『フットルース』の映像化を、心から望む。
2012年8月13日 タカラヅカ 宝塚歌劇団の主立った公演は、映像ソフトが発売される。
これはファンに対するサービスであり、同時にファン向けの商売でもある。
ファンなら、好きなスターや組の公演DVDが欲しい。
記憶は薄れるモノだから、形に残しておきたい。
公演DVDとは、ファンアイテムである。
だから劇団は、上から目線。
ファンサービス、つまり「サービスしてやってるんだ」という立場。
ゆえに、楽曲のカットや差し替えも平気。
「文句を言ったところで、結局なんでも買うんだろ?」と、誠意のない商品を売りつける。
ファンの気持ちよりも、目先の小銭が大事。
で、さらにその公演DVDすら発売されない、という事態がある。
3番手以下の公演DVDは発売されないが、2番手以上の主演作は発売が基本、トップコンビ作品ならば発売が当然、であるにも関わらず。
それはやはり、公演DVDが「ファンアイテム」という考えで、「ファンサービス」だと思っているためなんだろう。
サービスなんだから、別になくてもいいじゃん。
舞台はナマモノ、DVDではなく実際に劇場で観るモノだ。
DVDに期待しないで、劇場へ足を運べばいい。
それはその通りで、わたしもそう思っている。
公演DVDは生の舞台の副次的なモノで、ナマさえ良ければそれ以外はどーでもいい。
しかし。
タカラヅカの公演DVDは、はたしてただの「ファンアイテム」だろうか?
わたしは古い時代の人間だ。
わたしがヅカにハマったころは、映像ソフトの販売はなかった。舞台はナマで楽しむしかなく、観られなかった公演は一生目にすることは叶わなかった。
だが今は、そうじゃない。
映像ソフトの販売が開始されて以降、タカラヅカファンになった人に「きっかけ」を問うといい。
「ちょっと興味を持った」だけの人がいきなり、時間と高価な金額をかけて、直接劇場に足を運んだだろうか。
観たことも聞いたこともないのに、突然劇場へ行っただろうか。
まずは映像を見て、それから実際に劇場へ足を運ぶパターンが多くないか?
「タカラヅカって『ベルばら』でしょ?」とよく言われる。
たしかにそのイメージで成功している部分はある。が、それゆえに敬遠されている部分も、確実にある。
好意的な意見としても、タカラヅカ=『ベルばら』というのは、「テーマパークのアトラクション」という意味じゃないの? きれいで楽しい、ただそれだけ。
そうじゃない、タカラヅカにもいろいろある。『ベルばら』はその一面でしかない。
娯楽は多様化し、趣味嗜好は細分化された。
実際に劇場へ足を運ぶところまではなかなか難しいにしろ、その前段階のファンを作るのに有効なのが、映像ソフトだ。
タカラヅカが『ベルばら』だけではない、いろんな魅力があるということを知ってもらう。
そのために、公演DVDはある。
ただ「ファンアイテム」というだけじゃない。
今現在の、その公演に出演しているジェンヌのファンのためだけにあるものじゃないんだ。既存ファンを相手にするだけの商売じゃないんだ。
そこにあるのは、「未来」。
まだタカラヅカを知らない、だけどきっかけさえあれば興味を示す、潜在的顧客のために、あるんだ。
タカラヅカファンは意欲あるセールスマンでもある。
好きな物を好きになって欲しい、と、無償で宣伝に励む。過去作品の公演DVDを無償で貸し出し、良さをアピールする。
人づてでも「ヅカに興味あるって人がいるんだけど」と聞けば、手持ちソフトを貸し出したりする。
そうやって、良い作品は口コミで人の心に残る。『エリザベート』という作品がそうであったように。
とりあえず映像ソフトがあれば、10年以上前のモノであっても、当たり前に現代の新規ファンがそれを楽しんでいる。
公演DVDは、ただのファンアイテムじゃない。
今現在のファンのためだけにあるんじゃない。
数年後、十数年後に縁あって映像を見た人が、「タカラヅカってすごい!」と思ってもらうためにも、ある。
たとえ、その映像に映っているスターが退団して今舞台にいないとしても、関係ない。
そこにあるのは「タカラヅカ」だからだ。
「タカラヅカ」にはじめて触れる人に、「タカラヅカ」というジャンルがアピールできればいいんだ。
だから。
『フットルース』は、映像ソフトを発売するべきだ。
