全国ツアー『外伝 ベルサイユのばら-ジェローデル編-』、「ジェローデルを主役」に物語を回すためのあれこれ話、その3。

 これが『ベルばら』である以上、オスカルとの恋ははずせない要因である。だからオスカルがどんな人で、ジェローデルがどのように彼女を愛し、そして身を引いたかをきちんと描く。
 そのうえで、ソフィアという女性との関係を描く。
 ソフィアはジェロがオスカルを愛し、それゆえに破滅することをすべてわかったうえで、それでもなおジェロを愛するんだ。すべてを受け入れるんだ。

 そーゆー寛く深い女性と、心でだけつながり、死を前にして最期に愛を告げるジェローデル……とゆーなら、十分「ジェローデル主役」で物語が成り立つだろう?

 フェルゼン様でコントやってる時間を削り、あの意味のないオープニング・ショーを削れば十分1時間半で出来るはずだ。

 ジェローデル主役としての物語修正はこれでいいとして。
 あとは、「商品」としての『ベルサイユのばら』を考える。

 『外伝 ベルサイユのばら-ジェローデル編-』は、あくまでも「外伝」である。
 今までの『ベルばら』と同じである必要はない。
 が。
 『ベルばら』である以上、しなくてはならないことがある。
 『ベルばら』の名前を使う以上、その名前で客を呼ぶ以上、裏切ってはならないことがあるんだ。

 商品名が「ビタミンCキャンディ」なのに、ビタミンCが入ってなかったら詐欺でしょう。「ビタミンC入りのキャンディ」とは書いてない、タイトルはただタイトルなだけ。袋の裏に「ビタミンCは入ってません」と書いてある。……と言っても通らない。
 当社商品はタイトルが凝っていて、タイトルに付けられている成分はわざと入ってないんですよ、当社商品のファンなら知ってます。……は、通用しない。

 『ベルばら』だから、お客が期待する主要キャラはちゃんと出さなくてはならない。
 今回の物語の場合は、オスカルとアンドレだ。

 まず、オープニング。
 理解できなかったのは、フェルゼンもオスカルも登場しなかったことだ。

 1時間半しかない短い『ベルばら』で、本編とは無関係のショーをえんえん続けるなんて、ありえないって。植爺め。
 「宝塚友の会会員限定オリジナル作品」ならともかく、「はじめてタカラヅカと『ベルばら』に触れる」一般人が存在する以上、彼らの目線を意識して作劇しなければならない。
 ヅカファンや『ベルばら』フリークならジェローデルが誰で、ソフィアが誰か知っているが、ふつーの人はそんなもん知らない。
 『ベルばら』といえばオスカルだろう。ドレスで軍服で華やかなキラキラ世界だろう。

 ゆみことキムを誰でもない「ただのスター役」で踊らせるのではなく、きちんとフェルゼンとオスカルとして登場させる。お客がのぞんでいる姿、いちばん彼らが彼ららしい、記号としてわかりやすい姿で使う。
 そのうえで、ジェローデルを登場させる。ソフィアを登場させる。

 『ベルばら』といえばオスカルとかゆー人じゃなかったっけ? その人よりもあとからばーんと出てきたこの人たちってナニ? そっか、「外伝」だからこの人たちが主役なんだっけ。
 ……と、観客の意識を誘導するんだ。

 華やかなオープニングのあと、一転して暗い修道院なのはいい。ただしこの場面はもっと短く。
 ここのソフィアと隊長さんのやりとり、ぶっちゃけ論理的に変だから。ソフィアの人格がやばくなるから、あんなに喋らせないで。

 次に、フランス革命。

 今回の『ベルばら』ははじめてロベスピエールを中心とした市民の「革命」場面が描かれている。
 今までの『ベルばら』でバスティーユ場面を何百回と観てきたファンには目新しくてよいのだけど。
 「商品」として見た場合、このままじゃまずいだろ。
 ビタミンCキャンディの喩えじゃないけど、観客は過去『ベルばら』を何百回と観てきたファンだけじゃないんだって。

