友人のつぶやきで、
2016.06.01 月組 宝塚大劇場/東京宝塚劇場公演『NOBUNAGA<信長> -下天の夢-』新人公演その他の配役決定
 というニュースを知った。

 ふーん、新公の他の配役出たのかー。
 主な配役は先に出ていたので、そしてまたしても暁くん主演だったので、すまん、わたしの興味はそこでストップしていたんだ。
 わたしは新公とバウ主演独占反対派。暁くんは将来のトップスターと入団前から決まっている人なんだろうけど、いったい何回新公主演やるんだろうなあ、それで人気出た人はれおんくんひとりで、すげー倍率の悪い賭なのにまだ劇団は同じことをやり続けるのかと嘆息するのみ。

 で、それ以後は念頭になかったんだけど……そっか、まだ他配役は出てなかったのかー、んで今日出たのかー。んで、友人がつぶやいているように、新公では蘭丸役がないって? 一本モノではよくあることじゃん、2幕分を1幕モノに短縮するから、役が減るのは仕方ない……あれ?
 『NOBUNAGA<信長> -下天の夢-』って、1本モノぢゃないわ。

 てゆーか。
 今日何日だ、そして月初日はいつだ……初日まで、あと10日??

 ひょっとして、最近になってようやく脚本上がった、なんてことナイよね?

 本公演にある役が新公にはなくて、そんな風に変更があるから配役が出なかった……脚本がまだ定まっていなかった、ってことかニャ?
 い、いや、いくらなんでもそれはナイよな。
 きっと本公演がもう完璧に出来上がっていて演出家がヒマになったから、今度は新公のためだけに脚本を手直しし、暁くん主演バージョンの『NOBUNAGA<信長> -下天の夢-』を書き上げたんだ!
 そうだよね?

 いやあ、大野せんせのやることなので、よくわかんないっす。
 初日の10日前まで脚本が完成していないことも、新公用に手直しすることも、どっちもふつーにありそうで。

 願わくば、脚本がとっくに完成しているバージョンでありますように。未完成でぐったぐたになってるから、というバージョンではありませんように。

 それにしても、森蘭丸はいなくてもいいような役なのか……あーさ……。
 今日から『Bow Singing Workshop』シリーズがはじまりました。わたしが観に行くのは明日です。
 公式HPに上演時間も発表されています。
宙組 宝塚バウホール公演時間
2016/06/02
宙組 宝塚バウホール公演(2016年6月2日~6月4日)
『Bow Singing Workshop~宙~』

第一幕 50分
-幕間- 25分
第二幕 50分

※公演時間は、幕間を含めまして2時間5分の予定です。

 休憩含めて2時間5分か。
 みじかっ。

 でもそれは想定内。『エンカレッジ・コンサート』もそんなもんだったから。
 にしても、こんだけ短いと終演後が暇になるなー、買い物する時間あるなー、とか思って改めて自分のチケットを見てみると。

 11:30AM 開演

 になってる!!

 なんじゃこりゃあ。

 はじめて見た、こんな時間。

 バウホールの午前公演は11時開演、午後公演は2時半開演。
 これはもう鉄板だった。それ以外の開演時間を見たことがナイ。
 トドの一人芝居とか、若手による休憩なしのノンストップショー公演とか、いろんな形態の公演も観てきたけど、開始時刻は一定だった。

 だから今回の、午前公演11時半開演、午後公演3時開演、というのは、……慣れないわ……。

 これからバウ公演は時間帯が替わるのかしら。それとも、歌バウのみの変則かしら。

 変則にする意味がわかんないのよね。
 最初は「歌バウは公演時間が短いから開演時刻を遅くした」のかな、と思った。
 通常の公演は2時間半あるから、11時開演でも終わるのは1時半。次の公演までは1時間。
 歌バウは通常公演より30分短いから、開演時刻を30分遅くしても、終演時刻は同じ1時半。それなら朝遅くした方が、楽出来るじゃん? てなことかな、と。
 でもそれなら、午後公演の開始時刻をずらすのはおかしいよねえ。せっかく朝30分楽出来ても、30分残業するんじゃ意味ナイじゃん。
 通常通り2時半開演なら、4時半に終業できるのに。
 3時開始だから、結局5時まで働くことになる。

 なんの説明もなく、突然公演開始時間が変わっている……。

 11時と2時半でカラダが慣れきってるから、間違えないようにしなきゃ。
 神様はひどいよなー、と思った。
 パッションくんの素晴らしい歌声を聴きながら、何故神は彼に美貌を与えなかったのだろうかと、口惜しい、切ない思いを抱いていた。
 熱のこもった拍手に送られて彼が退場し、代わりに現れたのが、うらら様。
 曲はひとりだけ歌謡曲。
 オペラのあとに、松田聖子……。
 ああ、神よ。
 何故神は、彼女に歌唱力を与えなかったのだろう……。
 いやその、タカラジェンヌはみんな美しいとわかってます、その上で、パッションくんはわかりやすい美貌とは別の持ち味の人認識なんです、わたし。
 そして、うらら様の歌唱力に至っては、まったくもって別カテゴリとしか……。

 『Bow Singing Workshop~宙~』観劇。
 『エンカレッジコンサート』から優に10年ぶり? の、若手メインによるバウコンサート。
 長年「トップ路線スターには音痴しかなれない」というくらい、歌唱力軽視時代が続いていたんだけど、近年よーやく「歌」劇団であることに、劇団が気づいたらしい。歌ウマ大事。歌ウマさんに活躍の場を。
 まあ、『エンカレ』があったときだって、劇団は歌唱力重視してなかったわけで、『エンカレ』で美声を披露したところで、「劇団が最初から決めている人」以外は路線スターにはなれなかったわけで、いくら今「下級生たちの歌の実力向上を重視する試みのひとつ」として歌バウをやったところで、そこでどんだけ「素晴らしい歌唱力」を披露したところで、「劇団が最初から決めている人」以外は路線スターにはなれないのだろうけど。
 だからこそ、「歌の実力向上」のために、どう考えても歌ウマではない「路線スター」たちが、各組出演者に名を連ねているわけで。

 わかっちゃいるけど、それでもなお、歌バウはうれしい。歌唱力大事、歌ウマ大事。わたしはそう思っている。
 でもって、歌バウに出演している路線スターさんたちにはぜひ、「歌の実力向上」してほしいと願っている。歌ウマ好きとして!

 そして、5組の先陣を切る宙組歌バウにて、最大の路線スターといえば、うらら様。
 なにしろ「路線スター」を丸6年もやっている強者だ。男役ならまだしも、娘役でこれだけ長期間路線スターでいるのは珍しい。(もっと長期間務めた娘役スターもいるので大丈夫……たぶん……このままいけば、記録更新するかもだけど)

 うらら様に関しては、もう歌はアンタッチャブルでいいんじゃないか、と思っているだけに、なんで今さら歌バウなのか疑問だった。「歌の実力向上」って、うらら様はもう向上しないと思う……出来るなら、『王家に捧ぐ歌』でしているはずで、博多座の『王家に捧ぐ歌』にだって引き続き出演していたはず。
 うらら様は「音痴」とか「歌がヘタ」とかとは、別カテゴリだ。努力してどうこうなる次元の話じゃないだろう。「声が存在しない」のは、どうしようもない。足のない人魚姫に「歩け」と言うのが無茶なことと同じ。

 彼女にいちばんいいのは、「歌わせないこと」だと思う。アムネリス役さえなければ、まさかここまでアンタッチャブルな人だとは、劇団もファンも気づかなかったはず……。
 なのに劇団はまだ、彼女に歌わせるのか。声がないのに、どうしろというんだ。

 と思っていたら、うらら様の歌唱曲は松田聖子の「瑠璃色の地球」でした。

 あー……、なるほど、そのテがあったか!

 うらら様の松田聖子は悪くなかった。ふつーに歌えていた。うん、「瑠璃色の地球」なら、わたしもカラオケで歌ったことある。松田聖子は歌いやすくて好き。
 歌劇歌唱ではなく、ふつーの歌謡曲、カラオケ歌唱なら、彼女はなんの問題もない。こんなテレビタレントいくらでもいる。
 ミュージカルではなく、地声で歌う練習の場として、歌バウに出演したんだ。なるほど、それならわかる。教室でレッスンするだけじゃダメ、実際にステージに立つ経験が必要だもの。
 歌バウはひとり2曲。うらら様のもう1曲は『モーツァルト』より「ダンスはやめられない」で、歌謡曲のみではないんだけど、こちらのミュージカル曲も、うらら様の出せる音の範囲の曲で……地声歌唱だった。
 歌謡曲か、あるいはミュージカル曲を歌謡曲歌唱する練習の場か……なんかしみじみと、なんでうらら様はタカラヅカに、ミュージカル界にいるんだろうなあ……、と考えてしまった。テレビでふつーにアイドルやってた方がよかったんじゃ……? こんなに美しいんだし、テレビ向きだろうに。舞台が好きだとしても、テレビタレントだって舞台の主役やったりしてるし。そこでいくらでも歌謡曲歌唱すればいい。「テレビタレントの舞台」に観客は美しいファルセットを求めないでしょ。
 いや、だからこそ、ここまで致命的な弱点を持ちながらもタカラヅカに固執する、つまりそんだけタカラヅカが好きなのかと、そこに感動し、いじらしくもなるんだけど。

 神様の皮肉さに、苦い気持ちになるばかりだ。
 神様ってひどい。

 うらら様がふつーの音痴であったなら、6年も路線スターをやってないで、とっくの昔にトップになり、もう辞めている頃だろう。
 この6年は、「存在しない声」を出すために費やされた。でも今、新たに「出せる声」で歌うことをはじめたわけだ。えーと、歌に関しては研1みたいなもん? 劇団も、娘役歌唱しない娘役育成はマニュアルも歴史もないから、手探りだろうし。
 ここから再スタートかあ……。
 うらら様の路線スター人生は、さらに続きそうだな……。

 しかし、男役のキーで歌う娘役スターと組む男役は、さらにその下のキーで歌わなくてはならないわけで…………た、大変だな。女声の限界に挑む感じ? がんばれ、宙組男役。
 とりあえず、歌バウでは歌ウマさんがいっぱいなので、その点安泰……なのかな?
 ああほんとうに、うらら様が男役ならなあ……。
 ほんとに、タカラヅカが、娘役が好きなんだねえ……。
 『Bow Singing Workshop~宙~』観劇。
 帰りの電車でだだーっと書いた感想メモを元に。……や、感想の大半はうらら様語り(←)だったんで、他の人たちは数行だったりするんだが。
 メモは自分だけがわかればいいわけで、曲名も生徒名も書いてないので、それをプログラムを見ながら改めて入力するのが面倒だった……(笑)。


 1幕。
 瀬戸花さんの曲は、「命をあげよう」。歌バウ定番曲。『エンカレッジコンサート』でも何人も歌ってた。
 いやもう、迫力。この曲を選んだの正解。歌唱力だけのことではなく、ドラマ優先なのがいい。

 最下の鷹翔くん。101期、研2……。レミゼの「星よ」。
 まず、男役歌唱になっていることに驚く。研2すげえな! そして気になったのが表情。すげーシワ……(笑)。眉間と鼻の上にくしゃっとシワが寄る、こわい顔で歌いまくる。誰かに似てる、いろんな人に似てる。
 歌のせいだとは思うけど、入り込んでいるゆえだと思うけれど、美しい表情を作るの要研究? ……って、そんなことを突っ込めるくらいに、ちゃんと歌ってる。

 ららちゃんは『マイ・フェア・レディ』より「踊りあかそう」。
 かわいい、とにかくかわいい。聴かせどころでちょい惜しかったりしたんだけど、とにかくかわいい。見ているだけでしあわせになる。

