大人で子ども。子どもで大人。@キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン
2015年7月1日 タカラヅカ ミュージカル・コメディを、ベニー主演で。
となると、わくわくするよね。
コメディは彼の得意とするところだし、彼のための新作だし。
『メイちゃんの執事』『ジャン・ルイ・ファージョン』『風と共に去りぬ』ときて、『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』って、バランスいいよね。
少女マンガの舞台化、コスプレおフランス物、ザ・タカラヅカな名作大芝居……の次に、洒落たブロードウェイミュージカルって。
だから、企画自体はよかったと思うんだよなあ……。
や、ここまでベニーに高校生役が似合わないとは、思ってませんでした。
パパとママを取り戻すために、高校生の男の子が間違った方向にがんばっちゃう。少年ゆえの無分別さと思考の幼さ全開。彼が欲しがっているモノは子宮回帰的な子ども理論。割って生まれたはずのカラの中に戻りたくてあがく雛。
そんな幼さと、大人顔負けの頭の良さと度胸が同居、大人たちを煙に巻く痛快さ。良くも悪くもひどくアンバランス。
主人公フランクは、そういう危うさを持つ少年。
……なんだけど、ベニーさん、少年に見えない……。
30歳くらいの大人の男に見える。
だから、大人のふりして詐欺をしているときはいいんだけど、少年のターンになると……キモチ悪い(笑)。
なんであんな髪型にしたかなあ。前髪があればまだ、違ったろうに。
大人だと無理なく信じ込ませる役、だから大人に作った。
ということなんだろうけど、外見は若く作るべきだったんじゃないかな。
ブレザーが似合う少年としてまず作って、あとは演技力で大人に見せる。
少年外見で大人に見せることと、大人外見で少年に見せることでは、後者の方が遙かに難易度が高い。
少年が大人びた言動をした場合、たとえプラン通りの大人に見えなくても問題はない、「大人のような喋り方をする子どもなのね」止まりで、キモチ悪くはない。
でも、大人の姿で幼児語を喋ると気持ち悪いでしょ? 変な人でしょ?
大人外見をベースにフランク役を作った場合、外見を凌駕する演技力が必要ですよ。
30歳に見える男が、中学生みたいなメンタルで、「パパ、ママ。しあわせだったあの頃を、ボクが取り戻すよ!」と犯罪を繰り返すのは……ホラーですわ……。
病んだ男を主人公にしたホラー作品ならアリだけど、明るくお洒落なコメディ作品だからなあ。
この作品が面白いのは、主人公が子どもだってことにあると思う。
『トムとジェリー』と同じ、ネズミが猫に噛みつくから面白い、子どもが機転と勇気で大人たちを翻弄するから面白い。強いモノが強いだけじゃドラマにならない、弱いはずのモノが強いモノに勝つからドラマになる。
で、その強い子どもは、何故そんなことをするのか。理由もなく犯罪を繰り返すんじゃただの異常者、それじゃ観客の共感は得られない、犯罪者主人公モノならば、正当化出来るだけの理由必須。
理由は、子どもならではのモノ。パパとママとボク、いちばん原初でいちばん小さな宇宙を守りたい、という。
だから主人公が子どもである……精神的に未成熟で、大人の庇護を求めている存在であること重要。
それゆえに捜査官カール@かいちゃんとの心の交流に結びつく。そして、犯罪者であるにも関わらず、許されてラストのオチにたどり着く。
テーマがそこにあるんだから、主人公はまず、少年に見えないと意味ナイと思うんだが。
なんで少年らしい外見にしなかったんだろう。
ベニーにはもう、少年は演じられないのだとしても、せめて髪型を少年ぽくするとか、工夫は出来たろうに。
フランクは軽さと調子良さのある役なので、キャラ的にベニーには合っていると思う。
お調子者で、その笑顔で全部許せてしまう、そういう愛嬌というか魅力が必要。それはハンサムだから、というだけではない、魂の丸っこさみたいなもん。
愛されキャラだよね。
そうでないと、観客は彼に感情移入し、彼の活躍にわくわくし、危機にハラハラドキドキしたりしない。
観客を巻き込む調子の良さは、ベニーにあるよね。
だからほんと、彼に足りないと思ったりは、ドラマ部分なんだよなあ。
フランクが抱える孤独、闇の部分をにじみ出して欲しかったのに、そうではなくて「うわーん」て感じの駄々っ子芝居で終わらせちゃった。
それはもう見慣れた駄々っ子演技で……。ああ、またコレですかベニーさん……。
『リラの壁の囚人たち』のときとかは、けっこう良かったのに。
そのあと『ロミオとジュリエット』『愛と青春の旅だち』と立て続けに「うわーん」と駄々っ子する役が続き……そのあとも駄々っ子ではないはずなのに、それっぽい芝居になって現在に至る。
駄々っ子でもいいんだ。見ているモノがきゅんとすれば。
でもそれは、駄々っ子していい年齢ってあるよね……。
『リラ壁』も『ロミジュリ』も『愛旅』も、みんなみんな若かった。モラトリアム全開の若者だった。だから突然「うわーーん!!(泣きながら両手ぐるぐる振り回し)」でも、アリだった。
しかし、30歳の大人が「うわーん!」はちょっと……引くわ……。
せっかく持ち芸の駄々っ子芝居全開にしていい子ども役なのに、何故こんなに大人になってしまったのかなあ、ベニー。
