皆殺しの美学。@サン=テグジュペリ
2012年8月5日 タカラヅカ 谷正純作品『サン=テグジュペリ』を考えることを、頭が拒否するのです。
初日に観たときは、「谷せんせの泣かせ人情パッションはキライじゃない。珍作だけど、不快でもないのでマシ」と思っていた。
でも、2回目に観ると、やっぱ不快だった。
何故か。
それは、イシダ作品を不快だと思う、植爺作品を嫌悪する、それらの感覚とは違っている。
いちばん近いのは、酒井作品に対する不快さだ。
そうなの。わたし、ストーリーのない「芝居」、大嫌いなの(笑)。
『花舞う長安』(2004年・酒井澄夫)が大嫌いだった、アレを思い出すわー。
あ、もひとつ思い出した。
『あさきゆめみしⅡ』(2007年・草野 旦)も、大嫌いだった。
共通項は、ストーリーがない、物語を作る方程式を理解していないこと。
ただエピソードの羅列、切り貼り。
キャラクタはただの絵に描いた餅、人格も辻褄もナニもない。
起承転結の計算がない。ナニがどうなってなにが起こり、結果どうなるのか。すべての物事には因果があり、つながっていることを、作者自身理解していない。
ふつーのヒトでも、物語くらい、作れるでしょう。総合芸術のミュージカルとして演出できるかはともかく。
間違っている・欠けている部分が、そのいちばん最初、素人でもある程度出来て当然の「物語を作る」部分だっつーのがもお、この道何十年のプロのじーさまのすることなのかと。
今回の『サン=テグジュペリ』が不快なのは、ストーリーがないことと、キャラクタの人格破壊、そのコンボがわたし的にキツイからかな。
谷せんせは物語作るのぶっちゃけヘタだけど、キャラクタはパッションのあるものを作るじゃないですか。
谷せんせのライフワーク、「なにかを成すため(誰かのため)に死ぬ美学」をぎゃーぎゃー叫びながら生きて、死ぬ。
命がいちばん大切だと言いながら、簡単プーに死んでいく。
大切だとわめくのは、「死ぬ」という前提があるから。死ぬことが谷せんせの最大の萌え。命を大切だと連呼するのは、つまり「死」を飾るためのアクセサリー。
この何十年間揺るがない萌えがあるからこそ、キャラクタもまた揺るがない。
なにかの目的のため、声高に説明台詞を連呼して生きて、壮絶に死んでいく。
でも今回は、いつもの萌えを叫べなかった。
半端に、『星の王子さま』ネタを使ったから。
『星の王子さま』という作品は、別に「なにかを成すため(誰かのため)に死ぬ美学」を説いてないんだ。
ぜんっぜん別の話ですよ。
谷せんせのライフワークなら、王子さまはパイロットを守るために死ななきゃね。
パイロットの代わりに蛇に噛まれて、その腕の中で壮絶に息絶えないと。笑い上戸の星の話を、息も絶え絶えに語らないと。
で、生き残ったパイロットは、夜空の星に、王子さまの志を継いで生きると誓わなきゃ。
だけどご存じの通り、『星の王子さま』ってのはそんなテーマの話ではまったくなくて。
「俺たち郵便飛行士は、待っている誰かのために飛ぶんだ」という、いつもの谷美学の主人公サン=テックス@らんとむ。
ここからはじまったんだから、それに終始しておけばいいのに。
途中で、谷自身理解できていない『星の王子さま』ネタをだらだら引用して、おかげで他のことがなんにも書けなくて、ストーリーもなければキャラも破綻して、わけわかんなくなって。
そのくせ出てくる人たちみんな、「なにかを成すため(誰かのため)に死ぬ美学」に殉じて、順番に死んでいくし。
メルモーズ@みわっち出ました、はい、死にました。
ギヨメ@えりたん出ました、はい、死にました。
キャラもドラマも書く気、ナシ。
そんな面倒なことは投げ出して、自分の気持ちいいところだけ書く。
つまり、「なにかを成すため(誰かのため)に死ぬ美学」の、クライマックス、さあ死にますよ、部分のみ。
飛行機の話じゃなく、陸の話だったら、『Samourai』みたいにひとりずつ大仰に死んでいったんじゃないのかな。
空中戦、舞台では描けないからねええ。
で、主人公のサン=テックスもまた同じ。
妻コンスエロ@蘭ちゃんとは出会いとプロポーズしかまともになにひとつ描かず、出会った瞬間プロポーズ、を書いたから「さあ、ふたりは夫婦」という説明が終わった、次はいちばん書きたかった「なにかを成すため(誰かのため)に死ぬ美学」場面。
ふたりの物語はどこにもナニもない。
突然サン=テックスが「フランスのため」と平和なアメリカで死に赴く場面になる。
ここで姑息に『星の王子さま』の台詞羅列。
チガウから、ここでそんな風に使うのはおかしいから! 『星の王子さま』をそんな風に利用しないで!!
