あえて、子役であること。@星逢一夜
2015年7月28日 タカラヅカ 「日本物で良かった」。
そう語った内容の続き。というか、後半。UPする欄がずいぶん開いちゃったけど、書いたのは同じ日。
こっちは「子役で良かった」。
わたしはタカラヅカの子役芝居が苦手だし、大人が演じるわざとらしい幼児演技が嫌い。
なんで嫌かっつーと、ヅカの子役の多くは、脳の発達に問題があるかのような、年齢にそぐわない幼すぎる演技をする。それが気持ち悪い。
ことさら幼く作るのは、大人も子どもも等しく大人の女性が演じる劇団だからだ。役の差異を出すため仕方ない。中の人の身体の大きさも年代も同じようなもんだから、あとは「子どもですよ」という記号優先、小学校高学年でも幼稚園児みたいな喋り方をする(植爺『ベルばら』の革命時のマリー・テレーズ等)。
理屈はわかっているが、それでも苦手なんだ。
救いは、タカラヅカは大人の男女の恋愛をテーマにすることが多く、子役はメインにならない、ということ。女性の演じる子役が観たいなら、よその劇団を観ていればいい。男性俳優の間にいるなら、女性の子役は体格・声質ともに違和感が少ない。
タカラヅカは「大人の女性が子役を演じている」ことを楽しむ劇団じゃない。
だから、『星逢一夜』に子ども時代がある・ちぎだいもんが子ども時代から演じる、という話を耳にしてげんなりしたし、子役を使えよ、本人たちに幼児プレイさせて笑いを取るのはずるいと思った。
ヅカはスターありきの劇団だから、人気スターに「通常ならありえないこと」をさせるのはファンサービス……ぶっちゃけると「客引き」だ。
ショーで男役に女装させるのと同じ。娘役でいいのに、わざわざ男役に脚を出させて客引きをする。作品がつまらなくても、「大好きな**ちゃんの女装が見られる。ナマ脚が見られる」と、それだけでやってくる層を狙ってのこと。
いい作品を作る努力なんかしなくても、人気スターに「特別なこと」をさせればいい。
子役もそう。
子役も女装も似合わないような、大人の男役にあえて子役をやらせ、客席を沸かせる。タカスペのコントと同じハート、「こんなことする**ちゃんを見てみたい♪」というファンの気持ちを引くためのもの。
わたしだって贔屓が女装するとか、子役をやるとか言われたら、似合わないことがわかっているだけに、大よろこびで観に行くわ。他の客が「似合ってなかったね」「無理ありすぎ。かわいそう」とか言っていても、ファンはそんな姿を見られてたのしいし、むしろ他人には「似合ってない」と言われる方がうれしいし、絶対絶対盛り上がった。
そういうファン心理がわかるだけに、スターの大半を子役として出すなんて、いい印象を持たなかった。
客寄せに子役を使うなんてずるいなー、と。ウエクミならそんなことしなくても、内容で客を呼べるだろうに。
でも、ラストシーンを観て思った。
これをやるために、本人たちが子役からやっていたのか!!
