2016.06.21 宙組 全国ツアー公演『バレンシアの熱い花』『HOT EYES!!』一部の配役決定

主な配役
フェルナンド・デルバレス朝夏 まなと
ラモン・カルドス真風 涼帆
イサベラ伶美 うらら
マルガリータ星風 まどか
※その他の配役は決定次第、ご案内いたします。

 あれ? 主な配役発表、早くない? つい先日ラインアップ発表された(そしてわたしが文句たれてた)ような?
 と思って日付をたしかめて、唖然。

 あれから1ヶ月経ってるのか!!
 5月20日発表だから、別に早くはない……ってゆーか、「つい先日」じゃないっ。
 あー……時間感覚おかしいわー。

 まあとりあえず、1ヶ月前に予想として書いたまんまの配役でした。
> まぁくん乙。がんばれ。アタマおかしいよーなアホな役でも、まぁくんならきっと、なにかしらの説得力を持って演じてくれると思う。
> マカゼはラモン一択だな。ロドリーゴはナイ(笑)。
> イサベラはうらら様、マルガリータはまどかちゃんだなー。キャラだけでいうとまんまハマるわー。

 タニちゃんお披露目公演時は、ラモンとロドリーゴは「同格」に近い扱いだった。ゆえに2番手と3番手が役替わりしても問題ない的な持ち上げ方。
 でもオイシイのは明らかにラモンだから、ラモン2番手でいいんだろうとは思う。
 ただわたしは、ロドリーゴ@らんとむが好きだったので、2番手ロドリーゴ、3番手ラモン認識(笑)。
 たぶんわたしのジェンヌの好みが、ラモンがハマるタイプより、ロドリーゴがハマるタイプであるせい。まっつはラモンより絶対ロドリーゴだもん! いなせな下町のあんちゃん(三枚目風)より、狭量な貴族の美青年(いつもドシリアス)がハマる人が好き。
 ロドリーゴもヤなヤツなんだけど、好みを計る、という点ではいい。つまり、妄想配役、希望配役で、ロドリーゴはこの人!と思うジェンヌは、わたしの基本的な好みに合った人である、という。

 なんてことを考える以前に、ふつーに思っていた。

 ロドリーゴは、あっきーだよね?

 主な配役が出て、これでまたロドリーゴ@あっきー決定だなー、と確信を新たにしたんだ。
 友人がそれ以外の可能性をつぶやいていて、驚くくらいには、も、最初から思い込んでた。え、あっきーの他に誰がいるっていうの? 学年、立場、持ち味的にあっきーだよね?

 最近タカラヅカ力の落ちているわたしは、ロドリーゴ@もえこの可能性を考えずにおりました。
 先述の通り、ロドリーゴにいちばん相応しいのはあっきーだけど、劇団は「相応しい」だけで配役はしない。「扱いを上げたい人」にいい役を付ける。ついこの間も持ち味ガン無視でエスカミリオ@暁くんとかやってたじゃん……。
 劇団による、あっきーの今までの扱いを鑑みれば、「順番的にいってあっきよーよね」と、無邪気に期待出来ない現実……。

 ルカノール@あっきーも覚悟するべきか。似合うだろうけど……すごく似合うし、かっこいいだろうけど……。
 あー。過去のもやもやが甦るから、ルカノール@あっきーは嫌だなあああ。(もやもやについては2007年宙組上演時、えんえん書いてるので省略)

 とりあえず、わたしはロドリーゴ@あっきー希望っす。
 『ドン・ジュアン』KAAT初日観劇。
 この物語は、ドン・ジュアン@だいもんというひとりの男が生まれ直す物語なんだなと思った。

 本当なら、最初の人生で知るのよ。愛すること。
 だけどこのクズ野郎ときたら、1回目の人生ではそれを体得できなかったのね。
 だからやり直す必要があった。
 愛を知り、嫉妬を知り、人間としてあたりまえのものをはじめて知り。
 ようやく「人間」スタートラインに立ったから、そこで死ななければならなかった。犯してきた罪の清算をしなくては、「人間」として生きられない。
 観ながら、『100万回生きた猫』を思い出していた。

 ゲームやってると「そんなスキル、ファーストプレイでは無理」ってことが当たり前にある。1回ラストまでクリアして、2周目のプレイでようやく得られるスキル。クリア後でないと開かない扉や宝箱が設定されてたりするからなー、「2周目のお楽しみ」ってやつで。「真のエンディング」は2周目以降のプレイでないとたどり着かないようになってたり。
 ドン・ジュアンにとっても、人生はそーゆーことだったんだなと。
 あんだけなにもかも持ち合わせていて、何周もしなきゃクリア出来ないとか切ないわ。


 「愛を知る」というミッションが、マリア@みちるちゃんと出会い、相愛になった、というだけではクリア出来ないことに震撼する。

 はじめての相思相愛、ベッドでじゃれてキャッキャウフフのおふたりさん、「家を建てて犬を飼おう」「白い壁に赤い屋根がいいわ」てなドリームを語ったり(会話はイメージです)、そんなしあわせ絶好調なだけでは、「愛」を知ったことにはならないのね。