谷せんせのこの使い方だと、『星の王子さま』が戦争賛美小説になってしまう。
谷せんせの「なにかを成すため(誰かのため)に死ぬ美学」は別にいいんだけど、日本人そーゆーの好きだし、使い方によってはわたしも好きだし、すべてが間違っているとも思ってない。
ただ、ここで『星の王子さま』を使うのはチガウ。
お国のために死ぬのが正義と、王子さまはそう言っているんだよ、と夏休みの子どもたちに植え付けるような使い方はやめて。
『星の王子さま』自体のテーマや内容は無視して、勝手に抜粋した心の絆や友情、別れの場面を、戦争に「美しく」「都合良く」利用するのはやめて。
『星の王子さま』を使わず、いつもの谷せんせで良かったのに。
誰かのために命を懸けて生きてきたサン=テックス。彼をとことんマンセーして、彼を愛する男たちが彼の志を受けてどんどん死んでいき、最後はサン=テックス自身も壮絶に戦死する話でいいじゃん。
ほら、それっていつもの谷作品。『アナジ』も『春櫻賦』も『望郷は海を越えて』も『野風の笛』も『Samourai』も、みんなみんな同じ。
ライフワークを叫ぶために、とことんカッコイイ、男が惚れる男の中の男、英雄譚を書けば良かったのよ。
ストーリー皆無で、自分の気持ちいい場面だけ書いて。
まったく無関係な不朽の名作を切り貼りして本質を変容させて、キャラクタは人格破綻。
こりゃひどいわー。
それでも人情モノの強みは、「なにかを成すため(誰かのため)に死ぬ」と言えば感動的だし、ヒトが死ぬと泣けるってこと。
その上、らんとむたち、キャストの熱演もあるし。彼らはほんと、このめちゃくちゃな作品を、誠心誠意支えているし。
わたし、谷せんせのライフワークキライじゃないんだけど、それはストーリーがあってこそなのよ。
キャラクタに感情移入できてこそなの。
その場しのぎのエピソード並べて、意味もわからず羅列した『星の王子さま』の台詞なんかじゃ、キャラクタに感情移入できないわ。
だからすごく退屈。
『Samourai』は気持ちよく泣けたけど、『サン=テグジュペリ』は無理。
同じテーマの話なのに。いつもの話なのに。
作り直してほしい。
いつもの谷作品に。
初日に観たときは、「谷せんせの泣かせ人情パッションはキライじゃない。珍作だけど、不快でもないのでマシ」と思っていた。
でも、2回目に観ると、やっぱ不快だった。
何故か。
それは、イシダ作品を不快だと思う、植爺作品を嫌悪する、それらの感覚とは違っている。
いちばん近いのは、酒井作品に対する不快さだ。
そうなの。わたし、ストーリーのない「芝居」、大嫌いなの(笑)。
『花舞う長安』(2004年・酒井澄夫)が大嫌いだった、アレを思い出すわー。
あ、もひとつ思い出した。
『あさきゆめみしⅡ』(2007年・草野 旦)も、大嫌いだった。
共通項は、ストーリーがない、物語を作る方程式を理解していないこと。
ただエピソードの羅列、切り貼り。
キャラクタはただの絵に描いた餅、人格も辻褄もナニもない。
起承転結の計算がない。ナニがどうなってなにが起こり、結果どうなるのか。すべての物事には因果があり、つながっていることを、作者自身理解していない。
ふつーのヒトでも、物語くらい、作れるでしょう。総合芸術のミュージカルとして演出できるかはともかく。
間違っている・欠けている部分が、そのいちばん最初、素人でもある程度出来て当然の「物語を作る」部分だっつーのがもお、この道何十年のプロのじーさまのすることなのかと。
今回の『サン=テグジュペリ』が不快なのは、ストーリーがないことと、キャラクタの人格破壊、そのコンボがわたし的にキツイからかな。
谷せんせは物語作るのぶっちゃけヘタだけど、キャラクタはパッションのあるものを作るじゃないですか。
谷せんせのライフワーク、「なにかを成すため(誰かのため)に死ぬ美学」をぎゃーぎゃー叫びながら生きて、死ぬ。
命がいちばん大切だと言いながら、簡単プーに死んでいく。
大切だとわめくのは、「死ぬ」という前提があるから。死ぬことが谷せんせの最大の萌え。命を大切だと連呼するのは、つまり「死」を飾るためのアクセサリー。
この何十年間揺るがない萌えがあるからこそ、キャラクタもまた揺るがない。
なにかの目的のため、声高に説明台詞を連呼して生きて、壮絶に死んでいく。
でも今回は、いつもの萌えを叫べなかった。
半端に、『星の王子さま』ネタを使ったから。
