きっと、わたしが知らないウチに。@ノン ノン シュガー!!
2007年3月9日 タカラヅカ 絶好調に悩み苦しんでいるジョニー@キム。
彼は子どもの頃からの夢をあきらめたのだ……。
『ノン ノン シュガー!!』ストーリー追体験その3。
そこへやたら高いテンションでやってくるシェイラ@さゆ。
「わたし、ウィーンに行くのやめた! ジョニーと一緒にいる!!」
「夢をあきらめるのはオレだけでいい。オマエはウィーンへ行くんだ!!」
えーと。
シェイラの夢は、ブロードウェイぢゃなかったっけ?
ウィーンに行くのが嫌で、家出してきたんだよね?
ほんとーはバイオリンを愛しているのだが、親の命令で弾き続けていたシェイラはそのことがわからなくなっていた。ブロードウェイ云々は、ただの無責任な憧れと、親への反抗心で言っているだけで、本気ではない。
不良に盗まれた鞄に入っていたのは、愛用のバイオリン。それを失うことでシェイラは「バイオリンが弾きたくても弾けない」状態になり、はじめてどれだけバイオリンを愛しているかに気づく。
そんなシェイラの気持ちを察し、ジョニーとその仲間たちは不良たちと対決、ケンカが弱い分友情パワーと機転で無事シェイラのバイオリンを取り返した。
「やめて。バイオリンなんて……」
「自分に正直になれよ。ほんとうは、弾きたかったんだろう?」
「……っ!!」
バイオリンを抱きしめて号泣するシェイラ。彼女の肩をやさしく抱くジョニー、それを見守る仲間たち。
「一度家に戻れよ。親に心配かけたこと謝って、ちゃんと自分の意志で留学することにするんだ。それで、世界一のバイオリン弾きになれよ」
「でも……」
「みんな、ここにいるさ。いつでも『ノン・ノン・シュガー』に来いよ!」
てなこんなでまた歌とダンス。
両親としっかり話し合ったシェイラは、留学準備をしながら「ノン・ノン・シュガー」に遊びにやってくる。公園で寝泊まりしているわけではなく自宅から遊びに来るわけだから、ドレスもちゃんと毎回着替えているし、血色もいい。
そしてついに明日、ウィーンへ旅立つ……てなときに、ザザが自殺したのだ。
……てゆー話が、わたしが知らないウチに展開されていたんでしょーか?
でないと、ありえないんですけど。
わけわからなさすぎなんですけど。
「わかった。オレも夢をあきらめない。1年後のオレはスーパースターだ」
「ジョニーが夢をあきらめないなら、あたしも夢をあきらめない。1年後、絶対会おうね」
シェイラの夢は「世界一のバイオリニスト」に変換されています。なんの説明もないまま。
彼女をウィーンへ行かせるために、ジョニーは苦しい嘘を付く。自分も歌手になるから、と。
なんかもう、どこから突っ込めばいいのか。
とにかくこれで、「そして少年は、大人への階段を一歩上った」てなふーにまとめているのよ。
なんだそりゃ。
でもって、すっかり忘れられている、50才のジョニー@コマと、28才に見える、たぶんまだ10代の家出娘マライア@さゆ。
空港では何者かに追われていて、「シュガーレス・カフェ」ではなんの脈絡もなく「本当の恋をしたことがないだろ」と言われて言い合いになり、またべつのときには、「おじさんの子どもの頃の夢って?」と夢を語ることになっていた、シェイラそっくりの女の子。
いったい彼女にはどんなドラマが……?!
これらの伏線から、ものすげー背景があり、ものすげー物語が展開されるはず。
ところが。
なーんの物語も、伏線のフォローもなく、マライアは「バイバイ」と去っていった。
ぽかーん……。
えーと?
あの、もしもし?
あの女、なんのためにいたの?
まったく無意味で無価値でしたが?
シェイラと同じ顔でも、ただの他人のそら似? 思わせぶりな台詞の数々も意味無し?
出す必要、なかったじゃん。
50才ジョニーと「シュガーレス・カフェ」のマスター夫婦だけでよかったじゃん。
マライアがかわいいならともかく、さゆちゃん気の毒なくらいカツラも衣装も似合ってなくて、オバサン臭くて、早変わりばかりで消耗させて、物語のノリをそのたび止めて、ひどすぎる扱いだったじゃん!!