 愛する女性が出来た。→STEP.1
 相愛になった。→STEP.2
 愛する女性に騙されていた。怒り、嫉妬する。→STEP.3
      ↓
 よーやくクリア!
 「ドン・ジュアンは"愛"を知った!」チャラララ~~(スキル取得メロディ)

 嫉妬に狂うドン・ジュアンを見てしみじみと。
 甘いだけの恋じゃない。ここまで経験してようやく「愛」を知ったことになるんだ、と思うとこわい話だ。

 作品のキャッチコピーとして、「愛」が使われているのもわかる。
 "愛に、呪われた男--"

 そして。
 この物語は、「愛」がいない。
 「死」のみが踊る、『ロミオとジュリエット』だ。
 『ドン・ジュアン』KAAT初日観劇。

 ああ、そうかこれ、『ロミオとジュリエット』だ。
 観ながら思った。
 作者の意図なんぞ知らん。わたしが、そう思った。

 ドン・ジュアン@だいもんは、ロミオだ。
 白いベッドで白い姿で、愛するマリア@みちるちゃんと戯れる姿に、タカラヅカの『ロミジュリ』が重なって見えた。

 ロミオ登場のソロ「遊びなら何人かとつきあったけれど虚しいだけ。どこにいるの本当の恋人、僕のためだけに生まれてきた人♪」は、そのままドン・ジュアンにも当てはまる。ドン・ジュアンは虚しさにも、求めているものにも気づいてないけれど。

 ドン・カルロ@咲ちゃんがベンヴォーリオ。ラファエル@ひとこがティボルト。

 そして、この世界に「愛」はいない。
 ロミオを導くのは「死」のみ。

 亡霊@がおりが、ドン・ジュアンを翻弄する。

 ドン・ジュアンはロミオの純粋さと危うさ、そしてマーキューシオの狂気を併せ持つ。
 「愛」のいない世界で、「死」と出会い、その導きによって恋に落ちる。
 死へたどり着くことによって、生まれ直すために。

 人生を逆回しするかのように、死からはじまるロミオ。
 なんと愛すべき男なのか。

 や、クズだけどな。クズ過ぎるけどな(笑)。
 だけど、彼が持つ闇と狂気、そんな彼を中心に置く世界が、好み過ぎる。

 ドン・ジュアンはクズだし、感情移入もナニもない主人公。
 だが、そこがいい。

 わたしがもっとも苦手とするのが、「間違った倫理観」。植爺などが標準装備している、「主人公の言動・思想を正しいとするために、世界の理を歪める」という。
 やってることはただの悪なのに「愛があるから正義です」「信念があるから正義です」と、ストーカーの言い分みたいな世界観が苦手。
 『ドン・ジュアン』のように、最初から「ドン・ジュアンは悪」「ドン・ジュアンはクズ」と言い切ってくれる物語は好き。

 「ドン・ジュアンは悪、ドン・ジュアンはクズ」「だけど、魅力的。だけど、愛しい」……この「だけど」がいい。

 世界と愛の齟齬。
 世界は彼を「間違っている」とする。だけど、彼は「魅力的」だ。間違っているのに、「愛しい」。
 正しくありたい、幸福でありたい、人として生物として生理が求めるものを、心が、感情が、無視して走り出す。
 それでも、彼が愛しい。

 人間の不思議、愛の不可解さ。
 大いなる矛盾として、ドン・ジュアンが在る。

 ドン・ジュアンが作る世界を許容出来る者たちだけが、彼と良好な関係を築ける。イザベル@圭子ねーさまとか。一夜限りの愛で満足する女たちとか。
 本心はともかく、彼を失いたくなければ、彼を受け入れるしかない。

 ドン・ジュアンを愛しながらも、彼の世界を認められず、自分たちの理に従わせようとする者たちは、果てない苦しみに落ちる。ドン・カルロやエルヴィラ@くらっち。
 正しい者こそが、より深い絶望を知る。

 なんて理不尽な。
 ……でもそれは、人生の縮図。
 なにもかも思い通りになることなんて、正しい者がすべて報われるなんて、ありえないでしょう?

 易しい答えを出していただかなくて結構。
 ドン・ジュアンを導く亡霊が、毒に満ちた饒舌さを持つように。
 混沌のまま、ドン・ジュアンは在っていい。

 そこが、この物語の魅力だと思う。

 純粋さより闇を深く映し出すロミオ。
 『ロミジュリ』をダークアレンジして描いたような物語。「すべては愛のために」……1枚の紙の表は、反対から見ると裏になる。
 海中に産まれてしまった鳥に、なにを望めばいいのだろう。