 るかぜくん、「Where In The World」。
 かっこいいつーか、きれいだね。歌もうまい……けど、ナニか足りない。ドラマ? きれいに歌い過ぎてる? きれいだけで突っ切るにはきれいさも足りない。声が惜しいかな、きれいな女の子の歌。
 まだ研5と若いけど、すでに新公主演済みスターだから、求めるラインが鷹翔くんとは違ってるの。るかぜくんは安心して聴ける歌ウマさん、だからこそさらに、と欲張っちゃう。
 『ファントム』は曲はいいんだよなあ、としみじみ。作品としてはもうヅカでやってくれなくていいんだけど、曲は好きだわー。

 『NEVER SAY GOODBYE』主題歌、真名瀬みらくん。こちらも101期かー。
 意外にいい。意外っていうのは、わたしがぜんぜん知らなかったというだけのことね。
 うまいしきれい、まだ形成途中っぽいので、これからさらに輪郭が出来上がるんだろう。
 つか、選曲いいよね。文化祭でもそうだけど、『ネバセイ』は盛り上がるのだわ。

 次も『ネバセイ』の曲、「愛の真実」。
 さよちゃんよかったーー! うまくて、表現がきれい。ヒロインとしての歌い方を心得てる感じ。
 なんか聴きながら「きゃー、お花様~~!」と思った。や、姿はまったく似てないんだが、お花様を見ていたときのわくわくを、ドラマを思い出させてくれた。……ちなみに、歌はお花様よりうまいと思う……うまいというか、正しい? きれい? すごく丁寧に音と情感を拾ってる感じ。

 んでもって、わたし的にけっこうな驚き。
 「私のヴァンパイア」がぶりっこじゃない!
 歌ったのはまどかちゃん。なんかすごくふつーに終わった。
 これも歌バウ定番曲っつーか、『エンカレ』のとき、「娘役は誰か必ずこの曲を歌わなきゃいけない決まりでもあるのか」ってくらい、毎回聴かされた印象が根強くてだね……しかも、毎回、歌う娘役さんたちが、これでもかとぶりぶりにぶりっこしまくって歌うもんだからね……。
 そういうもんなのかと思ってたのよ。元作品の元歌がどうだったかは関係なく、これ以上なく「娘役」ということを強調し、「娘役やっててよかったーー!」という幸福感に包まれて歌うものだという先入観……を覆し、まどかちゃんはなんかとてもきれいに、ふつうに、ヒロインらしく歌ってくれた。
 そうか……路線外の娘役さんが歌うから余計に、やりすぎなほどぶりっこして「娘役やっててよかったーー!」になるもんなのかも……? まどかちゃんはそこまでやる必要ないしな……。
 や、ふつーにうまかったです。ただわたしがびっくりしただけで(笑)。

 かなたくんが昭和で驚いた(笑)。どうしたんだ、平成生まれ、何故こうもアナクロ感満載……? や、好きだけど! 宙組っぽくない芸風かも。
 知らない曲だ、ええっと、『CHESS』より「The Arbiter」。
 かなたくんというと、この間の『Shakespeare』新公で愛ちゃんの役をやったちょい顔大きめの美人さんよね。オンナノコみたい、と思った記憶が……。こ、こんな芸風だったのか!! やだ、好みかも(笑)。

 下級生は持ち歌2曲のうち1曲はデュエットなのね。『シトラスの風』より「夢・アモール」。……知らないというか、おぼえてない曲だけど、このいかにもヅカヅカした曲はいい。下級生のタカラヅカ力を見ることが出来るもの。
 まいあちゃんかわいいねー、かまぼこ型の目が歌声とともにいろんな情景を映し出す。
 なぎくんは、歌声はそこそこなんだが、ビジュアルが……。顔はかわいいけど、男役としてのバランスが整ってない。スタイル面でハンデがある以上、かなり作りこみ技術を磨かないと男役になれないタイプだなあ。

 しーちゃんはすげー堂に入ってる。上級生キターー!!感。まだ研8で、新公卒業したばっかなんだけど、すでに上級生女役風。
 ステージに慣れた感じというか堂に入ってるんだけど、歌声が荒い……。どうしたんだ、もっとうまいはずなのに。
 知らない歌だから、聴いている側のわたしが散漫なだけかも。「LET ME BE YOUR STAR」『SMASH』より。ほらわたし、無教養だから、知らないことだらけなのよ。

 「カサブランカの夜霧に」を歌う美月くん見ながら、無性にあきらを思い出していた。男役として舞台で美しいんだが、「美しい」雰囲気を持っているんだが、ナニか特別にうまいわけじゃないというか……うーん、歌がうまければいいのになあ、もったいないなあ、と。


 続く~~。
 『Bow Singing Workshop~宙~』の感想つれづれ。
 当日書いたメモが元なので、箇条書き風。

 2幕。
 オープニングの『GLORIOUS!!』で、モブってるみらくん、かわいいな。
 「青い星の上で」はいい曲だなあ……しみじみ。

 澄風なぎくんにはぜひ、ビジュアルを吹っ飛ばすくらいの歌唱力を手に入れてほしい。さやかさんくらい歌ってくれたら、そのスタイルも武器になる。……つか、宙組だからつらいのかな? 雪や花ならここまでスタイルで苦労しないのか?

 難曲来ました、「心の中の神」。うらら様ヒロインで『カラマーゾフ』再演希望と耳にするたびに「あの曲どうすんだ」と全わたしがツッコミ入れてた、ヒロインの高音歌い上げソロ。
 まいあちゃんはやっぱうまいのな。選曲すげえわ、「好きな曲なの(はーと)」だけでは選べないだろコレ。
 外部ミュージカル曲ではなく、タカラヅカオリジナルの難曲を持ってくるあたりが好感度大。外部曲がどんだけうまく歌えても、タカラヅカでは関係ないもの。ヅカのヒロイン曲を、どう歌うかですよ、重要なのは。
 まいあちゃんは、ヒロインとして遜色ない佇まいに見えた。

 前から言っているけれどわたしは、こういうコンサートでタカラヅカオリジナルの曲を歌う人が好き。外部曲は、卒業してから歌ってください、それとも早く卒業したいんですか? タカラヅカにいる今は、タカラヅカを楽しんでくださいよ、と常々思っている。
 だもんで、まいあちゃんに続いてららちゃんもがタカラヅカオリジナル、しかも続けざまに雪組の名作『オネーギン』を歌ってくれてうれしい(笑)。

 ららちゃんかわいい……って、それしかないのか。いや、まずどうしてもソレが先に来る(笑)のだが、それはともかく、かわいくヒロイン曲を歌えるってのは才能だと思うのよ。『オネーギン』のヒロイン、みみちゃんかわいかったなあ、みみちゃん大好きだったなあ、と記憶は勝手にいろいろ動き……。
 そして、ららちゃんかわいいねーかわいいねー、と油断しまくりで眺めていたら、クライマックスでどん!と前に出てくる。歌声が、というより、存在が、ヒロインとしてのキャラクタが。
 一筋縄ではいかないな、ららちゃん(笑)。ああ、この感覚、好きだな。

 「愛の旅立ち」を歌うるかぜくんを見ながらしみじみ思う。
 るかぜくんは、昭和ソング歌ってなお、昭和にならない……不思議だ……、と。
 や、『ザ・レビューⅢ』っていつの作品だ、わかんないけどテイストとして昭和くくり。
 彼はとても宙組らしい男役さんだなと思う。そして、昭和的パンチを聞かせてなんぼだと思う曲をきれいにさらりと歌われて、なんとなく物足りない年寄りなのでした(笑)。
 いやいや、このスマートさがきっと彼の武器、これからのタカラヅカ、これからの宙組で、彼は強い力になるはず!

 で、下級生は1曲はデュエット曲……まどかちゃんはひとりで2曲歌えない下級生なんだなあ、と改めて。まどかちゃんと鷹翔くんで、「輝く未来」。や、ディズニーは苦手なので知りません(笑)。
 かわいくてきれいなカップルだな、まどかちゃんと鷹翔くん。まどかちゃんのヒロインスキルに引き上げられて、鷹翔くんの男ぶりも上がってる。そしてやっぱり鼻の頭にシワ寄るのな……気になる……好きかも←

 でもってさらにディズニー、まったく知りませんとも、元歌は。「カラー・オブ・ザ・ウィンド」。それをものともしない、歌う瀬戸花さんの情報量。
 瀬戸花さんは歌の技巧より芝居重視なんだな。彼女の「伝えよう」という意思がびしばし感じられて、心地いい。
 ヒロイン表現が淡く透明に広がるものだとすれば、瀬戸花さんの芝居(歌というか)はもっと色濃く、狭く厚い。切り口きっちり、鋭角だ。いいよいいよ、好きだよー。

 そして正反対のキャラ来ました、さよちゃん。「Home」……どんだけお花様好きなん。そしてお花様のビデオ見まくって来たん。さすがに2曲続けて来られると、1幕の『ネバセイ』で花ちゃんの影を見てしまったことが、偶然とかわたしの花ちゃんスキーさゆえではないことがわかった(笑)。花ちゃんファンだ、この子! お花様コピー。
 この子、ヅカに入る前はずっとヒロインだったんだろうな、と思った。それこそ、幼稚園のお遊戯会からはじまって、学園祭とか発表会でヒロインやってきたんだろうなと。そんな感じのこだわりあるヒロインぶり。目標がはっきりしてるのはいいことだ、武器を磨いてがんばれー。

 そして次がるいまきせ、パッションくんの「僕は怖い」、かずきそらの「どうやって伝えよう」と続く……んだが、それは翌日欄で。
 『Bow Singing Workshop~宙~』の感想つれづれ。

 とりあえずわたしは、和希そらが出ている以上、この宙歌バウは観たかった。絶対観に行きたかった。観ると決めていた。
 彼がなにを歌うかなどは知らない。なんでもいい。
 かずきそらの歌が聴ければ、それでいいのだ。

 バウホールに入り、座席に置いてあるプログラムを眺めて……うらら様の松田聖子に「ギャフン」な気持ちになりつつ、和希そらが、「どうやって伝えよう」を歌うと知る。
 ちょ……マジか。
 ベンヴォーリオか。よりによって、ベンヴォーリオなのか。
 (注・こあらさんはベンヴォーリオに特別な思い入れを持っています。特別を通り越して、アヴないくらい思い入れてます)

 和希そらが「どうやって伝えよう」を歌う。
 幕が上がる前からもう決まった、わたし的クライマックスはここだ!てな。
 1幕のそらくんの歌、「僕こそミュージック」もさすがですよ。やっぱこの歌は歌ウマが歌わなきゃね。そらくんなら易々、悠々。
 オープニングの全員コーラスの次、ソロの先頭バッター、暖まっていない空気を一気に自分へ向けさせねばならない大役、そらくんは見事に任を果たしたと思う。
 モーツァルト良かったよ、いい声だったよ、うっとり聴いたよ、……だけどわたしの期待度は2幕へ傾いている。そらくんうまい~~、いい声だ~~、単純に歌唱だけでなく、ステージング? 舞台で歌う、客へ見せるパフォーマンスも安定している、この実力者が、2幕で「どうやって伝えよう」歌うんだよ~~、わくわく。

