永遠とはなにか。

 星組『ダンサ セレナータ』『Celebrity』千秋楽にて、考えた。

 タカラヅカは有限の楽園。
 いつかはみな、ここを去る。

 タカラジェンヌじゃなくなっても、芸名ではなくなっても、彼らの人生は続いてゆく。

 だからみんな言うんだ。
「これからも私らしく、新しい人生を歩んでいきたいと思います」

 卒業していくフェアリーたちに幸あれ。


 でも。

「200周年、生まれ変わって、また私は絶対ここにいるつもりです」

 涼紫央は、次の人生のことではなく、転生を語る。

 タカラヅカをこよなく愛しているすずみん。ずっとずっとタカラヅカに、星組にいてくれるんだと思っていたすずみん。
 新公主演も観たし、バウ主演も観たし、外部出演の微妙な公演すら追いかけて観てきた。
 ずっとタカラヅカにいる、と公言している人だからと、安心していた。時代が変わり、立場が変わっても、すずみんは変わらずにいてくれるって。

 だから退団発表は衝撃だった。心の準備がなかった。

 とはいえ、わかる部分もあった。
 タカラジェンヌという存在は、退団までがひとつの「作品」のようなもの。退団にまつわるさまざまなことまで経験して、はじめて完結する。
 すずみんほどタカラヅカを愛しているならば、タカラジェンヌが経験することはすべて経験するだろう。

 「涼紫央」を、完結させるだろう。

 卒業までのカウントダウン、ディナーショーやサヨナラ特集番組、サヨナラショー。
 「タカラヅカ・スタァ」としての花道を、すべて味わい尽くすだろう。

 終わらないと、次ははじまらない。
 この人生を生き切らなければ、生き尽くさなければ、新しい人生はない。

 生き切った者、生き尽くした者だけが、転生できる。


 すべては有限だ。
 タカラヅカに限らない。
 わたしたちはみな、いつか命尽きる。

 だけどその有限の人生すべてを懸けてひとつのことをやり抜き、思いを貫いたのち。
 再び生を受けたときに、もう一度同じ人生を歩みたいと思うなら。
 同じものを愛し、同じところですべてを懸けたいと思うなら。

 それは、「永遠」ではないか。

 人間は有限だ。わたしたちは不可能に取り囲まれている。
 だけど。

 すずみんは、有限を超え、不可能を超えたんじゃないか。
 いや、超えようとしているんだ。

 肉体という限りあるモノの次元ではないところで、「タカラヅカが好き」と言える彼と、わたしもまた、再会したい。


 ずっとずっと好きでいる。
 シンプルで、とてつもなく難しいこと。
 人生長いんで、わたしはあと50年は軽く生きるつもりなんで、なかなか気の遠くなる話だけど。
 ずっと「タカラヅカ」を愛して、そしてまた、次に生まれてきたときも、「タカラヅカ」と出会って、好きになって、「萌え~~」とか「まっつまっつ」とか、アタマの悪いことを言って、震えるくらい大好きなモノに出会って、しあわせになるの。(まっつも転生しているのか??……えー?)

 ありがとう、すずみん。
 有限の壁を越える方法を、教えてくれて。

 好きでいるよ。これからも。
 たくさんのスターと、たくさんの作品と出会って、わくわくしてどきどきして、傷ついたりへこんだり文句言ったりしながらも、それでも好きでいる。
 しあわせでいる。

 だから。

 200周年のタカラヅカで、また会おうね。

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