春4月。

2003年4月1日 ゲーム
 毛の抜ける季節がやってきた。

 や、猫っすよ、猫。
 うちの猫。

 見た目はアメショーでありながら、チンチラの血を引いているために、こっそりと毛の長いうちの猫。
 抜ける抜ける。
 触ると抜ける、空気中に毛が漂っているのが見てわかる。
 ……ええいっ、不愉快なっ。

 予防策として、ひたすらブラッシングしている。
 どーせ抜ける毛ならば先に抜くのだ。
 とにかく暇さえあればブラッシング。

 ……海の水をコップですくっている気分です。

 いくら梳いても、きりがない……。
 エンドレス抜け毛。

          ☆

 今、ふたつのFFを同時進行しています。
 FF10(10−2じゃないよ、10だよ)とFFTA。

 ワンピの映画を見て、「ワッカだ……」と思ったのことよ。
 そーか、ワッカの声って、どこかで聞いたことあると思ったら、ゾロの声だったんだ。
 わたし、テレビアニメのワンピは見てないからさー、気づかなかったよ……。

 FFTAはキャラの見分けがつきません……敵とまちがえて味方を攻撃したりなんだり。うおーっ、ムーミンばっかしだよーっ。モンブランうぜえっ。マーシュがいないときの方がクエストがたのしいぞっ?! とか、まあいろいろ思いつつ。
 
 父が入院しました。
 ので、忙しいです。

 ねえママ、ほんとにそれはわたしがしなければいけないこと? 父がいないのを理由に、わたしに仕事を多く押しつけてない?!
 とか思いつつも、走り回ってました。

 夕飯はわたしが作るはずだったんですが、時間切れ。……理由は「退屈で死にそうだ」と言う、入院1日目の父の相手をえんえんしていたせいです。
 わたしは8時に家を出るんだってば、そしてバスに乗るんだってば。

「父親が入院して手術だって言ってるのに、あんたはタカラヅカなのっ?!」
「だってもうチケット取ってあるんだよっ?!」
「父が入院することは1ヶ月も前に言ってあったでしょ!」
「それは聞いてたけど、“いつ”入院するかは聞いてないっ」
「……そうだったっけ?」
「そうよ」

 伝達不足は毎度のこと。
 いつもいつも「言った」「聞いてない」で騒動になる。
 旅行中のわたしに、ママから「パソコンでわからないとこがあるの、今すぐ教えにきてよ」とか電話が入ったりな。
「今わたしは東京だよっ、なんで教えに行けるのよっ?!」
「東京? なんでっ? 聞いてないわ!」
「行くって言ったじゃない」
「行くのは聞いてたけど、今日だって聞いてない!」
「言ったわよっ。いついつのなになにのときに」
「そんなに前に言われてもおぼえてないわよっ」
「前もって言わなきゃいつ言うのよ?!」
 ……なんて不毛な会話が日々繰り返される。

 うちの家族に伝言機能はありません。
 重要な連絡も、あったりまえにスルーされています。

 そーいや先日の7回忌も、弟は「聞いてない」って言ってたな……。それで彼は不参加。母曰く「何ヶ月も前に決まっていたのに」。アンタが伝達してないんじゃん、いつも……。

 つーことで、娘は病気の父を置いて愛するオサ様のもとへ行ってしまうのですよ。

 注・父の入院は膝の手術のためです。本人も元気です。リハビリの先生が若い女性だとよろこんでました。車椅子に乗る練習をしてはしゃいでました。
 ほんとに元気です。そーでもないと、いくら薄情な娘でも、置いていったりはしません。
 つづけて月組大劇場公演初日だー。

 東京から帰るバスの中、わたしの前の座席の女性ふたりは、どーやらどこぞのFCの方でした。『花の宝塚風土記』と書かれた、とても内々な書類をお持ちでした。
 わたしは花組千秋楽からの帰り、あなたたちは月組初日の往き、人生はこうして交差するのね……てなことをキティちゃんに言うと、
「そういうアンタも初日にここにいるじゃん」
 と、つっこまれました。
 はい。わたしも初日にムラにおりましたです。
 

 トシのせいだろうか。
 若者がまぶしいのだ。

 初舞台生を観るのが好きなのは、彼らの若さが愛しいからだろう。

 今回、初舞台生のラインダンスを観ながら、「今わたしは、とんでもない場面に立ち会っているんだぞ」と思った。

 人生の中で、正念場の勝負どころ、ほんとうの意味での区切り、魂懸けたスタート、って、いったい何回あるだろう?
 たとえば、膝ががくがくして立てないくらい緊張することって、人生の中にどれくらいあるだろう?

 ただなんとなく生きているだけじゃ、そうそうあることじゃないよね。

 わたしは今、とんでもない場面に立ち会っている。
 ぜんぜん知らない49人の女の子たちの、人生の正念場に、立ち会っているんだ。
 そうそうあるこっちゃないぞ。
 人生変わるくらいの場面なんて。

 桜は毎年咲き、初舞台生は毎年同じように舞台に立つけれど。
 今観ているのは、たった一度の永遠。
 共有。
 その一瞬たしかに存在し、あとかたもなく消えるもの。
 舞台芸術というのは、そーゆーモノだ。
 映画や活字とちがって。
 消えることを前提としたモノのために、人生懸けた女の子たちのスタートに立ち会っている。

 それって、すごいことだ。

 トシを取ったせいかな。
 それがとても、愛しいんだ。

 月組初日。うっかりと立ち見でした。
 場所取りする気はハナからなかったので、幕前はえんえんキティちゃんとおしゃべり。立ち見は大した人数いなかったので、余裕です。ええ、わたしの身長なら楽勝だって。
 直前に行ったのに、あっさり手すりゲット。空いてるからそこにコートをかけて観劇開始。
 でも幕が開いたのちに、後ろにセーラー服の女の子がやってきたので、譲っちゃったよ。わたしの後ろじゃ見えなかろう。
 女の子は恐縮してなかなか前に出ようとしなかったけど……いいんだよ、遠慮しなくても。だってさ。
 あの手すりってね、わたしには「低すぎる」んだよ(笑)。
 他の人のよーに、腕を載せたりオペラグラスを構える台にしたりするのには、低すぎるのよ。
 かえって疲れるの。だからいつも、大して使わないんだわ。
 とゆー、とても自分本位な理由もあったんだが……傍目から見るとわたしって、ものすごーく「親切な人」よねっ(笑)。

 
 今回は日本物のショー『花の宝塚風土記』と芝居『シニョール ドンファン』の二本立て。

 最初はその、『花の宝塚風土記』。
 日本物……月組で日本物……。

 なんつーかね、わたし、いったいいつから日本物のショーを好きじゃなくなったんだろう、と感慨にふけっちゃったよ。

 昔はね、好きだったの。
 あれは何年前だ? 雪組公演『花幻抄』。あれ、ものすごい好きでねえ。
 「チョンパ」で幕が開いた瞬間の胸の高鳴りを、おぼえているよ。

 きれいだ。

 素直に感動した。
 そのあとにあった『花扇抄』はいまいちだった。『花幻抄』とそっくりだけど、かゆいところに手が届いてないなあ。と思った。
 ……でもそれすら、なつかしい思い出。
 『花扇抄』だって、『花は花なり』だっけか? 金返せ学芸会よりははるかにマシだったし、名前もおぼえていない他の日本物ショーよりマシだったさ。
 この『花の宝塚風土記』も、作り的には『花幻抄』とまったく同じなんだよね。作者が同じじゃしょーがないのか?
 でもさ酒井センセ。落ちる一方だよね、レベル。それって創作者として、いかがなものか。
 『花幻抄』を観たのはほんとに何年も前なんで、細かいことはおぼえちゃいないが、今回の作品が「あー、焼き直しなんだな」ってことだけは、わかったよ。
 『花幻抄』も半ばは民謡ってゆーか、祭囃子なんだよね。たしか町人髷の男役たちが、太鼓叩いていたよーな。
 それから「素踊りの男」たちが石庭のイメージで舞うのよね。
 中詰めのあとにトップの男役スターと娘役スターと、それから松本悠里大先生が舞うのさ。
 構成とコンセプトがまるっと同じ。
 そしてその中身が……劣化してる。
 うー。
 つまんないよー。

 いちばんがっかりしたのが、メイン部分。「桜花夢幻」とかゆータイトルのとこ。
 たしか『花幻抄』では「花夢幻」ってタイトルだったかなあ。何回同じコンセプトを劣化コピーするんだかむにゃむにゃ。
 同じ構成なだけに、「ここでいちばん気合いの入った美しいシーンが来るぜ!」てのがわかるわけだ。心してそれを待っていたのよ。
 そしたら。
 めいっぱい、拍子抜け。
 幽玄の世界はどこにもなく、色だけ金色と派手になったどこかびんぼーくさいお衣装で、ばさばさ両手をはばたかせる。
 衣装のセンスにも首を傾げたが、振り付けにもかなり疑問を持つ。なんだ? この大雑把な舞は?
 両手ばさばさ、円になってくるくる? えーと?
 人数だけは増えて、スタークラスが全員出るんだけど、なんだこのびんぼーくささは?
 どうあがいても華やかに見えない。な、なにが起こっているんだ?? と、わたしがとまどっているうちに。
 次に出演者たちは、フィナーレのときの持ち物のよーな羽扇を手に手に集結。
 これがまた、ばさばさ大きな羽をあおぐだけの振り付け。
 羽さえあれば豪華だと言うのかっ?!
 あっけにとられているうちに、終了。階段が出てきてフィナーレ突入。

 なんだったんだ、アレ……。

 羽をばさばさあおぐだけで許されるのは、大階段のフィナーレだけだよう。
 ショーの大詰めでやっていいことじゃないよう。泣。

 ……日本物ってさ、ある意味洋物ショーより、派手でないとイカンと思うのよね。
 着物ってのは、それができるアートだと思うのよ。
 それを期待してしまうのよ。
 「チョンパ」で幕が開く、あの高揚感をね。

 さみしかったっす……。めそめそ。

 あとどーしてもつらかったことが、もうひとつ。
 リカちゃんの書生さん。
 アレ、どーしてもやらなきゃいけない? やめようよ。なかったこと、観なかったことにしない?
 せめて白塗りはやめようよ。ホラーだよ。『スクリーム』の顔みたいだよ。

 
 そして、作品の内容とは関係ないことで、わたしはちょっくらショックを受けていました。
 「チョンパ」で幕が上がったそのときに。

 ゆーひが美しくない。

 我らがゆーひくんから美しさを引いたら、なにが残るのよっ?!(暴言)
 相も変わらず無表情……つーか、仏頂面だしさ。ふてくされてんのか? つー顔で踊ってるしさ。
 笑顔が見たいよ。春の踊りなんだぞ? よろこびの舞なんだぞ? も少し景気のいい顔してくれよー。

 ああ、しかも。
 ゆーひの扱い、さららんと同格だし。

 さららんと同格……。
 プチショック。
 オープニングがね。
 ゆーひとさららん、同じ衣装なんだわ。対の位置なんだわ。

 エンディングでは、さららんと同じ衣装に、上掛けのお引きずりがついただけのもの。

 ああ、これが現実なのね。ゆーひくん……。

「ゆーひのこと、すっかり忘れてたわ」
 と言うのは、幕間のキティちゃん。
「ひとりで歌い出すまで、ゆーひがいること忘れてた」
 ひどいっ。
「つーか、コウちゃんと見分け付かなかったし」
 ひどいひどいっ。
「コウちゃんがふたりいる? と思ったら、片っぽゆーひだった」
 ひどいひどいひどいわっ、ひどすぎるわっ。
 わたしがなにを言っても、
「ゆーひがどこにいるのかさえわからなかったから、なにもわからない」
 って言ってスルーするのよ。ひどいわっ。

 真っ白膨張の仏頂面でも、わたしはゆーひくんを見ているわ!
 