さゆいじめが目的か?
大富豪のお嬢様であるマライアは、結婚が嫌で逃げてきた。
彼女を捕まえようと、父に雇われた男たちがあちこちを見張っている。
追っ手の目をかいくぐってなんとか逃げ出したマライア。この街にやってきたのは、幼なじみの憧れの従兄弟が住んでいるためだ。
彼ならきっと、あたしを助けてくれる! 彼はあたしの王子様よ。あたしは彼に恋しているんだわ。
たまたま助けてくれたヒゲの中年男に「本当の恋をしたことがないだろ」と言われ、うろたえる。恋ぐらいしているわ。そのために政略結婚を蹴ってここまで来たんだから。
ところがいざ会ってみると、従兄弟は夢ばかり見ているまだまだ青い子どもだった。男の子の方が、女の子より成長遅いからね。たしかにいい子だけど、恋の対称としては足りなさすぎる。がっかり。これならまだあのヒゲのおじさんの方がいい男だわ……やだあたしったら、なに言ってるの。
だけど従兄弟と話しているうちに、「夢」について真剣に考えるようになった。そう、ここで政略結婚しちゃったら、あたし、なんにもできないじゃない。
従兄弟の母親、マライアの伯母もやさしく力強く、背中を押してくれる。
「マライアは、ママの若いころにそっくりなんだよ、知ってた?」
独身時代はヨーロッパを中心に活躍したバイオリニストだったという伯母は、10代のころの恋の物語をマライアに語ってくれた。
歌手志望の素敵な男の子との、恋の思い出を。彼のおかげで、両親とも和解できたし、夢をあきらめることなく前に進めたのだと。
その話を聞いてマライアは、父と話し合うことを決意。恋も夢もこれからだもの!
「シュガーレス・カフェ」に逗留して自叙伝を書いている、ムカつくけれどどこかときめく、ヒゲのおじさんに挨拶して、と。
マライアは背筋を伸ばし、自分の人生の新しい一歩を踏み出した。
……てゆー話が、わたしが知らないウチに展開されていたんでしょーか?
でないと、ありえないんですけど。
わけわからなさすぎなんですけど。
そーして50才のジョニーは、自叙伝『ノン ノン シュガー!!』を脱稿する。
絶対、おもしろくないだろーけどな、ソレ(笑)。
ただの独りよがり「自分史」ってやつでしょ、お年寄りが自費出版しているよーな。
ジョニーは作家になっているけれど、「大切な人が死んでも、仕事を続けた、使命を果たした」キングを見て「オレはキングにはなれない」と逃げ出した男だ。
歌でも小説でも、同じコト。べつに八百屋でも郵便配達でもいいさ。
哀しみや苦しみを言い訳に責任を放棄するよーでは、ほんとうの仕事はできないだろう。
だれだって、なにかを抱え、乗り越えて笑っているのだから。
シンガー・キングはおそらく、歌うことでザザへの想いを昇華させたことだろう。歌い続けることが鎮魂であったろう。
作家ならば、その哀しみをペンに込めたことだろう。大切な人を失ったから筆を折るのも作家らしいのかもしれないが、その哀しみごと表現する、書き続けることが鎮魂となるだろう。
八百屋なら、新鮮な美味しい野菜を売ることで、郵便配達なら人の想いの詰まった手紙をつなぐことで、みんなみんな、自分の出来ることで、愛を紡いでいくだろう。
ジョニーはソレで、なにか成長したんだろうか。
キングの姿を見て、ケツをまくった……それ以上のことが、なにも描かれていないのだが。
ただ、キムがかっこよく歌うことだけで、全部誤魔化してしまった。
ジョニーの小説『ノン ノン シュガー!!』は、おもしろくない。
だってそこには、起承転結も成長もカタルシスもない。
出来事が羅列されているだけだ。
「夢をあきらめた」のではなく、「逃げた」だけである。
…………痛い…………。
ほんとうに、徹頭徹尾一貫して、ストーリーがない。
出来事の羅列のみ、しかもエピソードはとびとび。
歌とダンスでそれをつなぎ、水増ししてある。
ストーリーがない分、「なんとなく、よさそうなシーン」を並べてあるので、歌の印象で「なんとなく、青春っぽいいい話を見た?」イメージだけは与えるよーになっている。
この作品の正しい見方は、初日感想で書いた通り、ストーリー仕立てのショーとするべきだろう。
「物語」としては、ありえないよ。
彼は子どもの頃からの夢をあきらめたのだ……。
『ノン ノン シュガー!!』ストーリー追体験その3。
そこへやたら高いテンションでやってくるシェイラ@さゆ。
「わたし、ウィーンに行くのやめた! ジョニーと一緒にいる!!」
「夢をあきらめるのはオレだけでいい。オマエはウィーンへ行くんだ!!」
えーと。
シェイラの夢は、ブロードウェイぢゃなかったっけ?
