ざらりとあとを引く。@星逢一夜
2015年7月31日 タカラヅカ まっつがいた頃は、週2で雪組公演へ通っていた。
いなくなってしまったから、週1でいいかな。ご贔屓を持たぬライトなヅカヲタですから、まったりと。
てなわけで、幕が開いてから10日後ぐらいにようやく、3回目の観劇に出かけた。
『星逢一夜』。
人気ないのがデフォルトの日本物なのに、なんか評判いいらしい。うんうん、いい作品だものねえ。
平日午後公演なのに、劇場はほぼ満席。……まだ100周年バブル続いてるの?とびびりつつ。
初日と翌日続けて観て、なんか納得しちゃって、とりたてて「もう一度観たいっ!!」と思うほどでもなかったのですが。
良い作品は何度観てもいいし、雪組スキーなので雪組っこたちが舞台でキラキラしている姿を観るのは楽しい、何度でも。
3回目は前方席での観劇だったため、いろんな子たちを眺めるのに必死。芝居もショーも、オペラなしで下級生たちまでばっちり見えるー! 目線もらえるー!(カンチガイ含む)
そうやってわりと、「作品よりも人」を見てる感じで、浮ついた状態。
そして。
「おなかいっぱい」だと感じた『星逢一夜』にざらりとした感触を持つんだ。
3回目は2回目より、さらに泣けない。
もっと乾いた感じで見ている。俯瞰している。
わたしは泉@みゆちゃんに感情移入して見た。
そして、主役だからもちろん晴興@ちぎくんも見ている。
加えて、だいもんスキーなので、定点観測的に源太@だいもんを見ている。
このトリデンテの中で、初日にいちばん「がんばれ」と思ったのは、ちぎくんだった。
みゆちゃんがすげー勢いで「女優」っぷりを披露しているし、だいもんはあの難しい役を立派にタカラヅカとして成立させている。
そのふたりに比べると、いちばん出番と書き込みが多いはずの主人公ちぎくんが、足りていないように思えたんだ。
だけど3回目にして、引っかかったのは、源太だった。
源太の情報量の少なさは、ナニゴトだ?
源太がわからない。
これまでは、「いい人」だと思っていた。
泉を晴興に譲ったり、土下座したり、めちゃいい人。
「ごちそうさん」にしろ、「雨の中に出して悪かったな」にしろ、言葉の選び方がありえないほどやさしい。
やさしすぎて、かえって人を傷つける、そんな人。
そして、物語冒頭のモノローグで、晴興はこう語り出す。「私たちがはじめて出会ったのは星逢の夜だった。あの娘と、あの少年と、私がはじめて出会ったのは……」
2回目の観劇で感じた違和感が、3回目でさらに大きくなる。
あの娘と、あの少年?
あの娘は泉、あの少年は源太。それはわかる。
でもさ。
源太を、泉と同列に語るのはおかしくないか?
どう考えても、晴興にとって源太は大した存在じゃない。や、大切な友だちかもしれないけれど、泉とは比べものにならない。
だって、源太と晴興が「親友」だったエピソードがない。
晴興を好きだった、というなら、ちょび康@咲ちゃんの方がわかりやすい。
源太はいつも他の仲間たちと一緒にいて、晴興との個別エピソードは出会ったときに「泉の説明をする」のみだ。そこでも晴興(紀之介)は、自分を気遣ってくれた源太には関心がなく、泉のことばかり言及している。
親友だとは、とても思えない。
さらに、7年後だっけ、晴興が星逢祭りの日に帰って来たとき。
せっかく再会した源太と晴興は、「昔のクラスメートにばったり会った」ような感覚で、「離ればなれになっていた親友とようやく会えた」様子はまったくない。
初見時、「ふたりは親友に違いない」と思い込んで見ていたから、すげー拍子抜けしたんだ。
源太は泉を愛していて、泉がずっと晴興を愛していることを知っている。そして晴興が藩に戻って来たことを知り、胸騒ぎを感じている……から、泉の様子がおかしかった、気になる、泉を探さなくては、という心の動きはわかる。
が、それでも源太が晴興を親友だと思っているなら、「泉が気になるから」と挨拶だけで晴興を振り切るのはおかしい。
身分の差からしても、もう二度と晴興とは会えないかもしれないのに。
ああ、源太は別に、晴興のこと大してなんとも思ってないんだな。
別の世界に生きる人、ということで、割り切っている。小学生のときに引っ越していった幼なじみとイベント会場でばったり会った、みたいな。
「久しぶり~~! テレビ見てるよ、すっかり有名になったなあ。幼なじみが人気アイドルなんて俺も鼻が高いよ……あ、泉見なかった? ちょっと様子が変だったからさー。いろいろ話したいけど、またな! 会えてうれしかった!」
晴興も源太に「なつかしいなあ、忙しいからバイバイ!」とやられても、「やれやれ」ぐらいの感じ。こちらも源太に対してなんの含みもないらしい。
源太にとっての晴興、晴興にとっての源太が、特別な意味合いを持ったのは、泉をめぐってのあの土下座事件があってからじゃないの……?