 2幕のそらくんの直前に歌うのは、パッションるいまきせ。
 パッションくんとそらくんは、わたし的に同カテゴリ。路線的容姿ではないが、わくわくする実力の持ち主。
 あのパッションくんが、よりによって「僕は怖い」を歌う!
 なんでよりによってかというと、ロミオの持ち歌で、もっとも難しい歌だと個人的に思っているためだ。
 『ロミオとジュリエット』が好きなだけなら、ロミオの曲が歌いたいだけなら、他にもっときれいでその曲だけで独立している曲がある。独立した曲ってのは、物語関係なく、「歌手として」歌うことが出来る。
 でも、「僕は怖い」はモロ物語ずっぽりで。曲自体より、先に「物語」がある、イメージ。物語ることが出来ないと、曲だけ歌っても「なんじゃこりゃ」になる。
 歌の技術だけでなく、表現力が必要。しかも、半端なく。
 豊かな歌唱力と男役としての技術、役者としての実力。それらすべて備わってはじめてチャレンジが許される難曲だと思っている。
 だから、よりによって、と思った。
 そして、さすがパッションくん!と思った。
 パッションくんの歌唱力には期待している。きっと素晴らしい歌声を聴かせてくれる!
 パッションくんの1幕の選曲は「誰も寝てはならぬ」だし。歌ウマとして、真っ向から攻めてきている。
 そうさ、歌ウマさんはこれくらいアグレッシブでなきゃ。守りに入っちゃだめだ、まだ若いんだもの。
 成長しつづけるるいまきせに心から拍手を送り、そして2幕の『ロミジュリ』に期待した。

 るいまきせロミオに、かずきそらベンヴォーリオ。
 宙組歌ウマ対決!!
 ここが頂上決戦、クライマックス、がおー!(なんか吠える)

 とまあ、勝手に盛り上がっていました。わたしひとり、内心。

 でまあ、実際のところ。
 ふたりのタイプが違い過ぎて、対決にはならなかった。

 パッションくんは「ミュージカルの中の1曲」で、そらくんは「コンサートで歌うミュージカルソング」だった。

 なまじ同じ作品の曲を続けているだけに、色の違いが顕著で……ちょっと、つまらない。
 わたしは、そらくんの「ベンヴォーリオ」が観たかった。
 歌だけでなくて。

 そしてるいまきせが真正面からロミオで……濃ゆい濃ゆいロミオで、ああこの子は本当にミュージカルが好きなんだと思った……こんなごたまぜの下級生バウで、1曲だけの機会で、本気でミュージカルしているのを観て。
 そのあとに、同じ『ロミジュリ』曲で登場して。
 パッションくんがあんなにひとりで「ミュージカルですっ!」と握りこぶし振り上げた後に、「コンサートです」ときれいに「どうやって伝えよう」を歌われちゃうと……、拍子抜け感ひどい(笑)。
 や、そらくんが望んでそうしているのか、演出されてのことかはわからないよ。ずっぽりミュージカル歌唱のパッションくんと対比するために、そらくんはあえてコンサート歌唱にしているのかも。ここで『ロミジュリ』展開されても困るわけだし。

 それはわかっているけど、わたしは残念だった。
 そらくんのベンヴォーリオが観たいなああ。
 歌だけでなく、芝居が観たい。ベンヴォーリオを演じる和希そらが観たい。
 えーと、ぶっちゃけロミオでもいいんだけどなー。劇団さんは、彼にロミオはさせてくんないだろうなー。

 勝手に想像していたものとは違ったけれど、そらくんの声で「どうやって伝えよう」を聴けてうれしかった。
 ロミオでもティボルトでもなくベンヴォーリオってのが、うれしかった。『Shakespeare』つながりの選曲だとしてもね。

 るいまきせとかずきそら。
 劇団さん、大事にしてくださいよ、この歌ウマ男たちを。
 そりゃまあ、ビジュアル的にはそのう、いろいろ残念だということはわかってるんだけども。
 でもさでもさ、ふたりとも別格的容姿かもしんないけど、別格歌ウマ男役の典型パターンの容姿ではないので、まだ真ん中寄りを目指せる……よね? や、典型パターンってのはつまり、まるまるとかゴツゴツってやつね。美声には肉の厚みが必要なんだろう、別格歌ウマさんたちぷくぷくしてるもん……。
 まきせくんもそらくんも、まるぷくではないからなー。あの身体から美声を出す、というのがいいんだよなっ。
 このふたりが『ロミジュリ』歌ってくれたのが、ほんとうれしかったっす。
 『Bow Singing Workshop~宙~』感想あれこれ。

 るいまきせとかずきそらのロミジュリ対決。期待したものとは違ったとはいえ、十分すごい、ほんとに良い、劇場の空気がアツく盛り上がった!
 ……のはいいが。
 ここまで盛り上げて、次どーすんの? まさかまたうらら様に歌謡曲歌わせる気?
 たしかに、るいまきせのトゥーランドットの直後にうらら様の松田聖子は、すげーインパクトだった。空気を変えるのに、これほどのものもないだろうっちゅー別ジャンルをぶつけてくれた。
 え、2幕どうすんの??

 と思ったら、次はかなたくんとみらくんの男デュエットで。『Rent』より「One Song Glory」。
 あー、はいはい、抜け感すごいね、いい感じだね。知らず身体に入ってた力が抜けてく感じ。いかにもタカラヅカの下級生な歌。
 いいな、このふたり。かなたくんのクサさ好きだ、みらくんの甘さもいい。

 続くうらら様は「ダンスはやめられない」を地声だけで歌い切った。松田聖子よりこっちの方がいい。うらら様は持ち味的に「ぶりっこかわいい系」より、「かっこいい美女系」の方がいい。
 こんな風にかっこいい女を目指してくんないかなあ……てゆーか、やっぱ今からでも男役になってくれればいいのに……裏声出ないならなぜ娘役になった……と、またしても同じ希望と疑問がぐるぐる渦巻く(笑)。
 ああ、神様……どうしてうらら様にせめてふつーレベルの声を与えてくれなかったんですか……。

 ずんちゃんは路線ロードをひた走ってる感じ。
 他組の同輩から幾分遅れてスタートした分、劇団が短期養成プログラムを組んだ模様。
 ずんちゃんはそれに、よくついて行ってる。
 1幕ラストを路線スターが歌い上げて幕が下りる演出は、歌バウのお約束。出演者が発表になったときから、この役はずんちゃんだろうと想像できた。
 「This is The Moment」を破綻なく、1幕のトリに相応しい盛り上げっぷりで歌ってくれて、観客としては満足満足。もう少し外連味が欲しい気もするけど、それはこれからだよねー。
 2幕ラストは学年順なので、ずんちゃんはラストから3曲目、「運命よ、今夜は女神らしく」。なんかついこの間聴いた曲のよーな気もするが、かっこいいからいいや。

 ラスト2のしーちゃんと公演の大トリ美月くんと、こちらは『THE SCARLET PIMPERNEL』揃え。
 しーちゃんの「あなたを見つめると」は正当によかった。タカラヅカならではのスキルで歌う、ヒロインの歌。
 ああ、ええもん聴いたわ~~、と思ったところに登場する色男、美月くん。曲は「目の前の君」……ええ歌や……けど。
 あー……。
 いい曲なんだけど、その、歌っている人の力量が……。
 公演のトリを担うには、ごめんよ、美月くんはやっぱり足りてないと思うの……。好きなんだけどね……彼の舞台人としての、男役としてのビジュアルは。
 でも、「歌ウマ枠」として登場されると、かなり残念な気持ちになる。美月くんはかっこいい男役枠でいいじゃん……歌唱力不問の。

 長として若者たちをまとめ、きっといい仕事をしていたんだろうと思うけど、「長=大トリ」は、ナイわー。それならしーちゃんの方が良かったなあ。『エンカレッジコンサート』時代は、大トリが娘役、というのもあったんだから、別格歌姫が公演を締めてもいいと思うの。
 美月くんがかっこいいことと、「そっか、歌うまくないんだ……まともに1曲聴いたことないからわかってなかった……」と肩を落としたことは、別の話。
 彼は貴重な、大人の魅力を持つ男役ですよ。大事大事。

 終わり方がちょい残念だったけれど、聴き応えのあるいいコンサートでした。
 続く他の組も楽しみだー。
 年寄りの昔話シリーズ。
 歴代『エリザベート』語りをしたいのだが、初演雪組から、次の星組に行く前に、当時のネット事情なんかを語ってみる。

 わたしの最初のネットデビューは、いわゆる「インターネット」ではなく、パソコン通信だ。ばばあじゃけん、ネット以前の消えた文化が最初でしたのよ。

 パソ通には、いろんなフォーラムがあって、わたしはまずいそいそとタカラヅカフォーラム「すみれ組」に登録した。ヅカの話のできる場を求めていたんだ。
 で、ざーっと各ツリーに目を通した後、新参者専用のツリーに挨拶を書き込んだ。他の人がしているのに倣って、「はじめまして」からはじまって、簡単な自己紹介をして「よろしくお願いします。」で終わる。わずか数行。小心者なので、お手本通り、はみ出すこともない代わり、オリジナリティもない、あたりさわりのないふつーの挨拶。

 そしたら、その他愛ない挨拶に、知らない人たちからレスが返った。「ようこそ!」と好意的に受け止めてくれている。
 うれしかった。
 しかも、わたしが軽く触れただけの文脈を読み取って、それについて返してくれている。
 大喜びしたわたしは、レスにレスを返した。そうです、これだけの言葉でわかってもらえるなんてうれしい。
 そしたらまたレスが返った。「わかりますよー」と。
 んでまたレスを返し……。

 で。
 怒られた。
 別の知らない人に。
 自分たちしか通じないような会話を、挨拶ツリーでやるなと。

 はい。
 わたしの「ネットデビュー」はこれで終了しました。
 初心者として挨拶をした、そこで一度怒られた。……これだけで、終了。最初の挨拶合わせて合計3回くらい? 全部合わせても十数行? それが、人生での書き込みのすべて。
 以来もう二度と、書き込みはしなかった。
 小心者っすから。
 理がどっちにあるにしろ、「知らない人から頭ごなしに怒られた」だけでびびって退散したんだ。
 まー、なんてチキンハート。

 レスでわたしにかまってくれていた人たちは古参らしく、そうやって初心者の挨拶にレスをして歓迎するのが習わしらしかったけど、わたしがなつくもんだから調子に乗っちゃったみたい? 他の古参さんに叱られるまで一緒になってきゃあきゃあやっちゃったんだな。
 古参さんたちは「怒られちゃった。てへぺろ」だったけど、わたしはすくみあがって逃げ出した。


 レスをくれた人たちと個人的にやりとりは続けたけれど、私はもう二度と不特定多数に開かれた場で発言をすることはなかった。
 すみれ組だけではなく、他にも登録したフォーラムはいろいろあったけれど、挨拶書き込みすらしなかった。完全沈黙。

 まあ、お金もなかったしね。
 パソ通は、わたしには高価な遊びだった。アニメ・マンガの兼業ヲタクだったもんで、定点観測するだけでもかなりの時間が必要、ROM専でも今のスマホ代よりはるかにかかっちゃう。若かったしね。今よりはるかに、びんぼーだった。
 友人とかは毎月何万も費やしてて、そのうちシスオペだっけかになってたりしたけど(ついでに、今の旦那もそこで見つけてたけど・笑)、びんぼーなわたしには無理。

 ROMだけだとしても、すみれ組ライフは楽しかった。
 わたしはずっと、「他者の目線」に飢えていたんだ。

 ヅカ友はいたけれど、全員もともとの友だち、ヅカで知り合った友だちじゃない。
 元から友だちだから、趣味も感性も似ている。普段からつるんでいるから互いの好みもわかっていて、なにを見てどう思うか、どんな感想を言うか、大体わかる。
 わたしが思うようなことは、大抵友人たちも思っている。

 そうじゃなくて、まったく別の視点に触れてみたかった。

 わたしが得られる情報は公式機関誌に載っていることのみ。それには「劇団検閲済み」のモノしか載っていない。
 そうではなく、もっと自由に発信された意見を知りたかった。