たしかにキムと現在の雪組は、真ん中の退団により解体が決まっている。
映像ソフトが強力な「顧客開拓」ツールであるならば、「今年でなくなる」ことがわかっているキムと現雪組に資金を費やす必要はないと判断したのかもしれない。
『フットルース』世界を縦横無尽に構築しているのは、音月桂だ。いなくなる彼がどれだけ魅力的でも意味がない、そんなことに金を掛けられない、音月ファンから金を取るなら退団公演や退団グッズで十分、と思うのかもしれない。
でもそれは間違いだ。
そんな小さな目で見ないでほしい。
キムくんは卒業が決まっているけれど、宝塚歌劇団は、継続予定のはずだ。
キムと現雪組がどうこうではなく、『フットルース』という作品を歴史に残すことに、意味があるんだ。
タカラヅカを見たことない人がたまたま映像ソフトを手にして、なにも知らないまま見て、作品に感動する。
『フットルース』という既存の脚本・演出・音楽だけでなく、タカラヅカならではの衣装やセット、ダンスに注目する。そして、踊れる人が踊り、歌える人が歌う、ハイクオリティな構成に刮目する。
主人公を演じるトップスターの名前を知らなくても、「こんなに歌えて踊れる人がいるんだ、こんなに自然にかっこいい男の子なんだ、これがタカラヅカのトップスターなんだ!」と思う。
「これって**年も前に上演された作品なの? タカラヅカってすごい。**年前でこれなら、きっと今はもっとすごいんでしょうね!」
……そういう可能性が、ある。
公演DVDなんて、ただのファンアイテム。ファンサービスで出してやってるんだ。
そんな考え方は、捨てて欲しい。
たしかにファンアイテムではある。
だけど、それだけじゃないんだ。
舞台はナマモノ、DVDではなく実際に劇場で観るモノだ。
DVDに期待しないで、劇場へ足を運べばいい。
そういう次元の話じゃないんだ。
宝塚歌劇団の未来のために、『フットルース』を残すべきだ。
完全受注生産になってもいい、とにかくなんらかのカタチで、映像を残すべきだ。ぶった切りでも音源だけでもなく、きちんとした「作品」として。
この世のどこかに残っていれば、そこから新しい出会いがある。
わたしがDVDを手に入れられるかどうかじゃない、この作品がこのまま消えてしまうことが、無念でならない。
タカラヅカを愛するモノとして、誇りにしたい。
……大袈裟に見えるけどね。本心っすよ。
これはファンに対するサービスであり、同時にファン向けの商売でもある。
ファンなら、好きなスターや組の公演DVDが欲しい。
記憶は薄れるモノだから、形に残しておきたい。
公演DVDとは、ファンアイテムである。
だから劇団は、上から目線。
ファンサービス、つまり「サービスしてやってるんだ」という立場。
ゆえに、楽曲のカットや差し替えも平気。
「文句を言ったところで、結局なんでも買うんだろ?」と、誠意のない商品を売りつける。
ファンの気持ちよりも、目先の小銭が大事。
で、さらにその公演DVDすら発売されない、という事態がある。
3番手以下の公演DVDは発売されないが、2番手以上の主演作は発売が基本、トップコンビ作品ならば発売が当然、であるにも関わらず。
それはやはり、公演DVDが「ファンアイテム」という考えで、「ファンサービス」だと思っているためなんだろう。
サービスなんだから、別になくてもいいじゃん。
舞台はナマモノ、DVDではなく実際に劇場で観るモノだ。
DVDに期待しないで、劇場へ足を運べばいい。
それはその通りで、わたしもそう思っている。
公演DVDは生の舞台の副次的なモノで、ナマさえ良ければそれ以外はどーでもいい。
しかし。
タカラヅカの公演DVDは、はたしてただの「ファンアイテム」だろうか?
わたしは古い時代の人間だ。
わたしがヅカにハマったころは、映像ソフトの販売はなかった。舞台はナマで楽しむしかなく、観られなかった公演は一生目にすることは叶わなかった。
だが今は、そうじゃない。
映像ソフトの販売が開始されて以降、タカラヅカファンになった人に「きっかけ」を問うといい。
「ちょっと興味を持った」だけの人がいきなり、時間と高価な金額をかけて、直接劇場に足を運んだだろうか。
観たことも聞いたこともないのに、突然劇場へ行っただろうか。
まずは映像を見て、それから実際に劇場へ足を運ぶパターンが多くないか?