 とゆーことで、芝居の感想は翌日欄。


「それで結局、最後はきりやんなのね」
「ねー。ハッピーエンドよねー」
「んでさ、さえちゃん、アレなによ?」
「『ボクも昔は遊び人だった』? ……ナイナイ」
「『遊ばれてた』のまちがいよね?」
「でもあそこは、ああ言うしかないでしょう。男としてはねえ」

 初日にはキティちゃんと一緒。
 そしてその翌日には、WHITEちゃんと一緒でした。
 月組『シニョール ドン・ファン』。
 1日ズレてるけど、5日の土曜日の日記ナリ。

 初日とその翌日と、全席完売、サバキもナシとは、なんと剛毅な。
 初舞台生効果かな。

 とゆーのも、客席の雰囲気が異様なんだもん。
 普段は静か。つーか、寝てたり。
 だが、初舞台生が登場すると、途端活気づく。ざわざわする。喋り出す。

 身内の方々が多いのね……。

 とゆーわたしも、たまたまサバキでGETした席が、身内席のど真ん中でした。
 前の列全部と、わたしの隣は通路までずっと、同じ生徒さんの関係者。その隣の群れも似たよーなもんらしい。幕間に同じお菓子が配られてたから。……ものすごい数だ……。

「どこに出るんだ」
「わからないわ、探さなきゃ」
「見てもわからないよ」
「端から2番目だろ」
「えっ、今日出てるのか? 挨拶はチガウだろ」
「口上はチガウけど、出てるんだってば。なにしに来たと思ってるの」
「ええっ、出てないと思ってた」
 ……など。横で聞いてるとなかなか笑えたぞ。
 思わず聞いちゃったよ、どなたのお身内なのか。

 はい、成績がブービーの、あの方です。
 成績がビリから2番目だからって、「端から2番目ばかり見てたけどわからなかった」としきりに首をひねっていた男性……あの、舞台の並びは成績順じゃなくて「身長順」だと思います……。

 初舞台生ではなんといっても、凪七瑠海ちゃん……目立つなあ。
 どこにいてもわかる。
 ロケットが終わったあと、弓矢を持ってちらりと登場するんだけど、そのときのあの、マンガみたいなスタイル。顔小さっ、胴短っ、手足細長っ。
 ほんとにナルセ系だよ。
 将来有望。

 凪七瑠海ちゃんとは別に、わたしがちょいと気に入っている純矢くんの方は、残念ながら初日ではどこにいるのかわかりませんでした……。
 ショーは全員白塗りおかっぱ頭だし。ロケットはやはり全員同じかぶりものだし。しかもわたし、立ち見だったし。
 ……それでも凪七くんはわかった。どこにいてもわかった。

 だから5日の目的は、純矢くんを探すこと。

 2回目はとりあえず、顔の識別はつきました。そっか、そんな顔になんのね、大劇の板の上だと。
 なんつーか……友だちのジュンちゃんに似てる……友だちに似た顔だから余計親近感あるのかもな。

 『シニョール ドン・ファン』は、リカときりやんの愛の行方で盛り上がる。えーと、役名で言うと、レオとジョゼッペね。
 最近忘れてたけど、WHITEちゃんってきりやんファンだったわ。

「でもさ、コウちゃんもそのうち戻ってきて、また3人組になるだろうね」
 とWHITEちゃん。
 そうね。コウちゃんの役、ロドルフォも絶対、レオのとこに戻ってくるだろーなー。んで三角関係再スタート?
 でもコウちゃんの演じ方だと、ちっともホモに見えないんだもん。色気のないきりやんの方が腐女子的においしいとは、これいかに?

「でもあのラストはラヴラヴよねえ」
「レオとジョゼッペねー。しあわせそうよねえ」

 ねえWHITEちゃん。どっちが攻だと思う?
 やはりジョゼッペかしら。
 なんか昔わたし、マウロ×ドイル書いたからなあ……かぶるのやだなあ。でもどーしても攻だよなあ、きりやん。

 きりやんが受だったのって、『更に狂わじ』ぐらいのもんよねえ。
 まああれは、攻が天下の箙かおる様だったからなあ。

 そうしてこの腐女子会話は、8日のやおひソウル・フレンド、かねすきさんとの会話につづくのだった……(笑)。

 『シニョール ドン・ファン』について、語りたいことはいっばいあるんだが。
 やおひ的なことじゃなくて、もっとまともなことでも(笑)。
 しかし、ネタバレするとまずいかもしんないからさー。
 今はまだ自重中。
 そのうちやります。

 
 『007』初体験。

 1日ズレておりますが、6日の日曜日の日記です。
 本日は映画『007 ダイ・アナザー・デイ』鑑賞。

 じつはわたし、『007』を見たことがないのです!!

 もちろん、ネタとしては知ってます。
 そしてテレビの洋画劇場ででは何度か見たことがあります。
 されど、劇場でちゃんと見るのははじめて。

 初体験なの。

 それを言うとWHITEちゃんはウケておりました。
 彼女は父親につれられて、子どものころから『007』に親しんできたらしい。シリーズのほとんどを映画館で見ている、という。
 つ、強者……。

 わたしは子どものころ、「映画」という文化を知らずに育った。両親が映画を見ない人たちだったから。
 少ないおこずかいでアニメ映画を見るのがやっとで、とても洋画にまで手が回らなかったよ。

 大人になったら、自分で見る映画を選ぶので、とーぜん『007』は選外となった。
 基本的にわたし、アクション映画には興味がないのよ。
 ストーリー全部同じなんだもん。
 とってつけたよーなヒーローとヒロインの恋も、どーでもいー。
 見ている間はたのしいけど、映画館を出た瞬間に内容を思い出せなくなるとわかっているものに、1000円は払えないわ(映画は1000円だと決めつけている)。

 そして、『007』初体験。
 WHITEちゃんがGETしたタダ券で、いざ未知の世界へ。

 デンジャラス!!

 デンジャラスです!!

 水着姿の男が、濡れたカラダで砂浜にうつぶせに寝ころびました。
 そして、立ち上がったら、どうなっているでしょう。
 カラダの前半分全部に、砂がびっしりついてしまいますね。

 ええ。
 そーゆーデンジャラスさでした。
 ジェームス・ボンド役のピアース・ブロスナン。

 体毛濃すぎっ。

 胸毛というか、腹毛というか、そのままパンツの中につづいているとゆーか。
 ギャランドゥ。

 涼やかなハンサム顔とは正反対の、毛深さ。オゥノオッ!!

 今作を見るのが2回目だというWHITEちゃんが、作品を語る前に「ボンドがギャランドゥでね……」と苦くつぶやいていたわけだよ……ほんと、ハンパじゃねえ。

 QUESTION
 毛深い男は好きですか?

 ANSWER
 苦手です。

 カレシ選ぶとき、体毛の濃さがマイナスポイントになります。すね毛はわりと好きなんだが、もも毛はヤ、とか、ケツ毛はどのへんまで許容、とか、いろいろあります。

 緑野家の男たちは、全員体毛が薄いです。
 それがきっと、インプリンティングされてるんだと思う。意識以前の部分に。
 祖父も父も弟も、眉や髪の毛は濃いけれど、体毛は薄い。つるつる。
 とくに弟。
 ……すね毛、ねーんだもんよ。
 わたしが夏にすねのむだ毛処理をしていると、「大変だな」とか言って嘲笑いやがるっ。姉よりすね毛がないってどーゆーことよっ?!
 もっとも弟は、すね毛がなさ過ぎて、夏でも短パンが穿けないそうです。さすがにみっともないらしい。ふん。

「この間リーマンもののBL読んだんだけどさー、受にヒゲが生えてないとかいうのよっ? 信じられる? 20代半ばなのによ。これだからアホアホって!」
 と、お怒りの友人に注進申し上げたことが。
「あのー、うちの弟、ヒゲがまともに生えたの30になってからだよ?」
 と。
 20代半ばのころは、つるつるほっぺでしたとも。今もまだ、ヒゲはぽつぽつで、十分つるつる。
 全国のやほひ書きのみなさん、こんな男も実在するから、30才のほっぺたつるつる受もOKですよっ!!(笑)

 と、なんの話だ。

 えーと、ボンドのギャランドゥ。
 その毛はどこの毛ですか? 胸ですか腹ですか。
 つーかつながってる以上、あそこの毛でもありますよね……?
 てなかなしみ。
 デンジャラァァァス!!

 ストーリーはよくおぼえていません。
 つーか、あまりにドラマ部分がないのにおどろいた。
 ひたすらアクション。とにかくアクション。
 いつまでやるんだろう、と思うくらいに、えんえんアクション。

「あのジェームス・ボンドがしょっぱなからいきなり敵に監禁されてるのよっ?! これは『007』史上はじめてのことなのよ!」
 とWHITEちゃんは言うけれど。

 せっかく監禁っていうから期待したのに、拷問係、女じゃん……。
 なんかたのしそうだぞ、ジェームス・ボンド。

 まともに見るのがはじめてなのに、全編デジャヴが。
 過去に見た『007』とかぶるのね。
 なんかこのシーン知ってる……がいっぱい。

「だってお約束だもの」
 と、WHITEちゃん。
「変えちゃいけないのよ。永遠に同じことをするの」
 『水戸黄門』と同じか。
 それはそれで、意味のあることだ。

 そういやワゴンさんが言っていた。
「あたしはなにか考えたり、暗くなったりする映画はいやなの。なにも考えずに見て、すかっとするものが好き。頭を使わないでたのしめる映画が見たい」
 彼女が今見たい映画は、『007』と『タキシード』だった。
 うん。
 そういう映画は大切だ。
 ……ただ、わたしの趣味じゃないというだけのことで。

 『007』初体験。
 ありがとう、いい経験になったわ。
 とってもたのしかった。
 見ている間はわくわくと、愉快に過ごすことができました。

 そしてわたし、きっともう二度とこのシリーズは見ないでしょう(笑)。

 
 1日ズレてるので、7日の日記ナリ。

 2003年4月7日。
 宝塚ファミリーランド最後の日。

 ファミリーランドは、わたしにとって特別な場所だった。
 思い出が詰まっていた。

 それに浸るために、ひとりででかけた。

 昔、遊園地が夢の空間だったころ。
 わたしにいちばん夢を見せてくれたのは、ファミリーランドだったんだ。

 何故緑野家は、なにかっちゃーファミリーランドに行っていたのだろう。
 いちばん近い遊園地ではなかったのに。
 冷静に分析すれば、かつてのファミリーランドは3世代家族が一度にたのしめる場所だったということだ。

 我が家は3世代がひとつの船に乗る家庭だった。
 明治生まれの祖父、大正生まれの祖母、昭和ヒト桁生まれの父、満州育ちの母、そして千里万博の記憶のあるわたし、万博の年に生まれた弟。
 この「日本の現代史を語る」って感じの顔ぶれが、一度にたのしめる場所なんて、そうそうないよ。

 宝塚ファミリーランドには、それがあった。
 緑野家のばらばらな世代の人間がすべて、たのしめたんだ。

 まず、温泉があった。
 おしゃれなスパではなく、大衆温泉。畳敷きの大広間があり、誰でも自由に過ごすことができた。
 父と祖父はよく、温泉に入ったあと大広間でビールを飲み、そのまま昼寝をしていた。
 その間女子どもたちは動物園へ。決して広くない動物エリアは、老人と子連れの母親にはちょうどいい。
 子どもが少し大きくなれば、遊園地に行くことができた。わたしは動物園より遊園地が好きで、弟と祖母を動物エリアに残し、母とふたりで遊園地で遊んだ。
 帰りは花の道の脇にある商店で、おみやげを買ってもらう。たいてい炭酸せんべいだ。宝塚歌劇のスターの写真が缶に印刷されていた。
 わたしが宝塚歌劇に出会ったのは、小学校も高学年になってからだ。それ以前は興味もなかった。

 家族全員で遊びに行ける場所。
 だからファミリーランドは、特別な場所だった。

 幼かったころ。
 まだわたしが、心の底から怒ることも、憎むことも、泣くことも知らなかったころ。
 ただしあわせで、たのしくて、わらっていたころ。
 現実も知らず、失望することも知らず、世界が夢と希望に満ちあふれていたころ。
 そーゆー幼い記憶が残っている場所。

