「永遠」物語・その1。
2007年12月22日 タカラヅカ こわいのは、現実と直面すること。
わたしは春野寿美礼に多大な期待を寄せすぎていて、ナニがわたしの思い込みで、ナニが現実なのかわからなくなっている。
わたしは最近やって来たにわかファンで、その上オサ様いちばんの本物のファンでもない。
真のファンの外側で、勝手にファンして崇拝して、舞い上がって大騒ぎしている。
や、もお、ハルノスミレ、神! と、本気で思っていたので、神様相手にどう過ごせばいいのか混乱し、盛大に空回ることになった。
「神」とか、冗談で言ってても、本気でそこまで傾倒したことないもん。はぢめてだもん。わかんないよ。
空回り上等!な人生なんで、大変なのも辛いのも自業自得、ぜんぜんかまわないんだけど、や、それでもいろいろつらかったっす。
東宝公演がはじまったあたりから、なんかヘコんでブログ半月以上放置したし。その間、書くつもりのことが溜まり続け、今もまだ追いついてないし。
つーことで、東宝にもなかなか観に行けなかった。チケットがないこともあったが、「なくても行く!」というには、ヘコみすぎていて。
いろいろ思って考えて悩んで、あとになって出てきた答えは。
わたしは、春野寿美礼に「永遠」を求めていたんだな。
ってこと。
なにしろオサ様は「神」なので。「永遠」ぐらいあったりまえにわたしに与えてくれると思っていたのですよ。
でも、そんなもんあるわけなくて。
わたしを置き去りに、いなくなってしまうわけですよ。
そのことが耐えられなくて、ぶっちゃけ、オサ様、うらみました。
わたしがこんなに愛し、必要としているのに、なんでわたしがのぞむままのハルノスミレでいてくれないの。
「卒業が夢でした」とか言って、わたしを置き去りにすることを宣言しちゃうの。わたしを捨てることが夢なの? ひどいっっ。
オサ様が務めを果たし、透明になっている、今、卒業することが必然であることはわかっている。
オサ様が今、しあわせそうなのもわかる。
現実を認め、納得している部分と、絶対に嫌だと思っている部分がわたしの中にあり、もーどーしよーもない。
自分がバカだとか理不尽だとかナニサマだとか、自覚はある。ほんとうに好きなら、相手のしあわせをいちばんに考えるべきだってのもわかるけど、アタマでわかっても感情が治まらない。
ただ、嫌なんだ。
「春野寿美礼」がいなくなることが。
よーするに、それだけなんだ。
寿美礼サマがなにをして、どんな演技をし、力をセーブしたり流したり、反対に暴走したり、なにをしてもいいの。
春野寿美礼がタカラヅカにいてくれれば、なんでもいいの。
タカラヅカは新陳代謝するところ、花の命は短くて、卒業するから美しいことも、また卒業の儀式が華々しくけじめとして重要なことも、後進に道を譲ることが大切なことも、ジェンヌが虚像でも偶像でもなくひとりの人間で女性でそのあともずっと人生は続いていて、そもそもわたしのために生きているわけぢゃないって、わかっていて。
それでも、わたしは勝手にヘコんでいた。
地球が、わたしを中心に回ってくれないことに。
あのひとが、いなくなってしまうことに。
「永遠」が存在しないことに。
……アホなんです。ほんとに。
誰でもわかってることなのに、自分でもわかってるつもりなのに、悲しいのは止められなくて。腹立たしかったり口惜しかったりするのは止められなくて。
勝手に、「世界」に裏切られた気がして、部屋で膝抱いて丸まってました。
そうしていれば、「自分」を守れる気がして。
現実を見るのが嫌で、大阪でくすぶっていた。とりあえず日常送って、観劇もして。ふつーに生きているつもりで。
見なければ「なかった」ことになる。ハルノスミレが、わたしの神がわたしの永遠が、いなくなるなんて現実、「なかった」こと。
だけど最後のときが近づいて、なんか自分でもナニやってんだかわかんないまま、チケットを探しはじめる。
もっと早くから用意しときゃーいいのに、ほんとぎりぎりになってから。
チケット探さずにいたのも、自分への言い訳だったんだよなあ。「チケット持ってないから、行けない」って、理由をつけるため。
で、最後の最後にあわてて。こんなことなら、最初から腹くくって用意しときゃーいいのに、いらん苦労して。
でも、「終わってしまうから、とにかく行かなきゃ」と思っただけで、心の整理もナニもナイままなので、オサ様を見て自分がどう思うか、どうなるのかもわかんない。
見当つかないまま、とにかく東宝へ行った。
そして。
ムラ千秋楽の日からだから、およそ2ヶ月ぶりに、オサ様に再会した。
で、わたしは。
ふつーだった。
いつもと同じ。
『ファントム』とか『明智小五郎の事件簿』とかを観ていたときと同じ。
ふつーにオサ様好きで彼の演技を、歌を、たのしんだ。
退団? ナニそれ?
