黒い翼は夢を見る。@エル・アルコン−鷹−
2007年11月24日 タカラヅカ 初日に観たときは、ツボ突かれて笑ったり、あまりものサイトーくんぶりになまぬるく笑ったり、演出上のポカに失笑したり、ある意味意識散漫だったのかもしれないが。
それでも「愉快」だから、きっとこの作品を愛せるだろうと思った。星組公演『エル・アルコン−鷹−』。
が。
どーゆーことだ。
2回目に観たとき、プロローグから泣きっぱなしだった。
若さゆえの野心を感じさせるジェラード@しいちゃんと、駆け込んでくる小ティリアン@天寿。ふたりのやりとりはほんの一瞬なのに、心の交流が見える。
「失われること」を前提とした美しさ。あたたかさ。
しいちゃんという人。
演技力があるとはまったく思ってないし、なにをやっても「しいちゃん」である彼は、だからこそ光を放つ。
若く美しく力強くやさしく、そしていくばくかの愚鈍さと無神経さを持つ青年。
彼は飛び込んできた少年に対し、慈愛の瞳と言葉を与える。
ふわりと空気が動く。
あたたかい。
彼がどんな役で誰なのか、このあわただしいプロローグでは大して語られないが、ただ彼が「あたたかい」ことがわかる。
世界を包む夕陽にも似た、あたたかなオレンジ色の光。
少年が、彼を慕っていることがわかる。
あたたかいから。
そのあたたかさで、やさしい光で、すとんと納得できる。
失われることがわかっている、あたたかさ。やさしい光。
プロローグから、ジェラードの姿を見たときから、切なくて切なくて。
幕が開くなり涙腺決壊ってどうなのよ。
スパイであるジェラードを逃がした少年に、父親の怒りと不信が爆発し、身を守るために少年は父を刺す。
いやあ、展開早すぎ、原作知らない人はついてこられるのか? せめておっさん登場時に小ティリアンに「父上」と呼ばせようよ、突然出てきて「そんなにあの男が好きか!」と怒り狂うおっさんは「ホモ?」「お稚児さんをめぐっての三角関係?」とか、見えないでもないぞっと。(え? そんなこと誰も考えない?)
父を刃にかけた少年が、己れの魂のありかたを宣言する。
「私を殺そうとするモノは父上でも許さない」だっけ。
強い自我。だからこそ輝く孤独。
「野心のままに生きてごらん。君にはそれが出来るはずだ」
愛し、あこがれていた相手から与えられた言葉は、少年の道しるべとなる。
肯定。
それは、肯定の言葉。
子どもっちゅーのは、ただもぉ第一に「愛されなくてはならない」。
しつけとか教育とかとは、別の次元で。
「生まれてきてよかったんだよ」
「ここが君の居場所だよ」
と、周りの大人はまず子どもに教えなければならない。
ただ、愛することによって。
ティリアン少年は、それを与えられていなかった。怒濤のプロローグからわかること。
父に疎まれていたことから察せられる。
彼が彼として生まれてきた、彼が彼であること、を、否定されてきた。
父親に。あるいは、イギリス人らしくない容貌ゆえ周囲に。
ただ愛されなければいけない時期に、彼は満足な愛を得られなかった。
彼が彼であることを否定されていた。
だからこそ。
そのままのティリアン少年を「肯定」したジェラードの言葉が「呪文」になる。
肯定。
君は正しい。
君は君のままでいい。
父を刺した少年は知っている。それが「罪」であると。
それでも彼は、「自分」を貫くことを選ぶ。
世間の常識や倫理でどれほどまちがっていようと、関係ない。
他人の決めた価値観より、己れの意志を肯定する。
「罪」に手を汚してなお、信じる道を進む。欲望のままに。
そこからはじまる物語。
少年は野心に濡れる美しい青年となり、怒濤のオープニングがはじまる。
サイトー☆サーカス極まれり(板/野/サーカス的イメージで言ってみる・笑)。
アニメソング系のこっ恥ずかしくもノリのいい主題歌にのって、これでもかと派手な演出が続く。盆は回るわセリは上下するわ映像は流れるわ。や、正直「舞台」なんで映像はどーでもいいんだけど。にぎやかしとしてはアリだろう。
このオープニングで、だだ泣きする。
これでもか、これでもか。
他のどのジャンルでもありえない豪華さととんでもなさで。ドラマティックに「物語」が開幕する期待感。
わたしがタカラヅカに求めるもののひとつが、このオープニングに集約されている。
「物語」の「真ん中」に立つティリアン@トウコ。
その美しさと、眼の力。
これは、彼の物語。
大きな強い翼で生きた彼の物語。
「肯定」の物語。
他人の価値観ではなく、自分の信念を貫く物語。
次々登場してくる人々は、ティリアンの人生を彩る人々。モブのダンサーやコーラス隊じゃない。ひとりひとりがこの世界に生きる人々。
交差する人生。歌声。
キャラクタが多すぎて、どこを見ていいかわからない。
2回目観劇時はいつもの下手端にいたんだけど、真横の下手セリから誰かせり上がってきて、それがまひろで、びっくらこいた。
あわてて上手を見れば、同じようにあかしがせり上がってるし!
