海中に産まれてしまった鳥に、なにを望めばいいのだろう。

 魚は陸地では生きられないし、鳥は水中では生きられない。
 魚は水に、鳥は空に。

 だけど彼は、海中に産まれてしまった。周囲のものたちは、彼に泳げと言う。水の中で呼吸しろという。
 彼の持つ流線型のカラダは水中の生き物に似ていたかもしれないけれど、それを覆うのは鱗ではなく羽毛だった。彼が持つのはヒレではなく、翼だった。
 大空を羽ばたくための。
 だけど、そんなことは誰も知らない。彼自身も、周りのすべてのものも。
 呼吸しろ、泳げ。なぜできないんだ、誰もが生まれたときから当たり前に出来ることなのに。
 呼吸さえままならず喘ぐ彼を、周囲の者たちは責めたてる。なぜできないんだ。なぜ。なぜ。何故。
 彼は翼を広げる。
 魚たちが持たない翼を。理解出来ないものを。
 そうして威嚇する。「花びら散るのは悪の華だけじゃないさ」


 『ドン・ジュアン』について、思いつくままに記す。

 悪人が愛を知って改心し、愛ゆえに自殺する話。
 てな試験問題の「何文字以内で答えよ」的解答は拒否する。
 たぶん、そうまとめ上げて解答することが可能だよね、この話。筋立て自体はシンプル。だからこそ、それは拒否。
 否定(チガウ!)ではなく、拒否(イヤだ!)ね。

 わたしは、わたしの見たいモノを見る。

 答えの出ないもの、曖昧なものこそがこわくて、たのしくて、魅力的なんだ。
 亡霊@がおりはなにをしたかったんだ、マリア@みちるとはなんだったんだ、ドン・ジュアン@だいもんは何故突然死を選んだんだ、呪いとは、愛とは、なんだったんだ……。
 挙げていくとキリがない。
 そして、それらにひとつひとつに「解」を与えることは可能。でもそれは「解く」ことではなく、「縛る」ことだと思う。「囚われる」ことだと思う。
 ほどき、はなつことではなく、閉じ込める行為。
 それはつまらないわ。わたしはもっと遊びたい。

 だから遊ぼう。
 わたしの脳内、囲いのない場所で。

 これはひとつの想像。明日になれば変わるかもしれない。

 ドン・ジュアンの特異性は、持って生まれたモノだろう。
 でなければ、母を犯しはしないだろう。
 少年じみた仕草でうずくまるだいもんさんオペラで見てて、ふと後方に視界を向けると、母@うきちゃんが少年ジュアン@ひまりちゃんに押し倒されてて、オペラグラス落としそうになった。
 なななななにやってんですかあああっ。
 動揺している間に、うきちゃん自殺するし。……そりゃ死ぬやろ……無理ないやろ……。
 だけどそれは、ドン・ジュアンをさらに追い立てることになる。

 母を犯したのは、悪意からではないだろう。
 愛していたから。
 愛がはじまりだった。どんなに間違ったものでも。歪んだものでも。
 はじまりは、愛。
 そして。

 愛が、最愛の者を殺した。

 父@エマさんは、知らないんだろう。何故妻が死を選んだのか。事件の最中、パパはそちらは見ずに歌っている。
 ママは誰にもナニも言わずに逝ったんだね。言えるわけがない。言えば、言葉を受けた人の数だけ不幸を増やす。
 知らないからこそ父は、放蕩息子を心配したり呆れて手を離したりしている。真実を知れば、彼も無傷ではいられないはず、息子を殺して自分も死ぬくらいしてるんじゃないの?
 ママは自分を罰することで、夫と息子を守ろうとした。夫のことは、守れたかも。
 でも、ドン・ジュアンのことは、守れなかったね。

 愛への不信は、ドン・ジュアンの人生を決定づける。


 母の面影なんぞは追わなくてイイ。
 なんでもかんでも「母に似ている」で愛の理由をまとめあげるのキライ。
 ドン・ジュアンが彷徨し続けるのは彼本来の魂の問題。
 海中に産まれてしまった鳥のように。

 海の生き物たちは、翼を忌み嫌い、また、惹きつけられる。そんなの知らない、見たことナイ。知らないからキライ、コワイ。知らないからステキ、ホシイ。
 異端であるからこそ、憎み、恋い焦がれる。


 彼の翼。
 海面から出て、陽を浴びる。
 太陽。海中にはないモノ。
 彼の白い翼は、陽を浴びて輝く。暮れゆく太陽。海面を染める色。

 赤。

 彼が手にする、華のいろ。

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