涙なんて出ませんことよ。だっていつも通りだもん。退団公演なんかじゃないもん。
ココロがどっか、すこーんと渇いていて。
ふつうに、たのしんだ。
つーことで、翌日欄は「本日のジェラールさん」いってみよー。
わたしは春野寿美礼に多大な期待を寄せすぎていて、ナニがわたしの思い込みで、ナニが現実なのかわからなくなっている。
わたしは最近やって来たにわかファンで、その上オサ様いちばんの本物のファンでもない。
真のファンの外側で、勝手にファンして崇拝して、舞い上がって大騒ぎしている。
や、もお、ハルノスミレ、神! と、本気で思っていたので、神様相手にどう過ごせばいいのか混乱し、盛大に空回ることになった。
「神」とか、冗談で言ってても、本気でそこまで傾倒したことないもん。はぢめてだもん。わかんないよ。
空回り上等!な人生なんで、大変なのも辛いのも自業自得、ぜんぜんかまわないんだけど、や、それでもいろいろつらかったっす。
東宝公演がはじまったあたりから、なんかヘコんでブログ半月以上放置したし。その間、書くつもりのことが溜まり続け、今もまだ追いついてないし。
つーことで、東宝にもなかなか観に行けなかった。チケットがないこともあったが、「なくても行く!」というには、ヘコみすぎていて。
いろいろ思って考えて悩んで、あとになって出てきた答えは。
わたしは、春野寿美礼に「永遠」を求めていたんだな。
ってこと。
なにしろオサ様は「神」なので。「永遠」ぐらいあったりまえにわたしに与えてくれると思っていたのですよ。
でも、そんなもんあるわけなくて。
わたしを置き去りに、いなくなってしまうわけですよ。
そのことが耐えられなくて、ぶっちゃけ、オサ様、うらみました。
わたしがこんなに愛し、必要としているのに、なんでわたしがのぞむままのハルノスミレでいてくれないの。
「卒業が夢でした」とか言って、わたしを置き去りにすることを宣言しちゃうの。わたしを捨てることが夢なの? ひどいっっ。
オサ様が務めを果たし、透明になっている、今、卒業することが必然であることはわかっている。
オサ様が今、しあわせそうなのもわかる。
現実を認め、納得している部分と、絶対に嫌だと思っている部分がわたしの中にあり、もーどーしよーもない。
自分がバカだとか理不尽だとかナニサマだとか、自覚はある。ほんとうに好きなら、相手のしあわせをいちばんに考えるべきだってのもわかるけど、アタマでわかっても感情が治まらない。
ただ、嫌なんだ。
「春野寿美礼」がいなくなることが。
よーするに、それだけなんだ。
寿美礼サマがなにをして、どんな演技をし、力をセーブしたり流したり、反対に暴走したり、なにをしてもいいの。
春野寿美礼がタカラヅカにいてくれれば、なんでもいいの。
タカラヅカは新陳代謝するところ、花の命は短くて、卒業するから美しいことも、また卒業の儀式が華々しくけじめとして重要なことも、後進に道を譲ることが大切なことも、ジェンヌが虚像でも偶像でもなくひとりの人間で女性でそのあともずっと人生は続いていて、そもそもわたしのために生きているわけぢゃないって、わかっていて。
それでも、わたしは勝手にヘコんでいた。
地球が、わたしを中心に回ってくれないことに。
あのひとが、いなくなってしまうことに。
「永遠」が存在しないことに。
……アホなんです。ほんとに。
誰でもわかってることなのに、自分でもわかってるつもりなのに、悲しいのは止められなくて。腹立たしかったり口惜しかったりするのは止められなくて。
勝手に、「世界」に裏切られた気がして、部屋で膝抱いて丸まってました。
そうしていれば、「自分」を守れる気がして。
現実を見るのが嫌で、大阪でくすぶっていた。とりあえず日常送って、観劇もして。ふつーに生きているつもりで。
見なければ「なかった」ことになる。ハルノスミレが、わたしの神がわたしの永遠が、いなくなるなんて現実、「なかった」こと。
だけど最後のときが近づいて、なんか自分でもナニやってんだかわかんないまま、チケットを探しはじめる。
もっと早くから用意しときゃーいいのに、ほんとぎりぎりになってから。
チケット探さずにいたのも、自分への言い訳だったんだよなあ。「チケット持ってないから、行けない」って、理由をつけるため。
で、最後の最後にあわてて。こんなことなら、最初から腹くくって用意しときゃーいいのに、いらん苦労して。
でも、「終わってしまうから、とにかく行かなきゃ」と思っただけで、心の整理もナニもナイままなので、オサ様を見て自分がどう思うか、どうなるのかもわかんない。
見当つかないまま、とにかく東宝へ行った。
そして。
ムラ千秋楽の日からだから、およそ2ヶ月ぶりに、オサ様に再会した。
で、わたしは。
ふつーだった。
いつもと同じ。
『ファントム』とか『明智小五郎の事件簿』とかを観ていたときと同じ。
ふつーにオサ様好きで彼の演技を、歌を、たのしんだ。
退団? ナニそれ?
涙なんて出ませんことよ。だっていつも通りだもん。退団公演なんかじゃないもん。
ココロがどっか、すこーんと渇いていて。
ふつうに、たのしんだ。
つーことで、翌日欄は「本日のジェラールさん」いってみよー。