「タカラヅカって『ベルばら』でしょ?」とよく言われる。
たしかにそのイメージで成功している部分はある。が、それゆえに敬遠されている部分も、確実にある。
好意的な意見としても、タカラヅカ=『ベルばら』というのは、「テーマパークのアトラクション」という意味じゃないの? きれいで楽しい、ただそれだけ。
そうじゃない、タカラヅカにもいろいろある。『ベルばら』はその一面でしかない。
娯楽は多様化し、趣味嗜好は細分化された。
実際に劇場へ足を運ぶところまではなかなか難しいにしろ、その前段階のファンを作るのに有効なのが、映像ソフトだ。
タカラヅカが『ベルばら』だけではない、いろんな魅力があるということを知ってもらう。
そのために、公演DVDはある。
ただ「ファンアイテム」というだけじゃない。
今現在の、その公演に出演しているジェンヌのファンのためだけにあるものじゃないんだ。既存ファンを相手にするだけの商売じゃないんだ。
そこにあるのは、「未来」。
まだタカラヅカを知らない、だけどきっかけさえあれば興味を示す、潜在的顧客のために、あるんだ。
タカラヅカファンは意欲あるセールスマンでもある。
好きな物を好きになって欲しい、と、無償で宣伝に励む。過去作品の公演DVDを無償で貸し出し、良さをアピールする。
人づてでも「ヅカに興味あるって人がいるんだけど」と聞けば、手持ちソフトを貸し出したりする。
そうやって、良い作品は口コミで人の心に残る。『エリザベート』という作品がそうであったように。
とりあえず映像ソフトがあれば、10年以上前のモノであっても、当たり前に現代の新規ファンがそれを楽しんでいる。
公演DVDは、ただのファンアイテムじゃない。
今現在のファンのためだけにあるんじゃない。
数年後、十数年後に縁あって映像を見た人が、「タカラヅカってすごい!」と思ってもらうためにも、ある。
たとえ、その映像に映っているスターが退団して今舞台にいないとしても、関係ない。
そこにあるのは「タカラヅカ」だからだ。
「タカラヅカ」にはじめて触れる人に、「タカラヅカ」というジャンルがアピールできればいいんだ。
だから。
『フットルース』は、映像ソフトを発売するべきだ。
たしかにキムと現在の雪組は、真ん中の退団により解体が決まっている。
映像ソフトが強力な「顧客開拓」ツールであるならば、「今年でなくなる」ことがわかっているキムと現雪組に資金を費やす必要はないと判断したのかもしれない。
『フットルース』世界を縦横無尽に構築しているのは、音月桂だ。いなくなる彼がどれだけ魅力的でも意味がない、そんなことに金を掛けられない、音月ファンから金を取るなら退団公演や退団グッズで十分、と思うのかもしれない。
でもそれは間違いだ。
そんな小さな目で見ないでほしい。
キムくんは卒業が決まっているけれど、宝塚歌劇団は、継続予定のはずだ。
キムと現雪組がどうこうではなく、『フットルース』という作品を歴史に残すことに、意味があるんだ。
タカラヅカを見たことない人がたまたま映像ソフトを手にして、なにも知らないまま見て、作品に感動する。
『フットルース』という既存の脚本・演出・音楽だけでなく、タカラヅカならではの衣装やセット、ダンスに注目する。そして、踊れる人が踊り、歌える人が歌う、ハイクオリティな構成に刮目する。
主人公を演じるトップスターの名前を知らなくても、「こんなに歌えて踊れる人がいるんだ、こんなに自然にかっこいい男の子なんだ、これがタカラヅカのトップスターなんだ!」と思う。
「これって**年も前に上演された作品なの? タカラヅカってすごい。**年前でこれなら、きっと今はもっとすごいんでしょうね!」
……そういう可能性が、ある。
公演DVDなんて、ただのファンアイテム。ファンサービスで出してやってるんだ。
そんな考え方は、捨てて欲しい。
たしかにファンアイテムではある。
だけど、それだけじゃないんだ。
舞台はナマモノ、DVDではなく実際に劇場で観るモノだ。
DVDに期待しないで、劇場へ足を運べばいい。
そういう次元の話じゃないんだ。
宝塚歌劇団の未来のために、『フットルース』を残すべきだ。
完全受注生産になってもいい、とにかくなんらかのカタチで、映像を残すべきだ。ぶった切りでも音源だけでもなく、きちんとした「作品」として。
この世のどこかに残っていれば、そこから新しい出会いがある。
わたしがDVDを手に入れられるかどうかじゃない、この作品がこのまま消えてしまうことが、無念でならない。
タカラヅカを愛するモノとして、誇りにしたい。
……大袈裟に見えるけどね。本心っすよ。