彼女は、不思議の国のマリア。@ME AND MY GIRL
2016年5月10日 タカラヅカ 花組『ME AND MY GIRL』、Bバージョン初日観劇。
ジョン卿@あきら!!
というのが、Bバージョンのお楽しみ。別格の上級生が、本公演で2番手役をやることがあるなんて……胸熱。
そして、パーチェスター@カレーというトンデモ配役にはわくわく。
正当配役はAバージョン。でも役が極少の演目ゆえに、もうひとつ「ファンサービスバージョン」も作りました。……そんな感じ?
別箱ならともかく、組子全員出演の本公演だからねえ。主な役が片手で収まるほどしかないのに、別格がそこに入るなんて、本来ならあり得ない。
ファン心理を突くいい配役(笑)。
あきらとカレー目当てだったのに。
そりゃ、仙名さんもちなっちゃんも好きだけどさー。このふたりに関しては「観る前から予想が付く」ので、あきらとカレーよりも「わくわく」という点では下だった。
お祭り公演だから、深くは考えない、軽く楽しめればヨシ。そんな気分だったのに。
わたしの目を奪ったのは、マリア@仙名さんでした。
最初は小さな違和感。なにがどうとは言えないんだけど、あれ? と思う。
わたしは『ミーマイ』ファンじゃないし、「マリア」に対して「こうあらねばならぬ!」的なこだわりがあるわけでもないし、細やかな差異に気づくほどでもない。
それでもなんか、あれ? と思った。
それは、軽い落胆になった。なーんだ、こんなもんか、と。
わたしは仙名さんに対し、みょーに大きな期待をし、実際に観たときに「思ったほどじゃなかった」と肩を落とす。なんなんだろう、これは。毎回地味に同じことを繰り返している気がする。わたしが仙名さん好きなだけか。
今回もまた、仙名さんならすごくうまいマリアを見せてくれる、年増女まかせろだし、歌まかせろだし、美人で気品があって、スリムなのも厳格おばさまのビジュアルイメージに合うし、とにかく「こわい女」って得意分野だろうからこりゃ楽しみだー、てな。前述の通り、「観る前から予想」していたの。
似合うだろう、得意分野だろう……そう思うからだろうか。
実際に観てみて「あれ? こんなもん?」と思った。
持ち味でやれちゃうものは、妄想配役だけで「そうそう!」とイメージできちゃうものは、かえって難しい?
持ち味を超える、イメージを超えるものを、出さなくてはならないから?
いちばん最初は、落胆。持ち味まんまでできるのに、それすら下回っている感覚。
だけど、ビル@みりおくんが登場してから、マリアに感じた違和感は、無視できないほど大きくなる。
あ、あれ……?
このマリア、変だ……。
それほどこだわりも知識もないが、それでも再演からずっとヅカの『ミーマイ』を観てきて、新公も入れたら2ケタ余裕のマリア観てきて、なんとなく「マリアってこんなん」というイメージはある、そのイメージからどんどん遠ざかる。
なんだ? このマリア?
