「わたしが君を必要としているって……!?」
「そうだが?」
「そんなことは断じてないぞ」
「うそつけ」

「だいたい何でわたしが、君を必要とせにゃならんのだ!?」

「孤独だからだろ」


 『フットルース』2幕のクライマックス、ムーア@まっつとレン@キムくんのやりとりで、痛烈に思い出す。
 カーターとジェームス@『パーム/あるはずのない海』。
 シチュエーションも文脈もチガウんだけどね。

「私の気持ちは誰にもわからない、出て行け」
「待ってください、ムーア牧師」
「私はひとりになりたいんだ!」

「あなたはもうひとりぼっちです!」

 ……毎回、すげー殺し文句だなと思う。

 レンに「ひとりぼっち」だと言い切られたムーアの、顔。
 いやあ、心臓串刺しにされてますよ。

 「私の気持ちは誰にもわからない」……そう言い切ることこそが、「ひとりぼっち」の証だよね。
 自分でドアを閉じてしまっているんだ。

 で、痛いところを突いて呆然とさせた次の瞬間、レンは「僕もです」と続ける。

「みんな『わかるよ』って言うけれど、本当にはわからないんです」

 レンもまた、ドアを閉めている。たぶんほんとにそうなんだろう、誰もレンの傷を理解しない。できない。
 私の気持ちは誰にもわからない……そう思うことこそが「孤独」なんだ。

 ムーアは、レンをまったく知らなかった。知ろうともしなかった。
 自分と同じ痛みを抱いた少年だということに、気づかずにいた。

 だから、彼を憎んだ。
 懸命に守ろうとしている自分の世界を、檻を、彼が壊そうとするから。

「天のもとではあらゆるものに時期がある。……今は踊るときなんです。僕たちが生きていることを、人生を祝うときなんです!」
 町議会で意気揚々と言ったレンに、ムーアは拳を握った。
 今が踊るとき。人生を祝うとき。
 大切な人を失い、悲しみに暮れている人の横で「今が人生最高、HAPPY!!」と笑う、無神経な子ども。まだなんの痛みも知らず、他人の痛みも理解せず、快楽だけを「権利だ」と主張する無責任な若者。

 そう思っていたから、「天誅」くらいの勢いで、レンの望みを叩きつぶした。
 公正な議会であるはずなのに、評議員たちに評決の指示をした。子どもの過ちを正すのは、大人の義務。

 だがそれは、ムーアが無知だっただけ。想像力がなかっただけ。
 レンはなんの痛みも知らない子どもじゃない。
 「人生を祝いたい」と言うのは、傷ついたことがないお気楽さから言うのではなく、今まさに傷だらけだからこそ、言っているんだ。泣きながらでも、立ち上がるために。

 自分の痛みしか、傷しか見えていなかったムーアは、はじめてドアを開ける。
 「私の気持ちは誰にもわからない」……そう、閉ざしていた心のドアを。

 同じように傷つき、同じように絶望からドアを閉めながらも、たくさんの仲間たちに囲まれ、「人生を祝いたい」と言える少年。
 自分の痛みを誰も理解できないとしても、それでも他人を愛し、他人を受け入れ、他人と笑い合う少年。
 何度絶望しても、またドアを開けることのできる少年。

 ほんとうの「孤独」を知るゆえに、ムーアの孤独を理解し、ムーアを孤独のままにしないために、手を差し伸べてくる少年。
  

 「人生を祝いたいんです」……涙ながらに訴える少年に、ムーアは応える。「今が踊るとき」だと。

 ここのムーアとレンのやり取り、心の動きが複雑で、深くて、カメラでUPになる映像ジャンルじゃないのに、よくこんだけ濃密なモノを表現するもんだと感心する。役者ってすごい。

 ムーアさん絶対、レンにハート打ち抜かれてるよねええ。や、腐った意味でなく(笑)。腐っててもかまわないけど。

 「話を聞いてくれてありがとう」と、泣き顔でくしゃっと笑うレンに、思わず声を掛けるムーアに、萌えまくる。

 「僕はもう行きます」と背を向けようとした少年に、四十路の男が思わず、声を掛けるのよ。
 まだ別れたくない、というだけの気持ちで。
 まだ足りない、この時間を終わらせたくない、というだけの気持ちで。

 無意識に、声が出てしまったの。
 だからムーアは、レンの名を呼んでしまったあとに、一瞬うろたえる。別に話があるわけじゃないのに、呼び止めてしまったから。

 思わず名前を呼んだ、呼び止めてしまった、そのとまどい。

 一瞬自分でもとまどうムーアさん、まっつの演技に、うおーうおーと拳を握ります(笑)。

 名前を呼んで、レンが足を止め、振り返って。
 なにか用があるわけでもないのに、それを誤魔化すみたいに話を続けるムーア。
「君の父さんが、今の君を見ることが出来ないのを、可哀想に思うよ」
 両手をポケットに入れて、何気ない風を装いながら。

 えー、心が動いているとき、ポケットに手を入れるのはムーアさんの癖です。

 怒ってるとき、照れているとき、とにかく心が動いているとき彼は、ポケットに手を入れます。
 対外的な「大人」の顔、「牧師」の顔をしているときは、そんな行儀の悪いことはしない。
 「ショウ・ムーア」個人の感情で揺れているときに、彼はポケットに手を入れるの。

 娘の男関係に怒っているときとか、夫婦の会話が感じ悪く終わって捨て台詞吐いてドアの向こうに消えるときとか。
 そして、妻に「やり直したい」と告げるときとか。
 ポケットに手を入れてます。

 レンを呼び止めて、個人的に語りかける、このときも。
 ムーアは、ポケットに手を入れている。

 かわいいなあ、ムーアさん。
 見た目が美形でストロングかつストイックエロなだけに、ポケットに手を入れてる姿もまたちょーカッコイイだけに……内心の子どもっぽさというか、やわらかさに身もだえる(笑)。


 ムーアさんほんと、レンに射貫かれたよねえ。
 翌朝の説教のときなんか、なにかっちゃーすごい愛情ダダ漏れ表情でレンを見つめるしさー。

 1幕にレンが胸に刺さったエアー矢をムーアに差し出してガン無視されるお笑い場面があるけど、そのあとにまさか、ほんとに矢が刺さる場面があるなんて、あのお笑い場面は伏線だった?!(笑)

 『パーム』とはまったく関係ないしシチュエーションもチガウんだけど、それでも思いだしてならない。
 若者がおっさんのハートを射貫く、すげー殺し文句の場面っていう、わたしのなかの共通項で。

 レンとムーアさん、ほんといいよな。
 たまりませんわ。
 昔、映画を見たときは、主人公の高校生たちが頭の固い大人たちを説得して、念願のダンスパーティを開くっていう話だと思っていた。
 見たのがあまりに大昔なので、ろくにおぼえてないんだけど。
 ふつーに主人公たちに感情移入して見ていた。

 そして今。
 雪組『フットルース』を観て驚いた。

 えーとコレ、主人公、誰?

 演出・潤色の小柳先生がプログラムで言っています。
 「Footloose」という言葉は、「自由」を意味するのだと。
 Footをlooseするわけだから。

 英語なんてさーーっぱりわからない無教養なわたしは、タイトルの意味を芝居全体、そして主題歌から受け取りました。

 すなわち「解き放つ」こと。

 オープニングでまずこのタイトルソング「Footloose」が歌われる。
 主人公のレン@キムをはじめ、ヒロインのアリエル@みみ、主要キャラのウィラード@コマ、ラスティ@あゆっち、チャック@きんぐたち、全員が「逃げ出したい」と歌っている。
 全員が「閉塞感」を持っている。もてあましている。つまり、「キツい靴を履いた状態」だ。彼らはFootをlooseして自由になりたい、解き放たれたいと歌う。

 レンはこの閉塞感と真っ向から闘うヒーローだ。彼が取り囲んだ檻を叩き壊し、人々に自由がなにかを示した。
 だから彼が主人公であることは間違いない。

 ただ。

 物語の主人公って、わりと役割が決まっている。
 起承転結、ワンパターン。
 主人公がなにかしら問題にぶつかり、停滞し、悩み、それを乗り越えて成長し、ハッピーエンド。
 で、この障害→乗り越えてハッピーエンド、ってのは、「物質的なこと」と「精神的なこと」がある。
 「県大会で優勝できなかったらチーム解散」と言われた弱小サッカー部が、仲間集めからはじめて、ついにはほんとに優勝しちゃう、という物語だとしたら、実際に試合で勝って解散せずに済むことが物質的な部分。試合の駆け引きとかで十分はらはらどきどき、面白い物語になる。
 でも、さらに面白く……というか、感動的にするには、物質的な目に見えるストーリー展開に、精神的な山場を重ねる。一連のストーリーの流れの中で、主人公が成長し、なにかしら大きな心の転換を経験すること。ひとを信じられなかった主人公が、あとに引けない状況で試合をするうちに、仲間と強い友情で結ばれるようになった、とか、そーゆーの。
 そしてこの物質と精神は、シンクロさせた方がわかりやすい。つまり、物質的なクライマックスに、精神的なクライマックスを重ねる。
 このシュートはずしたら敗北、ってないちばん盛り上がる展開のときに、主人公が仲間との友情に目覚める、とかね。
 人間が意識を、つまりは生き方を変えるわけだから、物語のクライマックスですよ、物質的にも!
 黄金パターンですな。

 このエンタメの基本ルールでいくと、だ。
 『フットルース』の主人公って、……えーと?

 これって、ムーア牧師の物語だよね?

