『凍てついた明日』との邂逅・その2。
 ブログをはじめる前、わたしはとってもアナログに観劇感想を書いていた。
 お手製ノートに、手書きだ。

 画材店で黒上質紙を束で買い、中綴じにして製本する。A4サイズの黒一色ノートが手に入らないため、自分で作っていたの。
 そこに公演チラシや、雑誌や新聞の切り抜き、ポスカ、チケットの半券等、観劇関係のものをスクラップし、色紙等で飾る。
 文字は白ペンで。太さを使い分け、レタリングしたりもする。

 現在スクラップブッキングが流行っているけれど、それよりずーーっと前から、好きでやっていたんだな(笑)。今みたいにソレ用の素材は売ってないから、自分でいろんなものを工夫して貼り込んでいた。
 グッズ作りもそうだけど、クラフトするのほんと好きだから。

 写真は2000年に書いた『凍てついた明日』の感想ページ。
 なにしろ力作ゆえ、観劇後すぐには作れないの、スクラップ。素材集め、雑誌の記事集めとかしなきゃなんないし(笑)。

 ほんとはもっとレイアウトに凝りたいし、いろいろ飾りたかったんだけど、テキストが多すぎてできなかった。
 書きたいことが多すぎて、テキスト部分を確保するため、あまり画面に凝ることができなかったのなー。
 テキストだけで1ページ、とかはしたくなくて、必ずなにか切り抜きを貼り、空いたところにテキストを書く、というこだわりがあったから。
 ノート見開き2ページで、「デザイン」としてきれいでなきゃ嫌なの。観劇日記なんだけど、文章の内容とは別に、「ビジュアル(写真)とテキスト(本文)のバランス、それらを総合した視覚効果」も最低限クリアしなきゃ嫌なの。
 今も昔も「デザインする」ということが大好きだった。

 この観劇ノートとブログ(当時はweb日記)をしばらく平行して書いていたけれど、ノート制作があまりに時間が掛かるので、ついにブログだけになってしまった。
 やっぱテキストだけだと楽だし、早い。

 観劇ノートはいつか、このブログ本文を使って作ろう。雑誌記事や写真など、その公演に関した公的なものから自分自身の感想まですべてそのノート1冊で済む、究極の「老後の愉しみグッズ」だもんよ。
 このノートを作るために、当時は「歌劇」「GRAPH」など全部の雑誌を買っていたし、記事の両面が欲しいときは同じ雑誌を2冊ずつ買ったりしていたよ(笑)。
 情熱を掛けて作っていただけあって、やっぱ今見てもすごいわ、この情報量。ノート1冊重いのなんのって。

 文章の書き方は今とあまり変わってなくて、ポイントとなる言葉や文章の大きさ・書体を変えている。

 とにかく長いので(笑)、全部は書けないけれど、大きな文字で書いてある言葉を抜き出してみる。


 愛では救えない魂。
 そんな声で泣かないで。
「二人は悪党でした。言うことを聞かないと殴られました」
 このトキほど美しいと思ったことはなかった。
 ひとりぼっち。
 「愛」は癒せるのだろうか。
 愛が、血を流したまま。
 「愛」ってなに?
 そんなのあっても、ちっとも満たされない。しあわせになれない。
 だけど、愛してる。
 愛が、血を流したまま。
 魂が同じ。
 同じカタチに、壊れている。
 傷ついている。
「本当に、行きたい場所を探すのよ」
 めぐりあった、同じ魂の相手。
ボニーとクライドの旅がはじまる。
 同じところが欠けた人間ふたりがあたためあったって、ちっともあたたかくならないんだよ。
 カナシイカナシイ、クルシイクルシイ。
「愛」はひとを癒せるのか。
「愛」はひとを救えるのか。

 ふたりでいることの、孤独。
「どこに行きたいの、ボニー」
「なにが欲しいんだ、クライド」
 夢見たものは、「永遠」。
「兄さん。そこにいないのは知っているんだ」
 「永遠」が存在しないことを。
「愛したい。君を心から」
 救いたいのに。
 救われたいのに。
「愛」はひとを癒せるのか。
「愛」はひとを救えるのか。

 誰か助けて。
 誰か救って。
 この魂を。


 長い文章の中の、大きな文字だけの抜粋だから、イタいしクドいね(笑)。

 ボニーとクライドについてえんえん書いて、ここからあとはジェレミーについての記述がえんえん続く。


 うれしかったんだよね。大好きだったんだよね。
 クライドが好き。
 それだけで、ついてきた。
 堕ちてきた。
 法律も常識も道徳も、なんの意味もなかったんだよ。
「おれ、いつでもあんたについていくよ。あんたあのとき、おれを助けてくれたじゃないか」
「他の誰かじゃない。あんただったんだ」
 「永遠」を求めるクライドは、変わってしまうのさ。「永遠」じゃないからね。
 「永遠」はなくて。
 「愛」もなくて。
 「愛」と「孤独」は、べつのところにあるね。
 それは、わたしも行けるの?
「あなたは、ちがうもの」
「そうだな。お前はちがう」
「どうして。おれを置いていくつもりか、クライド。置き去りにして。あんたたちだけで行ってしまうつもりか」
「誰でもよかった。たとえ、あなたじゃなくても」
「誰でもよかった。でも、君だったんだ」
 自分を捨てた相手に、泣きながら訴える。“死なないで”
 なんてきれいな笑顔。
 好きだから。大好きだから。
 一緒に行きたかったんだよ。
 連れていってよ。
 まちがってても、歪んでてもいいから!
「愛」は役立たずだ。
見送ることしか、できないなんて。

 「愛してる」
それは。
「自己肯定」なんだと、思う。

 わたしは、わたしをゆるしてもいいんだ。


 んであとはケロの話になり、他のいろんなキャラ解析になり、ノート1冊ちょい『凍てついた明日』だけで埋まっている。

 ケロ話は2ページだけなんで(笑)、大きな文字で書いてあるのも、


「1枚1枚が俺たちの生きてきた証だ」
 壮絶な怒りと悲しみ
 たしかに生きている、その瞳。


 だけだなー(笑)。

 ジョーンズ@ハマコについてもすげーアツく語っているし(「ハマコちゃん」って書いてる……そ、そうか、当時はちゃん付けで呼んでたんだ)、某たまお氏の演技についての不満点も語っている。

 そして、彼らよりもフランク+バック@みやたんについて、すげー鼻息で語っているぞ(笑)。

 最初はクライドに微笑みながら語りかけているバックが、だんだん喋らなくなり、ついには無言で背中を向けたままになって。
「なにか言ってくれよ兄さん。俺をおいていかないでくれよ」……ジェレミーがクライドに言う台詞を、やはり哀しくすがるようにバックに言うクライド。だけど兄は振り返らない。
「兄さん。そこにいないのは、知っているんだ」……幻想。すべては。
 そのうえ。
 クライドが哀願した、振り向かない背中が振り向いたとき。
 それは幻想の兄バックではなくて捜査官フランクだった。
 そして。
 バロウ・ギャングたちの逃走劇の最中、バックは死ぬ。
 その事実を、フランクは冷たく言い捨てる。
「兄? そんな奴最初から気にしてはいない。いなかったも同じだ」

 これほど凄まじい物語を、知らない。

 
 この物理的なまでの痛みを、衝撃を、遺しておきたくて必死に書いた。資料となる切り抜きをちりばめながら、あきれるほどの情熱で。

 この記憶は、上書きされるのだろうか。
 「再演」によって?


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