「良くなってたでしょ?」
 と言われ、

「うん。良くなってた」

 と答えた。素直に。正直に。

 月組大劇場公演『ME AND MY GIRL』

 役替わりがなかったら、たぶん2度目は観に行ってなかったんだが、おかげで良いモノを観られた。役替わりのおかげだと思う。

 初見時に感じた違和感を、ほとんど感じなかったんだ。

 つか、ビル@あさこが、良かった。

 彼が浮いて見えていたのに、そんなふうに思わず、素直に「彼の物語」に見入ってしまった。
 彼の「タカラヅカ」っぷりと、周囲の「ミュージカル」っぷりに感じたギャップは薄れ、タカラヅカ度が上がっていた気がする。
 わたしは「タカラヅカ」を観たくてやってきたので、心地よく美しい物語に浸ることが出来た。

 それでもサリー@かなみちゃんは、ひとりのときはあさこちゃんとチガウ芝居をしていた。なにか吹っ切ったかのように。
 そのうえで、ふたりの場面になるとすっとあさこちゃんに合わせるので、その変化っぷりをたのしむことにした。

 ビルが終始一貫サリーを愛してるのがいいんだよなあ。サリーもまた、ブレずに愛し続けているのがいいんだよなあ。
 ビルとサリーは演技の質が違うけれど、それでもふたりは自分の意志で、ふたり一緒にいたんだよなあ。

 同じランベス育ちだとしても、ビルもサリーも別々の人間。まったく同じなんてこと、あるわけない。
 ふたりがそれぞれひとりでいるときは、ずいぶん違って見える。
 だけど一緒になると、お似合いになる。空気を合わせる。
 それはひととして、共感できる変化。

 好きって、そーゆーことだよね。
 自分本位でなく、相手のためにナニかし、それを苦とは思わない。
 その温度感が、心地良い。
 その変化が自然であることが、愛しい。

 恋はふたりの物語であって、ひとりでは成り立たないもの、ね。
 芝居の質がちがっても、あさこちゃんとかなみちゃんは、お似合いのコンビだったんだと、思うよ。

 
 わたしのかなみちゃんとの出会いは、『ロミオとジュリエット’99』の、車内吊りポスターだった。
 なんなの、このものすげー美少女?! と、瞠目した。それが最初。
 あれから10年も経つのか。
 『ロミジュリ』では体当たりの演技とポスターとはずいぶん印象の違ったふくよかさ(笑)しか印象にないが、そのあとどんどん実力をつけ、「演技」でたのしませてくれる人になった。
 歌はずーっと素晴らしかったけれど、わたしは芝居のできる人がなにより好きなので、かなみちゃんといえば「芝居」だったな。
 安心して眺めていられる人。男役を支え、作品を支えてくれる人。

 もちろん、その歌声も愛でてきたけれど。
 トップ路線まっしぐらのお嬢さんだと思っていたから、「エンカレッジコンサート」での「マダム・ヴォルフ」のドスのきいた歌声を聴いたときは、びっくりしたさ。
 Be-Puちゃんの車の中で、彼女が買ったばかりだというCDを聴いていて、「コレ、誰?!」と質問しちゃったさ。
「かなみちゃん。このCDは、かなみちゃんの『マダム・ヴォルフ』のために買ったのよ」
 ハンドルを握りながら、Be-Puちゃんが誇らしげに言っていたっけ。

 『鳳凰伝』のタマルが好きだった。ヘタをするとウザくなる役を、神々しい清らかさでやわらかな風を吹かせてくれた。
 そしてなにより、『THE LAST PARTY』のゼルダ。宙組版での存在感、そして、再演月組版での艶と的確さ。
 それらが『A-“R”ex』のニケに集約されていったんだね。

 男役に寄り添い、相手をよりいい男に見せるのに、ひとりで立ってなお美しく……かっこいいところが、好きだった。
 ショーで娘役たちを率い、センターで踊る姿に賞賛の拍手を送った。
 丸顔のかわいこちゃんなのに、かっこいいって……あの「強さ」がいいの。

 すばらしい娘役だったなあ。

 卒業が惜しい。
 でも、ヅカの枠内でなく、これからもっともっと広い世界で活躍して欲しいとも思う。

 
「で、千秋楽は行くの?」

 と、よく聞かれましたが、無理っすよ、チケット手に入んないって。
 有名ミュージカルで祝日でサヨナラショー付きっすよ、わたしみたいな一般人が観られるはずがない。

 かなみちゃんの歌声を、ナマで聴きたかったんだけどなあ。
 『ミーマイ』のドスのきいたミュージカルっぽい歌ではなく、いかにもタカラヅカな、透明な歌声を。……や、だからサヨナラショーを観られるはずもなく。

 
 5月5日はおとなしく家にいました。
 お天気が保ちますように、と祈りながら。

 タキさん、マチヲ先輩、えりおっと……良い旅立ちになりますようにと、祈りながら。


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