 コミケで売っていた「タカラヅカ評論本」「公演レポ」とか、人づてに教えてもらった「タカラヅカファンサークルの機関誌」とかも入手して読んだ。
 「本当に同じものを観たのか??」と目を疑うような、生まれてはじめて知る感想で埋められていたりした。
 公式とは違う、とても偏った「評論」や「感想」たち。わたしの周囲では誰ひとり言わない・思わないことが、「世界中の人がこう思っている」みたいに語られていたり、カケラも共感出来ない意見にぽかーんとなることもあったし、「うわなにコレ、めっちゃ腹立つ!」てな内容にもよくお目にかかったけれど。

 共感出来なくても、そんな意見があることを「知る」方が、わたしには興味深かった。

 だから、すみれ組でいろんな意見を読むのが楽しかった。
 いろんな人がいて、いろんな考え方がある。それを学んだ。
 それと、ネチケットなー。書き込むことはなくても、繰り返される他人のやり取りから、「やってはいけないこと」を学んでいきました。


 すみれ組時代に「ROMに徹する」ことを習性としてしまったので。

 その後、インターネットの時代になっても、そのスタンスは変わらなかった。
 開かれたBBSには書き込まない。つぶやくこともない。

 いやあ、そういう習性が染みついていて、よかったよ。

 もしパソ通でびびって逃げ出してなかったら……脊髄反射で自分の意見をがんがん書き込んで、他者と会話しまくることを日常としていたら。
 宝塚歌劇団公式掲示板全盛期に、なにかしらやらかしていただろうから。

 ……ということで、この年寄りの昔語りで俎上に上げたいのはパソ通ではなく、公式BBSだ。(いつものことだが前置き長いよ)
 前日欄で、

>すみれ組時代に「ROMに徹する」ことを習性とした

 と書いた。
 そのことについての追記。

 すみれ組や各種掲示板で発言しないと言ったところで、こうしてブログやってんじゃん、と思われるかもしんないが。
 ブログと掲示板は別だから。

 わたしはもともと同人やってた人間なので、同人誌とブログ、ツールが変わっただけでやっていることは同じ、モノを書いてひとさまに読んでもらえるところに出す、というだけ。
 わたしは書き手であり、読み手さんと同人誌の誌面で会話はしない、物理的に出来ない。
 会話前提じゃない。
 この「DiaryNote」はブログ文化上陸前の「日記」サイトで、わたしはそもそも日記を書いていたわけだし、ブログになってからもコメントは閉じているので双方向性はない。
 やっていることは、紙の同人誌と変わらない。(同人誌と違い、誰もが読めるわけだけど)

 また、読み手としてのわたしも、掲示板よりもHP、日記サイト、ブログ等を好む。
 短文の応酬よりも、まとまった文章を読みたい。誰が書いたのかわからないものではなく、ハンドルネームであれ「この人が一連の文章を書いている」とわかる方がいい。

 文章は、立ち位置によって意味が変わる。
 たとえば、「『〇〇』という公演の※※さんは良くなかった」という1文。
 ここだけ読むと、※※さんの悪口、否定的な文章だ。
 だけど、それを書いている人が※※さんのファンで、何年もずーっと※※さんの公演を観て、応援し続けている人で、この1文のあとにも※※さんを応援し続け、愛し続けている記事が続いているとすれば、単純な悪口でも否定でもない。

 掲示板に匿名で書かれた「『〇〇』という公演の※※さんは良くなかった」1文だけだと、それ以上の情報がナニもない。
 そこで完結してしまう。
 それでは、つまらない。
 わたしは、その1文が書かれた背景が知りたい。

 だから、インターネット時代になってからは、個人の日記サイトやブログを探して、読むようになった。
 自分の感性に合う書き手さんを見つけるとうれしかった。すべてに共感する必要はない、自分とチガウ意見だとしても、尊敬できる人の文章からは、思いもしない発見を得ることが出来た。

 わたしはアニヲタ上がりの二次創作畑の人間なので、素敵なヅカ二次創作に出会うと感動するし。

 ただ、タカラヅカというジャンルの宿命なのか、公演感想だろうと二次創作だろうと、書き手さんもジェンヌのように短命で、更新が途絶えてしまうこと、そればかりかページごと消えてなくなってしまうこと、が圧倒的に多い。
 長期的に続けてくれる人は少ない。
 ご贔屓が卒業したら、同じスタンスで書き続けることは難しいものね。
 また読みたいと思っている書き手さんたちに、いつかどこかで、別のご贔屓、別のハンドルネームでいいから、また会えたら、その語りを読めたらいいなと思う。


 てことで、わたしはわたしとして、「緑野こあら」として、文章を書く。
 緑野こあらになる前、パソ通のすみれ組で凹んで逃げ出したおかげで(笑)。
 それを、心から良かったと思っている。
 自分にとって居心地のいいツールを、早い段階で判別することが出来たから。


 て、本題の劇団公式掲示板の話はまた、公演感想の合間に載せる予定(笑)。
 翌日欄からは、『NOBUNAGA<信長>』だ~~。
 こんなに人望ない信長はじめて見た。

 まさお氏のサヨナラ公演であり、大野タクジィ新作でもある『NOBUNAGA<信長> -下天の夢-』初日観劇。

 すまん……わたし、かなりぽかーんとした……。

 信長がまさおアテ書きなのはわかる。そうだろうとも、まさおは信長がハマるキャラだ。大野せんせもそのつもりで書いているのだろう。
 それがわかるだけに。

 敵も味方も部下も、すべての人に嫌われ、憎まれ、孤立し、殺されかける信長、に、くらくらした……あ、アテ書きでこれって……そして、ひとりぼっちで「憎まれ上等!」な信長……タクジィ、アテ書きするにしても手加減して! とハラハラした。

 舞台にまさおただひとり、ではじまり、最後も舞台にまさおただひとり、で幕が下りる。

 これが大野せんせのまさお観かぁ……。

 組子全員に見守られ、特大の笑顔で幕を下ろした「戦国武将モノのサヨナラ公演」を観た記憶が強く残っているだけに、この差に愕然とした。
 まあなあ、慶次はみんなのために最後まで闘い抜くところで「完」、信長は自分を守って死んでいく人々を全員見捨てて、ひとりだけ逃げ出して「完」、だもんなあ……孤高になるわなあ。

 「織田信長」なんて題材は、ふつーにやるだけでも絶対失敗しない鉄板ネタ。信長の信長らしいエピソードを連ねるだけで、十分派手で盛り上がる。感動作になる。
 なのに、信長らしさを描かずに肩すかしのままEND、って……。
 どうしてこんなことに。

 大野せんせ、ナニがしたかったんだ……。
 まさかほんとに、人望ナッシング信長を描きたかったのか……? マジで……?

 一旦全員から裏切られた信長、結局みんな「心変わりの心変わり」をして信長に従うんだけど。
 えーと、こんなに簡単にコロコロ変わる信念なんて、最初からただの、触れば壊れる豆腐マインド。その場の空気で立ち位置を変える日和見主義。誰も信長を本気で愛してない。

 帰蝶@ちゃぴだけは信長を愛している設定らしいが、言動に整合性がなくてわけわかんないし。さっさと死んじゃって、死ぬのは「さっさと」なのに、死体は「いつまてもいつまでも」出しっ放しだし。
 ぽかーん。

 「外面だけの臣下」しか持てない信長は、「その程度の人」。周りを見ればその人自身がわかる。くだらない人には、くだらない取りまきしか集まらない。
 だからこそ信長は、そんな「外面だけの臣下」を捨てることも平気。信長だって、誰もまったく愛してない。
 「信長様のために!」と闘って死んでいく臣下たちを捨てて、自分だけ船に乗って新天地へGO!!
 ハッピーエンド!!

 ぽかーん……。

 信長なのに……。
 魔王と恐れられていても、圧倒的な魅力を持ち、敵であれ味方であれ、魅了されずにはいられないカリスマ、てのが「よくある信長像」。
 誰からも大事にされない、ぼっちで駄々っ子な裸の王様、って、誰得な信長像なの?

 なんかもう、ハラハラくらくらしまくりました。
 これが退団公演、これが最後の役って。
 まさおスキーとして、信長スキーとして、大野くんを校舎裏へ呼び出したい気持ちでいっぱいでした(笑)。
 『一夢庵風流記 前田慶次』も壊れまくった話だったけど、キャラクタのアテ書きぶり、生徒のハマりっぷりが心地よかったから、リピートするのは楽しかったんだけど……。
 コレはないわー。
 つらいわー。


 ショー『Forever LOVE!!』は、まさおさん大活躍。
 楽しそうでナニより。
 気になるところはいろいろあるけど、まさおさんの笑顔観てたら「もう、いいか」という気になった(笑)。
 『NOBUNAGA<信長> -下天の夢-』初日観劇。
 帰りの電車の中で書いた感想メモを中心に。

 開演前のアナウンスは、光秀@カチャと秀吉@みやるりの漫才。
 『エドワード8世』を思い出した。開演アナウンスをまさおがやってたねえ。あれを下敷きにしてるんだね。
 同じ大野せんせということもあるけれど、まさおがきりやんのサヨナラ公演をリスペクトしているのだと思うと、胸が熱くなる。や、前任のサヨナラ公演を「嫌だ」と思っていたら、あえて同じことはしないだろうから。
 そうか、好きだったんだね。自分もやりたい、と思うくらいに、好きでいてくれたんだね。
 と、きりやんも『エドワード8世』も好きなわたしはうれしくなった。


 ところでわたし、すっかり「まさお節」に毒されているのかしら。
 中毒患者は、自分が中毒だとわからなくなるじゃない?

 『NOBUNAGA』を観て、「まさお節が気にならない! まさおと時代劇って合う!」と思ったんだ。
 でも、世の評価は真逆みたいで。
 「まさお節が酷すぎてわけがわからない」という意見を耳にしまくることに、心から「?!」だった。

 あたし、毒されてるのか!!
 ちょっとやそっとのまさお節じゃあ、物足りないくらいに?


 わたしはまさおスキーで大野せんせスキーだし、ヲタクとして、ふつーに戦国時代も信長も好き。「信長」はタカラヅカ向きのキャラクタ、タカラヅカ向きの題材だと思うし、なにより月組トップスターまさおのキャラに合っていると思う。
 失敗する要素の方が少ないはずだから、無邪気に楽しみにできる……はずが、制作発表会映像を見て、不安感が上昇した。なんか、変……これあかんやつや感がゆんゆん……。

 それでも、観てみるまではわからない。
 2番手@たまきちが謎の外国人役とか、帰蝶@ちゃぴが信長を憎んでいるとか、設定自体は面白い。
 やばい、と思ったのは、ビジュアルセンス。
 いくらでも美形に作れる西洋人役がムサいヒゲ男で、長刀振り回して見得を切るヒロインが昭和時代のSFみたいな格好で、肝心の主演が「信長らしい髷とヒゲ」が顔立ちに合ってない……。
 で、でもビジュアルなんて、そこからいくらでも変更できるんだし。
 そのままでも、作品全体にはぴたりとハマって、美しいのかもしれないし。

 観てみるまではわからない。
 そして、実際に観て。

 痛感する。

 大野せんせは、ロック・ミュージカルは作らなくていいです。

 出来ないことはしなくていい。

 地味だけど美しい日本物の画面を作れる、のが大野せんせだったのに。
 ふつーに日本物だったら、ふつーの戦国時代モノだったら、こんな悲惨なことにはならなかったろうに……「ロック・ミュージカル」としたために、こんなことに。

 制作発表会の危惧がそのまま現れた舞台でした。
 ダサい……サムい……。

 男役たちは着物にブーツ姿で、衣装にもお金をかけてもらっているのがわかる。さすがスポンサー付き公演。
 でも、そのお金をかけたっぽい衣装が、かっこよくない……きれいじゃない……。
 これならふつーに着物姿で良かったんじゃナイかな……。

 日本物と「ロック(と大野くんが思っているモノ)」の食い合わせが悪い。
 わたしはアニメ・ゲームも好きでそっち系もよく目にしているけれど、着物+ロックテイストってもっと、いくらでもかっこよく出来るよ……? つか、定番過ぎて飽きるくらい、よくあるネタよ……?
 なのになんでその定番で、こんだけはずすかな。そっちの方が不思議。
 音楽が「ギュイイーーン!!」だったらロックなのかよ、チガウっしょ?