あくまでも、泉ありき。
なのに晴興は語る。「私たちがはじめて出会ったのは星逢の夜だった。あの娘と、あの少年と、私がはじめて出会ったのは……」
ざらり、と疑問が肌に残る。
違和感のある、手触り。
源太のいい人っぷりだとか、一騎打ちで背中合わせで笑うとか。
なんだか、空々しい。
脚本にある通りに、わたしの心が進まない。
泉中心なら、なんの齟齬もない。
泉も情報量少ないけど、みゆちゃんがきっちり埋めてきているから。
でも、晴興と源太には違和感がある。
圧倒的に書き込みされているはずの晴興の薄さ。
そして、書き込みが少ないことが大きいとは言え、源太の不透明さ。
なんで、源太の銀橋ソロがないんだろう?
ふつー、2番手は心情を歌うソロがあるよね? なのにそれがない。ゆえに、源太には「ナニを考えているか、独白する場がない」。
源太という難しい役の、舵取りが決まらないのはそのせいか?
ざらり、ざらり。
整った話だと思った、よく計算された、破綻ない物語だと。
足りない部分はあるにせよ、短い時間でこれだけの人数を使って、しかもデビュー作で、よくぞこれだけまとめてきたなと。
あざといくらいに泣かせどころを押さえて、盛り上げているし。気持ちよく感動させてくれて、気持ちよく泣かせてくれる。
わかりやすいハッピーエンドじゃないから、気軽にリピート出来る話じゃないかもしれないけど、これだけ美しい物語を観られることはうれしい。
そう思っていたのに。
すげえ、引っかかる。
2回目観劇のあと、おなかいっぱい、もう観なくてもいいかな、てなもんだったのに。
3回目観劇のあとは、みょーに気に掛かる。
いろんな場面や台詞を心の中で反芻する。
ナニ、このあとの引き方。気になり方。
観に行きたい。
もう一度。
いなくなってしまったから、週1でいいかな。ご贔屓を持たぬライトなヅカヲタですから、まったりと。
てなわけで、幕が開いてから10日後ぐらいにようやく、3回目の観劇に出かけた。
『星逢一夜』。
人気ないのがデフォルトの日本物なのに、なんか評判いいらしい。うんうん、いい作品だものねえ。
平日午後公演なのに、劇場はほぼ満席。……まだ100周年バブル続いてるの?とびびりつつ。
初日と翌日続けて観て、なんか納得しちゃって、とりたてて「もう一度観たいっ!!」と思うほどでもなかったのですが。
良い作品は何度観てもいいし、雪組スキーなので雪組っこたちが舞台でキラキラしている姿を観るのは楽しい、何度でも。
3回目は前方席での観劇だったため、いろんな子たちを眺めるのに必死。芝居もショーも、オペラなしで下級生たちまでばっちり見えるー! 目線もらえるー!(カンチガイ含む)
そうやってわりと、「作品よりも人」を見てる感じで、浮ついた状態。
そして。
「おなかいっぱい」だと感じた『星逢一夜』にざらりとした感触を持つんだ。
3回目は2回目より、さらに泣けない。
もっと乾いた感じで見ている。俯瞰している。
わたしは泉@みゆちゃんに感情移入して見た。
そして、主役だからもちろん晴興@ちぎくんも見ている。
加えて、だいもんスキーなので、定点観測的に源太@だいもんを見ている。
このトリデンテの中で、初日にいちばん「がんばれ」と思ったのは、ちぎくんだった。
みゆちゃんがすげー勢いで「女優」っぷりを披露しているし、だいもんはあの難しい役を立派にタカラヅカとして成立させている。
そのふたりに比べると、いちばん出番と書き込みが多いはずの主人公ちぎくんが、足りていないように思えたんだ。
だけど3回目にして、引っかかったのは、源太だった。
源太の情報量の少なさは、ナニゴトだ?
