また会う約束、この楽園で。@星組千秋楽
2012年6月18日 タカラヅカ 永遠とはなにか。
星組『ダンサ セレナータ』『Celebrity』千秋楽にて、考えた。
タカラヅカは有限の楽園。
いつかはみな、ここを去る。
タカラジェンヌじゃなくなっても、芸名ではなくなっても、彼らの人生は続いてゆく。
だからみんな言うんだ。
「これからも私らしく、新しい人生を歩んでいきたいと思います」
卒業していくフェアリーたちに幸あれ。
でも。
「200周年、生まれ変わって、また私は絶対ここにいるつもりです」
涼紫央は、次の人生のことではなく、転生を語る。
タカラヅカをこよなく愛しているすずみん。ずっとずっとタカラヅカに、星組にいてくれるんだと思っていたすずみん。
新公主演も観たし、バウ主演も観たし、外部出演の微妙な公演すら追いかけて観てきた。
ずっとタカラヅカにいる、と公言している人だからと、安心していた。時代が変わり、立場が変わっても、すずみんは変わらずにいてくれるって。
だから退団発表は衝撃だった。心の準備がなかった。
とはいえ、わかる部分もあった。
タカラジェンヌという存在は、退団までがひとつの「作品」のようなもの。退団にまつわるさまざまなことまで経験して、はじめて完結する。
すずみんほどタカラヅカを愛しているならば、タカラジェンヌが経験することはすべて経験するだろう。
「涼紫央」を、完結させるだろう。
卒業までのカウントダウン、ディナーショーやサヨナラ特集番組、サヨナラショー。
「タカラヅカ・スタァ」としての花道を、すべて味わい尽くすだろう。
終わらないと、次ははじまらない。
この人生を生き切らなければ、生き尽くさなければ、新しい人生はない。
生き切った者、生き尽くした者だけが、転生できる。
すべては有限だ。
タカラヅカに限らない。
わたしたちはみな、いつか命尽きる。
だけどその有限の人生すべてを懸けてひとつのことをやり抜き、思いを貫いたのち。
再び生を受けたときに、もう一度同じ人生を歩みたいと思うなら。
同じものを愛し、同じところですべてを懸けたいと思うなら。
それは、「永遠」ではないか。
人間は有限だ。わたしたちは不可能に取り囲まれている。
だけど。
すずみんは、有限を超え、不可能を超えたんじゃないか。
いや、超えようとしているんだ。
肉体という限りあるモノの次元ではないところで、「タカラヅカが好き」と言える彼と、わたしもまた、再会したい。
ずっとずっと好きでいる。
シンプルで、とてつもなく難しいこと。
人生長いんで、わたしはあと50年は軽く生きるつもりなんで、なかなか気の遠くなる話だけど。
ずっと「タカラヅカ」を愛して、そしてまた、次に生まれてきたときも、「タカラヅカ」と出会って、好きになって、「萌え~~」とか「まっつまっつ」とか、アタマの悪いことを言って、震えるくらい大好きなモノに出会って、しあわせになるの。(まっつも転生しているのか??……えー?)
ありがとう、すずみん。
有限の壁を越える方法を、教えてくれて。
好きでいるよ。これからも。
たくさんのスターと、たくさんの作品と出会って、わくわくしてどきどきして、傷ついたりへこんだり文句言ったりしながらも、それでも好きでいる。
しあわせでいる。
だから。
200周年のタカラヅカで、また会おうね。
星組『ダンサ セレナータ』『Celebrity』千秋楽にて、考えた。
タカラヅカは有限の楽園。
いつかはみな、ここを去る。
タカラジェンヌじゃなくなっても、芸名ではなくなっても、彼らの人生は続いてゆく。
だからみんな言うんだ。
「これからも私らしく、新しい人生を歩んでいきたいと思います」
卒業していくフェアリーたちに幸あれ。
でも。
「200周年、生まれ変わって、また私は絶対ここにいるつもりです」
涼紫央は、次の人生のことではなく、転生を語る。
タカラヅカをこよなく愛しているすずみん。ずっとずっとタカラヅカに、星組にいてくれるんだと思っていたすずみん。
新公主演も観たし、バウ主演も観たし、外部出演の微妙な公演すら追いかけて観てきた。
ずっとタカラヅカにいる、と公言している人だからと、安心していた。時代が変わり、立場が変わっても、すずみんは変わらずにいてくれるって。
だから退団発表は衝撃だった。心の準備がなかった。
とはいえ、わかる部分もあった。
タカラジェンヌという存在は、退団までがひとつの「作品」のようなもの。退団にまつわるさまざまなことまで経験して、はじめて完結する。
すずみんほどタカラヅカを愛しているならば、タカラジェンヌが経験することはすべて経験するだろう。
「涼紫央」を、完結させるだろう。
卒業までのカウントダウン、ディナーショーやサヨナラ特集番組、サヨナラショー。
「タカラヅカ・スタァ」としての花道を、すべて味わい尽くすだろう。
終わらないと、次ははじまらない。
この人生を生き切らなければ、生き尽くさなければ、新しい人生はない。
生き切った者、生き尽くした者だけが、転生できる。
すべては有限だ。
タカラヅカに限らない。
わたしたちはみな、いつか命尽きる。
だけどその有限の人生すべてを懸けてひとつのことをやり抜き、思いを貫いたのち。
再び生を受けたときに、もう一度同じ人生を歩みたいと思うなら。
同じものを愛し、同じところですべてを懸けたいと思うなら。
それは、「永遠」ではないか。
人間は有限だ。わたしたちは不可能に取り囲まれている。
だけど。
すずみんは、有限を超え、不可能を超えたんじゃないか。
いや、超えようとしているんだ。
肉体という限りあるモノの次元ではないところで、「タカラヅカが好き」と言える彼と、わたしもまた、再会したい。
ずっとずっと好きでいる。
シンプルで、とてつもなく難しいこと。
人生長いんで、わたしはあと50年は軽く生きるつもりなんで、なかなか気の遠くなる話だけど。
ずっと「タカラヅカ」を愛して、そしてまた、次に生まれてきたときも、「タカラヅカ」と出会って、好きになって、「萌え~~」とか「まっつまっつ」とか、アタマの悪いことを言って、震えるくらい大好きなモノに出会って、しあわせになるの。(まっつも転生しているのか??……えー?)
ありがとう、すずみん。
有限の壁を越える方法を、教えてくれて。
好きでいるよ。これからも。
たくさんのスターと、たくさんの作品と出会って、わくわくしてどきどきして、傷ついたりへこんだり文句言ったりしながらも、それでも好きでいる。
しあわせでいる。
だから。
200周年のタカラヅカで、また会おうね。