 まさお単独の「敦盛」はプロローグとして。
 そのあとのオープニングはばーーん!と派手にかっこいいはずなのに、それを期待していたのに……び、びみょー……。

 そもそも最初の場面、帰蝶たち女性陣はなにしに出て来たの?
 今川義元@るうくんを追っている戦場よね?

 「女子だって闘うわ!」ということで、隊列に加わっていたの?
 じゃあなんで、「ただの通行人です」と着物で顔を隠していたの? ふつうに武装して現れるはずよね? 今川軍が「通行人の着物を奪うはず」と思ってわざとやっていたの?
 そこまで考えていなくても、戦場で通行人を装うこと自体が作戦だったの? 女ばかりだと油断するだろうから?
 貴人が女性だけで野良をうろうろするのが「通行人を装う」ことになるのか? あんなクソ怪しい一行を「ちょうどいいところに通行人が!」と襲いかかる今川軍ってどうなの。

 マンガ的な帰蝶の登場シーンを作りたかったんだろうけど、無茶苦茶過ぎて最初から引いた……(笑)。
 男たちと同じように隊列に加わっていた、としてくれた方がよっぽどよかったわ……。
 そうやって「現実にはあり得ないけれど、フィクションならではの演出」をしてなお、成功してない……地味……。

 サイトーくんならこのへん、もっとうまく演出したろうになあ。『エル・アルコン-鷹-』の女海賊たちはすっげーかっこよかったなああ。

 ところで、この女武者たちのなかにあーさがいることに、なかなか気づかなかった。台詞を言う段になってはじめて、え、あれあーさ?!となった……(笑)。

 続く。
 『NOBUNAGA<信長> -下天の夢-』初日観劇。
 初見ゆえの疑問とかツッコミとか、答えの出ない感想を書く、その2。

 オープニング、ビミョー。
 信長@まさおの敦盛は掴みとしていいけど、そのあとはばばーんと派手なショーアップされた場面になる、と期待するよね? オープニングってそういうもんよね? だって「ロック・ミュージカル」よ?『信長』じゃなくて『NOBUNAGA』よ? 民放の土臭いドラマじゃないのよ? タカラヅカよ?
 どんなに華やかな世界が展開されるのかしら!!
 ……それが、肩すかし感ひどい……。

 というところからスタートしました、わたしの初見。
 すっかり乗り損ねたというか、入り込みそびれちゃったんだけど、ここから巻き返しなるか?!


 物語スタートして、いきなり歌いだすのがるうくんてのもおどろいた。え、そこ?
 盛り上げるためには、やっぱ主役クラスの人がばーんと歌うべきじゃ……? 脇キャラは、それを受けるカタチになるもんでは? 今川義元@るうくんって、この場面だけのキャラよね?
 最初のソロがるうくんなんだ……他にもスターいっぱいいるのに。

 や、るうくん個人はいいんだ。演出にびびっただけで。

 るうくんがかっこいい。こういう役をすべらずにやり遂げてしまう、専科でない組子、って大事。この役の芝居が軽いと、場面自体成り立たないもの。……仕方ないことだけど、家臣の子とか、すげー軽いもんなあ……ああ、若い女の子ががんばってるんだなあ、が丸見えで。
 るうくんは信頼されてるよな。大野作品だとナニ気に扱いいい。

 扱いがいいというと、浅井長政@としくん。
 かっけー!
 真正面から美形。なんか久々に、こんだけ逃げなく美形やってるとしくん見た気がする。
 や、としくんはいつもかっこいいけど、役割的に美形の作り方濃度がいろいろあるじゃないですか。
 今回はほんとに言い訳なしに本気の美形モード。
 大野せんせはとしくんをうまく使うなと、いつも思う。毎回色の違う役だけど、どの役も「美しさ」のある役で、そしてとしくんはきっちりそれに応えてるよね。

 くらげちゃんのお市もふつーにきれい。
 美男美女が登場してきて、おおっ、とテンション上がった……のに、エピソードあれだけとか。仕方ないけど、肩すかし感すごい(笑)。

 大野作品だから期待したんだけど、それにしたってからんくんの扱いがすごい。銀橋で次期トップと歌芝居?
 全編この比重だったらどうしよう、とびびったわ(笑)。や、からんくん好きだからうれしいけど。


 大野せんせの戦国時代モノってことで、どうしても『一夢庵風流記 前田慶次』と比べちゃうんだけど、松風は偉大だったなと。
 最初、松風が現れたときは失笑というか、なんとも言えない空気になった。人間が中に入ってる着ぐるみの馬なんて、笑っていいのか真剣なのか、反応に困るよね。歌舞伎ではそれが通常ったって、タカラヅカは歌舞伎じゃないし。
 でも、登場した瞬間だけだった、観客がとまどうのは。
 みんなすぐに受け入れ。むしろ愛でるようになった。松風もちゃんと「演技」していて、芝居の出演者のひとりだったからだ。

 『前田慶次』が馬。
 そして今回の『NOBUNAGA』では、象。

 2作続けて動物を出すのか……。
 まあ、松風が成功したもんな。

 でも……。
 今回の象は、ただの大道具……? 輿と同じ扱い。
 出て来た瞬間客席がざわっとするけど、ただの輿だとわかると、そこで完了するというか。
 松風ほど愛されない気がする。

 象もだけど、信長のスケール感を出すのに、象使いとか信長配下の外国人いろいろ登場。でもただのデコレーションに過ぎない。
 なかでも弥助@貴澄くんがもう少し萌えキャラとして確立すれば違うのにな……なんかいろいろ惜しい。


 秀吉@みやるりと光秀@カチャの描き方は不満。
 史実を知らずに、まったくのオリジナル作品と思って見たら、「同じキャラはふたりもいらないわ、ひとりでよくね?」と思ったろうな。
 既視感あると思ったら、『1789』だ。「革命家3人もいらないわ、ひとりでよくね?」と思ったなー。
 役割がひとつなら、ふたりにする意味がない。「だって史実だもん、ふたりいたんだもん」って、『1789』の革命家たちも「だって史実だもん」だよな。
 「役割が同じだなんてとんでもない、秀吉と光秀が同じなんて、歴史を知っていれば混同しようがない」ということかもしれんが、歴史を知っているからこそ、ニコイチ扱いが違和感。
 キャラの差がわかりにくいんだよなあ。衣装のテイストからまったく違うようにすればいいのに。
 どっちもふつーに美男子なんだもん。


 フランシスコ・カブラル@ナガさん。
 調子悪いのかな? 歌大変かも。
 ナガさんはこの公演を最後に専科異動が発表されている。カラダ大丈夫なのかな、と心配しつつ観た。


 足利義昭役が、コマで良かった。
 将軍様は、ふつーなら専科ポジションだ。『更に狂はじ』『睡れる月』『一夢庵風流記 前田慶次』……毎回毎回、このテの役は、専科さん。
 だけどあえて、コマ。
 専科のおじさま方はもちろんすばらしいけれど、物語を締めてくれるけれど、何年経っても同じ人たちで同じ役を回し続けていては、限界がやって来る。次代育成大事。
 コマは本専科さんではなくスター専科扱いだったと思うけど、ヒロさんがやるべき役を、体当たりで務めている。禿ヅラまでかぶってるもんよ……。きれいな人は、禿でもきれいだよなー。てゆーか、登場したとき、みょーに色っぽくないですか、いいんですか(笑)。
 あと、もうちょい歌えたらなあ……滑舌が良ければなあ……。席の位置も関係しているかもだけど、時代劇台詞だと聴き取れないことが多かった。

 だらだらと続く。

 『NOBUNAGA<信長> -下天の夢-』初日感想あれこれ。

 あーさの役は、

>妻木(帰蝶の家臣)

 としか、知らなかった。人物相関図に「光秀の妹」とあるから、間違いなく女役。
 長刀振り回す帰蝶@ちゃぴだから、直属の家臣団を……しかも女性ばかりのチームを従えているのだろう、と、ここまでは想像できる。

 予想外だったのは。

 帰蝶家臣団が、くのいち軍団だったことだ。

 大野くんの忍者萌えキターー!

 大野作品お約束の傀儡。そっか、ここにぶち込んだかー。
 女武者ではなく、くのいち、って、完璧に作者の趣味だろ。ふつーなら帰蝶と同じく長刀をふるう女武者集団になるところを、ミニスカで短刀を逆手持ちして闘う、お色気キャラ。

 刀同士の斬り合いより、変な武器を使っての立ち回りに萌えるのはヲタクの習性? サイトーくんといい大野くんといい……。

 そして、エロシーンが「主役カップル」よりも他の人たちに比重が大きいのも、大野せんせならでは?
 信長@まさお×女あーさ。
 あーさの着物の中にまさおが手ェ突っ込んでた、ところがたぶんこの作品のいちばんのお色気シーンで、見どころなんだろう。

 女あーさに対して、すげーせしこがかぶる……美形男役の女装だからかな。
 きれいなんだけど違和感がある。そして、エロシーンを演じてなお硬質というか、色気がない。
 やってることはエロいので、視覚では「あー、エロいことやってますね」とわかるんだけど、情感面で匂い立つものがないというか。
 その硬質さがいいのかな。エロやってもエロにならないから。スミレコード大事?

 そんなくのいちあーさの「あこがれの人」佐脇良之@暁くん。
 がんばれ……。
 たのむ、がんばってくれ。
 暁くんはかわいいけど、「かわいい男の子」の域を出ず、手練れのくのいち、あーさのあこがれの人に見えない。あーさはピュアな女の子役かもしれんが、そういう部分とは別に、くのいちとして優秀なんでしょ? 半人前の少女ではなく、前線で闘うプロなんでしょ?
 あーさが暁くんを爪先で転がす系で愛でている、ならアリかもしんないけど、「小娘あーさ」が「素敵なナイト様」に憧れている設定は、目に映るモノとの差がつらい。
 くのいちたちをいなしている姿も、「本当は強いんですよ」という切れ味が見えなくて、くのいちたちも「手順通りにおっかなびっくりやってます」感があるだけに、なんともどんくさい印象……。

 暁くんはまさお卒業後は番手スターになっちゃうんだろうか……たまきちは若くても大人の男に見えるからともかく、なにやっても10代にしか見えないベビーフェイスくんに番手が付くと、作品の幅が狭くなって大変だよなあ。
 タカラヅカは大人の男女の物語を展開する劇団で、スクールミュージカルをやる劇団じゃナイからなあ。


 それにしても、信長と帰蝶が絡まない……。

 ところで、帰蝶の制作発表の台詞の浮きっぷりはナニ?

 ビジュアルセンスがわたしの好みと乖離しまくりでびびったけれど、「魔女のような姿で長刀振り回し、信長への愛と憎しみを宣言する帰蝶」は、萌える設定だった。
 信長モノって大抵濃姫とは相愛だからねー。そして「まむしの娘」濃姫は、心根の強い女性として描かれる。本能寺の変では、信長と共に闘い、共に炎の中で果てるイメージ。そんなマンガもドラマも山ほど見た。
 ゆえに、信長を憎む帰蝶は新鮮で、わくわくした。

 しかし。
 そんな設定、どこにもありませんがな。

 なんで出て来たのかわかんないオープニング以来、信長と帰蝶の場面はなし。
 帰蝶の故郷、美濃を征したことで、
帰蝶が信長を恨んでいる……1
と、信長が勝手に思っている……2
ということを、帰蝶が察している……3
 3段階あるけど、1は事実ではないので2は間違い、だけど信長には1だけがすべて、そしてそれでもいっか、となにもしないでいる。帰蝶は1も2も理解している3状態、でも自分からはなにもせずにいる。
 えーと? 1だと思い込んでいる信長と、1が真実である帰蝶なら、すれ違っていてもおかしくないけど、帰蝶は3なんだから、すれ違う必要ないよね?

