みんな自分を愛してる。@シカゴ
2003年4月20日 映画 自己愛が炸裂する小気味よさ。
映画『シカゴ』を見てきました。
いやあ、愉快っす。
出てくる連中、どいつもこいつも極端に自己中。
どこにも「愛」がない。他人になんか興味がない。あるのは「自己愛」だけ。
ここまでくると、それが快感。
ロブ・マーシャル監督、レニー・ゼルウィガー、キャサリン・ゼタ=ジョーンズ、リチャード・ギア主演。
1920年代シカゴ。スターを夢見るレニー・ゼルウィガー(既婚)は「芸能界に紹介してやるよ」と言う男と不倫。でももちろんそんなのは男の嘘で、だまされていたことを知ったレニーは逆上、男を射殺してしまう。
レニーが投獄された刑務所には、彼女のあこがれのスター、キャサリン・ゼタ=ジョーンズがいた。キャサリンもまた殺人犯として投獄されていたのだ。
キャサリンは敏腕弁護士のリチャード・ギアの手を借りて、殺人犯の囚人でありながらシカゴの人々からスター扱いをされている。ギアならば殺人犯を無罪放免することができるというのだ。
レニーはギアを雇い、「無罪」を勝ち取りなおかつ「スター」として名を馳せるために彼と共に画策をはじめる。
レニーの運命はいかに?!
ミュージカルの方は見たことありません。
ついでに、ストーリーもなにも知らずに見に行きました。
おもしろかった。
ミュージカル部分と映画ならではの部分の融合がセンスいい。
ミュージカルにはミュージカルの手法ってあるよね。お約束っていうか。そのジャンルが持つ武器。
それを損なわずに「映画」というジャンルの武器を使って表現してるの。
うまいわ。
これは「映画」である。
だから「映画」として、「映画」でしかできない表現方法を見せてくれなきゃ、「映画」である意味がないと思うのよ。
それをあざやかにやってくれているから、すてき。
気持ちいいの。
ミュージカルの方も見てみたい。
素直にそう思える。
今までふつーに喋っていた人が突然歌い出す。
台詞が歌に、歌が台詞に。
これ、ミュージカルのお約束。魅力でもある。
でも、映画でソレはないよね?
ではどうするか。
歌の部分はすべて、「ショー」にしてしまう。
たとえば迫力の女看守が出てくる場面。
場所は刑務所、ヒロインのレニーも他の囚人たちもみんな囚人服を着てひとつの部屋に集められている。
そこへ強面の女看守登場。
彼女は台詞で自分の紹介と主張を述べる。そりゃーもー、おっかなぁい脅迫めいた寛大な台詞だ。
そこに。
突然、別のシーンが二重映しになる。
女看守がセクシーなドレス姿になり、「おっかなぁい脅迫めいた寛大な」歌詞の歌を、ステージで踊りながら歌っちゃうのさ。他の出演者たちに追従されながら、女王然としてショーを行う。
女王様ショーと女看守の台詞が、シンクロして展開するわけ。
全編この調子で、「ミュージカル!」になる部分はすべて、突然別のショー・シーンになる。舞台の上の世界になる。キャストと観客が、そのときどきの現実の人々にシンクロするんだ。
うまい。
映画をやりながら、ミュージカルしてるよ。
おしゃれでミステリアスだ。
ヒロインのレニー・ゼルウィガーはベリキュート。
バカ。
を、絵に描いたよーな美人。
のーみそ空っぽで虚栄心と自己愛が強く、他人のことなんかこれっぽっちも思いやらない。もちろん殺人を悔いることもない。他人を利用し踏みつけにするけれど、自分は爪の先でも傷ついたら泣きわめくタイプの女。
……でも、このバカっぷりがもー、小気味いい。
だって彼女はパワフルだ。
どんなにバカで恥知らずでも、やりたいようにやり、生きたいように生きる。
かわいいブルドーザー女。邪魔する奴らはなぎ倒せ。
もうひとりのヒロイン、キャサリン・ゼタ=ジョーンズがかっこいい。
こちらは同じ自己中でも、知性がある。自分がなにをしているかわかっていて、悪徳の中を輝きながら生きる女。セクシーでワイルド。
女性があこがれるのはこのキャサリンの方よね。
目的のためには手段を選ばない、悪の華。
どんな境遇からも、自分の腕で這い上がるその強さ。ああ、かっこいいー。
悪徳弁護士リチャード・ギア。
……正直どーしてこの人がこの役をやっているのか、わたし的にはいまいちわからんのですが……。他にもっと適任がいたんじゃなかろーか、とか。
なにがすごいって、ヒロインと愛が芽生えないこと!!
