おどろいたことがひとつ。

「『魔界転生』映画化だって」
 と言ったわたしに、弟が、
「ええっ、山田風太郎のアレを?」
 と返してきたことだ。

「山田風太郎……? ふつー、沢田研二の、とか言わないか?」
「沢田研二? なに?」
「だって、前に沢田研二でやってるでしょ?」
「なにを?」
「映画。『魔界転生』」
「ええっ?!」

 弟は、元祖『魔界転生』の映画を知りませんでした……。

「なんで知らないのよ、アンタそのころもう、小学生だったじゃない。高学年だったじゃない。あのころの角川映画っつったら、キャッチコピーだけで一世を風靡してたでしょうが」
「キャッチコピー?」
「『エロイムエッサイム、エロイムエッサイム、我は求め訴えたり』……って、志村けんもさんざんパロってたじゃない!」
「知らんわ。それより『魔界転生』って言ったら、山田風太郎だろう!!」
「なんでそこで原作者なのよ?」
「アレを映画化するなんて言ったら、ふつーおどろくって。山田風太郎だぞ? バカ活劇小説だぞ?」
「てゆーかアンタ、つまりそれ、読んでるってことよね?」
「まあ、あれはあれでなー」
 にやり。それなりにたのしんで読んだらしい。
「前のは天草四郎が沢田研二だったんだけど、リメイク版は窪塚洋介。柳生十兵衛が佐藤浩市」
「ほお」
「それだけでも見に行く気満々だけど、そのうえ、宮本武蔵が長塚京三様なのよーっ」
 俳優にはいろいろあるが、「様」付けで読んでしまう俳優は数少ない。長塚京三様は、長塚京三「様」なのだ。
「ふーん。まあ、イメージはあるか」
「あと、加藤雅也とか、濃くていい男が出るし。CG気合い入りまくりの愉快な大作になるみたいよ」
 と言うわたしに、弟は薄く笑いながら言う。
「『魔界転生』はなー。“もしも歴代の剣豪が柳生十兵衛と戦ったら?”っていう妄想ではじまった、架空戦記ばりのアホ小説だからなー。……アレを映画化するなら、そりゃ特撮になるだろーな」

 アホ小説? ……そーなんですか?
 わたし、原作知らないし。興味の範囲外。時代小説読むなら、司馬遼とか読むし。
 弟は史学科卒の歴史オタクで時代劇大好き男なんだけど、彼に言わせると「山田風太郎」という名を言うときは「ぷっ(笑)」というニュアンスが入るらしい。バカにしているだけ、ではなく、愛情もこめて。

 それにしても……前作を知らないなんて。
 同世代の人間なら、誰でも知ってると思ってたよ。
 沢田研二主演の『魔界転生』。映画自体は見たことなくても、存在ぐらいは知ってて当たり前だと思っていた。
 つーか、原作ファンなら映画化ぐらい知っておけよ。

 
 とゆー、長い前降りですが、見に行きました、『魔界転生』。

 前作を云々言っておきながら、実はわたし、前作はよく知らないのです。
 テレビでやっているのをちらりと見たことがある程度。

 つーか。

 沢田研二と真田広之のキスシーンしか、おぼえてないんですよ。

 当時はたしか、自分のテレビを持っていなくてね。
 祖父母と一緒に茶の間で見るにはそぐわなかったのよ……。
 時代劇だから、ってことで、なんとかチャンネル権は獲得できたものの、きちんと見ることはできなかったような。
 暗くてエロかった記憶があるので、保護者と一緒に見るのはきつかったのでしょう。
 

 原作は知らないし、前作もよくおぼえていない。
 沢田研二の妖艶さ、真田広之とのキスシーン、千葉真一の暑苦しさ、ぐらいしかおぼえてない。
 窪塚くんが天草四郎ってことは、窪塚くん、ダレとチューすんだ? と思ったくらい、モノ知らずでした。

 真田広之の役は、リメイク版では存在しないのね……。
 あとから知ったよ。
 

 さて。
 そんなわたしが、WHITEちゃんと並んで鑑賞しました、リメイク版『魔界転生』。

 いちばん痛切に思ったことは。

「エロくない」

 でした。

 こんなもんなのか?
 ちっともエロくなかった。
 前作には、なんともいえん「隠微さ」「妖艶さ」があったと思ったし、また、わたしは勝手にそれを期待していた。
 日本物、時代劇っていうのは、一歩まちがえるととてつもなく暗く美しい世界になるよね。黒地に金、の世界観っていうか。蒔絵の持つ美しさっていうか。
 『陰影礼賛』じゃないけど、白く美しい生クリームにはない、和菓子の暗い美しさっていうかさ、光より影に美を求める習性ゆえのこだわりっていうか。
 日本物ゆえの、時代劇ゆえのエロさと美しさを、わたしは期待していたのよ。
 それがまったくなかった。

 美しく色っぽくしようと努力はしているようだが、そもそもツボがちがうとしか言いようがない。
 耽美、というものをまったく理解しない、健全な人が健全なアタマで、理屈だけでエロスを表現してみました、みたいな?

 つまらん……。
 おかげで、窪塚天草四郎は、中途半端に途方に暮れる。
 窪塚くん自身の力で、妙な透明感はある。でも、演出と彼の透明感は別の方向に引き裂かれていて、不安定でどっちつかず。
 かみあっていないもどかしさ。

 「色気のなさ」が全編に漂うので、せっかく復活した魔界人たちも、存在感が薄い。スポーツのように戦い、滅んでいく。
 もっとどろどろしててもいいんじゃないのか? 魂を悪魔に売ってでも、蘇りたい未練があったんだろう?
 未練とか執着とか欲望とかは、「色気」と同意語なんだなと確認。色気に欠けるままだと、ただ「かっこいい殺陣」を見せるためだけに現れた子ども向け特撮ヒーローになってしまう。

 もちろん、映像はきれいで迫力もある。殺陣もかっこいいですとも。
 各役者たちも、かっこいいです。コスプレが美しいです。豪華な俳優陣を「わかるわかる」ってなイメージでキャスティング。ぱっと見には素敵です。

 佐藤浩市、いい男だなあ。
 いつも総受なこの男が、骨太な戦士を演じております。最初のうちはいつもの受男だけど、物語が進むに従って、どんどん研ぎ澄まされて男前になっていく。
 窪塚洋介、最初のシーンがいちばん美しいっす。生前の天草四郎。透明な美しさ。たしかにこの少年なら「神の声」を語っても信じられるわ。てな。前髪が素敵。「もう、神など求めぬ」……彼の絶望が素敵。
 長塚京三様、ごま塩頭、いいです。
 今彼は微妙に太っていて、かつての美しさがかなりマイナスになっています。男はなー、これくらいの年齢がいちばんきついんだよなー、って感じ。加齢臭ぷんぷんってか。
 それが白髪になることで、一気にロマンスグレーですよ、京三様!! いっそそれくらいトシ食ってくれた方が、わたし的にはOKです。武蔵コスプレ、素敵よー。
 加藤雅也、相変わらず男前。男に惚れる男、を演じてこその君の濃さ。『天国の階段』に引きつづき、佐藤浩市命の役ですか(笑)。柳生十兵衛と戦いたさに魔界から戻ってきましたか(笑)。出番が少なくて残念です。
 濃いと言えばこの人、杉本哲太。この人も時代劇の方が男前だよなあ。顔も芸風も濃すぎるからかなあ。

 しかし、わたしとWHITEちゃんの共通意見としては。

「オジー、男前だったね」
「うん、オジーがすごくかっこよくなってた」

 映画を見終わって、最初に言ったのがコレさ。
 オジー……古田新太。宝蔵院胤舜役。
 役によってほんと別人だね。

「なんか、痩せてなかった?」
「痩せてたよー。じゃあ次の『キャッツアイ』の映画ではまた太るんかな?」
「太ってなきゃオジーじゃないよー。オジーといえば“垂れたおっぱい”でしょ? 白いランニングシャツ越しに、大きなおっぱいがこう、垂れさがってたじゃん」

 わたしたちはひょっとして、古田新太ファンなんでしょうか。
 あの名作『木更津キャッツアイ』以来、彼へのチェックは他の俳優の比ではありません。

 しかし、窪塚くんより佐藤浩市より、古田新太を語るか……わたしたち……。
 

 それにしてもわたし。
 『デアデビル』と『魔界転生』って、2本立てで見るよーな作品じゃないよ……。
 両方とも、次元が似すぎていて、つづけてみると疲労増大効果あり。


「ねえ、運命の出会いって信じる?」
「運命の出会い? ……君は、信じてるのか?」
「わからない。信じたいけど」

 神様は、ひとつの魂を男と女に分けてこの世に送り出した。だから、この世には自分と同じ魂を持ったパートナーが必ずいる。それが、運命の恋人。
 そうわたしに教えてくれたのは年の離れた姉だ。
 彼女はわたしのあこがれだった。彼女を追いかけることが、わたしのよろこびであり、生き甲斐だった。
 姉のやることはなんでも真似をしたし、その言葉も全部信じた。なにひとつ、彼女のようにはできなかったけれど、それでも懸命に後ろを走り続けた。
 姉はわたしの「全世界」だった。
 バレリーナを目指していた姉は、パリ・オペラ座のバレエ学校に入った。わたしと母を田舎町に残して。
 幼いわたしが姉に会える機会は減ったけれど、そんなことは彼女への憧憬の深さになんの関係もなかった。都会に住むようになった姉はますますあか抜け、美しく華やかになった。わたしは姉が誇らしかった。
 姉さんはどうしてそんなにきらきらしているの? 会うたびにきれいになってるみたい。
 そう聞いたわたしに、彼女は美しい笑顔をくれた。
「運命の人とめぐり逢ったからよ」
 姉は、恋をしていた。
 姉はわたしにとって「全世界」、そしてその「全世界」は今、恋をしていた。きらめいていた。
 輝く姉の姿こそが、わたしにとっての「恋」というものであり、「愛」の姿だった。
 あなたも大人になったら恋をするわ。あなたの運命の相手は、どんな人かしら。
 姉の言葉に、胸が高鳴った。頬が熱くなった。
 わたしの運命の人? わたしもいつか、彼女のようにきらきら輝くのかしら。
 姉の言葉は絶対だった。わたしはいつも、彼女の言葉をすべて信じた。世界は輝きに満ち、幸福に満ちていた。

 …………だがそれも、失われた。
 姉は死んだ。
 わたしの「世界」は死んでしまった。

 運命の人とめぐり逢い、バレエ学校も卒業公演で主役を射止め、幸福の絶頂にあった姉は、すべてを失った。
 卒業公演の日、わたしは母と二人、精一杯のおめかしをして客席に坐っていた。誇らしさに頬を染めながら。
 直前に会った姉は緊張のためか顔色が悪く、言葉も少なめだったけれど、それでもいつものやさしい笑顔をくれた。わたしはなんの心配もしていなかった。だって彼女はわたしの女神だもの! 舞台も大成功するに決まっている!
 姉の前途に広がる、輝かしい未来。幼いわたしはそれを疑ってもみなかった。自分の未来が希望に満ちていることを疑いもしなかったように。
 姉は舞台の上で倒れた。足の靱帯を切り、バレリーナとして再起不能になった。
 何故?
 彼女は前日に恋人から別れを告げられていた。眠れなかった彼女は、睡眠薬を使っていたのだ。そのために起こった事故だった。
 恋と夢と未来と。
 彼女はすべてを失った。
 ……もちろん、わかっている。事故は事故だし、体調を整えることができなかった姉の自己責任だ。姉が自分でそう言っていたように。恋人とやらには、なんの責任もない。
 でも当時のわたしは、自分の気持ちを整理することができなかった。だからただ、姉を捨てた男への怒りだけを口にしていた。その男が姉を捨てたから、こんなことになったのだ、と。
 バレエの道を閉ざされた姉は、家に戻ってきた。なにがあるわけでない田舎町で、彼女は壊れた人形のように過ごした。彼女を彩っていた笑顔は消え、かわりに空虚な翳りをまとっていた。
 わたしは相手の男をなじりつづけた。絶対に許せないと言いつづけた。
 だが、姉の口から同意は得られなかった。
 彼女はただの一度も、相手の男を責めなかった。
 そう、最後まで。
 ある雨の夜、姉は死んだ。交通事故だった。周囲の人々は自殺ではないかとささやいたけれど、わたしは信じない。姉は自殺をするような人じゃない。
 だって。
 だって彼女は、言ったのだもの。
「レオを許してあげて」
 と。
 それが最後の言葉だった。
 泣くわたしに、姉は言った。
 あの卒業公演の日からずっと、わたしが姉の恋人をなじるたびに、言っていたことを。彼女は最後にまた、そう言ったのだ。
 姉は男の愛を信じていた。理由もなく一方的に別れを告げられ、大けがにもその後の療養にも見舞いの言葉すらなく、冷酷に捨てられた相手なのに。「わたしたちはひとつの魂から生まれた、永遠の恋人なの」……かなしく美しく、姉はそう言った。
 それが最後。
 その日、わたしの女神が死んだ。

 姉はわたしのあこがれだった。
 姉はわたしの「全世界」だった。
 姉のすることはなんでも真似をしたし、その言葉はすべて信じた。

 だけどわたしはもう、姉を信じられない。
 姉の言う「愛」を信じられない。

 わたしには、愛がわからない。

 姉を捨てた男を憎んでいた。
 姉を不幸にしたから。

 だけど、大人になり、自分も男性とつきあうようになって、その憎しみの意味がちがっていることに気づいた。
 たしかにわたしは、あの男を憎んでいる。
 だけどそれはほんとうに、姉を不幸にしたから?

