ひまわり畑でつかまえて。@双曲線上のカルテ
2012年7月29日 タカラヅカ もしものときのために、隠し子を作っておこう♪
女は若くてかわいくて、バカが最高☆
端的に表現すると、こういうことですか、石田先生。
『双曲線上のカルテ』を遅ればせながら観劇。
友人から「最悪」である、「大嫌いな石田が詰まっている」とは聞いていたし、そこまでトンデモなら早く観て話題を共有したいと切望していたんだが、チケット取れなかったんだ。友会全滅しちゃって。で、なんとか手に入れられたときに行くしかなくてな。
原作は未読だけど、この間、ドラマを再放送で見た。
そしてドラマは、イシダがこの作品を舞台化するなら、心から「観たくない」と思うというような話だった。
今まで観たことのあるイシダが、詰まってる。ドラマに、すでに。
イシダせんせが何故この作品を選んだのかがわかりすぎて、辟易した(笑)。
ドラマの時点でまったく好みではない上に、それをわたしの好みと真逆の感性を持つイシダせんせが舞台化。いやだ、とか、苦手だ、と思う部分てんこ盛りにクローズアップして来るんだろうな、という絶望感。
とりあえず1回は観るけど、すごくつらい観劇になるんじゃないかな……。
そう、悲壮な覚悟で臨んだ(笑)。
べつに、平気だった。
悪い評価、聞きまくっていたからかな。
友人からもだし、掲示板でチケット譲ってくれた人も、手渡し時に酷評していたし。
最低最悪のモノを覚悟して観たせいか、ふつうに楽しめたよー。ドラマより泣けた。←
もちろん、好みではまったくないが、『殉情』ほど生理的嫌悪感があるわけじゃない。
ほんと、『殉情』クラスの逆鱗作を覚悟して観に行ったんだ(笑)。
まあぶっちゃけ、めぐりあわせが大きいかなと思う。
『長い春の果てに』をヘビーリピートしたあとに『双曲線上のカルテ』を観ていたら、拒絶反応もひどかっただろう。(『長春』キライです・笑)
でも幸いにもわたしは『長春』をリピートしてはいなかった。
そしてもうひとつ。
これがナニ気に大きいと思う。
先に、『サン=テグジュペリ』を観ていた。
……いやあ、天使が出てきて「人間って♪」「てへぺろ」とかやっても、ぜんっぜん驚かない! 平気!!
その前に大劇場で、もっとキテレツなモノを観ているから!!
耐性付いてたよ……『サン=テグジュペリ』に比べたら、『双曲線上のカルテ』なんてすげー「ふつー」の話だよ……。
あんまりふつーで、拍子抜けした……。
どんだけすごいんだ、『サン=テグジュペリ』……。
とまあ、話がズレてしまいそうなので、『サン=テグジュペリ』の珍作ぶりは置いておいて。
アウトローな医者フェルナンド@ちぎくんは、腕はいいけどルール無用、独自の美意識に基づいて行動する人。
我が道を行く傍若無人なフェルナンド先生だけど、彼には秘密があった。不治の病で余命幾ばく。だから彼は自分のカラダを実験体に新薬試してみたり、とことんゴーイング・マイウェイ。
病気のことは内緒ですから、そんな影のある美形先生に、看護師のモニカ@あんりちゃんは惹かれて……っていうか、先生の方からしっかり手を出してデキ上がっちゃう。
周りのみんなはどんどんフェルナンドの病気に気づいていくのに、ちょっとおつむの軽いモニカちゃんだけは気がつかない。両思いHAPPY、先生とふたりで旅行、お母様に紹介されちゃった、もうゴールイン、カウントダウン……てな幸せ絶頂に、奈落へ突き落とされる。
死の恐怖を和らげたかったフェルナンド先生は、かわいくておバカなモニカを手玉に取り、自分だけは満足して自殺しちゃったのでした。
いやその、ドラマではもう少し、ヒロインは切ない感じに描かれておりました。
なにも知らないながらも、破滅の予感っつーか、悲劇の足音に、視聴者が切なくなるような感じに。
しかし、男尊女卑の権化であるイシダ演出になると、ほんとにもお、ヒロインが、ただのバカで。
フェルナンドがモニカのどこに惹かれたかというと、顔と若さと、おバカさなんだろうと思えるあたりが、もお。
「待て」と言われたら何時間でも皿の前で待ち続けるわんちゃんみたいっすよ、モニカ。
フェルナンドに絡む女性はもうひとり、クラリーチェ@せしるという病院長の娘で気の強い美女がいる。最初フェルナンドは彼女とつきあっている。
なのに、才色兼備の彼女を捨て、子犬系のモニカを選ぶ。
クラリーチェでいいやん、なんでモニカ?