 魚は陸地では生きられないし、鳥は水中では生きられない。
 魚は水に、鳥は空に。

 だけど彼は、海中に産まれてしまった。周囲のものたちは、彼に泳げと言う。水の中で呼吸しろという。
 彼の持つ流線型のカラダは水中の生き物に似ていたかもしれないけれど、それを覆うのは鱗ではなく羽毛だった。彼が持つのはヒレではなく、翼だった。
 大空を羽ばたくための。
 だけど、そんなことは誰も知らない。彼自身も、周りのすべてのものも。
 呼吸しろ、泳げ。なぜできないんだ、誰もが生まれたときから当たり前に出来ることなのに。
 呼吸さえままならず喘ぐ彼を、周囲の者たちは責めたてる。なぜできないんだ。なぜ。なぜ。何故。
 彼は翼を広げる。
 魚たちが持たない翼を。理解出来ないものを。
 そうして威嚇する。「花びら散るのは悪の華だけじゃないさ」


 『ドン・ジュアン』について、思いつくままに記す。

 悪人が愛を知って改心し、愛ゆえに自殺する話。
 てな試験問題の「何文字以内で答えよ」的解答は拒否する。
 たぶん、そうまとめ上げて解答することが可能だよね、この話。筋立て自体はシンプル。だからこそ、それは拒否。
 否定(チガウ!)ではなく、拒否(イヤだ!)ね。

 わたしは、わたしの見たいモノを見る。

 答えの出ないもの、曖昧なものこそがこわくて、たのしくて、魅力的なんだ。
 亡霊@がおりはなにをしたかったんだ、マリア@みちるとはなんだったんだ、ドン・ジュアン@だいもんは何故突然死を選んだんだ、呪いとは、愛とは、なんだったんだ……。
 挙げていくとキリがない。
 そして、それらにひとつひとつに「解」を与えることは可能。でもそれは「解く」ことではなく、「縛る」ことだと思う。「囚われる」ことだと思う。
 ほどき、はなつことではなく、閉じ込める行為。
 それはつまらないわ。わたしはもっと遊びたい。

 だから遊ぼう。
 わたしの脳内、囲いのない場所で。

 これはひとつの想像。明日になれば変わるかもしれない。

 ドン・ジュアンの特異性は、持って生まれたモノだろう。
 でなければ、母を犯しはしないだろう。
 少年じみた仕草でうずくまるだいもんさんオペラで見てて、ふと後方に視界を向けると、母@うきちゃんが少年ジュアン@ひまりちゃんに押し倒されてて、オペラグラス落としそうになった。
 なななななにやってんですかあああっ。
 動揺している間に、うきちゃん自殺するし。……そりゃ死ぬやろ……無理ないやろ……。
 だけどそれは、ドン・ジュアンをさらに追い立てることになる。

 母を犯したのは、悪意からではないだろう。
 愛していたから。
 愛がはじまりだった。どんなに間違ったものでも。歪んだものでも。
 はじまりは、愛。
 そして。

 愛が、最愛の者を殺した。

 父@エマさんは、知らないんだろう。何故妻が死を選んだのか。事件の最中、パパはそちらは見ずに歌っている。
 ママは誰にもナニも言わずに逝ったんだね。言えるわけがない。言えば、言葉を受けた人の数だけ不幸を増やす。
 知らないからこそ父は、放蕩息子を心配したり呆れて手を離したりしている。真実を知れば、彼も無傷ではいられないはず、息子を殺して自分も死ぬくらいしてるんじゃないの?
 ママは自分を罰することで、夫と息子を守ろうとした。夫のことは、守れたかも。
 でも、ドン・ジュアンのことは、守れなかったね。

 愛への不信は、ドン・ジュアンの人生を決定づける。


 母の面影なんぞは追わなくてイイ。
 なんでもかんでも「母に似ている」で愛の理由をまとめあげるのキライ。
 ドン・ジュアンが彷徨し続けるのは彼本来の魂の問題。
 海中に産まれてしまった鳥のように。

 海の生き物たちは、翼を忌み嫌い、また、惹きつけられる。そんなの知らない、見たことナイ。知らないからキライ、コワイ。知らないからステキ、ホシイ。
 異端であるからこそ、憎み、恋い焦がれる。


 彼の翼。
 海面から出て、陽を浴びる。
 太陽。海中にはないモノ。
 彼の白い翼は、陽を浴びて輝く。暮れゆく太陽。海面を染める色。

 赤。

 彼が手にする、華のいろ。
 がおりの亡霊が素晴らしすぎる件について。

 『ドン・ジュアン』初日を見終わって、帰りの新幹線で感想を走り書きしてる間、やたら脳裏に浮かんで困る、がおりさん。

 亡霊さん、スタイル良すぎ。

 や、がおちゃんがスタイル美形だということは、昔から知っていたけれど、今回ほど痛感したことはない。
 ドン・ジュアン@だいもんと同じ髪型で、一緒に出ることが多いせいだろうか。だいもん氏は男前だけどスタイルはアレな人っすから。そしてがおちゃんは、顔はともかくスタイルは良し。ふたりは好対照。や、もちろんジェンヌさんはみんなきれいだけど、がおちゃんは個性が強く出てる顔立ちかなと。
 今回は亡霊役で、地顔がわからないほどの仮面メイクになっている。思わず二度見するくらい特異な顔になっているので、かえって顔自体はスルー、スタイルの美しさだけが印象的。

