「ねえ、運命の出会いって信じる?」
「運命の出会い? ……君は、信じてるのか?」
「わからない。信じたいけど」

 神様は、ひとつの魂を男と女に分けてこの世に送り出した。だから、この世には自分と同じ魂を持ったパートナーが必ずいる。それが、運命の恋人。
 そうわたしに教えてくれたのは年の離れた姉だ。
 彼女はわたしのあこがれだった。彼女を追いかけることが、わたしのよろこびであり、生き甲斐だった。
 姉のやることはなんでも真似をしたし、その言葉も全部信じた。なにひとつ、彼女のようにはできなかったけれど、それでも懸命に後ろを走り続けた。
 姉はわたしの「全世界」だった。
 バレリーナを目指していた姉は、パリ・オペラ座のバレエ学校に入った。わたしと母を田舎町に残して。
 幼いわたしが姉に会える機会は減ったけれど、そんなことは彼女への憧憬の深さになんの関係もなかった。都会に住むようになった姉はますますあか抜け、美しく華やかになった。わたしは姉が誇らしかった。
 姉さんはどうしてそんなにきらきらしているの? 会うたびにきれいになってるみたい。
 そう聞いたわたしに、彼女は美しい笑顔をくれた。
「運命の人とめぐり逢ったからよ」
 姉は、恋をしていた。
 姉はわたしにとって「全世界」、そしてその「全世界」は今、恋をしていた。きらめいていた。
 輝く姉の姿こそが、わたしにとっての「恋」というものであり、「愛」の姿だった。
 あなたも大人になったら恋をするわ。あなたの運命の相手は、どんな人かしら。
 姉の言葉に、胸が高鳴った。頬が熱くなった。
 わたしの運命の人? わたしもいつか、彼女のようにきらきら輝くのかしら。
 姉の言葉は絶対だった。わたしはいつも、彼女の言葉をすべて信じた。世界は輝きに満ち、幸福に満ちていた。

 …………だがそれも、失われた。
 姉は死んだ。
 わたしの「世界」は死んでしまった。

 運命の人とめぐり逢い、バレエ学校も卒業公演で主役を射止め、幸福の絶頂にあった姉は、すべてを失った。
 卒業公演の日、わたしは母と二人、精一杯のおめかしをして客席に坐っていた。誇らしさに頬を染めながら。
 直前に会った姉は緊張のためか顔色が悪く、言葉も少なめだったけれど、それでもいつものやさしい笑顔をくれた。わたしはなんの心配もしていなかった。だって彼女はわたしの女神だもの! 舞台も大成功するに決まっている!
 姉の前途に広がる、輝かしい未来。幼いわたしはそれを疑ってもみなかった。自分の未来が希望に満ちていることを疑いもしなかったように。
 姉は舞台の上で倒れた。足の靱帯を切り、バレリーナとして再起不能になった。
 何故?
 彼女は前日に恋人から別れを告げられていた。眠れなかった彼女は、睡眠薬を使っていたのだ。そのために起こった事故だった。
 恋と夢と未来と。
 彼女はすべてを失った。
 ……もちろん、わかっている。事故は事故だし、体調を整えることができなかった姉の自己責任だ。姉が自分でそう言っていたように。恋人とやらには、なんの責任もない。
 でも当時のわたしは、自分の気持ちを整理することができなかった。だからただ、姉を捨てた男への怒りだけを口にしていた。その男が姉を捨てたから、こんなことになったのだ、と。
 バレエの道を閉ざされた姉は、家に戻ってきた。なにがあるわけでない田舎町で、彼女は壊れた人形のように過ごした。彼女を彩っていた笑顔は消え、かわりに空虚な翳りをまとっていた。
 わたしは相手の男をなじりつづけた。絶対に許せないと言いつづけた。
 だが、姉の口から同意は得られなかった。
 彼女はただの一度も、相手の男を責めなかった。
 そう、最後まで。
 ある雨の夜、姉は死んだ。交通事故だった。周囲の人々は自殺ではないかとささやいたけれど、わたしは信じない。姉は自殺をするような人じゃない。
 だって。
 だって彼女は、言ったのだもの。
「レオを許してあげて」
 と。
 それが最後の言葉だった。
 泣くわたしに、姉は言った。
 あの卒業公演の日からずっと、わたしが姉の恋人をなじるたびに、言っていたことを。彼女は最後にまた、そう言ったのだ。
 姉は男の愛を信じていた。理由もなく一方的に別れを告げられ、大けがにもその後の療養にも見舞いの言葉すらなく、冷酷に捨てられた相手なのに。「わたしたちはひとつの魂から生まれた、永遠の恋人なの」……かなしく美しく、姉はそう言った。
 それが最後。
 その日、わたしの女神が死んだ。