ウィーンに行くのが嫌で、家出してきたんだよね?
ほんとーはバイオリンを愛しているのだが、親の命令で弾き続けていたシェイラはそのことがわからなくなっていた。ブロードウェイ云々は、ただの無責任な憧れと、親への反抗心で言っているだけで、本気ではない。
不良に盗まれた鞄に入っていたのは、愛用のバイオリン。それを失うことでシェイラは「バイオリンが弾きたくても弾けない」状態になり、はじめてどれだけバイオリンを愛しているかに気づく。
そんなシェイラの気持ちを察し、ジョニーとその仲間たちは不良たちと対決、ケンカが弱い分友情パワーと機転で無事シェイラのバイオリンを取り返した。
「やめて。バイオリンなんて……」
「自分に正直になれよ。ほんとうは、弾きたかったんだろう?」
「……っ!!」
バイオリンを抱きしめて号泣するシェイラ。彼女の肩をやさしく抱くジョニー、それを見守る仲間たち。
「一度家に戻れよ。親に心配かけたこと謝って、ちゃんと自分の意志で留学することにするんだ。それで、世界一のバイオリン弾きになれよ」
「でも……」
「みんな、ここにいるさ。いつでも『ノン・ノン・シュガー』に来いよ!」
てなこんなでまた歌とダンス。
両親としっかり話し合ったシェイラは、留学準備をしながら「ノン・ノン・シュガー」に遊びにやってくる。公園で寝泊まりしているわけではなく自宅から遊びに来るわけだから、ドレスもちゃんと毎回着替えているし、血色もいい。
そしてついに明日、ウィーンへ旅立つ……てなときに、ザザが自殺したのだ。
……てゆー話が、わたしが知らないウチに展開されていたんでしょーか?
でないと、ありえないんですけど。
わけわからなさすぎなんですけど。
「わかった。オレも夢をあきらめない。1年後のオレはスーパースターだ」
「ジョニーが夢をあきらめないなら、あたしも夢をあきらめない。1年後、絶対会おうね」
シェイラの夢は「世界一のバイオリニスト」に変換されています。なんの説明もないまま。
彼女をウィーンへ行かせるために、ジョニーは苦しい嘘を付く。自分も歌手になるから、と。
なんかもう、どこから突っ込めばいいのか。
とにかくこれで、「そして少年は、大人への階段を一歩上った」てなふーにまとめているのよ。
なんだそりゃ。
でもって、すっかり忘れられている、50才のジョニー@コマと、28才に見える、たぶんまだ10代の家出娘マライア@さゆ。
空港では何者かに追われていて、「シュガーレス・カフェ」ではなんの脈絡もなく「本当の恋をしたことがないだろ」と言われて言い合いになり、またべつのときには、「おじさんの子どもの頃の夢って?」と夢を語ることになっていた、シェイラそっくりの女の子。
いったい彼女にはどんなドラマが……?!
これらの伏線から、ものすげー背景があり、ものすげー物語が展開されるはず。
ところが。
なーんの物語も、伏線のフォローもなく、マライアは「バイバイ」と去っていった。
ぽかーん……。
えーと?
あの、もしもし?
あの女、なんのためにいたの?
まったく無意味で無価値でしたが?
シェイラと同じ顔でも、ただの他人のそら似? 思わせぶりな台詞の数々も意味無し?
出す必要、なかったじゃん。
50才ジョニーと「シュガーレス・カフェ」のマスター夫婦だけでよかったじゃん。
マライアがかわいいならともかく、さゆちゃん気の毒なくらいカツラも衣装も似合ってなくて、オバサン臭くて、早変わりばかりで消耗させて、物語のノリをそのたび止めて、ひどすぎる扱いだったじゃん!!
さゆいじめが目的か?