 
 そして、ハタチを過ぎてからわたしは、宝塚歌劇にハマった。
 当時の親友がハマったために、引きずられたんだ。……いちばんの仲良しが、ヅカの話しかしなくなるんだよ? ハマるしかないじゃない。彼女との共通言語欲しさに。

 歌劇にハマったがゆえに、さらにファミリーランドは特別な場所になる。なにかっちゃー出掛けていく、とても近しい場所になる。

 20代前半という、いちばんたのしく美しい時期を過ごした場所。
 今はもう、会うこともなくなってしまった人たちと、過ごした場所。
 幼くて、カンチガイしていて、ひたすらイタかったあのころだ。
 10代のころのイタさとは、またチガウんだよな。20代のイタさってのは。なまじ社会に出て給料もらってたりするしな。時間と金と若さと体力、すべて持ち合わせているイタさだ。それゆえの暴走だ。……ああ、こわい。

 ひたすら恥ずかしいばかりの時期だが……それゆえ余計に、なつかしい記憶であったりもする。

 みんなそれぞれ大人になって、別の人生を歩んでいる。
 失ったわけではないから、会おうと思えばいつでも会えるし、会えばたのしく過ごせるけれど、もうたぶんそうそう会うことはない。
 歩く道が重なり合わなくなってしまったから。

 時間が流れる、大人になる、とはそういうことだ。
 モラトリアムだからこそ許されていた、ただ無邪気に若さを満喫できた日々。
 本来は別の道にいるはずの人たちが、まだみんな同じトコロにいた。分岐点の手前。

 
 と。
 幼いころと、青春期という2大せつない記憶を抱いて、わたしはファミリーランド最後の日にそこにいた。

 DJが当時の流行歌を流しながらカウントダウンするんだよ。
 最初は60年代で、坂本九の『上を向いて歩こう』とかがかかっていた。さすがにこのあたりはわからない。
 70年代に入り、ピンクレディーや山口百恵がかかるようになってはじめて「なつかしい」と思えた。
 流行歌をBGMに、DJが当時の世の中の出来事と、ファミリーランドの出来事を語る。

 「大人形館」は祖母が大好きだった。いつも身を乗り出すようにして見ていた。
 わたしは正直なとこ、あまり好きじゃなかった。人形が不気味だったから。……今見ても、かなりセンス悪いと思うんだけど……なんであのデザイン?
 人形は不気味だし、退屈でおもしろくない。なのに人気アトラクションで、いつも並ばないと入れなかった。並ぶのがウザかった。でも、スポンサーには逆らえない。わたしはおとなしく祖母に連れられて並んで入っていた。

 いちばん好きだったのは、「スペースコースター」だ。
 暗闇の中を走る、屋内型ジェットコースター。
 ただの暗闇ではなく、宇宙空間に見立てた星々が瞬いている。
 できた当初はものすごい人気。何時間並んだかな。入口のエスカレータのところでかかっていた電子音楽がお気に入りだった。

 「妖精の館」には、どれほど感動しただろう。当時マンガを描いていたわたしは、わざわざ内部の様子をマンガにしていた。主人公たちがファミリーランドに行くという設定で。
 美しい妖精の人形に見送られ、地下5000メートルにある妖精の国へ。5000メートルを一瞬で降りるエレベータから出たあとは、動く椅子に乗り、妖精たちの世界へ入る。
 喋る石像、踊る妖精たち。そして最後には、鏡に映った自分たちの背後に、妖精がいるのを見ることができる。妖精と一緒に館を出ることになるわけだ。あの一体感。

 18歳のときにはじめて東京ディズニーランドへ行き、真実を知ったよ。
 「大人形館」は「イッツ・ア・スモール・ワールド」、「スペースコースター」は「スペース・マウンテン」、「妖精の館」は「ホーンテッド・マンション」のパクリだって。
 コンセプトは全部同じ、だけど当然本家よりもファミリーランドはちゃちでダサかった。
 ディズニーランドがまだアメリカにしかなかったころに、人気アトラクションをパクってたんだね。あのころはまさか、ディズニーランドが日本にもできるとは思ってなかったんだろうなあ。
 本物を知ったあとでは、とてもまがい物に足を運ぶ気にはなれなかった。

 それでも。
 たとえまがい物であろうとも、それらで受けた感動は本物だ。
 どんなにちゃちでダサくて恥ずかしくても、ファミリーランドは大切な場所だ。

 立体動物園が好きだった。
 迷路になったお城のよう。
 夜行動物エリアに入るときは、いつも足がすくんだ。本能的に、闇がこわかった。
 その向こうにある、緑のドーム、亜熱帯の温室と鳥の楽園。空気の重さ、臭い、奇妙な鳴き声、濃密な空間。異世界がそこにあった。

 
 改めてファミリーランドを歩き、痛切に感じた。
 愛しいのは記憶であって、場所ではないのだということ。

 ファミリーランドはもう、わたしの愛したファミリーランドではなかった。

 ここ10年、わたしは取材以外でまともにファミリーランドを歩いていない。
 何故ならば、ファミリーランドは変わってしまったからだ。
 DJのおかげでよくわかった。94年の「改悪」。あれですっかり変わってしまったんだ。
 異世界感覚が際立っていた立体動物園の緑のドームが、あのときになくなったんだ。
 動物園は縮小、動物たちは信じられないような小さな檻に入れられた。
 ガラスケースだ。水族館のようなガラスの檻に入れられたんだ。空も見えない、外の空気も吸えない。
 ガラスの檻の中に閉じこめられたわずかな動物たちと、エサにたかったたくさんのゴキプリ。……動物よりゴキブリの数の方が多かったな。
 あれは、ショックな光景だった。

 えんえん工事して、なにをやってるのかと思えば、こんなかなしいことに……。

 見るに忍びなくて、そして実際たのしいとも思えない場所に成り果てていたので、それ以来二度と行かなくなった。
 

 実際にファミリーランドを歩きながら、わたしはもうここにはないファミリーランドを懐かしんでいた。

 なくなるのも仕方ない。
 てゆーか、すでになくなっていたんだ。

 記憶とかなしみと、失ってしまったもの。
 年を取った自分。

 せつなくて、懐メロを聴きながら涙が浮かんでくる。

 
 それにしても、いい天気だ。
 快晴、空は青。
 桜は満開。

 今日でよかった。

 たくさんの人。
 家族連れ、カップル、グループ。

 小さな小さな子どもたち、ここでの記憶はいつか、大人になった君たちの胸を熱くするのかな?

 
 得たモノを大切にするように、失ったモノを抱きしめて生きていきたい。
 ウエットなのはわたしの芸風なのよ。
 たくさん泣いて、わたしはわたしになるの。

 とゆー、特別な日。特別な場所。
 わたしは宝塚ファミリーランドが大好きだった。


 パスワードがわからない。
 私的なメールにはロックがかかっていて、パスワードがないと読めないのだ。
 時間がない。
 彼はもう、脅迫者と対峙するために出て行った。このままでは彼の生命が危ない。
 脅迫者が彼をどこに呼び出したのか。
 彼を助けるために、彼が受け取ったメールを読まなければならない。
 部屋にはふたりの刑事と、彼の昔の恋人たちが駆けつけている。そんななかで、私はひとりノートパソコンに向かっていた。
 私は彼の私設秘書だ。私は彼のために働かなければならない。私は彼の生命を守らなければならない。
 パスワードがわかりさえすれば……。
 試せるだけの単語は入力してみた。本人の誕生日やカードの番号、昔の恋人の名、母親の名前……あとはなんだ? なにがある?
 彼が、パスワードにする特別な単語は?

 g・i・u・s・e・p・p・e

 ほんの思いつきだった。
 あらゆる単語を思いつくままに入力していたのだ。半分あきらめながら。

 まさか。
 ……まさかこの単語で、開くなんて。
 部屋の者たちが一斉に私の周りに集まってくる。
 わたしは冷静に脅迫者のメールを読み上げる。彼はこのメールに呼び出されて行ったのだ。
 彼は死ぬのだろうか。脅迫者に殺されるのだろうか。

 思わず神頼みをした私を、彼の元恋人のひとりが怒鳴りつけた。神頼みをしている場合ではないと。
 わかっている。
 だが、神に祈る以外にどうしろと?
 私は敬虔なクリスチャンだ。

 彼が何故、私の名をパスワードにしていたのか。
 その事実に動揺しているこの私は。
 彼は近日中に「運命の女性」とめぐり逢う。私の祖母が占った結果だ。正確には、「栗色の髪に琥珀色の瞳をした運命の相手」……バレリーナだとかベルギー人だとかは、私があとからでっちあげた。その方が彼の好みだと思ったからだ。
 おばあちゃんは、「栗色の髪に琥珀色の瞳をした運命の相手」と言ったんだ。
 私の髪は……栗色だ。私の瞳は……。
 「運命の相手」。おばあちゃんは、性別を言わなかった! 俺か? 俺なのか? レオ様の運命の相手って?!

 俺は敬虔なクリスチャンだってば! そんな運命はこまる!
 ああだが、もしもそうなら……そうなんなら……どうしよう。

 それもアリかもしれない。
 なんて思っているこの俺は?


          ☆

 なーんてことを考えてしまった、3回目の観劇。
 『シニョール ドン・ファン』。

 レオのメールのパスワード、なんだったのかしらね?
 そしてなんで、ジョゼッペはパスワードを言わなかったのかしら。苦労してよーやく見つけたパスワードでしょ? ふつー言わない? 「パスワードは**だったんだ!」とかさ。

 言うに言えない単語だったのか?

 と、思ったわけよ。
 あの熱血秘書が口にできない単語ってなによ?

 自分の名前だったりしたら、そりゃー言えないわな。
 あのレオ様が、俺の名前をパスワードに?!
 レオ様は、じつは俺のことを……?!

 そして物語は、あの愉快なラストシーンにつながるのよ。
 女たちすべてを振り切ったレオ様は、ジョゼッペに「恋をしようかな」などと言う。
 女をすべて捨てて、そばにはジョゼッペ。
 女の代わりはいくらでもいるが、ジョゼッペの代わりはいない。
 レオ様は俺を選んだんだ! やはり、「運命の相手」って……!!
 盛り上がるジョゼッペ。
 ごめんなさい神様。ひとりで十字を切り、次の瞬間には「レオ様、据え膳はありがたくいただきます!」と恋に猪突猛進。
 行け行けジョゼッペ。
 ヤっちまえばこっちのもん。カンチガイでも独り相撲でも、大丈夫、レオ様なら苦笑しながら受け止めてくれるよ。

 てな、かわいい(?)ラブコメのプロットが簡単にできあがったんですが。
 

 と、かねすきさんに言ったら。
「あそこでパスワードを言わないのは変ですもんね」
 さすがわがソウル・フレンド。打てば響くお答え。
「わたしが描くなら、刑事カップルですが」
 カップル? カップルですか、かねすきさん。
「どっちが受?」
「もちろんふつーに、越リュウでしょう?」
「ふつー? 越リュウ受がふつー?」
「だって相手が楠さんだし」
 答えになってない(笑)。
 しかしあの刑事はコントラストがはっきりしていていいね。
 どっちも濃い野郎系なんだが、のぞみちゃんはホットで、越リュウはクール。ラストの赤いハートの風船を持った姿がベリキュート。……のぞみちゃん、笑いすぎ(笑)。

 いや、わたしは他にもホモカップルをでっちあげているんですが……ふふふ、やはりさえちゃんは受だよね?