 そうじゃない。
 わたしが憎んでいるのは。わたしが今こんなに苦しいのは。

 わたしが「愛」を信じられないからだ。

 昔、姉はわたしのすべてだった。
 昔、姉は愛を信じていた。

 そして今、わたしは姉を理解できずにいる。
 裏切られてなお、愛を信じつづけた彼女を、信じられずにいる。

 昔、わたしは幸福だった。
 昔、わたしは愛を信じていた。

 そして今。
 今のわたしは……。

「マリーを返して」
 わたしはつぶやく。
 手に入れた拳銃を握りしめて。ひとりの部屋、ひとりの夜。ひとりの時間。
 わたしは拳銃と、わたし自身と向かい合う。
 マリー、わたしの姉。美しくきよらかなひと。
 マリー、わたしの姉。無邪気だったわたしがなんの疑いもなく愛したひと。全世界だと思えた人。
 マリーを返して。
 マリーを信じられた、愛を信じられたあのころのきれいなわたしを返して。
 砂のお城に住んでいた、まだ見ぬ恋を夢見ていた幼いプリンセスを返して。

「ねえ、運命の出会いって信じる?」
「運命の出会い? ……君は、信じてるのか?」
 わたしの問いに、男は問いで返してきた。
 姉が信じていた「運命の恋人」。かつて姉がその「運命の恋人」だと信じた男を前にして、わたしは言った。

「わからない。信じたいけど」

 ……信じたい。 
 信じたいから。

 わたしはこの男に復讐するのだ。
 わたしのマリーのために。

          ☆

 重い腰を上げて、行ってきました、月組公演。
 やっぱ好きやなあ、この話。……と、観るたびに思う『シニョール ドン・ファン』。
 もういい加減ネタバレしてもいいだろうってことで、言いたかったことを書きます。

 ロドルフォがレオのゴーストライターだった、って設定、ナシにしない?

 これがあるから、すべてをぶちこわしているのよ。
 1回目に観たときはいい。このネタバレがあるのはクライマックス付近だから。
 だが、2回目を観ると興ざめするのよ。せっかくのあのかっこいいオープニング。これ、レオのデザインじゃなく、ロドルフォのなの? つーか、赤い椅子でキザっているこの男、自分ではなにもしてないのに、こんなにえらそーにふんぞりかえって「アレキサンダー大王以上の偉業を成し遂げる」とかほざいてんの?
 「オマエが言うな!」と、ツッコミ入れちゃうのよ。あちこち。
 第一、レオがマリーと出会って彼女を失ったのって、学生時代なんだよねえ? 勉強中の学生時代だからこそ、レオとロドルフォはルームメイトだったわけでしょ?
 学生時代からすでに、デザインが描けなくなったレオって、デザイナーとしての価値はあるのか??
 真に才能があったのはレオではなくロドルフォってことになるじゃん、それじゃあ。
 いくら「ドン・ファン」ブランドが、貴族であるレオの実家の名声と資産をバックボーンにしてできあがったとしても、肝心要のデザインがロドルフォ印じゃ、物語が成り立ちませんぜ、景子せんせ……。
 誰かプロットを添削してくれる人、いなかったの……?

 だから、ロドルフォのゴーストライター設定だけを、まるっと「なかったこと」にしましょう。
 レオはちゃんと自分でデザインして、ばりばり第一線で活躍していた、と。
 「ドン・ファン」ブランドの名声も実績も、すべてレオ自身のもの。ロドルフォはただのビジネス・パートナー。レオの代わりに実務を取り仕切るとかね。今は事業経営をやっているけれど、昔はデザイナーでレオの親友でありライバルであった男、ってした方が、よっぽど萌えじゃない。

 ……と、文字数オーバーきましたんで、つづきは翌日欄。


 『シニョール ドン・ファン』の「ロドルフォのゴーストライター設定、ナシにしない?」話のつづきだ。

 
 天才デザイナー・レオは、学生時代からすでにその才能を発揮していた。
 彼は「女性のきよらかさ」や「清楚さ」「やさしさ」を賛美するよーな、宗教芸術を彷彿とさせる作品を創りつづけていた。母の愛に飢えていた彼らしい、「聖母マリアへの憧憬」というか。マリーへプレゼントしたドレスだって、色は派手こいピンクだけど、いやらしさではなくキュートさが現れているように。
 その才能に、俗人ロドルフォは嫉妬するのです。
 だけど、マリーを失ったあとのレオは、それまでとはまったく逆の「現実的な美しさ」を創造しはじめる。いつわりの恋と快楽に耽る彼の生活そのままに。それが「ドン・ファン」ブランド。攻撃的に世界と女を征服していく。もう、昔のレオはどこにもいない。
 たしかに現在のレオもすばらしい。彼は天才だ。だけど。ロドルフォが愛し、羨望し、嫉妬したのは、今のレオじゃない。昔の、きよらかな世界を描きつづけるレオなんだ。
 それがロドルフォが「殺してしまったアーティストとしてのレオ」ということなの。レオはもう、「心の純白」をテーマにはデザインをしなくなったのよ……。
 そして、すべてを乗り越えた彼は物語の最後に、「純白のウエディングドレス」をデザインするところにたどり着くわけよ。

 なにもレオが筆を折らなくても、ストーリーは作れるんだってば。
 景子せんせ、このキモになるあたりだけでも、修正してくんないかなあ。ここさえ乗り切れば、あとはいい出来なのよ、この作品。

 
 ジルがいいキャラだと思うのね。
 主人公とくっつかないヒロイン。
 彼女はレオを愛していないし、愛す必要もないと思う。トップ男役と娘役だから愛し合わなきゃ、という偏見を抜きにするならば。
 彼女は「愛がわからない」ゆえに暴走する。レオへの憎しみは、「愛したい」ことの裏返し。
 誰を愛したいの? っていえばそれはやはり、セルジオでしょう。
 レオに近づくためだけに、利用するつもりで近付いた純朴な青年。バカ丸出しに……じゃなかった、とても実直にジルを愛する彼と一緒にいるうちに、彼女の心も動いたのでしょう。
 「愛を信じたい」「愛したい」彼女にとって、バカ丸出しに……じゃなかった、純粋に愛だけに生きるセルジオの存在は、どれほど救いになったことか。
 最後に彼の愛を選ぶことで、ジルはほんとうに過去の檻から解き放たれたのだと思う。……セルジオへの想いは恋ではないと思うが。それもアリでしょう。しあわせになれ。

 
 セルジオというキャラが、とても好きなんですが。
 あの白痴美人ぶりが、ツボです。
 きれいなだけで、アタマの弱そうな田舎青年。一流ホテルのコンシェルジュが務まるのも、すべて美貌ゆえでしょう。美貌は七難隠す。同じ失敗でもブスなら許さんが、美人なら許す。世の中そういうもんです。
 ……一流ホテルなのに、ロビーでコンシェルジュがガールフレンドと立ち話するのよ? んなバカな。
 浅慮で善良。ほとんどバカ。だけど愛だけはあふれている。たよりなさそうな、泣きそうな顔が、ツボです。さえちゃんならではだー。
 とくに、いちばん笑わせてもらった、最後の台詞。
「これでも俺、けっこう遊び人だっんだ」
 ……ナイナイ。音速でツッコミ入れましたとも。
 このバカ、「遊ばれた」過去とかを「俺も罪な男だな、遊び人だな」とか、本気でカンチガイしてそうだ。嘘を付くのがうまいとも思えないジルにだまされていたくらいの男だからな。
 あまりのバカっぷりに、涙が出そうだ。
 バカだからこそ、自分を利用していた女を、なんのしこりもなく愛し続けるのだろう。
 「愛が信じられない」と泣く彼女を、愛しく思うのだろう。信じられないってことは、信じたいと思っていることだから。愛を信じたいと泣く娘を、愛することのできる、そーゆーバカな男。
 好きだよ、セルジオ。
 彼の「遊ばれた」過去をいろいろと考えてみたりな。女にも遊ばれてるけど、絶対「男」にも遊ばれているはずだ……(笑)。
 

 ほんとうに惜しい、ロドルフォというキャラ。
 コウちゃんでさえなければ、絶対ホモ。
 つーか、レオがマリーを失った段階で、ヤッてるよね? レオのこと喰っちゃってるよね? 設定だけでいけば。
 でないと10年も、レオの影として生きないよね? レオもあそこまで完璧にロドルフォを信じていないよね?
 レオとロドルフォの関係は、ひたすらエロいんですが。
 ……重ね重ね、コウちゃんでさえなければっ。
 ワタルだったら……樹里ちゃんだったら……ガイチだったら……きりやんだったら……。あうー。
 ……こっそりとつぶやきますと、ケロでもいいです。死ぬほど萌えたと思います……。

 逮捕されたロドルフォを見て、「よかったね」と思いました。
 ああこの話、ほんとにハッピーエンドだな、と。
 ロドルフォはずっと、罰を欲していたんだ。己れの罪と欲と汚さを、懺悔したかったんだ。他ならぬ、愛するレオに。
 レオもまた、ロドルフォの懺悔を聞き、彼への愛を再確認したことでしょう。
 だからこそ、ラストシーンの「握手」になるんだよね。
 

 ローサとスティーブはいちばんベタな書き込み方がされているキャラたちなので、とくになにも思わず。
「君をスクリーンで輝かせるために俺は生きる。いや、生きたい」
 スティーブのこの台詞の、「生きたい」がツボ。
 使命ではなく、よろこびなんだな、と。
 自発的な意志によってやっていることなんだなと思わせてくれるのが、うれしい。
 でないと押しつけがましくなるからねえ。

 ゆーひ、がんばれ。人を愛する演技をするのだっ。
 ゆーひの演技力には多大な期待はしていないし、失望もあるんだが、それでも好みの男が好みのいい男を演じているので、見ていてたのしい。うれしい。
 あとはローサ役のコモちゃん……なんか、どんどん演技がきつくなってる気がするんですが。そんなにがんばりすぎなくていいのに。
 日を追うとエスカレートしちゃうのかな。
 それを言うならえみくらもなんだけど。えみくらちゃん、『ガイドル』のときも思ったけど、今回もどんどんハイテンションになってるよ……もう少し押さえた演技に戻してくれえ。
 

 カトリーヌとジャン夫妻も、実はけっこー好みです。
 こいつら、ものすげえ年齢差カップルだよねえ?
 親子、下手したらそれ以上?
 だけどラヴラヴな感じが、見ていてすごくかわいいんですけど。
 金と権力目当てのバカな若妻に見えるカトリーヌ。カジノで大金を擦ってみたり、プレイボーイのナンパ(この単語を口にするあたり、お育ちが良くないのかもな)に応じてみたり。
 でも結局彼女、じじいな旦那にべた惚れなのよね。いつも猫を抱いているところを見ても、寂しがり屋なんだなってのがわかるし。「かまってくれなきゃいやん」な女。惚れている相手がじじいであるだけに、それがかわいいぞ。
「私には君が必要だ」
 そして、そんな小娘に本気で惚れている「次期大統領」の旦那。コレを言うためだけに、国境を越えて飛んできたんだな。かわいいぞ(笑)。

 
 パトリシアという女の子がかわいいんですが。
 自分がバカだということを知っている女の子。実際、どっから見てもバカだし。
「彼は特別な人。彼に愛されるって思うと、自分まで特別な存在になった気がするの」
 バカな彼女は、自分が持つ「美貌」だけで勝負をする。それこそ「倒れるまでのダイエット」をして、戦う。
 自分の居場所を求めて。
 戦士が剣の腕を磨くように、アタマの足りないかわいいだけが取り柄の女の子は、美貌を磨く。そうやって世界と戦う。人生と戦う。
 その猪突猛進ぶりが、「明日捨てられても、今がしあわせならいい!」と言い切る強さが愛しい。
 幼馴染みのフィリッポという「居場所」を見つけて、しあわせを見つけた。バカだけど、かしこいチャーミングな少女。
 

 登場人物全員が「なにか」を乗り越え、ハッピーエンドにたどりつくラストが圧巻。
 テーマを全員で歌う。
 犯罪者のはずのロドルフォまで再登場してのフィナーレ。
 人生賛歌。
 人間賛歌。
 ひとは迷い、まちがい、傷つけ傷つけられるけれど。
 だけど、人生は素晴らしい。
 生きることは愛しい。
 人の強さを信じて、愛を信じて、生きていく。

 いやあ、そんなのキレイゴトだけどね。
 わかってるけど、こうでなくちゃと思うのよ。タカラヅカだからね。エンタメだからね。
 ひとを、わたしを、しあわせにしてよ!!
 否定ばかり描いてたって、わたしはしあわせになれないよ。
 このラストシーンで、わたしはしあわせになる。
 だから好き。
 この作品。

 ついでに。
 生まれ直したレオにくっついていくのがジョゼッペだというオチも、ものすごーくわたしをしあわせにする。
 そうか、ジョゼッペ×レオか!! 肯定だよね、景子せんせ? ヤッていいのね? と(笑)。

 わたしはしあわせになりたくて、この作品に会いに行く。
 いろんな意味で(笑)。


「今日のデザートはソレよ」
 と、母は言う。

 ソレって……かしわ餅、ですかい。

 緑野家の夕食には、デザートが必須アイテム。必ず出る。
 主に季節のフルーツ。あとはプリン、ヨーグルト、ゼリーなどの「つるっと」系。
 夏にはわらび餅が出ることも多い。
 たまにケーキや和菓子も出る。

 しかし。

 かしわ餅、てのはどうよ?

「なんでかしわ餅がいけないの? 端午の節句よ?」
「端午の節句はいい。問題は、“デザート”ってことだ」
「4月はさくら餅や三色団子も出したじゃない」
「さくら餅や三色団子との大きなちがいを、何故理解しないんだ?」
 ママにいくら言っても無駄だ。わかってはいるが。

 ふつー、かしわ餅ってのは「デザート」には適さない。
 なんでかってそりゃ、「ヘヴィ」だからだ。

 さくら餅や三色団子は、「小さい」のよ。1個とか1串食べるぶんには、まだかろうじてセーフ。
 だがな、かしわ餅ってのは、めちゃ腹持ちいいんだよ。ヘヴィな食べ物なんだよ。
 しかも出されたかしわ餅、めちゃでかいんですが。

「ふつーにごはん食べたあとで、かしわ餅なんか入らないってば!」

「あたし、夕方にかしわ餅1個食べたんだけど、そりゃーもー、腹持ち良くてねえ。晩ごはんの量を減らしちゃったわ」
 と、母はころころ笑って言う。
 わかってるなら、ふつーの量を食べたあとに出すんじゃねええ。

 それでも、食べました。
 とりあえず、1個。
 ……げっぷ……。

 1個をちまちま食べるわたしの横で、「デザートに出すもんじゃないよな」と言いながらも、弟は2個ぺろりと食ってました。……甘党め……。

          ☆

 某オークションで、終了時刻寸前の戦いを手に汗握って観戦しました。
 自動延長につぐ自動延長。
 リロードするたびに上がっていく金額。
 どきどき。
 戦っているのは2人。
 わたしは片方の人を応援していました。
 がんばれ、**さん。負けるな**さん。ぜんぜん知らない人だけど、がんばれー。
 あっ、ライバルさんがまた高値更新しちゃったよ、**さんどうするの? 敗北を認めるの? 1分前、キター!! **さん高値更新!!

