そして少女は、大人になる。@新人公演『エリザベート』
2016年8月10日 タカラヅカ 宙組新人公演『エリザベート』観劇。
一部のキャストは、本役よりも歌唱力が上だと言われていた、期待もレベルも高い新人公演。
わたしのお目当ては歌ウマルキーニで、それ以外はわりとフラットに眺めていたと思う。
途中までは。
背もたれに身体を預けて、椅子に沈み込んで、悠々と観劇。そんなイメージ。ルキーニにだけがっついていたけど(笑)、それでも全体イメージとしては、悠々まったり。
ご贔屓がいるわけでもない、ぬるいヅカヲタだからねー。
それが。
あるときから、ぐぅわばっ、と前のめりになった。
や、イメージの話なんで、実際に前のめったわけじゃない。
気持ちが前のめりになった。
え、今のナニ、わたしはナニを見たんだ? と。
エリザベート@まどかちゃん。
本役の少年ルドルフはものすげー美少年ぶりだが、シシィとして登場した新公では、「納得の美少女」というわけでもなかった。
丸い……幼い……。
少女というより、子役でしょう、そのむちむちほっぺは。
歌えるし、芝居も出来るし、別に問題ないのだけど。
もう少し、きれいだといいなあ。やせてくんないかなあ。漠然とそんな風に思って見ていた。
まどかちゃんがロリータ風なのはわかっていたけど、シシィとして幼すぎるなあ。ゾフィ@瀬戸花さんにいじめられているところとかも、まるきし子どもでなあ……。
持ち味は仕方ないか……。スタイルいいから、年齢が上がって痩せてくれば、きっともっときれいに……とか、思わず今ではなく未来に期待をかけようか、てな気持ちだった。
それが。
大きく、変化した。
絶望したシシィがナイフを手にし……だけど、自殺はせずに高らかに自我を歌う……エリザベート役の見せ場、「私だけに」のソロ場面にて。
歌い出したまどかちゃんの、顔が変わった。
幼かった。子どもだった。どーすんだこれ、と思った。
そのまるぷく少女が、どんどん変化した。
大人に。
「私」を歌うシシィが変わる。
子どもから、大人へ。
わけもわからず駄々をこねるだけだった子どもから、自我を持った大人の女性へと変化していく。
「嫌よ」「私が選ぶ」「この私」……確固たる、意志。
「私」とはなに。
意識しなかった、形のなかったものが、今、名前を付けられて、輪郭を得る。
私は、エリザベート。
まどかちゃんのハイライトは、鏡の間じゃない。
刃物を手に歌う、天空だ。
刃のような自我。
意志。
存在。
あやふやな存在が、少女が、一個の女性となった。
ぞわぞわと、産毛が逆立つような感覚。
変化、というカタルシス。
それを、見事に見せてくれた。
え、なにこれすごい。
面白い。
星風まどか。この子やっぱり、面白い。
それ故に、思った。
新公『エリザベート』、つまんない!
シシィが「エリザベート」になった。目覚めた。
ナイフを鞘へ戻し、倒れた。
それで?
そのあと彼女はどうなったの?
彼女は変わった、もう子どもじゃない、彼女はこれからどう生きるの……?
好奇心がむらむらわき上がるのに、「その後」が描かれない。
彼女の葛藤、戦いがない。
自分の武器である美貌に目覚め、それを使うことを知り、ハンガリーで武器を抜き、戦勝を得る。
ここまでが一区切りでしょう? 「エリザベート」の物語としては。
なのに、それがないのよ!!
つまんない!
わたしにこの女性を、タイトルロールである主人公「エリザベート」の物語を見せてよ!!
