月組初日。@花の宝塚風土記
2003年4月4日 タカラヅカ つづけて月組大劇場公演初日だー。
東京から帰るバスの中、わたしの前の座席の女性ふたりは、どーやらどこぞのFCの方でした。『花の宝塚風土記』と書かれた、とても内々な書類をお持ちでした。
わたしは花組千秋楽からの帰り、あなたたちは月組初日の往き、人生はこうして交差するのね……てなことをキティちゃんに言うと、
「そういうアンタも初日にここにいるじゃん」
と、つっこまれました。
はい。わたしも初日にムラにおりましたです。
トシのせいだろうか。
若者がまぶしいのだ。
初舞台生を観るのが好きなのは、彼らの若さが愛しいからだろう。
今回、初舞台生のラインダンスを観ながら、「今わたしは、とんでもない場面に立ち会っているんだぞ」と思った。
人生の中で、正念場の勝負どころ、ほんとうの意味での区切り、魂懸けたスタート、って、いったい何回あるだろう?
たとえば、膝ががくがくして立てないくらい緊張することって、人生の中にどれくらいあるだろう?
ただなんとなく生きているだけじゃ、そうそうあることじゃないよね。
わたしは今、とんでもない場面に立ち会っている。
ぜんぜん知らない49人の女の子たちの、人生の正念場に、立ち会っているんだ。
そうそうあるこっちゃないぞ。
人生変わるくらいの場面なんて。
桜は毎年咲き、初舞台生は毎年同じように舞台に立つけれど。
今観ているのは、たった一度の永遠。
共有。
その一瞬たしかに存在し、あとかたもなく消えるもの。
舞台芸術というのは、そーゆーモノだ。
映画や活字とちがって。
消えることを前提としたモノのために、人生懸けた女の子たちのスタートに立ち会っている。
それって、すごいことだ。
トシを取ったせいかな。
それがとても、愛しいんだ。
月組初日。うっかりと立ち見でした。
場所取りする気はハナからなかったので、幕前はえんえんキティちゃんとおしゃべり。立ち見は大した人数いなかったので、余裕です。ええ、わたしの身長なら楽勝だって。
直前に行ったのに、あっさり手すりゲット。空いてるからそこにコートをかけて観劇開始。
でも幕が開いたのちに、後ろにセーラー服の女の子がやってきたので、譲っちゃったよ。わたしの後ろじゃ見えなかろう。
女の子は恐縮してなかなか前に出ようとしなかったけど……いいんだよ、遠慮しなくても。だってさ。
あの手すりってね、わたしには「低すぎる」んだよ(笑)。
他の人のよーに、腕を載せたりオペラグラスを構える台にしたりするのには、低すぎるのよ。
かえって疲れるの。だからいつも、大して使わないんだわ。
とゆー、とても自分本位な理由もあったんだが……傍目から見るとわたしって、ものすごーく「親切な人」よねっ(笑)。
今回は日本物のショー『花の宝塚風土記』と芝居『シニョール ドンファン』の二本立て。
最初はその、『花の宝塚風土記』。
日本物……月組で日本物……。
なんつーかね、わたし、いったいいつから日本物のショーを好きじゃなくなったんだろう、と感慨にふけっちゃったよ。
昔はね、好きだったの。
あれは何年前だ? 雪組公演『花幻抄』。あれ、ものすごい好きでねえ。
「チョンパ」で幕が開いた瞬間の胸の高鳴りを、おぼえているよ。
きれいだ。
素直に感動した。
そのあとにあった『花扇抄』はいまいちだった。『花幻抄』とそっくりだけど、かゆいところに手が届いてないなあ。と思った。
……でもそれすら、なつかしい思い出。
『花扇抄』だって、『花は花なり』だっけか? 金返せ学芸会よりははるかにマシだったし、名前もおぼえていない他の日本物ショーよりマシだったさ。
この『花の宝塚風土記』も、作り的には『花幻抄』とまったく同じなんだよね。作者が同じじゃしょーがないのか?
