ヒロインと、彼女の男。@ANNA KARENINA
2008年4月22日 タカラヅカ 改めて、いい話だなあ、と思う。
『ANNA KARENINA』Aチーム観劇にて。
ストーリーが好みかどうかは置くとして、「タカラヅカ作品」として、実に美しく、まとまっていると思うのですよ。相変わらず蛇足がウザい面はあるにせよ(景子タン名物)、クオリティ高いよなー、と。
観終わったあとの仲間たちの感想が、そろって「景子せんせ、やっぱ巧いわ」だもんよー。
他のカンパニーではどうだか知らんが、「宝塚歌劇団」ではすばらしい才能を持った人だと思う。
『舞姫』を観た直後なので、ふたつの作品の類似点というか、景子タンの「パターン」っぷり(本人の萌えなんだろうな)に少々苦笑しつつ、それは作家性のうちだから問う必要はないだろう、とスルーして。
出演者の感想をば。
主役ということになっている、ヴィロンスキー@ともみん。
なんといっても姿の美しさだなー。
長身に映える軍服姿。かっこいー。とくにダンスシーンになるとさらにオトコマエ度アップ。
そして、際立つ、無骨な善良さ。
えーと。
ヴィロンスキー伯爵って、どーゆー人なんだっけ? 原作未読だし、『アンカレ』も何度も観たわけじゃないし、そもそもどーゆー人であるべきなのか、よくわかっていない。
舞台から感じられるものだけがすべて。
愛に奔放な母を見て育った、真面目な体育会系青年。かーちゃんがアレなんで、反動で恋愛観は保守的。恋愛結婚したいなー、と思っているので、つりあいの取れたキティお嬢様にアプローチされても積極的になれない。
それがついうっかり、人妻アンナとfall in love、なにしろ元が真面目で無骨な体育会系男、ブレーキ掛けられずにGoGoGo!
とにかく真面目で善良なもんで「彼女を苦しめているのは私だ」と思い込んだが最後、ピストル自殺。……詰めが甘いので未遂。
ここまではわりとすんなり、眺めていられるんだ。
今までラグビー(イメージ)しかしてこなかったハンサム・マッチョくんが、恋にめろめろになって、挫折するまでの話、として。
問題は、そのあと。
別れるしか道はない、とわかったあとで再会し、生まれたばかりの子どもを捨てて、ふたりで駆け落ち、つーのは、真面目なハンサム・マッチョくんのしていいことじゃないぞ。
そうまでしなければならない愛、を描くには、あまりにもともみんヴィロンスキーはまともで、善良に見えた。
自分勝手に他人を傷つける人には見えなかった。常識があるように見えた。
アンナもヴィロンスキーも、行動があまりにもアレ過ぎて、常識では計れないし、感情移入もしがたいんだよね。常識のこちら側にいるカレーニンに同情が集まるのも仕方のない話。
ヴィロは難しい役だよなあ。
いっそ少年の暴走にしてしまえば行動の言い訳になるのだけど、大人の男であるわけだし。
言動のおかしさを覆い隠せるくらいの絶対的な、神懸かりな「魅力」がないと恋敵のカレーニン(常識)や、かわいいカップルのコスチャ(安定)に負けてしまうんだよなあ。
ヴィロにとってマイナス要素が多すぎる。彼に感情移入し、「(彼の行動は)仕方のないことだったのだ」と観客に納得させるには、『舞姫』ぐらい原作を改竄し外堀を埋めなければならない。
ヴィロンスキーという役の持つ「不条理さ」を、ともみんは「熱さ」で埋めようとしていた。
愛している、とボルテージを上げることによって、行動のアレさの理由とした。
うん、そーするしかないよなー。
とことん高温に、苦悩し、愛を語る。がんばれ。
誠実で木訥なラガーマン。悩むときも真正面からだ。苦悩の深さは彼のまともさの表れだ。障害には真ん中からぶつかっていくんだ。
……初演のコム姫はそんなふーにカケラも思わなかったので、ともみんならではのヴィロンスキーなんだよなー。
やっていることは同じでも、ヒロイン・アンナ@まりもちゃんは、ヴィロンスキーほど不条理じゃない。
何故ならば彼女は最終的に精神を病んでしまうからだ。
そこにたどり着くほどに愛し、愛に生きるキャラクタだからだ。
健常な精神を持ったままアレな行動をするヴィロよりは、彼女の言動にはブレがない。
だからそもそもこの物語は『アンナ・カレーニナ』であり、『ヴィロンスキー』ではないんだ。
アンナ視点の物語ならば、正しくスムーズに流れるのに、ヴィロンスキー視点にしようとするから綻びが出る。
アンナがまともな青年ヴィロンスキーの道を誤らせた。
アンナを中心に、物語すべてが回る。
とどのつまり、アンナが主役に見えた。
まりもちゃんの押し出しもいいしな。
まりもちゃんの持つ「強さ」……「野生」といってもいいかな。その強さが、あるべき場所を見失い、そのズレによって地盤が揺らぎ崩壊に至る……みたいな、「地に足がついている」ゆえの狂気が興味深い。
そして、そんな力強い彼女だからこそ、熱血ラガーマンともみんが堕ちてしまうのだろう。
アンナが主役で、その夫カレーニン@ベニーが暴走、恋人ヴィロンスキーはまともで善良な分、割を食ったかな。
でもみんなそれぞれ、愛すべき人たちだ。
コスチャ@しーらんは、かわいかった。
いい役だよね、ほんと。
重い物語の中で、ほっこりと息をつかせる存在。
……が、ほっこりを通り越して客席を笑わせてしまうのは、しーらんならでは?(笑) えーと、初演でもダンスの場面って笑い起こってたっけ? ほんとにギャグみたくなってたけど。
コスチャとキティ@水瀬さんの扉越しのシーンを観てしみじみと、「おはよう、お寝坊さん」@『落陽のパレルモ』を書いた人だなあ……と思ったよ(笑)。
なんなのこの少女マンガっぷり。昭和時代の少女マンガだよね、今どきあり得ない、絶滅したリリカルさだよ!!