モニカの方が若くて、たぶん男ともつきあったことなくて、バカだからなんだろうなあ。
クラリーチェは自我がはっきりしていて、ついでにそれなりにいろいろ経験豊富そうで、非の打ちどころナシの分、思い通りにはならなかったんだろうな。
いやその、クラリーチェの年齢は謎なんですが。大人の女にしか見えなかったが、後半いきなり少年にしか見えないアントーニオ@翔くんが「兄」として登場してきてな。えええ、いくつなのよ?? と混乱(笑)。
クラリーチェが実は若かったとしても、男関係に慣れているようなタイプは「遊び」でしかつきあう気がなかったんでしょう、フェルナンド先生。
男は女遊びしていいけど、女は「相手はただひとり」でなきゃいけないのがイシダ・クオリティ。
たぶんイシダせんせの脚本演出であるということと、あんりちゃんの芸風が作用したんだろうなあ。モニカの天使っぷりというか、おバカっぷりは。
フェルナンド先生をはじめ、キャラクタ全員、見事に誰も共感も感情移入も出来なかったので(笑)、冷静に観劇できました。
唯一泣けたのが1幕最後のチェーザレさん@朝風くん。彼は良かったのだけど、2幕のラストで再登場したときに「やっぱり共感できない(笑)」と思っちゃったので、共感キャラクタ皆無になっちゃった。
や、ガンと闘って人生を全うしたチェーザレさんなら、ラストに再登場した場合、フェルナンド先生を叱り飛ばさなきゃダメでしょ。あのラストで、1幕のチェーザレさんの感動も否定されちゃったみたいで、しょぼんでした。
イシダせんせは作劇は出来る人なんだが、とにかく情緒面でわたしと合わない。
『復活』は奇跡だったのかなあ……。結局また、いつものイシダ・クオリティだなあ。
覚悟していた嫌悪感はなかったけれど、「好きじゃない」としか思えない。テーマもストーリーもキャラクタも、エピソードも演出も。
どんだけ珍作でも『サン=テグジュペリ』の方が好きだし、また観たいと思える。
それくらい、わたしはイシダせんせと気が合わない。
だからほんと、「人」を見るためだけにあった。
タカラジェンヌを。
ちぎくんを、雪っこたちを。
彼らを愛でるためだけに、観に行ったんだ。
てことで、次はキャスト感想。
女は若くてかわいくて、バカが最高☆
端的に表現すると、こういうことですか、石田先生。
『双曲線上のカルテ』を遅ればせながら観劇。
友人から「最悪」である、「大嫌いな石田が詰まっている」とは聞いていたし、そこまでトンデモなら早く観て話題を共有したいと切望していたんだが、チケット取れなかったんだ。友会全滅しちゃって。で、なんとか手に入れられたときに行くしかなくてな。
原作は未読だけど、この間、ドラマを再放送で見た。
そしてドラマは、イシダがこの作品を舞台化するなら、心から「観たくない」と思うというような話だった。
今まで観たことのあるイシダが、詰まってる。ドラマに、すでに。
イシダせんせが何故この作品を選んだのかがわかりすぎて、辟易した(笑)。
ドラマの時点でまったく好みではない上に、それをわたしの好みと真逆の感性を持つイシダせんせが舞台化。いやだ、とか、苦手だ、と思う部分てんこ盛りにクローズアップして来るんだろうな、という絶望感。
とりあえず1回は観るけど、すごくつらい観劇になるんじゃないかな……。
そう、悲壮な覚悟で臨んだ(笑)。
べつに、平気だった。
悪い評価、聞きまくっていたからかな。
友人からもだし、掲示板でチケット譲ってくれた人も、手渡し時に酷評していたし。
最低最悪のモノを覚悟して観たせいか、ふつうに楽しめたよー。ドラマより泣けた。←
もちろん、好みではまったくないが、『殉情』ほど生理的嫌悪感があるわけじゃない。
ほんと、『殉情』クラスの逆鱗作を覚悟して観に行ったんだ(笑)。
まあぶっちゃけ、めぐりあわせが大きいかなと思う。
『長い春の果てに』をヘビーリピートしたあとに『双曲線上のカルテ』を観ていたら、拒絶反応もひどかっただろう。(『長春』キライです・笑)
でも幸いにもわたしは『長春』をリピートしてはいなかった。
そしてもうひとつ。
これがナニ気に大きいと思う。
先に、『サン=テグジュペリ』を観ていた。
……いやあ、天使が出てきて「人間って♪」「てへぺろ」とかやっても、ぜんっぜん驚かない! 平気!!