源太がわからない。
これまでは、「いい人」だと思っていた。
泉を晴興に譲ったり、土下座したり、めちゃいい人。
「ごちそうさん」にしろ、「雨の中に出して悪かったな」にしろ、言葉の選び方がありえないほどやさしい。
やさしすぎて、かえって人を傷つける、そんな人。
そして、物語冒頭のモノローグで、晴興はこう語り出す。「私たちがはじめて出会ったのは星逢の夜だった。あの娘と、あの少年と、私がはじめて出会ったのは……」
2回目の観劇で感じた違和感が、3回目でさらに大きくなる。
あの娘と、あの少年?
あの娘は泉、あの少年は源太。それはわかる。
でもさ。
源太を、泉と同列に語るのはおかしくないか?
どう考えても、晴興にとって源太は大した存在じゃない。や、大切な友だちかもしれないけれど、泉とは比べものにならない。
だって、源太と晴興が「親友」だったエピソードがない。
晴興を好きだった、というなら、ちょび康@咲ちゃんの方がわかりやすい。
源太はいつも他の仲間たちと一緒にいて、晴興との個別エピソードは出会ったときに「泉の説明をする」のみだ。そこでも晴興(紀之介)は、自分を気遣ってくれた源太には関心がなく、泉のことばかり言及している。
親友だとは、とても思えない。
さらに、7年後だっけ、晴興が星逢祭りの日に帰って来たとき。
せっかく再会した源太と晴興は、「昔のクラスメートにばったり会った」ような感覚で、「離ればなれになっていた親友とようやく会えた」様子はまったくない。
初見時、「ふたりは親友に違いない」と思い込んで見ていたから、すげー拍子抜けしたんだ。
源太は泉を愛していて、泉がずっと晴興を愛していることを知っている。そして晴興が藩に戻って来たことを知り、胸騒ぎを感じている……から、泉の様子がおかしかった、気になる、泉を探さなくては、という心の動きはわかる。
が、それでも源太が晴興を親友だと思っているなら、「泉が気になるから」と挨拶だけで晴興を振り切るのはおかしい。
身分の差からしても、もう二度と晴興とは会えないかもしれないのに。
ああ、源太は別に、晴興のこと大してなんとも思ってないんだな。
別の世界に生きる人、ということで、割り切っている。小学生のときに引っ越していった幼なじみとイベント会場でばったり会った、みたいな。
「久しぶり~~! テレビ見てるよ、すっかり有名になったなあ。幼なじみが人気アイドルなんて俺も鼻が高いよ……あ、泉見なかった? ちょっと様子が変だったからさー。いろいろ話したいけど、またな! 会えてうれしかった!」
晴興も源太に「なつかしいなあ、忙しいからバイバイ!」とやられても、「やれやれ」ぐらいの感じ。こちらも源太に対してなんの含みもないらしい。
源太にとっての晴興、晴興にとっての源太が、特別な意味合いを持ったのは、泉をめぐってのあの土下座事件があってからじゃないの……?
あくまでも、泉ありき。
なのに晴興は語る。「私たちがはじめて出会ったのは星逢の夜だった。あの娘と、あの少年と、私がはじめて出会ったのは……」
ざらり、と疑問が肌に残る。
違和感のある、手触り。
源太のいい人っぷりだとか、一騎打ちで背中合わせで笑うとか。
なんだか、空々しい。
脚本にある通りに、わたしの心が進まない。
泉中心なら、なんの齟齬もない。
泉も情報量少ないけど、みゆちゃんがきっちり埋めてきているから。
でも、晴興と源太には違和感がある。
圧倒的に書き込みされているはずの晴興の薄さ。
そして、書き込みが少ないことが大きいとは言え、源太の不透明さ。
なんで、源太の銀橋ソロがないんだろう?
ふつー、2番手は心情を歌うソロがあるよね? なのにそれがない。ゆえに、源太には「ナニを考えているか、独白する場がない」。
源太という難しい役の、舵取りが決まらないのはそのせいか?
ざらり、ざらり。
整った話だと思った、よく計算された、破綻ない物語だと。
足りない部分はあるにせよ、短い時間でこれだけの人数を使って、しかもデビュー作で、よくぞこれだけまとめてきたなと。
あざといくらいに泣かせどころを押さえて、盛り上げているし。気持ちよく感動させてくれて、気持ちよく泣かせてくれる。
わかりやすいハッピーエンドじゃないから、気軽にリピート出来る話じゃないかもしれないけど、これだけ美しい物語を観られることはうれしい。
そう思っていたのに。
すげえ、引っかかる。
2回目観劇のあと、おなかいっぱい、もう観なくてもいいかな、てなもんだったのに。
3回目観劇のあとは、みょーに気に掛かる。
いろんな場面や台詞を心の中で反芻する。
ナニ、このあとの引き方。気になり方。
観に行きたい。
もう一度。