彼女の表情の変化を眺めるのが常なんだ。
あー、花組のくまちゃんと同じ位置だな、わたしの中で。や、くまちゃんはさらに好戦的だけど、顔芸確認がわたし的習慣になっているあたり……(笑)。
いいなあ、音乃いづみ……。
あと群舞の中でも目に入ってしょーがないのがちーとGO。立ち位置悪いのに、真ん中フレームからはずれがちなのに、それでもどんなときでも先頭意欲満々で小気味いい。
ちーくんはふつーに美形だと思うし、もともと好みの顔なので目に付くのは仕方ないが、GOのクドさと気合い入りまくりのキザっぷりはすげーなー。なんでそんな隅っこで、「俺が世界の真ん中」みたいな顔して髪撫でつけてるんだろう……(笑)。もー、ステキ過ぎ。
年長さんでいくと、すっしーはやっぱかっこいいってば。芝居ではホルヘが美形悪役になっていてびびったし(笑)、ショーでもぼーっとオペラ使わずに見ていて「あー、あの人かっこいーなー」と思ったらすっしーだし。露出控えめな方がもったいぶっていてオトコマエ上がるなー。
まりえったは声が好きなので、ショーでも彼の声を聞くと安心する。
すずはるきは「他の子を見るぞっ」と意気込んでいるときすら、ぽーんと目に入ってきてびびる(笑)。
みーちゃんは芝居はやっぱうまいと思うんだが、ショーではあまりわたしの目に入ってくれない……何故だ。
そして大くんはきれいだなあと思う。脇にいると「あ、あの子きれい」と目に付くんだ。あとは、実力さえつけてくれればなあ。脇ならきれいなだけで眼福だけど、役割のある位置に来られるとあまりの技術のなさにビジュアルだけでは追いつかなくなるんだよなー。もったいないー。
でもって……ともち。
現在のわたしの、宙組の観劇意欲を担う人。
「全ツは、ともちがロドリーゴだったら行く」
と、断言していた。や、寿美礼サマ楽の翌日だから、肉体的・精神的に観劇できるかどーか自信なかったんで、前もってチケ取りするには強い意欲が必要だったの。
で、結果ともちの芝居での役替わりはなかったので、ヘコんでチケ取りしなかった。
ともちは役替わりなし、ムラで見たのと同じ……その先入観があったから。
最初から、後ろ頭をすこーんと殴られた。
か……かっこいいっ。
油断していたの。
プロローグのあとともちがすぐ出てくるって、すっかり抜け落ちていて。
プロローグでタニ、らんとむ、七帆の並びをほけーっと眺めて、次の場面がどうとか、考えてなかった。
悪役、ルカノール@ともち。
その華やかさに、息をのんだの。
場を魅了する大きさ。カラダのことだけではなく。
出てきただけで、この人が主要キャラクタだとわかる。
ムラで公演半ばくらいに見たのが最後だった。
あれから東宝を経て、こんなにいい男になっていたのか、ルカノール。
うれしい驚きだった。
そーやってわくわくしたあとに。
ショーを見て、えと、その……ヘコんだ。
番手が、七帆くんに抜かれていたことは、まあなんつーか、覚悟はしていたが目の当たりにするとけっこーきついな、と思うものはあった。
気を遣われて、露骨に落とされてはいなかったけれど、そして「役替わりだから」という言い訳は随所でできるものの、劇団の意志はとーってもよくわかる配役になっていて、「ああ、そういうことなんだ」という扱いだった。
でもわたしは、番手という、劇団が与えること、外側のことよりも。
ともちが、与えられた位置で、まとまってしまっていること。
そのことに、愕然とした。
脇役が悪いと言っているんではない。路線だけがすべてだと思っているわけではない。そーだったらこんな微妙な人ばっか好きになってない。
どんな位置であろうと扱いであろうと、舞台を愛しタカラヅカを愛し、精一杯の力を出して輝く。それがタカラジェンヌ、スターと呼ばれる人だけがすばらしいわけでも大切なわけでもない。隅っこで、ライトもあたってないのに必死にキザってる子とか大好きだよ。そーゆーのを見るのが、愛するのが、ヅカファンの醍醐味だとも思っている。
だから、番手外の扱いに甘んじていることがどうこう、という意味じゃない。
ともちがみっちゃんに次ぎ、七帆つんに抜かされる未来が遠くないことも、予感している。覚悟している。七帆くんは真ん中にふさわしい子だとも思っているし、彼の成長を楽しみにしているので、彼に対して含みがあるわけでもない。
ともちに、路線であることにしがみつき、きりきり舞いしてほしいわけでもない。
ただ……。
なんていうかなあ。
舞台ってさあ。自分でアグレッシヴに気を発しないと、負けてしまうところだと思うの。
たとえ脇役で、隅っこで、役目(やくめ)的になんの意味もなくっても、「俺はやるぜ!」な気を発することで、あのとんでもねー衣装や化粧に負けず、あの広大な舞台に負けずにいられるところだと思うの。
立ち止まったら、後退してしまう。歩き続けないと、走り続けないと、下がってしまうおそろしーところだと思う。だから、すばらしいところだと思う。
なんというか、ともちが「止まっている」ように見えたの。
彼自身は役替わりがほとんどないから、安心して演じているせいなのかもしれない。七帆つんが終始まとっていたギリギリ感、せっぱ詰まったものがともちには必要なかったためかもしれない。
与えられた役目を受容し、愛し、心を込めてたのしそうに演じている。
それのなにが悪い、なにが不満だと言われれば、返す言葉もない。
ともちがソレでいいなら、わたしもソレでいい。居場所を見つけてくれたなら、それでいい。
ただ、「現実」が痛かったのだと思う。
たとえ脇に逸れたとしても、いや、だからこそこれまで以上の気合いの入った光を放って欲しかった。路線にしがみつくための戦闘意欲ではなくてもいいから、「道を見つけた」ゆえの光。
芝居では、それを感じられたのになあ。ルカノールはヒーローではないけれど、ここまで輝くことができる、と見せてくれた。
そのあとのショーで、あんなにあっさりしてしまうなんて……。
変わってきた、「前へ」明確に意識を向けはじめた七帆くんの視線が心地よく、また、少々切ない。ともちの停滞との対照っぷりを思って。
ショーってのはほんと、個人の資質や意識がまるっと出てしまう、おそろしーもんなんだなあ。
いやその、全部わたしの目が曇っているせい、いつもの考えすぎうがちすぎかもしんないけど。
わたしが観た回がたまたまそんなふーだっただけで、次の回からともちはちゃーんと「前へ」気を発していたのかもしんないけど。
ともちがしあわせに、少しでも長くヅカにしてくれれば、それでいいんだよ。ほんとーに、それだけなんだよ。
それだけで、こんなに一喜一憂するんだよ。
『宙 FANTASISTA!』はたのしかった。キラキラきらきら、無邪気にわくわくできた。
ほんの少しの、個人的な棘を胸に残して。