神様、彼が幸せでありますように。@博多座『フットルース』千秋楽
2012年8月25日 タカラヅカ 博多座公演『フットルース』千秋楽。
ただ、もお、終わってしまうのが哀しかった。
これほど素晴らしい作品が、物語が、もう2度と見られないのだということが、哀しくて仕方なかった。
「未来」があるならまたチガウだろうけど、キムみみには、今の雪組には、もう未来が限られている。
次はもう、サヨナラ公演であって、通常の公演じゃない。
これが、「ふつう」の最後の公演。
ただしあわせでいられる、最後の公演。
舞台も客席もキラキラして、みんな笑顔で。
作品に、出演者に、そしてタカラヅカのファンであることに、胸を張れる、そんな公演。
そんな公演に出逢えたことが幸せ、だけど、幸運も幸福も認識しているけどとにかく、別れるのが寂しい。
そんな気持ちでいっぱいだった。
梅芸のときも思ったけれど、楽だからって、アドリブでめちゃくちゃにしたりしないよなあ、雪組(笑)。
わりとやりたい放題出来そうな作品だと思うんだけどね、『フットルース』。楽しい場面、いじれる場面はけっこうあるから。
他の公演と違って千秋楽だからって映像にも残らないんだもん、ハメはずしてもわかんないよねえ。
それでも真面目っちゅーか頑固っちゅーか、折り目正しいよな、雪組。や、どっちもアリです、楽しいです、愛しいです。
細かいアドリブはいろいろあった、みんなみんなかわいかった(笑)。やっぱウィラード@コマのかわいさは異常!!
小芝居している学生たちのかわいさも異常!
終わって欲しくない。
このままずっと、だといいのに。
停滞を望むわけじゃない。
タカラジェンヌも生身の人間で、彼らは進歩を、成長を望んでいる。
同じものを永遠に繰り返し眺めたいだけなら、ビデオで十分。ナマである意味はない。
だから、はじまった公演が終わる、のは当然のこと。
わかっているけれど、切ない。
わたしは今もしつこく、「キムくん辞めるのやめないかな」と思っているし、わたしが愛するタカラヅカから、男役・音月桂がこんなに早く消えてしまうことに、納得できていない。
や、単にわたしが、もっともっと彼を見たいんだもん。
彼がいなくなることは、タカラヅカの損失だと思ってるし。
あくまでも、わたし中心っていうか、わたしの都合、欲だけの話ですな。
それが。
おさまらない拍手、くり返されるカーテンコール。
最後はキムくんが、両手の指にペンライトを複数挟む「オクトパス・フラッシュ」を披露して、緞帳前に。
組子にやらされたらしい。組子たちのペンライトらしい。……まっつも1枚噛んでるのかなあ、やっぱ(笑)。
楽しくて幸せで、いっぱい笑って、みんなと一緒に「雪組」「最高!!」って叫んだけど。
寂しさと切なさも半端なくて。
笑いながら泣くしかなくて。
それでも、キムくんの笑顔がうれしくて。
何度も感謝の言葉をくり返す彼は、その一連の言葉の中で、こう言った。
「幸せな夏を過ごすことができました」
そう叫ぶ彼に、なんかすとんと、落ちる物があった。
納得でもない、答えでもない。
ただ、すとんと。
幸せだったのか。良かった。
わたしはわたし中心だから、「わたしが」音月桂を失うのが嫌だ。耐えられない。
それは変わらない。
ただ。
キムくんが、しあわせでいて欲しいと思う。
キムくんに、ではない。
キムくんが。
彼自身が、しあわせでいて欲しい。
カテコも全部終わって、出待ちをする友人たちとも別れて、ひとりで博多の町を歩いた。
泣けて泣けて、仕方なかった。旅先で良かった、ひとりで良かった。
無理に笑うでなく喋るでなく、ただ、自分の中の切なさに浸った。
なにも納得してないし、哀しいのも寂しいのも変わってない。
だけど。
キムくんが、しあわせだといいな。
彼はきっと、つらいときにも太陽みたいに笑うのだろうし、公の場では正しい強い姿しか見せないのだろうけど。