 なんかね、あのスタイルだけで恋出来そう。

 歌っても踊っても、とにかくそこにいれば、目を奪われる。
 かっこいい……っ。

 がおちゃんがいる。それだけで、「この公演、勝った!」と思った。勝つ……成功するとか、そんな意味で。

 本編も素晴らしかったけれど、終演後がまたすごい。
 亡霊さんメイクのままカーテンコールももちろん登場、他の出演者と1列に並んでいるわけで。
 いや、もう、その存在感たるや……!
 芝居中のヒールぶりが嘘のように、動作のひとつひとつがおちゃめでかわいくて……。
 だいもんが客席に向かって「愛してるよ(イケボ)」と言った途端、出演者全員男女問わず一気にうっとり腰砕けになったんだけど、唯一亡霊さんだけは亡霊さんのままで……!!(笑)
 わーん、がおちゃん好きーー!!


 でもって、わたしは基本スカステを見る習慣がなくて(録画してメディアに焼く習慣はある・笑)、ひとさまのつぶやきを拾って知ったのだけど、カテコのがおちゃん亡霊様、リアクション映ってないんだって??
 なんでそんな……と思い、がおちゃんの立ち位置を思い起こす。
 そうだ、がおりは「脇役」という位置にいるんだった……。

 わたしの私感では、亡霊さんは2番手役だ。
 役の番手……重要度を計るとき、わたしは「その役が必要か」どうかで考える。

 『ドン・ジュアン』ってさ、ぶっちゃけ、ドン・ジュアンと亡霊のふたり芝居でも表現可能じゃん?

 マリア@みちるちゃんも、ドン・カルロ@咲ちゃんも、いなくても成立するよね?
 それくらい、亡霊の役割は大きい。
 だって、「もうひとりのドン・ジュアン」でしょ? あちこち動きシンクロしてたし、髪型も同じだし。

 トート@『エリザベート』が、主人公エリザベート自身が生んだ存在のようなもので。
 だから、ドン・ジュアンと亡霊の「愛と死の輪舞」なわけでしょ、『ドン・ジュアン』って。
 プラス『ロミオとジュリエット』で。ずっと共に在った、ロミオと死で。

 ドン・カルロ2番手は鉄板だというならせめて、3番手としてクレジットが欲しい。
 なのに、ヅカの番手の壁に押しやられて、カメラのフレームから切れちゃうような外側にいるわけだよ……がおちゃん。

 ミューズまなはるを、3番手位置に立たせた原田くんは、つくづくすごいなと……(笑)。
 美しいモノを見た。

 舞台というのは、演劇というものは、美しいものなんだねええ。

 と、しみじみしてしまう、『ドン・ジュアン』

 役者個々の話ではなく、舞台全体。や、もちろん出演者も美しいけど、今は舞台の話。
 幕開きの、静かな悲しみに満ちたプロローグ……「今は亡き友」へ語りかける場面の、遺跡っぽいセット……それもまた「過去」「失われたモノ」を象徴している……。
 その聖なる・静なる場面から、巨大な真紅の薔薇のピックアップ、その薔薇から、ドン・ジュアンが登場する、美しさ。視覚効果。
 薔薇があんな風に砕け散る……ばらばらになるとは、夢にも思わないから、その予期せぬパーツの軌跡にも目を奪われる。
 騎士団登場の踏みならす靴の音、遺跡の上に並んだ姿……。
 セリが上下するわけでも盆がぐるぐる回るわけでもないのに、画面は次々変わり、左右と手前奥だけでなく、上下も変化に富む。

 フラメンコの美しさ。女性の美しさ。
 あるのは、野生のエロス。
 褐色の肌と黒髪、濁りのある多彩なドレス。
 暗い色を基調とした舞台だから、「エメ」で白いドレスの女たちが踊り出した瞬間、息を飲む。
 その、美しさに。その、清浄さに。

 美しい音楽が豊かに流れ続け、闇であれ毒であれ、……愛であれ、救いであれ……彩り満たす。
 感情は音楽となり、台詞は歌となり、あるがままに発せられる。

 ミュージカルという、贅沢さ。
 それを存分に味わう。


 いやあ……美しい、って、いいな。
 生田せんせの美意識がこれでもかと注入されてる。ヲタク万歳、厨二万歳。つかこのパソコン、「ちゅうにゅう」を打っている途中、「ちゅうに」で「厨二」と変換するのよせ(笑)。

 美しいものを見られて、大満足だーー。


 よくぞこのメンバーで、この作品を上演してくれました。

 ……とはいえ、ヒロインのマリア@みちるちゃんは、なんか不自由感がつきまとった。足りてないというか、そもそも大きさがチガウ箱の中にいる感じ? その箱の中で手足を伸ばしても、その箱以上の大きさにはならないよ的な。