 
 昨日の晴天とはうってかわって、大雨。
 歩くのを躊躇するよーなどしゃ降り。
 まだ1日ズレております、8日の日記ナリ。

 いーかげんネタバレしまくってると思う。一応、多少の自重はしているし、ストーリー本体には触れていないつもりなんだが。
 友人のオレンジが言うには、公演が終わるまで一切のネタバレは、ネットで書いてはならないらしい。
 そーかもしれんが、こんな辺境の個人の日記だから、世間に与える影響は少ないはずだ。だいたい、映画の話は公開前にさんざんしてるしなー。
 いいよね? ってことで、自分に甘いわたしは、多少のネタバレをものともせずに好き勝手にほざくのです。

 体調不良で数時間おきに鎮痛剤を飲みながら、それでもムラへ出掛ける。
 だってかねすきさんとデートだもん。
 ランチだけ一緒して帰るつもりが……またしても観てしまった、月組公演。
 好きなんだもん、『シニョール ドン・ファン』。

 またしても、サバキがぜんぜん出ない。
 そして、人も少ない。
 欲張らずに早々に座席に着いたのだが。

 客席は、真っ赤です。

 サバキゾーンが寂しかったわけさ。人口密度が低かったんだもの……。

 あんなに空けたままにしておくくらいなら、公演限定パスポート作ってくんないかなぁ。
 2階席限定で開演5分前座席指定とかなら、ダフ屋に流れることもないんじゃない? チケットは購入者の顔写真付きにしてさ。
 USJを見習おうよ。
 景品つけるより、値引きしようよ。
 そしたらわたし、通うよ? 『シニョール ドン・ファン』なら。阪急電車の定期券だって買っちゃうさ(今は回数券)。

 
 『シニョール ドン・ファン』がたのしいのは、プロットが正しく機能していることの他に、余白がいっぱいある、ってことも大きいと思う。
 それぞれのキャラの視点に立って、空想をたのしむことができるんだ。
 脚本と出演者がうまく噛み合っているんだろうな。
 ぴっちりと突き詰められた作品だと、そうはいかない。適度にゆるみがあった方が、観客としてはたのしい。「少年ジャンプ」が売れるよーなものさ。
 二次創作にはもってこいの題材だねえ。

 
 わたし的には、コウちゃん以外のキャラはすべてバッチリ配役だったのです。
 コウちゃんは……ごめんよ、彼以外の人で観たかった、としか言えない。
 コウちゃん、キザることだけに夢中で、中身が見えない……。そりゃ男役として最後の役だから、「男役芸」を見せること表現することに必死になるのはわかるけどさ。
 コウちゃんの神髄は、やっぱハートフルな三枚目だと思うのよ。きりやんの役だと、さぞやうまかったろうなと思う。
「きりやんと汐風さんの役が逆でもよかったのに」
 と、かねすきさん。
 うん……きりやんがロドルフォだったら、さぞや「情念」の世界が展開されたでしょうな。暑苦しいまでの「人間の闇の部分」を全面に出して来たんじゃないかと思う。

「コウちゃん以外の専科なら、誰でもよかったよ」
 と、わたし。
 ワタル兄貴でもよかったし、樹里ちゃんでもガイチでもよかった。存在を失念していたが、トドさまでもいいさ。
 そしたらかねすきさんはさらりと。
「彩輝さんでも?」
 と返してくる。
「さ、さえちゃん?」
「ええ。ただ彩輝さんが演ったら、ただのホモになりますけど」
 爆笑。
 た、たしかにロドルフォがさえちゃんなら、ただのホモだ(笑)。
 それはそれでたのしいかもしれんが。
 

 あ。
 そーいや『花の風土記』の方。
 わたしったらメイン部分のお衣装の色、思いっきりまちがえてますわねー。
 笑っちゃったわ。
 でもきらきら言い訳のよーなラメの光が、初見では印象に残ったのね、とっても悪い意味で。
 

 んでもって。
 研一の純矢くん、3回目になるとどこにいてもわかりました。ほんとに背低いね……。娘役みたいに見えるよ……。


 そこは一面の花畑だ。
 ワンピース姿の少女が微笑みながら走っている。
「うふふ、捕まえてごらんなさぁい♪」
 白いシャツの少年が、彼女を追いかけている。
「こいつぅ」
 ふたりは花畑の中を笑いながら走る。
「うふふ」
「あはは」

 高橋留美子の絵でお願いします。

 わたしはタイトルを見た瞬間、こーゆー図を想像した。
 絵に描いたよーなバカップルが、頭にお花を生やして花畑を駆け回る図。

 『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』。

 「捕まえてごらんなさぁい♪」
 ……わたしの乏しい英語力と、偏向がちな想像力が、そんな図を描いたのだ。

 レオナルド・ディカプリオ、トム・ハンクス主演。

 見終わっておどろいたことは、わたしの想像が、あながちまちがいでもなかったことだ。

「捕まえてごらんなさぁい♪」
 逃げるレオ様。
「こいつぅ」
 追いかけるトム。
「うふふ」
「あはは」
 ああ、お花畑。

 ……こんな話だったなんて。

 レオ様は16才の高校生。
 すごいぞレオ様、現役高校生役だ。君こそ本物のとっちゃん坊や。高校生だと言われたらすんなり信じてしまうよ。
 両親の離婚が大ショックだった彼は、もう一度幸福だったあのころを取り戻したい一心で詐欺を繰り返し、大金を稼ぐ。
 小切手詐欺だ。
 高校生が持ち込んだ小切手を、銀行は相手にしてくれない。そこでレオ様は、「みんなが無条件に信用する職業」に扮することを思いつく。
 パイロット、医者、弁護士。
 彼は年齢不詳の顔を武器に(笑)、次々と名と職業を変え、大金を手にする。
 そんな彼を追うのが、FBIのトム・ハンクスだ。
 レオとハンクスは知略の限りを尽くして戦うが……。

 追う者と追われる者。
 そこには究極のエロスがある。

 と、つねづね思っているわけよ。
 だからとっても期待して見に行きました。

 ……期待以上っす。

 ラヴラヴでしたがな、レオ様とハンクス!(笑)
 まさかハッピーエンドだとは思わなかったよ。
 ふつー追う者と追われる者が犯罪者と刑事の場合、ハッピーエンドは存在しないもんなんだが。
 なんてこったい、ハッピーエンドだよ。

 詐欺師モノって、愉快だよね。
 スリルとサスペンス。
 窮地を知恵と度胸でひっくり返す、それがじつに気持ちいい。
 しかもレオ様の場合、みじめ路線あわれ路線に走るのではなく、とことんゴージャスにひっくり返すので、見ていて爽快だ。

 だけど、そんな天才詐欺師の持つ、かなしさ。
 嘘だけで生きる彼には、心のよりどころがない。

 昔、彼の家は裕福で、美しい母とダンディな父がいた。両親はとてつもなく愛し合っていた。幸福な両親のもとで、彼もまた幸福だった。

 だが、今の彼にはなにもない。
 以前のように裕福になれば、母が帰ってきてくれるのではないかと思った。
 借金に追われる父を救いたい。昔のように、ダンディでいてほしい。
 そう思っていたのに。

 なにもないレオ様が持っているモノ。
 それは、自分を追い続けている、あの捜査官だけだ。

 クリスマスイヴの夜。
 孤独な少年は、電話を掛ける。
 同じ空の下、自分を追い続けているだろう男のもとへ。

 …………ラヴラヴです。
 どどどどどうしましょう。ラヴラヴですよ、こいつら!!

 敵同士のはずが、いつの間にか最愛の人に。
 この世でたったひとり、わかりあえる相手に。

 トム・ハンクスがやもめ男だというのも、ポイント高いです。
 10年も前に離婚していて、娘にはろくに会ってもらえずにいるヘタレパパ。
 それでも今もなお、結婚指輪をはずせずにいるヘタレ夫。
 捜査官としては優秀でも、よき家庭人にはなれなかったんだね。
 そんな男が、天才詐欺師の幼い慟哭に気づき、救おうとするんだ。……せつないね。

 気持ちのいい映画でした。

 あ、日付は1日ズレたまま。9日の日記ナリ。

 
 悩みの種はひとり娘。
 せっかくわたしに似て美人なのに、ちっとも女の子らしくしない。
 男の子にもおしゃれにも興味なし。男の子みたいな格好しかしないの。そして、よりによってサッカーに夢中。
 今日も同じ女子サッカーチームの友だちが遊びにきている。
 ケンカでもしたのかしら。なんだか雰囲気が悪かったけれど……。
「あなたは私を裏切ったのよ!!」
 娘の叫び声。
 お茶とお菓子を運ぼうとしたわたしは、ドアの外で凍り付く。
 娘とその友人の少女が激しく口論している。
 その内容は……。
 ああ、神様!!

 友人じゃない。
 あの少女は、娘の恋人だわ!!

          ☆

 ご機嫌な映画を見ました。
 『ベッカムに恋して』。

 バーミンダ・ナーグラ、キーラ・ナイトレイ主演。

 女の子のサッカー映画。
 ……と言えば、想像するよね? その想像まんまの映画。

 主人公のジェスはサッカーに夢中な女の子。部屋はあこがれのベッカムの写真だらけ。彼女は毎日、男の子にまざってボールを蹴っていた。
 インド系イギリス人の彼女の家庭は厳格。「女の子は女の子らしく!」が基本。両親はジェスがサッカーをすることに大反対。
 ある日ジェスはジュールズという少女に、女子サッカーチームに誘われた。女の子にもサッカーリーグがある! そのことを知ったジェスは家族に内緒でチームに入る。
 チームは勝ち続け、ジェスにはサッカー選手としての輝かしい未来が予想される。
 ……が。サッカーチームに入っていることが、両親にバレてしまった! 当然ジェスはサッカーを禁止され……。

 「女の子は女の子らしく」という概念。「女は家庭に入るのがいちばんの幸福」という概念。「おっぱいが邪魔でプレイできないだろ?」と笑う男たち。
 それらをはねのけて、自分で人生を切り開いていく女の子たちの青春映画。
 友情と恋と夢と家族愛。

 女の子のサッカー映画、と聞いて想像するまんまの映画。

 そう、まんまだからいいのよ。
 見ていて気持ちいい。お約束のテーマとストーリーを真っ向勝負。

 ヒロインのジェスがインド系だってのがいい。
 現代のふつーの家庭の女の子が、「サッカーなんてはしたないものは禁止!」って言われても「はぁ?」って感じだよね。ふつーにスポーツじゃん、って。家族の反対が、大して障害にならないよね。
 でも、なんといっても彼女はインド系。規律の厳しさが、わたしたちとはチガウ。
 家族の反対が、とても大きな障害なの。そりゃ、この家庭環境でサッカー選手になろうなんて、ものすごい反骨心だよ、と思わせる。
 現代で「身分違いの恋」をやってもそれほど盛り上がらないけど、明治時代とかヨーロッパの貴族社会とかでやると盛り上がるのと同じ。
 障害が障害として、正しく機能。

 インド系イギリス人の生活なんて、まったく知らなかったから、それを見るだけでも興味深かった。
 ほんとにインド人なんだ……家も服もふつーに現代なのに。生活はイギリス、でも習慣はインド。なんて頑な。日本とはチガウ。

 女の子と家族、女の子と社会の戦いの物語。
 ジェスとジュールズ、ふたりの少女はそれぞれ両親にサッカーを反対されている。
 インド人とイギリス人ってことで、反対の度合いがチガウけれど。
 インド人のジェスは完全反対、イギリス人のジュールズは反対はされるけれど、されるだけで、彼女は自分のしたいようにすることができる。
 この対比もいい感じ。
 立場はまったく同じなのに、障害の大きさがチガウの。それが民族のちがい。
 インド娘とイギリス娘の家庭が、きちんと描いてある。
 ……自由度のちがいはあるものの、家族や社会に理解されずに、自分の道を貫くのはつらいよね。
 だから応援したくなる。
 がんばれ、女の子。
 自分の人生を、自分の意志で決めるんだ。

 女の子と家族の関係が、とてもいいの。
 対立を描くわけだから、主人公の女の子側ばかりを描いてもダメ。障害となる家族側も、ちゃんと描かないと。
 いいファミリーなんだ。
 ジェスもジュールズも、いい子だってのが納得できる。このファミリーに愛されて育ったんだから、そりゃいい子たちだろうよ。

 そしてもうひとつのお約束、恋と友情。
 ジェスとジュールズは、同じ男性を好きになる。
 チームのコーチで、ハンサムでやさしく厳しい好青年。
 さあ、男が絡めば友情は危機だ。
 ジェスとジュールズは絶交!!
 ……まったく、女の子ってば、公私の区別つかないからなあ。恋とサッカーは別もんだろうに……恋でモメると、サッカー的にも大変さ。