 武器を手に戦場に出るほどの女傑……だけど、帰蝶自身は「戦乱よりは平穏」「野望よりは小さな幸福」を求める、すっげーふつーの女性よね?
 そもそも、こんな平凡な女がどうして信長なんか愛し、信長を「自分の枠」にはめようとするのかしら……?

 で、一度も信長と敵対したことナイのに、最初からずーっと信長ラブで、信長が誤解していることも知っていて、「誤解されていても愛し続けるわ♪」と女傑設定なのに添え物ヒロイン脳で、そもそもまったく絡まない帰蝶様。
 なのに突然、全員集合の場に制作発表会の格好で飛び出して来て「信長を討つのはこの私!」とか、あまりの超展開にぽかーんとなった。

 しかもただ出て来るだけで、すぐ死んじゃうし。や、信長かばって愛の証明するからいいっちゃいいんだけど、え、帰蝶もう死ぬの?!だし、なんつっても、死体出しっ放し。

 あーさも死体出しっ放しだったな……。
 テレビならそこに死体が転がっていても、映さなければ済む。でも舞台は、片付けない限りずーっとそのまま。
 死体出しっ放しだと、違和感。モブの雑兵が討たれて死んでいるならともかく、ヒロインとか準ヒロインがえんえん放置プレイって……。ふつーなら、セリ下がったりカーテン閉じたり、他キャラが運び出したりして、「目に入らなくする」よね。テレビのフレームアウトと同じく。観客の意識を向けられては困るから。
 なのに、出しっ放し。
 そこにあるのに、気にせず話を進める。
 ……大野くんってこんなに演出雑でヘタな人だっけ……?

 『ローマの休日』中日初日に行ってきました。

 もうライトなヲタなので、遠征はしない……つもりが、ちぎみゆ見たさに名古屋まで。
 6月の中日ってめずらしい? いつも極寒の2月に雪景色を眺めながら急行列車に揺られているイメージ。


 ちぎくんが挨拶で「3年ぶりの中日劇場」と言っているのを聞いて、マジでわかんなかった。3年ぶりってなんだろう? 前に雪組が中日来たのって? 雪組しばらく中日なかったよね……あったらわたし、行ってるはずだし。でもわたし、中日劇場すごく久しぶりだ……。
 『若き日の唄は忘れじ』のことだったのか!! あれって3年前? たったの3年なの? もっと前かと思った。
 ……えりたんってほんと短かったんだな、トップ時代。1世代前のプレお披露目公演が3年前か……。

 その『若き日』で、ちぎくんのものすごい歌声を聴いて、椅子から落ちそうになったんだったなー。
 ヅカヲタやって長いもんで、高い音痴耐性を誇るわたしですら、耳を疑う破壊力だった。「タカラヅカで聴いたすごい歌(笑)」のランキング上位に入る、忘れられない歌声。

 あのちぎくんが、今度はトップスターとして同じ劇場に立っているわけだね。

 えーとわたし、基本的にちぎくんの歌は好きです。
 生で聴く分には問題ないと思ってる。芝居の歌は。……ショーはときどき耳が苦しくなるけど(笑)。
 声好きだから点数甘いかも。あ、水しぇんの声と芝居の歌も好きでしたわ。ちぎくんと水しぇんは声似てるから、そもそもあーゆーざらざらした掠れた声が好きなんだと思う。

 そして、もともと歌唱力売りの人でないにしろ、経験値ゆえに「歌の見せ方」がうまくなってきてる。
 うまくはない、でも、それも含めて「アリ」だと思わせる。だから今のちぎくんの歌声は無問題よ。
 ……だからこそ、3年前の歌声のすごさを思い出す。ショーのあんりちゃんも含め、ものすげー破壊力だったえりたんプレお披露目中日劇場。

 なつかしく。切なく。


 なんにせよ。

 ちぎみゆ万歳。

 ちぎみゆで『ローマの休日』やるって、もうそれだけでかわいいに決まってる、キュンキュンするに決まってる、楽しいに決まってる。
 そう、わかっていたけれど、ほんとに楽しかった。
 もう、途中から泣き通して消耗した……。

 なにがどうじゃなく、泣けてくるのね。
「あんまり美しいから、涙が出るごとある」ですよ。まさに。

 ちぎみゆがかわいくて、きれいで、物語があたたかくてやさしくて、もうそれだけで泣けて仕方ない。

 物語ラストの「いかにもタカラヅカ風にまとめました」はなくていいかなと思ったけど……加えて、フィナーレのデュエットダンスの「コレジャナイ感」もひどかったけど……!

 でもでも、楽しかったーー! 遠征してよかった。
 スーツ物うれしい。地髪ちぎくん美しい。日本物以外のお芝居、うれしいなあ(笑)。

 わたしはどうしてもみゆちゃんにピントを合わせて観てしまうので、ジョー@ちぎより、アン王女@みゆに感情移入してしまう。そして切なさドン!と倍増。

 翔くんがすげーかっこよくて、『星逢一夜』に引き続き萌えキャラですわ、翔×ちぎですわ。

 れいこは……がんばってた。うん。客席にはいちばんウケてたんじゃないかな、キャラクタが。

 しかし、役が少ないな。
 まちくんとか、登場時はもっとしどころのある役なのかと喜んだのにな……。みんな基本モブかぁ。
 いっつもモブばっかのあすくんが切ない……別箱に分かれる場合、大抵「主演以外はモブ」作品に振り分けられるよな、という印象が強いもんで。わたしはもっとあすくんが観たいのよ。

 ミトさん、にわにわ、まなはるの大人チームの描き方はアレでいいのだろうか……笑わせるためにやっているんだと思うが、寒いばかりで1ミリも愉快にならない……。や、まなはるたちはがんばってる、脚本と演出の問題。

 ところで、軍服まなはるがかっこよすぎて、冒頭場面が「アン王女って婚約者いたっけ?? なんでイケメンはべらしてんの?」って混乱したわー(笑)。
 や、角度的にヒゲ見えなかったし。若い美形将校だと思ったんだもん。まなはるスタイルいいから、顔見えなくても美形ってわかるし。オヤジ設定のにわにわと、体型差からどうしても「若い」ってわかっちゃうし。
 んでそのあと、ヒゲおやじでもかっこいいわ、ヒゲ似合ってるわー、とわくわくしたのに、寒いお笑い担当で、残念だったっす……。あんなにかっこいいのに、あの演出はナイわー。

 なんか、原田作品を観ているような錯覚に陥ったりもしたんだけど(ストーリー展開が平板だから?)、まなはるがおいしくないので「ううん、これは原田じゃないわ」と思い直した(笑)。
 原田くん演出なら、きっともっとセットが奇抜に美しくなって、クライマックスとかに視覚的にどーん!と盛り上がるんだろうな。

 あれ。書いてるうちにどんどん演出への不満を思い出してきた……けど、とにかく、見ている間はちぎみゆ補充できるだけで幸せでした!
 『ローマの休日』って、どんな話だったっけ。

 映画を見たのは大昔。ストーリーは知っていても、細部まではおぼえてない。むしろ『レディ・アンをさがして』の方が記憶に残っている。←

 かっこいいおじさんに憧れるより、キュートなお姫様に夢中になるのは、若い頃にはよくあることだよね。女の子が手にする人形は女の子の人形であって、男の子じゃない。女の子はまず、かわいい女の子に反応する。
 おじさんの魅力がわかるのは、もっと大人になってからだ。
 おじさん俳優のグレゴリー・ペックよりも、若くきれいなオードリー・ヘプバーンの方が印象的だった。
 「オードリー・ヘプバーンの『ローマの休日』」という言い方はしても、「グレゴリー・ペックの『ローマの休日』」という言い方はしない、ようなもので。

 アンという名前は「そうそう」と思い出せても、その相手役の名前は思い出せない。
 それくらい、アン王女@ヘプバーンのイメージだけがある作品。
 や、わたしにとって。

 だから雪組の『ローマの休日』を観て、意外に、ちぎくんが主役だ! と、膝を打った。
 『ローマの休日』というと、ヘプバーンしかなかったんだもの! 名前も思い出せない「王女の相手役」を男役至上主義のタカラヅカでトップスターに演じさせるなんて、冒険だな……って思ってたんだもの。

 なまじ、ちぎみゆは『伯爵令嬢』という、女の子がタイトルロールかつ完全に主役! という作品をやっている。
 『伯爵令嬢』に続き、またしてもみゆちゃんが主役でしかない作品をやるのか。ちぎくん大変だな。
 そう思ったんだもの。

 タカラヅカは男役中心。トップスターとは男役のみの称号、娘役はたとえトップでも主役ではなく、主演男役に寄り添うヒロイン、相手役。
 いい悪いではなく、そういうシステム。前提。

 だから『伯爵令嬢』だって、演出の生田くんが、すっげーがんばって、「ヒロインの相手役」に過ぎない青年を、「主人公」にしようと比重を上げていた。

 生田くんががんばっているのはわかった。努力したのはよく見えた。ちぎくんだって、そのスター力を存分に発揮し、いい真ん中ぶりだった。
 でも、どうあがいても『伯爵令嬢』の主人公はみゆちゃんだった。ちぎくんは、その相手役。
 物語がそうなっているんだもの、仕方ない。

 だから『ローマの休日』も、『伯爵令嬢』と同じことになるんだろうなと、あきらめていた。受け入れていた。どっちが主役とかにこだわらず、いい作品を見せてくれればいい。ちぎみゆなら、大丈夫。

 なのに、実際に観てみたら。

 主役は、ジョー@ちぎくんだった。

 意外。トップスターが、ちゃんとトップスターだ。

 そしてわたしは、原作『ローマの休日』を大しておぼえていないことに気づく。
 ストーリーもキャラもなんとなくおぼえているし、印象的な場面とかも断片的におぼえているけれど。
 その、「忘れているのに、それでも記憶に残っている」部分って、みんな王女に関することなんだ。なんつっても、「オードリー・ヘプバーンの『ローマの休日』」だから!