 そして、ドン・カルロ@咲ちゃん。
 ひとことで言うと、弱い……。
 歌声も、存在感も、ドン・ジュアン@だいもんとの関係性も。
 ドン・ジュアンと肩を並べる存在でなきゃならないのよね? や、火のついてるだいもんに立ち向かえなんて、無理難題だとわかっちゃいるが、どうかもう少し食い下がってくれ。

 このふたりだけかな、主要キャストで気になったの。
 それ以外はほんとにもう、見事に作品世界に酔わせてもらいました。
 まだ初日だしね。みちるちゃんと咲ちゃんも、きっとこれから変わっていくんだと思うし。


 エルヴィラ@くらっち、すげー良かった!
 『銀二貫』のヒロインの芝居に首をかしげたので、不安もあったんだけど、今回はすごくいい。歌声も演技も。
 実力あるっていいよな。

 わたし、ひとこの悪役ってはじめて見るかも。
 ラファエルは別に悪役ってわけじゃないんだけど、善悪で言えば主人公のドン・ジュアンがいちばんの悪だし。
 でも、闇落ちするからなー、ラファエル。明るいあっけらかんとした持ち味のあるひとこが、闇を演じるとこうなるのか。や、期待以上に闇が広がってた!
 この男やばい、そう思わせるものがある。
 いいなあ、ラファエル。

 レオ様、叶くんがいい男で。
 レオ様、男役として落ち着いてきたなあ。「喋らなければオトコマエ」だったのが、喋ってもオトコマエをキープできるようになってきてる。
 叶くんはほんと学年不明だわ。上級生っぽいよね、新公学年なのに(笑)。もっと歌って欲しい。
 縣くんはただひとり、声を発すると「あ、ヘタな子がいる」とわかってしまう。周りがうまい人ばかりで占められているから仕方ないんだけど、せっかくの抜擢続きなんだ、がんばってくれー。

 きゃびいは安定のいいお姉さんぶりだわ。芝居に浮つきがない。締めてくれるとドラマ性が上がる。

 少年ドン・ジュアン@ひまりちゃんがすごい。
 む、娘役だよね……?
 なのに、スミレコードやばい芝居してますよ、男役として!!
 すっげーだいもんに似てる。だいもんらしい芝居をする。
 そのくせ、娘役やってるときはえっちで魅力的な女性として、ドン・ジュアンに絡んでるんですわ。
 ひまりちゃん、今回の衣装と髪型? お化粧? すごく合ってる、いい、めっちゃ美人。モブ女性キャラの中でいちばん好みだ。

 すわっちにソロがあって、翼くんにないことが残念です……や、すわっちに含みはない、彼は良い声です。
 ただ、翼くんの歌も聴きたかった……。
 『ドン・ジュアン』初日感想にて、「ドン・カルロ@咲ちゃんが弱い」と書いた。

 でもわたし、今回ドン・カルロ萌えなのです(笑)。

 観劇しながら「ああこれ、『ロミジュリ』だ」と思った。
 ドン・ジュアン@だいもんはロミオなのだと。マーキューシオも兼ねた、闇のロミオ。

 亡霊@がおりが「死」、ラファエル@ひとこがティボルト、ドン・カルロがベンヴォーリオ。

 そして、『ロミオとジュリエット』でわたしがもっとも愛するキャラクタはベンヴォーリオだ。ロミオの親友ですべての事件の渦中にありながら、ただひとり生き残る男。
 そう、もうひとつの『ロミジュリ』にマーキューシオはいなくていいけど、ベンヴォーリオは必要。

 『ロミジュリ』のベンヴォーリオは、基本、おいしくない。おいしいところは相棒のマーキューシオが持って行くから。
 ふたりでいる場合、派手なリアクションでキャラを強く打ち出すのはマーキューシオ。そして、片方が派手だと、もう片方は地味にするしかない。ふたりして派手にしたら、両方のキャラが死ぬ。
 しどころのない役。キャラクタ。
 ……それゆえのキャラ立ての工夫や魅力も、もちろんあるし、だからこそわたしはこの役がいちばん好きなんだけど。
 ぱっと見、目立つ役じゃない。
 わかりやすく、オイシイ役じゃない。

 実際ドン・カルロは弱く、薄い。演じている人が、役を持てあましているように見える。
 派手に暴れ回るドン・ジュアンをただ眺めている場面も多いのだけど、突っ立っているだけというか、表情の「抜け」方が、ああ、演技し切れてないんだな、と思えた。

 まあなあ。難しいよなああ。
 アクティブに、自分からがんがん行くキャラの方が作りやすいんだよね。動作を追うだけで格好がつくから。むしろ、なにもしない役の方が、なにもしていないときをどう作ればいいのか、わからなくなるんだろう。

 でもね。ドン・カルロは、あのしどころのなさがいいの。

 物語の中心に割って入ることは出来ず、周辺でおろおろしている無力さが、すっげー好みだ。
 なにも出来ないし、出来ないことに言い訳して自分を守っているくせに、役に立たない良心ゆえに完全に背を向けることも出来ずに中途半端にうろうろしている。
 うざいよねー、こんなヤツ。
 だが、それがいい。