この映画、愛がどこにもない。
ほんとにこの弁護士、自分のためだけに、「売名」と「金」のためだけに弁護という名の「パフォーマンス」を繰り返します。たのしそーに。
いいなあ、この潔さ。
どんな美女より自分が愛しいのね。
クライマックスの法廷シーンの盛り上がりはすごいぞ。
自己愛のみで突っ走るふたりのヒロイン、自己愛のみで罪を無罪にしてしまう弁護士、簡単に簡単に人を殺す女たち、そしてそれをもてはやすマスコミ、殺人に驚喜する民衆たち。
…………狂ってる。
みんなみんな、おかしい。
だけどそれがたまらなくエネルギッシュで、滑稽で、爽快。
痛快。
エンタメなんだ。
見ていてとっても愉快で、見終わったあとに「よっしゃあ、なんか力がわいてくるぞ」てな感じ。
……倫理的にはまちがいまくった映画なんだけど(笑)。
しかし、レニー・ゼルウィガー……。
胸、えぐれてますがな。
凹凸のかけらもない胸に、貼り付いたよーな深いカットのセクシードレス……。いいのか、それ?
顔もプロポーションも、キャサリン・ゼタ=ジョーンズの横では悲しい限り……。
んでもってまたしても、片桐はいり。
出てたのね、ルーシー・リュー。
レニーにしろこの人にしろ、女の魅力は顔ではない、と思い知らされるわ。
顔はどうであれ、雰囲気で「美女」の域まで持っていくもんなあ。
とてもたのしく見たんだけど。
超絶簡単に気に入らない相手を射殺する女たちの姿に、先日見た『ボウリング・フォー・コロンパイン』が苦々しく思い出されたりな。
映画『シカゴ』を見てきました。
いやあ、愉快っす。
出てくる連中、どいつもこいつも極端に自己中。
どこにも「愛」がない。他人になんか興味がない。あるのは「自己愛」だけ。
ここまでくると、それが快感。
ロブ・マーシャル監督、レニー・ゼルウィガー、キャサリン・ゼタ=ジョーンズ、リチャード・ギア主演。
1920年代シカゴ。スターを夢見るレニー・ゼルウィガー(既婚)は「芸能界に紹介してやるよ」と言う男と不倫。でももちろんそんなのは男の嘘で、だまされていたことを知ったレニーは逆上、男を射殺してしまう。
レニーが投獄された刑務所には、彼女のあこがれのスター、キャサリン・ゼタ=ジョーンズがいた。キャサリンもまた殺人犯として投獄されていたのだ。
キャサリンは敏腕弁護士のリチャード・ギアの手を借りて、殺人犯の囚人でありながらシカゴの人々からスター扱いをされている。ギアならば殺人犯を無罪放免することができるというのだ。
レニーはギアを雇い、「無罪」を勝ち取りなおかつ「スター」として名を馳せるために彼と共に画策をはじめる。
レニーの運命はいかに?!
ミュージカルの方は見たことありません。
ついでに、ストーリーもなにも知らずに見に行きました。
おもしろかった。
ミュージカル部分と映画ならではの部分の融合がセンスいい。
ミュージカルにはミュージカルの手法ってあるよね。お約束っていうか。そのジャンルが持つ武器。
それを損なわずに「映画」というジャンルの武器を使って表現してるの。
うまいわ。
これは「映画」である。
だから「映画」として、「映画」でしかできない表現方法を見せてくれなきゃ、「映画」である意味がないと思うのよ。
それをあざやかにやってくれているから、すてき。
気持ちいいの。
ミュージカルの方も見てみたい。
素直にそう思える。
今までふつーに喋っていた人が突然歌い出す。
台詞が歌に、歌が台詞に。
これ、ミュージカルのお約束。魅力でもある。
でも、映画でソレはないよね?