 クライマックスで「転」を迎えるのはムーア@まっつなのだわ。レンではなくて。

 5年前の不幸な事件以来、心を閉ざしていたムーア。彼がレンと出会い、心を開く。
 これが、この物語の核。

 だもんで2幕後半ってば、ムーアさん中心に話が進みます。

 レンによって改心したムーアが後悔したり迷ったりして、朗々とソロ歌って、翌朝素直な心をみなの前で告げる。
 これが、クライマックス。

 レンは途中から脇役。
 現に、舞台センターで客席に顔を見せているのがムーアで、レンは客席に背中を向けて脇に立ち、ムーアを見つめている。

 これには、びっくりしたわー。

 映画の主人公はレンだったと思うけど、このヅカ版の主人公は?


 ブロードウェイ版がどうなのかは知らないけれど。
 レンというキャラクタは、「主人公」として動かすのは難しいと思うよ。

 レンは、ハンサムでダンスがうまくて、意志が強くて優しい。
 最初から全部持っている。
 強くて優しいから、彼を損なうことは難しい。こーゆーキャラを真ん中に置いて「物質的」な盛り上がりは作りやすいけれど、「精神的」なモノは作りにくい。
 不当に虐げられ、それを跳ね返すという物質的山場は作れる。しかし、もともと強く正しい心の持ち主だから、そこよりさらに上位の精神にたどり着くとなると、精神的な山場が組みにくい。

 だから、ムーアの方が作りやすかったんだろうなと。

 ムーアは精神的に歪みまくっているので。そこから正しいところへ、ばーんと持って行くのは、エンタメとして描きやすい。

 レンももちろん作中に成長しているけれど、あまり大きな変化じゃない。もともと強い子だから。
 レンの「カタルシス」……つまり、一番大きな変化は、1幕ラストの「I’m Free」なんだよなー。もともと強いレンが、不当に膝を付かされていたけれど、それをよしとせず、ついに立ち上がる場面。
 1幕でレン的クライマックスやっちゃったよー。主人公のはずなのに。

 正しくレンを主人公として描くならば、2幕のクライマックスもレン中心であるべきだった。

 つまり、涙ながらにムーアを説得したあと、ムーアのソロにはせず、カメラはレンを追うべきなんだ。
 ムーアと話すことで、自分の中の傷を明らかにした……その心の揺れを表現すべきだ。レンの歌い上げ系ソロとかで。

 そして、翌朝のミサでは、センターにムーアがいていいけど、レンは客席に顔を向けるべきだ。主役として。

 『ドン・カルロス』にて、同じような場面と展開があったが、カルロス@キムは必ず客席に向かって立っていた。裁判なのだから、被告人のカルロスは裁判官の方を向いて、客席に背中を向けているはずなのに。
 『ドン・カルロス』の主人公は、カルロスだった。フェリペ二世@まっつではない。

 レンの成長物語は1幕でクライマックス、2幕では脇に回っているのが、バランス的にどうなのよと思う。アリエルとの恋愛クライマックスは2幕だけれど、あそこは「レンとアリエル」であって、レンの一人称場面じゃない。
 そのあとの町議会からミサは、ムーア主人公だし。


 この作品のタイトルであり、テーマである、「Footloose」。
 オープニングで主要キャラたちがみな歌っていた。「自由になりたい」「解き放たれたい」。

 そして、ラストのミサの場面で、ムーア牧師が言う。

「解き放たれるのを感じました。まるで、踊り出すような気分でした」

 テーマを語るのが、ムーアかよ。

 驚きましたともさ。

 レンには「Footloose」を語る場面がないのなー。
 一連の「ダンスパーティやるぞ」の行動で示してはいるけれど。
 レンにあるのは、行動。物質面。物質と精神、両方でひとつのはずなのに。

 『フットルース』というこの物語の作りが、レンひとりを主役にしていない。
 わたしの記憶がアレなだけで、映画もそうだったのか、ブロードウェイ版もそうだったのか。

 レンは物質面と1幕、ムーアが精神面と2幕。
 ふたりで主役を分け合っているかのような、作りになっている。
 あくまでも、作りの話ね。

 それでも、「主役」であることが揺るぎない音月桂に、感嘆する。

 物語の作りが、途中からレンを脇にしているっちゅーにね。
 それでも、『フットルース』を観た人は、レンが主人公であることを疑わないだろう。
 それが、キムくんの力。

 レンの強さと正しさは、キムくんならではだと思う。
 さすがアテ書きの小柳たん。

 そして。
 裏主役としてテーマ部分を担うわれらがまっつが、キムくんの光に負けることなくがっつり組み上がっていることにも、喜びと誇りを感じる。
そして、千秋楽。@フットルース
 前日欄で、一部「この構成と演出、おかしいんじゃね?」的なことを書いたけれど。

 今のままの『フットルース』で、なんの不満もないっ。
 と、大きな字で言っておこう(笑)。

 2幕後半、主役であるはずのレン@キムくんが舞台からいなくなって、まさかのムーア@まっつの見せ場がえんえん続くことも、ようやく舞台に登場したレンが客席に背中を向けていて、センターで語るのがムーアであることも。
 わざわざムーア夫妻のハッピーエンド場面がそのあとに歌付きで用意されていることも。

 これでムーアのソロ1曲カットされてるって、もともとこの作品、どんだけムーアの比重高いんだよ、と驚くばかりだが、とにかく、今のままでいい、今の演出が、めちゃくちゃありがたい。

 レンと別れたあとの、アリエル@みみちゃんとの場面がいい。
 娘に背中を抱かれる父、って、なんなのその萌え構図!!

 光射す十字架を見上げ、高いキーで歌い出すまっつの美しさ。

 そして、朝の光の中、テーマである「Footloose」を語るムーア。

 いちいちレンと目線を合わせ、やわらかい、しあわせそうな顔をするムーアに、萌えまくってますから!!
 どうかどうか、博多で演出変更なんかしないでね、ここのキムくんの表情もめーーっちゃ見たいんだけど、キムくんの顔を客席に向けるため、ふたりの見つめあいをなくすのはやめてねーー!!

 と、自己中に叫んでおきまっつ。

 こんなすごい役をさせてもらえるなんて……こんなすばらしい役を生きる贔屓を見られるなんて、どんだけ幸せなことか。

 ありがとう。
 いろんなものに、ことに、ひとに、ありがとう。感謝してやまない。

 キムくんを中心とした、このすばらしいメンバーで、この作品を観ることが出来た。
 心から、うれしいです。


 わたしはあちこち鈍いし、アタマも良くない。
 だから自分の中に「ナニか」を刻むのに、時間が掛かる。
 最近ソレを自覚した。←遅い

 つまり、「いい作品だ」と思ったら、四の五の言わずに、観る。通う。
 理屈じゃない。
 回数観ることで、その作品をわたしの中に刷り込むの。刻みつけるの。

 余韻を楽しみたいわ、とか、上書きがもったいないからしばらく観ない、とか、言ってる場合じゃない。
 心の細胞に、とにかく刷り込んでおけ。反芻するのはあとからできる。舞台は生もの、消えてしまうもの。
 とにかく今、劇場へ行け。

 ということで、期待値の低さからチケットぜんぜん持ってなかったのに、初日を観たあとすぐさま考え直し、翌日から早々に梅芸へ通いました。
 つっても、時間が取れなくて思うように観られなかったんだけど。
 15日間、24公演(休演日・貸し切り除く)中、10日間、12公演観劇。これが時間の許す精一杯だった。……わーん、こんなことならもっと時間作っておいたのに!! 仕事入れなかったのに!!

 『ロミジュリ』はムラだけで20回観られたのに……って、公演期間と回数がチガウせいやなあ。くそー、短いわ、『フットルース』。

 実際、わたしと同じような人たちは多かったんだろう。
 最初演目に期待してなくて、実際に観劇してからチケット買い足した人。

 現に、リピーターチケット売り場は人だかり、リピートと当日券でプレゼントしていたキューピーストラップは数が足らず、途中終了。梅芸でチケットを買うともらえるチケット袋もなくなり、途中からふつーの袋になった。
 満員御礼、劇場に入れなかった人たちが周囲にあふれて……てな状態ではもちろんなかったんだが(笑)、ノベルティが足りなくなったあたり、企画側の想定より人気を博したんだろう。
 日にち限定配布のカラーバンドは余っちゃったみたいだけどな-(笑)、全日程用のノベルティは軒並み不足したわけだし。
 実際の舞台の出来で、客足が変わる。なんて正しい姿。


 舞台は公演が進むほどアツく練れてゆき、なかでもキムくんの歌声の安定感は半端なく、これだけのクオリティで歌い、演技できる舞台人があと数ヶ月でタカラヅカの舞台を去るなんて、大きな損失だとしか思えない。

 千秋楽、この作品と別れることが哀しくて、喪失感半端なかった。
 アタマ悪いから、とにかく細胞に刷り込んだわけじゃん? それがなくなる、引き裂かれるってのは、痛いのよ。きついのよ。

 別れるのがつらい、失うことが切ない、そんな公演にめぐり会えた……これは、幸福な痛みなのだと思う。
 思うけど、今、かなしい。


 こだわっていたカラーバンドは、なんやかんやで写真の通り。
 わたしが参加できた最後の配布日にて、念願のチェリーピンクを手に入れました。
 え、不運がウリのわたしに、欲しいモノを手に入れられる幸運が舞い込んだのかって?
 違いますよ、そんなわけない。
 相変わらず心底欲しいモノはかすりもせず、それでもあきらめきれず、見知らぬ人たちに声を掛けまくり、交換してもらったの。普段のわたしならそんなこと出来ないけど(小心者)、欲が勝ったのよー、どーしても欲しい!って、恥を捨てたナリ。
 交換してくれた人、ありがとう!!