でもさ酒井センセ。落ちる一方だよね、レベル。それって創作者として、いかがなものか。
『花幻抄』を観たのはほんとに何年も前なんで、細かいことはおぼえちゃいないが、今回の作品が「あー、焼き直しなんだな」ってことだけは、わかったよ。
『花幻抄』も半ばは民謡ってゆーか、祭囃子なんだよね。たしか町人髷の男役たちが、太鼓叩いていたよーな。
それから「素踊りの男」たちが石庭のイメージで舞うのよね。
中詰めのあとにトップの男役スターと娘役スターと、それから松本悠里大先生が舞うのさ。
構成とコンセプトがまるっと同じ。
そしてその中身が……劣化してる。
うー。
つまんないよー。
いちばんがっかりしたのが、メイン部分。「桜花夢幻」とかゆータイトルのとこ。
たしか『花幻抄』では「花夢幻」ってタイトルだったかなあ。何回同じコンセプトを劣化コピーするんだかむにゃむにゃ。
同じ構成なだけに、「ここでいちばん気合いの入った美しいシーンが来るぜ!」てのがわかるわけだ。心してそれを待っていたのよ。
そしたら。
めいっぱい、拍子抜け。
幽玄の世界はどこにもなく、色だけ金色と派手になったどこかびんぼーくさいお衣装で、ばさばさ両手をはばたかせる。
衣装のセンスにも首を傾げたが、振り付けにもかなり疑問を持つ。なんだ? この大雑把な舞は?
両手ばさばさ、円になってくるくる? えーと?
人数だけは増えて、スタークラスが全員出るんだけど、なんだこのびんぼーくささは?
どうあがいても華やかに見えない。な、なにが起こっているんだ?? と、わたしがとまどっているうちに。
次に出演者たちは、フィナーレのときの持ち物のよーな羽扇を手に手に集結。
これがまた、ばさばさ大きな羽をあおぐだけの振り付け。
羽さえあれば豪華だと言うのかっ?!
あっけにとられているうちに、終了。階段が出てきてフィナーレ突入。
なんだったんだ、アレ……。
羽をばさばさあおぐだけで許されるのは、大階段のフィナーレだけだよう。
ショーの大詰めでやっていいことじゃないよう。泣。
……日本物ってさ、ある意味洋物ショーより、派手でないとイカンと思うのよね。
着物ってのは、それができるアートだと思うのよ。
それを期待してしまうのよ。
「チョンパ」で幕が開く、あの高揚感をね。
さみしかったっす……。めそめそ。
あとどーしてもつらかったことが、もうひとつ。
リカちゃんの書生さん。
アレ、どーしてもやらなきゃいけない? やめようよ。なかったこと、観なかったことにしない?
せめて白塗りはやめようよ。ホラーだよ。『スクリーム』の顔みたいだよ。
そして、作品の内容とは関係ないことで、わたしはちょっくらショックを受けていました。
「チョンパ」で幕が上がったそのときに。
ゆーひが美しくない。
我らがゆーひくんから美しさを引いたら、なにが残るのよっ?!(暴言)
相も変わらず無表情……つーか、仏頂面だしさ。ふてくされてんのか? つー顔で踊ってるしさ。
笑顔が見たいよ。春の踊りなんだぞ? よろこびの舞なんだぞ? も少し景気のいい顔してくれよー。
ああ、しかも。
ゆーひの扱い、さららんと同格だし。
さららんと同格……。
プチショック。
オープニングがね。
ゆーひとさららん、同じ衣装なんだわ。対の位置なんだわ。
エンディングでは、さららんと同じ衣装に、上掛けのお引きずりがついただけのもの。
ああ、これが現実なのね。ゆーひくん……。
「ゆーひのこと、すっかり忘れてたわ」
と言うのは、幕間のキティちゃん。
「ひとりで歌い出すまで、ゆーひがいること忘れてた」
ひどいっ。
「つーか、コウちゃんと見分け付かなかったし」
ひどいひどいっ。
「コウちゃんがふたりいる? と思ったら、片っぽゆーひだった」
ひどいひどいひどいわっ、ひどすぎるわっ。
わたしがなにを言っても、
「ゆーひがどこにいるのかさえわからなかったから、なにもわからない」
って言ってスルーするのよ。ひどいわっ。
真っ白膨張の仏頂面でも、わたしはゆーひくんを見ているわ!