 何故、知らない人の戦いを応援していたか。

 そのオークションにかけられているのは、今公演中のとあるチケットで、「数量3」出品だったのです。
 **さんは「2枚希望」。
 ライバルさんは「3枚希望」。

 そしてわたしは、「1枚希望」でエントリーしておりました。

 ライバルさんが勝った場合、チケットは3枚ともライバルさんが落札。
 しかし、**さんが勝った場合、3枚あるチケットのうち2枚が**さんの落札となり、残り1枚は、「1枚希望」であるわたしが落札することになっちゃうのです。
 ライバルさんは、なにがなんでも「3枚」欲しい人で、他の枚数ならいらない人なんです。

 わたしは早々に「この席にこれ以上の値段は出せないわ」と脱落していたんですが。
 2枚希望の**さんが最高金額入札者になるたびに、唯一1枚希望でエントリーしているわたしも、**さんの隣に名前が並んじゃうのです。
 あの、わたし、めっちゃささやかな値段しか入れてないんですけど。

 **さんとライバルさんの戦いはつづく。
 ふたりでどんどん金額を上げていく。

 そして、**さんの横にはいつも、彼らより何割か少ない金額のわたしが、ちょこん、とおまけのようにくっついている。
 そう。
 わたし個人の値段ならば、お話にもならない額。
 だけど**さんが勝利すれば、そのお話にもならない金額で、落札できちゃうのよお客さん!

 がんばれ**さん!! ライバルさんに勝ってくれ。そしてわたしにこの定価以下価格でチケットを落札させてくれえ。

 手に汗握る30分。
 ……ええ、30分も延長しました。

 勝者、**さん!!
 拍手拍手、パフパプ〜〜!!

 見知らぬ**さんのおかげで、わたしは愉快な金額で、もう一度『ドン・ファン』を観に行けます。

 オークション・マジック。落札のエアポケット。
 連番席なのに、わたしは**さんよりずっと少ない金額で落札。負けたライバルさんの方が、わたしよりずっと高い金額で入札している。

 実際WHITEちゃんが先日、同じ目にあったと聞いていた。彼女は明日からはじまる某公演のチケットを、2枚落札者の人の半額くらいの値段で1枚落札したそうな。
 3連番出品で、「複数購入者優先」と謳っていないオークションは、エアポケット出現率高し。

 つーことで、たのしい30分でした。
 そして、また月組を観に行くことが決定しました。

 
 すっかり忘れていたけど、この日記を書きはじめてもう1年経つ。2002年の5月3日からはじめたんだ。

 人間何事も修行。わたしは不器用なので、練習なしになにかがうまくできることはない。

 わたしはずっと、エッセイの類いが書けなかった。あとがきは大嫌いだし、フリートークなんかもってのほかだ。
 フィクションなら書ける。物語を創ることならできる。でも、「自分」の考えていることを書くのは超苦手。
 理由は簡単、「恥ずかしいから」。

 小説を書いていたって、書いているのがわたしである以上、「わたし」の生の姿がどこかに関与していると思う。ある意味、フリートークよりも明らかに「わたし」が丸見えであったりもすると思う。
 ……だがそれは、べつにいいのだ。だってそれはあくまでも「フィクション(作り物)」であって、「生のわたし」ではないから。

 しかしエッセイだとかトークだとかで、「生のわたし」を「自分で」書くのは嫌なんだ。
 自分で書く以上、そこには見栄だとか欲だとか、いろんなものが入って純粋ではなくなるだろう。純粋でもないのに、純粋なふりをする、それが恥ずかしい。
 自意識過剰もいいところだが、わたしはわたしを愛しすぎていて、わたしの考えをそのまま文章にすることができないのだ。

 そうやってわたしは、小説以外の文章は書けない人間として、長く生きてきた。

 転機が訪れたのは、同人誌を作るようになってからだ。

 わたしと盟友オレンジはある作品にハマり、ものすごい勢いでその作品のパロディ同人誌を作った。なんせ毎月発行だ。月に1冊は本を作っていた。
 パロを書くだけでは、愛が止まらなかった。萌えが止まらなかった。わたしたちは、その作品がどれだけすばらしいか、わたしたちを虜にしているのかを、紙面で語りまくった。
 ……紙面で語る? 自分の萌えを、自分の言葉で? それって、わたしがもっとも苦手とすることじゃないか。

 萌えを語りたい。だけど、わたしには語ることができない。
 二律背反。
 苦悩の果てに。
 わたしは、ある方法にたどりついた。

 それは、「わたしというキャラを作って、わたしの意見を語らせる」という方法だ。

 神が舞い降りた。
 この手法でなら、わたしはいくらでも萌えを語ることができた。自分の意見を文章にすることができた。

 具体的に言うと、どーゆー方法かって?
 今の、この日記のようなこと。
 わたしはこの日記で、わたしの言いたいことを言いたいままに書き散らかしている。
 が、この日記は「生のわたし」とは微妙にチガウ。言っていることもやっていることも、ありのままのわたしだが、語っているのは「わたしというキャラ」である。
 「生のわたし」と、この日記に出てくる「わたし」には微妙に距離がある。それが「わたしというキャラ」である。
 わたしはわたしというフィクションを作り上げることで、わたしのノンフィクションを文章にすることができるのだ。

 人間何事も修行。わたしは不器用なので、練習なしになにかがうまくできることはない。

 同人誌で鍛えたおかげで、わたしは「わたし」というキャラでWeb日記を書くことができるようになったわけだ。

 使わない刃物はさびるし、使っていない電化製品は勝手に壊れる。せっかく手に入れたこの手法も、使わないとさびついてしまうかもしれない。
 日々、エクササイズ。
 わたしは文章修行をする。
 日記を書くことで、わたしは「日記の書き方」の修行をする。

 そうして、1年だ。
 わたしはこのキャラで、これからも日記を書き続けるつもりだ。

 ところで、この日記を読んでいるリアル界のわたしを知っている人は何人いるの? なんか、回っているカウンターのすべてが友人知人だったら嫌なんですけど。
 だってわたし、自分からこの日記のことを誰かに教えたことは一度もないのよ? 秘密なのよ?
 なのに友人たちにばれてたら、それってちょっとな。
 かねすきさんのお友だちは、自力で発見しちゃったのよね。んでもってかねすきさんにもばれちゃったのよね。……で、他は? 他は誰もいない? いたら名乗り出てくれ。

 オレンジは言った。「『佐藤浩市/総受』、で検索したらヒットするんじゃないの? 地球上の日本語サイト全部合わせても、そんな検索ワードでヒットするのはあんたの日記くらいなもんでしょ?」
 …………やってみたけど、ヒットしなかったもん。それならオレンジは、ここにはたどりついてないかな?

 
 日生劇場『雨に唄えば』観劇。

 ひとことで言えば、「たのしいけれど、萌えない」。

 わたしは原作を知りません。そして、ストーリーなどの知識も一切なく観劇しました。
 たのしく笑いながら観たけれど、心に響くモノはありませんでした。感動もカタルシスもナシ。ただたのしかっただけ。
 もちろんエンタメなんだからそれでいいんだろうけれど、わたしにはとても物足りなかった。

 なにがいけなかったんだろう?
 それを真面目に考えてみる。

 この作品のクライマックスって、どこだろ?
 すべての出来事は、クライマックスの伏線。クライマックスでドカンと大爆発させるために、仕掛けをしていなければならない。
 クライマックスで果てしなく盛り上げたあとに、見事に大団円、すかっと胸のすくようなハッピーエンディング。……というのが、エンタメの望ましい姿。
 しかし、わたしにはこの作品のどこがクライマックスなのか、思い出せない。
 いちばんおもしろかったところは、トウコとまとぶんが悪態つきながらラヴラヴ演技をしているところだし、たのしかったところはトウコ、タニ、うめのタップシーンだとか、トウコがスタジオでうめちゃんを口説くところとか、あちこちにある。
 でも、クライマックスって?
 いちばんの盛り上がりシーンって、どこ?

 盛り上がるシーンと、ストーリー上の転機となるシーンが、噛み合ってないんだよなあ。
 わたしがわくわくしなかった理由のひとつは、それじゃないかと思う。

 銀幕スターのドン@トウコは、スター女優のリナ@まとぶんと組んでお仕事中。映画の中でカップルってことは、プライベートでもカップルである、とマスコミもファンも、そして当のリナも期待している。だけどドンの方はその気ナシ。彼は舞台女優志望のキャシー@うめと出会い、恋をする。
 映画界は今まさに革命真っ直中、トーキーの登場だ。無声映画でぶっちぎりの人気だったドン&リナとその所属映画会社は、突然存続の危機。とにかくトーキーでなければ売れないから、と、付け焼き刃でトーキー映画を作るけれど……前途多難。技術的なこともあるが、いちばん問題なのは主演女優リナの悪声だ。
 これを乗り切るために、ドンの幼馴染みの親友コズモ@タニは「吹き替え」という手段を思いつく。リナは姿だけで、声はすべてキャシーが吹き替えるのだ。
 こうして出来上がったドン&リナの新作トーキー映画は大成功。しかしリナは、これからもキャシーを自分の吹き替え役として利用するつもりで画策していた! このままではキャシーの女優生命が奪われてしまう?!

 主役であるドン@トウコに動きが少ないのが、ものすごーく気になるんだけど。
 なんで彼はこんなに受け身なんだ?
 ストーリーの重要ポイントに関与していないんだよなあ。主役なのに。
 ドンの身の上に起こったことは、「大スター」→「トーキー時代到来による危機感」→「他人のアイディアと他人の力によって危機脱出」→「やっぱり大スター」ということだけなのよね。恋愛パートの方は「キャシーと出会う」→「いったん逃げられる」→「再会。すでにハッピーエンド」と、なんかとってもお手軽。
 ドン自身の物語は、「サイレントからトーキーへ」「キャシーとの恋」の2本だよね。しかしこの2本柱が両方とも、なんとも盛り上がりに欠けるのよ。
 ひとつめの「サイレントからトーキー」、これって、ドン自身には決してマイナスな出来事じゃないのよ。だって彼はリナのような「悪声」ではなく、台詞も歌もちゃんと及第点の俳優だから。たとえ所属映画会社が時代に乗り損ねて沈んだとしても、ドン自身は実力で他の映画会社に行くことができる。簡単なことではないとしても、致命傷だとは思えないんだよね。
 自分で考えて動けば、決して危機ではないだろうに、なにもせずにひとりで危機に陥った気になっている。
 まあ、所属映画会社を簡単に裏切らない、という設定だから仕方ないけど、それにしてもやはり、ドン個人にはなんともぬるい展開だと思うよ。
 ふたつめの「キャシーとの恋」。これもまたぬるい。誰からも愛される大スターとして出会い、袖にされた。再会して告白、ハッピーエンド。だってキャシーもほんとは、大スターのドンに興味大だったんだもん。告られたら即OKしあわせしあわせ。
 トウコとうめちゃんが細かく演技してるから、ふたりが早々にラヴラヴになるのは納得できる。だからべつに、「こんなの変!」とは思わない。ただ、せっかく「物語」のなかで描くのに、こんなに簡単プーな恋愛でいいのかよ?と思うだけだ。
 ハッピーがウリの作品だし、陽気に雨の中を歌い踊るわけだし、暗い部分を描かず、ひたすら人生お手軽に表現しているんだとわかっちゃいるが、わたしの好みじゃない。ツボのちがいでしょうね。痛みもないまましあわせなだけじゃ、雨に唄われても「いいなあ、即席ラーメンみたいな幸福で」と思ってしまうのよ。

 キャシー、あるいはコズモ主役の方が、「物語」としての通りはよかった気がする。

 キャシーは「女優志願」→「大スターとの恋」→「大女優の吹き替え」→「このまま一生吹き替え役?!」→「大どんでん返し、大スターへの道の確立」と、波瀾万丈。この子が主役ならなんの問題もなくエンタメのできあがりだ。

 今回の舞台を見る限り、コズモは最悪だった。いや、わたし的に。
 というのも「この役、いらねーじゃん」と思ったから。
 映画会社(撮影所、と言っていたな)の人たち、所長@星原とか監督@萬あきら様とか宣伝マン@マリコ弟とかで代用OKの役所。ドンがそのときどきに会話をするだけの存在なら。
 「親友」である意味が感じられなかった。
 なんとも薄っぺらな存在。
 たしかに陽気で華やかなんだけど。でもあんた「親友」じゃないよね? ただそこでにこにこ笑ってるだけだよね? 同じ会社の同僚、昼休みに一緒にごはん食べるだけの間柄、って感じだ。もしくはクラス替えでたまたま最初に席が隣だったとか。最初に口をきいたから、以後なんとなく友だち、でも次にクラスが変わったら二度と会うこともないっていうか。
 ……悪いのはタニちゃんなのか、演出なのか。
 ま、それはさておき、コズモ主役なら、もっと切実だったよ「トーキー時代到来」は。だって彼はなにも持たないからね。しがないピアノ弾き。映画会社が傾けば、職を失ってしまう。裏側から映画を作る若者のひとりとして、物語の中心になることができる立場だ。いちばん大きな出来事を動かしたキャラだしね。

 作品を通して、たのしいシーン、しあわせになるシーンはいろいろある。
 だが、それらはストーリー上のポイントとなるシーンとは無関係だったりする。
 その散漫さが、わたしにはつまらなく思えてしまうんだろう。
 つーかどーして、ストーリー上の転機となるシーンを盛り上げないんだ?? クライマックスをスルーして、ただかわいいだけのシーンを盛大にアピールするんだ?
 観ていて落ち着かない……もどかしい……。

