『ヴァンパイア・サクセション』 を観ながら、考えてたんだ。

 『アル・カポネ』嫌いだったけど、コレよりマシかあ……?

 『ヴァンパイア・サクセション』 キャストとそのファンに対する同情心とか、これが我が身に降りかからずに済んだ安堵感に後ろめたさを感じつつ。
 いやいや、わたしだって原田の駄作を好きなジェンヌと組でやられて、文句言いつつリピートしたじゃん。
 原田とイシダならどっちがより最悪よ? という、脳内で底辺争いを繰り広げた。

 作品の基礎力自体は、『ヴァンパイア・サクセション』 の方がある。イシダせんせは最低限「物語」を作ってくる。「物語」を作れず「史実箇条書き」の原田くんとは基本から違う。
 原田くんはそもそも「物語」を構築できないからなあ……。「物語」という点のみで考えると、イシダせんせはヅカの座付き演出家では上位に入る人だよなあ。

 そのうえイシダせんせは、ヅカの命である「スターの個性に合わせたアテガキ」ができる人だ。
 たくさんのキャラクタを出し、たとえモブでも小芝居して楽しめるようなごちゃごちゃ画面を作ってくる。ただ突っ立っているだけの「大道具」扱いでない分、下級生ファンにもありがたい作風だろう。

 美点はあるのに……それでも、『ヴァンパイア・サクセション』 を観ながら「『アル・カポネ』でまだよかったか……」と、原田作品に軍配を上げちゃいましたよ……。

 たしかに「物語」としてなら、イシダだけど。
 「タカラヅカ」としてなら、原田だろう、と。

 原田くん作品は、「タカラヅカでないと、成り立たない作品」
 中身空っぽで、ただきれいなだけ。
 これは外部で、ひげの剃り跡だーのすね毛だーののある顔デカ中年男性(ヅカの主人公は少年ではなく大人世代です)が演じたんでは、成立しない。中身ナイんだから、外見命。「タカラヅカ」マジックがないと、見られたもんぢゃない。

 反対にイシダ作品は、「なんでタカラヅカでやっているのかわからない作品」
 外部で、ひげの剃り跡だーのすね毛だーののある顔デカ中年男性がふつーにやっていそうな内容を、わざわざタカラヅカの麗人たちにやらせている。
 外部でありそうなくらい、作劇的にはふつーのエンタメ系(コメディベース、活劇アリ、恋愛アリ、お涙アリ、若者へのお説教アリ)でまとめてあり、ふつーに下品さや笑いを盛り込んである。
 ぶっちゃけ、ヅカでやる必要がナイ。

 「タカラヅカでしか成立しない作品」と「タカラヅカでやる必要のない作品」なら、わたしは前者を支持する。

 タカラヅカはこの世にひとつしかないんだもん。よそで観られる作品は、ありがたくない。

 あくまでも「どっちも駄作」というカテゴリ内の話よ? 「タカラヅカでしか成立しない駄作」と「タカラヅカでやる必要のない超傑作」なら、後者を観たいわ。

 『アル・カポネ』も『ヴァンパイア・サクセション』 もどっちも駄作でリピートしたくないけど、リピートするなら『アル・カポネ』がマシだな。贔屓にどっちの作品で主演してほしいかというと、『アル・カポネ』だな。
 と、思いました。だって、マフィアもののシリアス作品の方が、現代の下品コメディより、きれいだもん。

 これはあくまでも好みの問題。
 わたしは、タカラヅカで「コメディ」を言い訳にした、下品な話を観たくない。

 イシダせんせはほんと、「タカラヅカ」を好きじゃなさそうだなあ。「タカラヅカ的」なものを否定することが、好きそう。
 その昔、ショーで「トップコンビの場面を作らない」とか、「あえてタカラヅカらしくないことをした」と語っていたのを思い出す。
 んで、当時のヅカファンから「アホなことすんな、ふつーにやれ」とフルボッコされてたんだよね……ヅカ初心者だったわたしは、「いつもトップがコンビ扱いとか飽きるじゃん、ドラマでも映画でも別の役者が組むのに」と思って、ファンが嫌がる気持ちがわかんなかった。
 ヅカ初心者のわたしは、タカラヅカも世界に数あるエンタメのひとつ、ドラマや映画と同じ意識、で考えていたから、そう思ったんだよな。
 イシダがヅカらしくないお笑いや下ネタをぶっこんで来るのを、素直に楽しんでいた。テレビのバラエティ番組を見るノリで。
 タカラヅカのタカラヅカらしさに愛も思い入れもない、だから、「外部と同じ」ノリを見せてくれるイシダ作品が気楽だった。

 そして、タカラヅカにはまるのに比例して、イシダ作品が苦手になった。
 わたしはコレ、タカラヅカに求めていない……そう思うようになった。

 タカラジェンヌが演じる限り、どんなに身もフタもない作品でも、そこに「タカラヅカらしさ」は芽生え、わたしは故意と無意識総動員して、「タカラヅカらしさ」を見出そうと努めているけれど。

 やっぱり、イシダは苦手だ。

 ただ、過去の自分がそうであったように、初心者にはイシダ作品は大変ありがたいと思う。
 タカラヅカってのはやっぱり特殊で、興味や好意があったって、はまるにはちょい敷居が高いんだもの。
 まずタカラヅカらしくないイシダ作品で地均ししてから、本格的なタカラヅカに入っていくのはアリだろう。
 イシダ作品は、エンタメとしての基礎値はあるんだし。

 や、玄人ぶって初心者見下したいわけではなくて。
 わたしというケースでは、最初はイシダせんせの「タカラヅカらしくないところ」が好ましく思え、ディープなヲタになるに従い、イシダせんせの「タカラヅカらしくないところ」が超絶苦手、逆ツボとなった。
 初心者がヲタになる過程での、ひとつの事象の話。すべての初心者、すべてのヲタがそうだということではなくて。

 いろんな作品があっていいのだから、イシダ作品は需要があるのだと思う。ヅッカヅカしたものは苦手だけどタカラヅカは観たいし好き、という人だっているはずだし、いや「石田作品こそタカラヅカの王道!」と思う層だって、いるかもしれないし。
 少なくとも、石田作品は物語として機能している。「そもそも物語になってないし」てな他演出家作品とは一線を画しているのだから、貴重だよね。


 だから、1回観るだけならイシダ作品は「物語」として楽しめる。「どうなるんだろう?」と思えるから。
 けれど、感性に隔たりがある分、2回目以降のキツさが半端ナイ。起承転結があったとしても、生理的に無理な考え方とか笑いとかてんこ盛りだと、苦痛でしかない。キャラクタへの嫌悪感から、キャストまで苦手になりかねない……こわいわー、感染力半端ナイわー。

 1回観るだけなら、『ヴァンパイア・サクセション』 。ご贔屓が出てなくてよかった、と胸をなで下ろしつつ、二度と観ないですむのだから、下品なネタも生理的に引っかかる価値観も死生観も、フィクションとして無責任に楽しむ。
 贔屓が(主演でもモブでも)出演しているためリピートしまくるのなら、『アル・カポネ』。駄作ー、ストーリーないー、役がないー、整合性なさ過ぎー、アタマおかしいヤツしかおらんのかー、とか文句言いつつ、「でもダークスーツかっこいい」とか言って通えるわ。
 という結論。

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