ちょお待て、マスターズ@あかしとスコット@しゅんって、原作では大した描かれ方してない脇役がせり上がりってなにごと?!(白目)
や、初日もせり上がりがあったことは知ってるけど、なにしろ出演者多すぎにぎやか過ぎで「誰か出てきたけど、誰だろ」くらいで見ていられなかった、認識できなかった。
あかしとしゅんだったのか! てか、んな脇役までなんでわざわざせり上がり?! 原作ファンならわかってるだろーけど、作者による思い入れor主と脇の区別で絵も主線の太さもまったくちがい、ティリアンの部下であるこのふたりは大した比重のないキャラなんだってば。
その無意味っぷり、その大仰さにウケまくる。いいなあ、この無駄さ。や、派手になるんだから、いくらやってもいいんだよ。
演出が派手であればあるほど、ティリアンの「物語」が大きくなる。
彼が偉大になる。
原作を好きで、トウコを好きなわたしは、このてんこ盛りさに胸が熱くなる。余力を残すことない、なりふりかまわない全力ぶりに、サイトーよくやった!!と叫びたい。
女海賊ギルダ@あすかの美しさ、華やかさ。
登場するなり、「彼女の物語」がそこに見える。
白い大仰なドレスに細身の剣。
海にも戦艦にも海賊にも、まったくそぐわない貴婦人姿で、剣を握るその存在感。
男装の女海賊たちの中に立つ、ドレス姿の船長っつーのは、アニメ的「記号」としてもすばらしい。
加えて登場する「第三勢力」、レッド@れおん。
ギルダにしろレッドにしろ、彼らがナニモノでティリアンとどう関わるのかは説明されていないけれど、とにかくとびきりのドラマを予感させてティリアンへの敵愾心を歌う。
ティリアンは「黒き翼」と歌い、ギルダは「翼をわたしの海に落とす」と歌い、レッドは「憎い黒い翼」と歌う。
ティリアンを中心に、世界が隆起し、回りはじめる。
「罪」とその自覚、それを超えてなお「肯定」を貫くところからはじまる、力強い物語。
わくわく。
わくわくわくっ。
興奮して、体温が上がって、うれしくてうれしくてたまらなくなる。
心臓がばくばく脈打つから、涙が出る。
「ドラマティック」……それが今、ここにすべてある。
つーことで、ジェラードのプロローグに引き続いて、オープニングでも泣けてしょーがないんだってぱ。
それでも「愉快」だから、きっとこの作品を愛せるだろうと思った。星組公演『エル・アルコン−鷹−』。
が。
どーゆーことだ。
2回目に観たとき、プロローグから泣きっぱなしだった。
若さゆえの野心を感じさせるジェラード@しいちゃんと、駆け込んでくる小ティリアン@天寿。ふたりのやりとりはほんの一瞬なのに、心の交流が見える。
「失われること」を前提とした美しさ。あたたかさ。
しいちゃんという人。
演技力があるとはまったく思ってないし、なにをやっても「しいちゃん」である彼は、だからこそ光を放つ。
若く美しく力強くやさしく、そしていくばくかの愚鈍さと無神経さを持つ青年。
彼は飛び込んできた少年に対し、慈愛の瞳と言葉を与える。
ふわりと空気が動く。
あたたかい。
彼がどんな役で誰なのか、このあわただしいプロローグでは大して語られないが、ただ彼が「あたたかい」ことがわかる。
世界を包む夕陽にも似た、あたたかなオレンジ色の光。
少年が、彼を慕っていることがわかる。
あたたかいから。
そのあたたかさで、やさしい光で、すとんと納得できる。
失われることがわかっている、あたたかさ。やさしい光。
プロローグから、ジェラードの姿を見たときから、切なくて切なくて。
幕が開くなり涙腺決壊ってどうなのよ。
スパイであるジェラードを逃がした少年に、父親の怒りと不信が爆発し、身を守るために少年は父を刺す。
いやあ、展開早すぎ、原作知らない人はついてこられるのか? せめておっさん登場時に小ティリアンに「父上」と呼ばせようよ、突然出てきて「そんなにあの男が好きか!」と怒り狂うおっさんは「ホモ?」「お稚児さんをめぐっての三角関係?」とか、見えないでもないぞっと。(え? そんなこと誰も考えない?)