『星の王子さま』という作品は、別に「なにかを成すため(誰かのため)に死ぬ美学」を説いてないんだ。
ぜんっぜん別の話ですよ。
谷せんせのライフワークなら、王子さまはパイロットを守るために死ななきゃね。
パイロットの代わりに蛇に噛まれて、その腕の中で壮絶に息絶えないと。笑い上戸の星の話を、息も絶え絶えに語らないと。
で、生き残ったパイロットは、夜空の星に、王子さまの志を継いで生きると誓わなきゃ。
だけどご存じの通り、『星の王子さま』ってのはそんなテーマの話ではまったくなくて。
「俺たち郵便飛行士は、待っている誰かのために飛ぶんだ」という、いつもの谷美学の主人公サン=テックス@らんとむ。
ここからはじまったんだから、それに終始しておけばいいのに。
途中で、谷自身理解できていない『星の王子さま』ネタをだらだら引用して、おかげで他のことがなんにも書けなくて、ストーリーもなければキャラも破綻して、わけわかんなくなって。
そのくせ出てくる人たちみんな、「なにかを成すため(誰かのため)に死ぬ美学」に殉じて、順番に死んでいくし。
メルモーズ@みわっち出ました、はい、死にました。
ギヨメ@えりたん出ました、はい、死にました。
キャラもドラマも書く気、ナシ。
そんな面倒なことは投げ出して、自分の気持ちいいところだけ書く。
つまり、「なにかを成すため(誰かのため)に死ぬ美学」の、クライマックス、さあ死にますよ、部分のみ。
飛行機の話じゃなく、陸の話だったら、『Samourai』みたいにひとりずつ大仰に死んでいったんじゃないのかな。
空中戦、舞台では描けないからねええ。
で、主人公のサン=テックスもまた同じ。
妻コンスエロ@蘭ちゃんとは出会いとプロポーズしかまともになにひとつ描かず、出会った瞬間プロポーズ、を書いたから「さあ、ふたりは夫婦」という説明が終わった、次はいちばん書きたかった「なにかを成すため(誰かのため)に死ぬ美学」場面。
ふたりの物語はどこにもナニもない。
突然サン=テックスが「フランスのため」と平和なアメリカで死に赴く場面になる。
ここで姑息に『星の王子さま』の台詞羅列。
チガウから、ここでそんな風に使うのはおかしいから! 『星の王子さま』をそんな風に利用しないで!!
谷せんせのこの使い方だと、『星の王子さま』が戦争賛美小説になってしまう。
谷せんせの「なにかを成すため(誰かのため)に死ぬ美学」は別にいいんだけど、日本人そーゆーの好きだし、使い方によってはわたしも好きだし、すべてが間違っているとも思ってない。
ただ、ここで『星の王子さま』を使うのはチガウ。
お国のために死ぬのが正義と、王子さまはそう言っているんだよ、と夏休みの子どもたちに植え付けるような使い方はやめて。
『星の王子さま』自体のテーマや内容は無視して、勝手に抜粋した心の絆や友情、別れの場面を、戦争に「美しく」「都合良く」利用するのはやめて。
『星の王子さま』を使わず、いつもの谷せんせで良かったのに。
誰かのために命を懸けて生きてきたサン=テックス。彼をとことんマンセーして、彼を愛する男たちが彼の志を受けてどんどん死んでいき、最後はサン=テックス自身も壮絶に戦死する話でいいじゃん。
ほら、それっていつもの谷作品。『アナジ』も『春櫻賦』も『望郷は海を越えて』も『野風の笛』も『Samourai』も、みんなみんな同じ。
ライフワークを叫ぶために、とことんカッコイイ、男が惚れる男の中の男、英雄譚を書けば良かったのよ。
ストーリー皆無で、自分の気持ちいい場面だけ書いて。
まったく無関係な不朽の名作を切り貼りして本質を変容させて、キャラクタは人格破綻。
こりゃひどいわー。
それでも人情モノの強みは、「なにかを成すため(誰かのため)に死ぬ」と言えば感動的だし、ヒトが死ぬと泣けるってこと。
その上、らんとむたち、キャストの熱演もあるし。彼らはほんと、このめちゃくちゃな作品を、誠心誠意支えているし。
わたし、谷せんせのライフワークキライじゃないんだけど、それはストーリーがあってこそなのよ。
キャラクタに感情移入できてこそなの。
その場しのぎのエピソード並べて、意味もわからず羅列した『星の王子さま』の台詞なんかじゃ、キャラクタに感情移入できないわ。
だからすごく退屈。
『Samourai』は気持ちよく泣けたけど、『サン=テグジュペリ』は無理。
同じテーマの話なのに。いつもの話なのに。
作り直してほしい。
いつもの谷作品に。