その前に大劇場で、もっとキテレツなモノを観ているから!!
耐性付いてたよ……『サン=テグジュペリ』に比べたら、『双曲線上のカルテ』なんてすげー「ふつー」の話だよ……。
あんまりふつーで、拍子抜けした……。
どんだけすごいんだ、『サン=テグジュペリ』……。
とまあ、話がズレてしまいそうなので、『サン=テグジュペリ』の珍作ぶりは置いておいて。
アウトローな医者フェルナンド@ちぎくんは、腕はいいけどルール無用、独自の美意識に基づいて行動する人。
我が道を行く傍若無人なフェルナンド先生だけど、彼には秘密があった。不治の病で余命幾ばく。だから彼は自分のカラダを実験体に新薬試してみたり、とことんゴーイング・マイウェイ。
病気のことは内緒ですから、そんな影のある美形先生に、看護師のモニカ@あんりちゃんは惹かれて……っていうか、先生の方からしっかり手を出してデキ上がっちゃう。
周りのみんなはどんどんフェルナンドの病気に気づいていくのに、ちょっとおつむの軽いモニカちゃんだけは気がつかない。両思いHAPPY、先生とふたりで旅行、お母様に紹介されちゃった、もうゴールイン、カウントダウン……てな幸せ絶頂に、奈落へ突き落とされる。
死の恐怖を和らげたかったフェルナンド先生は、かわいくておバカなモニカを手玉に取り、自分だけは満足して自殺しちゃったのでした。
いやその、ドラマではもう少し、ヒロインは切ない感じに描かれておりました。
なにも知らないながらも、破滅の予感っつーか、悲劇の足音に、視聴者が切なくなるような感じに。
しかし、男尊女卑の権化であるイシダ演出になると、ほんとにもお、ヒロインが、ただのバカで。
フェルナンドがモニカのどこに惹かれたかというと、顔と若さと、おバカさなんだろうと思えるあたりが、もお。
「待て」と言われたら何時間でも皿の前で待ち続けるわんちゃんみたいっすよ、モニカ。
フェルナンドに絡む女性はもうひとり、クラリーチェ@せしるという病院長の娘で気の強い美女がいる。最初フェルナンドは彼女とつきあっている。
なのに、才色兼備の彼女を捨て、子犬系のモニカを選ぶ。
クラリーチェでいいやん、なんでモニカ?
モニカの方が若くて、たぶん男ともつきあったことなくて、バカだからなんだろうなあ。
クラリーチェは自我がはっきりしていて、ついでにそれなりにいろいろ経験豊富そうで、非の打ちどころナシの分、思い通りにはならなかったんだろうな。
いやその、クラリーチェの年齢は謎なんですが。大人の女にしか見えなかったが、後半いきなり少年にしか見えないアントーニオ@翔くんが「兄」として登場してきてな。えええ、いくつなのよ?? と混乱(笑)。
クラリーチェが実は若かったとしても、男関係に慣れているようなタイプは「遊び」でしかつきあう気がなかったんでしょう、フェルナンド先生。
男は女遊びしていいけど、女は「相手はただひとり」でなきゃいけないのがイシダ・クオリティ。
たぶんイシダせんせの脚本演出であるということと、あんりちゃんの芸風が作用したんだろうなあ。モニカの天使っぷりというか、おバカっぷりは。
フェルナンド先生をはじめ、キャラクタ全員、見事に誰も共感も感情移入も出来なかったので(笑)、冷静に観劇できました。
唯一泣けたのが1幕最後のチェーザレさん@朝風くん。彼は良かったのだけど、2幕のラストで再登場したときに「やっぱり共感できない(笑)」と思っちゃったので、共感キャラクタ皆無になっちゃった。
や、ガンと闘って人生を全うしたチェーザレさんなら、ラストに再登場した場合、フェルナンド先生を叱り飛ばさなきゃダメでしょ。あのラストで、1幕のチェーザレさんの感動も否定されちゃったみたいで、しょぼんでした。
イシダせんせは作劇は出来る人なんだが、とにかく情緒面でわたしと合わない。
『復活』は奇跡だったのかなあ……。結局また、いつものイシダ・クオリティだなあ。
覚悟していた嫌悪感はなかったけれど、「好きじゃない」としか思えない。テーマもストーリーもキャラクタも、エピソードも演出も。
どんだけ珍作でも『サン=テグジュペリ』の方が好きだし、また観たいと思える。
それくらい、わたしはイシダせんせと気が合わない。
だからほんと、「人」を見るためだけにあった。
タカラジェンヌを。
ちぎくんを、雪っこたちを。
彼らを愛でるためだけに、観に行ったんだ。
てことで、次はキャスト感想。