 もっともっと、盛り上げられるのに。

 たとえば、ドンとコズモの関係を「深く」することで、ドンの映画への関わり方のぬるさを解消できるのに。
 ドンが映画を愛しているよーには見えないんだもん、今のままだと。おいしいパイがあるから今とりあえずここに腰掛けしてる、って感じ。
 キャシーに映画と役者である自分を揺るがすよーなことを言われたあと、コズモに「おれはいい役者か?」てなことを聞くよね、ドンが。そしてコズモがそれを肯定して、ドンを救うよね。
 あのシーンをどーしてあんな、どーでもいい描き方をしちゃうのかな。
 あそこをちょっと心を込めて描くだけで、ぜんぜん変わってくるのに。
 ドンが弱音を吐く相手、唯一素顔をさらせる相手。そして、それを受け止めてくれる相手。
 ふたりの友情を描き、なおかつ、ドンが映画と今の撮影所の仲間たちを愛していることを表現しておけよ。どこでもいいなんでもいいからここでスターやってんじゃなく、今ここが、この仲間たちがいいから、ここでスターやってるんだってこと。
 コズモがただのお笑い担当でなく、きちんと「親友」であるならば、必然的にドンの恋も盛り上がるのに。
 コズモに弱音をもらすくらい、痛いことを言った女の子との恋だよ。その痛みが恋になるなら、そりゃあまっとーに「恋」だろうよ。簡単お手軽なレトルト恋愛じゃなく。

 と。
 これはもーたんに、わたしの好みじゃなかったってだけだよね。『雨に唄えば』。
 絵に描いた餅みたいな恋と人生。買ってきたお総菜で晩ごはん的なたのしさ。チープで簡単、とりあえず空腹は満たされてしあわせ、って。

 たのしかったさ。
 わたしはヅカファンで、キャストのファンだからな。
 終始たのしんでいたさ。

 でも。
 まったくもって、萌えなかったよ。

 ……しょぼん。


 失ってから気づくしあわせがある。

 キャトルレーヴのポストカード売り場にて。
 月組のゆーひのカードの隣に、ケロがいない。
 ……そんなことに、さみしさを感じる。

          ☆

 失った、と気づいたのは、ロビーでだ。
 2日連続『雨に唄えば』を観劇した、その帰り道。
 ネックレスがない。
 きっと座席に落ちてるはずだ。
 休憩のときはまだしていたし、ここまで歩いている間に、それらしき音も気配もなかった。きっと芝居を観ている間に落としたんだ。(夢中で観てたから、小さな音や気配なんか気づくはずがない・笑)

 人の流れに逆らい、わたしはひょいひょい階段を上がり、客席へ戻る。

 だが。
 客席の扉を開けようとしたとき、係のおねーさんに止められた。
 それがもー、「必死!!」って感じの止め方。「なにするんですか、アンタ?!(怒)」って。
 はあ? 落とし物したんで、探したいんですけど?
 まだ劇場内には、他に客いるよねえ? トイレに並んでる人もいるし。なのになんで、こんなに血相変えて客を制止するの?

 係のおねーさんは、わたしを廊下に待たせたまま、代わりにネックレスを探しに客席へ入っていった。
 そんなことするより、わたし自身が探した方が早くて確実なのに。

 案の定見つからなくて、おねーさんはしぶしぶわたしを客席へ迎え入れた。

 なるほど。
 あれほど血相変えて客を追い払おうとしたわけだ。

 舞台上では、主要スターを囲んで記者の方々が取材真っ直中でした。

 つーことで、偶発事故にて取材見学できちゃいました。
 わーい。

 つってもわたしはしゃがみこんで、座席の下とかのぞきこんでたんだけど。
 耳と、ときどき目が舞台に向けられてしまうのは、仕方ないっすよ。

 結局ネックレスは見つからず、紛失物の扱いをどうするかで係のおねーさんとこそこそ話し合ってから、客席を出ました。

          ☆

 『雨に唄えば』の感想行きます。

 予備知識のないまま観劇したわたし。
 まずトウコちゃんの「大スター」ぶりにおどろきました。

 大スター様だよ、大スター。
 道を歩けば世間が大騒ぎ、女たち失神、の大スター。
 ……あれ? なんかソレ、最近もあったよーな?
 そうそう、エロール様だよ、エロエロのエロール様。
 彼はたしかに大スターだったよ。
 しかし、トウコちゃんは……。

 ごめん、スターに見えない……。

 最初にまとぶんと腕組んで出てきたときに、「うわ、きっつー」と思ってしまった。
 だって大スター様ったら、小さいんだもの……。
 一緒にいる美女が大きいだけに、その小ささが苦しくて。

 小さいから、スターに見えない?
 否。
 そんなことはない。真の色男は、身長の高い低いなど関係ない!
 身にまとうオーラに、のっぽもチビもない!

 だが、トウコはスターに見えなかった。
 なんでかってーと、その「小ささ」を、姑息にごまかそうとしていたからだ。

 一緒にいる美女が、すっげーささやかな微妙なヒール履いてるのよ。
 高慢な大女優が、あんな貧相なヒールを履くか??
 あれって、トウコの背が低いせいよね? トウコがあと10cm大きかったら、ちゃんと彼女はハイヒールを履いて「キャラとして正しいファッション」をしていたよね?
 キャラを歪めてまで、トウコの小ささを隠そうとしているのよね。
 その卑屈さが、「大スター」としてそぐわないのよ……。
 いっそのことハイヒールを履けよ、大女優! そしたら、男より背が高くても「ああ、ヒールのせいよね」と思えるのに。姑息な手段を執るから、逆効果になるんだってば。

 大スターには見えないけど、トウコちゃんはドンというキャラクターをとても丁寧に演じている。
 心の動きがちゃんとわかる。そしてなめらかだ。
 説得力のある心理変化を見せてくれる役者は貴重だー。トウコちゃんすてきー。
 スターである、という設定さえなければ、真っ当にいい男になってるよ、ほんと。
 ……どーしても「大スターである」ということが、わたしには引っかかってしまうんだが。
 変だなあ、トウコちゃんにはカリスマ性があるはずなのに。五右衛門様のカリスマぶりはすごかったじゃん。なのになんでこんなに地味に……キャラが合ってないせいか??

 とりあえずトウコちゃん、その髪型やめようよ。
 前髪は重要だ。
 君には前髪が必要だ。
 

 まとぶんは怪演。
 ほんと、すっげえなあ。
 男臭い持ち味の男役が演じる女役、というだけでも愉快なのに、そのうえさらにここまでやりますか。
 わたしの目には美形には見えなかったが、ハリウッド女優は顔立ちではなく雰囲気で美女を張るのだ、その点まとぶんは立派に美女だ!
 フィナーレの男役姿の本領発揮のフェロモンぶりといい、いい役者だねえ。
 ……タニちゃんとWキャストで観たかったよ……ほんとに……。まとぶんがコズモなら、もー少しあの役もなんとかなったんじゃないかと思ったりな。

 
 ヒロインうめちゃんは、めちゃかわいい。
 この子、好みっす!
 スタイルいいし、演技も真っ向勝負。
 まとぶんとうめちゃん、とくると、両方男役のよーな感じがしなくもないんだが(笑)、そしてトウコの可憐さが引き立つんだが(笑)、なにはともあれヨシ(笑)。
 キャシーがローヒールなのは、キャラとして合っているから気にならず。ピンクのワンピがかわいー。
 懸念されていた歌も、声が好みなのでぜんぜんOK。がんばれー。
 それと、ものすげえツボだったのは、彼女の胸のライン。おっぱいの形。……きれーだなー、と(笑)。
 反対に、まとぶんの胸の形の悪さは気になった。サイズの合わないブラの、カップの頂点部分がへこんでいるよーな形。胸がないならないでいいから、パット装着するなりして、美しくしてくれることを切に望むナリ。
 

 タニちゃんはかわいい。いつものタニちゃん。なにをやってもタニちゃん。
 2番手にはまったく見えなかったタニちゃん。
 この公演の2番手って、まとぶんだよね?
 タニちゃんはただのその他大勢だよね?
 見ていていちばんきつかった、このキャスティング。
 目にはきれいでいいんだけどね……。

 タニちゃんの唯一の見せ場、2回観た2回とも、音が合ってなかったのは、誰が悪いんだ?
 コミカルで大がかり、そしてとても難しいシーンだと思う。
 プログラムを買っていないわたしには、シーンの名前はわからないが、コズモがスタジオで大暴れしながら歌い踊るシーン。
 木材がコズモのアタマに当たったらしい。……当たったようには見えなかったが、コズモはそれらしいリアクションをとる。そしてそこではじめて、当たったときの効果音が響く。
 ……この繰り返し。ズレまくり。
 当たったらしい、って、当たったように見せてくれよ。コズモも、大道具係役の人たちも。コズモのアタマと木材はとてつもなく遠く離れているのに、当たったことになってるのって、変だよ。
 そして効果音。ちゃんとコズモが木材に当たった瞬間に鳴ってくれよ。衛星中継じゃないんだから、時差があるのは変すぎるよ。
 木材だけに限らず、すべてがズレてる感じ。タニちゃんひとり、ぜえはあ言いながら走り回ってるんだけど、仕掛けと演技と音楽と効果音が噛み合っていない。
 なんかとても居心地の悪い、気恥ずかしさの漂うシーンだった……。
 ここ、うまく決まればすごく愉快で、そのパフォーマンス技術の高さがかっこいいシーンだよねえ。
 ヅカでは難しいかな、こんなの。
 

 そして、じつは出演していることを知らなかった萬あきら様!!
 知らなかったら、ノーマークで見ていて、「あの監督、いいわあ。好きやわあ」と思ってました。
 んで、途中で気づいた。
 あれ、萬あきら様じゃないの?!
 ええっ、そうだよ、萬ケイ様だよ!! 出てたんだ、知らなかったっっ。
 わーん、監督すてきぃぃ。森本レオみたい。かわいい。
 と、フェロモン系オヤジの萬ケイ様がその持ち味をすべて殺して演じる、徹底した小物三枚目オヤジにときめきまくっておりましたが。
 ……萬ケイ様ってば何事ですかっっ。
 2役だったの?!
 映画シーンで、本領発揮のエロエロ中年役も披露。
 うきゃ〜〜っ、すてきすてき!!

 出演しているのを知らなかっただけに、なんか得した気分です(笑)。

 萌えはなかったけれど、たのしく観たのよ、『雨に唄えば』。
 ツボがちがっても、たのしい作品であることはまちがいない。

          ☆

 失ったと思ったネックレスを見つけたのは、劇場を出たあとだ。
 寒いから着替えようとしたときに、下着に引っかかっているのを発見した。ありゃりゃ?

 つーとわたし、取材ただ見したよーなもんか。

           ☆

 ささやかなことで、気づくしあわせがある。

 キャトルレーヴのポストカード売り場にて。
 星組のトウコのカードと、ケロのカードが並んでいる。
 ……そんなことに、よろこびを感じる(笑)。


 わたしが留守をしている間に、大阪では大雨が降っていたらしい。
「ドリフのような雨だった」
 と、WHITEちゃんは語る。

 予定が詰まった1週間の、唯一なにもない1日。
 ……ということで、やたら多忙。雑事に追われる。

 東京からバスに乗って、早朝に帰宅したわけだけど、猫に責められました。
 余裕がなかったので、親の家に預けに行かなかったのね。どうやら彼は丸2日間、ひとりぼっちだったらしい。(1日1回は親が様子を見に来てくれたはずだが)
 わたしの顔を見るなり口やかましく鳴きわめき、そのあとは膝から降りない。……重い。
 しかしわたしは忙しい。なんせ、予定のない唯一の日。猫を膝から落として、ばたばたと走り回る。すると猫も一緒になって走り回る。やれやれ。

 夜にはオレンジと長電話。明日が見えないわたしたちの、明日はどっちだ?!

 
 今回の月組公演をわたしが心から気に入っていることを、周囲の人は怪訝な目で見ています。

 CANちゃんは懐疑的です。
「『ドン・ファン』のどこがいいの? さえちゃん?」
 どーしてそこで、さえちゃんなの? いやもちろん、今回のさえちゃんはとてもツボですが。
 CANちゃん的にはいろいろ思うところがありそうだな。わたしが『雨に唄えば』のタニちゃんに対して思ったことぐらいは、さえちゃんに対して言いたいんだろうな。
 でも大人なCANちゃんは、わたしがさえちゃんを好きなのを知っているので、あえて口にしないのでしょう。
 ……さえちゃんが下手っぴなのは、わたしも認めているからべつに言ってくれてもいいんだが。

 ムラで働いているワゴンねーちゃんも、「今回の公演、出し物が最悪なんだってね! だからお客が入らないのよね!」と言っていたし。
 ……ごめん、おねーちゃん。わたしその最悪な作品が好きで通っているのよ……。
 ヅカを一度も観たことがないし、興味もないワゴンさんは、販売員としての事実だけを語ります。
 今年の雪組の集客率がもんのすげー最悪だったこと、宙組になってよーやく持ち直したこと、それがまた月組になってガタっと落ち込んだこと。
 ええ、ええ、その通りでしょうよ。宙組はあんな作品でも、今の月より盛況だったのよね……なんなんだ、宙組の人気ぶりって??

