『ローマの休日』って、どんな話だったっけ。

 映画を見たのは大昔。ストーリーは知っていても、細部まではおぼえてない。むしろ『レディ・アンをさがして』の方が記憶に残っている。←

 かっこいいおじさんに憧れるより、キュートなお姫様に夢中になるのは、若い頃にはよくあることだよね。女の子が手にする人形は女の子の人形であって、男の子じゃない。女の子はまず、かわいい女の子に反応する。
 おじさんの魅力がわかるのは、もっと大人になってからだ。
 おじさん俳優のグレゴリー・ペックよりも、若くきれいなオードリー・ヘプバーンの方が印象的だった。
 「オードリー・ヘプバーンの『ローマの休日』」という言い方はしても、「グレゴリー・ペックの『ローマの休日』」という言い方はしない、ようなもので。

 アンという名前は「そうそう」と思い出せても、その相手役の名前は思い出せない。
 それくらい、アン王女@ヘプバーンのイメージだけがある作品。
 や、わたしにとって。

 だから雪組の『ローマの休日』を観て、意外に、ちぎくんが主役だ! と、膝を打った。
 『ローマの休日』というと、ヘプバーンしかなかったんだもの! 名前も思い出せない「王女の相手役」を男役至上主義のタカラヅカでトップスターに演じさせるなんて、冒険だな……って思ってたんだもの。

 なまじ、ちぎみゆは『伯爵令嬢』という、女の子がタイトルロールかつ完全に主役! という作品をやっている。
 『伯爵令嬢』に続き、またしてもみゆちゃんが主役でしかない作品をやるのか。ちぎくん大変だな。
 そう思ったんだもの。

 タカラヅカは男役中心。トップスターとは男役のみの称号、娘役はたとえトップでも主役ではなく、主演男役に寄り添うヒロイン、相手役。
 いい悪いではなく、そういうシステム。前提。

 だから『伯爵令嬢』だって、演出の生田くんが、すっげーがんばって、「ヒロインの相手役」に過ぎない青年を、「主人公」にしようと比重を上げていた。

 生田くんががんばっているのはわかった。努力したのはよく見えた。ちぎくんだって、そのスター力を存分に発揮し、いい真ん中ぶりだった。
 でも、どうあがいても『伯爵令嬢』の主人公はみゆちゃんだった。ちぎくんは、その相手役。
 物語がそうなっているんだもの、仕方ない。

 だから『ローマの休日』も、『伯爵令嬢』と同じことになるんだろうなと、あきらめていた。受け入れていた。どっちが主役とかにこだわらず、いい作品を見せてくれればいい。ちぎみゆなら、大丈夫。

 なのに、実際に観てみたら。

 主役は、ジョー@ちぎくんだった。

 意外。トップスターが、ちゃんとトップスターだ。

 そしてわたしは、原作『ローマの休日』を大しておぼえていないことに気づく。
 ストーリーもキャラもなんとなくおぼえているし、印象的な場面とかも断片的におぼえているけれど。
 その、「忘れているのに、それでも記憶に残っている」部分って、みんな王女に関することなんだ。なんつっても、「オードリー・ヘプバーンの『ローマの休日』」だから!

 でも、物語のセオリー的に、主役はアン王女だとしても、新聞記者役は「視点」であるべきだよね。『レディ・アンをさがして』だって、主役兼視点はレディ・アンじゃなくて作曲家の方だったわ。
 王女は非日常。非日常と、わたしたちの住む日常が偶然交わるから、そこにドラマが生まれる。非日常を描くためにはまず、日常がなくてはダメ。
 ゆえに、視点となるのは、私たちと同じ世界に住み、同じ価値観で生きるふつーの人。そのふつーの人を通すからこそ、王女はとびきり魅力的に映る。

 だからジョー@ちぎが主役たり得るんだ。

 『伯爵令嬢』では無理だった。どんなに生田くんがアラン@ちぎのターンを作っても、原作が「アランの目を通した世界」にはなっていない。主人公コリンヌ@みゆの物語、「コリンヌの目を通した世界」なんだ、アランは「主人公の視界の中にいる人物のひとり」でしかない。

 正直、田渕せんせは生田せんせほどがんばって「タカラヅカらしくしよう、主人公をトップスターの役にしよう」とはしていない、ように見えた。
 ものすごいこだわりとか努力とか、感じなかった。
 ただ、原作映画のままに作ったら、こうなりました、って感じ。
 でも、ただ原作通りにするだけで、ちゃんとちぎくんが主人公になる。
 そっか。『伯爵令嬢』とは根っこからチガウんだ。

 てなことを、実際に観てようやく気づく。思い至る。

 こんなに観やすいのは、そのためか。

 主人公が主人公である。
 これって重要。

 なにもしない、なんのエピソードもドラマもない人が、「主人公です」と出番だけ多くされちゃうと、すっげーストレスだから。
 なにもしない主人公に尺だけ取られて、描くべきストーリーもドラマもテーマもなにも展開出来ず、破綻したまま終了する作品が、ヅカには数多く存在するからねー。女性主人公の物語を原作に選んじゃって、「主人公の相手役」でしかない人を主人公にするからすべてぐちゃぐちゃに壊れるの。

 そういう問題のない原作だったんだ、『ローマの休日』って。

 主人公は新聞記者のジョー。
 彼が少女と出会い、恋をして、己の人生と向き合う物語。彼の仕事、彼の夢、彼の友人、彼がひとつのドラマを通して、成長する物語なんだ。
 ヒロインの王女も冒険と恋を通して成長する、まぎれもないもうひとりの主人公。だからこそ、添え物ヒロインよりはるかに魅力的に描かれている。

 …………原作まんまではなく、もっとタカラヅカ的に練り直してくれれば。
 それこそ、『レディ・アンをさがして』並に、「『ローマの休日』は元ネタです」と別モノに書き直すことが出来れば。

 ちょっと映画まんま過ぎたかなあ。
 映画の記憶が大してナイくせにそう思うのは、画面や演出が平面的かつ平坦だったから。
 せっかくナマでここにいる、存在している、三次元感が薄かったような。

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