 姉はわたしのあこがれだった。
 姉はわたしの「全世界」だった。
 姉のすることはなんでも真似をしたし、その言葉はすべて信じた。

 だけどわたしはもう、姉を信じられない。
 姉の言う「愛」を信じられない。

 わたしには、愛がわからない。

 姉を捨てた男を憎んでいた。
 姉を不幸にしたから。

 だけど、大人になり、自分も男性とつきあうようになって、その憎しみの意味がちがっていることに気づいた。
 たしかにわたしは、あの男を憎んでいる。
 だけどそれはほんとうに、姉を不幸にしたから?

 そうじゃない。
 わたしが憎んでいるのは。わたしが今こんなに苦しいのは。

 わたしが「愛」を信じられないからだ。

 昔、姉はわたしのすべてだった。
 昔、姉は愛を信じていた。

 そして今、わたしは姉を理解できずにいる。
 裏切られてなお、愛を信じつづけた彼女を、信じられずにいる。

 昔、わたしは幸福だった。
 昔、わたしは愛を信じていた。

 そして今。
 今のわたしは……。

「マリーを返して」
 わたしはつぶやく。
 手に入れた拳銃を握りしめて。ひとりの部屋、ひとりの夜。ひとりの時間。
 わたしは拳銃と、わたし自身と向かい合う。
 マリー、わたしの姉。美しくきよらかなひと。
 マリー、わたしの姉。無邪気だったわたしがなんの疑いもなく愛したひと。全世界だと思えた人。
 マリーを返して。
 マリーを信じられた、愛を信じられたあのころのきれいなわたしを返して。
 砂のお城に住んでいた、まだ見ぬ恋を夢見ていた幼いプリンセスを返して。

「ねえ、運命の出会いって信じる?」
「運命の出会い? ……君は、信じてるのか?」
 わたしの問いに、男は問いで返してきた。
 姉が信じていた「運命の恋人」。かつて姉がその「運命の恋人」だと信じた男を前にして、わたしは言った。

「わからない。信じたいけど」

 ……信じたい。 
 信じたいから。

 わたしはこの男に復讐するのだ。
 わたしのマリーのために。

          ☆

 重い腰を上げて、行ってきました、月組公演。
 やっぱ好きやなあ、この話。……と、観るたびに思う『シニョール ドン・ファン』。
 もういい加減ネタバレしてもいいだろうってことで、言いたかったことを書きます。

 ロドルフォがレオのゴーストライターだった、って設定、ナシにしない?

 これがあるから、すべてをぶちこわしているのよ。
 1回目に観たときはいい。このネタバレがあるのはクライマックス付近だから。
 だが、2回目を観ると興ざめするのよ。せっかくのあのかっこいいオープニング。これ、レオのデザインじゃなく、ロドルフォのなの? つーか、赤い椅子でキザっているこの男、自分ではなにもしてないのに、こんなにえらそーにふんぞりかえって「アレキサンダー大王以上の偉業を成し遂げる」とかほざいてんの?
 「オマエが言うな!」と、ツッコミ入れちゃうのよ。あちこち。
 第一、レオがマリーと出会って彼女を失ったのって、学生時代なんだよねえ? 勉強中の学生時代だからこそ、レオとロドルフォはルームメイトだったわけでしょ?
 学生時代からすでに、デザインが描けなくなったレオって、デザイナーとしての価値はあるのか??
 真に才能があったのはレオではなくロドルフォってことになるじゃん、それじゃあ。
 いくら「ドン・ファン」ブランドが、貴族であるレオの実家の名声と資産をバックボーンにしてできあがったとしても、肝心要のデザインがロドルフォ印じゃ、物語が成り立ちませんぜ、景子せんせ……。
 誰かプロットを添削してくれる人、いなかったの……?

 だから、ロドルフォのゴーストライター設定だけを、まるっと「なかったこと」にしましょう。
 レオはちゃんと自分でデザインして、ばりばり第一線で活躍していた、と。
 「ドン・ファン」ブランドの名声も実績も、すべてレオ自身のもの。ロドルフォはただのビジネス・パートナー。レオの代わりに実務を取り仕切るとかね。今は事業経営をやっているけれど、昔はデザイナーでレオの親友でありライバルであった男、ってした方が、よっぽど萌えじゃない。

 ……と、文字数オーバーきましたんで、つづきは翌日欄。


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