 まー、なにはともあれ、またしても月組観劇。何回目だ? すでによくわからない。

 今わたしはまた、「センターで観たいハァト」が燃えている。
 昔はそうだったんだけど、あるときから「端でもなんでもいいから、1列でも前で観たいハァト」になっていたの。
 だからここ数年、機嫌良く前方の端っこで観劇していたのね。
 そして今、「後ろでもいいから、とにかく真ん中で観たいハァト」なのだわ。
 『不滅の棘』のACT千秋楽がドセンターで、たのしかったのね……一緒に行ったデイジーちゃんとふたり、その美しさに感動していたっけ。
 んで、探すチケットもセンター限定。
 またそのうち「前で観たいハァト」が燃え出すだろうけど、今はセンターがいい。
 バレリーナのシーンとか、センターで観るとものすげえきれーだよー。暗転する瞬間、客席が映るのもサスペンスを盛り上げてヨシ。

 前方のセンター席で観られたら、なんの文句もないんだが。
 そんなの、運も金もコネもないわたしには無理な話だしねえ。

 ところで今回の『シニョール ドン・ファン』。
 火のない所に煙を立てるやほひ女としましては、ジョゼッペ×レオ以外に萌えているカップルがあるんですが。
 もうそろそろ言ってもいいよね?(笑)

 スティーブ×セルジオ……。

 いやあ、人間どこで萌えるかわかりませんなあ!!(笑)

 天下一品バカ男セルジオの「遊び人だった過去」がポイントです。
 レオと顔見知りであることでわかるよーに、セルジオはホテル「レジーナ・ビアンカ」に勤めて数年は経っているわけよね。
 そしてローサは「若いころ(笑)」にレジーナ・ビアンカのレオの部屋に出入りしている。もちろんスティーブもローサとはいつも一緒で、必然的にレオとも顔見知り。レオ絡みでなくても、おそらく大女優であるローサは、レジーナ・ビアンカを定宿としてよく利用しているのでしょう。
 これらのことから、「スティーブとセルジオも顔見知りである」という事実が導き出されますね?

 スティーブはローサ命。他の女なんか興味はない。されど、情欲処理は必要。
 プロの女でも買おうかな、てなときに、いるじゃないですか、目の前にバカ面さげた、その辺の女よりきれーなセルジオくんが(笑)。しかもセルジオくんてば、「いぢめてムード」全開じゃないですか。足蹴にしたらいい声で鳴きそうな。ほら、鳴くぬいぐるみとか、そーゆー感じ。
 軽く誘いをかけたら、何故かセルちゃん乗ってくるし。なんだ、こいつホモか、と軽い気持ちで手を出したら……ああらびっくり、セルちゃんはべつにホモでもなければ誘いに乗ったつもりもなく、たんにバカで世慣れてなくて、なんにもわかっていなかっただけ、と。
 やっちゃったもんは仕方ない。開き直ったスティーブは手の内をさらしてその後の展開をセルジオに任せる。そのへん彼は誠実。かつ大人。事故を起こしたことは認めよう、償いもしよう、と。
 セルジオは善意の人。誠意を見せられると、なにもかもいい方へ解釈する。「ぼくたち、いいお友だちでいましょう」……と、なしくずしにセフレに突入。スティーブが例に出した「事故」という言葉でまたしても誤解が生じた模様。
 事故を起こすに至ったスティーブのつらい胸のうちなんぞに感情移入して、勝手に盛り上がったセルジオが、「大人の関係」を受け入れるんだ。多少アタマの弱いセルちゃんは、「遊び」とか「大人」とかにあこがれていたので。

 そして、セルジオがジルと出会って「真実の愛」に目覚めるまで、ふたりの「愛のない関係」はつづいていたのだった……。

 どっかうれしそーに、アタマの弱い笑みを浮かべながら「俺も昔は遊び人だったんだ」とジルに告げるセルジオを観ながら、わたしの妄想コンピュータはフル回転しておりましたのことよ。

 セルジオ主役でわたし、1本書けるけどなあ。
 無駄に愛にあふれた彼の物語を。クールなスティーブとの物語を。

 スティーブとセルジオって、ほんと美しいカップルじゃん。
 そこに愛がないあたりも、すっげー美しいじゃん。
 萌えじゃん。
 ねえ?(笑)

          ☆

 ついでに雪バウの発売日でした。

 わたし、よりによって「8番」引いちゃったよ……。
 なんで? なんでこんな、熱意のないときに大当たりを引いてしまうの?
 『血と砂』のときなんか、5人並んで5人全員はずれたのよ? ここ数年であれほど本気でチケット欲しかった公演はなかったのに。

 欲しい公演は当たらず、「どこでもなんでもいいから、1回観れたらそれでいいや」のときに大当たり。

 人生ってそんなもん。

 
 そこは、全寮制の男子校です。
 ダンスや歌や演技を学び、将来舞台人になることを夢見ている少年たちが暮らしています。

 コレナカくんは、相棒のスエトキくんとふたり、今日もダンスのレッスンに余念がありません。
 先生に叱られてしまったのです。
 後輩のユキワカくんとキリネくんの方が成績が良いことで、責められたのです。

 コレナカくんたちが踊っている「バタフライ・ダンス」は、ダンサーふたりの息がぴったり合わなくてはなりません。
 心を通じ合わせ、カラダをぴったり密着させて踊るのです。
 でも、そう簡単にはいきません。
 心を通じ合わせるなんて、口で言うほどたやすいことではありませんから。
 コレナカくんとスエトキくんは親友同士です。それでも、どーしてもうまくできないのです。
 親友でもダメなんだというなら……残る手段はひとつしかありません。
 コレナカくんは、スエトキくんの手を取りました。

 そう、最後の手段。
 親友のボーダーラインを超えて、身も心も結ばれるしか、ないのです。

 これも、芸のためだ。
 愛するダンスと、愛する親友。両方を愛し続けるために……。
 コレナカくんとスエトキくんは、「上になり下になり」してはげみます。
 そう、その姿こそが「バタフライ・ダンス」の真骨頂!! 芸術の極みなのです……!!

「誰だ、そこでのぞき見しているのは!!」

 コレナカくんは鋭く叫びます。
 秘技「バタフライ・ダンス」を練習しているところを、他人にのぞかれるなんて……!! 死より深い羞恥、屈辱です。
 のぞいていたのはライバルのキリネくんでした。学園一の美少年と噂される、小柄で華奢な少年です。
 あくまでも芸事への好奇心でのぞいてしまったというキリネくんに、コレナカくんは容赦しません。理由はどうあれ、キリネくんのしたことは許されることではないのです……。

          ☆

「すずみんといちゃついてるとこをのぞかれて、逆ギレしてたね、ケロちゃん」
「そりゃ怒るだろう……“上になり下になり”してるとこをのぞかれたら」

 見終わったあとの会話でした。

 いやあ、すげえもん観たぞ、『蝶・恋』。
 星組全国ツアー公演、名古屋に行って来ました。

 『蝶・恋』は中国公演のテレビ放送を観ていたんだけど。
 あのときはただ「つまらねー」の一言で、なんの感想もなかった。

 しかし。
 ……すごかったよ、全ツ。すごかったよ、新生星組。
 くだらねーのなんのって。

 あちこちツボに入っちゃって、笑えて仕方なかった。
 ここまでひどい作品も、そうそうないよねええ。
 これから先、ひどい作品に出会うたび「でも『蝶・恋』よりマシだわ」と自分を慰められそうだ。
 それくらい最悪だぞ(笑)。

 たしかに、『夜明けの序曲』とか『虹のナターシャ』とか『ベルサイユのばら』とか『春麗の淡き光に』とか、世に駄作は限りなくあるけれど、『蝶・恋』が無敵なのは、

 ストーリーがない。

 ということに尽きるでしょう。
 芝居なのに、ストーリーがない。ストーリーがなかったらそりゃ、駄作決定だわ。こりゃ一本取られたな。

 そこにあるのは設定だけで、「ストーリー」と呼べるだけのものは存在しないのだわ。

 設定ってのはすなわち、女の子が男のふりをして舞踊を習い、相棒と恋に落ちる。女の子が先に死に、恋人の男が後を追う。……てことな。
 これはストーリーじゃないよ。ただの設定だよ。
 ストーリーにするなら、どーしてふたりが恋に落ちたのか、どうして別れるのか、どうして死ぬのか、どうして後を追うのか、「物語として」表現してくれないと。

 出会い
 愛
 抱擁
 別れ
 涙
 死
 感動

 って、単語だけ羅列して「小説です」と開き直られてしまった感じだ。
 いやあ、これで金をもらえるなら、演出家ってのはいい商売だなあ。

 唯一の救いは、目にきれいであるということ。
 これで『夜明けの序曲』みたいな散切りアタマしか出てこなかったら、終わってたろうねえ。

 ワタルくんはきれいです。檀ちゃんも言うまでもなくきれいです。
 つーか、きれいであってくれ! 美しさですべて誤魔化してくれ! たのむ!!

 祈るような気持ちでした。
 

 「ケロが2番手だー」とよろこんで観に行き、「できたら複数回観たいなあ」と言っていたのが、『蝶・恋』を見た途端「1回で十分だ」と辟易しました。
 ……だって、加筆修正してるっていうからさ。ケロとすずみんの役はオリジナルだっていうし。中国公演のカス作品でも少しはマシになってるかと思うじゃないか。
 わたしが甘かったのね……そうよね……腐っても植田、なにをやっても植田よね……。
 

 ケロとすずみんは、ワタルっちと檀キッキのライバル役でした。つっても、ふたりのすばらしさを表現するためにだけ出てきたアホウな悪役です。
 ほら、誰かを誉めるのに誰かの悪口を言う人っているよね。なにかを悪く言うことでしか、もうひとつのなにかを誉めることができない人。あーゆー存在。
 ケロとすずみんがどれくらい下劣でアホウで非常識であるかを見せつけて、主人公カップルを持ち上げてるの。
 この4人の教師役がいるんだが、その人の誉め方と叱り方に、この作品のテーマっちゅーか、書いた人の人間性が見える感じですよ。
 比較対象として出てきたケロとすずみんは、あくまでもただの比較対象なので、本筋には関係ありません。つーか、いらねーキャラでした。
 わざわざ時間を割いて登場させてるんだから、本筋に絡ませればいいのに……って、あっ、そうしたら「ストーリー」を作らなきゃならなくなるから、面倒くさくて嫌だったのかな。

 作者のことはバカだと思いましたが、とりあえず、ケロ&すずみんの役どころは、抱腹絶倒でした。

 そう。
 初演がタータンだったからつい、失念していたけど、こいつらってまだ若いんだよね?
 女の子が男装して潜り込めるってことは、まだ少年なんだよね、みんな。ヒゲがなくてもOKな年齢なんだよね。のど仏がなくてもOKな年齢なんだよね。
 ワタルっちを見ていても「少年」てのはぴんとこなかったんだが、ケロちゃんの役作りがみょーに若くてさー。
 あれ? ケロちゃん、少年のつもりで演じている??
 ケロ=おっさん、という先入観があるからとまどったけど、彼はちゃんと青い演技をしている。
 そこではじめて気が付いた。そっかこいつら、まだ少年なんだ。プロになる試験がどうのこうの言ってるし……つまりコレ、音楽学校なんだ!!
 ダンサーを目指す少年たちの、全寮制男子校!!(笑)

 彼らの卒業課題ダンスが、エロい曲でね。「上になり下になり」「胸を合わせて」「身も心も通じ合わせて」踊らねばならんのだよ!!
 男ふたりで、「上になり下になり(歌詞)」ですよ。
 そこがうまくできない、と、みんな悩むのですよ。
 爆笑。
 だからふたりっきりで特訓ですよ。上になり下になり。ワタルっちと檀キッキは、このシーンを踊ったあとに告白→両想い、ラブシーン突入っすよ。つまりはそーゆー振り付けなわけだな。

 ケロとすずみんは、そこの練習を檀ちゃんにのぞかれて、逆ギレするのですよ。
 ……そりゃー怒るだろう。恥ずかしいもん。

 ケロちゃんなあ。うまいよなあ。
 あんなどーでもいい役なのに、リアルに演じてます。
 「少年」として確立させてるよ。
 台詞だけなら嫌な奴なのに、ガキゆえの激しさと狭量さ、という人間像が見える。ガキだから余裕がないから、暴走してるんだな、ってわかるよ。しかも先生があんな低人格者だから、そんな男に教育を受けていればこれくらいひどいことを言うようにはなるか、って感じ。
 すずみんは台詞もあまりなく、ケロに追従しているだけなので、よくわからなかった。ケロの後輩の役なんだろうね。先輩命!って感じ。

 ところで、ワタルっちは「上になり下になり」を踊ったあとで檀キッキが女だと知り、告白に至るわけだが。
 もともと檀ちゃんを愛していた、ということだから、つまり彼はホモだったわけだ。女だったからラッキーラララと浮かれてやがるが。

 さすが全寮制男子校だ。
 生徒は全員ホモか。

 あちこちおかしくておかしくて、爆笑をこらえるのに苦労したが、さすがに吹き出してしまったのが、ラストだ。

 墓が割れるんだもん。

 目を開けたままうつらうつらしていたのに、一気に目が覚めた。
 効果音と共に、檀ちゃんのお墓が縦割れまっぷたつ!!
 そこから呪いの声が……!!

 わたしと隣のCANちゃん、WHITEちゃんが同時に声をあげて吹き出しました。
 すげえ。
 おもしろすぎる。

 いつの間にホラーになったんだ? ワタルっち、墓に向かって投身自殺するし(どうやったんだ?)。

 ストーリーがないから、ふたりの別れも檀ちゃんの死もワタルの死も、必然性がなくてめちゃくちゃです。彼らの社会的な立場も、ここまでくるとなにがなんだかわかりません。
 すべてが悪夢のようです。

 ま、とりあえず演出のひどさに爆笑し、きれいな人たちをいっぱい見ました。
 ……てとこですか。


 前日の日記の、この世に駄作は限りなくあるけれど、の例のところに、肝心要なものが抜けていました。
 『春ふたたび』。

 ストーリーはあるけれど、主役の設定はまちがっているし、見た目にも美しくないので駄作ランクの最高峰に位置する1作です。
 いや、他の駄作たちも甲乙付けがたいんだけどね。あっ、『皇帝』とかゆーのもあったな。『国境のない地図』とかゆーのもあったか。『紫禁城の落日』とか。考えてたらいくらでも思い出しそうだ。……思い出したくもないのに。

          ☆

 さて、星組全国ツアーの話のつづき。
 芝居は語るだけ精神衛生上悪いので、ショーの話。
 何回焼き直ししたら気が済むんだ? そんなにコレ名作か??と、作者を(笑顔で胸ぐら掴んで)問い詰めたい気持ちが満々だったりする、『サザンクロス・レビュー3』。

 痛烈に思ったことは。

「ケロに歌手をさせんぢゃねえ(怒)」

 
 そりゃわたしはケロファンだ。ケロがいるからこそ、はるばる名古屋くんだりまで行ったさ。ケロが2番手だー、と浮かれていたさ。
 しかしな。
 ファンでも知ってるんだよ、ケロちゃんの歌は、そのー、なんだ、かなり不自由だってことはな。

 その昔。
 雪組『エリザベート』の新人公演でのことだ。
 わたしはそりゃー、はらはらしながら見守ったさ。歌がアレなケロちゃんが難役フランツ・ヨーゼフをやるっつーんで。
 たまたまチケ取りのとき前後に並んでいたおばさまが同じくケロファンで、ふたりで盛り上がって観劇したさ。
 ケロ演じるフランツ・ヨーゼフはそりゃー「いい人」で、そのあたたかい演技に感動し、手に汗握っていた歌も、演技の一環として聴くとなかなか味があったてよかったのだわ。
 だからわたしは「やったわ江上さん、素敵!!」と瞳をきらきらさせておりましたよ。当時はわたし、ケロちゃんのことを「江上さん」って呼んでたからな。
 隣の席のおばさまと、感動を分かち合おうとしたら、彼女はすっぱり言ったさ。

「汐美真帆ちゃん、歌下手だし、声が変だからファンやめるわ。これから未来優希ちゃんのファンになる!!」

 ちゅどーーーん。
 わたしは一撃で吹っ飛びましたさ。
 そ、そうか……。下手か……変か……。そうだよな、その通りだよな。言い返せないよ、ママン。
 それまで好意を持っていた人さえ見放してしまうよーな歌声。
 それがケロだということは、よーっくわかっている。

 ヅカのおそろしいところは、下にはいくらでも下がいて、相対的に見るとケロはべつに「すごく下手っぴ」とまではいかないことなんだがな。しかし、「決してうまくない」し、まかりまちがっても、「歌手なんぞをしてはイカン」のだ!!