大富豪のお嬢様であるマライアは、結婚が嫌で逃げてきた。
彼女を捕まえようと、父に雇われた男たちがあちこちを見張っている。
追っ手の目をかいくぐってなんとか逃げ出したマライア。この街にやってきたのは、幼なじみの憧れの従兄弟が住んでいるためだ。
彼ならきっと、あたしを助けてくれる! 彼はあたしの王子様よ。あたしは彼に恋しているんだわ。
たまたま助けてくれたヒゲの中年男に「本当の恋をしたことがないだろ」と言われ、うろたえる。恋ぐらいしているわ。そのために政略結婚を蹴ってここまで来たんだから。
ところがいざ会ってみると、従兄弟は夢ばかり見ているまだまだ青い子どもだった。男の子の方が、女の子より成長遅いからね。たしかにいい子だけど、恋の対称としては足りなさすぎる。がっかり。これならまだあのヒゲのおじさんの方がいい男だわ……やだあたしったら、なに言ってるの。
だけど従兄弟と話しているうちに、「夢」について真剣に考えるようになった。そう、ここで政略結婚しちゃったら、あたし、なんにもできないじゃない。
従兄弟の母親、マライアの伯母もやさしく力強く、背中を押してくれる。
「マライアは、ママの若いころにそっくりなんだよ、知ってた?」
独身時代はヨーロッパを中心に活躍したバイオリニストだったという伯母は、10代のころの恋の物語をマライアに語ってくれた。
歌手志望の素敵な男の子との、恋の思い出を。彼のおかげで、両親とも和解できたし、夢をあきらめることなく前に進めたのだと。
その話を聞いてマライアは、父と話し合うことを決意。恋も夢もこれからだもの!
「シュガーレス・カフェ」に逗留して自叙伝を書いている、ムカつくけれどどこかときめく、ヒゲのおじさんに挨拶して、と。
マライアは背筋を伸ばし、自分の人生の新しい一歩を踏み出した。
……てゆー話が、わたしが知らないウチに展開されていたんでしょーか?
でないと、ありえないんですけど。
わけわからなさすぎなんですけど。
そーして50才のジョニーは、自叙伝『ノン ノン シュガー!!』を脱稿する。
絶対、おもしろくないだろーけどな、ソレ(笑)。
ただの独りよがり「自分史」ってやつでしょ、お年寄りが自費出版しているよーな。
ジョニーは作家になっているけれど、「大切な人が死んでも、仕事を続けた、使命を果たした」キングを見て「オレはキングにはなれない」と逃げ出した男だ。
歌でも小説でも、同じコト。べつに八百屋でも郵便配達でもいいさ。
哀しみや苦しみを言い訳に責任を放棄するよーでは、ほんとうの仕事はできないだろう。
だれだって、なにかを抱え、乗り越えて笑っているのだから。
シンガー・キングはおそらく、歌うことでザザへの想いを昇華させたことだろう。歌い続けることが鎮魂であったろう。
作家ならば、その哀しみをペンに込めたことだろう。大切な人を失ったから筆を折るのも作家らしいのかもしれないが、その哀しみごと表現する、書き続けることが鎮魂となるだろう。
八百屋なら、新鮮な美味しい野菜を売ることで、郵便配達なら人の想いの詰まった手紙をつなぐことで、みんなみんな、自分の出来ることで、愛を紡いでいくだろう。
ジョニーはソレで、なにか成長したんだろうか。
キングの姿を見て、ケツをまくった……それ以上のことが、なにも描かれていないのだが。
ただ、キムがかっこよく歌うことだけで、全部誤魔化してしまった。
ジョニーの小説『ノン ノン シュガー!!』は、おもしろくない。
だってそこには、起承転結も成長もカタルシスもない。
出来事が羅列されているだけだ。
「夢をあきらめた」のではなく、「逃げた」だけである。
…………痛い…………。
ほんとうに、徹頭徹尾一貫して、ストーリーがない。
出来事の羅列のみ、しかもエピソードはとびとび。
歌とダンスでそれをつなぎ、水増ししてある。
ストーリーがない分、「なんとなく、よさそうなシーン」を並べてあるので、歌の印象で「なんとなく、青春っぽいいい話を見た?」イメージだけは与えるよーになっている。
この作品の正しい見方は、初日感想で書いた通り、ストーリー仕立てのショーとするべきだろう。
「物語」としては、ありえないよ。