 咲ちゃんの芝居が足りてないとか整理できてないとか、そんな理由でドン・カルロが役として中途半端になっているとか、おいしくなくなっているとか、たとえそうなんだとしても、わたしは思わない。
 今あるものを「正解」として受け止める。今のドン・カルロを「完全版」と受け取る。
 あの中途半端にうろうろしている姿を、「ドン・カルロとして正しい姿」とする。

 となると、ドン・カルロの立ち位置のあやふやさに説明をつける必要がある。

 第2章の方に初日の夜にUPしたけど、ドン・カルロは昔一度、ドン・ジュアンとやっちゃってるんだろうなと。
 それゆえに、男でありながら、ドン・ジュアンを取り巻く女たちに近い位置にいる。
 ドン・カルロがもっともシンパシーを得るのが、ドン・ジュアンの昔の女イザベル@圭子ねーさまですから。ふたりは同じ位置にいるのね。同じ感覚を共有しているのね。

 という記事に、UPした当時同意のメールをいただきましたよ、あざーっす!
 しかしリアル友には「ドン・ジュアン受が理解出来ない、カルロが女役じゃないの?」と言われたりもしました。
 えー? ジュアンさんが好きこのんで男を抱くとでも? そしてカルロさんはふつーに男子だから、行動するときは抱く側にしかならないっすよ、気の毒なことに。
 なんで気の毒かというと、カルロが受……抱かれる側の方が、救いがあるからなの。「ドン・ジュアンに無理矢理奪われた」と言い訳出来るから。でも、そうじゃない。無慈悲な友人は、カルロにそんな言い訳を許さない。
 カルロが、ジュアンを抱くからこそ、カルロはその罪の意識に縛られ続けるのよ。

 「悪の華」でドン・カルロを押し倒し、その腰の上に跨がるドン・ジュアンの、悪魔的な笑みの素晴らしいこと。
 いやあ、萌えますなあ。

 ドン・カルロ萌えです。
 わくわくします(笑)。
 新人公演『NOBUNAGA<信長> -下天の夢-』観劇。

 冒頭の「敦盛」はなく、シンプルに若き信長からスタート。
 しょっぱなから、信長@暁くんの若さ全開で、勢いに満ちて気持ちいい。

 新公演出も大野せんせ。
 『一夢庵風流記 前田慶次』の例もあるので、なにかしら変えてくるだろうなとは思ったけど、「サヨナラ演出」を「未来ある若者へのエール」に変更していた……『一夢庵風流記』のときと同じく。
 それはいいんだけど。
 森蘭丸役をなくすことで感動ポイントが増えていて、複雑なキモチになった……。や、あーさ好きだから森蘭丸@あーさはうれしいんだけど、「やっぱこの役いらない、作品的に間違ってる」と作者自ら手がける新公で証明されちゃうとね……。
 複雑だわ……。

 それはともかく。
 暁くんは堂々と信長を演じてました。このいかにも英雄然とした様子がいい。
 暁くんで見たい役、というのが今までぴんときてなかったんだけど、そうか、こういうのが合うのか!と目から鱗。

 若き英雄。
 どーん、ばーん、とした役。(擬音に頼るのやめなさい)

 明るさと強さ、「選ばれたるもの」だけが持つ「強い」役……ある種無邪気で傲慢な、それゆえにこそ輝く男。
 『太王四神記II』とかいいかも。れおんくんバージョン。

 と、若き英雄ドリームが広がったように、……トシ取ってからの信長はチガウっす……。
 登場シーンはよかったのになあ。若者役はよかったのになあ。
 晩年の信長は、童顔のせいで見た目はとっちゃんぼうや、そして、外見の不利さを覆すほどの圧倒的な演技力はなく……うーむ、難しい……。
 本役のまさおさんだって別におっさんにはなってなくて、「フェアリーまさお☆」のままだったけどさー。だから暁くんが「ヒゲを付けた少年」でもいいのかもしんないけどさー。まさおはもうキャラ確立してて「仕方ない、だってまさおだもの」で済んでるところを、「それでは済まないんです、ふつうは」という現実を見せつけられた感じでなあ、いろいろといたたまれない。

 うん、ほんと。言葉にしてようやく実感した。あの感覚は「いたたまれない」だ。

 暁くん、歌も声も整ってきているし、新公では周りと比べてそれほど芝居がヘタだということもない。それなりに出来ているはずなのに、こうも画面にハマらないというか、無理がある感ゆんゆんなのは。
 いたたまれない、んだなあ。

 いつも通りのまさおの「キラキラ☆」だけでやれる役だったら、よかったのにね。暁くんの持ち味でそのままやれたのに。
 持ち味にナイ役だとこんなに大変なことに。

 いや、でも、大物感はあるので、今は単に学年が足りていない、というだけか。
 経験だけは上級生スター並に与えられてきているけれど、本人はまだ下級生だもんなあ。
 いつか大人になったらまた、こういう役にも挑戦して欲しい。