 つーことで、あちこちつらかったわ、『サザクロ3』。

 わたしはファンだから、ケロちゃんの声を聴けるだけでうれしいので、歌ってくれるのは歓迎だ。
 ショーの一部分、踊りながらとかならな。
 しかしな。

 踊るトップコンビの横でひとりで歌う、ちゅーのはどうよ?
 それって「歌手」の役目だよね?
 月組で言えばきりやんとかちずさんの役目だよね?

 つ、つらい……愛があってもつらいわ、その歌……。

 歌の得意な下級生抜擢すればいいのに。
 これほどまでにケロちゃんの歌を下手だと思ったのははじめてのことよ。
 ……まあ、エトワールが檀ちゃんなんだから、ケロが歌手でもぜんぜんOKか。不思議な組になったな、星組。

 ケロを中心に観ていたので、ケロの印象ばかりっす。
 だってケロちゃん、たのしそーなんだもん……。
 そうだよね、ショーってのはそういうもんだよね。
 ショーと芝居通して1度しか笑わない(芝居の最後、1回きり!)どっかの誰かさんになんか言ってやってくれよ。ふてくされたよーな顔で扇振り回してるクールビューチーの彼だよ。
 大劇場で笑わない男ばかり見ているせいか、ケロちゃんの全開の笑顔がまぶしくてまぶしくて。
 ケロちゃんのたのしそーな顔を見ていると、こちらもほっこり癒されますわ……。

 しかし。

 ワタ×ケロ萌えなわたしとしては、黒燕尾でワタルくんとエロエロに絡むシーンは今回のいちばんの期待だったのだよ。
 CANちゃん曰く。
「ケロちゃんがワタルを腕の中で“転がして”たよ。見た瞬間、ああ緑野の好きそーなシーンだ、と思ったわ」
 転がしてた? く、黒燕尾でですかっ。
 わくわくっ。

 ええ、CANちゃんがスカステで見た通りの、わたし向けなシーンがありました。
 トップと2番手の男同士のエロダンスです。
 双方端正な黒燕尾に身を包み、ふたりっきりでライトをあびて絡んで踊るのです。
 知っての通りワタルはガタイが良すぎて、そしてケロは小さすぎて、ワタルの後ろにケロが立つと、完全に隠れてしまいます……(笑)。
 どーやらケロが攻のよーです。腕の中にワタルを抱いて、くるくる相手役として回してます。転がしてます。
 いいなあ、野郎臭い男役ふたりで。

 問題は、ケロの「表情」です。

 ケロちゃん……なんであんた、そんなにうれしそーなの……。

 耽美なのよっ?! イケない、アヴないシーンなのよっ?! エロエロなのよっ?!
 なのになんであんたそう、うれしそーに笑ってんのよーっ。

「うれしいからじゃない?」
 と、CANちゃんはめーっちゃ素で答えてくれました。
 ……うん。
 うれしいんだと思う、わたしも。
 ワタルくんとエロエロに絡めて、うれしいのよね? つーかそもそも、舞台に立つことがうれしくて仕方ないのよね? わかるよ。わかるけど。
 いちおー、ワタルっちと絡むところはマジな顔してるんだけど、離れて踊るときはまた全開で笑ってたり、うれしそーに口角が上がってるのよねえ。

 黒燕尾くらい、歯を見せずに着ろ。

 いや、そーゆーとこも好きだけどな(笑)。

 
 ワタルくんは堂々たるトップぶりでした。
 今の路線を崩さずに、いい男でいてくれ。男臭い男でいてくれ。いつまでも大漁旗とふんどしの似合う男でいてくれ。

 檀ちゃんもきれーでした。歌はありゃありゃだけど、声質がいいからまだヨシ。
 でも黒塗りよりも、ふつーに美女を見たかったなあ。

 おどろいたのは、すずみんが完全3番手だったこと。
 ……そっか、ねったんもかよちゃんもいないんだもんな。まとぶんが日生だからって、すずみんがいきなり3番手だよ。センターでがしがし踊ってるよ。
 すっげー違和感……。
 つーか、すずみんだけでなく、他のキャスティングにもいちいち驚かされた。
 組長、あなたなんでそんな位置で踊ってんですか? んでもって、そのものすげー拍手はなんなんですか? 観客がカンチガイするよーなポジションにいるのはどうかと思いますが……。
 高央りおにもおどろいた。「スター!!」って感じに登場するから、目を疑ったよ。

 人、いないんかい、星組……と、マジで思いました。ごめんね、古くからの星ファンの方々。

 でもそれくらいなら、れおんくんの露出を増やして欲しかったわ。
 あと、嶺恵斗くん! ショーでのめっけもんは彼だー。

 
 名古屋市民会館は、とてつもないホールでした。
 客席、4階まであるんだもん。
 うれしがって4階まで上がってみたんだけど(エスカレータもなし! 古いエレベータが1機のみ)、1階席の人々が蟻のようでした。高いわ……。
 高所恐怖症の人は使えない座席だわよ。
 1階もやたら広くて、30列以上ある。すげえ。
 1階後方席は段になっているのだけど、前方席ほど傾斜がゆるやか。なので、わりに前の方にいたわたしたちは、前の人の頭が微妙に視界を遮ってくれました。

 
 ここは星組。今観ているのは星組。
 わかっているけど、なんか変な感じ。

 真ん中にいるのがワタルだし。横にいるのが檀ちゃんだし。
 なにより、ケロがいるし。

 そして……。

 ケロの周囲に、「スタイルの悪いゆーひ」と「スタイルのいいきりやん」がいるしさ。

 なんか、不思議だ……。


 両目にものもらいができました……。
 誰にも会いたくありません。「わたしは醜い」とお岩さんごっこしたい気分です。

 わたしは疲れるとすぐ粘膜にきます。口内炎と、ものもらい。
 せっかく口内炎がなおったとこだってのに……。

 いいタイミングでオレンジから電話がかかってきたので、機嫌良くお喋り。外に出たくない日の電話はありがたい。

 ついでに風邪も引いていたので、電話しながら熱を測ったら7度5分でした。……まあ、動ける範囲の熱だ。
 まだ明日、明後日と予定が詰まっているので、寝込んでいる場合ではないのだ(笑)。

 前期のドラマ『高校教師』の主役は京本政樹だったよね? ということで、わたしとオレンジの意見は一致。藤木直人はダメダメすぎ。
 しかし、京本が愛していたのはソニンだとかどっかの女だとかではなく、あのホストの男の子だったらよかったのにね。
 ホモだからとかじゃなく、ホストの男の子の持つ影と京本の抱える影とをきちんと描けば、痛くて深い物語になったのにな。
 なのにあのホストってば、ただの薄っぺらなバカで終わってしまった……なんて楽ちんなオチ。

 ところで、藤木直人の生死に関して、わたしとオレンジの意見が正反対だったんですが。
 世間的にはどうなの?
 オレンジは死んでいると言い、わたしは生きていると言い。
 わたしは、物語の構成からいって、「藤木は不治の病である」という大前提で引っ張ってきた物語を、ラストでひっくり返して完、という骨組みになっていたんだと理解していたんですが。大前提自体が、最後への伏線、というか。もちろん「をいをい」という気持ちも含めて。
 オレンジは、「最後にひとりで百合の花を持って立っていたから、死んだと思った」とのこと。
 わたしはそれ、フェイクというか、余韻の部分だと思ったなあ。全員に「なーんだ、生きてんのか」と思われるのが嫌だから、わざと「死んだの?」ともとれるようにしているのかと。
 最終回の女医さんの「実は助かるのよ!!」とゆー変貌ぶり(このへんがどんでん返し)とかを見ていると、これで死んでたら意味がなさすぎるからなあ。
 まあ、わたしが最初から「不治の病」を疑っていたせいもあるかもしれない。
 藤木の病気は嘘で、すべてあの女医さんが仕組んだことかと、ずーっと疑ってたからな(笑)。どうせなら、それくらいやってほしかった。女医>藤木>上戸でだましあい。

 ま、それほど熱く語る意味もないヘボいドラマでしかありませんでしたが。
 設定だけはよかったのに……。

 わたしは今も昔もドラマオタクですが、オレンジがちっともドラマを見てくれないので、昔のようにドラマ語りができなくてさみしいです……。
 そりゃ、おもしろいドラマ自体、壊滅状態だけどさ……。

 
 ごめんなさい、わたしはここにいるべきではありません。

 ……とゆー気がして仕方なかった。
 映画『8Mile』。

 予告編を見る限りはおもしろそうだった。
 つーかあの予告、いいのか? 映画本編を見る必要もないくらい、起承転結全部見せてくれてるんだけど。
 ま、ストーリーなんてお約束通りだから、予告でオチまで教えてくれているからといって、どうということはないのかな。
 青春映画たるもの、マンネリ上等、ワンパタ上等、ってことよね。

 ずいぶん前から予告ばかり見ていたので、てっきりとっくに公開しているんだと思ってたよ。来週から公開なんだね。

 監督カーティス・ハンソン、出演エミネム、キム・ベイシンガー、ブリタニー・マーフィ。

 予告であおりまくってくれている通り、フリーターをしながらスターを夢見る青年の青春映画。
 鬱屈した日常。夢はあるけれど思うようにはいかず、現実に足を絡められて泥まみれ。気のいい仲間たち、美少女と出会い、恋、そして、やってくる成功への足がかり。人生を変えるのは今、そして、自分自身。……てか。
 正しく青春映画。ストーリーだけなら5万回は見た。
 主人公の姿に、自分を重ねる若者も多いだろう。
 
 しかし。
 問題は、この使い古された物語がネタにしているのが、「ラップ」だってことだ。

 わ、わかりましぇん。

 わたし、英語、ぜんぜんだめなの。
 まーったくわからないの。
 だから、この映画もぜーんぜんわからなかったの。

 主人公くんたちは、ラップで戦うのよ。剣で決闘するように、「言葉」で戦うの。それに勝てば名誉なのよ。それこそ、騎士が剣で名誉を勝ち取るように。

 「ラップ」というのが、そーゆーもんだとは聞きかじっていたし、日本でもそーゆーバトルをしている場所と人たちがいることも、聞きかじってはいた。
 だから相変わらず予備知識なしで見はじめて、「ああ、ラップ・バトルなのか」と納得はしたけどさ。

 なんせ、「言葉」だから。
 英語がわからないと、なにもわからないのよ。

 字幕は出るけど、出るから余計混乱する。
 字幕を読むだけじゃ、どうしてそんなことになるのかわからないの。

 バトルだから、1対1で戦うの。マイクを持って、相手を「言葉」で叩きのめす。

 たとえば、「あかさたな、はまやらわ!」と対戦相手が歌う。観客、大喜び。
 ……はぁ?
 それに対し、エミネムくんが「隣の客はよく柿食う客だ」と歌い返す。観客、狂喜乱舞。
 ……はぁ?
 この勝負、エミネムくんの勝ち!!
 ……はぁぁぁあ?!

 って、感じ。

 彼らのあやつる「言葉」はきっと、韻を踏んで何重もの隠喩やら装飾やらをまとい、そこに生きる者たちならば「うまい!」と感心するような即時性のある仕掛けを限りなく詰め込んだものなんでしょう。
 それを、相手の言葉を受けて即興で返すわけだから、観客も感動するのでしょう。

 でもな。
 それらは字幕にはまったく表現されないのよ。
 不可能ですわ。

 どんなにすばらしい「言葉」も、字幕では「隣の客はよく柿食う客だ」にしかならないのよ。
 「隣の客はよく柿食う客だ」で、スクリーンの中の人たちが大感動するのを見て、外にいるわたしはどんどん冷めていったよ……。

 ごめんなさい。
 わたしがここにいるのが、まちがいです。

 目に見えないパンチで戦うエスパーたちを、ただぼーっと眺めていたよーな。
 観客たちみんなには見えているのに、わたしにだけ見えない……疎外感……。

 ストーリーは5万回見たよーな、陳腐な青春映画。明るく軽くするかわりに、暗く重く、どこか救われない雰囲気なんか漂わせて。あ、日本映画によくある感じだ。文芸作品を目指しました、ってやつな。
 ストーリーがありきたりな分、差別化している部分はこの「ラップ映画」だってこと。
 だが、その差別化部分が理解不能ってのが、つらい……。

 ホールにいた人々は、たのしめたのかしら。
 わたしと同じように、エスパーさんたちの戦いをぼーぜんと眺めていた人たちは、どれくらいいたのかな?