 でも、物語のセオリー的に、主役はアン王女だとしても、新聞記者役は「視点」であるべきだよね。『レディ・アンをさがして』だって、主役兼視点はレディ・アンじゃなくて作曲家の方だったわ。
 王女は非日常。非日常と、わたしたちの住む日常が偶然交わるから、そこにドラマが生まれる。非日常を描くためにはまず、日常がなくてはダメ。
 ゆえに、視点となるのは、私たちと同じ世界に住み、同じ価値観で生きるふつーの人。そのふつーの人を通すからこそ、王女はとびきり魅力的に映る。

 だからジョー@ちぎが主役たり得るんだ。

 『伯爵令嬢』では無理だった。どんなに生田くんがアラン@ちぎのターンを作っても、原作が「アランの目を通した世界」にはなっていない。主人公コリンヌ@みゆの物語、「コリンヌの目を通した世界」なんだ、アランは「主人公の視界の中にいる人物のひとり」でしかない。

 正直、田渕せんせは生田せんせほどがんばって「タカラヅカらしくしよう、主人公をトップスターの役にしよう」とはしていない、ように見えた。
 ものすごいこだわりとか努力とか、感じなかった。
 ただ、原作映画のままに作ったら、こうなりました、って感じ。
 でも、ただ原作通りにするだけで、ちゃんとちぎくんが主人公になる。
 そっか。『伯爵令嬢』とは根っこからチガウんだ。

 てなことを、実際に観てようやく気づく。思い至る。

 こんなに観やすいのは、そのためか。

 主人公が主人公である。
 これって重要。

 なにもしない、なんのエピソードもドラマもない人が、「主人公です」と出番だけ多くされちゃうと、すっげーストレスだから。
 なにもしない主人公に尺だけ取られて、描くべきストーリーもドラマもテーマもなにも展開出来ず、破綻したまま終了する作品が、ヅカには数多く存在するからねー。女性主人公の物語を原作に選んじゃって、「主人公の相手役」でしかない人を主人公にするからすべてぐちゃぐちゃに壊れるの。

 そういう問題のない原作だったんだ、『ローマの休日』って。

 主人公は新聞記者のジョー。
 彼が少女と出会い、恋をして、己の人生と向き合う物語。彼の仕事、彼の夢、彼の友人、彼がひとつのドラマを通して、成長する物語なんだ。
 ヒロインの王女も冒険と恋を通して成長する、まぎれもないもうひとりの主人公。だからこそ、添え物ヒロインよりはるかに魅力的に描かれている。

 …………原作まんまではなく、もっとタカラヅカ的に練り直してくれれば。
 それこそ、『レディ・アンをさがして』並に、「『ローマの休日』は元ネタです」と別モノに書き直すことが出来れば。

 ちょっと映画まんま過ぎたかなあ。
 映画の記憶が大してナイくせにそう思うのは、画面や演出が平面的かつ平坦だったから。
 せっかくナマでここにいる、存在している、三次元感が薄かったような。
 『ローマの休日』にて、美容師マリオ@れいこは、大いに受けていた。客席は爆笑していた。

 でもわたしは、うれしくはなかった。

 あー。
 こういう役、苦手だなあ。

 笑わせるためだけに、滑稽にした役。
 最初からお笑い担当。
 スパイス的にちょろっと出る分にはいいけど、これが3番手役だもん……。ヒロインに恋する「恋敵」役があからさまに「どーでもいい男」なのはつまらない。しかも、その「どーでもいい」理由が、「お笑い芸人的ネタキャラ」であるため、なんて。

 演じる側はいいと思う。
 こういう突き抜けたギャグキャラは、技術が足りない人でもとりあえずウケを取ることが出来る。笑わせることが出来る。だって、そういうことをやってるんだもん。
 なんだろ、スポーツにおけるドーピング的な? 実力以上の結果を出せる的な?
 『ベルばら』でも『エリザ』でもなんでもいいよ、どんな芝居でも、ハゲヅラチョビ髭で奇声を発しながらおかしな動作で登場したら、観客は爆笑するでしょう。ドン引きする人も、周囲が笑うとつられ笑いもするでしょう。終幕後に「あのハゲヅラ誰? すごかったねー」と話題にもなるでしょう。
 でもそれ、どうなん? 創作側がそういうキャラを使うのは「ずるい」と思う。なんて安い手法だろう、と。
 好きじゃないなあ。

 という、苦手なタイプの役だから、過剰反応。
 
 この役をれいこがやるから、意味があるのだろう。

 れいこちゃんはキャラクタ的に、こういうお笑い役とはいちばん遠いところにあったと思う。月城氏の中の人のことは知らないので、舞台裏では吉本興業と間違えて入ってきたようなお笑い芸人だったりするのかもしれないけど、舞台上で目にする彼は生真面目な二枚目キャラだ。
 不器用に誠実にくそ真面目に、ある意味雁字搦めに舞台に立つ彼が、ギャグキャラを演じる、のは、意外性があっていい。
 殻を破る意味でも、真逆の役は必要。
 れいこ本人も、体当たりで演じている。きっと、やり甲斐があるのだと思う。

 でもわたしは、しょぼんな気持ちで眺めていた。
 意外性も殻を破るのも、もっと別の役でいいじゃん、と。
 役への苦手感が強くて、れいこの「やらされている感」ばかりを感じてしまう。
 ……嘘くさいわ……。合ってないわ……。
 これはわたしの先入観の問題? 別の人がやっていたら、こんなに嫌な感じも、嘘くささも感じずに済むのかしら……。

 マリオが、「そういう人なんです」とは思えず、「笑わせるためにわざとやっている、演出家の都合」ばかり見えてしまう。

 楽しいんだけどなあ。
 れいこちゃんはもちろん、なにやったって美形なんだし。美形がやるからこそ、お笑い役は華やかになるのだし。
 笑いはするけど、うれしくない。

 わたしの問題よね。
 わたし以外の人はみんな喜んでるし、大ウケしているんだもの。わたしが偏屈なの。
 まなはるたち大人チームの描き方といい、演出家と気が合わないだけだと思う。

 ダブルキャストで良かった、としみじみ思った。
 このわたしの苦手なマリオ役は、れいこ単独ではないんだもの。梅芸では別のれいこが見られる。
 それを楽しみにしよう。
 『ローマの休日』中日初日を観て。

 わたしはみゆちゃんの厚みが好きなのだなと再確認。
 や、演技の話です。カラダの厚みではなく。……みゆちゃんの二の腕とか好きだけどねー、やわらかそうで(笑)。
 みゆちゃんの芝居には、厚みを……立体感を感じるの。そこにあるだけの平面ではなく、もっと奥、描かれてはいない部分のドラマを。
 だから、まだなんもはじまってない、アン王女が大人たちと「王女として」話しているだけで、泣けてくる。
 彼女が背負っているものを感じて。
 そりゃヒステリーも起こすわ……無理ないわ……どんだけの重圧、どんだけのものを抑えて、犠牲にして、きれいな顔で微笑んで、耐えて歩き続けているんだろう、そう思って、胸が苦しくなる。
 最初から彼女に感情移入しまくりだから、王女が部屋を抜け出そうと動き出したときの、わくわく感ときたら!
 物語が、動き出す。それを見つめる幸福感。

 みゆちゃんの作り出す物語が大好物。
 であるからして。
 彼女の相手役であり、彼女が「出会う」ちぎくんが、大好きなんだ。

 ちぎくんはわたしにとって、魔法の鏡のような人だと思う。
 わたしが見たいものをきれいに映し出してくれる。
 みゆちゃんがどんなに魅力的でも、彼女だけでは物語が展開しない。恋が出来ない。
 相手がいる。
 そしてその相手は、みゆちゃんのドラマを損なう人ではダメなんだ。
 彼女の物語を、何乗にも膨らませてくれる人。

 ちぎくんは、彼単体だと、わたしには薄いのだと思う。
 でも、その分、わたし好みの役者の色を深く映す。何倍にも、鮮やかさと陰影を与えてくれる。

 みゆちゃんが主役、ちぎくんが脇役、と言っているんじゃない。
 あくまでも、主役はちぎくんよ。そこは揺らがない。トップスターを中心に世界が回る。
 その前提の中で、みゆちゃんが立ち、ちぎくんが世界をより豊かにしているの。
 トップスターが独裁君主として草木も生えないくらい征服し尽くすのではなく、トップスターであるがゆえに周りのみんなを、おのおのの色を活かし、魅力を引き出す……そういう力のあるトップさんだもの。
 ちぎくんがトップで良かったと思う。みゆちゃんが相手役で良かったと思う。このふたりの芝居を見られて良かったと思う。

 ちぎみゆが好きなの。

 王女の心の動きが、思いが伝わって、泣けて仕方ない。あああ、この子好きだー、しあわせになってくれええ。そう思う。
 そして、王女がいじらしければいじらしいほど、彼女と対峙するジョー@ちぎくんにも感情移入する。弱さもずるさもある、等身大の青年。だからこそ、彼の悩み、変化、成長に拳を握る。
 うわあああ、こいつら好きだああっ。
 やさしい人たちを好きだと思える、心があたたかくなる、その感覚がまた、幸福感になる。
 どいつもこいつも、やさしくて泣ける。
 どいつもこいつも、しあわせになってくれ。

 アーヴィング@翔くんになって、彼らのそばにいたいなあ。
 振り回されて文句言ったり、にやりと笑って肩を叩いたり、背中を押したり、したいよ。


 ラストシーンを観ながら思ったの。
 アン王女が、かわいいおばあちゃんになった姿。や、銀髪なだけの、シワもなんもない、ふつーにかわいいみゆちゃんなんだけどね。
 そのおばあちゃんの元王女(そのときの身分がわからん)が、孫たちに囲まれて、語っているの。
 この、「ローマの休日」を。
 パジャマを着たことや、髪を切ったこと、煙草を吸ったこと、アイスクリームを食べたこと、ベスパで走り回ったこと……武勇伝を、語っているの。いたずらっぽい目をして。
 昔の恋の話、ではなくて、あくまでも、武勇伝。
 孫たちに「おばあさま、すごい」と口々に言われて。
 エピソードの端々からおばあさまがひとりではなかったらしいことに気づいた孫のひとりが「誰と?」と尋ねたら、「秘密よ」と意味深に笑って見せて。
 しあわせな、光景。
 しあわせな。しあわせな。

 大丈夫、きっとみんな、しあわせになる。

 王女とジョーは別れて終わるけど、しあわせが見える。それぞれの人生、きっときっとしあわせ。
 そこがどこで、なにがあっても、彼らはしあわせになる。しあわせは、自分で作るものだから。

 それがわかるちぎみゆだから、別れENDできれいに終わってくれても、よかったかなと。
 タカラヅカだからそうはいかないのはわかるけど(笑)。
 まず言いたい。
 おめでとう、よかったね。

 『Victorian Jazz』を観たとき、不満だった。初主演がうれしいからあまり考えないようにしていたけれど、この作品は、だいもんには役不足だと思った。↓
  http://koala.diarynote.jp/201211271605082755/ 
   君に、相応しい場所。@Victorian Jazz


 『BUND/NEON 上海』を観た者としては、あの熱量を肌で感じた者としては、作品が浅すぎて「だいもんの無駄遣い」に思えた。
 足りない、これじゃだいもんに足りない。「だいもん」を開放できるような役と作品じゃない。

 主演公演ではなく「主な出演者」とぼかされた『New Wave! -花-』も、実質だいもん主演のような構成だったけど、こちらも作品はビミョー。
 だいもんが力技で成立させていたけれど。
 だいもんが「だいもん」を全開に出来る作品じゃなかった。

 年功序列の花組を出て、よーやく回ってきた2度目の主演作品、『アル・カポネ』は、駄作だった。
 だいもんのリミッター解除能力が上がっていたため、作品がつまらなくても浅くても、だいもんが「だいもん」全開になるため、劇場では底上げされたけど。
 「なんかいいもん観た?」と錯覚させてくれたけど。
 作品レベル的には、『Victorian Jazz』と同程度じゃね?