 暁くんがいろいろ大変なことになっている上に。

 ヒロインの帰蝶@小雪ちゃんがまた、大変なことに。

 小雪ちゃんは美少女だし、実力あるし、すでにバウヒロ経験者だし、初新公ヒロインだからって別にどうってことないよね……と思って安心していたら、そうでもなかった。
 いや、本人はどうってことなく演じていたのかもしれないが。

 ただもう見た目が、気に毒なことになっていた。

 そうか……帰蝶の衣装や髪型って、人を選ぶんだな……。
 長身小顔のちゃぴだから着こなせるのであって、小柄で顔大きめ、子役テイストのかわい子ちゃんがやると、こんなに大変なことになるのか。

 小雪ちゃんが美少女であることはわかってる。素顔だけでいうなら、ちゃぴよりわかりやすくかわいいのでは?
 だけど、舞台の上で美しいかどうかは、また別なんだなあ。

 さくらちゃんといい、どうして歌ウマ美少女の娘役は、みんなこう顔大きめなんだ……。舞台での頭身の低さが残念過ぎる。


 『A-EN』の頃、「どうしてあーさ×小雪で、暁×くらげなんだろう。ヒロインは逆でもいいんじゃない? 見てみたいなー」と思ったこともあったけど。
 や、物語のキャラクタ的に、そうあるべきなのはわかってたけど。それとは別に、学年的な意味で。ふつーダブル主演ワークショップって、上級生チームと下級生チームに分かれるから。下級生チームはヒロインも下級生だから。

 「どうしてあーさ×小雪で、暁×くらげなのか」わかったわ……。

 暁くんタイプに小雪ちゃんタイプを付けると、それぞれの欠点が相乗効果になるのだわ。
 きれい系×かわいい系、キツネ系×タヌキ系、てな風に組合わせないと、タカラヅカ的につらいということなんだ。
 新人公演『NOBUNAGA<信長> -下天の夢-』にて。

 れんこん、ひとり勝ち。

 と、思いました……。

 足利義昭@れんこんが、わかりやすく抜きんでていて、こんなにわかりやすすぎていいのか不安になりました(笑)。
 長の期の新公主演経験者が今回あえて脇に回っているとか、新公卒業した上級生がひとり混じっているとか、そんな感じ。

 新公では、専科さん役を脇の実力派下級生が演じて、「あの年寄り役、すごくうまかったね」と言われることがままあるのだけど。
 宙のかけるとか、雪のおーじとか、新公ですでに「脇の実力派」扱いの人たち。
 こういう人たちは、新公で「うまい!」と感激されても「次の新公では是非主演を見たい」とは、たぶん、あまり、思われなかったと思う。
 彼らは最初から、本専科さんの役とか組長の役とか、脇のおじさん役とかを専門的に与えられ、そういう役で「うまい!」感心されていた。

 でもって今回のれんこんの役。
 …………たぶん、本専科さんの役よね。
 ヒロさんが博多座出演でなかったら、ヒロさんがやっていた役だと思う。
 この役がうまくても……いや、この役をあまりにうまく演じすぎてしまうと、「脇の実力派」カテゴリにまとまってしまうのではないかと、不安になりました。

 いや、わたしは脇の実力派を軽んじる気はなく、そうやって舞台を支える道もぜんぜんアリだと思っています。路線スターの寿命よりも、脇の実力派の現役寿命の方が長いんだもの。ステキな人には長くいて欲しい。

 不安になったのは、別の意味で。

 脇の実力派に分類されるくらいきちんとうまくて、かつ、新公主演を望む声のあがるジェンヌは、早く辞めてしまいがち、という不安。

 いつも専科さん役の人たちとは違い、路線役もする、2~3番手の役をやったりもする、「ちょっと地味かもしんないけど、こんだけうまいんだし、一度真ん中も見てみたい」「学年と作品によっては、新公主演もあるんじゃない?」と思えるようなあたりの人。
 そういう人が、新公主演出来なかった場合、あっさり退団してしまうケースが脳裏に焼き付いている。

 トップスターだけが目標ではないと、いい別格スターになってくれればいいと、見ているだけのわたしなんかは思うけど、ジェンヌさん本人にはいろいろ思うところがあるのだろう。
 新公主演出来ませんでした、はい退団決まりました、は切なすぎる……。

 難役であるはずの将軍様を活き活きと演じ切るれんこん氏を見て、目指すのが別格スターならいいけど、新公主演を望むのなら、その役がそんなにうまいとかえって不安だぞ、と。

 このままれんこんが新公での専科さん役専門になってしまうのは、もったいない。
 うまいだけでなくて、彼には色気がある。
 ハゲヅラかぶってなお。
 チョビ髭オヤジを演じてなお。
 この色気は、脇のおじさん専門ではなく、もっと真ん中寄りの役に必要なスキルだ。
 せっかくうまくて独特の色気もあるんだから、真ん中に寄せて育てて欲しいよなあ。