 若い人たちは、エミネムくんの映画だってだけで、OKなのかな。
 それとも、あの「隣の客はよく柿食う客だ」きゃーきゃー、素敵ー!! という展開に、ちゃんとついていけたのかしら。
 わしゃばばあだからわからん……。

 いい映画なのかどうかすら、評価不能。
 日本語でないとわかんないす……。

 いや、主題歌はよかったし、全編機嫌良く音楽は聴いていたけどさ。
 ……音楽だけ聴きに行ったのか、わたし……?

  

つぶやき。

2003年5月16日 その他
 背中を押して欲しい。
 と、切実に思う。

 オレンジと電話でそんなことを話していた。

 わたしもオレンジも身がすくんでいて、歩き出すことができずにいる。
 いや、幾度となく歩き出そうとしたが、そのたびに転び、その痛みが消えないものだから、次の一歩をこわがっている。

「上質な萌えが欲しいね」
「萌えがあれば、踏み出せるのにね」

 萌えはオタクの命だ。
 ホモ萌えのことじゃなくてね。
 自分がココにいる意味、みたいなもの?

「とりあえず、オギーに期待かな」

 来週オギーの舞台を観に行くのだが、そのときに求めているモノに出会えるかもしれない。
 オギーなら、わたしの背中を押してくれるかもしれない。

 オギーの舞台には、ホモ萌えはまずないので(笑)、真っ当に「生きるための萌え」を期待しているよ。
 我が家の今日の事件は、猫の毛並みについてだ。

 ことのはじまりは、昨夜。
 オレンジと電話していたわたしは、猫が目の前を横切っていくのをなにげなく見ていた。
 そのときに、気づいたんだ。

「色、白い」

 色というのは、猫の毛の色のことだ。

「あれ? なんか、色が白いっていうか、薄い。あれ? なんで??」

 電話口で、本能のままに叫んだ。

 うちの猫は、一見アメショーである。
 正確には、アメショーとチンチラのハーフである。
 顔と体格がチンチラで、毛の柄はアメショー。ショートヘア、というにはちょっと長い毛並み。

 つまりアレだ、ホワイトタイガー。
 白いカラダに、黒いシマ。

 なのにふと、気づいたんだ。
 たしかにあったはずの黒いシマが……なくなっている。

 あれえぇぇえ??

 この発見を、今日他の家族に話した。

「ほんとだ、たしかにシマがなくなってる」
「いつから?」
「背骨に沿って黒い線があったよね? アタマからしっぽまでつながる長い長い線。消えてるよ??」
「毛の模様って消えるもんなの?」

 背骨の上を走る縦のトラジマはほぼ消えている。
 それに垂直に左右に連なる横のトラジマは、薄くなっている。ほぼグレーだ。
 毎日見ているだけに、変化に気づかなかった。

「なんか、だまされたみたい……。ボーダー模様のシャツを買ってきたのに、1回洗濯したら模様が全部消えちゃった、みたいな」
「この子がうちにきた最初は、模様がすごくはっきりしてたよねえ。おなかの両脇にある目玉みたいな模様とか」
「アメショーの証、みたいな目玉模様。ほんとに虎みたいにシマがくっきりしてたのに」

 黒かったはずのシマがグレーになってしまった今。

「使い古しのぞうきんみたい……」

 弟の表現が、いちばん的を射ていた。

 そう。
 美しさを誇ったはずのうちの猫は、気が付いたらぞうきん色の毛並みの猫に成り果てていた……!

 白とグレーの混ざり具合がもー、まさに「汚れたぞうきん」!!
 シマだったのに! トラジマだったのに! こんなまだら模様じゃなかったのに!!
 何年か前、大劇場の売店で「ホワイトタイガー」のぬいぐるみを「うちの猫に似てる」って理由で買ってしまうくらい、きれーなシマが自慢の猫だったのに!

「見た目がいいのだけが取り柄の猫だったのにな」

 我が家の歴代の猫たちの中で、今の猫がもっとも美しかったのだ。
 ただし、外見の美しさと反比例して、歴代の猫たちの中で「もっともバカ」なのだが。
 のーたりんでも、きれいだからゆるされていたのに!!

 今じゃ、ぞうきん猫……。

 何故だ?
 あの美しいトラジマはもう返らないのか?!

 
 3人で暮らしていたときは狭かった家も、ひとりで暮らすと空間が余る。

 そのいくらでもある空間の中で、わざわざ、わたしのそばを選んで丸くなる猫に、愛しみを感じる。
 そうか、お前、わたしのそばがいいのか。

 ……ただ。
 寝返りを打った途端、猫の背中に顔が埋まると、ショックだわ。
 ……吸い込んじゃったよ、息。猫の毛ごと。

 
 今日はダメダメでした。

 行くつもりのなかった月組千秋楽。MYソウル・フレンドかねすきさんがやってくるというので、急遽ムラへ出向きました。

 が。
 体調最悪。
 サバキ待ちの途中でリタイア。坐り込んでました。……も、公演を観る気はきれーに失せる。
 いつもの貧血です。
 ここ1週間、微熱が下がらないのを放置していたせいかな。
 ただの貧血だから、時間が経てば治るんだけどね。
 思考は元気だし、口も回るんだけど、立っていられない。……サバキ待ちで倒れたりしたら、恥ずかしくて2度とムラへ行けなくなってしまう(笑)。つーことで、ずーっと坐りつづける。
 食欲がないので、水分だけ摂りつつ、ただ坐りつづける。

 サバキはけっこー出てました。需要と供給が釣り合っている様子。開演5分前にはサバキゾーンがすでに閑散としていた。
 わたしが足を引っ張ったせいもあるでしょう。サバキゲッターのかねすきさんが敗北してました。すまんな、景気悪い顔で坐り込んでて……。しょぼん。わたしはともかく、かねすきさんは遠方から来ている人なので、公演が観られないのは気の毒だ。

 とゆーことで、あとはえんえんかねすきさんと喋っていた。
 ……わたしの目的はかねすきさんとデートなので、わたし的にはそれでいいんだけど。
 とにかくわたしが立てないので、ずーっと坐って喋るだけの時間が流れる。

 途中から、かねすきさんのお友だちも加わった。
 わたしとはほぼ初対面。ほがらかで魅力的なお嬢さんだ。女好きのかねすきさんのお友だちは、みんなそれぞれかわいらしい人なのだ(笑)。
 3人でタカラヅカの話をえんえんしていたんだが、つい一度「受」という専門用語を口にしてしまったわたしは、あたふたと手を泳がせた。いかんっ、ふつーのお嬢さんの前で、わたしったらなんてことをっ。……ふつーの人には通じなくて、そのままスルーしてくれたよーで、胸をなで下ろしたよ。はー。
 ペンネームの名刺しかなかったのでそのお嬢さんにそれを渡したら、かねすきさんに、
「あれほどペンネーム知られるの嫌がってたのに、いいの?」
 と、確認された。……いいのよ、彼女はパソコン持ってないし、それ関係はまったくわからないって言ってたから。ネットでわたしの名前を検索することもないでしょう。と、咄嗟に計算するわたしなのだ。ふふふ。
 お友だちひとりGET。それなら貧血も意味があったかしら。

 公演が終わったあとは、かねすきさんと別れ、かわりにキティちゃんと合流して、ふたりでえんえんお茶をしてました。
 とゆーのもわたしがやはり、立ち上がるとふらついていたからだろう。キティちゃんに気を遣わせちゃったなあ。
 気分はとても元気なんだが、とにかく立てないんだわ……。気を抜くと倒れる。膝が抜けるんだよね。トシだわ。

 キティちゃんと「服装の派手さ」について話したんだが。
 ねえ、ふつーの人って、「スパンコール」のついた服、着る?
 そして「スパンコール」のついた服って、ふつー?
 スパンコールが「ほんの500枚」ほどついたショッキングピンクのアンサンブルを着ていたキティちゃんが、「こんな服、地味よね」と言ってはばからないので、わたしは納得がいかないのだ。
 スパンコールつきのショッキングピンクだよ? どの口が「ふつー」と言うかね、この女は(笑)。
「ジェンヌを見なよ、何万枚のスパンコールがついた衣装着てるよ? これっぽっちのスパンコール、地味だって」
 ……あんたはジェンヌじゃないし、ここは舞台でもないんだが?(笑)

 どこにいても、遠目でもわかる人だよ、キティちゃん。

 結局1日喋り倒してたわけだ。
 何も食べず、水分と薬だけで何時間喋ってたんだろう……ダメじゃん。

 
 ライバルはあの女たちだ。
 そのときわたしは、そう思った。

 あれはわたしが18か19のころ。
 友人たちと、あるクイズ番組の予選に参加した。

 たしか『MR.ロンリー』とかいう名前の番組だった。
 クイズに答えるのはひとりの男性で、3人ひと組で参加している女性グループが彼を応援し、彼の成否によって得られる賞金が変わってくる、という内容だったと思う。
 ……実はわたし、その番組見たことなかったんだわ。でも、友人のヤマダさんから、予選に出る資格を得たから一緒に出る仲間を捜していると持ちかけられ、一も二もなく承諾した。たんに、おもしろそうだったから。

 ヤマダさんと光田さんとわたしの3人で、いざ予選へ。なんとか勝ち残って、テレビ出演するんだ!!

 当時某テレビ局でサクラのバイトをしていたが、「客」としてテレビ局へ行くのははじめてだったので、とても神妙な気分だったのをおぼえている。バイト先とはちがう局だったしな。
 会議室のよーなところに集められた大勢の女たち。千差万別。
 そこからランダムに分けられたグループによって、予選が行われたわけだ。

 10組ぐらいがひとつの部屋に集められた。
 選考課題は3つ。自己PRと、男性への激励の言葉を言うこと、問題文の朗読。
 わたしは喋ることは大好きだし、朗読は子どものころからいちばんの得意分野だった。男性への激励とやらも、照れを廃して情感たっぷりに言うだけの覚悟を決めていた。

 1組ずつ代表ひとりがみんなの前で喋らされるのだが、わたしの目には取るに足らない人々に見えた。
 だってみんな、おもしろくないんだもん。なんてふつーなの。彼女たちの話には、ユーモアも自己主張もなにもない。新しいクラスになったときの自己紹介みたい。名前と以前のクラスをぼそぼそ言うだけで席に着いてしまうような。
 聞いているだけであきてしまう。

 そんななか、1組だけ個性を持ったグループがいた。
 その人たちは、ひとめで「変」だと思えた。
 どこから見ても完璧に「おばさん」なのだが、格好が妙なのだ。
 マンガの絵のついたトレーナーを着ている。ディズニーとかじゃなくて、ロボットアニメのキャラクターとかだ。子ども向きじゃなく、いわゆる「美形キャラ」ってやつ。かまっていない髪型に、眼鏡。小太り。
 他のひとたちはみんな、テレビ出演の予選である、ということを意識してきれいな格好で来ているのに、そのグループだけはどっから見ても普段着だった。
 会場に入ったときから「なんか変な人たちがいる」と思ってはいたが。

 いざ予選になると、その変なおばさんたちは、ものすごいアピール力を発揮した!!

 喋る喋る。
 プロデューサーだかなんだか役職は忘れたが、試験官の男性を笑わせまくる。

 強敵だ。
 てきとーにきれいで、てきとーに澄ましているふつーの人たちとは、明らかにチガウ。

 ライバルはあの女たちだ。
 そのときわたしは、そう思った。

 さて、わたしたちの番が来た。
 わたしはグループの代表として、立ち上がってグループの紹介をする。女子大生であること、同じクラブに入っていること。
 そして。
 ここからが本番だ。

 いかに笑いを取るか。

 わたしは自分が「ぶさいく」であることを知っていた。
 だから、ネタには最適だった。
 わたしは自分の顔をネタにして、一気に笑いの世界へ突入した!!
 笑わせてやる! わたしの言葉のひとつひとつで、ひとの気分を操ってやる!!
 かかってきな!
 ……てなもんで。
 場内を笑いの渦に落としました。

 いやあ、一世一代の喋りでしたよ。自画自賛。……自分のぶさいくぶりがネタってのが、かなしーですが。

 自分の役割を全部果たし、着席したわたしのあとに、愛想のいいぽっちゃり美人のヤマダさんが問題文の朗読をする。彼女にはなんの問題もない。
 最後に問題文を読む光田さん。この子は完璧に美人でプロポーションも抜群なのだが、人間嫌いの男嫌い。このときも眉間にシワを刻み、世の中すべてを呪っているよーな不機嫌な顔で立ち上がった。
 ……ここはひとつ、ネタを仕込むか。
 不機嫌に問題文を朗読する光田さんの背中を、指でいたずらした。
 彼女は背中がウイークポイント。背中を触られると、ミステリドラマの被害者のような悲鳴をあげてうずくまるのだ。
 このときも、見事な金切り声をあげてうずくまった。
 おかげでまた、場内爆笑。
 光田さんには涙をためた目でにらまれたが、わたしゃ知らん顔。
「背中が弱いんです」
 と光田さんはわたしにいたずらされたことを試験官に訴え、さらに周囲にウケられていた。真面目だからこそ、おかしい姿だったのよね。彼女が完璧な美人なだけに。

 わたしはそのとき、勝利を確信した。

 人好きのする美人とクール系美人(背中が弱点)と、お笑い担当のブスのトリオだ。キャラが立っていていいじゃん? しかも現役女子大生だ。

 マンガ絵のトレーナーを着た変なおばさんたちになんか、負けるもんかっ。

 さて、結果は。

 勝利も敗北もありませんでした。
 番組が、打ち切りになったのです。

 ははははは。

 もしあのまま番組がつづいていたら、出演できたんじゃないかなあ、と、捕らぬタヌキは皮算用。勝手にうぬぼれております。
 いや、笑いを取れればそれでOKな番組だったかどうかは知りませんが。なんせわたし、ついに一度も番組を見ることがなかったもんで(をい)。

 そして。
 あのときはわからなかったけれど、わたしが勝手にライバル視していたおばさんたちは、いわゆる「オタク」だったのだと思います。
 たぶん、今のわたしと同じくらいの年齢でしょう。18のわたしの目にはものすげーおばさんに見えたけど。

 でもな。
 当時のわたしは、30過ぎた「オタク」がいるなんて知らなかったのよ。
 オタクってのは、大人になったら卒業するものだと思ってたの。
 だからあの「どっから見てもコミケでカートを引きずっていそうなおばさん」を見ても、オタクだと思わなかったの。
 …………幼かったわ、あのころのわたしって。