ではどうするか。
歌の部分はすべて、「ショー」にしてしまう。
たとえば迫力の女看守が出てくる場面。
場所は刑務所、ヒロインのレニーも他の囚人たちもみんな囚人服を着てひとつの部屋に集められている。
そこへ強面の女看守登場。
彼女は台詞で自分の紹介と主張を述べる。そりゃーもー、おっかなぁい脅迫めいた寛大な台詞だ。
そこに。
突然、別のシーンが二重映しになる。
女看守がセクシーなドレス姿になり、「おっかなぁい脅迫めいた寛大な」歌詞の歌を、ステージで踊りながら歌っちゃうのさ。他の出演者たちに追従されながら、女王然としてショーを行う。
女王様ショーと女看守の台詞が、シンクロして展開するわけ。
全編この調子で、「ミュージカル!」になる部分はすべて、突然別のショー・シーンになる。舞台の上の世界になる。キャストと観客が、そのときどきの現実の人々にシンクロするんだ。
うまい。
映画をやりながら、ミュージカルしてるよ。
おしゃれでミステリアスだ。
ヒロインのレニー・ゼルウィガーはベリキュート。
バカ。
を、絵に描いたよーな美人。
のーみそ空っぽで虚栄心と自己愛が強く、他人のことなんかこれっぽっちも思いやらない。もちろん殺人を悔いることもない。他人を利用し踏みつけにするけれど、自分は爪の先でも傷ついたら泣きわめくタイプの女。
……でも、このバカっぷりがもー、小気味いい。
だって彼女はパワフルだ。
どんなにバカで恥知らずでも、やりたいようにやり、生きたいように生きる。
かわいいブルドーザー女。邪魔する奴らはなぎ倒せ。
もうひとりのヒロイン、キャサリン・ゼタ=ジョーンズがかっこいい。
こちらは同じ自己中でも、知性がある。自分がなにをしているかわかっていて、悪徳の中を輝きながら生きる女。セクシーでワイルド。
女性があこがれるのはこのキャサリンの方よね。
目的のためには手段を選ばない、悪の華。
どんな境遇からも、自分の腕で這い上がるその強さ。ああ、かっこいいー。
悪徳弁護士リチャード・ギア。
……正直どーしてこの人がこの役をやっているのか、わたし的にはいまいちわからんのですが……。他にもっと適任がいたんじゃなかろーか、とか。
なにがすごいって、ヒロインと愛が芽生えないこと!!
この映画、愛がどこにもない。
ほんとにこの弁護士、自分のためだけに、「売名」と「金」のためだけに弁護という名の「パフォーマンス」を繰り返します。たのしそーに。
いいなあ、この潔さ。
どんな美女より自分が愛しいのね。
クライマックスの法廷シーンの盛り上がりはすごいぞ。
自己愛のみで突っ走るふたりのヒロイン、自己愛のみで罪を無罪にしてしまう弁護士、簡単に簡単に人を殺す女たち、そしてそれをもてはやすマスコミ、殺人に驚喜する民衆たち。
…………狂ってる。
みんなみんな、おかしい。
だけどそれがたまらなくエネルギッシュで、滑稽で、爽快。
痛快。
エンタメなんだ。
見ていてとっても愉快で、見終わったあとに「よっしゃあ、なんか力がわいてくるぞ」てな感じ。
……倫理的にはまちがいまくった映画なんだけど(笑)。
しかし、レニー・ゼルウィガー……。
胸、えぐれてますがな。
凹凸のかけらもない胸に、貼り付いたよーな深いカットのセクシードレス……。いいのか、それ?
顔もプロポーションも、キャサリン・ゼタ=ジョーンズの横では悲しい限り……。
んでもってまたしても、片桐はいり。
出てたのね、ルーシー・リュー。
レニーにしろこの人にしろ、女の魅力は顔ではない、と思い知らされるわ。
顔はどうであれ、雰囲気で「美女」の域まで持っていくもんなあ。
とてもたのしく見たんだけど。
超絶簡単に気に入らない相手を射殺する女たちの姿に、先日見た『ボウリング・フォー・コロンパイン』が苦々しく思い出されたりな。