 これらの出来事は、すべて気持ちのいい大団円になだれ込む。
 そりゃーもー、お約束通りに。
 期待通りに。

 
 この映画の気持ちいいところは、すべてが「お約束通り」であることだ。
 お約束の気持ちよさを優先して、気分の悪くなるよーな部分は描かない。

 たとえば、家族に内緒でチームに入ったジェスは、金銭的なことはどーなっているのか? とか。
 日本のサッカーマンガでこのパターンならまず、主人公はチームの月謝に苦労するね。ユニフォーム代、シューズ代はもとより、スタンドの使用料、コーチの給料とか、月謝として徴収されるよねえ? 高校生の女の子が、学校に通いながらどう捻出するんだ?
 でもそんな部分は描かない。ジェスは問題なく毎日練習して腕を上げていく。

 たとえば、ジェスとチームメイトの軋轢。
 スカウトで入ってきた、「家族には秘密」のストライカー。家庭都合で試合に出たり出なかったり。
 ふつー、嫌われるって。ジェスが入ったことで、レギュラーからはずされた子とかがいるはずだ。あとから来たジェスより、もとからいる子を大事にしないか、他のチームメイト?
 でもそんな部分は描かない。ジェスは問題なくチームメイトに迎えられ、毎日たのしく練習して腕を上げていく。

 ジェスがはじめから抱える「障害」はあくまでも「家族」だけにまとめる。
 そしてこれは、「家族愛」でハッピーエンドに。
 次に、ストーリーが進むことで生じる「問題」が、恋と友情の板挟み。他のチームメイトとかは一切描かない。ジェスとの関わりは、ジュールズのみ。
 そしてこれも、「友情」で美しくハッピーエンドに。

 「お約束」の実行のために、他のことを切り捨てる潔さが秀逸。

 だから見ていてとても気持ちいい。
 期待通りの快感に酔える。

 あと、爆笑を誘っていたのが、ジュールズのママ。
 浅慮な価値観に凝り固まっている、かわいい女性。
 コーチをめぐってケンカするジェスとジュールズの会話を立ち聞きして……「痴話喧嘩」だと誤解。
 娘がレズだなんて!! と、いちいち過剰反応。
 ママが出てくるたびに、場内爆笑。

 ジェス側も、ジュールズと仲良くしているところを小うるさいおばさんに目撃され「男の子と道端でキスしてるなんて!」と誤解されて大変なことになったり。

 ジュールズがとにかく、美形だから。
 ボーイッシュで傲慢。引き締まったカラダもかっこいい。
 ……男の子にまちがえられたり、レズの男役だと思われたり。大変だな(笑)。ふつーに恋してる女の子なのに。

 クライマックスの結婚式のシーンがいいよ。
 カラフル!!
 インドの結婚式って大変だ。
 踊れ踊れ。
 幸福を祝って踊れ。
 インド女性として、同族に祝福されて結婚する姉と、それらすべてと相反することになる、サッカーの決勝戦で戦う妹の、対照的な……でもそれぞれがもっともしあわせなシーンが交差して描かれる。

 
 たのしい映画だった。
 エンディングはNG集みたいになってるの。かわいいー。
 スタッフもキャストも、サリーを着たおばーちゃんも、ころころしたおばさんも、みんなみんな踊り出す。
 かわいいー。

 原題は「ベッカムのようにボールを曲げろ」という意味らしい。
 ベッカムがボールを曲げるように、自分の人生を自分の力で曲げろ、という、エールに満ちたタイトル。
 すべてが直球勝負だ(笑)。
 大好き。


 人を呪わば穴二つ。……チガウ?
 ミイラ取りがミイラに。……チガウ?

 人生なにが起こるかわからない。

 弟の携帯電話が壊れた。
 液晶がご臨終。
「まぁああ、大変ねえ。あんたの携帯、まだ新しいのにねええ」
 他人の不幸は他人事。わたしはせせら笑う。

 父の病院からの帰り道、弟は「携帯電話のショップに寄りたい」と言った。
 彼が以前に携帯を買った店は、新規加入のみの取り扱いで、機種変更には対応していないそうな。だから家の近所のショップに行きたいのだと。
 場所がわからないという弟につきあって、わたしも一緒にショップに行く。

「機種変更をしたいんですが」
 という弟に、お店のおねーさんは次々見本を見せてくれる。
「ねえねえ、これいいじゃん。あっ、これなんかあたし好きー」
 他人事なので、わたしは気軽。説明を聞きながらいろいろ手にとって、好きに言う。

「じつは今使っている携帯が壊れたんですが……修理するより、買い直した方が安いですよねえ? 修理代って、いくらになりますか?」
「500円くらいですね」
「えっ……っ?!」
「会員の方は、修理代が10分の1になりますから。500円以内で収まります」
「でも、修理にかかる時間は……」
「1週間ほどいただきます。その間は無料で代替機をお貸しします。電話帳などのデータも転送しますから、ふつうにお使いいただけますよ」

「修理にするか……」
 と、弟。

「ええっ、買わないのおーっ?! これなんかいいじゃん、かわいいじゃん! 買おうよ、これ!」
 治まらないのはわたしだ。
 いろいろ見ているうちに、物欲がむらむら。
「でも、ぼくの携帯はまだ十分新しいし、ポイントもまだあまり溜まってないし。修理でいいよ」
 と、言っているうちに、弟の携帯が鳴る。液晶が死んでいるからメールは全滅だけど、通話は無傷。会社の人かららしい。社会人の顔になって話し出してしまう。

 残されたのはわたしと、店のおねーさん。
「あのー……この携帯、わたしが買うとしたら、いくらになりますかね……?」

 うわわわぁぁん。

 買っちゃったよお、携帯!!

 弟が電話を切ったときには、わたしはもう機種変更をすませていました。弟よりはるかに古い携帯を使っていたわたしは、とーぜんポイントもそれなりに溜まってたのさ。

 ああでも、この金のないときに! なにをやってるんだわたし!

 一目惚れだったのよ。
 オレンジ色の小さなソイツに。

 わたし色だったんだもんよ。
 黄色系はわたしのトレードカラーなのよ。パープルがうちのママのトレードカラーのように。(ちなみに弟はグリーン、父はベビーピンク。みんな「自分の色」を持っている)

 新しい携帯電話を買うのは弟。
 ……の、はずだったのに。

 どーしてこんなことに?
 予定外出費。
 予定外の出来事。

 
 わたしが唯一定期購読している雑誌は、『TV Bros.』だ。
 タイトルからわかるように、テレビ情報誌。

 だが、テレビ情報誌としては、ほとんど役に立たない。

 テレビのことなんか、言い訳程度にしか載ってないんだもんよ。
 肝心の2週間番組表だって、新聞の方が見やすいくらいだし。

 んじゃなんでこんなに役に立たない雑誌を買っているか。

 おもしろいからだ。

 テレビ情報以外のページが。

 つーかこれ、ほんとになんの雑誌かわからないもんなあ。
 今週号の表紙なんか、アカレンジャーのアップだし。真面目にキャストやスタッフのインタビュー載せて、特集組んでるし。
 『真珠夫人』特集のときはすごかったよ。「半世紀前?」みたいなタカラヅカばりの時代錯誤な「ロマンチック劇画」な表紙……。
 弟に、「なんの雑誌?」ってマジに聞かれたなー。そしてテレビ情報誌だと答えると、「男が買えない表紙だ……」と絶句されたわ。

 『TV Bros.』は、変だ。
 記事部分が、相当変。
 そして、変であることをウリにしている。

 ノリとしては『ファミ通』に近い。
 『ファミ通』はタイトルからわかるように、ゲーム情報誌。だが、ゲームとは関係ない記事も多い。つーか、ゲームとは関係ないあたりにあるノリこそが、いちばんのウリだと思ってるんですが。

 20代30代の人間が、「共通言語を持った人間が、とにかくたのしめるモノ」を作ったらこうなった、って感じかなあ。
 一般人なんか置き去りでヨシ。わたしたちだけがたのしければいいの。わたしたちが興味を持ち、たのしいと思えるものならなんでもいいの。

 『TV Bros.』の番組欄、『ファミ通』の攻略記事などが唯一、一般人への言い訳で、その他の部分は趣味全開! つーかそっちこそがメインだろ?的な作りが、愉快なんだよなあ。

 まあ、『TV Bros.』と一緒にしたら『ファミ通』に失礼か。あちらは『TV Bros.』なんかよりはるかに、本筋も大切にしているし、また売れてるもんなあ。

「ええっ、今日も『一歩』ってあったけ?」
「あるよ。2時23分から」
「わたし『TV Bros.』しか見てないから、わかんないよー」
「ほんと役立たないよね、『TV Bros.』……。あたしももう、買わなくていいかとも思っちゃうんだけど……あまりに役に立たないから」
「でも、おもしろいしなー」
 とゆー会話を今日も、WHITEちゃんとしました。

 わたし最近、テレビの番組欄は『TV Bros.』じゃなく、Yahooに頼ってるよ……。

 いつか『TV Bros.』でヅカの特集してくんないかなー。
 めちゃ笑えるものになると思うんだけど。表紙がどんなものすごいものになるか、それだけでもたのしみだし。
 ……真面目なヅカファンは、頭から湯気立てて怒りそうだが。

 
 40時間を超えているのに、ストーリーがちっとも進まない……。

 FFTAのことっす。
 ゲームボーイアドバンス用シミュレーションRPG『ファイナルファンタジータクティクスアドバンス』(長い……)。

 テレビゲームはひたすらヴィジュアル重視。華麗なCGばかりがウリになり、味のあるドット絵は携帯ゲーム機に押しやられた。
 わたしや弟は、不気味なマネキンが喋り動くCGよりも、2Dのドット絵を愛しています。CGなんぞどーでもいいから、おもしろいゲームをやらせてくれよ……が本音。意味のない3D化には辟易さ。

 縁あって、10とTA、ふたつのFFを同時にプレイしているのだけど、FF10に関してはもー……アレ、ゲームちゃうやん、映画やん、という感想に終始しますな。
 自分でプレイする、という要因が少なすぎる。
 コントローラから手を離して、何分もぼーっとテレビ画面を見ている。たまに操作しなくてはいけなくなっても、ただ主人公キャラをまっすぐ前に進ませ、ドアを開けるだけ。ドアを開けたあとはまた何分もただぼーっと画面を眺めている。……んじゃ、ドアを開けるのも、わたしがやる必要ないじゃん。無理にプレーヤーにやらせるなよ。
 ストーリーは一本道、キャラの成長もそれほど自由にはならず。つーかスフィア板って見た目より自由度断然低いよねえ。

 ゲームが作りたい、のではなく、映画が作りたい、のよね。制作者。
 ゲームを利用されているみたいで、やな感じだ……。やりたいことは別にあるけど、そっちはできないからとりあえずこっちでやっておこう、みたいな。
 ほんとはマンガが描きたいんだけど、絵が描けないから小説でも書いていよう、とか。
 芸術作品を作りたいんだけど、金にならないから大衆作品を作っておこう、とか。
 そーゆー腰掛け意識って、やだなあ。
 どーせなら、「コレがやりたいんだ、コレが好きなんだ、他はなにもできなくていいから、おれにコレを作らせろ!」とゆー気合いとか愛情が見えるものが好きだなあ。同じ失敗作でも、そこに恥ずかしいほどの思い入れがある方が、微笑ましいよ。
 

 わたしはゲーム文化を知らずに成人し、うっかりゲームショップで働くことになって必然的にゲームと出会った。

 そして、最初にプレイしたゲームが『ロマンシング・サガ』だったんだわ……。

 三つ子の魂百まで。
 よりによって最初が『ロマサガ』。

 おかげで、おどろくことがいろいろあった。

「えっ、RPGってストーリーがあるの?」
「えっ、RPGって敵の姿が見えないの?」
「えっ、RPGって装備品が決まってるの?」

 ストーリーが一本道。
 ……てのがいちばんショックだったかな。
 ゲームっていうのはストーリーがなく、自分で冒険するものなんだって思いこんでたから。
 ストーリーがあるなら、映画とかマンガとかでいいじゃん。……て、本気で首を傾げたさ。
 ストーリーを主人公になって追体験するものがRPGだったのね。追体験なら映画でもマンガでもいいじゃん……とも思うけど。
 そうそう、ゲームの主人公に自分の名前をつけるという文化が、わたしには理解できないし。
 主人公が「自分」でないと仮想現実をたのしめないのか……。
 わたしはそんなことしなくても、いくらでも別人になってたのしめるけどなあ。映像文化でも文字文化でも。
 ゲームの買い取りをしていて、動作チェックをするときに主人公の名前が自然と見えるのだけど、みんな自分の名前つけてやってるよなあ。