 まさか自分が、あのとき辟易した「オタクなおばさん」になるとは思わずにな。

 ああ、人を呪わば穴二つ。
 厨房笑うな来た道だ、オバ厨笑うな行く道だ。
 ……いや、少なくとも見た目だけは、「終わっている」おばさんになりたくないんだが。くうぅ。

 昨日に引き続き、体調悪し。
 寝たきりで陽が暮れる。

 ベッドでえんえん本を読んで過ごしたもんで。
 そっからの連想で、昔の記憶が蘇ってきたのよ。そうそう、こんなことがあったっけ、と。

 
 『ロード・オブ・ザ・リング』をまだ見ていない、と言ったらオレンジに叱られた。
「あれほどしょっちゅう映画を見ていながら、『指輪』を見ていないなんて!」と。

 なんで見てないかって?
 答えはひとつ。

 ……長いんだもん。

 簡単には見に行けないよー。丸1日空けないとイカンじゃないかー。

 つーことで、よーやく腹くくって見に行きました。

 んで、感想。

 長かった……。

 『ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔』、監督ピーター・ジャクソン、出演イライジャ・ウッド、イアン・マッケラン、ヴィゴ・モーテンセン。

 3つに別れてしまった旅の仲間たち。えーと、本筋は指輪を持ったホビットのフロドと、その従者のサムよね。彼らは当初の目的である、「こんな指輪あっちゃイカン、捨てに行くぞ!」の旅をしている。彼らのパーティには指輪の前の持ち主のゴラムが加わり、さらに前回お亡くなりになったボロミアの弟ファラミアに出会ってすったもんだ。
 前回さらわれたホビット2匹は、自力脱出、迷い込んだ森で木の人と出会って彼らと行動。
 人間アラゴルン、エルフのレゴラス、ドワーフのギムリはクラスチェンジしたガンダルフと再会、合流してサルマン様にターゲットにされている人間の国ローハンに到着。そこで大戦争。

 オレンジの影響で、サルマン様は「様」付けなのよ。つーか、サルマン様がスクリーン登場するなり吹き出しかけたわ。オレンジはサルマン様を偏愛してるからなあ……(笑)。

 それにしても長かった……。

 真ん中ぐらいで「つづく」にしてくれてもよかったわ。わたし的には。で、全5部作でも6部作でもかまわないんだけど。つーか、テレビドラマで見たかったなあ。毎週30分とかで。1年くらいかけて。60分半年でもいいが。
 もちろん、スクリーンでなきゃ意味のない映像だとわかっているんだけどね。
 ただ、これだけのドラマを駆け足でやっちゃうのはもったいない気がするのよ。いくらでも膨らますことができるだろうし、書き込むこともできると思うから。

 なんにせよ、素直に映像をたのしんだ。
 映画はいいなあ。と。

 わたし、原作をまったく知らないので、予備知識なぞ持っておりません。
 読む予定もありません。
 いや、原作にはいろいろとトラウマがあってね。語ると長いし読む方もウザいだけだろーから書かないが。
 きっと一生読まない。なんせトラウマ(笑)。

 映画であることの意味、を噛みしめた。

 あの長い長い戦闘シーンを見ながら。

 いや、ほんと長かったんだわ、戦闘シーン。真っ向から戦争でね。城攻めでね。攻めてきているのが人間じゃないってことをのぞけば、正しく時代考証された「当時の戦争の再現」映像だったんだと思うよ。たぶん、たのしくこだわって再現したんだろーな。
 これは「映像」でなきゃダメだろ、と思う。
 この内容をいちばん的確に、わかりやすく、たのしく、ドラマチックに表現できるのは「映像」だろ、と思った。

 わたし、フィクションにおいては、固有ジョブが好きなのね。必殺技、と言ってもいいかもしれない。
 つまり、そのジャンルが持つ、ジャンル固有の表現。代用の利かない力。
 よくあるじゃん、「マンガにすればいいのに」と思えるような小説、「アニメならゆるせるかな」と思えるようなマンガ、「それだけ全部台詞で説明するなら、小説にすれば?」と思えるようなテレビドラマ、「映画が作りたいならはじめから映画作れば?」と言いたくなるようなゲーム……。
 なんのために、そのジャンルでその作品を作っているの? と、疑問になるよーなものは、嫌い。代用がきくなんて、ばかばかしい。

 せっかく映画なんだから、「映画でなければ意味がない」だけのものを見せてくれ。

 ……とゆー点において、とても興味深く、たのしみました。
 さっきテレビドラマで見たかった、と言ったのとは、ちがうハートで言ってます(笑)。

 わたしは正直なとこ、1作目はそれほど感銘を受けなかったので、今回よーやくちゃんとたのしかった、と思いましたのことよ。
 たしかに1作目もボロミアとか萌えはあったけど、それほど心には響かなかったのね。ふつーに萌え、って程度。
 ちゃんと萌えるには、いろいろ見ている側で補完しなきゃならなかったし、補完して萌えるほど、作品自体に魅力を感じなかった。
 まー、あきらかに「登場人物紹介」で終わっちゃったから、仕方ないのかもしれんが。

 今回、よーやく、たのしかった。
 わくわく見ました。

 いやあ、アラゴルン、かっこいー。ギムリかわいー(笑)。んでもって、レゴラス大活躍、かっこいいわ美しいわ、ものすげえ。
 ヒーローたちのヒーローらしい活躍っぷりに、ときめきましたわ。それこそ、ファンタジー映画の醍醐味ってもん。
 主人公?のフロドとサムの一歩一歩重い足跡を残すよーな旅っぷりにも、感動です。
 落ち込んでいるときに、顔を上げて前に進むために、見るべき映画ですな。……そうでなきゃ、エンタメじゃねえ。

 しかし……長かった……(笑)。

 
 よせばいいのに、花組初日に行って来ました。
 ……なんで「よせばいいのに」なのかというと、この日東京へ旅立つ予定だったから。ムラになんぞ行ってる時間はなかったのに……。

 んで、観ましたさ。『野風の笛』と『レヴュー誕生』。
 組トップがちゃんといるのにトド様降臨主演という、みょーな公演。その是非は置くとして。

 『野風の笛』……。

 はじめに言っておく。わたしは、谷正純のファンである。彼の欠点は理解したうえで、愛すべき点を認めているのだ。
 あの皆殺し癖は大嫌いだし、人を殺せば感動だと勘違いしているところは創作者として軽蔑している。女を描けない、恋愛を描けない半端ぶりも情けないし、同じ話、同じ主人公しか描けないことも観ていて恥ずかしい。
 でもな。
 谷センセの、赤面ものの「ベタ」さは美点だと思っているんだ。
 ハッタリの威勢のよさというか。
 かったるい場面の多さも物語の破綻もキャラクタの人格崩壊も、とりあえずその一瞬忘れさせるような、ハッタリの効いたシーン。よく考えるとめちゃくちゃなんだけど、力尽くで感動に持っていく強引さ。常識とか羞恥心とか持ってたらこうはできないよな、てな、壊れきった展開による強制、「さあ、感動しろ!」。
 ……それは、力だと思っている。ふつーならあんなベタなこと、恥ずかしくて書けないよ。うん、才能でしょう。
 そういう意味で、わたしは谷センセのベッタベタなエンタメ力を評価しているのだ。

 そのわたしでも。
 今回、ほとほと思ったよ。

 もー、見捨てようかな、谷センセ。

 ハッタリ以外才能なかったのに。そのハッタリさえ、作品を重ねるごとにショボくなってきている。メッキが剥げたっていうか。
 ハッタリの効かなくなった谷作品なんか、ただの駄作じゃん。……いやもちろん、駄作でない谷作品を探す方が困難なのはわかって言ってるのよ。

 とりあえず、観ていてこまったわ、『野風の笛』。
 この芝居の「おもしろさ」って、どこにあるんだろー? 美しいシーンってのは、どこにあるんだろー?
 どこもおもしろくないし、美しくもない。つまらないシーンがつづき、そのくせ物語としてはつぎはぎ感ばかりで全体が見えない。……いつになったら終わるんだろう……苦痛な時間。

 もちろん、出演者はがんばっている。彼らひとりひとりは美しい。
 だが、そーじゃなくてだな、場面として息をのむよーなおもしろさや美しさはどこにあるんだってことなんだな。

 トド様降臨作品、ということは、つまりトド様と寿美礼ちゃんの「W主演」作品ということなんだな、と理解した。寿美礼ちゃんは2番手というより、もうひとりの主役だったからだ。
 W主演作ってのは、規制の多いタカラヅカではむずかしいのかもしれないが、うまくハマればとてもオイシイ作品になる。ふたりの役者が競い合うことで、熱気のある深い舞台になるからだ。
 たった1時間半でふたりの主役を描くのはむずかしい。だが、不可能ではない。ふたりの男を中心に、腹を据えて描けば、自ずから他の人物たちも見えてくる。多くの出演者たちに役をふるのは困難だが、主役を取り巻くマトリックスを正しく構築すればある程度までは役割が決まるはずだ。
 わたしは素人で、外野にいるからこそ無責任にほざいているだけだけどさ。……なんか、ヅカの演出家たちって、どーやって物語を作っているんだろう、って不思議に思えるのよ。ふつーに作ってたらしないよーな失敗ばっかり目につくんだもん。
 ふたりの主役を1時間半で描くのがむずかしいなら、ストーリーの方を減らせばいいじゃん。厳選したエピソードのなかで、主役たちをみっちり描けよ。そのエピソードは、できるだけ派手で登場人物が多いものをチョイスする。……それだけで、魅力的な物語は創造可能じゃないのか?
 この間の『傭兵ピエール』もそうだけど、ヅカの芝居を見ていて思うのは、物語というモノの本末転倒さ加減。
 1枚の大きな絵から、いろんな部分を切り取ってならべただけみたい。
 そんなことをする意味が分からない。
 その最初の1枚の絵は魅力的なものかもしれないが、そこから切り抜いたものを並べられても、それって「絵」じゃないよ。隣同士の切り抜きは、絵としてつながってないもの。切り抜きはただの切り抜き、そのままじゃただのゴミ。並べただけじゃ、最初の絵になるはずがない。
 原作のある作品を舞台化するってのは、原作を切り抜いてただのゴミにすることじゃないでしょ?
 新しい作品を1から創りあげるうえでの、企画書でしかないはずでしょ?
 どこが必要でなにが不必要かを判断し、「自分で」物語を作ってよ。

 つぎはぎで、ひとつの物語としてのつながりや流れが見えない。
 そんな印象の作品なんて、どうしてできるの。
 1から作っているなら、そんなふうにはならないよね。
 はじめからあるモノから、切り抜いて並べることを前提にしているからとしか、思えない。それ、「自分で」作ってないじゃん。

 同じ話、同じ主人公しか書くことができない谷せんせ。もちろんこの『野風の笛』も、今までの作品と同じ、固有名詞だけ別の焼き直し作品だった。
 主人公は「英雄」。人格はない。周りの人間が彼を褒め称えるだけが、彼の存在価値。何故彼が英雄なのか、周りの人々が彼を褒め称えるのか、理由はない。理由がないからこそ、登場人物たちは二言目には主人公を褒め称える。……そーでもないと、彼が英雄だと観客にわからないからだ。彼には人格がないから、ひとを愛することもない。憎むこともない。美しいだけの人形を真ん中において、残りの登場人物全員で、ただただ褒め称えつづける。
 ……これが、谷作品のすべて。タイトルがちがっても、全部この話。『アナジ』『エルドラード』『春櫻賦』『ささら笹舟』『バッカスと呼ばれた男』『望郷は海を越えて』『ミケランジェロ』。
 『プラハの春』だけはちょっとちがうんだけど……あれ、谷せんせが主役にしたかったのはヤン・パラフだよね。ヤンが主役なら、いつもの谷作品になっていたはず。
 英雄になりたかったんだね、谷せんせ。周囲の人たちに誉められたかったんだね。女なんか捨てて、男たちに崇めたてられながら、壮絶な最期を遂げたかったんだね……。
 そうして、自分の果てしない欲望を、妄想を、えんえんえんえん、描きつづけるんだね……。
 信じられない恥ずかしさだ。
 わたしなんか、到底真似できない。
 だからこそ、谷作品が好きだった。谷正純という男の抱く妄想が恥ずかしければ恥ずかしいほど、わたしは萌えた。それはある意味、ロマンだったからだ。男は誰しも「永遠の『少年ジャンプ』大好き人間」なのだ。わたしはもう『少年ジャンプ』は読めないが、それを好きで読んでいる人に愛しさを感じたりするんだ。そーゆー恥ずかしい男の恥ずかしいところを、可愛らしく感じるんだ。
 谷作品にある『少年ジャンプ』なところが、好きなんだ。
 『野風の笛』が「いつもの谷作品」であることは、はじめからわかっていた。いやむしろ、期待していた。
 トド様は人格を持たないいつもの英雄だろう。熱愛者や崇拝者たちに囲まれ、いつも褒め称えられているのだろう。そのときの事件によって都合よく行動し、なにもかも彼のすばらしさを称えるだけに終始するから、性格は破綻して見えるだろう。
 寿美礼ちゃんの役が、トド様の部下であり親友であると聞いたときから、彼の役所も観る前からわかった。トド様を熱愛し、トド様を褒め称えるだけに存在する二枚目にちがいない。寿美礼ちゃんが好人物であればあるほど、そんなすばらしい男に愛されるトド様の価値が上がる。英雄の価値をあげるためだけに用意された役だ。この男が英雄のために壮絶な死に方をすれば、「あんな立派な男が命を投げ出してまで従った相手は、この世でもっともすばらしい英雄にちがいない」と観客が思いこむだろうという、いやらしい計算で作られた役だ。
 観る前からわかっていた。原作も史実も知らないが、谷作品を知っているから、ストーリーなんかわかっていたよ。

 ……その通りだったさ。『野風の笛』。
 溜息。

 時間がないのに、無理矢理観に行き、あわてふためいて夜行バスに飛び乗った。

 文字数がないので、このつづきはまた明日の欄に。


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