彼と彼女の不協和音。@ME AND MY GIRL
2008年4月10日 タカラヅカ 「タカラヅカ」として演じるのが正しいのか、「ミュージカル」として演じるのが正しいのか。
よくわかんないまま、タカラヅカの『ME AND MY GIRL』観劇感想。
あさこちゃんという人は、ほんとーに「タカラヅカ」な人だということが、よーっくわかった。
彼が本領を発揮するのは紳士教育によってビルが変わりはじめた以降。
いちばん素晴らしいのが、サリーの家の前、街灯下にたたずむあたり。……そして、ラストの伯爵家をあとにしようとするあたり。
このへんはもう、「ミュージカル」というよりは、ふつーに「タカラヅカ」。
あさこちゃんの「男役」としての美しさ、かっこよさがぎゅーーんっと発揮される。
しかし。
そこにたどりつくまではなかなかにバランス悪い……。
わたしは、あさこちゃんとかなみちゃんの並びが好きだった。
かなみちゃん単体でかなり好き、大抵かなみちゃんに感情移入して芝居を見るので、彼女のダーリンとして横に立つあさこちゃんは、そりゃーもースマートでかっこよくて、乙女ゲーのダーリン・キャラとして申し分ナシな男子だ。
だからお似合いのふたりだと、なんの疑問もなく思い込んでいた。
しかし、この期に及んで。
あのぅ……。
かなみちゃんとあさこちゃんって、芝居の質、チガウんじゃ……?
サリー@かなみんは、ビル@あさこと絡まない、単体の見せ場がけっこうある。
サリー単体だと、かなみちゃんは「ミュージカル」としてぱあぁぁっと輝き出す。
豊かな表現、押し出しの良さ、存在感。
力強い輝き、骨太でありながらかろやか。
うわ、なんかすげえ?!
と思っていたら、次にビルとふたりの場面になり……あ、あれ? 全開だったモノが薄くなり、小さくなり、別のなにかに変貌する。
そして、ビルの芝居に寄り添う。
ひとりになるとまた、ぱぁああっと輝く。
あれえええ?
タカラヅカは男役トップスターが世界の中心だから、彼の芝居に合わせるのが当然だ。
あさこちゃんがトップなんだから、娘役トップはもちろん、他のすべての人が彼に合わせるべきだと思う。
だから、かなみちゃんは正しい。
あさこちゃんの作り出す「タカラヅカ」な美しさに寄り添う演技をする。これが正解、正しい姿。
しかし……。
あれほどの役者としての生命力を、べつの殻に押し込んでいたとしたら、それはなかなかに大変なことだったんだろうなあ。
今までは「タカラヅカ」な芝居ばかりだったから、気にならなかった。
今回は「ミュージカル」で、かなみちゃんだけでなく、きりやん、タキさんと主要キャストが「ミュージカル」な芝居をしている。
おかげで、痛感した。
あさこちゃんとかなみちゃんって……チガウ。根本的なことが。
いやあ、今までナニ見てたんだろうねえ、あたし。
芝居はいつもかなみちゃん視点(ヒロインになって、恋をする)だったし、ゆーひくんガン見ばっかしていたからなあ。
美男美女だからお似合い、なんて単純に考えてたよ……。
それでもここは「タカラヅカ」で。
これは「タカラヅカ」な『ME AND MY GIRL』だから。
あさこちゃんがひとり「タカラヅカ」を貫き、「ゆるがない美しいモノ」を体現してくれている。
あさこちゃん演じるビルの、最初の粗野なあたりは相当わたし好みではないし、ジェラルド@あひくん同様、キツい部分もかなりあるんだけど。
でもそれは、タカラヅカな彼がそーではないものを演じようと悪戦苦闘しているのであって、「ミュージカル」ができないからといって彼の価値が損なわれるわけじゃない。
だってここ、タカラヅカだし。わたし、タカラヅカ観に来てるんだし。
演じようとして結果として足りていないのだとしても、そこまで「タカラヅカ」である彼が、いっそ愛しい。
「ミュージカル」な演出でも、「タカラヅカ」として演じてしまう彼だからこそ、街灯シーンやラストシーンがいっそう甘くせつなくなるのだから。
「ミュージカル」としての本領を発揮するかなみちゃんを「すごい」と思う反面、「てもコレ、タカラヅカの娘役じゃないよ」とも思う。
難しいなあ。
あさこちゃんとかなみちゃんの芸風の不協和音は、そのまま「タカラヅカ」の『ME AND MY GIRL』を表しているように思った。
あー、なんかバランス悪いっちゅーか、違和感がぬぐえないんだよなあ。
や、こんなふうに思っちゃったのはわたしだけかもしんないし、んなこと考えずもっと熱中してたのしめばいいだけのことなんだけど。
退団公演にしてはじめて、かなみちゃんは自身を解放しているんだなぁ。
別の人と組んでいたら、彼女はどんな芝居をしていたのだろう?