 まー、とにかく。
 最初にプレイしたゲームが、ストーリーはなし、どこへ行ってなにをしてもヨシ、装備品は誰でもなんでも自由、育て方も一切自由、敵の姿が見えるので戦いたくなければ避けるも逃げるも自由、というものだったもんで。
 それが当たり前だと思っていたのよ。

 A地点にいたら、次はB地点に行くしかなくて、C地点にはBをクリアしてからでなくては行けない、なんてショックだった。決められた道を歩くんじゃ、「わたし」がプレイする意味ないじゃん……がーん……。
 なにもない道を歩いていたら、突然エンカウント、戦闘開始。ななななんで? 敵なんかどこにもいなかったのに? それが「ふつう」だなんて知らなかったもの。ザコ敵とはそーやって無意味に戦い続けるしかないんだって。
 剣や槍や杖や弓。装備できるものがひとりずつ決まっているなんて。主人公の若者は大抵剣。弓は持てないのね。ヒロインは大抵魔法使いで杖。拳でがしがし戦ったりしないのね。ひとりずつ持てる武器が決まっていたら、同じよーにしか成長しないじゃん。それじゃ「わたし」がプレイする意味ないじゃん……がーん……。

 まあそのかわり、「次にナニをすればいいのかわからない」と途方に暮れたり、「出会い頭に全滅」とか「プレイして15分、最初に出会った敵に瞬殺ゲームオーバー」とかいうめには遭わないんだろうけどさ。

 生まれてはじめてコントローラ握って、よくわからないまま「グレイ」を主人公にプレイをはじめ、最初の戦闘で全滅、ゲームオーバー。
 呆然。
 この間、15分弱。
 ……よく、ゲーム嫌いにならなかったものだ。ほんとに、わけわかんなかったよ。ストーリーないし、なにをしていいかわからないし。最初に出会った敵は、自分のキャラの10倍のHPを持ち、自分のキャラのHPをはるかに超える攻撃力を持っていた……敵の攻撃一回で全滅。なにもできない。
 そのソフトを貸してくれたBe-Puちゃんは「15分やったけど、わけわかんないから、二度とやってない」と言っていたし。
 ほんとに、不親切きわまりないゲームだったよ。

「『ロマサガ』は初心者がやっちゃイカンの」
 と、弟には笑われたけどさっ。
「ふつーのロープレをたくさんやったあとに『ロマサガ』をやると『おおっ、こんな世界が』と感動するけど、最初にやったらイカン」
「それって、御手洗シリーズを『異邦の騎士』から読むよーなもん?」
 と言ったら、ウケられてしまった。
 ……ええわたし、御手洗シリーズは『異邦の騎士』から読みましたのよ。新刊だったんだもん。シリーズだなんて知らなかったんだもん。

 
 『ロマサガ』はたしかに、いろいろ問題のあるゲームだった。
 だが、わたしにはそれが初体験。
 最初のオトコは忘れられないわ、てなもんで、「自由度」の高さがわたし的「ゲームの愉快さ」に大きく関係している。

 つーことで、同時にプレイをはじめたふたつのFF。
 おもしろいのはTAの方。

 …………にしてもFFTA、ストーリーなさ過ぎだぞー(笑)。

 FFだからストーリーが一本道だってのは知ってるけどさ。
 そのストーリーがぜんぜん進まないよ。
 他のことばっかだよ。
 ああ、ジョブを極めたいよ、アビリティをマスターしたいよ。うわーん、クエストアイテムがちっともそろわないよー。わたしのプレイの仕方がまずいの??

「モーグリがちっとも仲間にならない」
 と弟。
「モーグリがいないから、曲芸士のイベントができない」
 なんでモーグリ不足? うち、いっぱいいるよ?
 弟のデータを見せてもらったら、女の子ばっかりだった。
「なんでこんなに女の子がいるの? うち、ひとりもいないよ?」
「知るか。勝手に仲間になってくるんだから。そっちこそなんでそんなにモーグリがいるんだ」
「知らないよ。勝手に仲間になってくるんだから。最近は断ってるよ」
「なんてもったいない」
 ……仲間になるキャラはランダムなんだよね? わたしの方はモーグリと人間ばっかが仲間になるよ。ウサ耳の女の子たち、ひとりも出てこないっす。最初にいたひとりだけだよ。うわーん、専用のジョブがマスターできないよー。
「こっちはムーミンとウサ耳ばっか出てくる」
 ウサ耳は使い勝手がいいからいいけど、ムーミンは使いづらいよねえ。

 そして弟には言えないけど……弟のキャラたち、名前がいいよーっ。
 うらやましいー。
 キャラの名前もランダムなんだよね?
 弟のキャラには「グレアム」とか「シシィ」とかいるのよ。そんな名前の子が仲間になったら、わたし、絶対大切に育てるわ。
 うちなんかさ……「イカボット」だよ?
 モーグリの時魔道士が仲間になったんだけど……名前がイカボット。
 ……いやだ。イカボットなんて名前、いやだーっ。
 時魔道士がそいつしかいないんだけど、使う気にならない。
 イカボットなんて名前のモーグリ、愛せないわ!!

 今わたしが比較的お気に入りに育てているのはシーフのレスターと、白魔道士のマーティ。
 つーのもだ、アイテム禁止のときにマーティが戦闘不能、仕方なくレスターがアイテムを使ってマーティを復活させ、かわりにペナルティを受けた。
 仲間を助けるために犠牲を払った……ってシチュに萌え♪ なんですわ。以来、レスターとマーティは一緒に行動させています(笑)。
 だがこれも、弟には言えない……。不純な愛情。
 

「通信用ケーブル買うか……? キャラの交換できるぞ?」
 と、弟。
 携帯ゲーム機で通信でキャラ交換で。……いやな姉弟だな……このトシで。


 水曜日は映画の日。忙しくて見られなかった、見たい映画が溜まってる。

 つーことで、見損ねたままだった映画と、旬な映画と2本連続で見てきました。

 上映期間ももうすぐ終わり、という、「今ごろそんなの見たの?」と言われそうな『戦場のピアニスト』。
 封切りからもう2ヶ月ほど経ってるよねー。アカデミー賞のおかけで期間延長、なんとか見に行くことができたよ。そーでもなけりゃ、一生見られなかったろうなー。(基本的にわたしは、映画は映画館でしか見ない。見損ねたら最後なんだわ)

 どーしても見たかったので、がんばって見に行きましたが……。
 べつに、見損ねたら見損ねたで、それでよかったな。
 とゆー感想でした……。

 第2次世界大戦時、ユダヤ人ピアニストの主人公の、苦難の物語。
 そりゃーもー、苦難につぐ苦難の日々。
 人間として市民として当たり前の権利がどんどん剥奪され、無差別の暴力と死にさらされ、家族を殺され、ひとりでボロボロになって隠れ住み……。
 ついにドイツ兵に発見されたが、ピアニストだと告げるとセーフ、見逃してくれました。
 実話を元にした作品。

 うーん……。
 ただたんに、わたしの好みではなかった、ということかな。

 ほんと、たんに、おもしろくなかったんだわ。

 でもさぁ、こういう映画を「おもしろくなかった」って言うと、「知的レベルが低い」とか「反倫理的な人間」みたいなイメージがあるような気がするなー。
 だって感動大作だもんなあ。

 日本で言うなら、原爆をテーマに扱った太平洋戦争映画とかさ。ヒロイン(日本映画ならヒロインだろう!)がどれほど苦労して生きたか、どれだけ戦争が悲惨であるか、をえんえん語った作品(しかもドキュメントとか、ほんとうにあった話)を悪く言ったらまずいよね、みたいな感じ?

 リアルに理性的に「時代」を描写しているんだろう。
 そこある残酷さも恐怖も過ちも、すべて真実なんだろう。
 ……でもわたしには、おもしろくなかった。
 わたしはドキュメントや自伝が見たいのではなく、映画……エンターテイメントが見たかったんだ。

 演出次第で、いくらでもおもしろくなったと思うんだけどなあ。

 きっとはじめから目指したモノがチガウのよね。
 ドキュメントで自伝なんだよね。
 事実を冷静にありのままに描いてあるんだもの、エンタメみたいに「感動させよう!」なんてあざとい仕掛けは必要ないんだよね。

 スタンスがちがう、ツボがちがう。
 よくわかりました。
 よくわかったんだけど……もったいないなー、なんて、エンタメ嗜好のわたしはつくづく思ったのよ。
 このネタ、ものすげえエンタメに製造可能なのに。
 泣かせられるし、感動させられるし、美談だし、スリルだしサスペンスなのよ?
 もったいない。
 もっともっと、一般受けするものにできたのに。
 史実を元に、純文学を書くかエンタメを書くか。
 そのちがいなのよ。
 なんか大真面目に純文学でさ。格調は高いかもしれんが、大衆が楽しめるものじゃない。文部省推薦、ってロゴを付けて、高校生が教師の命令で鑑賞するよーな作品になった。
 エンタメとして作っていたら、命令ではなく自発的に見に来ただろうにね、高校生。テーマは変えずに、もっとたくさんの「純文を理解しない人たち」にも見てもらえただろうに。……ま、かわりに「純文しか認めない人たち」にはそっぽ向かれたかもしれんが。

 つーことで、わたし的にはおもしろくなかったです。『戦場のピアニスト』。

 そしてもう一本。
 大阪で封切られてから、どれくらい経ったかな?
 梅田まで見に行くのがめんどーなので、地元……つーか、自転車で見に行けるハコにやってくるまで待っていました。
 『ボウリング・フォー・コロンパイン』。

 なにがおどろいたって、観客の少なさ。

 映画館、がらがらでやんの。
 ええっ?!
 だってこのハコ、このタイトルが上演されて最初の水曜日なんだよ? なんでこんなに誰もいないの? 女性はこの映画、興味ないのか?
 こんなにがらがらの映画館で映画を見るのはいつぶりだ……? 水曜日しか映画を見ない人間なもんで、いつもそれなりに混んでいるもんなのよ。そう、『五条霊戦記』以来のがらがらぶりだわ。(『五条霊戦記』はとっても愉快なおすすめ映画っす!笑)

 アカデミー賞取ったのになあ。
 しかも授賞式で、監督・脚本・主演のマイケル・ムーアのパフォーマンスで物議を醸し出したのになあ。
 それでも、こんなにがらがらなのか……。

 コロンパイン、というのは、アメリカにある高校の名前。
 そう、生徒が銃を乱射して多数の教師や生徒を死傷させた、あの事件があった高校。
 なぜコロンパイン事件は起きたのか?
 というテーマで、アメリカの銃社会に疑問を提示するドキュメント映画。

 ドキュメント映画を見るのははじめてです。

 学校とかで強制的に見せられることはあっても、自分では見たことなかったなあ。
 そのせいかな、ドキュメントってどーも、おもしろくない、退屈、というイメージがあって。

 はじめて見たわけだけど。

 うまい……。

 とてもうまいっす。この作り方。

 ただ事実を列挙していくだけじゃ、つまんないんだよね。
 自伝とかストーリーや時系列の決まったモノなら、『プロジェクトX』的に作ることはできるけど、こーゆー「はばひろく現実の事象を拾い集め、そこからテーマを浮き彫りにする」タイプのものを、どうまとめ、演出するか。
 ふつーに事実だけ書いてたんじゃ、退屈。新聞記事のスクラップ帳になる。かといって、誇張や嘘は使えない。
 では、どう見せれば観客を退屈させず、テーマを描けるのか。

 その手法を見せてもらいました、って感じ。

 コラージュの仕方が秀逸。
 素材は新聞記事でしかないのに、それを色紙や布やリボンでデコレートし、構成を考えてレイアウト、眺めるだけでたのしい絵本のようにした……みたいな。