ほんとうのことなんかなにひとつわからないけど、ただ、彼がしあわせだといい。
そう思った。
ただ、もお、終わってしまうのが哀しかった。
これほど素晴らしい作品が、物語が、もう2度と見られないのだということが、哀しくて仕方なかった。
「未来」があるならまたチガウだろうけど、キムみみには、今の雪組には、もう未来が限られている。
次はもう、サヨナラ公演であって、通常の公演じゃない。
これが、「ふつう」の最後の公演。
ただしあわせでいられる、最後の公演。
舞台も客席もキラキラして、みんな笑顔で。
作品に、出演者に、そしてタカラヅカのファンであることに、胸を張れる、そんな公演。
そんな公演に出逢えたことが幸せ、だけど、幸運も幸福も認識しているけどとにかく、別れるのが寂しい。
そんな気持ちでいっぱいだった。
梅芸のときも思ったけれど、楽だからって、アドリブでめちゃくちゃにしたりしないよなあ、雪組(笑)。
わりとやりたい放題出来そうな作品だと思うんだけどね、『フットルース』。楽しい場面、いじれる場面はけっこうあるから。
他の公演と違って千秋楽だからって映像にも残らないんだもん、ハメはずしてもわかんないよねえ。
それでも真面目っちゅーか頑固っちゅーか、折り目正しいよな、雪組。や、どっちもアリです、楽しいです、愛しいです。
細かいアドリブはいろいろあった、みんなみんなかわいかった(笑)。やっぱウィラード@コマのかわいさは異常!!
小芝居している学生たちのかわいさも異常!
終わって欲しくない。
このままずっと、だといいのに。
停滞を望むわけじゃない。
タカラジェンヌも生身の人間で、彼らは進歩を、成長を望んでいる。
同じものを永遠に繰り返し眺めたいだけなら、ビデオで十分。ナマである意味はない。
だから、はじまった公演が終わる、のは当然のこと。
わかっているけれど、切ない。
わたしは今もしつこく、「キムくん辞めるのやめないかな」と思っているし、わたしが愛するタカラヅカから、男役・音月桂がこんなに早く消えてしまうことに、納得できていない。
や、単にわたしが、もっともっと彼を見たいんだもん。
彼がいなくなることは、タカラヅカの損失だと思ってるし。
あくまでも、わたし中心っていうか、わたしの都合、欲だけの話ですな。
それが。
おさまらない拍手、くり返されるカーテンコール。
最後はキムくんが、両手の指にペンライトを複数挟む「オクトパス・フラッシュ」を披露して、緞帳前に。
組子にやらされたらしい。組子たちのペンライトらしい。……まっつも1枚噛んでるのかなあ、やっぱ(笑)。
楽しくて幸せで、いっぱい笑って、みんなと一緒に「雪組」「最高!!」って叫んだけど。
寂しさと切なさも半端なくて。
笑いながら泣くしかなくて。
それでも、キムくんの笑顔がうれしくて。
何度も感謝の言葉をくり返す彼は、その一連の言葉の中で、こう言った。
「幸せな夏を過ごすことができました」
そう叫ぶ彼に、なんかすとんと、落ちる物があった。
納得でもない、答えでもない。
ただ、すとんと。
幸せだったのか。良かった。
わたしはわたし中心だから、「わたしが」音月桂を失うのが嫌だ。耐えられない。
それは変わらない。
ただ。
キムくんが、しあわせでいて欲しいと思う。
キムくんに、ではない。
キムくんが。
彼自身が、しあわせでいて欲しい。
カテコも全部終わって、出待ちをする友人たちとも別れて、ひとりで博多の町を歩いた。
泣けて泣けて、仕方なかった。旅先で良かった、ひとりで良かった。
無理に笑うでなく喋るでなく、ただ、自分の中の切なさに浸った。
なにも納得してないし、哀しいのも寂しいのも変わってない。
だけど。
キムくんが、しあわせだといいな。
彼はきっと、つらいときにも太陽みたいに笑うのだろうし、公の場では正しい強い姿しか見せないのだろうけど。
ほんとうのことなんかなにひとつわからないけど、ただ、彼がしあわせだといい。
そう思った。