父を刃にかけた少年が、己れの魂のありかたを宣言する。
「私を殺そうとするモノは父上でも許さない」だっけ。
強い自我。だからこそ輝く孤独。
「野心のままに生きてごらん。君にはそれが出来るはずだ」
愛し、あこがれていた相手から与えられた言葉は、少年の道しるべとなる。
肯定。
それは、肯定の言葉。
子どもっちゅーのは、ただもぉ第一に「愛されなくてはならない」。
しつけとか教育とかとは、別の次元で。
「生まれてきてよかったんだよ」
「ここが君の居場所だよ」
と、周りの大人はまず子どもに教えなければならない。
ただ、愛することによって。
ティリアン少年は、それを与えられていなかった。怒濤のプロローグからわかること。
父に疎まれていたことから察せられる。
彼が彼として生まれてきた、彼が彼であること、を、否定されてきた。
父親に。あるいは、イギリス人らしくない容貌ゆえ周囲に。
ただ愛されなければいけない時期に、彼は満足な愛を得られなかった。
彼が彼であることを否定されていた。
だからこそ。
そのままのティリアン少年を「肯定」したジェラードの言葉が「呪文」になる。
肯定。
君は正しい。
君は君のままでいい。
父を刺した少年は知っている。それが「罪」であると。
それでも彼は、「自分」を貫くことを選ぶ。
世間の常識や倫理でどれほどまちがっていようと、関係ない。
他人の決めた価値観より、己れの意志を肯定する。
「罪」に手を汚してなお、信じる道を進む。欲望のままに。
そこからはじまる物語。
少年は野心に濡れる美しい青年となり、怒濤のオープニングがはじまる。
サイトー☆サーカス極まれり(板/野/サーカス的イメージで言ってみる・笑)。
アニメソング系のこっ恥ずかしくもノリのいい主題歌にのって、これでもかと派手な演出が続く。盆は回るわセリは上下するわ映像は流れるわ。や、正直「舞台」なんで映像はどーでもいいんだけど。にぎやかしとしてはアリだろう。
このオープニングで、だだ泣きする。
これでもか、これでもか。
他のどのジャンルでもありえない豪華さととんでもなさで。ドラマティックに「物語」が開幕する期待感。
わたしがタカラヅカに求めるもののひとつが、このオープニングに集約されている。
「物語」の「真ん中」に立つティリアン@トウコ。
その美しさと、眼の力。
これは、彼の物語。
大きな強い翼で生きた彼の物語。
「肯定」の物語。
他人の価値観ではなく、自分の信念を貫く物語。
次々登場してくる人々は、ティリアンの人生を彩る人々。モブのダンサーやコーラス隊じゃない。ひとりひとりがこの世界に生きる人々。
交差する人生。歌声。
キャラクタが多すぎて、どこを見ていいかわからない。
2回目観劇時はいつもの下手端にいたんだけど、真横の下手セリから誰かせり上がってきて、それがまひろで、びっくらこいた。
あわてて上手を見れば、同じようにあかしがせり上がってるし!
ちょお待て、マスターズ@あかしとスコット@しゅんって、原作では大した描かれ方してない脇役がせり上がりってなにごと?!(白目)
や、初日もせり上がりがあったことは知ってるけど、なにしろ出演者多すぎにぎやか過ぎで「誰か出てきたけど、誰だろ」くらいで見ていられなかった、認識できなかった。
あかしとしゅんだったのか! てか、んな脇役までなんでわざわざせり上がり?! 原作ファンならわかってるだろーけど、作者による思い入れor主と脇の区別で絵も主線の太さもまったくちがい、ティリアンの部下であるこのふたりは大した比重のないキャラなんだってば。
その無意味っぷり、その大仰さにウケまくる。いいなあ、この無駄さ。や、派手になるんだから、いくらやってもいいんだよ。
演出が派手であればあるほど、ティリアンの「物語」が大きくなる。
彼が偉大になる。
原作を好きで、トウコを好きなわたしは、このてんこ盛りさに胸が熱くなる。余力を残すことない、なりふりかまわない全力ぶりに、サイトーよくやった!!と叫びたい。
女海賊ギルダ@あすかの美しさ、華やかさ。
登場するなり、「彼女の物語」がそこに見える。
白い大仰なドレスに細身の剣。
海にも戦艦にも海賊にも、まったくそぐわない貴婦人姿で、剣を握るその存在感。
男装の女海賊たちの中に立つ、ドレス姿の船長っつーのは、アニメ的「記号」としてもすばらしい。
加えて登場する「第三勢力」、レッド@れおん。
ギルダにしろレッドにしろ、彼らがナニモノでティリアンとどう関わるのかは説明されていないけれど、とにかくとびきりのドラマを予感させてティリアンへの敵愾心を歌う。
ティリアンは「黒き翼」と歌い、ギルダは「翼をわたしの海に落とす」と歌い、レッドは「憎い黒い翼」と歌う。
ティリアンを中心に、世界が隆起し、回りはじめる。
「罪」とその自覚、それを超えてなお「肯定」を貫くところからはじまる、力強い物語。
わくわく。
わくわくわくっ。
興奮して、体温が上がって、うれしくてうれしくてたまらなくなる。
心臓がばくばく脈打つから、涙が出る。
「ドラマティック」……それが今、ここにすべてある。
つーことで、ジェラードのプロローグに引き続いて、オープニングでも泣けてしょーがないんだってぱ。