存在しない扉を挟んで手を重ねるふたり、だよ……。
しーらんが「かわいこちゃん全開」で、されど相変わらずの高温とクドさを発揮していて愉快。
キティお嬢様役の水瀬さんはまだ研2なんだー。
んでもって今確認したんだけど、93期文化祭でヒロインやってた、幕開きの「清く正しく美しく」ソロの娘役さんなんだー。
なるほど、歌えて演技できるわけだ。
姫花ショック(笑)のあとなので、誰を見ても「けっこううまいじゃん」と思うようになってしまってはいるんだが、それでもほんとにふつーにやっていたよね。
でも文化祭で観たときの方が美しく思えたから、やっぱ「タカラジェンヌ」として舞台に立つのは別なんだろうな。
これからどんどん美しさを磨き、がんばってほしい。
コスチャとキティが微笑ましいカップルである分、ヴィロンスキーとアンナの悲劇が増すわけだから、WSの中でもとびきり若い子たちがこの役に挑戦するのは正しいよな。
彼らが若く幼く、初々しいことがまた、舞台効果になる。
キャスティングも興味深く、バランスいいよな。
『ANNA KARENINA』Aチーム観劇にて。
ストーリーが好みかどうかは置くとして、「タカラヅカ作品」として、実に美しく、まとまっていると思うのですよ。相変わらず蛇足がウザい面はあるにせよ(景子タン名物)、クオリティ高いよなー、と。
観終わったあとの仲間たちの感想が、そろって「景子せんせ、やっぱ巧いわ」だもんよー。
他のカンパニーではどうだか知らんが、「宝塚歌劇団」ではすばらしい才能を持った人だと思う。
『舞姫』を観た直後なので、ふたつの作品の類似点というか、景子タンの「パターン」っぷり(本人の萌えなんだろうな)に少々苦笑しつつ、それは作家性のうちだから問う必要はないだろう、とスルーして。
出演者の感想をば。
主役ということになっている、ヴィロンスキー@ともみん。
なんといっても姿の美しさだなー。
長身に映える軍服姿。かっこいー。とくにダンスシーンになるとさらにオトコマエ度アップ。
そして、際立つ、無骨な善良さ。
えーと。
ヴィロンスキー伯爵って、どーゆー人なんだっけ? 原作未読だし、『アンカレ』も何度も観たわけじゃないし、そもそもどーゆー人であるべきなのか、よくわかっていない。
舞台から感じられるものだけがすべて。
愛に奔放な母を見て育った、真面目な体育会系青年。かーちゃんがアレなんで、反動で恋愛観は保守的。恋愛結婚したいなー、と思っているので、つりあいの取れたキティお嬢様にアプローチされても積極的になれない。
それがついうっかり、人妻アンナとfall in love、なにしろ元が真面目で無骨な体育会系男、ブレーキ掛けられずにGoGoGo!