 あと、キムくんバンドをくれた水みずさんもありがとー。
 おかげでこんなにバンドいっぱい花盛りっすよ。


 まっつさんはねえ、公演終盤、自分セレクトのカラーバンドを、していなかったのよ。

 黒とピンクが欲しくてじれじれしていたわたしは、さらに複雑なキモチでしたわねー。
 まっつとお揃い♪をしたくて、手に入れようとなにかと必死なのに、いざ手に入れても、まっつはしれっと別の色のバンドをしてるかもじゃん?! そんなのショックだわ!!

 えー、ムーア牧師はパレードにて、イエローとライム・グリーンのバンドを付けていました、何日も。
 キムとコマかよっ?! なによそれ、まっつの愛の在処? みみちゃんでもきんぐでもないのねっ?! キムとコマが好きなのね~~!!
 と、自分がまっつを好きで、まっつカラーを身に付けたいもんで、同じ観点で語ってみました(笑)。
 実際は、衣装の色に合わせたんだろうなって感じっす。キムくんがお気に入りしていた、あの緞帳みたいな緑と黄色のストールのイメージなんでしょう。

 で、せっかく黒とピンクを手に入れたのに、ちっともまっつとお揃いにならなくて、悶々して迎えた千秋楽。
 お揃いするために、姑息にキムくんイエローも重ねづけして臨みましたともさ。

 そしたらまっつってば。
 千秋楽は、何事もなかったかのように、自分カラーに戻してた。
 ちょ……っ、イエローを付けたわたしの立場は……っ。

 まっつさんには、なんつーかこう、華麗にかわされてばっかしです。
 牛になった気分っすよ、んでもってまっつはマタドール。
 わたしががるがる突進しても、まっつはしれーっとかわしちゃうのなー。


 なんかもう、ますますまっつが好きで、キムくんが好きで、雪組が好きになった公演でした。

 終わってしまったことが、さみしい。
 『フットルース』についてあれこれ。

 レン@キムの父は何故出て行ったか。

 そりゃ間違いなく、エセル@ヒメのせいだよなー。

 わたしは観客だし女だから、エセルを「いい女」だと思う。彼女の明るさと強さは心地いい。
 しかし、アレが自分の妻だったら、いろいろウザいだろーなー(笑)。

 『フットルース』は海外ミュージカルらしく、女たちの歌場面がある。(男役至上主義のタカラヅカではふつーない)
 そこでヴァイ@きゃびいと共に、夫の態度について嘆いている。
「いつでも、『話は終わりだ』『またあとで』……会話は途絶えて」

 ヴァイはそう言われたら黙って引くけれど、エセルは黙ってないだろうなと思う。
「話は終わりってどういうことよ、あなたっていつもそう! この間だって……」
 と、ぽんぽん続けてそうだー。
 疲れて帰ってきて、毎日これやられたら、そりゃ男は逃げるわー。

 マコーマック氏@脳内キャスティング朝風くん(笑)は、レンのことはかわいがってたと思うんだ。突然出ていかれてレンが傷つくほどに。
 ただ、妻との関係が限界だったんだろうなあ。
 強く正しく、そのうえ口も立つ奥さんとでは、なかなかやすらげなかったのでは……?

 妻とはやり直せなくても、息子とはどこかで和解しそうな気がする。


 じゃあヴァイはいい妻だったのかというと、うーん、それも完全にはうなずけない。
 たしかにムーア@まっつは問題だらけの夫であり、父親だけど。ヴァイが夫と娘の間で、どちらも愛しながら中立を保って家を守っているのは、すばらしいことだけど。
 ヴァイってさあ……口は災いの元の人だよね?

 最初のムーア家の場面。
 夜遊びして遅く帰ってきたアリエル@みみが、仕事をしているムーアに話しかける。娘の素行に文句のあるムーアは感じ悪い態度を取る。
 この場面でわたしがいちばんムカつくのって、ムーアではなく、ヴァイだ。

 アリエルはまず、懸命にムーアに話しかけている。
 父との関係を埋めるべく、努力しているのが見える。
 会話する気がなさそうなムーアの気を引こうと、彼が好きな音楽の話をする。
「こういう音楽(クラシック)ならいいのね」とつぶやいたアリエルは、他意はないように見える。ほんとにただ、そう思ったから口にした。
 なのに棘だらけになっているムーアは「皮肉」だと受け止めたらしい。「どういう意味だ」と詰問口調で言う。
 ここでヴァイが「ただの冗談よ」と口を出す。
 わたし、このヴァイの台詞がダメ。
 アリエルは皮肉で言ったわけじゃない。ぽつんとこぼしてしまっただけ。それを悪く取るのはムーアがアリエルをうがって見ている(娘に対して怒っている)から。でも、すかさずヴァイが口を出すことで、アリエルの言葉を、悪意の一言にしてしまった。
 「冗談」とフォローすることで、「アリエルは皮肉を言ったのだ」とレッテルを貼ったんだよ、ヴァイ。ただのつぶやきなら、そんなフォローはいらないから。
 ムーアはヴァイの台詞は聞かなかったように、そのまま話を続ける。「こういう音楽は心を落ち着ける」と。ふつーに話せるんだから、ほんとにヴァイの一言は余計でしかない。

 音楽の話はダメだ、と思ったアリエルは、話題を変えて「小さい頃の話」をする。まだ家族が壊れていなかった頃、幸せだった頃の話を。
 だけどムーアがまた、ケンカを売ってくる。
「お前はあのころからずいぶん変わったな」と、今のアリエルを攻撃する。パパ大人げない。
 さすがのアリエルも父の悪意を受け止める。「わたしなにか、父さんの気に障ること言った?」なんでさっきからケンカ売ってくるのよ、こっちは下手に出ているのに。
 さあ、ここから父娘バトルか? ケンカになるとしても、ふたりは今、向き合って会話しようとしている。感情をぶつけあおうとしている。
 が、ここですかさずヴァイが口を出す。
「父さんは今日とても疲れているのよ」
 えーと、つまり、「話は終わりだ」ですか? 「またあとで」ですか?
 横から口を出して、勝手にムーアの代弁をする。これひどい。
 ムーアもそう思ったみたいで、「ヴァイ、私は自分で話せるよ」と妻に「口を出すな」と釘を刺す。
 なのにヴァイは聞いちゃいねえ、「アリエル、食事の支度を手伝って」とさらに「話は終わりだ」とやる。
 父には悪意をぶつけられ、それを問いただそうとしたら、母に邪魔され、アリエルは絶望して自分の部屋へ逃げていく。
 で、ここまで父娘の会話の邪魔をしておきながら、ヴァイはしれっと「私が正義」の顔をして、
「アリエルに怒っているなら、ちゃんとそう言えばいいじゃない」
 と、悪の夫を責める。
 アンタが、言わせなかったんじゃん!!
 ムーアとアリエルの会話を逐一邪魔して、余計なことを言って火に油を注いで、自分は正義かつ被害者顔……。

 この人、きっつい……。

 ムーア家が荒れている原因は、ヴァイの「口は災いの元」ゆえぢゃないの……?

 余計なことを言ってムーアを怒らせたレンに対し、ヴァイがフォローするくだりも、わたしにはよくわからない。「あなたのお母さんも大概よね」って、悪口ですから、ふつーに!
 冗談を言って和ませているつもりだろうけど、ここにいない人の欠点を挙げることで笑いを取るのは、ヘタなやり方ですよ。
 レンが笑ってくれたから救われたけど、面と向かって母親の悪口言われて、怒ったり傷ついた入りするかもしんないじゃん。
 エセルとヴァイが仲良しだという場面がそれまでにあるならともかく、町の人がマコーマック親子に冷たいっていう表現しかされていないのに。

 ヴァイの言葉って、脚本だけ見るとひどいんですが。

 ムーアは「悪い人」設定、妻や娘を傷つける人設定なので、偏屈で身勝手でもいいのよ。そういう設定で、わざとそう書かれているんだから。
 でもヴァイはちがう。「いい人」設定で、良妻賢母の鑑、やさしい人格者として書かれているのに、やっていることが設定と真逆、というのがきついの。

 ヴァイを「いい妻」「いい母親」にしているのはきゃびいの演技ゆえであって、ヴァイ自身は言葉の選び方が身勝手でヘタ、空気読めない人になってますがな。

 前日欄でわたし、「今のままの『フットルース』で、なんの不満もない、演出変更は必要ナイ」と書いているけど、欲を言えば、ヴァイだけは書き直して欲しいっす……。
 前述のアリエルとムーアの会話部分は、いっそなにも言わなくていいよ……。レンに対しても、もっと言葉選んでよ……。


 アリエルは父親似で、死んだボビー@脳内キャスティングちぎは母親似かなあ。
 どんな家庭だったのか、考えるのは楽しいっす。

 マコーマック家とムーア家、どちらも、父親は息子大好きだったろうな、と思う。
 夢と希望を息子に注ぎ込んでいたことだろう。
 だからレンはあんなにまっすぐに育ったし、父を失って傷ついた。
 だからムーアはあんなに深く心閉ざした。

 描かれていない部分まで目に浮かぶのは、いい作品だからこそ。
 『フットルース』あれこれ。

 ジーター@咲ちゃんとユーリーン@さらさちゃん。
 このふたりの物語も気になるところ。

 で、ほんとのとこはわかんないけど、ジーターは最初から、ユーリーンが好きなんだよね?
 1幕のミサでは、ふたりは別々に坐っている。
 でもミサ終了後にわいわいがやがややってるとこや、最初の学校場面にて、ジーターはやたらユーリーンを意識しているし、彼なりにモーションも掛けている。
 ユーリーンも、まんざらでもない感じ? なびく、までは行ってないけど、彼の好意と興味には気づいている。

 そのままうまくいくのかと思いきや、1幕終盤の教室にて。
 ジーターってば、後ろの席の女の子に机まで移動させて話しかけて(「他人にも己れにも益なきことを語るなかれ」)ユーリーンを、怒らせている。
 いちゃついてるようにしか見えないもんなー。チャラいっつーかさー。そりゃユーリーンも怒るわ。
 で、彼女を怒らせたと気づいたジーターは、「あちゃー」って感じにあわて、謝ろうと必死。でもユーリーンは振り返らない(いちばん前の席)。

 そこにケガをしたレンが登校してきて、話はそっちへ行っちゃうけど。

 で、そっからどう仲直りをしたのかわかんない(笑)。
 気か付いたら最後のミサで、ふたりは並んで坐ってラヴラヴ。ジーター、ちゃっかりユーリーンの肩抱いてるし。

 1幕ラストの教室から、2幕のミサまでの間って、ロッカールームのダンス指導場面だけだよね? でもあそこは男女別に分かれて「素敵なボーイフレンド」を歌い踊ってるだけだよね?