 タカラジェンヌが、そのフェアリー人生において「主演」できる機会は少ない。
 トップスターを除けば、「路線」と呼ばれる人でも、生涯に一度か二度あるかどうか。(3回以上別箱主演する人は、いずれトップになるだろうからね)

 その「生涯に一度」の機会が「能力全開できない」作品であった、残念さ。
 や、どんな作品でも奇跡を起こす人はいるんだろうけど、そんな100年に一度生まれるかどうかの天才の話ではなくて、現実問題。

 わたしは残念で、そして、じれったかった。

 「おもしろい」とわかっているのに、それをしないことに。

 だいもん主演させようよ、彼が好きなだけ暴走できる作品で。
 駄作ではなく、高品質作品で。
 彼の才能、実力を、存分に発揮し、観客を異世界へかっさらっていく作品を、彼にやらせようよ。
 絶対、面白いよ。
 わたしは、面白いものが観たいよ。

 その昔、「なんでトウコ主演でオギーに新作バウ書かせないんだ」と渇望した、あの感覚。
「もしも宝くじ当たったら、そのお金で劇団にトウコ主演でオギー作品上演するよう掛け合う!」と、言っていたように。
 ご贔屓のまっつに悲願のバウ初主演を! ではなく、トウコ×オギーだった。だってわたしは、面白いものが、観たかったんだもん。
 それから何年かのちになると、「まっつ主演で観たいモノ」も考えるようになったけれど、当時のまっつで望むことは、「いい作品の助演」止まりだった。
 トウコ×オギーほど面白いモノを、当時のまっつが見せてくれるとは、ごめん、まったく思ってなかったから。

 ご贔屓のことはもちろんご贔屓にするくらい好きだけど、「ひとりのヅカファン」「ひとりのエンタメ好き」として、「面白いモノ」が観たかった。
 晩年のまっつには、いろんな夢や可能性、欲も抱いたけどね。表現者としての彼に、魅せられていたから。でも、オギーがヅカにいたころは、まっつはまだ頼りない下級生~中堅だったんだもの。

 あのころの、トウコとオギーに夢見ていた感覚で、思ったんだ。

 だいもん真ん中に置こうよ。
 そして、彼に、彼が好きなだけ暴れられる場を……作品を、与えようよ。
 それって、絶対面白いよ!!

 そう思って……えーと、『BUND/NEON 上海』が2010年1月だから……6年と半年か!!

 ついに、ついに、願いが叶った。

 『ドン・ジュアン』KAAT神奈川芸術劇場初日。

 だいもんが、「だいもん」を全開に出来る作品。
 だいもんのパワーを、受け止められる作品。
 彼がどんだけ暴れ回ってもびくともしない、相乗効果で暴走できる作品。
 『BUND/NEON 上海』の、生田せんせの演出で。

 「だいもん」キターーッ!

 観たかったモノだ。
 これが、わたしの観たかったモノだ。

 是非は置いておいて、評価は置いておいて、激流に、巻き込まれる。
 飲み込まれ、翻弄され、すげー、なんかわかんないけど、すげーっ!! ってなるモノ。

 待ちに待った初主演『Victorian Jazz』で、役不足とか思っちゃったんだよ。だいもん自身はありったけの力で演じていたんだろうに、観客のわたしは「足りない」と思っちゃったんだ。
 切ない目でバウホールを見回すだいもんに、「戻っておいで」と思った。
 舞台の真ん中が、君の生きる場所、君に相応しい場所だから。
 君の「表現欲」を好きなだけ迸らせることの出来る場所へ、君に足りる作品を得て、戻っておいで。
 他の誰でもない、「わたしが」願っている。
 「わたしが」だいもんを欲している。

 だから。

 『ドン・ジュアン』を観て、いちばんに思った。

 おめでとう、よかったね。

 ようやく、佳作にめぐりあえた。
 駄作を力技で支える「タカラヅカあるある」を実践するのではなく、力のある美しい作品を、自在に呼吸できる……役者冥利に尽きるだろうね。
 よかったね、だいもん。

 そして、それ以上に。

 よかったね、わたし。

 観たいモノ、切望してきたモノを、観ることが出来て。

 タカラヅカを好きでよかったよ、だいもんを好きでよかったよ。
 こーゆーのが観たかったんだ。
 客席で胸がざわざわして頭がぎゅいーんって掻き回されて、心臓痛くなってなんかわかんないけど叫びたくなる、そういう感覚を味わいたくて、ヅカオタやってんだ!
 わたしを異次元へ連れて行って!
 唯一無二のファンタジー、「タカラヅカ」だからこそ!
 『ドン・ジュアン』KAAT初日観劇。
 予備知識なし。どんな話か、まったく知らずに観た。
 そして思った。

 恋はひとりではできない。

 なんかすごい勢いで恋に落ちたドン・ジュアン@だいもんさん、自分が殺した男の像のお披露目式典に乱入。
 いや君、言ってることめちゃくちゃ過ぎですよ……と目を点にしていたら、マリア@みちるちゃん「この像があるせいで、この広場に入れないというなら、こんな像は壊してやる!」って、突然像をぶっ壊した。石の巨大な像なんですが……ばこーん、と。
 まさに、あうんの呼吸。
 ドン・ジュアン単体で「変な人キターー!」だったのが、マリアのリアクションで「こっちも変な人だったーー!」で、死角なし! 全面的に変だー!!

 このトンデモ展開に「割れ鍋に綴じ蓋」という言葉が脳裏をよぎりました。
 なるほど。運命のふたりね。凸に凹。うまく噛み合ってる。
 ドン・ジュアンのこのテンションにマリアがすかさず付いて行ったことに「よかったね」と思いました。

 恋はひとりではできない。マリアたんがドン・ジュアンの奇行にドン引きするキャラじゃなく、共に暴走特急に飛び乗る娘でよかったね。


 なーん書き出しですが、『ドン・ジュアン』すっげえ良かったです。

 いろんな意味で、タカラヅカじゃないみたいだ……。

 扱うテーマの暗さと重さ。
 凝縮された濃密な舞台空間。
 キャストのレベルの高さ。

 いやあ、マジすげえな。

 最初、ドン・ジュアン@だいもんはなかなか声を出さないのですよ。登場はするけれど、ダンスと演技のみで、歌も台詞もない。
 歌うのは他の人たち。
 冒頭のドン・カルロ@咲ちゃんの歌声は弱いかなと思うけど、彼はプロローグなので置くとして。
 物語開始で本格的に歌い出すのがイザベル@圭子ねーさまですよ。そして、ファニータ@ヒメですよ。さらにエルヴィラ@くらっちですよ。たたみ掛けるように、歌ウマが歌唱力を披露するわけですよ。
 こんだけ歌ウマが歌って、これだけの歌唱ののちに「満を持して」登場する主役が……これまた素晴らしい歌声って……。
 「タカラヅカ」に慣れきってるもんで、これだけでかなりびびった。歌ウマさんたちのあとに歌い出す主演スターが歌ウマって!! そんなのタカラヅカじゃないみたい!!←

 次々と実力者が歌い出す。この人も歌ウマ、この人も歌ウマ、なんなのこれすごい、ついに主役が歌い出した、これがまためちゃ歌ウマだーー!! えええ、すごいーー!!
 音痴のいない舞台?! なにそれこわい、わたしの知ってるタカラヅカじゃない!
 ……ドン・ジュアンの最初のソロまでで、相当びびりました。
 タカラヅカでもこんなことが出来るんだ……。

 圭子ねーさまは素晴らしい歌声の持ち主だけど、舞台荒らしというか、彼女のレベルがすごすぎて「劇団が用意したスター」をぶっ飛ばしてねーさまの独壇場にしちゃう場合が、ままある。
 そんな圭子ねーさまが浮かない舞台。
 ヒメもくらっちもすごい。
 そしてなにより、だいもんがすごい。
 圭子バズーカに負けないんだもん……そんなひと、現役では一握りしかいないよ……。

 そして、なんといっても亡霊@がおりのクオリティ。
 開演前に開いたプログラムの写真ですでに、異彩を放っていたけれど。
 メイクの特異さは問題じゃない。
 演技、ダンス、歌、存在感……すべてにおいて神がかってる。


 芝居を観て、人間の演じる技術、能力を見て、背筋がぞくぞくする感じ、それを久しぶりに味わった。

 すごい舞台だな、『ドン・ジュアン』。
 よくこれを、上演した。
 よくぞ今のだいもんに、今の雪組に、この物語を与えた。
 感謝しかない。


 ドン・ルイ@エマさんのうまさも言うまでもないし、意外にラファエル@ひとこが役と作品に食いついて、いい味を出している。
 フェルナンド@レオ様がすっげーかっこいいしねえ。
 ひーこはじめ美女たちもダンスと色っぽさがたまらんわ。
 ドン・ジュアンの母@うきちゃんの美しさときたら、そりゃもうあんなことになっちゃう、その理由としてわかる、仕方ないよなという透明感だし! いや、あの展開には心底驚いたが。

 みんなすごいなー。

 あー、えーっと。
 そんでもって。

 アンダルシアの美女@レオ様が、すごかったです。
 迫力。腹筋。目力。
 そして。
 見事に、ヲカマ。

 あー、なるほど……ドン・ジュアンってヲカマもアリなんだなー。趣味広いなー。悪食だなー。
 という、主人公のキャラ説明に役立ってました。ほんっと悪徳の限りを尽くしてるんだね、ドン・ジュアン。

 重ね重ね、素晴らしい。
星組 次期トップスター、トップ娘役について
2016/06/20
この度、星組 次期トップスターに紅 ゆずる、次期トップ娘役に綺咲 愛里が決定しましたのでお知らせいたします。

なお、紅 ゆずる、綺咲 愛里の新トップコンビとしてのお披露目公演は、2017年1月6日に初日を迎える星組東京国際フォーラム公演『オーム・シャンティ・オーム -恋する輪廻-』となります。

 おめでとー!!
 順当万歳。トップから2番手へ、組内で引き継ぎがあるのっていいよな。
 プレお披露目演目は意外すぎてびっくりだけど、きっと楽しいものになるだろう。

 ベニーを最初に知ったのは、数日前の外部出演語りでもちらりと書いた、2005年1月の『タック』だったねええ。たったひとりで、しいちゃん宛のお花を入れていた、知らない下級生。
 そして、舞台で認識したのが、その翌月にあったバウ公演『それでも船は行く』。あのお花の子だ、って。
 5月の本公演『ソウル・オブ・シバ!!』では、トップコンビ以下多くの組子に芸名もじりの役名がついているけど、さすがに路線でもない研4のモブには役名もなく、仲間うちで勝手に「ベニー」と役名を付けて愛でていた。
 9月のDC公演『龍星』で、みきちぐとニコイチの和ませキャラを演じ、「今日のアラン・ダラン」てな風に仲間うちの話題をさらったっけ。
 新公でも本公演でも役は付かないし、みきちぐの相棒だったこともあり、きっと個性的な別格候補なんだろうと思った。
 でも、きれいだから、路線寄りに来て欲しい……そう思っていた。
 それが、最後の最後、2008年の『THE SCARLET PIMPERNEL』でまさかの新公主演。星組ファン以外にはまったく無名の研7。
 あそこから、彼の運命が動き出した。

 そしてついに、ここまで来たんだねえ……。

 路線育ちでないゆえの基礎力の低さに不安も持ったけれど、それでも誰ともチガウ唯一無二の魅力で、頂点まで登り切るんだね。
 なんかすごく、感慨深い。

 しいちゃんの最後のお茶会に、「しぃ様LOVE」と書かれたタスキ姿で現れて、空気ぶった切って大騒ぎして去って行った……あのときのベニーを、思い出す。
 しいちゃんファンが、どんだけキミに感謝したか。
 ピュアしい様ファンの友人が、ヅカファン卒業しても、ベニーの主演だけは観る、と言っていたのを思い出す。
 なつかしい、愛しい記憶。


 キサキちゃんも、最初に認識したのが2012年3月のバウ公演『天使のはしご』で、続く『ダンサ セレナータ』新公で、なんつーんだ、その、2作揃っての潔いまでの大根ぶりにびびったんだけど……。
 あそこから、ここまで。
 うまくなったよなあああ。しみじみ。


 ベニーとキサキちゃんは、お人形さんのように美しい一対だ。
 現在の実力重視のトップコンビから、ビジュアル重視のトップコンビに交代するわけだ。振り幅すごい。
 いろんなトップがいて、その都度組の持ち味が変わるのがタカラヅカの面白いところ。ずーっと同じだったら、100年続いてない。

 最近わたし、ベニーさんから遠ざかり気味。こんだけ思い出も愛着もあるのに、さみしいことだ。
 トップ内定を機に確変起こして、新たな魅力に開眼!とかあるかもしんない。
 次の星組さんも、楽しみにしている。

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