いやあ。
ぞっとしました。
「仙名さんのマリア」に気づいたとき。
ぞっとする、って言葉は悪いけど、そう表現するのが一番近い。
背筋がぞわっとする、あの感じなー。
マリアは、誰とも会話してなかった。
彼女の中には「貴族とはこういうもの」という思い込みがあり、それ以外はまったく耳にも目にも入ってないの。
思い込み、という言葉も当てはまらない。
彼女には彼女の「常識」があり、それ以外のモノが存在する、なんて可能性すら、感じていないの。
マリアはずっと、わたしたちとは違う世界を観ている。
そこには、夢見る少女がいた。
貴族のお姫様として生まれ、育った、それしか知らない少女。知らないから、想像もしない。
「パンがなくて飢えて死にそうだ」と嘆く人に、「おかしなことを言うのね。パンがなければお菓子を食べればいいのに」と慈愛の微笑みで言うような感じ。
ビルがどんだけ下品でわけわからないことを言っても、マリアには見えていない。「血筋がものを言う」のだから、今ここでナニかしているビルは、仮の姿、教育さえ与えれば本来の姿になる。
それが当然のことだから、下品なビルを見てもまったく動じない。ふわふわと夢見るような、慈愛の瞳で見守っている。
マリアがいくつであっても関係ない。彼女は「少女」だ。
ジョン卿にしろ、周囲の大人たちにしろ、誰も彼女に「大人になれ。見たくないモノも見ろ」とは言わなかったんだ。
だから彼女は、少女の心のまま、大人になった。
……から、こわい。
ひとの話まったく聞いてねええぇ!!な、慈愛の微笑みに心底ぞっとした(笑)。
このマリアこわい。
そう思ったからもう、マリアから目が離せない。
2幕のご先祖様のとこだってさー、マリア、目ェいっちゃってるままだもんなー。
彼女の心を傷つけない、彼女の望むままの世界を、うっとりと見つめている……。
このマリアは、たぶん『ミーマイ』のマリア像とはまったく違うアプローチだと思う。
マリアってもっと聡明で頑固な人だよねえ。夢の国の住人ではなく、現実主義ゆえに規律を求める常識人だよねえ。「貴族とはナニか」を論理立てて理解している人。
明らかに違う。だがしかし、このマリアも、アリじゃね?
「マリア」を構成するパーツ自体は、まちがってないんだもの。
観ていて思ったんだ。
この物語は、ビルの物語でもあるけれど、それと同時に、夢の世界に閉じこもっていた少女が、外の世界に気づく物語なんだ、って。
最初、ビルの言葉なんてまったく聞き流していたマリアが、だんだん会話するようになっていくの。
聞きたい言葉しか耳に入らなかったのに、そうでない言葉にも、耳を貸すようになってきたの。
いや、「聞きたくない言葉もこの世に在る」ことに、はじめて気づいたみたいなの。
幼い少女が、はじめて聴く音に「あら? なにかしら?」とおっとり耳を傾けるように。
えええ、おもしろいわ、このマリア。
ジョン卿@あきら!!
というのが、Bバージョンのお楽しみ。別格の上級生が、本公演で2番手役をやることがあるなんて……胸熱。
そして、パーチェスター@カレーというトンデモ配役にはわくわく。
正当配役はAバージョン。でも役が極少の演目ゆえに、もうひとつ「ファンサービスバージョン」も作りました。……そんな感じ?
別箱ならともかく、組子全員出演の本公演だからねえ。主な役が片手で収まるほどしかないのに、別格がそこに入るなんて、本来ならあり得ない。
ファン心理を突くいい配役(笑)。
あきらとカレー目当てだったのに。
そりゃ、仙名さんもちなっちゃんも好きだけどさー。このふたりに関しては「観る前から予想が付く」ので、あきらとカレーよりも「わくわく」という点では下だった。
お祭り公演だから、深くは考えない、軽く楽しめればヨシ。そんな気分だったのに。
わたしの目を奪ったのは、マリア@仙名さんでした。
最初は小さな違和感。なにがどうとは言えないんだけど、あれ? と思う。
わたしは『ミーマイ』ファンじゃないし、「マリア」に対して「こうあらねばならぬ!」的なこだわりがあるわけでもないし、細やかな差異に気づくほどでもない。
それでもなんか、あれ? と思った。
それは、軽い落胆になった。なーんだ、こんなもんか、と。
わたしは仙名さんに対し、みょーに大きな期待をし、実際に観たときに「思ったほどじゃなかった」と肩を落とす。なんなんだろう、これは。毎回地味に同じことを繰り返している気がする。わたしが仙名さん好きなだけか。
今回もまた、仙名さんならすごくうまいマリアを見せてくれる、年増女まかせろだし、歌まかせろだし、美人で気品があって、スリムなのも厳格おばさまのビジュアルイメージに合うし、とにかく「こわい女」って得意分野だろうからこりゃ楽しみだー、てな。前述の通り、「観る前から予想」していたの。
似合うだろう、得意分野だろう……そう思うからだろうか。
実際に観てみて「あれ? こんなもん?」と思った。
持ち味でやれちゃうものは、妄想配役だけで「そうそう!」とイメージできちゃうものは、かえって難しい?