 見えないところでナニかあったってことかー。

 …………にやにや。


 ヴィックル@ホタテも、最初からウェンディ=ジョー@えーちゃんを好きなのかな。意識していることはわかる。
 でもこっちのカップルは、あまりうまくいってるかどうかわかんないというか。
 展開にあまり興味が湧かないのは、色気がないからかなあ(笑)。
 ヲタク役のホタテマンにしろ、不思議ちゃんのウェンディ=ジョーにしろ、少女マンガ的なときめきにつながらない……。

 全キャラが色ボケする必要はないので、彼らはこの温度感がいいなと思います。
 なんとなく最終的にカップルに落ち着いて、仲良く楽しそうにしているのが、かわいくていい。


 いちゃいちゃ熱々ぶりといえば、レオ×ひーこ。
 こいつらがもー、リアルにエロかわいいカップルだから。
 いるよな、こーゆー四六時中くっついて生きてるカップル。接触している、いちゃついてるのが日常、当たり前。いちいちなんも思わん、誰も突っ込まない。
 美形ふたりがエロいちゃしてるのは、目にやさしいやら毒やら。
 とりあえず、ふたりを眺めているだけで楽しい。

 あゆみ姐さんには、「まなはるでいいの? どこがよかったの?」と聞きたい(笑)。
 いや、いいと思うけど。
 あゆみちゃんになって、まなはるに「お手」とかしたいなあ……。(まなはるは犬ぢゃないっす!)
 あゆみちゃんがとってもあゆみちゃんっぽい、強くてカッコイイ女の子で、まなはるがとってもまなはるっぽい、気のいいお調子者でお笑い担当で、いちいち納得の小芝居をしていて、実にキモチイイです。


 今回、若い男の子たちが気になります。

 いったん目に入ると、どーにも気になってしょうがない、不良少年@永久輝くん。
 まったくノーマークだったので、こんなに男っぽい子がいたのか、と思って確認したら、まさかの研2。
 えええ。ふつーに研5くらいかと思ってた!! 顔立ちがマギーっぽいからかなあ。

 かっこいいし、なんつーかこー、ふてぶてしい感じが素敵です。不良少年役ですから!
 銀騎士姿も本気でキザっててイイ(笑)。

 名前のない学生役の中では、彼がいちばん扱いのでは?
 モブ男子学生たちの見せ場は、全員出ているミサや教室を除けば、「ガソリンスタンド」「ヒーローの銀騎士」「ロッカールームのダンスレッスン」で、この3つに唯一全部登場しているのが、永久輝くん。
 他の子たちは、場面を分け合って登場している。

 劇団が期待している子なのかな。たしかこの前の新公でも、いきなり役ついてたよなー。


 ふつー少年@大樹くんが気になります。
 まず、あの思い切った髪型。舞台はいいけど、普段もソレだと日常困らないか? 女子トイレに入れるのか? と心配になるような(笑)、思い切ったベリーショート。
 台詞もあったかどうかおぼえてないくらいなんだが、とにかくかわいいわー。
 大食らい設定なのか? なにかと食べてばっかいるような?

 あと、この公演でわたし、イリヤくんのかわいさに目覚めた!(笑)
 今までイリヤくんについては特になんともおもってなかったんだが、撤回する、かわいいわ、彼!
 不良チームなんだけど、顔立ちのかわいさが目立つなー。

 翼くんも台詞あったかどうわかんないくらいのモブだけど、ナニ気に「I’m Free」のブレイクダンス風のピックアップに入ってて、腕立て伏せの様子からしても、筋力のある子なのかなと思ってみたり。

 若者なのにおっさん役になっている亜聖くんは、警官違和感なさ過ぎ(笑)。
 でも、ふつーに学年相応の若者をやっているとき、ふつーにかわいくて、なんだよかわいいじゃん!と再認識。
 学年の割に声も出来てきているから、あとはこれから痩せてくれたら、もっと役の幅も広がるだろうな。それとも痩せずに個性派おっさん路線を突き進むんだろうか。

 男の子たちは出演メンバー全部わかるようになったんで、あとは女の子だな。
 何人かまだわかってないっす。

 ところで千秋楽にて、ぼーっと目の前で踊るうきちゃん見てたら、にっこり笑ったあと、ばっちん!とウインクされた!!
 はううっ。
 ううううきちゃん、ここここんなおばさんオトしてどーしよーっていうのおおおっ。
 ドキマギしたー。
 おかげでしばらくうきちゃん見られない(笑)。

 ジェンヌさんから目線もらう経験をほとんどしてないので、効果大きいのよー。舞い上がっちゃって大変っす。

 その昔、リサリサにもウインクもらって、一気にオチたんだよなあ……あああ雪娘ってば肉食系……。
 『フットルース』にここまでハマるとは思っていなかったので、月組『ロミオとジュリエット』を観る回数が減ってしまったのが、心残り。
 結局、みりロミオは1回しか観られなかったっす。まさロミオが3回。あと新公で、公演全部合わせて5回っすよ。予定より少なくなってしょぼん。
 はりきっていたので、わたし的にがんばった席で毎回がっつり観たけどなー。
 梅芸に10日間通いながら、それでもムラにも5日通ったんだから、もうほんといっぱいいっぱい、社会生活ぎりぎりの日々でした。←

 わたしはやっぱまさおのロミオが好きですわー。
 ただ、楽近くはなんか「収まった」感じがして、初日あたりのイタさが少なくなってて、ちょっと残念だった(笑)。
 まさおくんはイタくてなんぼだと思っている!
 だもんで、ティボルト役も大好きだ!! まさティボをもっとしっかり見たかったよ……。

 みりおくんはやっぱロミオ役者であり、ロミオ役を見られてよかったけど、それならなんで彼がトップになってからやらなかったのかなあ、と。

 『ロミジュリ』という作品を愛してやまないので、いびつな体制での上演が、やっぱり切ないっす。


 さて、後半日程に観劇して、注目して見たのはモンタギューチームのふたり、ベンヴォーリオ@マギーとマーキューシオ@みやるり。

 やっぱわたしには、彼らが仲良しなのか親友なのか、いまいちわかりませんでした。
 ベンヴォーリオがわりと世界観チガウからかなあ。ロミオもアレな人だしなあ。

 ロミオ@まさおと、ベン、マーはそれぞれタイプが別すぎて、性格の違いとか個性の違いとかいうより、世界観が違っていて、同じクラスにいても仲良くならないタイプに思えた。
 や、ベンマーがじゃれている姿はかわいいし、ロミオも加わって3人でがちゃがちゃやっているのも楽しそうだとは思うけど、そういうことではなくて。

 親友でなくても一緒に過ごすことはするだろうし、亡くなったら嘆くだろうし、別に不思議でもないんだけどなー。

 トリオ感が強かった雪組、ベン様ロミオのこと愛しすぎ(ベン様ホンモノくさくてやばい・笑)だった星組と比べ、月組は個別に生きてるなあと思った。
 や、わたしがそう思った、というだけだけど。


 マギーのベンヴォーリオが、すごい感情的な人になっていて、「どうやって伝えよう」がえーらいこっちゃ!だった。
 そうだよなあ、この歌ってこれくらい、感情優先にしてもいいんだよなあ。すずみんベン様だって、慟哭して大変だったもんなあ。
 と、どっかのクールなベンヴォーリオを思い出しては感慨にふける。

 親友感があまりなかったためか、とにかくベンヴォーリオは良い人に見えた。
 マーさんが死んだときだって、ロミオが罪を犯したことだって、「親友だから」特別に嘆いたりかばったりしているわけじゃなくて、ベンは優しい男だから、みんなのおにーさんだから、これくらいするんだって感じがした。


 んで、みやるりのマーキューシオって、狂気の人じゃないんだ?
 危ないとか狂犬とかいうよりも、なんかすごく繊細な若者に見えた。

 エキセントリックな面ももちろん嘘じゃなく持ち合わせているんだろうけど、ことさらそこを自分でクローズアップして「ウリ」にしている印象。
 本当なら、繊細で傷つきやすい子なんじゃないかな。
 ときどきふっとひどくまともな……「マーキューシオ」らしくない顔をする。
 知性と思慮深さのある青年の顔。
 でも次の瞬間それを「隠す」。わざとらしく「マーキューシオ」の顔をしてみせる。