あすかちゃんがトウコちゃんと組んで密度の濃い、手加減無しな芝居世界を構築しているだけに、ちょっと考えてしまった。
あさこちゃんもまた、別の人とだったらまた、チガウ芝居をしていたんだろうか……いや、彼の芝居自体は変わらないと思うけど、相手役の色ゆえに観客には、べつのカラーとして映っただろうな。
「芝居」って、「役者」って、おもしろいなあ……。
公演を重ねていくごとに、『ME AND MY GIRL』のいびつさは、なめらかになっていくのだろうか。
石が波に洗われて丸くなるように。
東宝楽になるころには、どんな芝居になってるんだろう。
よくわかんないまま、タカラヅカの『ME AND MY GIRL』観劇感想。
あさこちゃんという人は、ほんとーに「タカラヅカ」な人だということが、よーっくわかった。
彼が本領を発揮するのは紳士教育によってビルが変わりはじめた以降。
いちばん素晴らしいのが、サリーの家の前、街灯下にたたずむあたり。……そして、ラストの伯爵家をあとにしようとするあたり。
このへんはもう、「ミュージカル」というよりは、ふつーに「タカラヅカ」。
あさこちゃんの「男役」としての美しさ、かっこよさがぎゅーーんっと発揮される。
しかし。
そこにたどりつくまではなかなかにバランス悪い……。
わたしは、あさこちゃんとかなみちゃんの並びが好きだった。
かなみちゃん単体でかなり好き、大抵かなみちゃんに感情移入して芝居を見るので、彼女のダーリンとして横に立つあさこちゃんは、そりゃーもースマートでかっこよくて、乙女ゲーのダーリン・キャラとして申し分ナシな男子だ。
だからお似合いのふたりだと、なんの疑問もなく思い込んでいた。
しかし、この期に及んで。
あのぅ……。
かなみちゃんとあさこちゃんって、芝居の質、チガウんじゃ……?
サリー@かなみんは、ビル@あさこと絡まない、単体の見せ場がけっこうある。
サリー単体だと、かなみちゃんは「ミュージカル」としてぱあぁぁっと輝き出す。
豊かな表現、押し出しの良さ、存在感。
力強い輝き、骨太でありながらかろやか。
うわ、なんかすげえ?!
と思っていたら、次にビルとふたりの場面になり……あ、あれ? 全開だったモノが薄くなり、小さくなり、別のなにかに変貌する。
そして、ビルの芝居に寄り添う。
ひとりになるとまた、ぱぁああっと輝く。
あれえええ?
タカラヅカは男役トップスターが世界の中心だから、彼の芝居に合わせるのが当然だ。
あさこちゃんがトップなんだから、娘役トップはもちろん、他のすべての人が彼に合わせるべきだと思う。
だから、かなみちゃんは正しい。
あさこちゃんの作り出す「タカラヅカ」な美しさに寄り添う演技をする。これが正解、正しい姿。
しかし……。
あれほどの役者としての生命力を、べつの殻に押し込んでいたとしたら、それはなかなかに大変なことだったんだろうなあ。
今までは「タカラヅカ」な芝居ばかりだったから、気にならなかった。
今回は「ミュージカル」で、かなみちゃんだけでなく、きりやん、タキさんと主要キャストが「ミュージカル」な芝居をしている。
おかげで、痛感した。
あさこちゃんとかなみちゃんって……チガウ。根本的なことが。
いやあ、今までナニ見てたんだろうねえ、あたし。
芝居はいつもかなみちゃん視点(ヒロインになって、恋をする)だったし、ゆーひくんガン見ばっかしていたからなあ。
美男美女だからお似合い、なんて単純に考えてたよ……。
それでもここは「タカラヅカ」で。
これは「タカラヅカ」な『ME AND MY GIRL』だから。
あさこちゃんがひとり「タカラヅカ」を貫き、「ゆるがない美しいモノ」を体現してくれている。
あさこちゃん演じるビルの、最初の粗野なあたりは相当わたし好みではないし、ジェラルド@あひくん同様、キツい部分もかなりあるんだけど。
でもそれは、タカラヅカな彼がそーではないものを演じようと悪戦苦闘しているのであって、「ミュージカル」ができないからといって彼の価値が損なわれるわけじゃない。
だってここ、タカラヅカだし。わたし、タカラヅカ観に来てるんだし。
演じようとして結果として足りていないのだとしても、そこまで「タカラヅカ」である彼が、いっそ愛しい。
「ミュージカル」な演出でも、「タカラヅカ」として演じてしまう彼だからこそ、街灯シーンやラストシーンがいっそう甘くせつなくなるのだから。
「ミュージカル」としての本領を発揮するかなみちゃんを「すごい」と思う反面、「てもコレ、タカラヅカの娘役じゃないよ」とも思う。
難しいなあ。
あさこちゃんとかなみちゃんの芸風の不協和音は、そのまま「タカラヅカ」の『ME AND MY GIRL』を表しているように思った。
あー、なんかバランス悪いっちゅーか、違和感がぬぐえないんだよなあ。
や、こんなふうに思っちゃったのはわたしだけかもしんないし、んなこと考えずもっと熱中してたのしめばいいだけのことなんだけど。
退団公演にしてはじめて、かなみちゃんは自身を解放しているんだなぁ。
別の人と組んでいたら、彼女はどんな芝居をしていたのだろう?
あすかちゃんがトウコちゃんと組んで密度の濃い、手加減無しな芝居世界を構築しているだけに、ちょっと考えてしまった。
あさこちゃんもまた、別の人とだったらまた、チガウ芝居をしていたんだろうか……いや、彼の芝居自体は変わらないと思うけど、相手役の色ゆえに観客には、べつのカラーとして映っただろうな。
「芝居」って、「役者」って、おもしろいなあ……。
公演を重ねていくごとに、『ME AND MY GIRL』のいびつさは、なめらかになっていくのだろうか。
石が波に洗われて丸くなるように。
東宝楽になるころには、どんな芝居になってるんだろう。