持ち味を超える、イメージを超えるものを、出さなくてはならないから?
いちばん最初は、落胆。持ち味まんまでできるのに、それすら下回っている感覚。
だけど、ビル@みりおくんが登場してから、マリアに感じた違和感は、無視できないほど大きくなる。
あ、あれ……?
このマリア、変だ……。
それほどこだわりも知識もないが、それでも再演からずっとヅカの『ミーマイ』を観てきて、新公も入れたら2ケタ余裕のマリア観てきて、なんとなく「マリアってこんなん」というイメージはある、そのイメージからどんどん遠ざかる。
なんだ? このマリア?
いやあ。
ぞっとしました。
「仙名さんのマリア」に気づいたとき。
ぞっとする、って言葉は悪いけど、そう表現するのが一番近い。
背筋がぞわっとする、あの感じなー。
マリアは、誰とも会話してなかった。
彼女の中には「貴族とはこういうもの」という思い込みがあり、それ以外はまったく耳にも目にも入ってないの。
思い込み、という言葉も当てはまらない。
彼女には彼女の「常識」があり、それ以外のモノが存在する、なんて可能性すら、感じていないの。
マリアはずっと、わたしたちとは違う世界を観ている。
そこには、夢見る少女がいた。
貴族のお姫様として生まれ、育った、それしか知らない少女。知らないから、想像もしない。
「パンがなくて飢えて死にそうだ」と嘆く人に、「おかしなことを言うのね。パンがなければお菓子を食べればいいのに」と慈愛の微笑みで言うような感じ。
ビルがどんだけ下品でわけわからないことを言っても、マリアには見えていない。「血筋がものを言う」のだから、今ここでナニかしているビルは、仮の姿、教育さえ与えれば本来の姿になる。
それが当然のことだから、下品なビルを見てもまったく動じない。ふわふわと夢見るような、慈愛の瞳で見守っている。
マリアがいくつであっても関係ない。彼女は「少女」だ。
ジョン卿にしろ、周囲の大人たちにしろ、誰も彼女に「大人になれ。見たくないモノも見ろ」とは言わなかったんだ。
だから彼女は、少女の心のまま、大人になった。
……から、こわい。
ひとの話まったく聞いてねええぇ!!な、慈愛の微笑みに心底ぞっとした(笑)。
このマリアこわい。
そう思ったからもう、マリアから目が離せない。
2幕のご先祖様のとこだってさー、マリア、目ェいっちゃってるままだもんなー。
彼女の心を傷つけない、彼女の望むままの世界を、うっとりと見つめている……。
このマリアは、たぶん『ミーマイ』のマリア像とはまったく違うアプローチだと思う。
マリアってもっと聡明で頑固な人だよねえ。夢の国の住人ではなく、現実主義ゆえに規律を求める常識人だよねえ。「貴族とはナニか」を論理立てて理解している人。
明らかに違う。だがしかし、このマリアも、アリじゃね?
「マリア」を構成するパーツ自体は、まちがってないんだもの。
観ていて思ったんだ。
この物語は、ビルの物語でもあるけれど、それと同時に、夢の世界に閉じこもっていた少女が、外の世界に気づく物語なんだ、って。
最初、ビルの言葉なんてまったく聞き流していたマリアが、だんだん会話するようになっていくの。
聞きたい言葉しか耳に入らなかったのに、そうでない言葉にも、耳を貸すようになってきたの。
いや、「聞きたくない言葉もこの世に在る」ことに、はじめて気づいたみたいなの。
幼い少女が、はじめて聴く音に「あら? なにかしら?」とおっとり耳を傾けるように。
えええ、おもしろいわ、このマリア。