そう思った。
歯がみした。
新人公演って、場面ツギハギだから、つまんないなあ。そりゃいつもそう思うけれど、「エリザベートの物語」としてそう思ったのは、はじめてだ。
そのあとのまどかちゃんは、ロリータ少女ではなく、大人の女性だった。
暗さというか、濁ったものを抱えた女性。
彼女は声がいいから、それでいろいろ表現出来るのね。
美貌という点ではまだまだ磨く必要があるのだろうけど、「ヒロイン」を演じたときの彼女の破裂力はすごいなと。
真ん中から四方八方へぱーんとはじけるのね。飛び散るのね。打ち上げ花火みたいに。
これからも楽しみにしてる。
……もう少し、痩せてくれることも含めて。
一部のキャストは、本役よりも歌唱力が上だと言われていた、期待もレベルも高い新人公演。
わたしのお目当ては歌ウマルキーニで、それ以外はわりとフラットに眺めていたと思う。
途中までは。
背もたれに身体を預けて、椅子に沈み込んで、悠々と観劇。そんなイメージ。ルキーニにだけがっついていたけど(笑)、それでも全体イメージとしては、悠々まったり。
ご贔屓がいるわけでもない、ぬるいヅカヲタだからねー。
それが。
あるときから、ぐぅわばっ、と前のめりになった。
や、イメージの話なんで、実際に前のめったわけじゃない。
気持ちが前のめりになった。
え、今のナニ、わたしはナニを見たんだ? と。
エリザベート@まどかちゃん。
本役の少年ルドルフはものすげー美少年ぶりだが、シシィとして登場した新公では、「納得の美少女」というわけでもなかった。
丸い……幼い……。
少女というより、子役でしょう、そのむちむちほっぺは。
歌えるし、芝居も出来るし、別に問題ないのだけど。
もう少し、きれいだといいなあ。やせてくんないかなあ。漠然とそんな風に思って見ていた。
まどかちゃんがロリータ風なのはわかっていたけど、シシィとして幼すぎるなあ。ゾフィ@瀬戸花さんにいじめられているところとかも、まるきし子どもでなあ……。
持ち味は仕方ないか……。スタイルいいから、年齢が上がって痩せてくれば、きっともっときれいに……とか、思わず今ではなく未来に期待をかけようか、てな気持ちだった。
それが。
大きく、変化した。
絶望したシシィがナイフを手にし……だけど、自殺はせずに高らかに自我を歌う……エリザベート役の見せ場、「私だけに」のソロ場面にて。
歌い出したまどかちゃんの、顔が変わった。
幼かった。子どもだった。どーすんだこれ、と思った。
そのまるぷく少女が、どんどん変化した。
大人に。
「私」を歌うシシィが変わる。
子どもから、大人へ。
わけもわからず駄々をこねるだけだった子どもから、自我を持った大人の女性へと変化していく。
「嫌よ」「私が選ぶ」「この私」……確固たる、意志。
「私」とはなに。
意識しなかった、形のなかったものが、今、名前を付けられて、輪郭を得る。
私は、エリザベート。
まどかちゃんのハイライトは、鏡の間じゃない。
刃物を手に歌う、天空だ。
刃のような自我。
意志。
存在。
あやふやな存在が、少女が、一個の女性となった。
ぞわぞわと、産毛が逆立つような感覚。
変化、というカタルシス。
それを、見事に見せてくれた。
え、なにこれすごい。
面白い。
星風まどか。この子やっぱり、面白い。
それ故に、思った。
新公『エリザベート』、つまんない!
シシィが「エリザベート」になった。目覚めた。
ナイフを鞘へ戻し、倒れた。
それで?
そのあと彼女はどうなったの?
彼女は変わった、もう子どもじゃない、彼女はこれからどう生きるの……?
好奇心がむらむらわき上がるのに、「その後」が描かれない。
彼女の葛藤、戦いがない。
自分の武器である美貌に目覚め、それを使うことを知り、ハンガリーで武器を抜き、戦勝を得る。
ここまでが一区切りでしょう? 「エリザベート」の物語としては。
なのに、それがないのよ!!
つまんない!
わたしにこの女性を、タイトルロールである主人公「エリザベート」の物語を見せてよ!!
そう思った。
歯がみした。
新人公演って、場面ツギハギだから、つまんないなあ。そりゃいつもそう思うけれど、「エリザベートの物語」としてそう思ったのは、はじめてだ。
そのあとのまどかちゃんは、ロリータ少女ではなく、大人の女性だった。
暗さというか、濁ったものを抱えた女性。
彼女は声がいいから、それでいろいろ表現出来るのね。
美貌という点ではまだまだ磨く必要があるのだろうけど、「ヒロイン」を演じたときの彼女の破裂力はすごいなと。
真ん中から四方八方へぱーんとはじけるのね。飛び散るのね。打ち上げ花火みたいに。
これからも楽しみにしてる。
……もう少し、痩せてくれることも含めて。