 アイディアと構成力に脱帽。かな。

 テーマについては……すみません、わたし、実感できません。
 現実にそこに生きていないわたしには、「傍観者」としての見方しかできないのよ。「あー、アメリカ人ってばよー」みたいな。
 普遍的なものはわかるけれど、この映画はあくまでも「アメリカの、アメリカ人としての」立ち位置にいる。そこに立っていないわたしには、所詮絵に描いた餅っす。

 興味深く、勉強にはなるが、おもしろくはなかったよ。……おもしろい、てな観点で見るもんでもないのか。

 ……夜にWHITEちゃんがうちにやってきたので、『コロンパイン』を見たことを話しました。
 梅田の劇場で上演されたときは連日満員立ち見の整理券発行だったそうな。WHITEちゃんは「これだから大阪人は……」と言っていた。「アカデミー賞効果」はいまいましい、と。
「封切館でもない田舎の映画館では、誰もあんな映画は見ないんでしょうよ」
 ……そーゆーもんなのか。梅田に行かなくてよかったよ。

 にしても、『戦場のピアニスト』と『ボウリング・フォー・コロンパイン』……2本立てで見るよーなタイトルじゃない……疲れた……。

 
 わたしの色は黄色。

 いちばん好きな色。
 いちばん惹かれる色。

 子どものころは、自覚がなかった。
 自分がいちばん好きなことはなんなのか。
 自分がいちばんやりたいことはなんなのか。

 トシをとってようやく、わたしはわたしを知る。

 好きな色に気づいたのは、高校生くらいになってから。
「黄色い服なんて、持ってる人いないよね?」
 と友だちに言われ、その場にいた子はみんな「そりゃそーだ」と言い、わたしも一緒になって言いかけ……首を傾げた。

「わたし……黄色い服、持ってる」

 持ってるどころか、複数持っていた。シャツもズボンもワンピも。
 スーツも持ってたな。
 思い起こせば、小学校の卒業式で着たスーツも、黄色だった。
 中学のとき家庭科で作ったパジャマも、黄色だった。

 わたし、黄色好きだったんだ……。

 知らずに、いつも黄色い物を買っていた。
 いつもいつも、気づくのが遅い。

 わたしはわたしを知らない。

 今日、父の病院でぼーっと考えた。
 今わたしが使っている鞄は、ミスドでもらったタウンショルダー。黒に近い紺地に、黄色のパイピングがアクセント。
 中央部分のメッシュポケットに、アドバンスSP。それにはヤフオクで買った某デザイナーの黄色いウサギのついたストラップがつけてある。
 ああわたし、ほんとに黄色好きだなあ。
 紺地に黄色のバッグ、そしてそれと同じ黄色のマスコット。……なんてきれいなんだろう。
 なんかうっとりと、見とれてしまったんだ。

 いつからわたし、黄色が好きなんだろう。
 どうして好きなんだろう。
 好きになるってどういうことだろう。なにがあってわたしは、この色を好きになるんだろう。

 色だけじゃなくてね。
 好きなこと、好きな人、やりたいこと、欲しいもの、みんなみんな、気づくのはいつだって遅い。
 そして、不思議だ。
 どうしてわたし?

 わからないことだらけだ。

 
「がんばっているのよ」
 と、WHITEちゃんは言う。
 彼女の大きな財布はぱんぱんにふくれあがっている。何故そこまで? ってくらい、分厚い。横にして置いても倒れない。
 なにが入ったら、そこまで丸くふくれるというの?
 彼女は財布を開けて見せた。
 ……ものすごい数の、カード。
 金融関係のカードではなく、店舗のサービスカードが主だ。ポイントカードとかスタンプカードとか。……彼女も正しく大阪のおばちゃんとして歩んでいる模様。
 だがしかし、彼女が見せたかったものは別にあった。

「見て。これが金運のお守り。金色の招き猫でしょ。銭亀に御札に……あ、これは金のカエルね、それからこっちが……」

 次から次へと出てくる、開運グッズ。
 御札ならまだ紙だからいいけど、ほとんどのグッズは「マスコット系」だった。つまり、陶器だったりする、立体物なのよ。
 ……ふくれあがるわけだよ、財布。立体物をそれだけごろごろ入れてたら。

「でも変ね。こんなにがんばって縁起物を財布に入れているのに、ちっともお金が貯まらないの」
「……神様がケンカしてるんじゃない? そんなにたくさん、いろんな種類をひとつの財布に入れてたら、逆効果っちゅーか……」
 WHITEちゃんは神妙にうなずいた。

「そうか、たくさん入れすぎで、神様が戦っているのかもしれないわ。酒池肉林ね」

 WHITEちゃん。
 あなた日本語の使い方、まちがってます。
 「酒池肉林」は戦いの表現ではありません。

 神様がいっぱいで酒池肉林……。
 それじゃ金が貯まらないはずだよ。
 財布の中で宴会する神様って、いたらソレ、「貧乏神」じゃん。

          ☆

 花組大劇場公演、それってどうよ?なトド様降臨トップ公演。
 わたしの目標は、楽と新公と土日の3列目。……とりあえず全クリア。
 
 デイジーちゃんのためにダメモトで、朝ごはん食べながら片手でCNに電話してたら、つながってしまった。あー、びっくりした。
 開始2分? 自動応答だし地下だから電波悪くて音声途切れるし、あせりまくって入力。デイジーちゃんの希望通りの日時をGET。
 わたしはどーも、CNとは相性がいいようだな……いつもの店でごはん食べてるときにCNにかけると、高確率でつながるぞ?(笑)
 つってもCN、席悪いけどね……。

 父の病院に行くためにあわてて帰宅したら、母に止められた。
「今、女友だちが来てるから、あんたは行かないでいいわ」
 ……またかい。いつものおばさんとは別の人らしいが。
 ので、本日は父の見舞いには行かず。

 新番組『ぼくの魔法使い』は笑えた。『ご近所探偵TOMOE』はダメだったが、この程度ならゆるせる。わたしの笑いのツボは狭い。
 そして。
 『エンタの神様』とかゆー番組のことは、見なかったことにしよう。うん、そうしよう。

 
 自己愛が炸裂する小気味よさ。
 映画『シカゴ』を見てきました。

 いやあ、愉快っす。
 出てくる連中、どいつもこいつも極端に自己中。
 どこにも「愛」がない。他人になんか興味がない。あるのは「自己愛」だけ。
 ここまでくると、それが快感。

 ロブ・マーシャル監督、レニー・ゼルウィガー、キャサリン・ゼタ=ジョーンズ、リチャード・ギア主演。

 1920年代シカゴ。スターを夢見るレニー・ゼルウィガー(既婚)は「芸能界に紹介してやるよ」と言う男と不倫。でももちろんそんなのは男の嘘で、だまされていたことを知ったレニーは逆上、男を射殺してしまう。
 レニーが投獄された刑務所には、彼女のあこがれのスター、キャサリン・ゼタ=ジョーンズがいた。キャサリンもまた殺人犯として投獄されていたのだ。
 キャサリンは敏腕弁護士のリチャード・ギアの手を借りて、殺人犯の囚人でありながらシカゴの人々からスター扱いをされている。ギアならば殺人犯を無罪放免することができるというのだ。
 レニーはギアを雇い、「無罪」を勝ち取りなおかつ「スター」として名を馳せるために彼と共に画策をはじめる。
 レニーの運命はいかに?!

 ミュージカルの方は見たことありません。
 ついでに、ストーリーもなにも知らずに見に行きました。

 おもしろかった。

 ミュージカル部分と映画ならではの部分の融合がセンスいい。
 ミュージカルにはミュージカルの手法ってあるよね。お約束っていうか。そのジャンルが持つ武器。
 それを損なわずに「映画」というジャンルの武器を使って表現してるの。
 うまいわ。

 これは「映画」である。
 だから「映画」として、「映画」でしかできない表現方法を見せてくれなきゃ、「映画」である意味がないと思うのよ。
 それをあざやかにやってくれているから、すてき。
 気持ちいいの。

 ミュージカルの方も見てみたい。
 素直にそう思える。

 今までふつーに喋っていた人が突然歌い出す。
 台詞が歌に、歌が台詞に。
 これ、ミュージカルのお約束。魅力でもある。

 でも、映画でソレはないよね?

 ではどうするか。
 歌の部分はすべて、「ショー」にしてしまう。

 たとえば迫力の女看守が出てくる場面。
 場所は刑務所、ヒロインのレニーも他の囚人たちもみんな囚人服を着てひとつの部屋に集められている。
 そこへ強面の女看守登場。
 彼女は台詞で自分の紹介と主張を述べる。そりゃーもー、おっかなぁい脅迫めいた寛大な台詞だ。
 そこに。
 突然、別のシーンが二重映しになる。
 女看守がセクシーなドレス姿になり、「おっかなぁい脅迫めいた寛大な」歌詞の歌を、ステージで踊りながら歌っちゃうのさ。他の出演者たちに追従されながら、女王然としてショーを行う。
 女王様ショーと女看守の台詞が、シンクロして展開するわけ。

 全編この調子で、「ミュージカル!」になる部分はすべて、突然別のショー・シーンになる。舞台の上の世界になる。キャストと観客が、そのときどきの現実の人々にシンクロするんだ。

 うまい。
 映画をやりながら、ミュージカルしてるよ。
 おしゃれでミステリアスだ。

 ヒロインのレニー・ゼルウィガーはベリキュート。
 バカ。
 を、絵に描いたよーな美人。
 のーみそ空っぽで虚栄心と自己愛が強く、他人のことなんかこれっぽっちも思いやらない。もちろん殺人を悔いることもない。他人を利用し踏みつけにするけれど、自分は爪の先でも傷ついたら泣きわめくタイプの女。
 ……でも、このバカっぷりがもー、小気味いい。
 だって彼女はパワフルだ。
 どんなにバカで恥知らずでも、やりたいようにやり、生きたいように生きる。
 かわいいブルドーザー女。邪魔する奴らはなぎ倒せ。

 もうひとりのヒロイン、キャサリン・ゼタ=ジョーンズがかっこいい。
 こちらは同じ自己中でも、知性がある。自分がなにをしているかわかっていて、悪徳の中を輝きながら生きる女。セクシーでワイルド。
 女性があこがれるのはこのキャサリンの方よね。
 目的のためには手段を選ばない、悪の華。
 どんな境遇からも、自分の腕で這い上がるその強さ。ああ、かっこいいー。

 悪徳弁護士リチャード・ギア。
 ……正直どーしてこの人がこの役をやっているのか、わたし的にはいまいちわからんのですが……。他にもっと適任がいたんじゃなかろーか、とか。
 なにがすごいって、ヒロインと愛が芽生えないこと!!
 この映画、愛がどこにもない。
 ほんとにこの弁護士、自分のためだけに、「売名」と「金」のためだけに弁護という名の「パフォーマンス」を繰り返します。たのしそーに。
 いいなあ、この潔さ。
 どんな美女より自分が愛しいのね。
 クライマックスの法廷シーンの盛り上がりはすごいぞ。

 自己愛のみで突っ走るふたりのヒロイン、自己愛のみで罪を無罪にしてしまう弁護士、簡単に簡単に人を殺す女たち、そしてそれをもてはやすマスコミ、殺人に驚喜する民衆たち。
 …………狂ってる。
 みんなみんな、おかしい。
 だけどそれがたまらなくエネルギッシュで、滑稽で、爽快。
 痛快。

 エンタメなんだ。

 見ていてとっても愉快で、見終わったあとに「よっしゃあ、なんか力がわいてくるぞ」てな感じ。
 ……倫理的にはまちがいまくった映画なんだけど(笑)。

 
 しかし、レニー・ゼルウィガー……。
 胸、えぐれてますがな。
 凹凸のかけらもない胸に、貼り付いたよーな深いカットのセクシードレス……。いいのか、それ?
 顔もプロポーションも、キャサリン・ゼタ=ジョーンズの横では悲しい限り……。

 んでもってまたしても、片桐はいり。
 出てたのね、ルーシー・リュー。
 レニーにしろこの人にしろ、女の魅力は顔ではない、と思い知らされるわ。
 顔はどうであれ、雰囲気で「美女」の域まで持っていくもんなあ。

 とてもたのしく見たんだけど。
 超絶簡単に気に入らない相手を射殺する女たちの姿に、先日見た『ボウリング・フォー・コロンパイン』が苦々しく思い出されたりな。

 
 ちくしょー。
 どうせわたしには「笑い」の才能がないよ。「笑いのツボ」が狭いよ。

 おもしろいと巷で評判のアドバンス用ソフト『逆転裁判』が、ダメだったんだわ。
 どんなにおもしろいんだろう、とわくわくしてプレイしたのに。

 顎が落ちた。

 キチガイばっかしだ……。

 笑えない。
 笑えないよ、ママン。
 ムカつくだけだ。

 何故そこでそういう台詞になる?
 何故そこで話をそちらにねじ曲げる?
 何故そこでソレにこだわる?
 何故そこでそういう反応になる?