とゆーことで、芝居の感想は翌日欄。
東京から帰るバスの中、わたしの前の座席の女性ふたりは、どーやらどこぞのFCの方でした。『花の宝塚風土記』と書かれた、とても内々な書類をお持ちでした。
わたしは花組千秋楽からの帰り、あなたたちは月組初日の往き、人生はこうして交差するのね……てなことをキティちゃんに言うと、
「そういうアンタも初日にここにいるじゃん」
と、つっこまれました。
はい。わたしも初日にムラにおりましたです。
トシのせいだろうか。
若者がまぶしいのだ。
初舞台生を観るのが好きなのは、彼らの若さが愛しいからだろう。
今回、初舞台生のラインダンスを観ながら、「今わたしは、とんでもない場面に立ち会っているんだぞ」と思った。
人生の中で、正念場の勝負どころ、ほんとうの意味での区切り、魂懸けたスタート、って、いったい何回あるだろう?
たとえば、膝ががくがくして立てないくらい緊張することって、人生の中にどれくらいあるだろう?
ただなんとなく生きているだけじゃ、そうそうあることじゃないよね。
わたしは今、とんでもない場面に立ち会っている。
ぜんぜん知らない49人の女の子たちの、人生の正念場に、立ち会っているんだ。
そうそうあるこっちゃないぞ。
人生変わるくらいの場面なんて。
桜は毎年咲き、初舞台生は毎年同じように舞台に立つけれど。
今観ているのは、たった一度の永遠。
共有。
その一瞬たしかに存在し、あとかたもなく消えるもの。
舞台芸術というのは、そーゆーモノだ。
映画や活字とちがって。
消えることを前提としたモノのために、人生懸けた女の子たちのスタートに立ち会っている。
それって、すごいことだ。
トシを取ったせいかな。
それがとても、愛しいんだ。
月組初日。うっかりと立ち見でした。
場所取りする気はハナからなかったので、幕前はえんえんキティちゃんとおしゃべり。立ち見は大した人数いなかったので、余裕です。ええ、わたしの身長なら楽勝だって。
直前に行ったのに、あっさり手すりゲット。空いてるからそこにコートをかけて観劇開始。
でも幕が開いたのちに、後ろにセーラー服の女の子がやってきたので、譲っちゃったよ。わたしの後ろじゃ見えなかろう。
女の子は恐縮してなかなか前に出ようとしなかったけど……いいんだよ、遠慮しなくても。だってさ。
あの手すりってね、わたしには「低すぎる」んだよ(笑)。
他の人のよーに、腕を載せたりオペラグラスを構える台にしたりするのには、低すぎるのよ。
かえって疲れるの。だからいつも、大して使わないんだわ。
とゆー、とても自分本位な理由もあったんだが……傍目から見るとわたしって、ものすごーく「親切な人」よねっ(笑)。
今回は日本物のショー『花の宝塚風土記』と芝居『シニョール ドンファン』の二本立て。
最初はその、『花の宝塚風土記』。
日本物……月組で日本物……。
なんつーかね、わたし、いったいいつから日本物のショーを好きじゃなくなったんだろう、と感慨にふけっちゃったよ。
昔はね、好きだったの。
あれは何年前だ? 雪組公演『花幻抄』。あれ、ものすごい好きでねえ。
「チョンパ」で幕が開いた瞬間の胸の高鳴りを、おぼえているよ。
きれいだ。
素直に感動した。
そのあとにあった『花扇抄』はいまいちだった。『花幻抄』とそっくりだけど、かゆいところに手が届いてないなあ。と思った。
……でもそれすら、なつかしい思い出。
『花扇抄』だって、『花は花なり』だっけか? 金返せ学芸会よりははるかにマシだったし、名前もおぼえていない他の日本物ショーよりマシだったさ。
この『花の宝塚風土記』も、作り的には『花幻抄』とまったく同じなんだよね。作者が同じじゃしょーがないのか?