 あの顔が本当の彼ならば……ほんとに、友だちいなかったんだなあ。真実の顔を隠して「狂犬マーキューシオ」として生きるしかなかったんだなあ。
 それはそれで萌えですが(笑)。

 みやるりのティボルトを見てみたかったな。
 みやるりマーの持つ「孤独」さが、取り巻きはいても親友のいないティボルトならどんな風になるか、見てみたいと思った。

 あ、初日のマーさんの「マブの女王」がぐたぐただったのは、オケが間違えたせいだと教えてもらいました。むしろあの状況でよく歌ったと。

 役替わりがなければ、モンタギュートリオの関係性も、また違ったんだろうなと思うと、やっぱり残念だなー。青3人組、大好物なんだよ-。


 乳母@圭子ねーさまは初日ほどの拒絶反応は出ないものの、やっぱ苦手だ、このキャラクタ。
 ジュリエット@ちゃぴの台詞で、ひそかに好きなのが「そうなりますように」。
 みみちゃんの同台詞も大好きだったんだが、ちゃぴだと別の言葉に変換して聞こえて、ツボった。
 すなわち、「地獄へ堕ちやがれ」。

 手のひらを返した乳母が「ロミオなんてぞうきん。神かけて言える、そうでなきゃ地獄へ堕ちますよ」と言うのを受けて、ジュリエットが「そうなりますように」とつぶやく。
 ちゃぴジュリエットだと、ほんとに「地獄へ堕ちろ」と言っているように聞こえる……わたしには(笑)。

 ちゃぴの強さと視界の狭さがツボ。一点だけを見つめて爆走していく。

 かわいいなあちゃぴ。


 神父様@エマさんを除いた大人チームがなんか残念だったんだよあ、月組。
 乳母は期待値が大きすぎたのか、利己的な道化キャラになっていてしょぼんだし。
 リュウ様のキャピュレット卿もエロかっこよくて素敵だけど、それは別にキャピュレット卿である必要のないところのリュウ様としての素敵さでしかないというか。
 キャピュレット夫人@トウカさんはもう、キャラ違いとしか……。
 そして意外にモンタギュー夫人@あーちゃんが残念だ。きれいだし歌もうまいんだけど、根本的なところがチガウというか……あーちゃんて未だに「娘役」で「姫役者」なんだなあ。彼女の「母性」のなさが、クライマックスの「罪びと」のカタルシスを盛り上げないんだよなあ。
 モンタギュー卿は、……地味だなあ。丸い牛さん@『血と砂』以来ずっと見守っています、いいおっさん役者だけど、リュウ様とタイマン張る華がないっす……。

 つーことで、ほんと真ん中に注目して楽しみました。

 まさみりちゃぴ、若い3人がこれからの月組。
 みやるりとマギーもまだいろんな顔を見せてくれるだろう期待感にあふれてる。

 ほんと、あと1週間長く公演してくれたらなあ。
 もっと観に行きたかったよ。


 3つの組の『ロミジュリ』、印象・感想比較とか、腰を落ち着けて書きたいなー。どの組がいい悪いではなく、「みんな違ってみんないい!」、楽しんだもの勝ち。
 大好きな作品だから、いくらでもいじくり回していろいろ考えられる、考えることが楽しい(笑)。


 ああ、月日の流れが速すぎて、ついていけない……。
 そして明日は、花組初日だっ。
 その昔、こあらは言った。
「植田紳爾を超えられるモノは、植田紳爾のみなのだ」と。

 次から次へと人類の常識を越えた改悪を重ね、「これ以上ひどいモノは、この世に存在すまい」と観客を絶望と悲嘆、もしくは爆笑に誘ったかの『ベルばら』シリーズ。
 「これよりひどいモノはありえない」と思うのに、新作はさらにその上を行くひどさ!!
 すげえよ、人間ってすごい、「悪霊妹編」を観てこれ以上はないと思ったのに、あったよその上が、「呪いのドングリ編」!!

 というように、植爺の超駄作を超えられるのは、植爺の新超駄作しかない。


 それと同じ法則が今、発動された。

「谷正純を超えられるモノは、谷正純しかいない」

 谷せんせの最近の迷作といえば、なんといっても『CODE HERO/コード・ヒーロー』ですね。
 タカラヅカで駄作というと「『呪いのドングリ編』とどっちがマシ?」と聞かれるけれど、タカラヅカの珍作というと「『CODE HERO』とどっちがマシ?」って聞かれるよね?

 記録とは、破られるためにある。それを実感した。

 『サン=テグジュペリ』は、『CODE HERO』を超えた!!(笑)


 いやあ、すごかったっす、『サン=テグジュペリ』。
 トンデモ作品ってのは、こーゆーモノをいうのか……。

 観ながら、心の落としどころというか、足の置き場に困った。どこを踏みしめて、どんな体勢で観ればいいのかわからん。
 ファミリーミュージカル? 友情モノ? えーと、男女の愛はどこへいった?? 肝心の部分はまるっと抜け落ちてる。変な人ばっか……。
 突然はじまるファミリーミュージカル風朗読劇。
 突然、関係、立ち位置が変わり、突然朗読劇がはじまる。しかも役が勝手に変更されており、なんの説明もない。
 突然はじまる耽美場面。ぽかーん。
 突然はじまるお涙ちょうだい。

 突然、突然、突然……。

 すごい……タカラヅカって、すごい……。ふつーならこれ、プロット段階や脚本段階で、待ったが掛かってるわ……(笑)。

 えーとね。

 たぶん谷せんせは、『星の王子さま』の朗読劇をやりたかったんだと思う。

 原作本を全部そのまま、役者が読み上げるの。地の文まで全部。
 衣装を着けて、ちょっとした身振りなんかもして。台詞を歌なんかにして。
 それがやりたかったのよね。
 でもそのままやったら、子ども向けファミリーミュージカルになってしまう。ここはタカラヅカ、NHKの幼児番組じゃない。
 だから作者の物語ってことにして、この『サン=テグジュペリ』を企画した。

 で。
 この『サン=テグジュペリ』という作品で、いちばん不要なモノは、その『星の王子さま』だ。

 サン=テグジュペリという男を主人公にした物語だとすれば、別にそこまで破壊力はない、ふつーにタカラヅカにありがちな話になるだろう。
 だが何故こうまで、へんてこりんにぶっ壊れたか。

 いらんものが、真ん中にどーんと乗っかっているから。

 はい、強烈なデジャヴ。
 あったよね、前にも。

 **いらない。
 **があるから、話が余計ぶっ壊れている。
 でも**はタイトルで、コレで企画通しちゃったから**をなくすことができなかったんだ。
 **さえ出なかったら、まだマシなのに! **さえ! **さえ……っ!!

 えーと、**に入るモノは?

 答えは、「妖精」です。

 『JAZZYな妖精たち』!!
 妖精のビジュアル、キャラクタ、台詞、存在意義、なにもかも最悪だった。
 しかも妖精、ストーリーに関係ないし。
 最悪なモノが出ることで、つまらない話がさらにぶっ壊れ、駄作度がうなぎ上りだった。

 『JAZZYな妖精たち』に妖精さえ出なければ、まだマシだったのに……。

 タイトルが妖精ですが。
 まず妖精ありきで作られた企画ですが。
 その妖精が、いちばんの欠陥。


 歴史はくり返す。

 だから谷せんせは妖精とか童話とか、デリケートなものは鬼門なのよ~~。
 「人の死=感動」「命ありがとう」という、とても大雑把……ゲフンゲフン、おおらかな作風の人なんだから~~。

 主人公サン=テックス@らんとむの人生を描く上で、『星の王子さま』と重ね合わせ、絡めている。
 手法としてはアリだけど、この使い方がひどい。

 『星の王子さま』の台詞を、ただ読み上げるだけ。

 サン=テックスたちの物語がそこで突然ストップ、本の朗読劇がはじまる。
 しかも、キャラクタがなんの説明もなく替わる。
 さっきまで「ぼく」だったらんとむが、次の朗読場面では「王子さま」になり、さっきまで「王子さま」だった蘭ちゃんが次は「ぼく」になっていたり。

 本の朗読さえ出来れば、誰が読んでもかまわないの!(笑)

 つまり、サン=テックスの物語に重ね合わせても、絡めてもいない。
 ただ読み上げているだけ。

 しかも、長いんだわ……。
 なにしろ『星の王子さま』の大半部分を読み上げてるもんだからさー。
 王子さまが会ってきた星の人たちのエピソードをのぞいた、いわゆる「有名な部分」を全部読み上げてるの……。
 なんのひねりもなく。
 しかも、突然朗読劇をやるために、サン=テックスたちのストーリーも無理に曲げている。この展開でこれはおかしいだろ!がてんこ盛り。

 突然朗読劇をはじめる人ばかりで、こわいですよ、この舞台の人たち。

 あと音楽がまた、すごいの。

 ド演歌。

 タカラヅカはムード歌謡や昭和歌謡が基本だからって、ここまで本気のド演歌は、さすがに耳を疑い、笑いツボに入り……『CODE HERO』を思い出した。あれもすげー演歌だったなあ……。

 出てくる人たち出てくる人たち、みんな唐突で突然で、場面もエピソードもストーリーもぶった切りのその場限りで、いやあ、ほんとすごい。

 しかし谷せんせ、だいもん好きだよね。
 わかるわ、ああいう派手な芸風の子、好きだよね。歌舞伎もどーんとキマる、男役としての華と基礎力を持ってる。

 谷せんせのお気に入り、ってだけじゃなく、最近ようやくだいもんの「時間」が動き出した気がする。研2から抜擢されてきたスターなのに、5年くらい時間が止まっていた印象……それがようやく、動き出した。