とにかく真面目で善良なもんで「彼女を苦しめているのは私だ」と思い込んだが最後、ピストル自殺。……詰めが甘いので未遂。
ここまではわりとすんなり、眺めていられるんだ。
今までラグビー(イメージ)しかしてこなかったハンサム・マッチョくんが、恋にめろめろになって、挫折するまでの話、として。
問題は、そのあと。
別れるしか道はない、とわかったあとで再会し、生まれたばかりの子どもを捨てて、ふたりで駆け落ち、つーのは、真面目なハンサム・マッチョくんのしていいことじゃないぞ。
そうまでしなければならない愛、を描くには、あまりにもともみんヴィロンスキーはまともで、善良に見えた。
自分勝手に他人を傷つける人には見えなかった。常識があるように見えた。
アンナもヴィロンスキーも、行動があまりにもアレ過ぎて、常識では計れないし、感情移入もしがたいんだよね。常識のこちら側にいるカレーニンに同情が集まるのも仕方のない話。
ヴィロは難しい役だよなあ。
いっそ少年の暴走にしてしまえば行動の言い訳になるのだけど、大人の男であるわけだし。
言動のおかしさを覆い隠せるくらいの絶対的な、神懸かりな「魅力」がないと恋敵のカレーニン(常識)や、かわいいカップルのコスチャ(安定)に負けてしまうんだよなあ。
ヴィロにとってマイナス要素が多すぎる。彼に感情移入し、「(彼の行動は)仕方のないことだったのだ」と観客に納得させるには、『舞姫』ぐらい原作を改竄し外堀を埋めなければならない。
ヴィロンスキーという役の持つ「不条理さ」を、ともみんは「熱さ」で埋めようとしていた。
愛している、とボルテージを上げることによって、行動のアレさの理由とした。
うん、そーするしかないよなー。
とことん高温に、苦悩し、愛を語る。がんばれ。
誠実で木訥なラガーマン。悩むときも真正面からだ。苦悩の深さは彼のまともさの表れだ。障害には真ん中からぶつかっていくんだ。
……初演のコム姫はそんなふーにカケラも思わなかったので、ともみんならではのヴィロンスキーなんだよなー。
やっていることは同じでも、ヒロイン・アンナ@まりもちゃんは、ヴィロンスキーほど不条理じゃない。
何故ならば彼女は最終的に精神を病んでしまうからだ。
そこにたどり着くほどに愛し、愛に生きるキャラクタだからだ。
健常な精神を持ったままアレな行動をするヴィロよりは、彼女の言動にはブレがない。
だからそもそもこの物語は『アンナ・カレーニナ』であり、『ヴィロンスキー』ではないんだ。
アンナ視点の物語ならば、正しくスムーズに流れるのに、ヴィロンスキー視点にしようとするから綻びが出る。
アンナがまともな青年ヴィロンスキーの道を誤らせた。
アンナを中心に、物語すべてが回る。
とどのつまり、アンナが主役に見えた。
まりもちゃんの押し出しもいいしな。
まりもちゃんの持つ「強さ」……「野生」といってもいいかな。その強さが、あるべき場所を見失い、そのズレによって地盤が揺らぎ崩壊に至る……みたいな、「地に足がついている」ゆえの狂気が興味深い。
そして、そんな力強い彼女だからこそ、熱血ラガーマンともみんが堕ちてしまうのだろう。
アンナが主役で、その夫カレーニン@ベニーが暴走、恋人ヴィロンスキーはまともで善良な分、割を食ったかな。
でもみんなそれぞれ、愛すべき人たちだ。
コスチャ@しーらんは、かわいかった。
いい役だよね、ほんと。
重い物語の中で、ほっこりと息をつかせる存在。
……が、ほっこりを通り越して客席を笑わせてしまうのは、しーらんならでは?(笑) えーと、初演でもダンスの場面って笑い起こってたっけ? ほんとにギャグみたくなってたけど。
コスチャとキティ@水瀬さんの扉越しのシーンを観てしみじみと、「おはよう、お寝坊さん」@『落陽のパレルモ』を書いた人だなあ……と思ったよ(笑)。
なんなのこの少女マンガっぷり。昭和時代の少女マンガだよね、今どきあり得ない、絶滅したリリカルさだよ!!
存在しない扉を挟んで手を重ねるふたり、だよ……。
しーらんが「かわいこちゃん全開」で、されど相変わらずの高温とクドさを発揮していて愉快。
キティお嬢様役の水瀬さんはまだ研2なんだー。
んでもって今確認したんだけど、93期文化祭でヒロインやってた、幕開きの「清く正しく美しく」ソロの娘役さんなんだー。
なるほど、歌えて演技できるわけだ。
姫花ショック(笑)のあとなので、誰を見ても「けっこううまいじゃん」と思うようになってしまってはいるんだが、それでもほんとにふつーにやっていたよね。
でも文化祭で観たときの方が美しく思えたから、やっぱ「タカラジェンヌ」として舞台に立つのは別なんだろうな。
これからどんどん美しさを磨き、がんばってほしい。
コスチャとキティが微笑ましいカップルである分、ヴィロンスキーとアンナの悲劇が増すわけだから、WSの中でもとびきり若い子たちがこの役に挑戦するのは正しいよな。
彼らが若く幼く、初々しいことがまた、舞台効果になる。
キャスティングも興味深く、バランスいいよな。