前日欄で、その妖精さんっぷりに感心したし、タカラジェンヌとしては妖精属性はいいことだと思っている。
ただ、この役と作品にはミスマッチだったと思う。
となると、わくわくするよね。
コメディは彼の得意とするところだし、彼のための新作だし。
『メイちゃんの執事』『ジャン・ルイ・ファージョン』『風と共に去りぬ』ときて、『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』って、バランスいいよね。
少女マンガの舞台化、コスプレおフランス物、ザ・タカラヅカな名作大芝居……の次に、洒落たブロードウェイミュージカルって。
だから、企画自体はよかったと思うんだよなあ……。
や、ここまでベニーに高校生役が似合わないとは、思ってませんでした。
パパとママを取り戻すために、高校生の男の子が間違った方向にがんばっちゃう。少年ゆえの無分別さと思考の幼さ全開。彼が欲しがっているモノは子宮回帰的な子ども理論。割って生まれたはずのカラの中に戻りたくてあがく雛。
そんな幼さと、大人顔負けの頭の良さと度胸が同居、大人たちを煙に巻く痛快さ。良くも悪くもひどくアンバランス。
主人公フランクは、そういう危うさを持つ少年。
……なんだけど、ベニーさん、少年に見えない……。
30歳くらいの大人の男に見える。
だから、大人のふりして詐欺をしているときはいいんだけど、少年のターンになると……キモチ悪い(笑)。
なんであんな髪型にしたかなあ。前髪があればまだ、違ったろうに。
大人だと無理なく信じ込ませる役、だから大人に作った。
ということなんだろうけど、外見は若く作るべきだったんじゃないかな。
ブレザーが似合う少年としてまず作って、あとは演技力で大人に見せる。
少年外見で大人に見せることと、大人外見で少年に見せることでは、後者の方が遙かに難易度が高い。
少年が大人びた言動をした場合、たとえプラン通りの大人に見えなくても問題はない、「大人のような喋り方をする子どもなのね」止まりで、キモチ悪くはない。
でも、大人の姿で幼児語を喋ると気持ち悪いでしょ? 変な人でしょ?
大人外見をベースにフランク役を作った場合、外見を凌駕する演技力が必要ですよ。
30歳に見える男が、中学生みたいなメンタルで、「パパ、ママ。しあわせだったあの頃を、ボクが取り戻すよ!」と犯罪を繰り返すのは……ホラーですわ……。
病んだ男を主人公にしたホラー作品ならアリだけど、明るくお洒落なコメディ作品だからなあ。
この作品が面白いのは、主人公が子どもだってことにあると思う。
『トムとジェリー』と同じ、ネズミが猫に噛みつくから面白い、子どもが機転と勇気で大人たちを翻弄するから面白い。強いモノが強いだけじゃドラマにならない、弱いはずのモノが強いモノに勝つからドラマになる。
で、その強い子どもは、何故そんなことをするのか。理由もなく犯罪を繰り返すんじゃただの異常者、それじゃ観客の共感は得られない、犯罪者主人公モノならば、正当化出来るだけの理由必須。
理由は、子どもならではのモノ。パパとママとボク、いちばん原初でいちばん小さな宇宙を守りたい、という。
だから主人公が子どもである……精神的に未成熟で、大人の庇護を求めている存在であること重要。
それゆえに捜査官カール@かいちゃんとの心の交流に結びつく。そして、犯罪者であるにも関わらず、許されてラストのオチにたどり着く。
テーマがそこにあるんだから、主人公はまず、少年に見えないと意味ナイと思うんだが。
なんで少年らしい外見にしなかったんだろう。
ベニーにはもう、少年は演じられないのだとしても、せめて髪型を少年ぽくするとか、工夫は出来たろうに。
フランクは軽さと調子良さのある役なので、キャラ的にベニーには合っていると思う。
お調子者で、その笑顔で全部許せてしまう、そういう愛嬌というか魅力が必要。それはハンサムだから、というだけではない、魂の丸っこさみたいなもん。
愛されキャラだよね。
そうでないと、観客は彼に感情移入し、彼の活躍にわくわくし、危機にハラハラドキドキしたりしない。
観客を巻き込む調子の良さは、ベニーにあるよね。
だからほんと、彼に足りないと思ったりは、ドラマ部分なんだよなあ。
フランクが抱える孤独、闇の部分をにじみ出して欲しかったのに、そうではなくて「うわーん」て感じの駄々っ子芝居で終わらせちゃった。
それはもう見慣れた駄々っ子演技で……。ああ、またコレですかベニーさん……。
『リラの壁の囚人たち』のときとかは、けっこう良かったのに。
そのあと『ロミオとジュリエット』『愛と青春の旅だち』と立て続けに「うわーん」と駄々っ子する役が続き……そのあとも駄々っ子ではないはずなのに、それっぽい芝居になって現在に至る。
駄々っ子でもいいんだ。見ているモノがきゅんとすれば。
でもそれは、駄々っ子していい年齢ってあるよね……。
『リラ壁』も『ロミジュリ』も『愛旅』も、みんなみんな若かった。モラトリアム全開の若者だった。だから突然「うわーーん!!(泣きながら両手ぐるぐる振り回し)」でも、アリだった。
しかし、30歳の大人が「うわーん!」はちょっと……引くわ……。
せっかく持ち芸の駄々っ子芝居全開にしていい子ども役なのに、何故こんなに大人になってしまったのかなあ、ベニー。
前日欄で、その妖精さんっぷりに感心したし、タカラジェンヌとしては妖精属性はいいことだと思っている。
ただ、この役と作品にはミスマッチだったと思う。