 へび@だいもんがもお、ちょっとうろたえるわ……だいもん×らんとむ? それ需要あるの??(笑)
 だいもんがまた、全力でやり過ぎてるし……。いいぞ、もっとやれ(笑)。

 あー。

 このトンデモ作を救う道は、ただひとつ。
 少しも早く、『星の王子さま』部分を全撤収すること。

 サン=テックスと仲間たちの物語、ついでにコンスエロ@蘭ちゃんとも恋愛してます、みたいな話でいいじゃん。
 らんとむさんはもちろんかっこいい、蘭ちゃんきれいだし。花っこたちは熱演なんだから。彼らが存分に輝ける、まともな物語にしてくれ。

 谷せんせ女性書けないし興味ないし、恋愛も興味ないし書けないんだから、男たちの友情モノでいいよ。

 女性も恋愛も、興味ないし書けないから、コンスエロを『星の王子さま』にしてお茶を濁したんだろうけどさ。
 そんな使い方で、『星の王子さま』を汚さんでくれ(笑)。

 (笑)が付くのは、珍作だけど、別にキライじゃないからです。
 『JAZZYな妖精たち』も、キライじゃなかったし。

 ホルスト@だいもんとレオン@汝鳥サマのラストで、うっかり泣きましたから!!(笑)←だから(笑)が必ず付くってばよ。


 すごいから、ぜひみんな観てほしい。
 おすすめ(笑)。
 望海風斗の時間が動き出した……最近感じていたけれど、この公演ではそれがまた顕著だった。

 年功序列の花組だから、男役のポジションは固定、覆されない。
 劇団があれほど早く上げたいと切望していたまぁくんすら、新公やバウや出版物でしか意志を示せず、本公演のポジションは手を出せなかった。
 ポジションをいじりたい人は、組替えしかないんだよなあ。

 他の組ならいざ知らず、花組は学年遵守。そう思ってきたから、プログラムの段階で、みーちゃんがだいもんの下に掲載されていることに、驚いた。

 前回、ショー『カノン』にて、3番手のような扱いだったまぁくんだって、プログラムの掲載位置は「学年順」だったんだ。5番手位置でしかなかったんだ。
 バウ主演が発表になる前から、だいもんがみーちゃんより上の扱いであることはわかっていたけれど、それでも表面的には「学年順」を守るんだと思っていた。
 まぁくんがそれでえんえんやってきたんだし。プログラムの掲載位置なんて、階段降りの順番みたいなもので、本編でどれだけどうでも、階段降りだけ学年順で体裁を繕う、アレと同じ。
 なのに、だいもんが「学年逆転」で掲載されるとは、マジで意外だった。(そのくせ、インタビューは学年順だが)

 実際、最後の階段降りもプログラム(スチール)で示した通りの順番だった。

 劇団、だいもんのこと、ちゃんと大切にしてくれるのかなあ。
 面白い役者だから、大切にして欲しい。

 ……だいもんがどうというより、みーちゃんの位置を知らしめるのが目的なのかもしれないけど、劇団。新公主演したスターだけど、路線ではないという意思表示?
 去年末に発表された大幅な組替えで、それぞれどう立場が変わるのか、興味津々だもんなあ。
 タカラヅカはトップを頂点としたピラミッド社会、順列は明確であってほしい。不透明人事は混乱のもと。
 他の組でも、こうやって位置をきちんと発表していくんだろうか。

 みーちゃんがトップ路線かどうかは置いておいて、新しい組でやりがいのある役や作品と出会い、花開いて欲しいと思う。

 ……しかし、プログラムの花娘たちのスチールが肉食系ばりばりでカッコイイ……!


 と、まず感慨深いあたりから書き出してしまったが、ショー『CONGA!!』

 フジイくんは、再び花組を救った!!

 その昔、タカラヅカ史に残る最低作『呪いのドングリ』を見せられ、花組ファンが悲嘆と絶望の底にいたとき、救世主フジイくんが現れ、『EXCITER!!』によってみなを救った……あの伝説が再び甦った!!

 フジイくんはほんと、命の恩人だねええ。
 芝居が歴史に残る珍作でも、ショー目当てに通えるよ~~。

 らんとむとラテン、らんとむと黒塗り、似合う似合う! パズルのピースがぴたりとハマる心地よさ。

 そして花組の野郎度の高さ、オラオラぶりが心地いい。
 娘役もみながっつり肉食、牙を剥きだしているとこがいいの。
 フジイ名物女装もてんこ盛りで、男だか女だかわかんない部分もあるから余計、女たちもとんがってる!

 そして、踊れるトップコンビだと、アクティヴなショーになるんだと実感。
 躍動感が気持ちいい。つか、リフトすげえ。

 らんとむ氏があちこち吠えまくってるんだけど、毎回丁寧に咆哮の言葉が違ってツボる(笑)。そこ変えるんだ!

 蘭ちゃんがあちこちお花サマに見えた。
 今回かっこいいしかわいいし、たまらんわー。

 えりたんは納得のえりたんクオリティ。「その髪型は?!」と二度見したけどなー(笑)。
 今回彼、女装男とも絡んでるので、包容力というか、「えりたん力」がゆんゆん出てて楽しい。相手が誰でもぜんぜん問題ない人だねー!(笑顔)

 みわっちはラテンでもなんでも独自の道。
 芝居でもそうだったけど、「昭和の美学」を貫いている。このコテコテの男役ぶりが愛しい。
 ここで女役が来ず、きちんと男役を全うしてくれるのがうれしい。

 みつるの女装が素敵に食虫植物(笑)。ジャングルに咲く極彩色のやばい花みたいだ。
 というか、男でも女でもブレない人だ。強くてワイルドで、カッコイイ。

 だいもんは大忙しで歌って踊って大活躍。オペラ上げるまでもなく、「あのビデオの早回しみたいなダンスはだいもんだ」とわかる。リズムに合ってないわけじゃないんだが、なんかひとり一回り大きく動いているような気がして。
 あまりに全身全霊過ぎて「身体もつの?」と思ってしまう……(笑)。
 フィナーレの女装は、まさかの地髪。美人だよなあほんと、カツラに頼らなくても美しい。……ほんとに、一回り顔が小さかったらなあ……ゲフンゲフン、だいもんかわいいよ、だいもん。

 みーちゃんはもお、とにかくカッコイイ。黒塗り似合う、「美しい人がいる!」と目を引く。みーちゃんの顔好きだ-、あのずば抜けたスタイルも好きだー。
 ゆーひくんが卒業して以来、わたしは無意識に彼を求め、探しているのかなあ。月新公観てちなつくんにゆーひの面影を見たように、花『CONGA!!』のみーちゃんを見て、やたらゆーひくんを思い出した。……いやその、ゆーひくんはあんなに踊れませんがゲホゴホ。

 あきらはスターであることに安定してきた印象。遅れてスター位置にやってきた彼だから、路線育ちでないゆえの「わかっていない」部分がいろいろあったけど、なんかそーゆーのが埋まってきたなあと。

 よっち活躍すげえ、てゆーかルナくん女役? ふみかだけでなく、らいらいにも歌があるのがうれしい。
 輝良まさとオトコマエ、柚カレーくん美形、いちか太もも&銀橋センター!
 じゅりあがなんか顔ちがってる気がした……お化粧変えた?
 ひとり知らない顔の女装くんがいて、あとから確認したら97期研2だった……『EXCITER!!』のみりおん抜擢を思い出したナリ。

 盛りだくさんで濃いショーだった。
 やっぱMr.MAYUとかがないのはいいなあ。正味「ショー」をやってくれる方がわたしは好きだ。

 それにしても、ラストの白い衣装のらんとむ氏の腰振りに、腰が砕けた……(笑)。
 たまらん……あれは、たまらん……!!


 芝居も含め、もう一度観たいです、ええ。
 芝居も含めて!(笑)←だから必ず芝居には(笑)が付く
 もしものときのために、隠し子を作っておこう♪

 女は若くてかわいくて、バカが最高☆

 端的に表現すると、こういうことですか、石田先生。

 『双曲線上のカルテ』を遅ればせながら観劇。
 友人から「最悪」である、「大嫌いな石田が詰まっている」とは聞いていたし、そこまでトンデモなら早く観て話題を共有したいと切望していたんだが、チケット取れなかったんだ。友会全滅しちゃって。で、なんとか手に入れられたときに行くしかなくてな。

 原作は未読だけど、この間、ドラマを再放送で見た。
 そしてドラマは、イシダがこの作品を舞台化するなら、心から「観たくない」と思うというような話だった。

 今まで観たことのあるイシダが、詰まってる。ドラマに、すでに。
 イシダせんせが何故この作品を選んだのかがわかりすぎて、辟易した(笑)。

 ドラマの時点でまったく好みではない上に、それをわたしの好みと真逆の感性を持つイシダせんせが舞台化。いやだ、とか、苦手だ、と思う部分てんこ盛りにクローズアップして来るんだろうな、という絶望感。
 とりあえず1回は観るけど、すごくつらい観劇になるんじゃないかな……。

 そう、悲壮な覚悟で臨んだ(笑)。


 べつに、平気だった。

 悪い評価、聞きまくっていたからかな。
 友人からもだし、掲示板でチケット譲ってくれた人も、手渡し時に酷評していたし。
 最低最悪のモノを覚悟して観たせいか、ふつうに楽しめたよー。ドラマより泣けた。←

 もちろん、好みではまったくないが、『殉情』ほど生理的嫌悪感があるわけじゃない。
 ほんと、『殉情』クラスの逆鱗作を覚悟して観に行ったんだ(笑)。

 まあぶっちゃけ、めぐりあわせが大きいかなと思う。
 『長い春の果てに』をヘビーリピートしたあとに『双曲線上のカルテ』を観ていたら、拒絶反応もひどかっただろう。(『長春』キライです・笑)
 でも幸いにもわたしは『長春』をリピートしてはいなかった。
 そしてもうひとつ。
 これがナニ気に大きいと思う。

 先に、『サン=テグジュペリ』を観ていた。

 ……いやあ、天使が出てきて「人間って♪」「てへぺろ」とかやっても、ぜんっぜん驚かない! 平気!!
 その前に大劇場で、もっとキテレツなモノを観ているから!!