でもさ酒井センセ。落ちる一方だよね、レベル。それって創作者として、いかがなものか。
『花幻抄』を観たのはほんとに何年も前なんで、細かいことはおぼえちゃいないが、今回の作品が「あー、焼き直しなんだな」ってことだけは、わかったよ。
『花幻抄』も半ばは民謡ってゆーか、祭囃子なんだよね。たしか町人髷の男役たちが、太鼓叩いていたよーな。
それから「素踊りの男」たちが石庭のイメージで舞うのよね。
中詰めのあとにトップの男役スターと娘役スターと、それから松本悠里大先生が舞うのさ。
構成とコンセプトがまるっと同じ。
そしてその中身が……劣化してる。
うー。
つまんないよー。
いちばんがっかりしたのが、メイン部分。「桜花夢幻」とかゆータイトルのとこ。
たしか『花幻抄』では「花夢幻」ってタイトルだったかなあ。何回同じコンセプトを劣化コピーするんだかむにゃむにゃ。
同じ構成なだけに、「ここでいちばん気合いの入った美しいシーンが来るぜ!」てのがわかるわけだ。心してそれを待っていたのよ。
そしたら。
めいっぱい、拍子抜け。
幽玄の世界はどこにもなく、色だけ金色と派手になったどこかびんぼーくさいお衣装で、ばさばさ両手をはばたかせる。
衣装のセンスにも首を傾げたが、振り付けにもかなり疑問を持つ。なんだ? この大雑把な舞は?
両手ばさばさ、円になってくるくる? えーと?
人数だけは増えて、スタークラスが全員出るんだけど、なんだこのびんぼーくささは?
どうあがいても華やかに見えない。な、なにが起こっているんだ?? と、わたしがとまどっているうちに。
次に出演者たちは、フィナーレのときの持ち物のよーな羽扇を手に手に集結。
これがまた、ばさばさ大きな羽をあおぐだけの振り付け。
羽さえあれば豪華だと言うのかっ?!
あっけにとられているうちに、終了。階段が出てきてフィナーレ突入。
なんだったんだ、アレ……。
羽をばさばさあおぐだけで許されるのは、大階段のフィナーレだけだよう。
ショーの大詰めでやっていいことじゃないよう。泣。
……日本物ってさ、ある意味洋物ショーより、派手でないとイカンと思うのよね。
着物ってのは、それができるアートだと思うのよ。
それを期待してしまうのよ。
「チョンパ」で幕が開く、あの高揚感をね。
さみしかったっす……。めそめそ。
あとどーしてもつらかったことが、もうひとつ。
リカちゃんの書生さん。
アレ、どーしてもやらなきゃいけない? やめようよ。なかったこと、観なかったことにしない?
せめて白塗りはやめようよ。ホラーだよ。『スクリーム』の顔みたいだよ。
そして、作品の内容とは関係ないことで、わたしはちょっくらショックを受けていました。
「チョンパ」で幕が上がったそのときに。
ゆーひが美しくない。
我らがゆーひくんから美しさを引いたら、なにが残るのよっ?!(暴言)
相も変わらず無表情……つーか、仏頂面だしさ。ふてくされてんのか? つー顔で踊ってるしさ。
笑顔が見たいよ。春の踊りなんだぞ? よろこびの舞なんだぞ? も少し景気のいい顔してくれよー。
ああ、しかも。
ゆーひの扱い、さららんと同格だし。
さららんと同格……。
プチショック。
オープニングがね。
ゆーひとさららん、同じ衣装なんだわ。対の位置なんだわ。
エンディングでは、さららんと同じ衣装に、上掛けのお引きずりがついただけのもの。
ああ、これが現実なのね。ゆーひくん……。
「ゆーひのこと、すっかり忘れてたわ」
と言うのは、幕間のキティちゃん。
「ひとりで歌い出すまで、ゆーひがいること忘れてた」
ひどいっ。
「つーか、コウちゃんと見分け付かなかったし」
ひどいひどいっ。
「コウちゃんがふたりいる? と思ったら、片っぽゆーひだった」
ひどいひどいひどいわっ、ひどすぎるわっ。
わたしがなにを言っても、
「ゆーひがどこにいるのかさえわからなかったから、なにもわからない」
って言ってスルーするのよ。ひどいわっ。
真っ白膨張の仏頂面でも、わたしはゆーひくんを見ているわ!
とゆーことで、芝居の感想は翌日欄。