物語がすべて終わったあと、帰らないもの、永遠に失ってしまったモノをこれでもかと描いたあとで、なにも知らない・失っていないころの、無邪気な姿を見せて終わる。
回想シーンはヅカのお約束だけど、それは大抵、子役たちが紗幕の向こうに登場したりで、本人たちは大人の姿で登場があたりまえ。よくあるパターン。
しかし、『星逢一夜』は違った。
子役も本人だ。
お約束の回想シーンだって、本人出演だ。
……別人がやっていたら、こうまで泣けないわ……。
えんえんえんえん子ども場面をやっていた、同じ役者が同じ姿で出て来るからこそ、だ。
ずるいなーと思い、計算を知って納得する。
そしてその計算ゆえにまた、ずるいなーと思う。
結末に納得していないというか、腑に落ちないものを感じていたはずなのに、ラストシーンで全部持って行かれるもん。
ずるいなー、ウエクミ(笑)。
そう語った内容の続き。というか、後半。UPする欄がずいぶん開いちゃったけど、書いたのは同じ日。
こっちは「子役で良かった」。
わたしはタカラヅカの子役芝居が苦手だし、大人が演じるわざとらしい幼児演技が嫌い。
なんで嫌かっつーと、ヅカの子役の多くは、脳の発達に問題があるかのような、年齢にそぐわない幼すぎる演技をする。それが気持ち悪い。
ことさら幼く作るのは、大人も子どもも等しく大人の女性が演じる劇団だからだ。役の差異を出すため仕方ない。中の人の身体の大きさも年代も同じようなもんだから、あとは「子どもですよ」という記号優先、小学校高学年でも幼稚園児みたいな喋り方をする(植爺『ベルばら』の革命時のマリー・テレーズ等)。
理屈はわかっているが、それでも苦手なんだ。
救いは、タカラヅカは大人の男女の恋愛をテーマにすることが多く、子役はメインにならない、ということ。女性の演じる子役が観たいなら、よその劇団を観ていればいい。男性俳優の間にいるなら、女性の子役は体格・声質ともに違和感が少ない。
タカラヅカは「大人の女性が子役を演じている」ことを楽しむ劇団じゃない。
だから、『星逢一夜』に子ども時代がある・ちぎだいもんが子ども時代から演じる、という話を耳にしてげんなりしたし、子役を使えよ、本人たちに幼児プレイさせて笑いを取るのはずるいと思った。
ヅカはスターありきの劇団だから、人気スターに「通常ならありえないこと」をさせるのはファンサービス……ぶっちゃけると「客引き」だ。
ショーで男役に女装させるのと同じ。娘役でいいのに、わざわざ男役に脚を出させて客引きをする。作品がつまらなくても、「大好きな**ちゃんの女装が見られる。ナマ脚が見られる」と、それだけでやってくる層を狙ってのこと。
いい作品を作る努力なんかしなくても、人気スターに「特別なこと」をさせればいい。
子役もそう。
子役も女装も似合わないような、大人の男役にあえて子役をやらせ、客席を沸かせる。タカスペのコントと同じハート、「こんなことする**ちゃんを見てみたい♪」というファンの気持ちを引くためのもの。
わたしだって贔屓が女装するとか、子役をやるとか言われたら、似合わないことがわかっているだけに、大よろこびで観に行くわ。他の客が「似合ってなかったね」「無理ありすぎ。かわいそう」とか言っていても、ファンはそんな姿を見られてたのしいし、むしろ他人には「似合ってない」と言われる方がうれしいし、絶対絶対盛り上がった。
そういうファン心理がわかるだけに、スターの大半を子役として出すなんて、いい印象を持たなかった。
客寄せに子役を使うなんてずるいなー、と。ウエクミならそんなことしなくても、内容で客を呼べるだろうに。
でも、ラストシーンを観て思った。
これをやるために、本人たちが子役からやっていたのか!!
物語がすべて終わったあと、帰らないもの、永遠に失ってしまったモノをこれでもかと描いたあとで、なにも知らない・失っていないころの、無邪気な姿を見せて終わる。
回想シーンはヅカのお約束だけど、それは大抵、子役たちが紗幕の向こうに登場したりで、本人たちは大人の姿で登場があたりまえ。よくあるパターン。
しかし、『星逢一夜』は違った。
子役も本人だ。
お約束の回想シーンだって、本人出演だ。
……別人がやっていたら、こうまで泣けないわ……。
えんえんえんえん子ども場面をやっていた、同じ役者が同じ姿で出て来るからこそ、だ。
ずるいなーと思い、計算を知って納得する。
そしてその計算ゆえにまた、ずるいなーと思う。
結末に納得していないというか、腑に落ちないものを感じていたはずなのに、ラストシーンで全部持って行かれるもん。
ずるいなー、ウエクミ(笑)。