 耐性付いてたよ……『サン=テグジュペリ』に比べたら、『双曲線上のカルテ』なんてすげー「ふつー」の話だよ……。

 あんまりふつーで、拍子抜けした……。
 どんだけすごいんだ、『サン=テグジュペリ』……。

 とまあ、話がズレてしまいそうなので、『サン=テグジュペリ』の珍作ぶりは置いておいて。

 アウトローな医者フェルナンド@ちぎくんは、腕はいいけどルール無用、独自の美意識に基づいて行動する人。
 我が道を行く傍若無人なフェルナンド先生だけど、彼には秘密があった。不治の病で余命幾ばく。だから彼は自分のカラダを実験体に新薬試してみたり、とことんゴーイング・マイウェイ。
 病気のことは内緒ですから、そんな影のある美形先生に、看護師のモニカ@あんりちゃんは惹かれて……っていうか、先生の方からしっかり手を出してデキ上がっちゃう。
 周りのみんなはどんどんフェルナンドの病気に気づいていくのに、ちょっとおつむの軽いモニカちゃんだけは気がつかない。両思いHAPPY、先生とふたりで旅行、お母様に紹介されちゃった、もうゴールイン、カウントダウン……てな幸せ絶頂に、奈落へ突き落とされる。
 死の恐怖を和らげたかったフェルナンド先生は、かわいくておバカなモニカを手玉に取り、自分だけは満足して自殺しちゃったのでした。

 いやその、ドラマではもう少し、ヒロインは切ない感じに描かれておりました。
 なにも知らないながらも、破滅の予感っつーか、悲劇の足音に、視聴者が切なくなるような感じに。

 しかし、男尊女卑の権化であるイシダ演出になると、ほんとにもお、ヒロインが、ただのバカで。

 フェルナンドがモニカのどこに惹かれたかというと、顔と若さと、おバカさなんだろうと思えるあたりが、もお。
 「待て」と言われたら何時間でも皿の前で待ち続けるわんちゃんみたいっすよ、モニカ。

 フェルナンドに絡む女性はもうひとり、クラリーチェ@せしるという病院長の娘で気の強い美女がいる。最初フェルナンドは彼女とつきあっている。
 なのに、才色兼備の彼女を捨て、子犬系のモニカを選ぶ。
 クラリーチェでいいやん、なんでモニカ?
 モニカの方が若くて、たぶん男ともつきあったことなくて、バカだからなんだろうなあ。
 クラリーチェは自我がはっきりしていて、ついでにそれなりにいろいろ経験豊富そうで、非の打ちどころナシの分、思い通りにはならなかったんだろうな。

 いやその、クラリーチェの年齢は謎なんですが。大人の女にしか見えなかったが、後半いきなり少年にしか見えないアントーニオ@翔くんが「兄」として登場してきてな。えええ、いくつなのよ?? と混乱(笑)。

 クラリーチェが実は若かったとしても、男関係に慣れているようなタイプは「遊び」でしかつきあう気がなかったんでしょう、フェルナンド先生。

 男は女遊びしていいけど、女は「相手はただひとり」でなきゃいけないのがイシダ・クオリティ。

 たぶんイシダせんせの脚本演出であるということと、あんりちゃんの芸風が作用したんだろうなあ。モニカの天使っぷりというか、おバカっぷりは。

 フェルナンド先生をはじめ、キャラクタ全員、見事に誰も共感も感情移入も出来なかったので(笑)、冷静に観劇できました。
 唯一泣けたのが1幕最後のチェーザレさん@朝風くん。彼は良かったのだけど、2幕のラストで再登場したときに「やっぱり共感できない(笑)」と思っちゃったので、共感キャラクタ皆無になっちゃった。
 や、ガンと闘って人生を全うしたチェーザレさんなら、ラストに再登場した場合、フェルナンド先生を叱り飛ばさなきゃダメでしょ。あのラストで、1幕のチェーザレさんの感動も否定されちゃったみたいで、しょぼんでした。

 イシダせんせは作劇は出来る人なんだが、とにかく情緒面でわたしと合わない。
 『復活』は奇跡だったのかなあ……。結局また、いつものイシダ・クオリティだなあ。

 覚悟していた嫌悪感はなかったけれど、「好きじゃない」としか思えない。テーマもストーリーもキャラクタも、エピソードも演出も。
 どんだけ珍作でも『サン=テグジュペリ』の方が好きだし、また観たいと思える。
 それくらい、わたしはイシダせんせと気が合わない。

 だからほんと、「人」を見るためだけにあった。
 タカラジェンヌを。

 ちぎくんを、雪っこたちを。
 彼らを愛でるためだけに、観に行ったんだ。

 てことで、次はキャスト感想。
 『双曲線上のカルテ』は、主演のちぎくんの美貌を愛でるためにある。

 いやもお、ほんとに。

 ちぎくんのメガネ姿とか、ちぎくんの白衣とか、ちぎくんの苦悩する姿とか、ちぎくんの苦しむ姿とか、そーゆーものを眺めて萌える、そのためにある。

 しみじみと、ちぎくんの美しさは才能だなあと思った。

 そして彼はやっぱり、正しく「タカラヅカ」だ。

 作品のアレさを吹っ飛ばすのがタカラヅカ・スター。価値のない作品であったとしても、そこに彼がいる、ということだけに価値を創り出す、それがタカラヅカ・スター。
 ちぎくんはほんとに、タカラヅカ・スターだ。作品がどうあれ、彼の美しさだけでわたしは納得できる。

 そして、思い出すんだ。
 わたしがもっとも嫌悪するイシダ作品『殉情』を。

 あの作品も、ちぎくんの美しさが、救いだった。

 ちぎくん主演時もそう感じていたけれど、さらに痛感したのは、彼が出演していないとき。
 Wキャストだったため、別キャスト公演を観たときに、この酷い作品を支えていたのはちぎくんの美貌だったんだと改めて気づいた。
 ちぎくんが美しすぎて、ファンタジーの域に達していたんだ。生身を感じさせる容貌の人が演じたら、気持ち悪くて観ていられなかった。あくまでも、作品が。

 イシダ作品の毒を薄めることが出来る、ちぎはマジすげえ。

 歌が課題な人だけど、芝居に関しては別に気にならないなあ。声もキライじゃない。
 わたしがいちばん苦手なのは芝居が出来ない人、なので、ちぎくんは芝居ができるから好き。


 ただ、今回は作品とキャラクタが良くないので、それを突き抜けるには「歌の力」が重要なんだなとは、思った。

 なにしろ、誰にも共感できないイシダ芝居。
 主人公とヒロインがそれぞれ歌で心情やキーとなる部分を表現するわけだが、ふたりとも歌が得意じゃないときた。

 歌詞が伝わってこない、音楽の力で底上げされない、とくると、作品全体が平板になった。
 せっかくの心情やら伏線になる歌が、ただ流れているだけで、心に届かない。
 歌ウマさんがこの役を演じていたら、まずこの歌で一気に自分の世界へ観客を巻き込んでいくんだな、と平静に眺めた。


 歌で勝ちに行くことが難しいなら、座付き作者が歌に比重を置かない作品を書けばいいだけのこと。
 歌詞によって説明しなきゃいけない駄作を「名作に歌い上げろ」とちぎくんに任せなきゃいいだけのこと。

 ちぎくんにはちぎくんならではの武器があるんだから、彼がトップスターになった暁にはぜひ、彼の得意分野で勝負できる作品を与えて欲しい。

 てゆーかイシダめ……。
 この作品は別に、「ちぎくんの魅力を底上げする」作品じゃないよね?
 主人公のフェルナンド役はちぎくんアテ書きだとは思うし、実際かっこいいけど、この作品やこの表現方法が、ちぎくんありきで企画されたものだとは思えない。
 組トップスターが卒業を発表している今だからこそ、組2番手のバウは、彼の得意分野で彼の魅力をこれでもかとアピールする作品を与えて欲しかったよ。
 演出家が自分のやりたいモノを押しつけるのではなく。


 ヒロインのモニカ@あんりちゃんは、かわいかった。
 小動物系のかわいさ。歌も演技もがんばっていた。
 てゆーか、思っていた以上に、よく出来てた。
 今までの新公のデキから、かなり期待してなかったんだが(笑)、ごめんごめん、ちゃんとうまくなってる。

 ただ、役が悪かったなあと思った。
 純粋無垢でかわいい女の子、っていうのは未熟な下級生娘役が等身大で表現できる役なんだろうけど、純真さとおバカさは紙一重、ピュアというより思考が浅はかな子どもに見えてしまった。
 ちぎくんとビジュアルが合わないこともきびしい。大人と子ども過ぎて、フェルナンド先生がロリコンに見えて困った。そりゃね、大人の男が女子高生たぶらかすのは簡単でしょうよ……。