 トップスターになるかどうかだけではなく、舞台を締めることのできる役者を育てるためにも、いろんな人に新公主演させてほしいんだよなあ。

 や、めぐり合わせが悪くて主演出来なかったとしても、別格スターとして長くいてくれればうれしいけど。
 いまっちやホタテみたいに、ぽーんと辞めちゃったらどうしよう、と。アーサーやめぐむだって、わたしにとっては「新公主演見たかった」、「別格スターとしてがんばってほしい」と思っていた矢先の退団、だった人たちだ。
 新公で番手役もらって別箱とかで活躍もしていて、中堅になればもっと活躍が期待出来るのに……というところで、卒業してしまった。
 新公主演出来ていたら、辞めずにもっといてくれたのかな、と、勝手に寂しく考える。
 とし・がおり・あきらが長くいてくれるのも、新公主演出来た、ことが関係しているかもしれないし。

 その記憶があるから……トラウマがあるから。
 れんこんくんがなにを目指しているかはわからないけれど、勝手に不安になりました。
 専科さん役、うますぎる。
 他の子たちが「新公レベル」であるなかで、そんだけわかりやすくひとり勝ちしていると、ますます専科さんっぽい。

 次こそれんこん主演見たいな。彼は男爵でもオットーでも、どっちでもうまく演じられると思うの。や、どっちかっつーと男爵で見たいけども。

 あああ。まゆぽん辞めないでね、長くいてね。←突然不安になったらしい。(上記の例に当てはまるもんだから!)
 新人公演『NOBUNAGA<信長> -下天の夢-』あれこれ。

 お楽しみのひとつだった、ロルテス@あちくん。
 研4で2番手抜擢。

 えーと。
 いちばんの疑問。

 あの微妙ヒゲは、絶対に付けなくちゃならないの?

 あちくんだけでなく、本役のたまきちにも持っている疑問だが。
 なんのためにあるヒゲなのか。
 タカラヅカ的なヒゲじゃないし、付けている人を魅力的にも見せないし、ぶっちゃけ邪魔だし。
 なんのためにあるんだろう?(演出の問題)

 新公では、肝心なところでヒゲがぷらぷらはずれてしまい、歌より演技より、ソレが気になって仕方なかった。
 早く一度袖に戻って、直してくれ……! と願っても、なかなかその機会がないし。
 でもってよーやく一旦いなくなって、立ち直って出て来たのにまたはずれるし。
 2回やられると、事故ではなくギャグになる……。
 せっかくの大抜擢。初の銀橋ソロとか初初尽くしだったろうに、えーらいこっちゃでしたな、あちくん。

 大抜擢といえば『1789』新公もそうだったけど、やっぱ2番手役は大きさがちがうよね。フェルゼンと違ってロルテスは、やることがたくさんありすぎて、あっぷあっぷしている感じ。
 特にヘタだとは思わないけれど、学年なりの、下級生が演じているんだなということは、よーっく伝わった。

 ただわたしは、あちくんの顔が好きなので、それだけでおいしくいただけますが(笑)。
 りくくんにも似てるけど、いちばん似てるのはレオ様な気がする……ほんと、好みの顔だわ……。


 秀吉@ぐっさんと光秀@るねくんがよかった!
 キャラだけでいうなら、本公演より好き。

 わたしはやはり、このふたりはこれくらいキャラがかぶらないようにしてほしい派。
 ぐっさんの秀吉はワイルド系で、今までの彼が演じた役からは想像も付かないくらい、「誰?」ってくらい、かっこよかった。
 こういう役、合う人だったのか!
 いかにも「タカラヅカ」の秀吉っぽい。粗野な男である、という部分で三枚目部分をこなし、あとはワイルド系二枚目でタカラヅカっぽさを出している。
 あー、ぜんぜんアリだ、この秀吉。

 ワイルドな秀吉に対し、るねくんの光秀は王子様系。わかりやすく優男で、神経質そう。この男なら、信長@暁くんについていけなくなる未来も、すんなり想像出来る。


 妻木@くらげちゃんは、ふつうに女子だ。って、娘役だから当たり前なんだけど。
 女の子が演じると、ほんとにオイシイだけのふつーの役だな……。
 この役を出すヒマがあったらヒロインの帰蝶のエピソードやれと、新公見てさらに思ったわ……。(演出の問題)

 くらげちゃんはふつーにうまい。わかっていることなので、あまり発見はなし。
 でもくらげちゃんって、ふつーの女の子より、こういうコスプレ入った役の方がいい気がする。お市みたいな「ふつうの美女」をやると、影薄くなる……。
 女子高生コスプレ@『A-EN』とか、くのいちコスプレとか、アニメ的なキャラの方が魅力的。元の地味さを、アニメコスが底上げしてくれて、安心して「きれいでうまい」部分を堪能出来る。

 本公演と同じく、信長が妻木の胸元に手を突っ込んでいたけど、暁くんにセンサーの働かないわたしは「きゃあ☆」と思うこともなく……。
 あー、早く暁くんがかっこよくなってくれるといいなあ。

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