 人間として納得できない。
 人間としての「知性」と「常識」を持つならば、そんな言動は取らないはずだ。

 ご都合主義の言い訳に、くだらないギャグに逃げているよーにしか思えなかった……。

 これが笑えないと、イカンのか。
 世間はコレで笑っているのか。

 とほほ。

 わたしは「世間体」とか「ふつう」とかが大好きな人間なので、ひとさまとチガウ反応を取りたくないのよ。
 どーせなら、みんなが好きなものを自分も好きになって、いっしょに「あれってイイよねっ」と盛り上がりたいよ。

 『逆転裁判』をベタ褒めしている我が相棒オレンジに、
「そっかー、緑野は『逆転裁判』の世界に入りそびれたんだね……」
 と、さびしそーに憐れむよーに言われてしまい、しょぼん。

 わたしとオレンジはおおむね趣味が合うのだが、「笑い」に関してはよくすれ違う。
 わたしが「笑い」の才能を持ち合わせないからだ。
 オレンジや世間の人が「笑える」のもが、わたしには「ムカつく」だけだったりする。

 くそー。
 ものすごく、損をしている気分だ。
 みんながたのしんでいるものを、たのしめないなんて。

 でも。
 すっげームカつくぞ、『逆転裁判』。

 
 本日は月組新人公演観劇。
 とくに誰のファンでもなく、若い子たちを眺めるのが好きなおばさんナリ。

 んでもって、公演。

 うー……。

 ここまで、わたし的にダメダメだった新公って『ガイズ&ドールズ』以来だわ。……はっ。両方月組だわ。
 観ていてキツかったの。
 センター。主役。真ん中。
 ほっくん……。

 つくづく、リカちゃんの役は他の人には難しいんだって再確認した。

 てゆーか、演出の問題か?
 なんでリカちゃんの役、まんまコピーしてほっくんにやらせるの? 複写することが新公の意味なの? お手本と寸分違わず鏡のよーな演技をすることが目的なの? それって演劇?

 『ガイドル』のときもそうだったの。
 リカちゃんの役を、そのままトレースしようとして失敗したスカイがそこにいた。
 さららんのスカイではなく、リカちゃんのスカイの劣化コピー。

 べつに月組が悪い訳じゃないよねえ。だって前回の『長い春…』の新公では「劣化コピー」ではなかったもの。
 みんな良くも悪くも「自分の役」としてがんばっていたよ。

 ……今、演出家をチェックしました。
 ははは。
 ここまで書いてて、嫌な予感がしたのよ。

 劣化コピーの『ガイドル』と『ドンファン』は、どちらも「児玉明子」でした。

 そっかー……。
 大変だったね、ほっくん。

 ほっくんはがんばって、「お手本をコピー」してました。さららんがそうだったように。
 でも、なかなかに悲惨でした。衣装の着こなし、キザり方、立ち居振る舞いひとつにしても、「上辺のコピー」はできても、美しくないのです。なまじ同じことをするものだから、「あちゃー」なみっともなさばかりが目立つのです。さららんがそうだったように。
 気の毒に。ああ、気の毒に。

 ほっくんの良さは、実力は、そんなところにはないのに。そりゃ、そこにもあった方がいいが、それはまだ若いのだからこれから身につけていけばいいのだ。リカちゃんにはない部分の魅力を磨けばいいのだ。全員がリカちゃんと同じになる必要はないんだ。それが個性ってもんだ。

 同情するよ、ほっくん。
 同情はするけど……ほんと、ひどかったわ……。ある意味、さららん以上に悲惨だった。「美しくない」ことにおいて。
 もともと真ん中向きの人じゃないと思うから、余計にね。つーかなんで劇団は彼を真ん中に置きたがるんだ? 彼が真ん中なら、ケロでもハマコでも真ん中でいいってことになるじゃん。
 せっかくごつくてうまい男なんだから、脇としてしっかり育ててほしいよ。このまま育てばいいオヤジ役者になると思うんだけど。
 ……フリルのブラウスが似合わないのだから、ヅカの舞台では真ん中向きじゃないよね?
 前半の「ただかっこいいだけのレオ様」では、姿が伴わずボロボロだったけれど、後半の「泣かせのレオ様」になるとうまさを発揮してました。さすが。
 そして歌は本役よりずっとうまい……。つーか、リカちゃんの歌のやばさを改めて感じた。(リカちゃんは、雰囲気で持っていくんだよねー。それはそれでアリだろう)

 真ん中がえらいことになっていたので、全体的にほんと、観ていてつらかった……。本役のコピーが目的じゃあ、そりゃキツイわ……。本役の方がいいに決まってるっての。
 唯一、ゆーひの役は、新公の子の方が包容力があったとゆーか、あの役の基本である「ローサを愛している」のがわかったってゆーか……でもそれって新公の子がいいというより、ゆーひがダメなだけなんじゃあ……ゲフンゲフン。
 で、でも、「美しさ」ではゆーひの方が勝ってるし!!(しくしく)

 目を惹いたのは、ローサ役のあいちゃん。
 きらきらしていたわ。
 コピーじゃなく、あいちゃんのローサを見てみたかった。どんなふーになってたんだろ? あいちゃんは本役のコピーでも十分、きれいでうまくてきらきらしていたのだけど。

 コウちゃんのロドルフォがダメだったわたしは、新公に期待してたんだけど、本役のコピーが基本じゃダメよね、そりゃ。役者の個性もなにもあったもんじゃなく、演じ方が同じだから萌えはどこにもなかったっす。しょぼん。

 ところで今回わたしを釘付けにしたのは、ディーラーくんなんですけど。
 なんなんですか、アレはっ(笑)。
 本気で勝ちに行ったね、龍真咲?(笑)
 カジノのシーン、ライトが点くなり全開。行くぜフェロモン、落とすぜおばさん!な勢い。
 いやあ、ひさびさに見ました。見ている方が恥ずかしくなるよーな気合いの入った「俺ってイケてる」攻撃。ショー・シーンとかじゃなく、芝居の中で。
 わ、わかった、君の気合いはわかった。君の本気はわかった。君、戦闘準備万全だね? やる気満々、この公演で、台詞がたったひとつしかないその役で、ファン増やす気満々だね?
 わかったよ、おばさん、降参だ。君のファンになるよ(笑)。
 貪欲な上昇志向を見せる若い子には、くらくらきちゃうよ。まぶしくてね。
 とにかく、龍くんはすごかった。笑っちゃうよーな恥ずかしい髪型(後ろでひとつに束ねたロン毛。前髪が一筋ぱらり)で、キザりまくる。主役たちの後ろで、キザい演技をえんえんつづける。
 はー。
 とくに、星条旗くんと並ぶと、濃さ爆発。
 星条旗くんてさ、前回の新公でオカマだった人、だよねえ?
 今回もオカマ? 役つづいてる?(そんなバカな)

 初舞台生が加わった新公ってのは、すごいなー。
 最後のご挨拶、板に乗り切らない勢いだ。1列になれずに、2列になってんだもの。

 ところで。
 隣の席のオヤジがうざかったっす。
 巨大なカメラ持ち込み、るいちゃんを撮りまくる。
 男役に興味はないよーで、るいちゃんが出ているシーンはほとんどシャッター押し続け、あと他の娘役たちもわりに撮影。
 すると、反対側の隣の人が「隠し撮りを見逃す代わりに、わたしのご贔屓さんも撮ってよ」と交渉をはじめる。……あの、公演中なんですが。
「ほら、このシーンよ。右から2番目」
「どれですか?」
「あの子よ、あっ、後ろになった」
 と、どの子を撮るかで指さしながら相談。……あの、公演中なんですが。
 おかげで、るいちゃんが中心で出ているシーンと、バレリーナのシーンは気が散ってしょーがなかった。
 まったく、それならわたしも「赤いベストのディーラー撮ってください」って言うぞーっ。言わないけど。
 るいちゃんファンの隠し撮りオヤジに聞いてみたかったよ。「るいちゃんが性転換する前からファンなんですか?」と。

 

けろの家出。

2003年4月23日 その他
 けろが家出しました……。

 そう、わたしは最近怠けているのです。
 美容体操もろくにしていないし、散歩もしていません。
 ブタなおばさんまっしぐらです。

 それを証明するかのように、けろが家出しました。

 けろとは。
 「てくてくエンジェル」という歩数計の中にいるバーチャル・ペットの名前です。
 「てくてくエンジェル」は、持ち主が歩いた歩数によって、ペットが成長していくゲームなわけ。
 けろ、と名付けたわたしのペットは、わたしがろくに歩かないもんだからどんどんぶさいくにデブになっていった。そしてついに今日、「置き手紙」を残して消えてしまったのよ……。
 がーん。
 昨日見たときは、つぶれただいふくみたいな姿で怒ってたのに……今日はもう「置き手紙」かよ……。

 つーことでリトライ。
 今度こそがんばるわ、けろ!

          ☆

 水曜日なので映画に行く予定だったのだが。
 父の用事、母の用事、弟の用事、で、西に東に走り回っているうちに時間切れ。ぜえぜえ。わたしって家族共有のパシリなの?
 ねえわたし、『デアデビル』は見に行けるのかしら? なんかこのままずるずると見逃しちゃいそーな気がするんだけどっ?

 

父の退院。

2003年4月25日 家族
 案ずるより産むが易し。

 父が退院しました。
 迎えはわたしひとり。
 ……荷物が多すぎるんだよっ。わたしひとりじゃ持てないっつーの。
 手続きしたりなんだりで走り回り、かなりへとへと。
 いや、わたしも悪いんだよ。いつも小汚ねー格好で見舞いに行っているから、最後の日ぐらいまともな格好をしようと、ちょっとオサレしてみたりなんかしてたからさ。ひどい靴擦れでね……まさかあんなに働かされるとは思わなくてな。

 父は元気で、杖なしで歩き回る。……おーい、大丈夫かー?

 どうやら、わたしの自由は守れそうです。父は自分の家で暮らす模様。てゆーか、退院したその日から仕事してます。働いてます。……いいのか?

 その夜、父が早々に就寝したあと、母とふたりで溜息をつきました。

 大変だったね、このひとつき。
 がんばったね、このひとつき。

 母のことを偉大だと思う。よくも乗り切ったもんだ。

 笑えたのはうちの猫。
 父が会いたがるので、わたしは猫を連れて親の家に行った。
 しかし、薄情なうちの猫は、父のことをすっかり忘れていた。
 父に抱かせてやろうとしたのに、
「あんたダレ?! なにするのっ、触らないでよ?!」
 と、抵抗。わたしにしがみついてはなれない。父は傷ついた模様。

 ところが、父が私の家にきたとき。
 猫はいそいそと階下に行き、
「エサくれー、水くれー」
 と、父を呼びつけた。

 どうやら猫の頭の中には、父単体の記憶はなく、「エサをくれるおっさん」としてだけ認識されているらしい。
 エサとセットで記憶。
 したがって、自分のエサ場以外の場所では「知らない人」。

 父は不自由な足で階段を降り(階段を自力で降りられない、というふれこみだったんだが……)、猫にいそいそとエサをやっていた。
 あわれなり、父よ。

 

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