 フェルナンド先生は、わたしにはちぎくんが演じていることと外見以外、まったく魅力が理解できなかったんだが、彼の男ぶりを下げている一端は、間違いなくモニカにある。

 男の器は、どんな女に惚れるかでわかる。しょーもない女を選ぶ男は、その程度の男なんだ。
 どんだけ「天才医師」で「崇高な志」があったとしても、選ぶ相手が「自分に都合がいい、若く未熟なかわいいだけの少女」じゃ、台無し。

 死を前にした男の救いとなるだけのモノが、モニカには感じられなかった。
 だから、女は若くてかわいくて、バカならそれでよし!って選択基準に見えてしまい、フェルナンド先生のさいてー度が上がった。

 たとえへたっぴでも、あんりちゃんに輝くような母性とか、慈愛、あるいは神聖性や包容力があればなあ。
 この少女にすがった男の気持ちがわかる!と納得させてくれればなあ。

 モニカは年相応のどこにでもいる女の子で、結婚詐欺に遭って一生を棒に振った残念な女性、という感じだった。
 ラストのひまわり畑シーンが感動につながらず、わたし的には「最悪のパターン」に見えた。騙されて利用されて、加害者の子どもを産んで一生縛られて生きるんだ……それをしあわせだと思い込んでる痛々しさっちゅーか、うすら寒さが、「このラストだけは勘弁してくれ」と思った通りのラストだった(笑)。
 後味悪かった……。
 とんだアンハッピーエンド、サイコホラーっぽいわー。


 ……ちぎくんがんばれ。
 『殉情』はヒロインが超ベテランだったから、彼女ひとりでも作品を支える力を持ってくれてたんだよね。
 今回はヒロインがちぎくんを助けてはくれないので、ちぎくんひとりが踏ん張らないといけない。


 雪組デビュー、ようこそともみん!は、とってもともみんアテ書きな役で、違和感なしのいつものともみん。
 そのスタイルの良さで医者コスプレをどーんとこなし、アツさと明るさで作品を支えてくれていた。
 この作品にともみんがいてくれてよかった。

 でもって女役デビューのせしる。こちらも違和感なく美女。いづるんの転向したてバウヒロより、よっぽど女役としてハマってた。
 もともと芝居できるもんね、性別がちがっても大丈夫だよね。
 ……フィナーレで「五峰ねーさんすげえな、ちぎとデュエットダンスあるんだ」と思っちゃってごめんよ……。

 主人公と絡む若者役はこのふたつなんだけど、ふたりは作品を支えていい仕事をしていたけれど、ちぎくんを助けるわけじゃないんだなと思った。
 もちろん、役のせいもあるけど。

 ちぎくんが孤軍奮闘している気がした。
 や、ちぎくんに関しては、そういうとこも萌えだけどな(笑)。
 えりたん、あゆっち、トップコンビ発表おめでとう。
2012/7/31
雪組 次期トップスター、トップ娘役について


この度、次期雪組トップスターに花組の壮 一帆、次期雪組トップ娘役に愛加あゆが決定致しました。
壮 一帆は、2012年12月25日付で花組から雪組へ組替えいたします。

尚、新トップコンビのお披露目公演は、2013年2月5日に初日を迎える雪組中日劇場公演(『若き日の唄は忘れじ/Shining Rhythm!』)となります。

 男女ともに下級生からの逆転引き継ぎなんだね。

 どの組どの体制でも、順当な繰り上がり人事をいちばん支持している保守派なもので、ちぎくんの就任をいちばんに望んでいましたが、だからといってえりたんに不満があるはずもなく。
 なにしろえりたんはわたしの癒しジェンヌ、わたしの王子様ですから。(真顔)

 なんつーか、わたしの贔屓組から贔屓組へ、えりたんがもれなく異動してくる、運命的なモノを感じます……(笑)。

 てゆーか、なまじヲタ歴長いので、まともに感慨にふけると危険です。
 だって、雪組の番手はコム-かしげ-壮-キムだったわけっすよ。壮くんの方が、番手が上だったの。
 なのに、キムトップから壮くんにバトンタッチ、って、なんてことだろう。
 壮くんが雪へやって来た、10年前には夢にも思わなかったさ……。

 グンちゃんのサヨナラバウで、なにができるわけでもない壮くんの、美貌とキラキラオーラに圧倒されたことを、ついこの間のことのように思い出す。
 (年寄りにとって10年前はついこの間)

 つい数日前、日記の方で『TUXEDO JAZZ』の思い出なんか書いてたところ。
 ムラ初日、花道でコートに付いた雪を払った壮くんは、なつかしい街へ戻って来た人。銀橋まで「おかえり」と出迎えに来たみわっちから、真っ赤な薔薇を受け取った……。
 雪を払って、花を受け取る。雪組から花組へ戻って来たえりたんへの、オギーの洒落た計らい。翌日からはそんな演出はなかった。えりたん花組再スタートの最初の1回だけ。

 あれからもう、5年経つんだ。


 あゆっちは、ついにかあ。
 いつトップになってもおかしくない立場のまま、今まで来ちゃったもんねえ。

 その華とかわいらしさは武器、えりたんとなら並びも似合うだろうし。

 ……まあその、心から、やせてほしいとは、思ってますが……(笑)。


 他にもいろいろ発表になって、アタマが追いついてないっす。

 えーとえーと、雪組トップ関連でいうと、プレお披露目は2月の中日公演。
2012/7/31
2013年 公演ラインアップ【博多座】<1月・宙組『銀河英雄伝説@TAKARAZUKA』>、【中日劇場】<2月・雪組『若き日の唄は忘れじ』『Shining Rhythm!』>


7月31日(火)、2013年宝塚歌劇公演ラインアップにつきまして、博多座公演、中日劇場公演の上演作品が決定いたしましたのでお知らせいたします。

【中日劇場】
雪組
■主演・・・壮 一帆、愛加あゆ

◆中日劇場:2013年2月5日(火)~2月28日(木)
一般前売:2012年12月8日(土)
座席料金:A席7,500円、B席6,000円(税込)

ミュージカル・ロマンス
『若き日の唄は忘れじ』
-藤沢周平作「蟬しぐれ」(文春文庫刊)より-
脚本/大関弘政 演出/大野拓史

1994年、紫苑ゆう、白城あやかを中心とした星組で初演。藩の権力争いに巻き込まれた藩士の波乱に満ちた半生と、彼を慕う武家娘との淡い恋心を切々と描いた作品。藤沢文学の香り高い情景を余すところなく盛り込んだ名作を、新生雪組が上演。壮一帆、愛加あゆのトップお披露目公演となります。

※一部のPCでは「蟬」の文字がご覧頂けない場合がございますが、「蝉」の旧字体です。

グランド・レビュー
『Shining Rhythm!』-新たなる誕生-
作・演出/中村一徳

「光」「影」「ときめき」「喜び」、そして「情熱」「躍動」をテーマに、パワフルかつ幻想的に織り成す、ダンシング・ショー。雪組のショースター、ダンサー、シンガーたちが、心弾むリズムに乗せて、輝く舞台をお届けします。2012年3月に上演された同作品を、壮一帆を中心とした新生雪組に合わせた新バージョンで上演します。

 えりたんで『Shining Rhythm!』!!

 ……ちょっと想像が……(笑)。
 ちぎくんは代表的な場面である、クールリズムをひっさげての中日か。

 『若き日の唄は忘れじ』はいい話だったけど……大劇場でやるのはちがうんじゃないかと当時も思っていたので、中日ならちょうどいいハコかなー。
 えりたん、ガチな時代劇やるのかー。『オグリ!』とかのノリ系じゃなくて。


 とまあ、ここまではいいんだけどな。

 問題は、そのあと。

 悪夢の『ベルばら』祭り、キターーッ!!

 引用貼ろうとかと思ったけど、長くなりすぎるのでやめた。

 100周年でやるモノとばかり思って、来年は油断していたよ……。
 しかもしかも、最悪の『フェルゼン編』!!

 歴代の最悪『ベルサイユのばら』のなかでも、もっとも凶悪なバージョンが、『フェルゼン編』ですわ。
 オスカル、アンドレ、マリー・アントワネット、フェルゼンという、『ベルばら』主要人物4名。その中で、もっともナニもしていない人が、フェルゼン。
 そのナニもしない人を無理矢理、2時間半の舞台の主役に据えるもんだから、もうめちゃくちゃ。あんなの『ベルばら』でもなんでもない、頭のおかしい人がえんえんヒステリー起こしているだけの話。
 あうー。よりによって『フェルゼン編』かああ。

 救いは演出にスズキくんが名を連ねていること。
 植爺は名誉職で名前だけ、実質スズキくんが作ってくれますように。

 とりあえず、フェルゼンとメルシー伯爵のキチ○イ会話がありませんように……。植爺最大の萌え場面「偉大な年寄りが若者(美貌権力知力すべて兼ね備えたスーパーヒーロー)に説教をし、年寄りが悦に入れる場面」だから、絶対にはずせないんだろうけどなあ。

 すみません、『ベルばら』は嫌いすぎて冷静でいられなくなります(笑)。
 ご贔屓の出番も扱いもひどいことになるだろうしね。

 せっかくのえりたん本拠地お披露目なのになあ。
 しかも期間長いし……。

 他組トップ特出もあり、初舞台生もたぶんこの公演だろうし、祭りとして盛り上がればいいなと、心から祈ります。


 えりまつをまた見られる日が来ようとはなあ……。
 じーん……。

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