 「外伝」だからってのは、言い訳にならない。
 『ベルばら』である以上、一般客のニーズに応えなければ。

 市民たちの革命場面は、今のままでいい。ただし、そこにオスカルを登場させる。
 わたしの修正案でいくとフェルゼンでなくアンドレが2番手男役の役なので、アンドレも登場。
 ただしいわゆる「橋の上」や「バスティーユ」をやるのではなく、今の革命場面にオスカルたちも登場させるんだ。彼ら中心になるのは一瞬だけ。
 今回彼らは主役ではないので、時間は割かない。一旦浮き足立った市民たちをオスカルと衛兵隊が掌握し、オスカル戦死、いつもならそこで場面が変わるけれど、今回はさらにロベスピエール中心に戦いが続き、ついには革命成功までたどり着く。

 オスカルの最期を描くことで、ジェローデルとソフィアが主役カップルだと浮かび上がらせることもできるし。

 客は『ベルばら』というタイトルを観に来るんだ。それだけは、裏切ってはならない。
 『ジェローデル−「ベルサイユのばら」より−』ではない。

 
 今の作品のままで最低限の修正を加え、「ジェローデル主役」の『ベルサイユのばら』を作る。

・フェルゼンはいらない。アンドレを出す。
・オープニングから各キャラを記号としてわかりやすく登場させる。
・修道院場面のソフィアと隊長のやりとりは短縮。
・ジャルジェパパと令嬢たちの場面はカット。
・替わりにオスカル&アンドレとジェローデルの軍人としての場面に。そこでジェロとソフィアの出会いを描く。
・ジャルジェ家での婚約話。アンドレがジェロにとっては恋敵であると表現。
・先にカットした令嬢たちの場面を、「オスカル様が婿探し舞踏会するんですって?!」と騒ぐ場面に変更、ここに挿入。
・婿探し舞踏会をぶちこわしたオスカルに「あなたが痛々しい」と迫るジェロ、一気に「身を引きましょう」まで。
・それらを一部始終を目撃していたソフィアは、ジェロにとって特別な女性になる。
・平民議員立てこもりと楯になるオスカル、兵を撤退させるジェロはそのままだが、ここで人生を語ってもイイが恋には触れない(笑)。マジあの台詞は勘弁。
・平民たちによる革命場面に、オスカルとアンドレ登場。オスカルをかばってアンドレが撃たれ、アンドレ退場後の戦闘でオスカルも華々しく戦死する。
・ジェロがスウェーデンには行かない。つか、彼はあのあと罪に問われているはずだから、王妃様救出どころじゃないだろ。
・スウェーデン場面の替わりに、罪人ジェロとそれでも彼を愛するソフィアの場面を入れる。
・そして、最後の修道院場面へ。

 ソロ歌はあちこち挿入ヨロシク。
 アンドレはジャルジェ家で1曲歌うだけになると思うが、物語に絡んでいるし戦死まであるから2曲歌わなくても2番手役としてOKっしょ。
 ソフィアは片想い、秘めた恋の歌を中盤に歌って、あとは罪人ジェロと結ばれないままのデュエットで切なく盛り上げて。

 オスカルのために兵を引く、ところから一気に最高潮、革命勃発、オスカル戦死、革命で揺れ動く情勢、だからこそオスカルを守り罪人となったジェロの身の上は風前の灯火、そんななかで絶望的なジェロとソフィアのデュエット……と、「合言葉はドラマティック」に盛り上げること。
 革命場面がいちばん盛り上がる場面、ドラマティックな場面、になっちゃダメなの。主役であるジェロ絡みにしなきゃ。それらを前座にたたみかけるよーに盛り上げ、ジェロとソフィアを際立たせる。
 たしかに「動き」として派手なのは戦死するオスカル&アンドレだけど、もっとも切なく盛り上がる場面をジェロとソフィアにすることは、演出と音楽でなんとでもなる。

 『外伝 ベルサイユのばら-ジェローデル編-』というタイトルを裏切らない、タイトルに相応しい物語を作ることは、可能であるし、またやりがいのあることだってば。


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